「まいどあり!」
お店の店主の大きな声を受けた後アキは両手に袋を提げながら店内を後にする。その袋の中には食料や水が詰まっている。アキはそのままいつものローブ姿で賑やかな大通りを人混みにまぎれながら進んでいく。だがその人混みはとても平日だとは思えないような規模だった。それがパンクストリートが世界一の武器市と呼ばれる所以。流石にそんな人の波の中を長時間歩くのにはくたびれたのかアキはそのまま大通りから外れ路地裏に入り、目についたベンチへと腰を下ろす。同時に大きな溜息が洩れる。だがそれは何とか問題なく目的を果たすことができた安堵のため息だった。
ふう……まあとりあえずこんだけ買い込んでおけば問題ないだろ……あ、どうもアキです。ダークブリングマスターです。何とかやることやって肩の荷が下りた気分になっています。俺がここ、パンクストリートに来たのは新たなアジトを作るため。今その手続きも済ませてきたところだ。手続きと言っても空いているアパートの一室を借りただけなので大したことではないのだがどうしても慣れない作業だ。ある意味交渉みたいなもんだし。普通なら十六歳の子供に、しかも素性もしれないローブを被った怪しい奴に部屋を貸してくれるなんてあり得ないのだがここはRAVEの世界。世界を旅しているような奴が珍しくもない。それほど厳正な身分証明が求められることもないし……まあ俺の場合は一括で家賃を一年分払うという方法をとってるおかげでもあるのだが。あるものは使わないとな……もっともまともなお金ではないのだがそれはそれ。何はともあれ当初の目的は達成できた。今、俺は両手に買い込んだ食料や何かをぶら下げている。言うまでもなく新しいアジト用の。いつもならエリーを含めて二人分の食料が必要なのだが今回はその必要はない。ここを利用する時には既にエリーはいなくなってるわけだし。ちょっと少ない気もするが何とかなるだろ。そんなに長い間滞在する予定じゃないし、いざとなったらワープロードで別のアジトに飛ぶこともできるしな。まさにワープロードさまさまだ。
いつも悪いなワープロード。そうか。そう言ってもらえると助かるわ。ん? いやそんなことないって。お前達には世話になりっぱなしだな。これからまたちょっと忙しくなるけどよろしく頼むわ。
アキは自らが持つDBたちに向かって話しかける。まるで旧知の間柄の相手をするかの如く。だがそれは間違いではない。
『ワープロード』 『イリュージョン』 『デカログス』 『ハイド』
アキが持つ四つのDB。ハイドはごく最近できたDBだがそれ以外は既に軽く十年以上の付き合いとなっている。DBマスターとしての力もあるがDBたちもまたアキ個人に対して忠誠を誓っている。そこにはまさに主従を超えた信頼関係があった。
うむ。みんな俺にはもったいないくらいのDBたちだ。最初の頃はDBを使うことに抵抗があったのだが最近はそんなことも全くない。慣れってのは恐ろしいな……まあそんなことで躓いてるようじゃここまでやってこれなかったってのも大きいが。しっかしDBたちと意志疎通ができるというのは色々な意味で助かるわ。主に精神的な意味で。もし出来なかったら寂しくて死んでたかもしれん。割と本気で。マザーと二人っきりとか何の罰ゲームだっつーの……
アキはげんなりとしながらも自らの首にかかっているマザーに目を向ける。だが他のDBたちが会話をしているのにマザーは一言も発しないまま。だがそれはここに、パンクストリートにやってきてからだった。その理由が分からずアキは首を傾げるしかない。
一体どうしたんだこいつ……? いきなり黙りこんじまって。列車の中ではあんなに騒いでたのがウソみたいに大人しくなっちまってるな。別に機嫌を損ねるようなことした覚えもないのだが。まああまりにもうるさかったので一度アジトに送り返したりはしたっけ。日常茶飯事だけど。っていうかなんか最近変に俺のこと意識しているような気がするな、こいつ。列車の中でもどもりながら最近調子はどうかとか聞いてくるし。久しぶりに会話を試みようとする親みたいな感じだった。まあいつもつるんでいたエリーが珍しくいないせいで自分のペースを見失っていたのかもしれん。そういえば会った時から一番変化があったのがマザーかもな……最初は機械的な感じだったのが人間的になってきてるし。それが良いことなのかどうかは判断できないところではあるのだが……
おい、マザー! いつまで黙りこんでんだ? いい加減に何かしゃべれよ気持ち悪いだろうが!
………だんまりですか。そうですか。こいつ、マジで一度かましてやらんといかんかもしれん。最近調子に乗ってるしな。っていうかマジで何なんだ? あれか。また出産前の兆候ですか? もうあのときみたいなことは御免だぞ。こいつが何か企んでて一番迷惑すんのは俺なんだし。
アキは嫌な予感に駆られながらも改めて考える。それはマザーのこと。母なる闇の使者と呼ばれる存在について。
今アキが持っているのは五つあるシンクレアの中の一つ。元々は一つであったシンクレアが初代レイヴマスターであるシバ・ローゼスとレイヴによって追い詰められてしまったため別れてしまったもの。
『ヴァンパイア』 『ラストフィジックス』 『アナスタシス』
それがアキが持つマザー以外のシンクレア。四天魔王アスラが持っていたとされるものは名称も能力も不明だが間違いなく桁外れの力を持っているDBたち。まさにDBの母に相応しい存在。だがそれだけではない。シンクレアはもちろんだがそれ以上にその持ち主たちも桁外れの怪物揃い。
『ドリュー』 『オウガ』 『ハードナー』 『アスラ』
一人ひとりがDC最高司令官キングに匹敵、もしくは凌駕する実力の持ち主。シンクレアはシンクレアが認めた者しか持てないという事実を形に表したかのような人選だった。
うん、あれだな。やっぱこの中に俺が混じってるのは何かの間違いだと思いたい。いや確かにルシアの身体だけども場違いにも程がある。しかもマザーを持っている限り戦闘は避けられない。今はDCが健在のため皆表だった動きは見せていないがそれが無くなれば争奪戦が始まるはず……い、いやだああああっ!? やっぱどうにもならんのかっ!? 今まで現実逃避してきたけど考えれば考えるほど無理ゲーだろっ!? 今まで第一部を乗り切ることばっか考えてたけどむしろ第二部の方がヤバイんじゃねえっ!? シンクレア集めなんてしたくもないしそんなことしてたら命がいくつあっても足りないっつーの!? 何とか誤魔化して……は無理か……ちくしょう……
アキは頭を抱えるしかない。アキとしてはシンクレアを集める気など毛頭ない。危険しかないだけでなく集めれば集めるほど究極のDB、次元崩壊のDB『エンドレス』に近づいて行ってしまう。その前に別れてしまった状態のシンクレアを破壊した方が効率が良いに決まっている。だがアキは動かざるを得ない。相手が自分を狙ってくるのもあるがマザーがそれを許さないであろうことが一番の理由だった。
アキはこれまで散々マザーを馬鹿にしてきているが決して侮っているわけではなかった。これまでの付き合いでいくらか親密になり、コミュニケーションもとれるようになったがどうしても越えられない絶対の壁がある。それがDB本来の意志とでも言うべきもの。並行世界と呼ばれるこの世界を破壊せんとする意志。それをマザーはもちろん他のDBたちも持っている。マザーに関して言えばシンクレアを集めること。そして生み出したDBを世界にばらまき混乱させること。これらの意志はアキが何を言っても聞き入れてもらえずどうしようもなかった。拒否すれば頭痛と言う名の洗脳、汚染が待っている。いくらそれに耐性があるであろうアキでも本気のマザーには敵わない。できることと言えばせいぜい少しでもそれを遅らせる、規模を小さくすることぐらいだった。
結局今のアキにできることはハルが全てのレイヴを手に入れ、エリーが魔導精霊力の完全制御が可能になるまでただひたすらに待ち続けることだけ。加えてハル達の成長を促すというおまけ付き。要するに当初の計画通りに動くしか選択肢はなかったのだった。そんな事実を再確認しうなだれている中、不意に妙な感覚がアキに襲いかかってきた。
「……? 何だ……?」
大きな鼓動。それが自分の近くから起こっていることにアキは気づく。それは首に掛けているマザー。マザーから大きな鼓動の様な物が響いてくる。まるで何かに共鳴しているかのように。
「っ!? おい、どうかしたのか、マザーっ!?」
慌てながらアキがマザーに向かって話しかけるもマザーは何も反応を返さない。何とか事態を把握しようとアキがマザーに手を伸ばすもその瞬間、アキは思わず手をひっこめてしまう。それは熱。マザーから火傷するような熱が発せられている。かつて六星DBを生み出した時のよう。いやそれを遥かに上回るような熱をマザーは発していた。
な、何だっ!? 一体何が起こってるんだっ!? また体調が悪くなったのかっ!? でも今回は何か前回とは様子が違うぞ!? イリュージョン達も理由が分からず焦ってるし……何かマザーに影響を与えるようなものが近くにでもあるかの……ような……
アキはふと顔を上げる。まるで何かに導かれるかのように。不思議と心は穏やかだった。いや、もしかしたら何かがマヒしてしまっていたのかもしれない。
アキはそのまままるで何かに呼ばれるかのようにその場所に近づいて行く。近づくにつれマザーの熱が、鼓動が激しさを増していく。同時に向かう先からも同じような感覚がある。まるで互いに惹かれあっているかのよう。
そしてついにアキはその場所に辿り着く。路地裏の隅。そこに大きな荷台のようなものがあった。布の様な物が上にかぶせられている。まるで何かを隠すかのように。それが何かとてつもなくヤバいものであることをアキは感じ取っていた。だがその心とは裏腹にその手が布に向かって伸びて行く。
あれ……? 何で俺、こんなことしてんの? っていうかどうなってんの? 身体が言うこと聞かないような……なんか意識がマザーの奴に引っ張られてるっぽい……っておいっ!? マザーてめえ一体何を……!?
ようやく正気に戻ったアキがいつの間にか熱も収まりいつもの様子に戻っているマザーに向かって声を荒げた瞬間、それは現れた。
「………え?」
それは一つの芸術だった。美という言葉が形になったかのようなものがそこにはある。布によって隠されていたそれがあらわになっている。
絶世の美女。そう表現するほかない女性がそこにはいた。だがそれは普通ではない。何故ならその美女は氷漬けになってしまっていたのだから。まるで自らの意志でそうなっているのではないかと思えるほどその光景には違和感がなかった。何も身に着けていないため美女の裸体は隠されることなく晒されてしまっている。だがそれがこれ以上ないほど氷と共に美女を引き立てていた。間違いなく見た者全てを魅了するに相応しい光景だった。
だがその光景を前にしてアキはただその場に立ち尽くすことしかできなかった。その目がこれ以上ないほどに見開かれ目の前の光景に奪われている。だがそれは美女の美しさに心を奪われたからではない。むしろそれとは真逆の感情。まるでこの世の終わりを目の前にしたかのような感情がアキを支配する。息が止まり、汗が滲み、身体が震える。
それが『絶望』だと気づくまでに数秒もかからなかった――――-
「よし! ここまでくればしばらくは大丈夫だ!」
「やったでござんすね、アニキ! 上手く警備の連中も捲けたみたいでござんす!」
だばだばと騒がしさと共に怪しさ満点の三人組が路地裏へと現れる。全員が黒い全身タイツを身に纏い、その大きなケツを振りながら走っている光景は見た者にトラウマを植え付けかねない程のインパクトがある。彼らの名はケツプリ団。ふざけた名前とは裏腹に強盗団という犯罪者集団だった。
彼らが慌てているのは今まさに盗みを行って来たばかりなため。リーダーの得た情報によりパンクストリートを通過する氷漬けの美女と呼ばれる美術品を盗むことが彼らの目的だった。そしてそれは今成功し、一時的に路地裏に隠していた品を回収に向かっている所。だがケツプリ団は今、かつてないほどの緊張感に包まれていた。何故なら彼らはまだ一度もまともに盗みを成功させたことがなかったから。いつも何かしらのトラブルかミスによって捕まってしまうのが彼らの日常でありお約束。だが今回はまだそうなってはいなかった。それは今子分Aによって背負われながら気を失っている子分Bのおかげだった。
「これも子分Bの尊い犠牲があってこそだ……まだ起きそうにはねえのか?」
「だめでやんすね。完全に気を失ったままでござんす」
「そうか。やはりガスケツトリプルエクスタシーは掟で禁止にするべきだったかもしれん……」
神妙な顔で犠牲になった子分Bを見ながらリーダーは考える。やはりあの技、ガスケツエクスタシーは禁止にするべきだったのだと。自らの体内からガスを発生させ、相手を行動不能にする技。それこそがケツプリ団が生み出した技。だがあまりにも危険があるため使用を控えていたのだが一億Eを超える盗みということでそれを使ったのだが子分Bがそれによって自滅してしまったのだった。まさに自らの身を滅ぼしかねない禁じ手。だが幸運にもリーダーと子分Aは難を逃れ盗みを成功させることができたのだった。
なにはともあれあとは隠しておいた荷台で氷漬けの美女を運ぶだけ。初めての盗みの成功と一億Eという大金を想像し興奮しながら路地裏に辿り着くもリーダーと子分Aは動きを止めてしまう。何故ならそこには隠していたはずの氷漬けの美女とそれを眺めているローブを被った人物の姿があったから。
『リ、リーダー! 早くあれ何とかしないとまずいでござんすよ! 盗みがバレしまうでござんす!』
『何を言ってやがる子分A! そんなことよりも早く布をかぶせてこい! あのままじゃあ氷漬けの美女がかわいそうじゃねえか!』
『ええっ!? そっちを気にしてるんでござんすかっ!? あれ、美術品でござんすよ!?』
『関係ねえ! 俺達は悪だが決して女性を傷つけちゃいけねえんだ! 分かったら行くぞ!』
『さ、流石アニキ……心が深いでござんす!』
変なところで紳士的なリーダーと共に子分Aも急いで氷漬けの美女とローブの人物へと近づいて行く。見られてしまったのはまずいがすぐにそれが盗品であることは分からないはず。何とか誤魔化してこの場から運び出すためリーダーが意を決してローブの人物に話しかけようとした瞬間、
凄まじい風が辺りに吹き荒れた。まるで何かが飛び去ってしまったかのような衝撃だった。そしてそれが収まった先には先程までいたローブの人物の姿はなかった。まるで最初からいなかったかのように。
「な、何だ!? 何が起こったんだ!?」
「わ、分からないでござんす……でもローブの人がいなくなっちまったでござんすよ?」
「そうか……オレ達に恐れをなして逃げ去ったのだろう。オレ達ケツプリ団も真の悪の仲間入りを果たしたということだ」
「そ、そうなんでござんすか? さっきの奴、全然ウチら見てなかったような……」
「そんなことよりもさっさと運び出すぞ! 警備の奴らがいつ来るか分からんからな!」
「りょ、了解でござんす! 子分B、さっさと起きるでござんす! これ以上は面倒見切れないでござんすよ!」
理解できない事態に直面しつつも持ち前のポジティブシンキングでテンションを上げながらケツプリ団は荷台を運び出さんとする。もう自分達を妨げるものはない。そう安堵した瞬間
「夢……」
そんな声が辺りに響き渡った。
「夢? 何訳の分からんこと言っとるんだ? 無駄口を叩いてないでさっさと運び出すぞ!」
「え? ウチはなにも言ってないでござんすよ? アニキが言ったんじゃないんでござんすか?」
二人は互いに顔を見合わせる。同時にきょろきょろとあたりを見渡すものの人影はなし。自分たち以外には誰もいない。子分Bもまだ気を失ったまま。
「私は夢を見ない……」
だがそれは間違いなく起こっていた。女性の声が聞こえてくる。それも恐らくは自分達の背後から。ケツプリ団はその事実に気づき動きを止めてしまう。まるで氷漬けになってしまったかのように。それでも首だけを動かしながら彼らは見た。
氷漬けの美女。決して目覚めることないはずの彼女が目を覚ましていることに。
「夢なんて必ず醒めてしまうから……」
瞬間、この世の物とは思えないような冷気が全てを飲みこんでいく。人を、街を、空気さえも凍てつかせていく。パンクストリートは決して逃れることのない絶望に包まれていく。彼らは気づくのが遅すぎた。自分達が美術品だと思い込んでいた物が何であったのか。
同時に彼女を覆っていた氷が解かれる。二万年の永きに渡り溶けることのなかった呪縛が。すぐ傍には白い彫像になってしまった三人の男。だがそれには目もくれず彼女はある方向に目を向ける。その先にある何かを見据えるかのように――――
パンクストリートの大通りを駆け抜けている一つの人影がある。それはアキ。だが既にローブはどこかに行ってしまったのか姿を晒したまま。しかしアキはそんなことなど全く気にしていなかった。そんなことを気にする余裕も何もあったものではなかった。あるのはただ一つ。一刻も早くこの場を離れることだけだった。
だが大通りの人々は誰ひとりアキの姿を捉えることができない。何故なら今アキは目にも止まらない速度で疾走していたから。音速の剣。その力によってアキはまさに風となりながら走り続けている。今なら本当に音速を出せるのではないかと思えるような気迫と覚悟によってアキは疾走もとい逃走していた。
どどどどどういうことっ!? えっ!? あれってあれだよねっ!? あの、そのなんというかあれだよねっ!? な、なんでこんなとこにあるのっ!? あのお方の出番ってまだ三十巻以上先なんじゃ……じゃなくてっ!? と、ととととにかく走るっきゃない! 後のことなんて知ったこっちゃない! DCだろうがジークだろうがどうだっていい! あれに比べたら月とすっぽんぐらいの差がある! 師匠すいませんとにかく力貸して下さい! とにかくこの場から離れたいんです!
「ぬおおおおおおおっ!?!?」
何かにつまずいてしまったアキはそのまま顔面スライディングをかましながら地面に転がり続ける。音速の剣による加速のせいで急に止まることができなかっためそのまま数十メートルに渡って転げまわるもののアキは気にすることなく立ち上がる。既に身体はボロボロになってしまっているのだが今の状況を前にすれば些細なこと。それほどの絶望がそこまで迫っていることをアキは本能で直感で感じ取っていた。
そう、今自分が間違いなくこの世界に来てから最大最悪の危機に陥りつつあるのだと。
あれってあれだよね? 間違いなく四天の人だったよね!? あれだよね? 六祈将軍を二秒で消せてドリューを小僧扱いできるライオンさんと同格の人だよね!? い、いや氷漬けになってたから大丈夫……じゃねえええっ!? 落ち着け俺っ!? 明らかにおかしかった! なんか鼓動みたいな音がしてたんですけど!? もうこれは間違いなくそういうことに違いない! え? 師匠っ? 構えろって? 一体何の話……
アキがデカログスの言葉に半ば条件反射的に構えた瞬間、この世のものとは思えないような圧倒的な魔力が、冷気が襲いかかってくる。それは自分だけを狙ったものではない無差別なもの。パンクストリートという街全てを凍らせてしまえるほどの強力すぎる呪術。触れればどんな相手でも一瞬で氷漬けにしてしまえるほどの力だった。
「ハアッ……ハアッ……!」
アキは肩で息をしながらも何とか心を落ち着かせながら辺りを見渡す。アキの体は全く凍りついていない。それはデカログスの力。十剣の内の一つ、封印の剣によってアキは己の身を守ったのだった。もっともデカログスが咄嗟に判断しその形態をとってくれなければ先の呪術でアキは氷漬けになってしまっていただろう。辺りにいる人間たちのように。
そこには一面白銀の世界が広がっていた。全てが凍てついてしまった世界。人間も建物も全て凍りついてしまっている。動いているのはアキ、そしてこれを引き起こした存在だけだった。
あ、危ねえええっ!? ま、まじで死ぬところだった!? い、いや凍らされただけで死ぬわけではないがそれでもマジでヤバかった! 師匠がいなけりゃやられてたとこだ! でもこれで間違いない……間違いなく目覚めてらっしゃいます! な、何で!? こんなところで登場していいお方じゃないはずなんですけど!? レベル1でラストダンジョンに挑むくらいむちゃくちゃな状況なんですけど!? と、とにかく脱出せねばっ!
震える手を何とか抑えながらアキは自らのDB、ワープロードへと手を伸ばす。その力によってこの場から脱出するために。初めからそうすればよかったのだがアキはそれに気づくことができない程混乱してしまっていたのだった。そしてアキはその力によってヒップホップタウンへと瞬間移動する。というかここ以外の場所であればどこでもよかった。DC本部へ飛ばされても構わないと本気で思うほど今の状況は絶望的だった。だがそれもここで終わり。アキが九死に一生を得たことで安堵する。
ふう……マジで詰んだかと思った……これまでの死亡フラグが子供に思えるような事態だった。だがこれで何とかなっ……た……?
アキはそのまま口を開けたまま立ち尽くすことしかできない。何故なら目を開けたそこには先程までと変わらない白銀の世界が広がっていたのだから。そしてアキは気づく。自分が瞬間移動できていないというあり得ない事態に。
は? 一体何がどうなってんの? な、何でまだ俺ここにいるの!? た、確かにワープロードの力を使ったはずなのに……え? 何? 街全体に結界の様な物が張られてて瞬間移動ができない? そっか、街を凍らせるだけじゃなくてそんな力まであるとは流石……じゃねええええっ!? 何なのそれ!? 反則にも程があんだろうが!? ってことは何? 俺ここから逃げられないの!? い、いや落ち着け俺! まだあきらめるのは早い! そ、そうだ! とにかく凍っていない場所まで行けばいいだけだ! そうすればワープロードの力も使えるはず!
何とか平常心を保ちながらアキは再び音速の剣によって走り出す。この街の最端まで。ただひたすらに。ただ死にたくないという一心で。そしてすぐにそれは見えてきた。それはこの白銀の世界と普通の世界の境目。あれを超えれば逃げることができる。アキが最後の希望を胸にそれを越えようとした瞬間
「へぶっ!?」
見えない壁の様な物に阻まれてしまった。物理的に。しかも全速力で突っ込んでしまったために鼻血を出してしまう始末。もっともそれだけで済んだのは幸運だったのかもしれない。だがアキは鼻を拭いながらもすぐに気づく。
「な、なんじゃこりゃあああっ!?」
それが氷によって造られた見えない壁なのだと。しかもそれが街中を覆ってしまっている。恐らくは上空まで。ドーム状に氷の壁で街が覆われてしまっていることをアキは悟り絶望する。その桁外れの力に。そしてその力が間違いなく自分を逃がすまいとしていることに。
あ、あの……どうなってんのこれ? 明らかにおかしいだろ? どう見てもこれって俺を逃がさないようにしてるよね? も、もしかして凍っていない人間がいることに気づいてるとか? こんなデタラメばっか見せられたらそう思わざるを得ない。と、とにかくこの壁を何とかしねえと! っていうか厚さが半端ないぞこれ!? っていうか透明でどこまで厚いかが分からんレベルじゃねえっ!? 重力の剣でも無理かもしれん……そ、そうだ! こんな時こそマザーの出番だっつーの! 空間消滅ならどんなにこの氷の壁が固かろうが厚かろうが関係なし! やっとこいつが役に立つ時が来たか!
おいマザー! 聞いてんのか!? さっさとやるぞ! は? もう遅い? 何訳分からんこと言って
「見つけたわ……」
瞬間、世界が止まった。
いや止まっているのはアキだけ。その体がまるで金縛りにあってしまったかのように動かない。だが何か攻撃を受けたわけではない。それはただの気配。自分に近づきつつある気配によるもの。
氷が罅割れるような音が段々と近づいてくる。一歩一歩確実に。
それは足音。この白銀の世界の主の。聞く者に絶望を与える音。
同時にその姿が現れる。吹雪のような、ブリザードのような風を纏いながら彼女は現れた。
魔界を収める四人の魔王、四天魔王の一人
『絶望のジェロ』
今、アキの胸中はあるのはたった一つ。
『大魔王からは逃げられない』
そんなどこかで聞いたことのある言葉だけ。
アキにとっての初めての、そして最後になるかもしれない実戦が始まろうとしていた――――-