「これは……」
ルシアはどこか心ここに非ずと言った風に呆然とした様子で目の前の机に置かれている一つのDBに目を奪われていた。DBマスターであるルシアにはただそれを目にするだけで十分だった。
『リアルモーメント』
それがそのDBの正体。その名の通り一瞬だけであるが幻を現実にすることができるDB。それが何を意味するかを一瞬で悟りルシアはただその場に立ち尽くすことしかできない。
『くくく……どうやらどういうことか悟ったようだな。だが今更なかったことにすることは許さんぞ。これは賭けなのだからな』
そんな自らの主の姿に満足したかのようにマザーは笑いをこらえることができない。長い間ずっと考えてきた策がようやく実を結んだのだから。だが本当に面白いのはこれから。まるで待ちに待ったおもちゃを前にしたかのようにマザーは目を輝かせながら約束をルシアに守らせんとするも
『マ、マザー……てめえ、そんなに修行で俺を追い詰めてえのか!?』
それはルシアの予想外の、理解不能の叫びによって一気に霧散してしまった。
『…………は?』
「…………え?」
『……?』
マザーはこいつ何言ってんだといわんばかりの顔で、ルシアはマザーの呆然とした様子に呆気にとられた顔で、事情が理解できないアナスタシスはぽかんとした顔で互いの顔を見合わせる。三者三様のリアクションを見せるもその胸中は皆同じ。一体何が起こっているのか分からない。それだけだった。
「な、何だよ……その顔は? 俺、何かおかしいことでも言ったか……?」
『あ、当たり前だ! 大体何故ここで修行の話が出てくる!? 我はそんなこと一言も言っておらんだろうが!?』
「てめえこそ何訳分からんこと言ってやがる!? このリアルモーメントで修行を実戦形式にする気なんだろうが!?」
『実戦形式……? 何を意味が分からんことを言って……ん?』
『……なるほど、そういうことですか……』
マザーはようやくルシアが一体何を言っているのかを悟る。正確には何を勘違いしていたのかを。同時にアナスタシスもマザーとルシアの間にあった勘違いが何であったのかに気づき小さくため息を突きながらもそのまま二人から距離を取る。自分が出る幕ではないと瞬時に見てとった故の動き。事情を理解していないのはルシア唯一人。それが可笑しいのかマザーはいつも以上に上機嫌になってしまう。
「な、なんだよ……二人して黙りこんじまって……」
『くくく……いやなに、お主の滑稽な勘違いが可笑しかっただけよ。我はな、そのリアルモーメントで我の幻を実体化してもらおうと思っておっただけだ』
「え!? お、お前を実体化……!? リアルモーメントでか……!?」
『うむ、こやつの力は幻を現実にするもの。イリュージョンとはこれ以上にないほど相性が良い存在だ』
「ちょ、ちょっと待てよ……でもこいつは一瞬しか幻を現実にできないんじゃねえのかよ? そんなことしたって何の意味があるんだ?」
ルシアは自分の想像だにしていなかった展開に右往左往しながらもマザーを問い詰める。幻を現実に変える。それがリアルモーメントの能力。だがそれはその名の通り一瞬だけの物。原作でこのDBを使っていたランスという男も獣剣と呼ばれる獣の幻を生み出す剣と組み合わせることで戦っていたが幻を実体化できるのは攻撃の一瞬だけだった。それを知っているからこそルシアは勘違いをしてしまっていた。マザーが幻との修行にこのリアルモーメントを使う気なのだろうと。だがそれはマザーの思惑とは大きく異なっていた。
『ふむ、確かに並みの使い手ならばそうであろう。だがそれが主であれば話は別だ。今のお主ならばリアルモーメントの極み、一瞬ではない完璧な実体化をすることも可能だということだ』
「なっ……!? そ、そんなことができんのかよ……!?」
『当然であろう。お主は自分がDBマスターであることをちゃんと理解するべきだぞ。シンクレアはともかくそれ以外のDBでお主が極められないものなどもはや存在せん。まあだからといって無制限に持てるわけではないが……まあよい、お主はこれ以上DBを持つこともないだろうからな……』
ルシアはマザーの言葉に少なからず驚きを感じていた。それは自身の力の向上、DBマスターとしての成長に。もしかしたら以前べリアルに言われたように自分は人間ではなくなってしまっているのではないかと心配してしまうほど。
『くくく……だが中々面白い話を聞かせてもらった。リアルモーメントを使った実戦形式の修行か……そこまでは我も気づいておらんかったわ。流石は我が主。まさか自分からさらに過酷な修行を申し出るとは……』
「っ!? い、いや……それは……」
『そういえばちょうど再生の力を持った誰かさんがいたな。喜べ主様よ。これで怪我の心配をすることなく修行することができるぞ』
くくく、という邪悪な笑みを浮かべながらマザーはまるで鬼の首を取ったかのように捲し立てる。ルシアはそんなマザーの姿に顔面を蒼白にするしかない。同時に自分自身が墓穴を掘ってしまったことに後悔する。いらないことを口走ってしまったと気づくも後の祭り。それでも何とか最悪の事態を回避すべく無い知恵を絞ろうとした時
『ふう……そこまでにしたらどうですか、マザー。素直に自分にリアルモーメントを使ってほしいと頼めばいいでしょうに……』
『なっ!? な、何を言っておる!? 我はただアキが提案してくれたアイデアを修行を生かしてやろうと……』
『そうですか……では私が代わりにアキ様に実体化させていただきます。それでも構いませんね?』
『ふ、ふざけるでない! それは賭けに勝った我の権利だぞ!』
『そうですか。では早くそうしなさい………好きな相手に意地悪をするのはあなたの悪い癖ですよ、マザー』
『くっ……後で覚えておけよ、アナスタシス……』
最後のやり取りをわざとルシアに聞こえないようにマザーとアナスタシスはかわしながらもようやくそれでその場は収まることになった。もっともマザーからすればもう少しルシアをからかって遊びたかったところではあるがあまりにもやりすぎて本来の目的が失敗してしまえば本末転倒だと判断する。
『ご、ごほんっ! まあそれについては置いておくとしてアキよ。約束は約束だ。リアルモーメントを我に使ってもらうぞ。無論、極みである完全な実体化をな』
気を取り直すかのように咳ばらいをしながらマザーは自らの幻にリアルモーメントの力を使うようにルシアに迫る。だがその姿はどうみてもいつもとは違っていた。一言でいえばそわそわしているもの。落ち着きがないのはいつものことだがそれを踏まえたとしても明らかに浮足立っているのがルシアから見てもバレバレだった。
「はあ……分かった分かった。でもその代わり修行でこいつを使うのはナシだ。それでいいな?」
『むう……まあよかろう。修行での幻にリアルモーメントを使えばそれだけでお主がまともに動けなくなるだけだろうしな……』
楽しみが一つ減ったとことに不満げな声を漏らしながらもマザーは渋々ルシアの条件を飲むことにする。もっとも効率の面から考えてもあまりいい案ではなかったこともその理由。確かにリアルモーメントを使えば実戦形式の修行を行うこともできるが流石にシバや蒼天四戦士を実体化しながら戦うことはいかにルシアでも消耗の面で無理が出る。特にシバでは実体化することすら難しいはず。それでルシアがまともに動けなくなってしまえば何の意味もないのだから。
「じゃあ行くぞ。どうなっても知らねえからな……」
ルシアはげんなりした様子でふんぞり返っているマザーの幻に向かってリアルモーメントの力を解放する。一瞬の現実ではなく、完全な実体化を為すために。瞬間、まばゆい光が部屋を支配する。
ルシアは内心安堵していた。リアルモーメントを使った修行をとりあえずは行わなくてよくなったことで。だがすぐ知ることになる。
それよりも遥かに厄介な事態が今まさに起こらんとしていたことに―――――
DC本部があるエクスペリメントから遥か遠く離れたサザンベルク大陸。その近海の奥深くに一つの大きな要塞が存在していた。
『リバーサリー』
それがその要塞の名。闇の組織の一つ『鬼神』の本拠地である船だった。その中の一角。巨大な機械のコードが散乱した部屋に一つの小さな人影があった。
「やっぱりまだ調整が……もう少し駆動炉の耐久性を……」
ぶつぶつと独り言をつぶやきながら目の前にあるパソコンをいじっているのはまるで少年のように見える男。彼の名はゴブ。だがゴブは人間ではなかった。その証拠にその頭には人間には無い二つの確かな角がある。
『鬼』
人間を遥かに超えた身体能力を持つ亜人の一種。鬼神のメンバーは全て鬼で構成されている。その身体能力と共にDBを駆使することで闇の世界でも三本の指に入る力を持っている組織。無論ゴブもその例に漏れないのだが彼はそれ以外にも特別な地位についていた。それは参謀長。その役職が示す通り頭脳労働がゴブの大きな役割だった。そしてゴブがいじっているパソコンから手を離し、少し休憩をしようとした時
「おう、どうだゴブ。魔亜冥土砲の調子は?」
まるで初めからそこにいたかのように大きな声が部屋中に響き渡る。だがそれは聞く者を一瞬で委縮させてしまいかねない程の凄味を含んだもの。同時に部屋の空気が重苦しさを増していく。その声の主が現れたことによって空気そのものが怯えているかのように。その声の主が誰であるかを知っているゴブでさえ一瞬、身体が強張ってしまうほど。
「そ、総長……!? どうしたんですか、こんなところに……?」
ゴブは慌てながら振り返り部屋に現れた人物を迎え入れる。だがそんなゴブの様子を気にする風もなく男は我が物顔で悠然と姿を見せる。ゴブはその姿を見上げるしかない。それほどのその男は巨大だった。小柄なゴブとは比べ物にならない程の巨体と屈強な体。そして金でできた鎧を身に纏った姿。まさに鬼の頂点に相応しい貫録と力を持った王。
『オウガ』
それが鬼神のリーダー、総長である男の名。その圧倒的な力を以て世界を、世界中の女を我が物にするという野望を持つ存在。だがそんな世迷言とも取れる野望を実現しかねない力をオウガは持っている。その証が胸元で確かな光を放っていた。
『ラストフィジックス』
持つ者に無敵の肉体を与えるシンクレア。最強の身体能力を持つオウガがそれを持てばまさに鬼に金棒。かつて闇の頂きとまで呼ばれたDC最高司令官キングに勝るとも劣らない実力を持つ王者だった。
「ああ、ちょっと確認したくてな。ゴブ、魔亜冥土砲はいつ完成しそうだ?」
「完成ですか……? 魔亜冥土砲自体はほぼ完成していますがまだ魔力の方が……今は人魚たちから魔力を集めている最中ですから……早くても一カ月以上は……」
ぶつぶつと小言を言いながらゴブは淡々と現在の状況をオウガへと伝える。今、ゴブ達は新しい兵器である魔亜冥土砲と呼ばれるものを開発していた。それは魔力を使った巨大な砲台。その威力は凄まじく改良によっては大破壊にも匹敵しかねないもの。だがそのためには莫大な魔力が必要となりその確保のために今、鬼神の構成員たちは魔力を持つ亜人である人魚を捕獲し魔力を集めているところだった。
「一カ月だあ? おいおい、もっと早く何とかならねえのかよ」
「む、無茶言わないでください……これでも一番効率が良い方法なんですから……そもそもそれでもいいって言ったのは総長でしょう?」
「あーあー分かった分かった。じゃあしょうがねえな……」
「……? それよりも総長、こんなところにいていいんですか。もうすぐドリュー幽撃団との会合のはずでしょう?」
ぼりぼりと頭を掻いているオウガの姿に疑問を抱きながらもゴブは思い出したかのように進言する。今日はオウガにとって、正確には鬼神にとって重要な会合が予定されていた。それがドリュー幽撃団との会合。DCに対抗するために連合を組むためのものだった。本来ならあり得ないような話だが先日のBG壊滅の一件によって鬼神もそう動かざるを得なかった。あのDCが復活し、しかも恐らくは前以上の力を持っているのだから。いかに鬼神、ドリュー幽撃団といえども正面から挑めば勝ち目はないという利害関係が一致したからこそ実現した案。事実参謀長であるゴブもこの日のために尽力してきた。だがそれを知った上で
「ああ……その話な……やっぱナシだ」
どうでもよさげに、まるで面倒になったからやめたと言わんばかりの態度でオウガはそんな言葉を口にした。それによってゴブは目を見開いたまま口をパクパクさせるしかない。
「な、何を言ってるんですか総長!? あれだけ話合ったじゃないですか!? あのDCが復活してるんですよ! 総長だってDCの力がどんなものか分かってる筈でしょう!?」
「あーあーうるせえな……分かってるさ。お前の小言を耳にたこができるぐらい聞かされてきてんだからな……」
「ならどうして……!?」
ゴブは相手が総長であると分かっていながらも我を忘れて食ってかかって行く。本当ならば許されるはずのない行為。だがそれでも参謀長としてどうしても黙っているわけにはいかなかった。これからの行動を全て変更しなければならない程のものなのだから。オウガもそれが分かっているからこそゴブが食ってかかってくるのをとがめることは無い。だが
「だがよ……ドリューと手を組めば本当にDCに勝てると思ってんのか?」
「……え? そ、それは……」
オウガの静かな声によってゴブは我を取り戻す。いつもなら大声でどなられてしまう所であったはずにも関わらず静かに諭されたことで逆にゴブは得もしれない感覚を覚える。
「今のDCのトップ……確か金髪の何とかって奴はハードナーの野郎を倒して二つのシンクレアを持ってんだろ?」
「金髪の悪魔です……まあ確定した情報じゃありませんけど……シンクレアを二つ持ってるのは間違いないはずです……」
「まあ何だっていいさ……つまりその金髪はオレやドリューと違って二つシンクレアを持ってるわけだ。この意味がてめえに分かるか、ゴブ?」
「…………」
知らずゴブは息を飲んでいた。それは自分に向かって話しかけているオウガの眼。それはまさに戦う者の眼。それを前にして口をはさむことなど誰にもできない。
「オレは最強だ。最も剛勇な戦士の一族の王だ。だがそれでもこのシンクレアがどんな存在かってこともオレは誰よりも分かってる。これを二つ持つってことがどれだけヤバいかってことをな」
「そ、総長……一体何を……?」
ゴブは身体を震わせながらただ尋ねることしかできない。だが既に頭の中では理解できていた。オウガが一体何を言おうとしているのかを。参謀長として一つの選択肢として考えていた、それでもリスクの高さから実行できなかった策。それは
「まだ分からねえか……簡単なことだ。DCを倒す一番の方法はな……オレも二つシンクレアを持てばいいってことだ!」
ドリュー幽撃団を壊滅させ、ドリューが持っているシンクレアを奪うこと。あまりにも単純な答えだった。
「ド、ドリュー幽撃団と戦うつもりなんですか!? ちょっと待ってください! まだ魔亜冥土砲も完成していません! いくらなんでも無茶です!」
こればかりは聞くわけにはいかないとばかりに必死の形相でゴブはオウガを説得せんとする。それは何もオウガの強さを疑っているわけではない。だが相手はドリュー。あのキングと互角かそれ以上の実力を持つ相手。それに加え何人もの強力な戦士を連れている。ならこちらも万全を期さなければなければならない。参謀長として当然の考え。だがオウガとてそんなことは百も承知。自らの力に絶対の自信を持ちながらも決してドリューを侮っているわけではない。だがそれでもオウガは不敵な笑みを見せる。狂気とも言える光を宿した瞳を見せながら
「何言ってやがる、オレにはコレがあるだろうが」
その巨大な拳でそれを叩く。そこは壁。何の変哲もないただの壁。だが唯一普通ではない点。それはその壁が、床が、天井が、全て『銀色』であったこと。
「っ!? そ、総長ダメです!! コレはわが軍の最終兵器!! 使えば世界中を敵に回すことになります! 本当の土壇場に使うべきです!!」
それは懇願にも近い進言。それはゴブ自身が誰よりも理解していたから。自らがいる要塞、船の力を使えばどうなるか。まさに世界を破壊しかねない力がこの銀の船にはある。だが
「今がその時じゃねえか。千載一遇のチャンスだ。ここに船で向かってるドリューを消してシンクレアを手に入れる。そのままDCも潰す。それだけだ」
銀の船の主であり金を扱う鬼の王は嗤いながら告げる。自らの決定を。世界を敵に回すことすら恐れない。自らの金の力とシンクレア、そして銀術の最終兵器があればどんな敵も恐れるに足らないと。
「…………どうなっても知りませんよ」
もはや何を言っても無駄なことを悟ったゴブはそのまま船の外で活動している構成員たち全員を緊急指令で帰還させた後、船の中枢にある機械のパネルへと近づいて行く。そこにパスワードを打ち込むことで全ては完了する。いや、全ては消滅する。その意味を知るゴブは大きく息を飲む。だがこれがある意味理にかなっていることは認めざるを得なかった。多少の犠牲は払うことになるがその力を使えばドリュー幽撃団であろうがDCだろうが敵ではない。問題は本当に跡形もなく全てを消し去ってしまうことだけ。ゴブはその封印を解かんとする。要塞リバーサリー。だがそれは仮初の名前だった。
『シルバーレイ』
それがこの銀の船の本当の名前。かつて一人の銀術師が作り上げた最高の芸術品であり最悪の兵器。
それがまさに解き放たれんとした瞬間
「面白そうな話だな。私も混ぜてもらっても構わんかね」
そんなあり得ないような声が響き渡った。
それは影だった。
まるで影そのものが生きているかのように動き、形を為していく。信じられない悪夢のような光景。だがそれが何を意味するか瞬時に悟ったゴブの表情は驚愕と恐怖に染まる。
それとは対照的にその光景をオウガは無表情のまま見つめ続けている。だがその空気が既に先程までとは別物。戦闘種族である鬼そのものといっても過言ではない気配をその身に纏っている。その胸にある闇の頂きも凄まじい光を放つ。まるで待ちわびた時が来たことを喜んでいるかのように。
その闇色の光は一つではなかった。もう一つは形を為した人型の胸元から放たれている。
『ヴァンパイア』
持つ者に引力を操る力を与えるシンクレア。オウガ同様、王たる者にしか持つ資格がない五つの母の一つ。だがその男は人間でも鬼でもない。夜に生きる、闇そのものといってもいい存在。『魔王』の称号を持つ者。
『パンプキンドリュー』
ひと月前の金髪の悪魔と不死身の処刑人、二人の王とそれに従う母なる闇の使者の戦いがあった。
そして今ここにもう一つ。
鬼の王と夜の魔王、二つの母なる闇の使者が相見える時が来た―――――