第八話 三年生最悪の問題児
柊愛花と三国久美、乾深千夜は小学校時代からの親友だ。
見た目の印象も趣味も性格も随分違う三人だが、今でも不思議と気が合って、何かと一緒に行動している。
高校で全員同じクラスになった偶然をこの上なく喜び合ったのは言うまでもない。
その三人は今、古びた安物のソファーに並んで座っていた。
そして三人とも、特に愛花は緊張した面持ちで体を固くしている。
愛花の目の前のソファー(これもずいぶん古い)には初めて会う二人の人物が座っていた。
片方は鋭い目つきの男子。こちらを値踏みするかのように余裕の笑みを浮かべている。
片方は無表情の女子。背筋をピンと伸ばして座ったまま微動だにしない。
愛花はどんなふうに話を切り出そうか迷っていた。
(そもそもなんでここに来たんだっけ……?)
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「へーっ、聖凪最強を決める大会ね」
新任の生徒会長が大きなニュースを執行部分室にもたらした翌日の休み時間、愛花は久美とミッチョンにそのことを話した。
ミッチョンはさほど興味が無さそうだったが、やはりというか、久美の方は随分と関心が強いようだった。
「ちぇっ、あたしも三年生ならきっと出てたのにな。
今のあたしじゃどう転んでも勝ち目ないけどさ」
久美が大げさに溜息をつく。
「悔しいけど一年生代表が九澄で決まりってのは仕方ないもんな……。
あー、絶対いつかはあいつに勝ってやる」
「久美って九澄くんのことライバルだと思ってるの?」
愛花がキョトンとした顔をする。
「そりゃそうさ、身近にあんないい目標がいるんだから。
マッチョになるのが嫌で空手やめたけど、ここじゃ魔法を磨けば強くなれるんだ。
やる気出ちゃうよ」
久美が握り拳を作り笑みを浮かべる。その表情からは彼女の本気がにじみ出ていた。
「そっかー。頑張ってね久美。応援してるから」
「ほほ~う……」
途端に久美の表情がニヤニヤと意地の悪い笑みに変わる。
同じ笑顔でもさっきまでより断然品がない。
「愛花はさ~、あたしと九澄がバトルしたらどっちの味方をするのかなぁ~?」
久美が愛花にズイッと近寄って邪な顔で親友を観察する。
気がつけばミッチョンも久美と同じ顔でニヤついていた。
愛花の顔がカッと熱くなる。
「……そ、それはもちろん久美だよ。あたし達親友じゃない」
「ほんとにぃ~~~?」
「も、もう! どうしてそんな事聞くのよ~!」
愛花が目を回しているのを見て、久美とミッチョンは今日はこのぐらいにしといたろとばかりに一息ついた。
「ま、そん時はそん時考えればいいんじゃない?」
「う、うん……」
言われて愛花は、十年来の親友と一番親しい異性の友人とが本気で対決している画を思い浮かべる。
たとえそれがスポーツの試合のような恨みっこなしのバトルであったとしても、なんとなく心が裂かれるような嫌な気分がした。
できればそんな事にはなってほしくないと純粋な少女は思った。
「でもそういえば……」
愛花は話題を変えることにした。
「九澄くん、本当に大丈夫かな。
三年生のすごい人達が出てくるんだよ。大怪我とかしなきゃいいけど……」
「へーえ、九澄でもやっぱり楽に勝てる試合じゃなさそうなの?」
「うん、こないだ三年生の執行部部長の人に会ったんだけど……凄かったよ。
あたしなんかのレベルじゃ九澄くんとどっちが強いとか言えないぐらい……」
愛花の脳裏に"ウィザード"と呼ばれる執行部長夏目琉の見せた強さが蘇る。
自分では永遠に届かないだろうとさえ思えた圧倒的な力。
九澄大賀なら勝てるのだろうか?
断言できる材料はなかった。
「なるほどねえ。さすがは三年生、一年生にやすやすと優勝はやらないってわけだ」
久美が腕を組んでウンウンとうなずく。
そしてふと何かを思い出したように「あ」とつぶやいた。
「そういえば魔法格闘部の先輩が言ってたな……。
三年生にもう一人、凄い強者がいるって」
「すごいツワモノ?」
「そうそう、先輩たちが口をそろえて言ってたのよ。
『奴には絶対に手を出すな』『奴は三年生最悪の問題児だ』って……」
「へー、そんな人がいるんだ……」
愛花にしてみれば聖凪の生徒は基本的に良い人ばかりという印象だ。
ちょっと粗暴っぽくて苦手なタイプの人はいても、絵に描いたような『問題児』がいるという印象はない。
だから女子校育ちで男子に免疫がなかった愛花でも男子たちと仲良くなれているのだ。
まして三年生でそんな風に恐れられる人物がいるとは意外だった。
「きっとそいつも大会に出てくるんだろうなー。
それでさ、執行部長だったら勝つ時もきっとスマートに終わらせてくれるだろうけど、
そんな危ないやつに負けたら必要以上にボコボコにされちゃったりして……」
「ちょ、怖いこと言わないでよ久美……」
「あはは! でも実際ありえるかもよ。ねえ、一度偵察してみない?」
久美が目を輝かせる。
「え?」
「だから、九澄と戦うのがどういう連中なのか、いっちょ調べてやるってのはどうよ?」
愛花は目を丸くした。
「そ、そんなの危ないよ!」
久美はあっけらかんと愛花の反論を受け流す。
「ダイジョーブダイジョーブ。『校内新聞作るから取材させてくださーい』とでも言えばいいのよ。
まさか取材に来た下級生に暴力振るうなんてことはないでしょ?」
「それは……そうかもしれないけど……」
「それに、いい情報掴んであげたら九澄のやつ愛花にめっちゃ感謝してくれるかもよー?」
「く、九澄くんが……? うーん……」
久美は戸惑う愛花が考えをまとめるのを待たず、一気にまくしたてる。
「よし決まりっ! じゃああたしは魔法格闘部の先輩に色々聞いてくるから、今日の放課後は空けといてよ!」
言うが早いか久美は愛花の肩をポンポン叩いて、有無を言わせず決着をつけてしまった。
同時にチャイムが鳴ったのでその場はそれで解散となった。
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そして放課後、あれよあれよという間に愛花たち三人は三年生校舎の中の小さな一室で並んで座っていた。
眼前には一組の男女がこちらに向い合って座っている。
その中の一人が噂の問題児、新宮一真〈しんぐうかずま〉だった。
鋭い目つき、大きな口、逆立った短髪と隙のない雰囲気がどこか野生の猛獣――例えるなら虎か狼のような――を思わせる男。
私立進学校であるがゆえに育ちの良い生徒の多い聖凪の中では明らかに異質な存在だ。
相手がこちらに敵対心を向けているわけではない。
単にゆったり構えてこちらの言葉を待っているだけだ。
なのに愛花は言葉に出来ない威圧感を感じていた。
そのプレッシャーは執行部長のそれともまた違う、生々しいむき出しの感覚だった。
愛花はたまらず右隣の親友に助けを求める。
「久美……。代わりに何かしゃべって……」
愛花の泣き出しそうな顔を見ると久美とて拒否はできない。
やれやれと首を振って言葉を切り出すことにした。
「えー……っと、新宮先輩。例の大会については知ってますか?」
新宮が白い歯を見せて口の端をつり上げる。
「ああもちろんだ、最高の機会だよ。
全校生徒の前で俺の最強を証明できるんだからな。
……この時を待っていた」
その笑みは普段勇ましい久美でも腰が引けてしまうほど禍々しいものだった。
この男はなにかヤバイ。久美はそう直感しゴクリとつばを飲む。
「つまり……優勝は自分だと」
「当然だろう。下馬評は間違いなく夏目の野郎に集中するだろうが、勝つのは俺だ。
皆が見ることになる。"ウィザード"が惨めに敗れる瞬間をな」
ハッタリではないと久美は感じ取った。
聖凪高校の歴史の中でも指折りの天才、傑物と謳われる夏目琉に対して100%勝つつもりでいるのだ。
並の実力で持てる自信ではない。
あらためて目の前の男の力量を推し量った久美が次の質問に移ろうとした時、不意に新宮が立ち上がった。
「と、俺としたことが来客に茶も出さないのは失礼だったな。
ちょっと待っててくれ」
新宮は返事も聞かず部屋の奥に置いてあるポットに向かって歩いていった。
(えーっ、客にお茶入れるタイプなの?)
リズムを狂わされた久美はふともう一人の部屋の住人である女子生徒に目を留める。
黒髪ロングのポニーテール、細面の長身女性。
彼女は相変わらず背筋をピンと伸ばし座ったままだった。
無言、無表情。眼球すら動かさない。
よく観察すればたまにまばたきをしていることと、呼吸に合わせてわずかに胸が上下していることがわかる。
それがなければ人形かと見まごうほどその人物は静止していた。
「あの人全然しゃべんないよね……」
とミッチョンが呟く。
あんたに言われたかないよと久美は心の中で突っ込んだ。
その時脳裏にふと疑問が浮かぶ。
(たしか先輩たちはこの人が新宮一真の彼女だって言っていた……。
といっても、無口でおとなしいこの人を召使いみたいに従えていい気になってる酷い野郎だって……。
でもそれならなぜ、男の方が客に茶を入れてこの人は座ったままなんだろう?
どうもこの二人の関係はよくわからないな……)
久美があれやこれやと考えているうちに、当の新宮がお盆に五つの湯のみを載せて帰ってきた。
三人は差し出された緑茶を「あ、どうも」などと会釈しながら受け取る。
「彼女」は相変わらず無言のまま、「彼氏」を一べつすることもなく手だけを動かしてお盆の上から湯のみを取った。
「彼氏」の方も「彼女」の態度を気にする素振りも見せず腰を下ろして茶をすすった。
「さて、他に聞きたいことは?」
新宮が湯のみを置いて口を開いた。
「あのー、この部屋って先輩たちだけが使ってるんですか?」
今回質問したのは愛花の方だった。
「ああ、おれと沙耶……沙耶ってのはこいつのことな。
ちょうどいい空き部屋があったから使ってんのさ。
っつっても不法占拠じゃねえぞ。部活用ってことになっている。
部の名前は確か……あー……なんだっけかな。まあどうでもいいだろそんな細かいことは。
次」
なんだそれ、と久美は呆気にとられた。
その話は先輩から聞いてはいたが、いざ本人の口から聞いてみるとますますいい加減極まりない話だ。
なぜ教師たちや執行部はこんなことを見逃しているのだろう?
だがそれをここで聞いてもまともな答えは望み薄に思われた。
愛花も同じ考えだったのだろう。すぐに次の質問を尋ねた。
「えーっと、それじゃ……一年生の九澄大賀くんについて。
新宮先輩はどう思いますか?」
「クズミ……?」
新宮が眉をひそめる。とぼけている風ではない。
まさか本当に知らないのかと久美は驚く。
「あの……ゴールドプレートを持っている一年生です」
愛花が遠慮がちに答える。
「ああそいつのことか」
新宮はソファーの背もたれにドカッともたれかかった。
「別に興味ねえよ。俺の標的は夏目琉だけだ。
他の奴なんざ相手にしちゃいねえ」
久美はその適当な態度にイラッと来てしまう。
「そんな余裕かましてていいんですか?
先輩はまだゴールドプレートじゃないって聞きましたけど?」
それは挑発とも取れる嫌味な言い方だった。
愛花が慌てて久美をなだめる。
新宮は再びあの禍々しい笑みを浮かべた。
「ククク……プレートの色なんざで強さは決まりゃしねえよ。
プレートの"格上"なんざ俺は何人も倒してきたんだ。
奴が本当にゴールドプレートの持ち主だとしても……いや、"だからこそ"俺が負けるはずがねえ」
久美には新宮が言っていることの意味が全くわからなかった。
九澄がゴールドプレート"だからこそ"負けるはずがない? 何を言ってるんだこいつは?
「プレートの力にかまけた雑魚は脆いもんさ。付け入る隙なんざいくらでもある。
恥かくだけだから出るのはやめとけとお友達に伝えときな」
さすがにカチンと来た久美が何か言ってやろうと思った途端、勢い良く立ち上がったのは愛花だった。
「どうしてそんな事が分かるんですか!?
九澄くんは雑魚なんかじゃありません! きっとあなたにも勝ってみせます!」
「ちょ、愛花……」
ミッチョンが愛花をなだめようとするが、愛花は本気で新宮を睨みつけていた。
実力ではどう転んでも勝てない相手に全く引いていない。
新宮はヒュウ、と口を鳴らす。
「ククク、こんな可愛い子にここまで想われてるたぁ、結構な幸せモンじゃねえかそいつは。
まあ思ってた通り、取材とは名ばかりの偵察だったってわけだ」
「あ、いやあその……」
図星を突かれた久美は冷や汗をかく。
だが愛花は動じていない。
「あなたは九澄くんの凄さを知らないだけです。
馬鹿にしたことは取り消してください」
「やれやれ、こんなのは格闘技じゃお馴染みのマイクパフォーマンスとでも受け取って欲しいもんだがな……。
だがまあ、そこまで言うならちょいと試してみるか」
「試す?」
久美が眉をひそめる。
「おい、そいつは一年何組だ?」
「C組ですけど……それが?」と愛花。
「そいつが最強を決める大会に出るに相応しいレベルかどうか……俺がこの手で確かめてやろうって言ってるのさ。
悪い話じゃねえだろう?」
新宮は膝に手を置いてすっと立ち上がる。
そして隣の彼女に視線を落とし右手を伸ばした。
「思い立ったが吉日、だ」
女子生徒は視線を動かさないまま立ち上がって新宮の手を取り、何事か小声で呟いた。
直後、赤みがかったもやが一瞬で二人を包み込む。
新宮は愛花と目を合わせ明るく左手を振った。
「じゃあな」
バフッと空気が弾けるような音がした。
もやが瞬間的に周囲に広がって消えるのと同時に目の前の二人も消えていた。
「あっ……!」
愛花が身を乗り出すが、もうそこには誰も居ない。
テレポート、それも二人分を一瞬で。かなりハイレベルな魔法力なしには不可能だ。
「あの人九澄くんとバトルしに行ったんだ!
早く九澄くんに伝えないと……!」
「いやー間に合うわけないっしょ……」と久美。
「無駄無駄」とミッチョン。
「うう~そんな冷たいこと言わないでよ~」
先ほどまでの強気はどこへやら、愛花は泣きそうな顔になっていた。
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「あーあ、最近心も体も寒いなー……」
「俺達にゃクリスマスもバレンタインも無縁のお寒い冬がもうすぐやってくるのさ……」
「言うなよそんな事は……」
一年C組の教室で伊勢、堤本、田島の三人はダラダラとだべっていた。
モテネーズ定例会議という名の単なる傷の舐め合いである。
「いっそモテる努力なんてやめてよ、他の手を使うってのはどうだ?」
伊勢が声を弾ませる。
「なんだ他の手って……」
「どうせろくでもないことだろ」
「魔法だよ魔法! 召喚魔法とかさ~、きっとなんかあるはずだぜ! 理想の女の子を呼び出す魔法がよ!」
伊勢の力説に二人は溜息をつく。
「アホくさ……」
「諦めんなよ! どうしてそこで諦めるんだそこで! もっと熱くなれよ! ネバーギブアップ!」
「まじうざい」
田島がバッサリと切り捨てる。
「俺は諦めねえぞ! 理想の女の子と付き合えるその日まで……!」
伊勢は何やら両手を前方に突き出し力を込めて念じ始めた。
プレートにインストールしていない魔法は使えないとか、そういう常識はこの男には通用しない。
「黒髪ロングの清楚な美少女よ! 俺の魂に応えて……いでよ!」
その時だった。
伊勢の目の前で、ボンッという音と共に突然赤いもやが広がったかと思うと、そこから人間が現れたのだ。
それも黒髪ロングの女性が。
伊勢はあまりに突然の出来事に言葉を失った。
だがこれは現実だ。
天に想いが届いたのだ!
伊勢の理性は消し飛び、自分が召喚した女に猛犬のように飛びついた。
女の腰に抱きつき感涙にむせび泣く。
「うお~~もう離さね~~!!!
俺が召喚したんだ! これは俺んだ~~~!!!」
女は無反応、無表情。ビー玉のような温度のない目で伊勢を見下ろす。
伊勢はそんなことは気にも留めず涙を滝のように流した。
その時伊勢の肩を誰かが掴んだ。
伊勢は無視しようとしたが、そいつは骨が折れそうなほど強烈な握力で握ってきたので激痛のあまり思わず振り向いてしまう。
そこには悪魔のような恐ろしいオーラを纏った男がいた。
本物の殺意。
一瞬で伊勢のタマが縮み上がる。
「失せろクソガキ」
男は眉一つ動かさず静かにそう言った。
それだけで伊勢は失神した。