第五話 林間学校〈1〉
雲ひとつない快晴、青々とした美しい自然。
涼やかな秋風が吹く爽やかな山中、リュックサックを背負い体操着で整列する生徒達の中で九澄大賀は一人冷や汗を流していた。
(まずい、例によってまたなんの対策も取らずに来てしまった……)
今日は聖凪校外行事の林間学校。
九澄たち一年生全員が、地元から遠く離れた霧崎山の麓に集められていた。
表向きは普通の林間学校ということになっており、生徒達にも前日までそう知らされていたが、通常校外に持ち出し禁止の魔法プレートを全員が持たされたことからもこれがただの平和な山登りなどではないことは明々白々。
なんで事前に教えてくれなかったんだよと柊父を問い詰めたいところだが、どうせ適当にあしらわれるのは目に見えている。
その柊父が生徒達の前で演説をぶっていた。
「もうみんなわかっていると思うが、ここは普通の山ではない。
聖凪と同じく魔法特区の一つだ」
やっぱりな……という声があちこちから漏れる。
「とはいえ魔法磁場の強さは聖凪の半分以下。場所によってはもっと薄いところもあるだろう。
つまり普段通りのつもりで魔法を使っても効果は低いということだ。
逆に言えばそれだけ知恵と判断力、そして効率の良い魔法の使い方が試されるということになる。
……などと言ってはみたが、クラスマッチと同じく成績には関係のないただのイベントだ。
あまり気負わなくていいぞ」
生徒達にほっとしたような空気が流れる中、柊父の隣に立っていた大木"大先生"がマイクを受け取った。
二人の身長差は40センチ近くはありそうだ。もちろん小さいのは"大先生"である。
「ただし! 上位の班には素晴らしいご褒美が、そして最下位の班にはちょっとした罰ゲームを用意しているぞ。
ま、覚悟しておくんだな、ハッハッハ」
罰ゲーム、と聞いて九澄の脳裏に先日の忌まわしい悪夢が蘇る。
あの時は愛花の誤解が解けるのに数日はかかって死にそうな気分になったものだ。
とはいえ、班ごとの行動ならC組で最も優秀な九澄班(第6班)が学年最下位になどなるはずがない。
今回は楽勝だなと九澄は胸をなでおろした。
すると再び柊父がマイクを持つ。
「さて、バスの中で皆に配ったカードがあると思うが、それを見てくれ」
確かにここまでの道中どういうわけかすべての生徒に無地の白いカードが配られていた。
九澄がズボンのポケットに仕舞っておいたそれを取り出すと、そこには「17」という数字が浮かび上がっている。
なんだこれと訝しんでいるのは他の生徒も同じのようで、見れば人によってバラバラの数字がカードに浮かんでいるようだった。
「今日の目的の一つはクラスの垣根を超えた交流を持ってもらうことだ。
そこで同じ数字の持ち主とその場で班を組んでもらう。いつもの班行動とは違うドラマが生まれるわけだな」
(いいっ!? それじゃあ誰と組むことになるのかわからないのかよ!)
ぶっちゃけ愛花と組めさえすればそれでよかった九澄にとっては手痛いルールだ。
この上もし小石川などと組むことになったらギスギスして班行動どころではない気がする。
グチグチ言っても仕方がないので運を天に任せる他ないが。
「その札を天にかざすと数字が宙に浮きだして遠くからでも見えるようになる。
それを見て自分と同じ番号の持ち主を見つけて班を組んでくれ。各班の人数は三名だ」
試しにカードを頭上に掲げてみれば、なるほど「17」の数字が立体ホログラムのように飛び出して浮かび上がった。
周囲を見回して同じ17番を探す九澄。ちなみにやっぱりというか愛花は違う番号だった。
「お、17番見っけ! おーい、こっちこっち!」
手を振って人ごみをかき分けて数字の下に駆け寄る九澄。
そこにいたのは意外な人物だった。
「く、九澄!?」
「お、なんだ観月か」
どういうわけか観月は九澄の顔を見た途端耳まで真っ赤にして汗を流す。
「なななな、なんであんたが同じ班なのよ!」
「なんでっつわれても……単なるくじ運だろ。
そんなに嫌なら誰かと代わろうか?」
すると観月は九澄の視界を覆うほど接近してつばを飛ばした。
「べべべべ別に変わらなくてもいーわよ!
あんたが他の女の子に迷惑かけたら大変だから、しっかり『あたしが』見張っておきゃなきゃいけないでしょ!」
『あたしが』にアクセントをおいてまくし立てる観月の様子を見て、九澄は(俺嫌われてんのかな)と首をかしげた。
「それはそうとあと一人はどこだ?」
九澄があたりを見渡すと、背後にちょこんと小さな女子が立っていた。
「あのー、私だと思います」
黒髪ショートに丸メガネ、小柄で童顔な女子生徒が右手を遠慮がちに上げている。
その手の中の札からは17番の文字が浮かびあがっていた。
「おお、おめーがそうか! ……ごめん、名前なんだっけ?」
執行部員の習性として学年中の生徒の顔を大体覚えている九澄だが、こういう地味系の女子は穴だったりする。
見たことがある気はしても名前までは出てこない。
「……A組の初貝です」
ぎりぎり聞こえる程度のか細い声でその少女、初貝真由はそう答えた。
「ハツガイな。俺はC組の九澄」
「知ってます」
初貝は当たり前の事を言わせるなとばかりに九澄の言葉を遮って観月の前に歩み寄った。
「観月さん、よろしく」
「ど、どうも。よろしく……」
無視されたも同然の九澄はぽつんと突っ立ったままだった。
(……と……とっつきづらそうな奴だな……)
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オリエンテーリング。
それが今回の林間学校におけるメインイベントである。
ルールは非常にシンプルで、山中に置かれたいくつかのチェックポイントを通過して帰還する、その速さを競う競技だ。
多くの学校で課外活動の一環として行われているので知名度は高いが、本来はグループでおしゃべりなどしつつゆっくり歩くものではなく、オリンピック採用をも目指しているハードなスポーツだったりする。
当然意地の悪い聖凪教師陣がお気楽ハイキングを推奨するはずもなく、地図を渡された生徒達は一様に目を丸くした。
「先生、これ、まともな道がほとんどないのでは?」
F組の大門が手を上げて質問する。彼の隣に立っているのは九澄にとってお馴染みの黒髪セミロングの女の子。
(ひ、柊が大門と同じ組にいるゥゥゥゥ!!!???)
眼球が飛び出んばかりに驚愕する九澄を気にかけるのはずっと彼を見つめている観月以外にはおらず、柊父が淡々と質問に答える。
「ほとんどというか、全くないな。なにせ私有地だ。誰も整備するものなどおらん。
とはいえ別にそこまで険しい山でもない。地図とコンパスをしっかり見ながら焦らずじっくり進めば危険はないはずだ。
よしんば『何か』あってもお前達には魔法もあることだしな」
柊父がわずかに口の端をつり上げる。勘の良い者なら彼ら教師たちが何らかの「障害」を用意していることに気付いただろう。
無論九澄はそれどころではなかったが。
(大門の奴、くだらねーことしやがったらコロス……!)
ほとんど涙目になりながら遠方の優男を睨みつける九澄であった。
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「い、いやー。山の空気は気持ちいいよなあ!」
「……」
「……」
「虫の声を聴くと心が洗われるようだぜ!」
「……」
「……」
(か、会話が成立しない……)
山に入ってから30分あまり。九澄は森の中でテンションダダ下がり中だった。
ほぼ初対面の初貝と会話が弾まないのは仕方がないが、親しいはずの観月までほとんどだんまりというのはどういうことか。
見れば彼女はなぜか口をへの字に曲げ頬を赤くしてうつむいている。
もしや。
「風邪引いてるのか観月?」
「べ、別に引いてないわよ! 全然平気よ!」
一応元気のようだ。
いつもながらよくわからん奴だと九澄は肩をすくめた。
(あーもう! せっかく九澄と距離を縮めるチャンスなのにあたしってば何してるのよ!)
観月は自分の不器用さを恨んでいた。
神がくれたこのチャンス、無駄にしてなるものかと思いつつも、いざ何か言おうとすると固まってしまうのだ。
どうする。どうすればいい。
観月の頭脳はいつになくフル回転していた。
――例えば九澄がこんな風に話かけてきたとする。
(今日の観月……いつもより綺麗だぜ)
(あ……ダメよ九澄……初貝さんが見てるのに……)
(気にするな、今俺の瞳にはお前しか映っちゃいないさ)
そして九澄の唇が観月に迫り……
「カヒーーーーーーーー!!!!」
そこまで考えたところで観月の頭が沸騰した。
「や、やっぱりよく分かんねーやつ……」
九澄がポカンとしていると、背後から突然声をかけられる。
「あのー九澄君」
「うおっ!?」
ビクリとした九澄だったが、振り返ればなんのことはない。初貝だ。
「な、なんだ……いきなり話しかけてくるからビビった……」
初貝は九澄の失礼な言葉には反応せずマイペースで話を続ける。
「今あたしたちどのあたりにいるんですか?」
「あー、もうちょっとで一つ目のチェックポイントのはずだぜ。
そこまで行ったらちょっと休もうか?」
九澄は地図を広げながら答える。
ようやく会話が成立したのが少し嬉しい。
「あたしなら大丈夫です。あまり他の班に遅れたくありませんし」
「そ、そう……」
淡々と前に進む初貝の無表情を見て、やっぱりこの子話しづらいと九澄は思った。
とはいえあまり遅くなりたくはないというのは事実だ。
罰ゲームというのは内容がなんであれゴメンである。
しかも今回、班ごとに異なるチェックポイントが指定されているため他の班の動向はわからない。
なんとも意地の悪いレースなのだ。
(せめてルーシーを連れてくりゃ良かったな……
でもまさかこういう趣向のイベントだとは思わなかったからな)
いないものはしょうがない。
かくなる上はとにかく地道に進むのみ。
しばらく無言のまま歩いていると、森を抜けた先にチェックポイントらしき魔法玉が見えてきた。
ちょうど崖の下の日陰になっている場所だ。
「ちょうどいいや。ちょっとだけ腰下ろしていこうぜ」
九澄が日陰にある石の上に座り込むと、観月はしばらくためらったあと九澄のすぐ隣に座った。
それこそ手を伸ばせば肩を抱くこともできる距離だ。
九澄が真横の美少女をちっとも意識せずリュックから取り出したペットボトルの水を飲んでいると、なにやら強力な視線を感じた。
「……なんでこっち見てんだ?」
「べ、別になんでもないわよ」
「ふーん」
「……」
「……あのさ、お前今日俺のこと無視してね?」
九澄が迷いがちにそう尋ねるのを見て観月の血管が浮き出る。
なんだこの男は。本当になんにも気付いていないのか。
なんであたしがこんな男に振り回されないといけないんだろう?
観月は自分のわかりにくい行動は棚に上げて怒りを湧き立たせる。
だがそれでも、この眼の前の男の邪気のない瞳に見つめられると観月はそれ以上何も言えないのだった。
「そ、そういえば初貝さんどこ行ったんだろー?(棒)」
それは話題を変えるために無理にひねり出した一言だったが、実際初貝はいつの間にかいなくなっていた。
自分の言葉でようやくそれに気付いた観月は辺りを見回すが、小柄なショートボブの女の子などどこにも見当たらない。
「あれ? そういえばいねえな。まさか一人で先に行っちまったのか……?」
九澄も何も把握していないようだった。
これはまずい状況だ。班が揃っていないとチェックポイントの認証ができない。
そもそもこんなまともな道もない、おまけにどこにトラップがあるかもわからない山を、女の子一人で単独行動するなど危険すぎる。
「ま、まずいよこれ! 探しに行ったほうがいいんじゃ……!」
観月が腰を浮かせると、九澄が勢い良く立ち上がる。
「俺が行く! 観月はここで待っていてくれ! 全員バラバラに動いちゃもっとマズイ!」
「う、うん!」
九澄の真剣な表情と力強い言葉に観月は首を縦に振るしかなかった。
(あーあ、結局あたし九澄のこういう責任感が強くてちょっと強引なところに惚れちゃってるのよね)
腰を再び降ろしながら観月は溜息をついた。
惚れた弱みというやつはまったくどうしようもないのだ。
だが九澄が捜索を開始することはなかった。
ちょうどその時森の中から女性の悲鳴が聞こえたからだ。
「た、助けてーーー!」
叫びながら森から飛び出してきたのは初貝真由その人だった。
九澄たちの手前で膝に手をつきゼエゼエと息を切らせる。
「お、おい、どこに行ってたんだ。何があった?」
初貝が答えるより早く、今度は森の中から不気味な轟音が響いた。
何かが壊れるような大きな音に続いて一本の木がめきめきと唸り、ゆっくりと倒れた。
森の中から現れたのは、大型のヒグマほどもあろうかという見慣れない生物。
それは地球で知られているどんな動物とも違っていた。
サイを思わせるツノに虎のような牙。
ゴリラのような毛皮に覆われた二本足の猛獣。
いや、猛獣というよりも。
「モンスター……!」
観月が声を震わせる。
「お、おい、モンスターってまさか……!」
九澄の言葉に初貝が答える。
「……聖凪においては、人間に危害を加える恐れありとされる魔法生物のことを指します。
あのモンスターは前に図書室の図鑑で見ました。
確か……危険レベル5の"シーバン"」
「レ、レベル5って……そんなの一年生に倒せるわけないじゃない!!」
一年生の魔法力ならレベル2を倒せれば上出来だ。
以前の魔法授業で教師の一人がそう言っていた。
そもそも一年生は本格的な戦闘を経験することはないとも。
なのにレベル5のモンスターなど想像もつかない。
「そう……私達ではとても歯が立ちません。だけど……」
九澄は背中に2つの視線を感じ寒気を覚えた。
とてつもなくまずい事態になっている。
(九澄なら……!!)
観月はスーパーヒーローを見るような目で九澄の背中を見つめる。
九澄は全身から冷や汗が流れるのを感じた。
(どーすんだよこれ……!)
####
一昔前のロックギタリストの様な容姿に似合ってるんだかいないんだかわからないドクロのバンダナ。
いろんな意味で特徴的な魔法執行部1・2年生支部・支部長永井龍堂は、椅子に座って一枚の紙を凝視していた。
「……本気でこんな企画を通すつもりなのか?」
彼の前に座っている女子生徒が頬を緩める。
「もちろん」
何をアタリマエのことを、と言わんばかりのきっぱりとした返答。
永井は上目で女子生徒の表情を確認する。
栗色ショートのややクセのある髪に紅いメガネをかけた少女が楽しそうに微笑んでいる。
「根回しと準備は全部こっちで受け持つから、永井くんはなんにもしないで結構よ。
ただ邪魔をしないでいてくれればいいだけ。
自分がこの件に関われないことに文句なんて無いでしょう?
こういうの興味なさそうだもんね」
永井は苦々しく舌を打つ。
「俺は良くても不愉快に思う者はいるだろう。
特に伊勢の奴は絶対に納得しないはずだ」
「お構いなく。それもこちらの問題だから。
じゃ、そういうことでヨロシク」
席を立つ華奢な女子を永井は声で静止した。
「待て、本当にあいつがこんな話に乗ると思っているのか?
あいつが魔法をケンカの道具にしないことぐらいは知っているはずだ。
魔法をむやみやたらに使いたがらないということも。
まして全校生徒の見る前で力を誇示したりはしないだろう」
女子生徒は振り返らずに答えた。
「ま、人には色々事情はあるんでしょうけど……永井君、君だって見たいでしょ?
九澄くんの本当の実力をさ」
永井には否定できなかった。
むしろ確かにそれが自分の本音なのだろうと感じてしまった。
認めざるをえないのだ、この企画はあまりに魅力的に見えるということを。
「永井君は誰が勝つと思う……?
三年生の巨星たち?、怪物一年生九澄大賀? それとも……」
永井はゴクリとつばを飲み込んだ。