誰もいない荒野。あるのは破壊しつくされ元の姿を保っていない廃墟だけ。夕日だけがその惨状を照らし出している中に一人の少女がいた。だがその姿は普通ではない。
体中には傷があり、下着のような黒いタンクトップを身に付けた異様な格好。こんな場所に少女がいるだけでも不自然極まりないのだが少女はその場に体育座りをしたままただじっと破壊された施設を見つめ続けている。どこか不安そうな、泣きそうな表情を見せたまま。
(あたし……誰なんだろう……?)
少女は目に滲む涙を何とかこらえながらも自問自答する。自分が誰なのか。そんなあり得ないような疑問を。まるでそう、記憶喪失になってしまったかのように。そしてそれは正しかった。少女には全く記憶がなかった。ここがどこなのか。今がいつなのか。自分の名前すら。まるですっぽりと記憶が抜け落ちてしまったかのようだ。何とか記憶の断片を思い出そうとするがそのたびに頭に頭痛が走りそれ以上踏み込むことができない。何度も何度もそれを繰り返すも結局何一つ思い出すことはできなかった。少女は傷ついた身体を庇いながらも思い出す。それは目が覚めてからの出来事。
(あの男……雷の男……一体誰だったの……?)
少女は思い返す。それは昨日、自分が目覚めた時のこと。自分はいきなり目覚めた。だが全ての記憶を失ってしまっていることに気づき混乱することしかできない中、一人の男が現れた。青い髪に白いコートを着た男。恐らく二十代前半といったところだろうか。少女は驚きながらも必死に話しかけた。男が自分に向かってよく分からないことを口走っていたからだ。だがその内容もよく覚えていない。とにかく自分を知っているかもしれない存在が目の前にいる。ならば一刻も早く何か知っていることを教えてもらわなければ。そんな子供が親に抱くような思い。文字通り縋りつくように自分は男に向かって詰め寄った。自分は誰なのか。自分のことを何か知っているのかと。だがそれは予想もしない形で返された。
雷。
どこからともなく凄まじい威力の雷が自分を襲って来た。男が手を振るった瞬間に。信じられないような出来事。間違いなく食らった者は死に至るほどの威力の雷だった。だが何故か自分は一命を取り留めていた。そのことに自分自身が一番驚いていた。何で生きているのか。何で自分がこんな目にあっているのか。様々な疑問が頭の中を巡るものの、自分はただ息を殺していた。声を出すことができない。それは恐怖。もし自分が生きていることが知られれば目の前の男が再び襲ってくると分かっていたから。男、雷の男はそのまま自分が死んだと思い込みその場を去って行った。それを確認した後、自分は何とか痛みに耐えながら起き上がるも途方に暮れるしかなかった。そう、自分は唯一自分のことを知っている可能性がある人物を見失ってしまったのだから。何か自分の身元が分かるようなものがないのか探してみたものの見つからない。着ている服は何か物が持てるようなものではなく、破壊された施設の跡をくまなく探してみるものの全て焼き払われ手掛かりになるような物は何一つ残ってはいなかった。ただ無意味に時間だけが過ぎて行き既に時刻は夕刻。疲れ切ったわたしは施設から少し離れた場所で座りこんでいるだけ。そんな中、ふと気づく。それは自分の左腕。そこに何か文字のようなものが刻まれている。
「E・L・I・E……エリー……?」
『ELIE』 それが刻まれていた文字。何もない自分に残っていたたった一つの手掛かり。だがどういう意味なのか分からない。一体いつからのものなのか。何を意味しているのか。それでも
「あたしの名前かなぁ……?」
そう考えるしかなかった。いやそう思いたかったのかもしれない。だってそれしか今のあたしにはなかったから。『エリー』それが今のあたしの名前。本当の名前じゃないかもしれない。でも、嘘の名前でもそれがあるだけで少しだけ救われた気がした。だが同時に新たな不安が襲いかかって来る。
(あたし……これから……どうしたらいいの……?)
それはこれからのこと。記憶喪失になってしまったこと。それを思い出さなくてはいけない。でもその方法も分からない。一体どうすれば。自分のことを知っていたかもしれない雷の男はもう去って行ってしまった。だがあの男は自分のことを殺そうとしてきた。理由は分からないがそれは間違いない。今から探してもまた同じ目にあわされてしまうかもしれない。そうなれば今度は助からないかもしれない。瞬間、身体が恐怖で震える。身近に感じた死への。何よりもこれからの自分への。知らずその瞳から涙が流れる。何度拭っても拭っても涙は止まらない。だがいつまでもここに蹲っていても仕方ない。もうすぐ夜が来る。このままでは風邪をひいてしまう。何よりも目覚めてからまだ何も口にしていない。とにかく人がいるところに行かなくては。折れかけた心を何とか支えながらその場から動きだそうとしたその時、
「エリー……?」
そんな知らない人の声が聞こえてきた。
「………え?」
あたしはそのまま声の方へと振り返る。そこには一人の少年がいた。黒い髪に黒い服装。全身黒づくめの姿。歳は十四、五歳程だろうか。大人になり始めている少年といった所。初めて会う少年。そう、そのはず。なのにその少年は何故か驚いた表情を見せたまま固まってしまっている。まるで信じられないものを見たかのように。しばらく呆然とあたし達は互いを見つめ合ったまま。
「……あなた、誰?」
「………」
知らずそんな疑問を口にする。ある意味当たり前の問い。こんな場所で声を掛けてくるなんて普通ではない。何故ならここは人っ子ひとりいない荒野。恐らくは人がいたのであろう施設も既に破壊されてしまっている。なのに何でこんなところに。それもあたしに向かって話しかけてくるなんて……え? ちょっと待って……この人、さっきあたしに話しかけてきたんだよね……? 間違いない。だってここにはあたしと目の前の少年しかいないんだから。何よりもさっきこの人は口にした。聞き間違えようのない言葉を。
「あなた……あたしのこと知ってるの……?」
『エリー』
さっき間違いなく目の前の少年はそう口にした。あたしに向かって。それはさっきあたしが付けた今のあたしの仮の名前。なのにそれを口にした。あり得ない。今会ったばかりの人がそんなことを知っているわけがない。なら答えは一つ。
目の前の少年はあたしのことを、記憶を失う前のあたしのことを何か知っているということ。
「………」
でも少年はあたしの言葉を聞いた瞬間、先程までの驚きの表情が消え無表情になってしまう。まるでまずいことをしてしまったかのような雰囲気を纏いながら。そしてそのまま踵を返しその場から去っていこうとしてしまう。あたしの質問に応えないまま。無視するかのように。
「ま、待って! あなたさっきあたしのことエリーって言ったでしょ!? 何か知ってるの!?」
慌てて後を追いかけながら必死に問いかけ続けるものの少年はあたしのことを無視したまま。全く取り合おうともしてくれない。だがそれが目の前の少年があたしのことを何か知っているのだという何よりの証拠でもあった。なら絶対にここで見失うわけにはいかない。これを逃せばあたしは自分の記憶を探す手掛かりを得ることができないかもしれない。あたしはそのままふらつく身体を庇いながらも全速力で追いすがり、その手を伸ばす。そしてその手が少年の肩に触れようとした瞬間
少年の姿がまるで霧のように消えてしまった。まるで蜃気楼のように。伸ばした手は空しく空を切ったまま。
「……え?」
信じられない事態にその場に固まってしまうもののすぐに我を取り戻しながら辺りを見渡す。だがいくら見回しても、探しても少年の姿はどこにもない。だがここは荒野。どこにも隠れるような場所はない。
「嘘……? ちょっと……どこに隠れてるの!? 出てきてよ!? 話が聞きたいだけなの!」
大声で辺りに話しかけるも何の反応も返ってこない。もしかしたらさっきのは自分だけに見えた幻か何かだったのかと思ってしまうほどの怪奇な事態。だがいくら探しても先程の少年の姿を見つけることができない。途方に暮れるもののあたしはいつまでもその場に立ち尽くしているわけにもいかずそのまま人がいるであろう街へと向かうことにした。幸いにも歩けば何とか辿り着ける場所にあったため完全に夜になってしまう前に辿り着くことができた。だがそこからが問題だった。
そう、あたしは着の身着のまま。無一文だったのだ。
しかも記憶喪失によって身分証明もなにもできないというおまけ付き。そんな自分を泊めてくれる場所などあるわけもなく途方に暮れるしかなかった。今日は野宿するしかない。そして明日からは何とかお金を手に入れなくては。度重なる不幸と障害に翻弄されながらも持ち前の前向きさ、明るさで気持ちを新たにしようとした瞬間
「……おい」
「……え?」
いきなり後ろから声を掛けられた。だがそのことに驚いたわけではない。それは声。それが聞いたことのある声だったから。今のあたしが聞いたことのある声なんて限られている。振り返ったそこには間違いなく先程見た、会った黒づくめの少年の姿があった。
「っ! あなた、さっきのっ!?」
あたしはそのまま慌てながらも少年へと詰め寄りその肩を掴む。だが今度は消えることなくその肩を掴むことができた。じゃあさっきのは何だったのか。何であの時はいなくなったのに再び現れたのか。様々な疑問が頭の中を巡り巡って上手く思考をまとめることができない。この時、あたしがどんなことを言っていたのか覚えていない。とにかく手当たり次第に、今までの疑問を少年に向かって問いかけて、いや問い詰めていたのだということは何となく覚えている。だがそれは唐突に終わりを告げる。
「……とりあえずこれを着ろ」
少年がそんなよくわからない言葉を漏らしながら何かを差し出してくる。一瞬それが何なのか分からなかったがすぐに気づく。Tシャツとジャージ。どこから取り出したのか少年はそれをあたしに差し出していた。そこでようやく気づく。自分がどんな格好で街をうろついていたのか。そしてそんな姿で自分は少年に迫っていたのだと。よく見れば辺りの通行人から怪しむような視線が突き刺さって来る。それに気づかない程自分は興奮してしまっていたらしい。よく見れば少年もどこか困ったような、呆れたような表情を見せている。
「……うん、ありがと」
ようやく少年が何を言っているのか理解したあたしは目覚めてから初めて笑いながら着替えを受け取る。それは気づいたから。きっと目の前の少年がこの着替えを持ってくるためにやってきたのだということに。
それがあたしとアキの出会いだった―――――
それからあたしとアキの奇妙な共同生活が始まった。共同生活と言ってもほとんどあたしが一方的にお世話になっているので居候させてもらっているというのが正しいかもしれない。あの後、どこにも行く当てがないあたしにアキはしばらく家に来ればいいと誘ってくれた。普通なら断るべきところだったのだが無一文であること、そして何よりも自分のことを知っている可能性がある相手。あたしはそのままアキの厄介になることになった。
結果から言えばアキはあたしのことを何も教えてはくれなかった。何度も問い詰めてみたものの、難しい顔をしたまま無言でスルーされてしまう。ただ知らないとは言わないことから何か知っているのは間違いない。しばらくは様子を見てみるつもりで厄介に、居候させてもらうことになった。どうやらアキは両親はおらず一人で世界の各地を転々としているらしい。歳は十四。恐らくは自分よりは年下にも関わらずそんな生活をしていることに驚きを隠せない。しかもかなりのお金持らしく今暮らしているような場所(アジトのひとつらしい)をいくつも持っていることからもそれは明らか。一体どうやって稼いでいるのか聞いてみたものの応えてくれない。何だか謎だらけの少年だった。何よりもアキは無口だった。最初の出会いからこっちから話しかけない限りめったに話さないし表情も無表情のまま。最初は避けられているのかとも思ったがどうやらそうでもないらしい。そうなら自分の面倒などみてくれるはずもない。だが取り決めがいくつかあった。
一つが勝手に家の外を出歩かないこと。出る際には必ずアキと一緒に出ること。何でもアキもあたしと同じくあの蒼い髪の、雷の男に命を狙われているらしい。それがあたしを匿ってくれた理由の一つだと教えてくれた。もっとも狙われている理由は教えてくれなかったのだけれど。
もう一つがアキの部屋には絶対に入らないこと。アキの家はかなり大きくいくつも部屋があるがアキの部屋にだけは絶対に入らないように釘を刺されてしまった。こちらも理由は分からない。もっとも男の子なのだから部屋にはいられたくないのは当たり前かもしれないけど……そういえば最初の頃はひょっとしたら何かえっちなことを企んであたしを引き取ったのかと思ったけどそんな気配も全くない。むしろあたしがだらしない格好をしていると注意してくるぐらいだった。
そんな生活がかれこれ一カ月。衣食住には全く困っていない。むしろ普通の人よりも上等な生活をさせてもらっているのだが流石にいつまでもこのままというわけにもいかない。アキはどうやら簡単にはあたしの記憶のことを教えてくれる気はないようだし、ずっと迷惑はかけられない。何よりもアキがあたしを匿ってくれる理由が分からなかった。もしかしたら兄弟か何かなのだろうか……でもそうなら記憶を話してくれないのはおかしい。とにかく一度アキときちんと話し合ってみよう! もしそれでダメなら一人でも記憶探しの旅に出てみるしかない。雷の男と会うのは危険かもしれないけどそれでも記憶を取り戻すためにそれしかないなら……
エリーは決意を新たにしながら浴びていたシャワーを止め、身体を拭きラフな格好をしながら風呂場を後にする。だがエリーは違和感を覚える。いつもならアキが風呂上がりの自分の恰好に文句を言ってくるはず。もう何度も繰り返されてきたある意味お約束のやり取り。(もっとも言われるのが分かっていながら改善しようとしないエリーの方に問題があるのだが)今日はそれがない。一体どうしたのだろうか。
「アキー? いないのー?」
髪をバスタオルで拭きながらエリーが辺りを探すもアキの姿は見当たらない。確かに自分がシャワーを浴びに行く時にはリビングにいた筈なのだが。エリーは首をかしげながらもすぐにあることに気づく。
「……! ………!? ……!」
それは声。間違いなくそれはアキの声だった。それが家の中、アキの部屋から聞こえてくる。だがドア越しだからなのかその内容はここからは聞きとることができない。知らずエリーは何かを思いついたかのような楽しそうな笑みを浮かべながらそろりそろりとアキの部屋へと近づいて行く。それは気づいたから。アキの部屋のドアが微かに開いていることに。そこから声が漏れてきている。しかもどうやらアキはそのことには気づいていないようだ。今まで何度かアキの部屋に忍び込もうとしたことはあったのだがアキに見つかったり、途中で断念したりで全て結局未遂に終わっている。だが今、アキは自分が近づいていることには気づいていない。自分の記憶の手掛かりがあるかもしれないこと。そして何よりもアキが何を隠しているのかに興味があった。謎が多い、掴みどころがないアキの秘密が分かるかもしれない。そんな子供のような好奇心を抱いたままエリーは息を殺しながら部屋へと近づいて行く。次第にアキの声が大きくなっていく。どうやら誰かと話しているらしい。だが来客があったとは思えない。第一一緒に暮らし始めてから自分以外誰もアキの家には訪れていない。なら電話でもしているのだろうか。だがそれにしては声が大きい。まるで言い争いをしているかのよう。あの無口なアキがそんなことをする姿など想像できない。一体何が。エリーはそのまま音を殺したままドアの隙間から部屋の中を覗き込む。そこには
一人で目の前に置かれている石に向かって話しかけているアキの姿があった―――――
どうも、アキです。ダークブリングマスターです。現在めでたくエリーと同居しています。原作ヒロインと仲良くなれるとはまさに役得。これはもうこのまま原作の可愛い女の子達と仲良くなってハーレムを作るしかないな。はい、冗談です。ちょっと現実逃避したかったんです……だってそうだろ? 何でエリーさんが目覚めてるんですかっ!? まだ原作よりも一年早いんですけどっ!? どうなってんのっ!? い、いや……理由はもう分かってる……はい、俺のせいです。正確には俺のせいでジークの動きが変わってしまったせい。金髪の悪魔である俺を追っていることでジークの動きが原作と、正史と異なっちまったせいで一年後に破壊されるはずの研究所が破壊されその下で眠っていたエリーが目覚めてしまったというオチらしい。ははっ、まさかこんなことになるとは……全く予想できなかったって言うか予想できるわけないだろうがあああっ!? しかもエリーの前で名前を呼んでしまうと言う大失態まで晒しちまったわっ!? もう穴があったら入りたいどころのレベルじゃない状態。もう俺はその場から脱出するしかなかった。あのままあの場にいたら余計なことをしゃべったりしちまう可能性があったから。
うん、とりあえず見なかったことにしよう。俺は何も見なかった。しゃべらなかった。そう自分に言い聞かせたままワープロードによって違う街へと移動もとい逃げ去ろうとしたのだがふとあることに気づいた。あのままエリーを放っておいていいのかという問題に。もし原作通りの時期に目覚めたのだとしたら別にそれほど気にする必要もないのかもしれない。だがそれは大きく変わってしまった。そうなるとぱっと思いつくだけでも二つ大きな危険がある。
一つはジークに狙われる危険性。本来ならエリーがジークに見つかるのは今から二年以上先、ハルと出会ってからになる。だが原作よりも一年以上前に目覚めてしまった今、ジークも原作よりも早くエリーが生きていることに気づき襲いかかって来るかもしれない。もしハルと出会う前にジークに襲われればゲームオーバー。最悪魔導精霊力が暴走し世界が滅亡してしまう。
もう一つがハルと出会わなくなってしまう危険性。原作とは違う時期に目覚めてしまったことで行動も変わり、原作通りにハルとエリーが出会わなくなってしまう可能性がある。もしそうなれば先にどんな影響があるか分からない。
もしかしたら俺が何もしなくても原作通りになるのかもしれないし、補正、修正のようなものが働くかもしれない。単なる考えすぎかもしれない。だがそう楽観した結果が今の状況。現に俺のせいでエリーは原作よりも一年早く目覚めてしまったのだから。ならば出来るだけのことはやっておかなければ。後になって後悔したのでは遅すぎる……というか怖すぎる……と、とりあえず俺はエリーを匿うことにした。いきなり見ず知らずの人間の誘いに乗ることなど考えられないがエリーは俺が記憶のことを知っていると思っている……まあ確かに知ってはいるのだが。それはともかくそのおかげでエリーは特に抵抗なく俺と同居することになった。もっとも俺は気が気ではなかった。だってあれですよ? 女の子と同居するなんて想像だにしなかった展開。そんな夢にまで見たシチュエーションに動揺せざるを得なかった。しかもこいつ何故かラフな格好ばかりしやがる……何? 俺もしかして誘われてんのと思ってしまうほど無防備な姿。何かおおっぴらすぎて逆にそんな気が失せてしまったのだが……まあ元々そんなことする気は微塵もなかったんですけどね……相手が相手だし。ハル、早く迎えに来てくれ。お前の未来の彼女の、嫁の面倒を見るのがしんどいからさっさと引き取りに来い。というか二年後にお前の所に丸投げ……じゃなかった連れて行くから覚悟しとけよ……っと話が脱線したがそんなこんなでもう一カ月が経過している。だがこれ以上は流石に色々と限界かもしれん。まずは俺自身の問題。今俺は無口キャラで通しています。理由としては二つ。
一つはエリーの質問攻めに対抗するため。もしいつもの調子で対応してしまうとボロが出てしまう可能性が高くそれを防ぐため。
もう一つがルシアとしての自分が動き始めた時のため。今はまだ表だって動かないが近い将来、原作で言えば第一部が終わった辺りから俺は動き出す、いや正確には動かざるを得なくなる。その時にあまりエリーと親密になりすぎていると仮とはいえ敵対しづらくなってしまうかもしれない(エリー側からの視点で)。まあそれはハルにも言えるのだがハルの場合は出会うまでに四年空くわけだし特に問題はないかもしれんがエリーの場合は話が別だ。できるだけ気安い関係にならないようにした方がいい。
そんなもろもろの理由で出来る限りしゃべらないようにしているのだがいい加減装うのも限界に近かった。どうやらエリーもここから出て行こうとするような言動や雰囲気があるし、ここは一旦別れた方がいいのかもしれん。何よりもまだ解決できていない一番厄介な問題があった。それは
「だから何でお前の許可を得なきゃなんねーんだよっ!?」
目の前で点滅しながら俺と言い合いをしているマザーを説得するという一番厄介な、そして危険な問題だった。
エリーを匿うにあたって一番の問題がこいつだった。理由はハルと同じ。原作の重要人物であるエリーにマザーが危害を加える可能性があるため。しかも今回はハルと違って厄介な問題がある。それはエリーの容姿。言うまでもなくそれはリーシャそのまま。髪の長さの違いはあるが一目瞭然。それが本人だとまでは分かっていないだろうが怪しむには十分な問題。しかもまだ覚醒はしていないものの魔導精霊力もその内に秘めている。もしマザーが危害を加えようとして暴走でもすれば全てがおしまい。大破壊によって世界が消滅してしまう。ここ一カ月はほぼ力づくで抑え込んできたがいい加減それも限界だ。ここでいっちょ白黒決める必要がある。
っていうか俺はお前のマスターだろうが!? 何でお前の言うことばっか聞かなきゃなんねーんだよ!? 反対してんのはお前だけだろうが! (イリュージョンは女の子が増えるのを喜び、デカログスはそのぐらいの甲斐性がなければ男ではないとか何とか言ってくれた。流石師匠! 男っぷりがパねえ!) え? 何でそんなにあの女にこだわるのかって? そ、そんなことどうでもいいだろうが……! な、何となくだよ何となく……
予想外のマザーの追及に思わずどもってしまうもののマザーはそのまま無言の圧力を掛けてくる。ま、まあ当然か……いきなり荒野に行ってそこに何故かリーシャそっくりの少女がいてそれを同居させるって言ってるんだから。怪しまない方がどうかしてるだろう……でも明らかに警戒しすぎじゃねえ? ま、まさか既にエリーが魔導精霊力を持っていることに気づいたのか? い、いやそんなはずは……そもそもそれに気づいたならそれを追求してくるはず。だがマザーは矢継ぎ早に追及の手を休めることはない。まるでヒステリックを起こしているかのようだ。いい加減付き合わされるこっちの身も持たん! あまり使いたくなかった手だが仕方ないか……背に腹は代えられん……
「ごちゃごちゃうるせんだよ! エリーに一目惚れしちまったんだよ! 何か文句があんのか!?」
ある意味一番簡単な、そしてこれ以上ない理由だろう。まあ別にDB達にはどう思われても構わないわけだし実際本物のルシアもエリーを自分の物にしようとしてたから違和感はないだろう。その言葉にイリュージョンはどこか恥ずかしそうな声を、師匠は無言だが納得したような雰囲気を放っている。だがそんな中でもマザーは今まで以上に食ってかかってきた。
は? 俺には早すぎる!? 何でそんなことお前に言われなきゃなんねーんだっ!? お前は俺の母親かなんかかっつーの!? 別に俺が誰に惚れようが関係ないだろーがっ!? え? 俺はカトレアに惚れてたんじゃないのかって? そ、それは……ごほんっ、それとこれとは話が違うんだっつーの! カトレア姉さん対してはその……そう! 憧れが強いわけでエリーとはまた違うというか……は!? 結局胸なのかって!? 何でそうなる!? 二人の共通点だって!? なんでそうなるんだっつーの!? た、確かに二人とも巨乳だが……じゃなくてっ!? 俺の好みなんてどうでもいいだろうがああああっ!?
あまりに聞き分けのない、というか何故か動揺しまくっているマザーを相手に俺はただ言い争い続けるしかない。だがいくら怒鳴り合っても話は平行線のまま。まるで犬も食わない親子喧嘩、いやこういうときは夫婦喧嘩が正しいのか? だが流石にずっと言い争いっぱなしではいられず一度休憩を挟もうとした瞬間
「誰と話してるの、アキ……?」
そんな声が聞こえてくる。ドアの方から。聞きなれた少女の声。ギギギという音が聞こえてくるような動きで振り返るとそこには何故かバスタオルを身体に巻いた風呂上がりのエリーの姿があった。
「………」
瞬間、部屋の空気が凍る。主に俺とマザーの空気が。普段ならそんな恰好で家をうろついているエリーに文句の一つでも言うところなのだが今はそれどころではなかった。そう、見られてしまった。自分がマザーと、DBと話しているところを。何よりもシンクレアの存在を知られてしまった。もしそのことでエリーが断片的にでもリーシャの記憶を、人格を取り戻してしまえばどうなるか。マザーも何かの気配を感じ取ったかのように臨戦態勢を見せている。凄まじい緊張感の中、それでも何があっても動けるように身構える。そして長い沈黙の後
「すごーい! アキ、この石と話してたの? あたしも話してみたい♪」
それはエリーの言葉によって一瞬で、跡形もなく霧散してしまった。
エリーはそのままどこか嬉しそうにマザーを手に取り話しかけている。当然会話などできるはずもないのだがいきなりの事態にマザーが焦っているのが分かる。うむ、やはりマザーでもエリーのはちゃめちゃさには敵わないらしい……じゃなくて!? 何普通に和んでんだ俺っ!?
「お、お前……驚かねえのか……? それにそれ……DBだぞ……?」
「え? DB? 何それ、虫? それよりもアキどうやって話してたの? あたしも話してみたい!」
「あ、あのな……大体何でお前がここにいるんだよ!? 俺の部屋には入らない約束だったろうがっ!?」
「ちょっと話があって部屋に行こうとしたらドアが開いてたんだから仕方ないでしょ? 閉め忘れてたアキだって悪いんだから!」
「それは……」
「ふふっ、でもアキってそんな風にしゃべるんだね。今までのはずっと演技だったの?」
「………ああ。だけどもうやめだ……ったく……」
「ふーん。でもあたしは今の方が似合ってると思うけどな」
まるで一本取ったかのように嬉しがっているエリーの姿に溜息を吐くことしかできない。こうなってしまってはいつまでも演技をしていても仕方ない。元々無理があったのだから騙し通すこと自体無謀だったということかもしれない。だが本当に肝が冷えっぱなしだった。どうやらエリーはDBのこともシンクレアのことも忘れてしまっているらしい。マザーを実際に見ることで何か予想外のことが起こるかもしれないと思い今まで隠していたのが杞憂だったようだ。もっとも話しているところまで見られてしまうのは予想外だったが。ま、まあ本人が特に気にしていないようだからよしとしようか……はあ……今まで必死に隠してきた俺の苦労は一体何だったのか……あ、そういえば
「ちょうどよかった、お前に渡そうと思ってた物があったんだ」
「……? あたしに?」
「おう、これだ。ちょっと目に入ったんでな」
そう言いながら俺はエリーに向かってあるものを渡す。それは腕輪だった。装飾があるのを考えればブレスレッドと言った方がいいかもしれない。エリーは驚きながらもそれを受け取る。
「……いいの? 何だかこれ、高そうだけど……」
「ん? あ、ああ……気にすんな。ちょうど今日でお前が来て一カ月になるしな。そのお祝いってことで」
内心罪悪感で一杯になりながらもそう伝えるしかない。もう説明するまでもないかもしれないがエリーに渡した腕輪はただの腕輪ではない。それはマジックディフェンダーと呼ばれるもの。取り付けた者の魔力を封じ込め魔法を使えなくする代物。原作でも何度か登場したアイテムだ。もちろんそれはエリーの魔導精霊力を封印するため。これを付けている限りエリーは魔法を使うことができないため魔導精霊力が発動することはない。そしてそれ以上に魔力を探知されなくなると言うのが大きな利点だ。ジークはエリーの魔力でその居場所を特定していたらしい。ならばそれを防ぐ必要があったため俺はそれを贈ることにした。何だか騙してるみたいで申し訳ないが……すまない、これも世界のためなんだ……そういえば俺がジークに狙われてるのもやっぱ何か魔力的なものを感知されてるんだろうか。いや俺は魔導士じゃないので他の要素かもしれんが……うむ、ならそれを何とかするDBを作ってもらうことにしよう! そうすればこの命がけの鬼ごっこから解放されるかもしれん!
「ありがとう、アキ! 大切にするね!」
「そ、そうか……」
そんなことを考えているとエリーが満面の笑みを見せ腕輪を付けながらお礼を言ってくる。どうやらプレゼントを気に入ってくれたらしい。それ自体は嬉しいのだが……何だろう……何か取り返しのないことをしてしまったような、そんな悪寒がある。罪悪感もだがそれ以上に言いようのない不安が胸に生まれてくるような……き、気のせいだよな……きっと……
「そういえばさっき話があるとか言ってたけど何の話だったんだ?」
仕切り直しの意味を兼ねて俺は強引に話題を変えることにする。それはさっきのエリーの言葉。どうやら俺に何か用事が、話があったと言っていたが何なのだろうか。だが
「……ううん、何でもない。それよりもアキ、あたしもこの虫達と話してみたい! どうすればいいの!?」
エリーはそのままマザーを持ったまま迫って来るだけ。どうやら本当に大したことない用事だったらしい。というかこの勢い、テンションはどうにかならないのか。まあこれ以上無口キャラを演じる必要が無くなったので少しはマシか。しかし原作まであと二年……それまでずっとエリーと行動を共にするわけじゃないだろうがそれでもしばらくは騒がしい生活は続きそうだ……そういえばもうこれ以上見落としはないよな……? 何だろう、魔導精霊力関係でまだ何かあったような気もするんだけど……ま、まあこれ以上厄介なことなんてあるわけないか……
アキはげんなりとした表情を見せながらもエリーに振り回されながらの生活を結局二年間続けることになる。
アキは気づかなかった。エリーが自分とマザーが話している所だけでなく、その内容まで聞いていたことに。そう、エリーが出て行かなくなった原因が自分にあることに―――――