谷の出口では、巨大な八輪の荷台に積まれた蠍竜を、十頭の馬もどきが牽いて街へと向かう準備に大騒ぎだ。
どこが馬もどきなのかというと、頭や首の長さ、体格や蹄の形状などは馬に良く似ているのだが、鬣(たてがみ)にあたるところが、パンタラ人のとうもろこし髭の頭髪と酷似しており、頭頂から背中にかけて、ふよふよと放射状に首を取り巻くように伸びていて、そこだけむしろライオンの鬣を連想させる。
ガントも西垣姉妹も、荷車の近くに立って、作業を見守っている。
とうもろこし髭の髪を、円い帽子の下から放射状に広げてふよふよさせて働いているパンタラ人を拓也は呆けた顔で眺める。
「パンタラ人は、ドラゴンを倒せないって話だったけど。捕まえるのは慣れた感じだな」
「エルゲンオドゥスドーリエンは神聖な生き物ですから、直接手を下したものには天罰がくだるのです。だから、あえて手を出すパントラ人はいないのです」
横に立っていたベントがそう説明する。
「俺たちがやっつけるのはいいわけ?」
矛盾だなと思いつつ、拓也は突っ込んでみる。
「神聖ですが、数が増えると山から下りてきたり、谷から出てきて村や農場をめちゃめちゃにしたり、通りかかった人間や家畜を襲うので、困り者なんです。だから、異世界のお客さんがドラゴンハンターとして、こちらに来て下さるのは大歓迎です」
「異世界人の俺たちには天罰はくだらないということか。っていうか、マルチからハンターが送られてくる前はどうしていたんだ?」
「どうしても退治しないといけないときは『贖罪の勇者』を立てて、魔法の加護を添えて送り出してました。でも、どんな勇者も神の獣の殺し手にはなりたくないですから、なり手がいないんですよね」
「その『贖罪の勇者』が見つからないと、どうなるの」
「今までは王族の騎士が選ばれて、派遣されてましたが。成功率は百パーセントですが、死亡率も百パーセント」
「しかし、どういう戦い方でそうなるんだ」
さっきまでの自分のバトルを思い浮かべて、拓也は首をひねった。
「ドラッグボールに使っている麻酔毒の袋を抱えて、自分からエルゲンオドゥスドーリエンに食べられるのです」
人差し指を立て、くりくりとした瞳を真剣に輝かせて、少し下から目線でベントが教えてくれる。
「それって、マジで生贄じゃないか。確かに百パーセント神罰下っているというか」
そこまで考えて、拓也は右手の拳で、左の掌をポンと叩いた。鎧がカチャリと軽い音を立てる。
「おれたち異世界人って、ドラゴンハンターで有名なの?」
ガフン市に着いてすぐ、大聖堂の前で自分に注がれていた視線を思い出して、拓也は訊ねてみた。神聖獣殺しの連中と思われたり、無謀な冒険者と思われているわけだろうか。
あるいは気の毒な生贄候補とか。
「ドラゴンだけじゃないですけどね。トレジャーハンターとか、レイダースとかありますよ。日本語では一括して『冒険者』でしたか?」
おおおおお、と拓也は思った。
とても異世界トリップらしくなってきたぞ、と。
「でもって『ギルド』とかも、もちろんあるわけ?」
「マルチ・ユニバースの支店とか、出張所が、異世界移住者にそう呼ばれていますけど」
漫画的に、拓也はずるっとこけそうになった。
「なんて夢がない。こんな夢のない異世界トリップとか、どうなんだよ」
出発の準備ができたらしく、荷車がごりごりと動き始めた。どの車輪も軸も、折れそうな心配がないのを見て、白いボディスーツの西垣杏奈が猫のような身軽さで蠍竜の背中に飛び乗った。
首と背中の甲羅の継ぎ目をふたりのパンタラ人に梃子(てこ)で開かせ、その隙間にロケットランチャーに装弾した黄色い榴弾を撃ち込んだ。
パンタラ人はゆっくりと甲羅と鱗の継ぎ目を戻して、縄で弛まないようにぎっちりと結ぶ。
ぴょんと地面に降り立った杏奈が、拓也へと軽快な足取りで近づいてくる。
「あれは、麻酔剤?」
「そう。王都に着くまで、一日ひとつづつ打って、麻痺させておくの。死なせてしまうと鮮度が落ちて、価値が半減してしまうからね」
「どういう価値?」
杏奈は、バイザーを上げて拓也に顔を向ける。杏里とよく似た愛嬌のある顔立ちに、紅い口紅が妙に鮮烈だ。
ずっとメットを被っているのに、きちんと化粧しているうえに、汗で崩れてないとか、どうなんだと思ったが、拓也は口には出さなかった。
「三俣さんがドラゴンハンターになるんなら、教えてあげるけど」
紅く艶やかな唇の両端が、ニッと三日月型に上った。
「説明し出すと長くなるからやな。帰ったら夕飯のときにでも話してもいいやし」
ガントと杏奈も寄ってきて、会話に加わった。
「あまりご飯のときには、聞きたくないなぁ」
ベントがうんざりした顔で、鼻に皺を寄せた。
動き始めた蠍竜の後を追っているうちに、拓也たちは乗ってきたガントの荷車を停めておいた場所に戻った。
「じゃあ、私はこれで失礼します」
突然、西垣杏里がスーツ姿で肩からお辞儀をする。低い位置でバレッタでまとめられたポニーテールが、ぴょこんと揺れた。
蠍竜の谷の、出口である。潅木やむき出しの岩石の並ぶ山の中だ。舗装されてない砂利道が、白く山から都市へと伸びており、人工物も交通機関もない。
杏里は自信たっぷりの足取りで道の端まで行き、そこにしゃがみ込む。そして、地面から円く重たげな物体を持ち上げる。
来たときは気がつかなかったが、砂と埃に隠れるようにして円いマンホールがあった。
杏里はマンホール穴の縁に腰かけ、拓也に向かってにっこり微笑み、手をふった。
「それでは、またお困りのことがありましたら、お問い合わせください」
そして、するっとマンホール穴に滑り込むと、パタンと蓋が閉まった。
拓也は慌てて駆け寄り、マンホールの蓋をじっと眺める。
「どうして、日本の天守閣の城がマンホールの模様に……」
「どっかの自治体の街づくりで、余ったのをうちの建設部の社員が調達してきたんでしょう。日本への入り口で、わかりやすくていいでしょ?」
「ここに入ったら、日本に帰れる?」
拓也はマンホールのハンドルに手をかけた。
「座標を相互から合わせないと、向こうにはでられません。杏里が入った時点で転移が済みましたから、向こうの座標が消失していた場合、どの空間に出るかわからないわ。宇宙空間に投げ出される可能性もあるから、下手にあけないほうが良いです。吸い込まれたらおしまいだし」
こともなげに言ってのけると、杏奈はヘルメットを脱いだ。
こげ茶色に赤いストリーク染めのショートレイヤーの髪を指でかきあげる。
杏里よりも大人びた、いかにも活動的な美人だ。
四人でガントの荷車に乗り込んで、街へと向かう。街は急遽のドラゴン収穫祭で沸きかえっていた。煤とドラゴンの涎と、消火弾の白い粉にまみれた拓也は英雄扱いだ。
この喧騒に身動きひとつせずに眠り続ける(あるいは麻痺している)蠍竜に、花びらが投げかけられ、拓也たちにはパントラ女性のスカーフや色とりどりのハンカチがふられた。
この賑わいぶりを思えば、拓也に支払われた以上の収益が、蠍竜一頭だけでもガフン市にも、パンタラ国にも入るのだと推測できる。
蠍竜退治自体は、装備と用心さえしていれば拓也程度の体力でも可能なのだから、パンタラ人に武器の使い方を教えれば、いくらでも収穫できるだろうに、と拓也はぼんやりと思った。
その汗の跡の残る拓也の顔を、杏奈の意味深な笑みがのぞきこんだ。
「蠍竜は、繁殖力もそれほど強くないし、成長も遅いのよ。お金になるからってどんどん獲っていたらすぐに絶滅してしまうの。ドラゴンハンターにしてもね、有害指定されたドラゴンだけを狩るのよ。それぞれに捕獲していい年間の割り当てがあるのね。私たちは、お金目当てでやっているんじゃないのよ」
拓也は目をぱちくりさせて、三日働けば一年遊んで暮らせるドラゴンハンターの生活に期待を寄せていたことは、黙っておくことにした。
「この改造ライフルやロケットランチャーは、パンタラの人たちには使わせないんだな」
「魔法の道具ってことになっていてね。異世界の魔法使いにしかわからない原理ということになっているの。現地社員のパントラ人でも、使い道を知っているのは整備担当者だけ」
唇の片方をきゅっと上げて、杏奈は片目をつぶった。