激戦地となっている空中要塞アルバトロス。その一画で凄まじい風が吹き荒れていた。とても屋内とは思えない惨状。まるでそこだけ台風が発生しているのではないかと思えるような暴風域。その中心、台風の目とも言える場所に一人の大男がいた。
「フォ―――――!!」
兎の被り物をした男、六つの盾の一人であるリエーヴルはその顔を苦悶に歪めながらも己の全力によって口から息を吐き続ける。その息こそがここ一帯を暴風に巻き込んでいる原因。
『ハードブレス』
息のDBであり扱う者の息の力を強化する能力を持つ物。それによって今、リエーヴルから放たれる息は台風に匹敵するかのような激しさを生み出している。周りにいた味方である兵士達も既に息によって吹き飛ばされてしまっている。何者であれその場に立ってすらいられない程の状況。だがその中にあってもなおリエーヴル以外にもう一人、その場に立っている男がいた。
それは長い帽子とコートを纏った男。どこか静けさを、冷たさを感じさせる表情と瞳を持つ存在、ディープスノー。
彼を倒すため今、リエーヴルは己が持つ全力の攻撃によって攻撃を仕掛けているところ。その証拠にリエーヴルの表情は苦悶に満ち、額には大粒の汗が浮かんでいる。限界以上の力を生み出している代償。しかしリエーヴルがそんな表情を見せているのは力を行使しているからだけではない。その一番の理由。それは
「……なるほど。全力でもこの程度ですか」
自分が今、目の前の男によって窮地に追い込まれているからに他ならない。ディープスノーはぽつりと呟いた後、まるで何でもないかのようにリエーヴルに向かって歩き始める。一歩一歩確実に。さながら散歩でもしているかのように。だがそれはあり得ない。何故ならディープスノーはリエーヴルの息吹に晒されている。その中を歩くことなど考えられない。だがさも当然だといわんばかりにディープスノーは暴風の中を進んでいく。まるでディープスノーの周りだけが台風の目になってしまっているかのように。そんな信じられない光景に戦慄するもリエーヴルはあきらめることなく息を吐き続ける。こんなところで負けるわけにはいかないと、六つの盾の意地を見せるかのように。だが
「風よ」
それは一瞬で粉々に砕け散る。ディープスノーが言葉と共に指を指揮者のように振った瞬間、辺りを襲っていた暴風がまるで生き物のように動きだしその矛先をリエーヴルに向ける。さながら指揮に従う兵士のように。その全ての風がディープスノーの意志によって操られそれを生み出したはずのリエーヴルに向かって跳ね返っていく。信じられないような事態の連続にリエーヴルは悲鳴を上げる暇もなくただされるがままに風によって吹き飛ばされ、壁に叩きつけられてしまう。
「うごおおおっ!?」
壁にめり込むように叩きつけられた痛みによってようやく声を上げるものの既にリエーヴルに戦う力は残ってはいない。体中はまるで刃物によって切り裂かれたように傷だらけ。そして吹き飛ばされた衝撃によるダメージ。もはや誰の目にも勝敗は明らか。
「もう分かったでしょう。あなたでは私には勝てない。あきらめなさい」
それがディープスノーとその六星DB『ゼロ・ストリーム』の力。流れるもの、流動の力を操る能力。その一部である風を操ることなどディープスノーにとっては造作もないこと。その証拠にリエーヴルはこれまで何度も攻撃を仕掛けたもののかすり傷一つ負わせることすらできていない。まさに天敵とも言える能力。その圧倒的な力の差の前にリエーヴルは恐怖し震えるしかない。
「わ……分かった! こ、降参だ! オラの負けだ! オラはただ、ボインちゃんと戦いたかっただけなんだ! でももうあきらめる! だ、だからどうか命だけは……!」
リエーヴルは必死の表情を見せ、土下座をしながら命乞いをする。その格好と相まって無様極まりない姿。だがそんなことなどどうでもいいとばかりにリエーヴルは懇願する。どうか命だけは助けてくれと。その隠れた顔で虎視眈々と反撃のチャンスを、もしくは逃亡の隙を伺いながら。どんな手を使っても欲しいものを手に入れる。それがBGの教えでありリエーヴルの行動理念。だが
「いいでしょう……ただし条件があります」
そんなリエーヴルの思惑などお見通しだといわんばかりのタイミングでディープスノーがその力を振るう。瞬間、信じられないような事態が起こる。
「な、何だこれは!? オ、オラの腕が!? いでででで!? や、やめてくれえええ!?」
リエーヴルは絶叫しもだえるもののどうすることもできない。そこには自らの腕がまるで見えない力によって捩じられてしまうかのようにあり得ないような方向に曲がり始める光景があった。その激痛に必死に耐えながらそれを何とかしようとするもまるで腕が別の力によって操られてしまっているかのように自由が利かない。そのままでは腕が捩じり切られてしまう、万力のような力がリエーヴルを捕えている。それもまたゼロ・ストリームの力。流れるもの、それは風だけでなく人間の血液さえも含まれる。まさに反則にも近い能力。
「なら答えなさい。他の六つの盾の能力とハードナーのシンクレアの力を。そうすれば命だけは助けてあげましょう」
冷酷な表情をみせながらディープスノーは迫る。仲間を売るかそれともこのまま死ぬか。どちからを選べと。その重圧にリエーヴルは戦慄するしかない。腕の痛みすら忘れてしまうほどの凄味がそこにはある。間違いなく目の前の男、ディープスノーに逆らえば自分の命はない。そう確信する程の恐怖。それを前にして抗うことなどできない。
「わ、分かった……答えるからこの腕を何とかしてくれ……!」
リエーヴルが嗚咽を漏らしながらも降伏し、拘束を解いてくれと叫ぶ。そこにはもう反撃する気力も隙を狙う意図もない。完全にリエーヴルは心を折られてしまっていた。それを感じ取ったディープスノーはDBの力を解除する。無論いつでも再開できるように準備したまま。油断も隙もない戦士の姿。そしてリエーヴルがその口から他のメンバーの能力が告げられんとした時
「ったく……騒がしいから覗いてみればどうなってんだ、こりゃ?」
そんな聞いたことのない男の声をディープスノーは聞きとり、瞬時に警戒態勢を取る。その声の主はリエーヴルのすぐ傍に現れた。リーゼントの髪型をしたどこかキザな雰囲気を纏った男。だが男が只者ではないことをディープスノーは感じ取っていた。自分に気づかれることなくこの場に現れたこと、何よりも男が発している、纏っている空気。リエーヴルとは比べ物にならない程の強者の風格がある。
ジラフ、六つの盾でナンバー2の実力を持つ男の力だった。
「ジ、ジラフ……す、すまねえ助かったぜ! 油断しちまって……」
リエーヴルは考えもしなかった援軍、救援が現れたことによって調子を取り戻しながら歓喜する。そうなってしまうほどにリエーヴルはジラフの力を認めている。ジラフがいれば目の前のディープスノーも恐るるに足らないと。故にリエーヴルは気付けなかった。
「ああ、気にすんな……どっちみちお前はここで用済みだからな」
ジラフが援軍ではなく、ディープスノー以上の自分にとっての死神であったことに。
「ジ、ジラフ……!? ど、どういうことだ!? オラは仲間だぞ、それなのに……!?」
リエーヴルは断末魔のような声を上げながら必死にジラフに声を迫る。だがそんな声が聞こえていないかのようにジラフはその手でリエーヴルに触れたまま。その地点からまるで先程のディープスノーの力の続きのようにリエーヴルの体が捩じれていく。
「裏切り者が何言ってやがる……それに使えねェ奴ァ仲間とは言わねェんだ」
笑みを見せながらもジラフは無慈悲にリエーヴルに死の宣告を告げる。BGを裏切ろうとしたことへと、そして六つの盾として醜態を晒したことへの粛清。その力は先のディープスノーの比ではない。血液どころか筋肉、骨まで巻き込みながらリエーヴルの身体がまるで人形のように捩じられ原形をとどめなくなっていく。その痛みによってリエーヴルは声を上げることもできなくなり絶命する。それが六つの盾の一人、リエーヴルの最期だった。
「おっと悪いなァ兄さん。みっともないところ見せちまった。代わりにオレが相手をしてやるよ」
「そうですか……ですがよかったのですか。仲間を殺してしまって。せっかく二対一だったというのに……」
「お? 心配してくれんのか、優しいねェ。だけど安心しな。リエーヴルは六つの盾の中でも最弱だ。あんな奴いても何の役にも立たねェよ」
ジラフはケラケラと笑い両手をズボンのポケットに突っこんだままディープスノーと対面する。明らかになめきっているといわんばかりの態度。だがそれが許される程の実力をジラフは持っている。先程見せたジラフの力。恐らくは自分に近い能力のDBを持っている可能性が高い。それを前にしながらもディープスノーには恐れは無い。あるのはただルシアによって命じられた指令を全うすることだけ。六つの盾の殲滅。それだけが今のディープスノーの行動理念。
「なら遠慮は無用ですね。すぐに勝負を決めて差し上げます」
ディープスノーは宣言と共に流動の力を振るう。油断なく全力を以て。力の出し惜しみなどする必要はない。最短で相手を葬ること。それがディープスノーの戦闘スタイル。戦いは楽しむものではなく相手を殺すための物であり、手段。それを示すようにその力がジラフを侵食し、その腕が捩じれ始める。だがそれだけではない。身体のいたるところの血液の流れがディープスノーによって支配されていく。逃れることができない呪縛。そしてそれに囚われた者は死を迎える恐ろしい攻撃。生物である以上逃れることはできない真理。だが
「なるほどねェ……でも残念だったな。どうやらオレ達は相性が悪いみてェだ……いや、オレにとっては相性がいいのかな?」
「――――!?」
それは目の前の男、ジラフには通用しなかった。ディープスノーはアルバトロスに侵入してから初めて表情を変化させる。それは驚愕。先程まで自分のDBの力の支配下にあったジラフの血液の流れを操れなくなってしまったことによるもの。だがそれは正しくない。正しくはジラフの中の血液の流れが違う力によって上書きされてしまったということ。そんなあり得ない事態を前にしながらもディープスノーはすぐさま冷静さを取り戻しながら思考する。一体何が起こったのか。だが
「教えてやろうか。オレのDB『ツイスター』の力だ。どんな物でも捩じっちまう能力でな。さっきのはその応用ってわけ」
そんなディープスノーの思考を先読みするようにあろうことかジラフは自らの能力の種明かしをする。しかもその表情、雰囲気からそれが偽りでないことが伝わってくる。
「なるほど……それで自分の血液の流れも正常にしたということですか。ですがいいのですか。それを私に教えてしまって」
「気にすることねェさ。どっちにしろすぐあんたにはバレただろうしな。あんたの力もオレに似たもん……力の流れを操るってところかな。どうだい? 当たらずとも遠からずってとこだろ?」
「…………」
まるで手品の種を明かすマジシャンのように楽しげにジラフは己の能力を明かし、同時にディープスノーの能力を看破する。それは先の攻防とリエーヴルとの戦闘の一部始終によるジラフの読み。その観察眼もだが何よりも自分と近い能力を持っているが故のもの。
「それにバレたってどうってことねェさ。もうあんたも分かっただろう? あんたのDBよりもオレのDBの方が強ェってな」
絶対の自信を見せながらもジラフは自らの手を床に向かって伸ばす。瞬間、戦いが始まった。
「っ!?」
ディープスノーはその光景に目を奪われるしかない。ジラフの周囲にある鉄によってできた床。それがジラフの手が触れた瞬間にまるで波打つように歪み、そして捩じれて行く。鉄とは思えないような柔軟性を見せながら。そして次の瞬間、その鉄の捩じれが凶器となりながらディープスノーに襲いかかってくる。
ディープスノーは咄嗟に後方に飛びながら紙一重のところで鉄の波の攻撃から逃れるもそれを許さないとばかりに追い縋ってくる。その速度は尋常ではない。しかも速度だけではない。その範囲も広がり続けている。初めはジラフの周囲数メートル程であったそれが今は既に部屋の半分近くを支配しつつある。それに飲み込まれればただでは済まない。
「面白ェだろ? これが捩じれのDB『ツイスター』の力。オレにとっては物質全てが武器だ」
逃げ続けているディープスノーを嘲笑うかのようにジラフはさらに力を増しながら攻撃を仕掛けてくる。床だけではなく壁までも自分の武器としながら。言葉通りこの部屋にある全ての物質が武器だと証明するかのように。
(なるほど……確かに私のゼロ・ストリームに近い能力。ならば……)
圧倒的に追い込まれているように見えながらもディープスノーは冷静そのもの。その証拠にその全ての攻撃を紙一重のところで躱し続けている。そしてディープスノーは何も狙いがないまま逃げ回っているわけではない。それは相手の力、ツイスターの力の流れを感じ取るため。これまで様々な力の流れを感じ取り操ってきたディープスノーであってもDBの力の流れを読み取ることは初めてのこと。その時間を稼ぐことが狙い。そしてディープスノーは感じ取る。その確かな力の流れを。同時にその力を操りジラフへと向けんとする。だが
「悪いけどそれはさせねェぜ。言っただろ、オレの方が強いってよ」
「―――っ!?」
ジラフの言葉と共に破られてしまう。だがそれはディープスノーがミスをしたわけではない。その証拠に一瞬ではあるが捩じれによって操られている地面が動きを鈍らせた。だがそれだけ。すぐにそのコントロールを取り戻しながら捩じれが再びディープスノーへと襲いかかってくる。それによって追いこまれながらもディープスノーは感じ取っていた。何故自分の力が通用しなかったのか。
「もう分かってんだろ。さっきの血液と同じさ。単純にオレのツイスターの力の方が上ってことだ」
ジラフは勝ち誇りながらも宣言する。それは単純な力の差。ゼロ・ストリームはその名の通り流れるものを操る力を持つDB。だがその制御は困難を極める。当たり前だ。本来見えない、操ることができない力の流れを操るのだから。その証拠にゼロ・ストリームを使うためには何事にも動じない程の集中力が必要となる。いわば精密機械を扱うようなもの。だがそれとは対照的な力を持つのがツイスター。捩じれという力を増幅させ、破壊するための荒々しい力。しかも捩じれは一つだけでなくいくつもジラフから生まれそれが合わさって行くことで相乗的に力が増していく。その力を完全に掌握することはいかにディープスノーでも不可能。直接手から力を伝えるジラフと間接的に力を操るディープスノーでは操れる力にどうしても差が生まれてしまう。だがそれでもディープスノーは焦りを見せることは無い。
「なるほど……大したDBです。ですがそれだけで勝った気になるのは早計ですよ」
ディープスノーは捩じれの攻撃を避けながらも自らの人差し指を振るう。瞬間、部屋の中の空気、風が凄まじい力を見せながら集束しジラフに向かって放たれる。それがゼロ・ストリームの力。相手の力を操ることはその一部に過ぎない。それが通じなかったとしてもジラフが操れない風であれば何の問題もない。それを証明するかのように風がまるでカマイタチのような鋭さでジラフを両断せんと迫る。しかし
「甘いぜ」
それは鉄の壁によって阻まれてしまう。ジラフの力の流れが変わり、それまで攻撃に終始していた捩じれの波がまるでジラフを守るかのように壁を、盾を作り出し風の攻撃を防いでしまう。まさに攻防一体の能力。その応用力の高さ、何よりも習熟度にディープスノーは自分の見通しが甘かったことを悟る。目の前の相手ジラフがまさに六祈将軍に匹敵、凌駕する存在であることに。だがそれはあまりにも遅すぎた。
「っ!?」
それは一瞬。ディープスノーが再び風を操り追撃を仕掛けんとした瞬間。目の前からジラフの姿が消えてしまう。捩じれの盾が生まれたのとほぼ同時。だがそれは決してディープスノーが油断していたわけではない。それはジラフの力。とても人間とは思えないような速さ、身体能力を見せながらジラフは一気にディープスノーとの距離を詰める。その速度はレオパールに匹敵、凌駕しかねない程の物。
「じゃあな、色男」
別れの挨拶を告げながらジラフの凄まじい拳がディープスノーに向かって放たれる。それはただの拳。それを受けたとしても一撃で勝負が決するようなものではない。そうディープスノーは判断しかけるもすぐさま回避へと行動を変更する。それはまさに直感。力の流れを感じ取れるディープスノーだからこそ持てた感覚。それでもその凄まじい速度によって完全に躱しきることができずわずかに拳が右腕を掠めて行く。
「くっ……!」
初めて苦悶の声を漏らしながらディープスノーはすぐさま風によって反撃を加えんとするもそれを凄まじい動きと速度で回避しながらジラフはディープスノーから距離を取る。まるで身体にバネを仕込んでいるのではと思えるような壁と床を使った自由自在の動き。奇しくも最初の戦闘が始まった位置で両者は向かい合う。だが両者には明らかな差があった。
「咄嗟に躱すとはな。でも残念だったな。掠っただけとはいえオレに触れちまった時点であんたの負けだ」
「…………」
「強がっても無駄だぜ。その右腕、折れちまっただろうに」
不敵な笑みを見せるジラフとは対照的にディープスノーは無表情のまま。だが確かにその頬には一筋の汗が流れている。ディープスノーは目を動かすのみで自らの右腕を確認する。その激痛、そして何よりも力を入れても動くことがない腕。間違いなく自分の右腕が使い物にならなくなってしまっている。先のジラフの拳。それに掠ってしまったせいで。だがそれはまだ軽傷で済んだのだとディープスノーは気づいていた。ジラフの言葉通りジラフに触れてしまうだけで自分の腕は折れて、捩じれてしまった。もしまともに食らっていれば右腕は千切れ飛んでしまっていたはず。触れた物全てを捩じり、破壊してしまう。まさに反則に近いDB。しかもその身体能力もDBによるもの。自らの力の流れを捩じり、さながらバネのように力を増幅させる。ツイスターを極めしものの力。
「で、まだ続けるかい。もうその腕じゃあどうしようもないだろ」
もう勝負はついたといわんばかりに挑発してくるジラフを見ながらもディープスノーは己に残された選択肢を探る。
ゼロ・ストリームは使用可能。だがこれ以上負傷を受ければその限りではない。
ゼロ・ストリームによる敵の血液の流れへの介入。不可。既に確認済み。敵能力への介入も同様。
風を操ることによる攻撃。有効ではあるものの敵の能力と強化されている身体能力の前では決定力不足。
敵の身体能力についてはかろうじて反応可能。だが触れれば戦闘不能になるため全てを回避する必要あり。右腕の負傷から回避し続けるのは困難。
逃走についても同様。
残された選択肢。新たな攻撃、防御手段の入手。
アルバトロスで使用可能な攻撃手段。候補としては水。要塞である以上貯水タンクかそれに準ずるものが配置されている。
その場まで戦場を誘導できればまだ風、水の使用によって逆転は可能。
凄まじい速度でディープスノーは現状を打破する策を模索する。相手は攻守ともにほぼ完璧に近い実力者。リエーヴルとはまさに桁が違う強さを持つ男。その特性から接近戦は不可能。ならば遠距離戦、風だけでなく水を加えた戦闘ならまだ勝機がある。後は――――
「あんたが考えてること当ててやろうか? 離れて戦えばいいって思ってんだろ。でも甘ェよ」
まるでディープスノーの思考を呼んだかのようにジラフが告げる。何を企んでも自分には通用しないと。何よりも自分の力をまだ見誤っていると。
「こ、これは……!?」
ディープスノーの表情が戦慄に染まる。それは全くの視角外。自らの足元。そこからまるで生き物のように床が捩じれディープスノーの足首に絡みついている。瞬間、そこから凄まじい力が生まれディープスノーの足は捩じられ骨を折られてしまう。何とか咄嗟に力づくで脱出するも既に負傷は取り返しがつかないレベルに達してしまっている。自らの失態と共にディープスノーは混乱するしかない。相手は動いていなかった。手を触れていなければ力は使えないはず。それなのに何故。
そんなディープスノーの疑問を嘲笑うかのように一瞬でジラフがディープスノーの目の前に現れる。足を負傷し、虚を突かれたディープスノーにそれを躱す術は無い。
「さっきも言ったはずだぜ。オレに触れたもの全てだってな。ほら、ずっと足は地面についてただろ?」
それがジラフの切り札。自分の能力が手からのみだと思わせること。手が触れていなければ能力は使えないと思った相手を足がついている地面から遠距離で襲うことこそがジラフの真の狙い。ジラフと戦う者が必ず陥る狡猾な、そして不可避の罠。
ネタばらしをしながらもその蹴りがディープスノーの胸へと突き刺さる。同時にその凄まじい力によって回転させられながらディープスノーは壁に向かって吹き飛ばされる。後には凄まじい破壊と粉塵が残されただけ。一撃必殺。そんな言葉が相応しい攻撃だった。
「弱っ、やっぱ六祈将軍って言っても大した事ねえな。ルナール様もルカンも心配しすぎだったんじゃねえの」
リーゼントをいじりながらもジラフはどこか拍子抜けしたかのように息を吐くしかない。六祈将軍という自分たちと同等の力を持つという存在との戦い。それに心躍っていたものの結果はこのザマ。自分に傷一つ負わすことなく呆気なく死んでしまうという体たらく。
「これならDCにビビる必要なんてなかったんじゃねェか。ま、レイヴマスターとかいうガキに殺されちまう奴の組織なんてたかが知れてるか……」
踵を返しながらジラフはその場を離れて行く。半年前までは自分たちが恐れていたDCだがどうやら考えすぎだったのだと悟りながら。もしかしたら自分たちが強すぎるのかもしれない。自分相手にこれなのだから他の六祈将軍であってもルカンやルナールには手も足も出ないはず。
「そうだな……じゃああの金髪のガキを殺りにいくか。リーダーみたいだったし少しは楽しめるだろ」
ジラフは気を取り直しながら歩き始める。狙いは六祈将軍と一緒にいた金髪の少年。その動きから恐らくはリーダーである存在。それが相手ならばもう少し楽しめるだろうと笑みを浮かべた瞬間
「残念ですが……あなたがルシア様に会うことはありません」
そんな誰かの声が響き渡った。
「…………え?」
ジラフはどこか心非ずと言った風に振り返る。自分が今どんな声を上げたのかすら分からない。だがそんなことすらどうでもよかった。ただその光景に目を奪われていた。
そこには人がいた。粉塵によってはっきりと見えなかった場所から悠然と、一歩一歩歩きながら一人の男が現れる。
ディープスノー。先程まで自分が戦っていた相手。そして先の一撃で葬り去ったはずの存在。それが目の前に立っている。まるで幽鬼のように。だがそれはあり得ない。先程の一撃は間違いなく必殺の一撃だった。掠ったようなものではない。完全に、体中の骨、臓器を捩じり殺す程の力。その感触を覚えている。今まで何人もの人間を始末してきた間違いようのない感覚。
「どうしました……かかってこないのですか」
その言葉に知らずジラフは後ずさりをする。その瞳は見開かれ、体中からは汗が噴き出している。今までに感じたことのないような感覚。
「お、お前……どうして……」
だがそれをジラフは知っていた。この感覚を。どうしようもない程の力の差。絶対的強者のみが持つ空気。そう、自らの王たるハードナー。それを前にしたかのような恐怖が生まれている。
足も腕も折れてしまっていたはず。アバラも粉々に砕いた。なのにそれが嘘であったかのようにディープスノーは立っている。だが明らかに先程と違うこと。
それはその胸。先の攻撃によって服が破れてしまったことでそれが露わになっている。そこには黒い石があった。身体に埋め込まれるようにして存在している魔石。DB。その常軌を逸した姿にジラフの顔が恐怖に染まる。ディープスノーはそれを確かに見ながらも
「簡単なことです。私の方があなたより『強い』からです」
先のジラフの言葉をそのまま口にする。瞬間、ジラフの意識は消え去った。
「がっ……はっ……」
擦れた意識の中でジラフはその光景を目にする。まるでクレーターができたかのような壁。そこに押し込まれている自分。そしてそんな自分の首を片手で絞めながら持ち上げているディープスノー。そこでようやくジラフは理解する。自分がディープスノーの拳の一撃によってここまで吹き飛ばされ、そして止めを刺されようとしていることに。全く見ることもできない程の速度と力。それはまるで
「て、てめえ……!」
残った力を振り絞りながらもジラフはその両手でディープスノーの腕を掴む。その力、ツイスターによって腕を捩じり落とすために。だが
「―――――っ!?」
ジラフは声にならない悲鳴を上げるしかない。それは自分の力が全く通用しなかったから。だがそれはディープスノーの持っているゼロ・ストリームの力ではない。もっと単純な、そして恐ろしい理由。単純な身体能力。純粋な身体の力によってディープスノーはDBの力に対抗している。およそ考えられないような、人間ではあり得ないような事態。自分の攻撃によって確実に折れ、粉々になってしまっていた身体の骨も全て治ってしまっている。
それがディープスノーがその身に宿す『五十六式DB』の力。人間の潜在能力を限界まで引き出す禁忌の力。キングの言葉と共に戒めとして封印し続けていた生物兵器としての力。
「バ……バケモノ……」
ジラフは薄れ行く意識の中で告げる。その言葉を。人間ではない存在を示す言葉。今のディープスノーを現すに相応しい言葉。
その瞳が、表情がディープスノーにかつての記憶を蘇らせる。忘れたくても忘れることができない原初の記憶。初めてこの力を使ってしまった日。自分を恐れる父の姿。消え去ることができないトラウマ。だがそれを前にしながらもディープスノーに迷いは無い。
「バケモノでも構いません……あなたはキングを……そしてルシア様を侮辱した。それだけです」
愛する父と忠を誓った主。それを侮辱されたこと。それだけがディープスノーの戦う理由。そして父の、キングの教えを破ってまで力を解放した答え。
ディープスノーはその力によってジラフの命を奪う。だがあるのは命を奪ったこと対する罪悪感ではない。キングの教えを破ってしまったこと、そしてそうしなければ勝つことができなかった自分への情けなさだけ
骸となったジラフをその場に置き去りながらディープスノーは進み続ける。残る六つの盾を殲滅するために。そして自らの主であるルシアの騎士たるために―――――
ここに六つの盾の内の五つが壊された。だがジェガンも、レイナも、ディープスノーもまだ知らない。それを補って余りある最強の将が残っていることを――――