次の障害物に対面した拓也は、さっそくゲンナリした。
いや、ダンジョン系の初級モンスターとして、これはこれでいいのかもしれない。
パッドの案内では、触手から肩こり電気治療気程度の電流を放出するほかは無害となっているので、刺激せずに通り過ぎればいいのだ。
ただ、そこは回廊の一部ではなくて、大広間といった空間なのだが、床から数段降りたところからプールになっていた。そのプールを所狭しとゆらゆら泳いでいるクラゲ状多触手モンスターの群れの中を泳ぎ切って回廊を抜けるのは、生理的嫌悪をいかに乗り越えられるかという精神的な強さを求められるのだろう。
だいたい、どのくらいの深さなのかもパッドは説明していない。
「ピラニアやクロコダイルの川を渡ることを思えば、無害なクラゲのプールなど朝飯前だな。朝飯食ったけど」
濡れたら困るものは頭の上に乗せて、拓也は階段を降りてぬるぬるとした液体と、無数の巨大なクラゲ様水棲生物が泳ぎ回るダンジョンのプールへと降りていく。階段を降りきって床の部分に踏み出したところをみると、プールの深さは拓也の腹くらいで、首まで水が上がってくることはなさそうだ。
とりあえず荷物を濡らさなくてすむ。
色とりどりの蛍光色を放つクラゲは好奇心が強いらしく、おそらくたいした刺激のないダンジョン生活で、たまに訪れる冒険者が珍しいのかもしれない。
丸い頭を水面から出してわらわらと集ってきては、むにむにとした触手を伸ばして拓也の胴や脚に絡み付いてきた。
「うひゃひゃひゃ」
と、クラゲたちに脇の弱いところをむるむるずるずると撫でられながら、緊張感のない声を上げつつ、拓也は水とモンスターの抵抗に重い脚を運ぶ。
「うばっ。ずっぽんとか、なんでクラゲに吸盤があるんっだ、って、そこはやめっ。ああっ、電気を流すぶうっぶ」
腰をよじりながら、拓也は頭上の荷物を落さないように、くらげもどきの絡みついてくる触手に脚をとられないよう、びくびくと勝手に収縮する筋肉のために転んで沈まないように進むだけで精一杯だった。
どのくらい時間をかけたものか定かでないが、広間の反対側の階段を上りきってクラゲのプールを渡り終えた頃には足の筋肉はこわばり、かなり息を切らしてた。
パッドのHP(疲労ポイント)表示は五〇まであがっていた。ハーフタイムなしでサッカーを一ゲームするくらい疲れたかもしれない。
ダンジョンの床に腰を下ろし、バックパックの中身が濡れてないか確認する。食べ物パックの中に、ガントの妻、エスメが作ってくれたサンドイッチを見つけた。
「あ、もう一食あったんだ。大丈夫かな」
くんくんと臭ってみたところ、危なそうな臭いも感じなかったので、大急ぎでぱくつく。理由はどうあれ、水圧と無数の触手に逆らいつつ、筋肉と神経、そして横隔膜を刺激されながら転ばないように水中ウォークすることは、かなりのエネルギーを消費するのだ。
体内時計はランチタイムを指してなかったが、次の障害の前のエネルギー補給だ。
拓也はふと思いついて、乾燥して固くなったピタパンもどきのくずや、具の水分が染みてべとべとした部分をクラゲたちに放り投げてみた。とたんに水しぶきを上げ、先を争って奪い合う。まるで鯉の池にパンくずを落したときのような生存競争だ。
拓也をエサと判断しなかったのだから、クラゲもどきたちは草食なのだろう。
回復ドリンクの栄養表示を、始めて真剣に読んでみたところ、ひと瓶で五〇HP下げることができるという。パッドのHPを確認すると、サンドイッチのおかげで一五P下がって現在の疲労度は三五となっていた。もったいないので、ドリンクは荷物に戻す。
次の回廊の障害は生物でなく、床そのものだった。
「あー、やっとお越しなさったですか、お客さん」
回廊を曲がってすぐがっしりした体格の小人さんが挨拶した。
「ドワーフさんですか」
思わずつぶやいてしまった拓也に、小人さんは四角い顔に繋がった眉毛を真ん中に寄せて、嬉しくなさそうに返事をする。
「異世界のお客さんは一〇〇パーセントそう言うんですがね。私はノビルンです」
ノビルンが種族名なのか、本人の名前なのか訊きそびれたが、拓也は丁寧に謝罪した。
「いやいや、そちらの世界にも、わたしらと同じような種族がいるって知るのは、興味深いです。いつかそっちにも行ってみたいですね」
にっこり笑って言われると『想像上の生き物です』とは言えず、拓也は曖昧に笑い返した。かれの口の動きと耳に入ってくる日本語が同調していないところを見ると、ノビルンは現地語を話しているのだろう。拓也の言葉がわかるのは、日本語を聞き取ることはできているのか、あるいは拓也のように翻訳装置をつけていると推測する。
「とにかく、この床を敷き詰めていかないとね。始めましょうか」
ノビルンはのんびりと言った。回廊の床は底なしの闇で、ところどころ敷石が埋まってはいるのだが、どれも妙な形をしている。ノビルンの横に積み上げられた敷石を並べていけば、なんとか回廊を渡ることができるらしい。
それは床ジグソーパズル回廊だった。
「なんでこれが満足度一〇〇パーセントツアーなんだよぅ。ふつう、ダンジョンとかはチートな能力もらってモンスターをなぎ倒して、可愛い女の子を助けまくってハーレムとかいう展開じゃないのかな」
ネットゲームはしている時間はなかったが、ネット小説なら通学やバイト通勤の途中、携帯で読んだことはある。本気で期待していたわけではなかったが、異世界ツアーならそういうシナリオだってあってもいいと思った。
「お客さんが申し込むときに、ちゃんとハーレムオプションを選ばなかったからでないですか」
「え?」
床石のピースを運びながら、ノビルンに指摘され、拓也は申し込みサイトにそんなオプションがあったか思い出そうとした。
「次のアトラクションで、ハーレム設定を申し込むといいんではないでしょうか」
このあとのツアーはエルフの森のお茶会か、魔法使い入門だったはずだ。
美人エルフに囲まれてお茶会というオプションは悪くない。
妖艶な魔女に囲まれるのも悪くない。
お金を払ってハーレム設定とか、どこのスケベオヤジだと情けなくなったが、いくら異世界でもいきなりモテ期到来など、ハーレムの構成員がNPCでない限りありえないだろうとは納得する。やはりこのツアーはVRな夢でなくて、現実体験なのだろう。
――せっかく異世界に来たのだし――と拓也は、旅の恥はなんとやらの鉄則に従い、ダンジョンを抜けたらさっそく問い合わせてみようと心に誓った。
妄想を励みに、足を踏み外して闇に落ち込まないように、なかなか合わないピースを組んでいく拓也。壁面に映し出された本来の床模様を見ながら、ノビルンのおしゃべりと手伝いに励まされてパズルをはめてゆくうちに、気がつくと夢中になっていた。
床面だけでなく、凹凸のある敷石は彫刻の一部でもあり、回廊の装飾でもあった。できあがった床のモザイク壁画(床画というべきか)と壁面や回廊に並ぶ彫刻群に、拓也は深い達成感と感動を覚えた。
ボード紙の立体ジグソーというのをコタツでやったことがあるが、それを建物サイズでやったわけである。しかも、重たい敷石や嵌め石を上げたり下げたりしたので、非常に疲れた。
「やー。おかげでひと仕事すみましたわ。ダンジョンも完成間近で助かります。。あとひとつ障害をクリアしたら、下の階層に行けますから、がんばってください。それでは私は帰りますね」
完成した床面の跳ね板を開いて、ノビルンは回廊から消えた。
案内パッドを見ると、疲労度が一〇〇を超えている。ドコデモホテルが起動しないところを見ると、HP上限はやはり一二〇になっているのだろう。しかし、ぎりぎりだ。
拓也は回復ドリンクを飲み、保存食の月餅や乾パンを口に放り込みつつ、休憩した。
「なんか気になることを言っていたような……このダンジョン、未完成なのか?」
つぶやきながら立ち上がり、次の回廊を曲がったとたん、紫色のスライムボールが飛んできて拓也の思考は遮られた。反射的に構えたテニスラケットに、バレーボール大のスライムがぶつかってくる。
昨日の白いスライムゼリーと違って、このスライムはバレーボール並みの衝撃と弾性があった。そのままつぶれずに、跳ね返っていく。床や壁をバウンドしては、また拓也のほうへといくつも飛んでくる。しかも、その紫のスライムボールには、明確な攻撃意志に燃える黒い眼がふたつならんでいて、ラケットで跳ね返すたびに甲高い悲鳴なのか咆哮を上げるのが耳に痛い。
しかも、ぶつかっていくのは拓也だけでなく、スライム同士で激突しあっては、衝撃が激しすぎると潰れたり、融合したり、壁に張りついてどろーっと床に溜まっては、ぶるぶると痙攣しながら再びボール形状に戻って跳ね回る。
「怖いんだけど」
進むほどにスライムボールの数が増える回廊の突き当たりが見えてくると、地階で見たのと同じような滝があった。
「うおおお。ここを走り抜ければこの階はクリアだなぁ。中学テニスで、高校時代はサッカーやっててよたかったよ」
半分叫びながら、拓也は覚悟を決めてスライムボレー連打の回廊へと足を踏み入れる。
よけられるスライムボールは右に左によけ、真っ向からぶつかってくるのはラケットで跳ね返し、床面近くを弾んでくるものは足で蹴り飛ばしたり、飛び越える。
回廊を抜けて、滝壺までたどり着いても、スライムボールの体当たりは止まない。さすがにラケットだけでは撃退できず、拓也は頭に激突してきたスライムボールの勢いをまともに喰らって滝壺の枠岩につまづき、そのまま滝壺にざぶんと落ちた。
ずぶぬれになりながら滝をくぐれば、そこに扉はなく、ただ真っ暗な深淵が口を開けて待っていた。水を跳ね飛ばしながら攻撃を続けるスライムに追い立てられるように、拓也は闇口の縁へと追い詰められ、迷う暇もなく数個のスライムの直撃を受けて第二階層へと転がり落ちていった。
★★★
どうもギャグが滑っている気がします……。
コメディは難しいですね。
ひと階層クリアしたので、短いですがUPしました。
<お知らせ>
冒頭がダルいという感想をいただいたので、接続できなかったときに改稿したものを「なろう」サイトに上げてみました。
章も入れ替えたため、こちらで改稿版を投稿するのは難しいので、こちらはこのまま進みます。
なろうタイトル
「異世界トリップ・就職・移住等、斡旋いたします マルチ・ユニバース・トラベル(株)」