「本当に……帰るのね?」
深緑の木々と木漏れ日の中、二人の少女が向かい合っていた。たった今その声を発したのは栗色のショートヘアをした、ちょうど少女と大人の女性の中間といった風の快活そうな女の子だった。彼女の肩にはモチーフが何なのかは定かではないが、丸っこいフォルムをした緑色のぬいぐるみが乗っている。
その言葉を受けて頷いたのは、彼女と向き合う形で立っていたもう一人の少女だった。まるでそれ自体が光を放っているように見えるほどに艶やかな金色の髪を長く伸ばしていて、腰までの長さのそれを三本の三つ編みにまとめて背中に垂らしている。身長は向かい合っている少女より幾分低く、顔立ちもやや幼い。全体的な印象としては眼前の少女より2、3歳ほど年下に見えた。彼女は柔らかな笑みを浮かべ、言う。
「ええ……故郷の危機に私の力が必要だと言われたのです……断ることは出来ませんよ」
少女の声は静かで、どこか何かをあきらめているような儚い響きがあった。するとそれに触発されたかのように第三の声がその場に響いた。それも予想外の場所から。
「でも、故郷では君は大罪人なんだろう!? 今回の話だって、本当はその君をおびき寄せて処刑するための作り話なのかも……仮に本当だとしても、その危機が去ったら、君は……!!」
少年のようなその声の主は、栗色の少女の肩に乗っていたぬいぐるみだった。ぬいぐるみが喋ったというのに、二人の少女は驚いた様子も見せない。金色の髪の少女はゆっくりと首を横に振ると、そのぬいぐるみに対して諭すように優しく話し始める。
「それでも……戻らなければなりません。私は……」
「あなたさえ良ければ、一緒に暮らすことだって……」
それ以上は言わせないとばかりに栗色の髪の少女が言った。もう一人の少女はやれやれと言う風に頭を振って彼女の顔を見て、そして思わず息を呑んだ。眼前の少女の瞳には、涙が浮かんでいたからだ。それを見た時、報われたような気がした。彼女の中で、自分はこれほどに大きな存在となっていたことが嬉しかった。
金色の髪の少女はすっと手を差し出すと、相手の手を握る。彼女がやっている格闘技のせいか、少し堅くは思えるが女の子らしい小さな手だ。その手が小刻みに震えているのが伝わってくる。
「ありがとう……でも、私は残ることは出来ないわ……故郷のためだから……私はいつだって故郷のために戦ってきた。あなたと戦った時も、あなたと一緒に戦った時も」
「でも、君は言ってたじゃないか!! この世界は、自分にとって第二の故郷だって!! だったら……!!」
少女の肩のぬいぐるみ、妖精が強い声で叫ぶ。その言葉を受けて金髪の少女は悲しく笑うと、そっとその頭を撫でてやる。
「そうね。でもこの世界を第二の故郷と出来たのは、第一の故郷……私の世界があるから。私はその世界があってこその私。だから、戻らなければならないの」
声は静かだが、その中には揺るぎない決意が感じられる。これ以上の説得は無理だろう。栗色の髪の少女も緑色の妖精も、どちらもそれを悟れるぐらいには彼女と長い付き合いだった。
ならば気持ちよく見送ってやろうと思って笑顔を作ったが……次の一言でその笑顔が強張った。
「それに、これ以上長居していつまでもあの人との関係が進展しなくても、あなたに悪いし」
「なっ!?」
栗色の髪の少女の顔が、耳まで紅くなる。そんな反応を楽しんでいるかのように金髪の少女はくすくす笑うと、さっとその手を振った。すると彼女の手から金色に輝く炎が吹き出した。その炎は渦を巻き彼女を中心として魔法陣のような紋様を描き出す。陣が描き切られると、それを構成する炎の輝きが一層強まったように思えた。そして、少女の体がその光の中に分解され、消えていく。
彼女がこの世界から去る時が来たのだ。少女もその肩に乗った妖精も、どちらもこの能力を見るのは初めてだが、直感的にそれを理解していた。
「元気でね」
妖精が手を振る。光の中に消えつつある少女は、それを受けて自分も手を振り返した。
「体に気をつけてね……」
泣きそうな笑顔で告げられた別れ言葉。彼女の体はどんどん光の中に消えつつある。多分、言葉を交わすことが出来るのはこれが最後。ならば、何か言わなければ。栗色の髪の少女は、出そうで出なかった言葉を吐き出す。
「あなたも元気でね……フェニーチェ」
「……嬢ちゃん、おい、嬢ちゃん!!」
「ん……」
思考の海に沈んでいた少女は、自分の体を揺すられる感覚と掛けられた声に、はっと意識を浮上させた。
見ると、海賊帽に肩に金のモールが付いたコート、眼帯、腰にぶら下げたカトラスや銃とどこからどう見ても海賊にしか見えない偉丈夫が自分を覗き込んできた。
「大丈夫か? ひょっとしてどこか具合でも? 今日は大事な日なのに、嬢ちゃんがそんな調子じゃあ……」
「ええ……大丈夫ですよ。ちょっと、昔のことを思い出してただけですから」
彼女は腰掛けていた大人二人は余裕を持って座れそうな椅子から立ち上がると、周囲を見回す。薄暗い空間の中には大小無数の計器が星のように光を放っており、その周りを忙しく大勢の男が動いていた。彼等は一様に大柄で首や足も太く、力も強そうである。無精ひげを生やした者や上半身裸の者もいて、荒くれという言葉がぴったりだ。
そんな男達だが、自分より頭二つは小さな少女と目が合うとぺこりと礼儀正しく頭を下げる。そんな荒くれに対して少女も同じように会釈して返す。
「陛下、宰相閣下から通信が入っています」
忙しく手を動かしてコンソールと格闘していた荒くれの一人が、椅子の上でわずかに体を動かして少女に言った。少女はすっと手を動かして繋げ、と指図する。
わずかに獣のうなり声のような音がして、真正面の一番大きなスクリーンに禿頭で彫りの深い顔立ちが石像を連想させる、初老の男が映る。この国の宰相だ。通信を繋げた男が前にしている計器の小さなスクリーンにも、同じ顔が映っている。
「宰相……何用ですか? 私は忙しいのですが」
<陛下……やはり此度の遠征、思いとどまってはいただけませんか?>
宰相の声には諦めの色がはっきりと出ていた。恐らくはこの通信も断られることを覚悟で繋いできたのだろう。それでも、宰相職にある者として言わなければならないことがあった。
<陛下はこの国の皇帝……如何に重要な任務であろうと、国政を離れて出陣されるのはどうかと思います>
そこまで言うと宰相の視線は少女のすぐ右に泳いだ。彼が見る先には、先ほど少女の意識を覚醒させた海賊風の男が立っている。
<此度の地球への遠征は、そこにおられるカリナ提督か……>
次にその視線が少女の左に泳ぐ。そこにはすらりとしたプロポーションをしていて、長い黒髪をポニーテールに束ねた女性が立っていた。
右に立っている男の華美な服装とは対照的に、飾り気のないその服装は見るからに丈夫そうな布で作られているのが分かり、それを重ね着している。その獣のように鋭い目は強い自信に輝いている。
<あるいは……ライエ大隊長のいずれかにお任せすれば十分かと……>
それは尤もな意見だ。宰相位にある者として、国のトップがいつ万一のことがあるかも知れない場に出ようとするなど、到底容認できることではないだろう。少女、フェニーチェもそれは十分に承知していた。だが、その上で彼女は首を横に振ってやんわりと言う。
「この遠征は我らの世界と地球、二つの世界の恒久的な安寧の為のもの。確かに地球への侵攻だけならこの二人でも可能でしょうが……征服が成った暁には、地球の民は私が統治する私の民となるのです。彼等は私を恨むでしょうが……」
フェニーチェは言葉を切って、一度嘆息する。覚悟してはいることだが、それを思うと心のどこかがちくりと痛む感覚がする。彼女はその痛みを意識から切り離すと、続きを語り始めた。
「……だからこそ、一時も早く彼等の民心を束ね、地球に平和をもたらすためにも私自らが行かなければならないのです。私とて二人を信じていないわけではありませんが……それでも、私自ら行かなければならないこともあります」
自分の主の言葉。静かだが強い決意を含ませたその言葉は、宰相にそれ以上の言葉を語らせなかった。説得は無理だと思っていたが、やっぱり無理だった。
「私がいない間、国のことはお願いしますよ」
<ハッ!! 陛下もご武運を!!>
臣下の礼と共に傅いた宰相のその言葉を最後に、スクリーンが艦内の状態を表示する映像に切り替わる。通信が切れたのだ。
それを見計らったようにライエと呼ばれた女性がフェニーチェに歩み寄り、言った。
「……決意が変わらないのなら……私が必ず、お前を護るよ、陛下」
上下関係も弁えないその言葉遣いをフェニーチェは咎めない。代わりに優しい微笑みを返す。
「頼りにしていますよ。ライエ。それに……」
フェニーチェの視線が、今度はカリナと呼ばれた海賊風の男に移る。その意味を受け取って、カリナはにやりと唇を歪めた。
「オウよ。俺も俺のヤロウどもも、嬢ちゃんを必ず守るぜ。どんな奴が来ても、指一本触れさせやしねぇよ。なあ、みんな!!」
カリナがそう言って周囲の荒くれたちを振り返ると、一斉に歓声が上がった。その声に押されるようにしてフェニーチェは全員の前に進み出ると腕を高く振り上げ、そして視線の遥か先を指し示すように、前方へとかざす。
「これより我々は地球への侵攻を開始します!! セントラル・トライピア!! 発進してください!!」
「おっしゃあ!! ヤロウども!! トライピア帝国皇帝御座艦『セントラル・トライピア』!! 地球に向けて進撃だ!! 今日は皇帝サマが乗ってんだ、安全運転で行けよ!!」
「「おおーーっ!!」」
一際強い歓声と共に、彼等が立つ空間全体に振動が走る。荒くれ達の中には思わず近くの出っ張りや台にしがみつく者もいた。その中でフェニーチェ、ライエ、カリナの3人は何でもないかのように直立の姿勢を崩さない。
さっきまで宰相の顔が映っていたモニターには、現在自分達のいるこの建物、いや艦に何が起こっているかが表示されていた。
今、外からこの建物を見ている者は否応なく強い驚きを感じているだろう。
帝都の中心にそびえ立つ最も荘厳な建物、皇帝府。その八方に広がった様々な区画があるものは切り離され、あるものは中央の巨大な建物の中に組み込まれていく。そうして轟音が鳴り止んだ時には、皇帝府は既に姿を変え、一つの巨大な空飛ぶ城へと姿を変えていた。
「それにしても……お前達『海の民』の操船技術は大したものだな。これほど巨大な……しかも異形の船まで動かすとは」
ライエはそこに畏敬の念がこもっているかのように呟く。言われたカリナはかっかっと笑い、彼女とフェニーチェを見た。
「ま、この程度当然だな。ウチのヤロウどもなら次元の海も一漕ぎよ。だがその技術が発揮できるのも、嬢ちゃん達『天空の民』がこの船をこさえてくれたからだな」
「その我らの技術も、ライエさん達『大地の民』が提供してくれた資源があるからこそ活かせるのですよ。さあ、向かいましょう。地球へ」
フェニーチェのその言葉を合図として、カリナはあごをしゃくる。その動作が更に合図となったのだろう。数人の荒くれがコンソールを叩く。
次元を渡る為の装置が作動して、艦全体に短く低い音が響く。その音が消えると共に皇帝府が姿を変えた船は、その巨大を別次元の空間へと滑り込ませていた。