いつもと変わらぬ晴天。小さな孤島であるガラージュ島。島民は多くはないが静かで平和な島。その中に一つの小さな家がある。
それはグローリー家。そこには姉弟と居候が一人暮らしていた。だがグローリー家はいつもとは様子が違っていた。それは家。その玄関に大きな穴が空いてしまっている。まるで砲撃でも受けてしまったかのよう。玄関に張り付いている居候、ナカジマはどこか落ち込んだ様子を見せながら自らの欠けてしまった花弁を嘆いている。もっともナカジマが花なのかどうかは定かではないが。こんな事態になってしまったのには理由があった。
それはDC。その組織の一員が突如としてガラージュ島にやってきたため。ある者を狙って。ある物を手に入れるために。
(一体何がどうなってんだ……?)
銀髪の少年、ハルはどこか難しい、困惑したような表情を見せながら自らの部屋に座り込んでいた。それはいつものハルらしからぬ姿。だがそうせざるを得ない程の事態が今、ハルに襲いかかっていた。ハルは溜息を吐きながら視線を向ける。それは自らのベッド。その上に寝かされている人物。長い髭をした老人。だがその体は傷つき包帯でぐるぐる巻きにされている。重傷を負っていることは誰の目にも明らか。生きているのが不思議なほどの大怪我を負ってしまっていた。
『シバ・ローゼス』
それが老人の名前。昨日突然島にやってきた人物。何でもこの島の生まれであり五十年ぶりに里帰りをしたらしい。会ってすぐに友達になった人物。だがそれだけなら何もおかしいことはなく、ここまでハルが困惑することもないだろう。だがそうならざるを得ない事情があった。
ハルはそのまま自らの掌に視線を落とす。そこには小さなアクセサリーがあった。十字架のような形をしたもの。だがそれは決してただのアクセサリーではない。
(レイヴか……)
『レイヴ』
それがその石の名前。聖石と呼ばれるDBに対抗することができる唯一の兵器。かつて王国戦争においてそのレイヴを持つ戦士、レイヴマスターと呼ばれる者がいた。それこそが今ハルの目の前にいる老人、シバ。
ハルはレイヴについてはナカジマに聞いた程度の知識しかなかった。だが現実感は湧かないものの実際にレイヴの力を目の当たりにした、いや使ったのだから信じる他ない。部屋の床には大きな鉄塊のようなものも置かれている。ハルの身の丈ほどもあるのではないかと思えるような巨大な剣。
TCM。それがその剣の名前。レイヴの力を引き出すための剣。それをついさっき自分も振るった。シバを、レイヴを狙ってやってきたDCの一員を倒すために。DCの一員よって家は壊され、シバは重傷を負わされてしまった。だがシバが重傷を負ってしまったのはシバが弱かったからではない。シバにとって予想外の事態が起こってしまったから。
後継者。レイヴの力を受け継ぐ新たな担い手。二代目レイヴマスター。それにハルが選ばれたこと。レイヴの力を扱えるのは世界で一人だけ。そのためシバはその力を失ってしまったのだった。
「……なあプルー、お前なら何か知ってるんじゃないのか?」
『プーン』
ハルは独り言のように自分のすぐ傍にいる存在に向かって声をかける。そこには不思議な生き物がいた。それ以外に表現しようがない生物。角のようなものを鼻に生やし、白い四足で歩く小さな生き物。カトレア曰く犬だというがハルには信じられない。
『プルー』
それが彼(?)の名前。海で釣りあげてしまったのが出会いのきっかけ。いつもぷるぷる震え、不思議な鳴き声で鳴いている。だがシバによるとこのプルーはレイヴの使いらしい。そしてシバはプルーを五十年間探し続けていたらしい。それが本当だとしたらプルーも五十歳以上ということになる。そんなに生きる犬がいるのだろうかと思いながらもハルはどこか呆気にとられるしかなかった。
レイヴ。レイヴ使い。大破壊。世界の危機。どれもずっとこの小さな島で生きてきたハルにとってはスケールが大きすぎて、突拍子がなさ過ぎて実感が湧かない。だが昨日の出来事からそれが真実であることは疑いようはない。何故自分が選ばれたのか、巻き込まれたのかは分からない。これから自分はどうするべきなのか。そして何よりもハルはどうしても気になって仕方がないことがあった。レイヴよりもそちらの方が今のハルにとっては重要なこと。それは――――
『プーン!』
「お、おい、何やってんだよプルー!?」
そんなハルの思考を断ち切るかのようにプルーが突然ベッドに横になっているシバの体の上に乗っかり凄まじい勢いで震え始める。そんないきなりのプルーの奇行にハルは焦りながらも何とかプルーを抱え上げようとするもプルーはその場から下りようとはしない。何故こんなことをするのか。このままではシバの体に障るとハルが力づくでもプルーをどけようとした時
「う……む……? ここは……?」
今までずっと意識を失ったまま一向に目覚める気配がなかったはずのシバがまるで何事もなかったかのように目を覚まし起き上がる。まるでプルーが何かをしたかのように。
「シバっ!? も、もう大丈夫なのか?」
「ハルか……ワシは一体……?」
「オレがあのDCの奴をやっつけた後に倒れちまったんだ。姉ちゃんが言ってたぞ。こんな怪我で動きまわるなんてって……」
「そうか……すまぬ、心配をかけてしまったようじゃな。プルー、もうよい。助かったぞ」
『プーン!』
「え? プルーがどうかしたのか?」
「うむ。プルーには怪我を和らげる力があるんじゃ。ワシも昔は何度も世話になった」
「そうか……それで……」
ハルはようやく理解する。プルーの行動がシバの怪我を和らげるためだったのだと。そんな力を持っているとは本当にプルーはレイヴの使いなのだろう。そしてハルは改めてシバに目を向ける。だがその体は満身創痍。包帯の多さがその痛々しさを物語っている。ハルはどこか罰が悪い、申し訳なさそうな表情を見せる。
「ごめんなシバ……オレのせいで……」
それは罪悪感。自分がレイヴの力を受け継いでしまったことでシバが傷ついてしまったことへの。もしあの時シバにレイヴの力があればこんなことにはならなかっただろうという後悔だった。
「気にするでない。あれはワシが油断したせいじゃ。それよりも見事じゃったぞ、ハル。最初から爆発の剣を使いこなすとはの……」
「爆発の剣?」
「TCMはレイヴの力で十の姿に変わる剣。その中の一本が爆発の剣。主が使った斬ったものを爆発させる剣じゃ」
シバはどこか驚いた表情でハルを褒め称える。ハルにとって先程の戦いは初めての実戦。しかもハルは剣もまともに握ったことのない少年。にもかかわらずいきなり初めから爆発の剣を使いこなしたことに驚嘆するしかない。まだ知識のレイヴも持っていないにも関わらずにだ。もしかしたらハルは自分を超えるレイヴマスターになれる素質を持っているかもしれない。シバがそんなことを考えていると
「シバ……レイヴってのは一つしかないのか?」
ハルがどこか考え込んでいるような様子で疑問を投げかけてくる。シバはハルが何をそんなに悩んでいるのか、戸惑っているのか分からないもののとりあえず疑問に答えて行くことにする。
「いや……レイヴは元々は一つの石だったのじゃが今は五つに分かれてしまっておる。それがどうかしたのか?」
「じゃあレイヴを使えるのは五人いるのか?」
「それはない。前にも言ったがレイヴを使えるのは世界で一人だけじゃ。これまではワシ、そして今は主しかレイヴを使える者はおらん」
「そっか……」
「……? 何か気になることでもあるのかの?」
シバは要領を得ないハルの様子に戸惑うしかない。短い間ではあるがハルがどんな少年であるかは分かっている。明らかに何かを隠しているかのようなハルの姿にシバは問いかけるもののハルはしばらく黙りこんだまま。そして長い沈黙の後
「シバ……オレ、爆発の剣と同じような剣を見たことがあるんだ……」
ハルは意を決したように話し始める。四年前の出来事。その中で起きた事態。そしてその中心にいた少年。自分にとっての家族。アキのことについて。
ハルはDCの一員と戦った時からずっとアキのことが引っかかって仕方がなかった。それは今の状況が四年前と同じ、DCが島を襲ってくるという状況であることもあったがそれ以外に二つ、大きな理由があった。
一つはTCM。それをシバから託された時ハルは驚いた。それはまるで四年前、アキが持っていた剣と瓜二つだったのだから。装飾や、色の違いがあるもののほとんど同じもの。そしてなによりもその力。あの時のアキの姿を思い浮かべた瞬間、その力を使うことができた。シバの言う爆発の剣。それは間違いなくあの時アキが使っていたものと同じもの。そんな偶然がありうるのだろうか。
もう一つが敵が持っていたDB。フルメタルと呼ばれる体を鋼鉄に変える力を持つDB。だがハルはそれを知っていた。何故ならそれは四年前、街を襲った奴が持っていた物と全く同じだったから。だがそれはあり得ない。そのDBはあの時、アキが持って行ってしまったはずだからだ。それが何故こんなところにあるのか。
ハルはその際に相手を問い詰めた。そのDBをどこで手に入れたのか。そしてアキを知っているかと。もしかしたらアキがこいつらDCに襲われてDBを奪われてしまったのでは。だがそれは予想外の返答によって終わりを告げる。
そのDBはアキによってDCに流されたものであること。そしてアキがDCの幹部であること。何故アキがDCになっているのか。命を狙われていたはずのなのに何故。ハルにとっては信じられない、信じたくない事実だった。
「なるほどの……お主が敵と話しておったのはそのことじゃったのか」
「ああ……四年前、アキもそのTCMと似たような剣を使ってたんだ。だからもしかしたらアキもレイヴマスターなのかもって思って……でも、やっぱり違うんだな……」
「うむ……TCMもこの世に一本しかない剣。そのアキと言う少年が持っていたのは違う何かじゃ……恐らくは……」
「………」
シバは言葉を濁すもののハルは既に悟っていた。恐らくはアキが持っていたのはレイヴではなくDBだったのだと。こんな形で四年間の疑問が解けるとはハルも思ってはいなかった。いや、もしかしたら知らないままの方が良かったのではないかと思ってしまうほど。
(しかし……TCMと同じ能力を持つDBとは……)
シバは内心動揺していた。それは話の中で聞いたアキの剣がほぼ間違いなくTCMと同じであると悟った故。ハルは話の中で口にした。青い剣も見たと。それを見る直前にたくさんいた兵士が一瞬でやられてしまったと。シバはそれが何であるかを知っていた。
『音速の剣』
ほぼ間違いなくそれが青い剣の正体。一体多数、数が多い相手を倒すのに適しているスピード重視の剣。幼いハルにはその速さを捉えることができなかったのだろう。爆発の剣だけなら似た剣を持っていたで説明はつくが音速の剣まで持っているとなると話は別だ。明らかにTCMを意識した剣であることは間違いない。そしてTCMはレイヴの力がなくてはその力を発揮できない。いわば力の源の様な物がなければTCMはただの鉄の剣でしかない。そしてそれと同じ力を持っていると言うこと。そんなことが可能なのはたった一つ。レイヴと対を為す存在。DB。そんな物を持っている少年アキと二代目レイヴマスターである少年ハル。まるで因縁、運命のようなものを感じずにはいられない。
そしてそのアキという少年。恐らくは只者ではない。ハルの話では剣のほかにも首からネックレスのようなDBをいつも身に着けていたらしい。そしていきなり消えていなくなってしまったということから少なくとも二つ以上のDBを持っているのは間違いない。だがそれは異常だ。何故なら二つ以上のDBを持つことは常人には不可能だからだ。シバもこれまで多くのDBを持つ者と戦ってきたが複数のDBを使う相手とは片手を数えるほどしかない。それを当時十二歳の少年がやってのけている。明らかに異質だった。
「シバ……やっぱりDBを持ってるってことはアキは悪い奴だったのかな……?」
ハルはどこか落ち込んだ姿を見せながら呟くようにシバに尋ねる。それは四年間ずっとハルが悩んできたこと。何度も何度もナカジマに、島の人間に聞きながらも答えが出なかった疑問。そうであってほしくないと願ってきたものだった。確かにDBは悪いものなのかもしれない。それでもアキは何度も自分を助けてくれた家族。一緒に育ってきた兄弟同然の存在。ハルがその狭間で揺れている中
「いや……そうとは限らん。もしかしたらそのアキという少年はDBによって悪に染まっておるだけかもしれん」
「え?」
シバの言葉によってハルは現実に戻される。シバは言葉を選ぶように、子供に言い聞かせるようその事実を伝える。
「DBは持つ者の邪悪な部分を、心を引き出してしまう魔石。それを持てば普通の人間でも悪に染まってしまうこともある。お主が先程戦った相手のようにな……。もしかするとそのアキという少年もそうなのかもしれん」
それはDBの特性。DBは持つ者の超常の力を与える代わりにその心を蝕んでいく。心が弱い者はその魔力によって悪に取りつかれてしまう。それがDBが悪の兵器、魔石と呼ばれる所以でもあった。もっともシバにはアキがそうなのかどうかまでは分からない。あくまで可能性の一つ。だがそれは今のハルにとっては光明とも言える事実だった。
「そっか……じゃあ、アキが持ってるDBを何とかすればアキを助けられるかもしれないんだな!」
ハルは顔を上げながら声を上げる。それまでの落ち込んでいた姿が嘘のよう。本来の明るい、活発なハルの姿。何よりもハルは興奮していた。それは今の状況。ハルはずっと悩んでいた。それはアキのこと。そして自らの父のこと。父のことについては複雑な感情もありハル自身まだ認めきれてはいなかったがアキに関してはハルはずっと考えていた。何とかアキを探し出すことができないかと。だが探すにしても何の手がかりもないままでは動きようがない。何よりもそのためには島を出て行かなければならない。そうなれば家にはカトレア一人きりになってしまう。それを気にしてハルはずっと自分を押し殺してきた。だが偶然、いやそう思えないような機会が今やってきている。
プルー、シバ、そしてレイヴとの出会いによって。
アキがDCに属していることも分かった。ならDCを追って行けばアキに辿り着けるはず。そして今の自分にはDBに対抗する力がある。レイヴという聖石の力が。先の戦いでもどんな力でも壊せないはずのDBを壊すことができた。それがあればきっとアキも助けられる。まるで運命のように全てが揃っている。その状況にハルは浮足立っていた。故にまだハルは気づいていなかった。レイヴマスターになる。その本当の意味を。そんな中
『プーン! プーン!』
急にそれまで大人しくしていたプルーが突然騒ぎだしてしまう。いつも以上に大きな鳴き声、震えを見せながら。その姿にハルはもちろん長い付き合いのはずのシバですら驚いてしまう。
「ど、どうしたんだよプルー?」
『プーン……』
慌てて近づいたハルに向かってプルーはまるで何かに怯えるように背中に隠れてしまう。ハルはきょろときょろと辺りを見渡すも人影一つない。当たり前だ。ここは二階。しかも自分の部屋。自分とシバ、そしてプルー以外誰もいるはずがない。
(こんなプルーを昔どこかで見たような……フム……忘れた……)
シバは頭のどこかでこの光景に既視感を覚えるものの思い出さすことができずあきらめるしかない。シバは気づかない。それが五十年前の王国戦争、最後のシンクレアとの戦いの時であったことを。
「でもそういえばシバ、会った時DBを倒しに行くって言ってたけどどうやってDBを倒すんだ? 確かDBってたくさんあるんだろ? 全部壊して回ってたらキリがないぞ」
ハルはふと思い出したように問いかける。それはシバが言っていた言葉。DBを倒すということ。だが世界中には無数のDBが存在している。ハルもそれぐらいは知っている。それを全て壊すことなどできるのだろうかという当たり前の疑問。
「全てを壊す必要はないのじゃよ。その大元、本体を倒せばよい」
「本体?」
「うむ。母なる闇の使者と呼ばれるシンクレア。それを壊せば全てのDBを破壊することができるのじゃ。もっとも今はワシが倒し損ねたせいで五つに分かれてしまっておるが……」
シバはそのまま静まりこんでしまう。だがそれは無理のないこと。シンクレアを倒し損ねたこと。それはシバにとって最大の失敗、後悔。もっとも完全な一つのレイヴでない状態でそこまでシンクレアを追い詰めただけでも十分称賛されるもの。しかしそれはシバにとっては何の言い訳にもならない。その時起こった大破壊でシンフォニア王国は消え去ってしまい、そしてレイヴもまた飛び散ってしまったのだから。
「シバ……」
「ハルよ……主を巻き込んでしまったことはすまないと思っておる……。だが無理を承知で頼む……ハル、いや二代目レイヴマスターよ。ワシに代わり世界のために戦ってもらえんか?」
シバはその手にレイヴとTCMを持ち、ハルに向かって差し出してくる。その瞳に老人とは思えないような力を宿しながら。ハルはその圧倒的な存在感に、力に息を飲む。まるで自分の命を差し出すかのような気迫が、覚悟がそこにはあった。
戦士が剣を託す時。
それは全てを任せられる男が現れた時。
シバは今がその時なのだと確信していた。レイヴが選んだからではない。一人の男として目の前の少年、ハルならば自分の意志を継ぎ二代目レイヴマスターとなるに相応しいと。会ってから間もない少年。確かに先の戦闘での才能の片鱗もその理由。だが何よりも初めて会った時の直感、いや確信。この少年になら全てを託せる。それがシバがハルに剣を託そうとする意味だった。
ハルはそんなシバの姿に気圧されながらも恐る恐る、その手を剣に向かって伸ばそうとする。だが心のどこかでもう一人の自分の声がハルには聞こえた。
その剣を取っていいのか。今の自分が。こんな自分が。何の覚悟もない自分が。
そしてついにその手が剣に触れようとしたその時
「何をしてるの、ハル……?」
「姉ちゃん……?」
いつのまにか部屋の前までやってきていた自らの姉、カトレアの声がハルに向かってかけられる。その手にはお盆と飲み物が置かれている。どうやら自分達のために持ってきてくれたらしい。だがハルの頭にはそんなことなど微塵もなかった。それはカトレアの様子。目は見開き、体はどこか震えている。今まで見たことがないほど動揺していることは誰の目にも明らかだった。
「ハル……一体何の話をしてたの……?」
どこか震えるような、かすれるような声でカトレアがハルに向かって話しかける。だがその表情は明らかに何かに怒っていた。まるでハルがいけないことをした時のように。
「姉ちゃん……? オレ……」
「知らない人の言うこと聞いちゃだめだっていつも言ってるでしょ!?」
ハルが事情を説明をしようとするよりも早くカトレアの大きな声が部屋中に響き渡る。その声にハルは体が震えそれ以上口答えをすることができない。カトレアが本気で怒っていることにハルは気づく。どうやら先程までの話を聞かれてしまっていたらしい。だがハルには分からなかった。確かに島から出て行くことは危険が多い。カトレアが反対するのも当たり前だろう。だが今のカトレアの様子は常軌を逸していた。たまに怒ることはあってもいつも優しい姉からは考えられないような姿。
「シバさんでしたっけ……あなたもハルに変なことを吹き込むのはやめてください。この子、何でも信じこんじゃう素直な子なんです……」
「む、むう……しかし、カトレアとやら。これは世界の危機なんじゃ……レイヴを使えるのがハルだけになった以上」
瞬間、何かが割れるような音が響き渡る。それはカトレアが持っていたもの。それをいつの間にかカトレアが落としてしまったのだった。だがカトレアはそれに気づくことなくシバを、そしてその手にあるレイヴを見つめている。いや睨んでいると言っても過言ではなかった。そして
「父さんも……母さんも……アキも……みんないなくなっちゃって……今度はハルまで奪う気なの!? これ以上私から家族を奪わないで! お願いだからもう……出て行って下さい!」
「姉ちゃんっ!?」
カトレアはそのまま振り返ることなく走り去って行ってしまう。だがその目が涙に濡れていたことはハルにも分かった。時に感情的になる姉だがあんな姿を見たのはハルは生まれて初めてだった。ハルはしばらくその場に立ち尽くしたままどうすべきか考える。だがその間に誰かが家から出て行く音がする。どうやらカトレアが家から出て行ってしまったらしい。
「ごめんな、シバ……姉ちゃんいつもは優しいんだけど……」
「いや……いいんじゃよ。ワシも忘れておった。お主がまだ十六歳の少年だと言うこと、そしてあの娘にとっての大切な家族じゃったことをな……」
シバは一度深く目を閉じた後、傷ついた体を庇いながら立ち上がりその場を後にしようとする。まるでここでハルと別れようとするかのように。
「シバ! そんな体でどうするんだよ!? ちゃんと休んでないと……」
「これ以上お主たちに迷惑をかけるわけにもいかん……それとすまんかったな、ハル。お主にはお主の人生が、幸せがある。それを危うく壊してしまう所じゃった……ゆくぞ、プルー」
『プーン……』
何度かシバとハルを交互に見比べていたもののシバの言葉に従うようにプルーもその後に着いて行く。ハルはそれを追いかけようとするも体が動かない。声を出すこともできない。それは何を口にするべきか今のハルには分からなかったから。
先程の涙しながら自分の身を案じていたカトレアの姿。
自分に全てを託すかのように剣を差し出してくれたシバの姿。
どちらも自分を想ってくれるからこその行為。だがそれ故に相反するもの。そして何よりも今のハルには決定的なものが欠けていた。
それは自らが戦う理由。
曖昧な、形のないものではシバの言葉に、決意に応えることができない。それだけの重みがあの剣にはあった。レイヴと言う存在。DBと戦うこと。それがシバの戦う理由。だが自分にはそれがない。そして自らの姉であるカトレアの想い。自分の身を案じてくれる人を置いて行くことが正しいのか。
ハルはそのまま一人立ち尽くす。自分が進むべき道。その分かれ目、分岐点が今なのだと肌で感じ取りながら。だがハルは知らなかった。
自分以上にこの状況に右往左往している間抜けな家族がすぐそばにいたことに――――