第三話 いつかこの日の思い出を
その日はまったくもって平和な朝だった。
きっといつも通りの日常が始まるのだろうという九澄の期待は、聖凪の敷地に入った途端裏切られることになる。
何事なのか、黒山の人だかりが校舎の前にできていた。
「なんだなんだ?」
九澄は手近にいたスケボーバンダナこと津川に声をかける。
「あっ九澄! あそこにすっげー可愛い子が来てるんだよ! 転校生じゃねーかな?」
「転校生?」
九澄が人ごみをかき分ける。
その中心には髪の長い女子生徒の後ろ姿があった。
聖凪の制服に身を包み、腰の下まで届くきらめくような金髪を持ったその少女が不意にこちらを振り向く。
その瞬間九澄は目を見開き絶句した。
「大賀ーーーー!!」
突然突進するような勢いで少女が九澄に飛びついてきたので、そのまま九澄は尻餅をつき押し倒されたような格好になってしまう。
女の子特有の柔らかい感触と甘酸っぱい香りが九澄を包んだ。
「お、お前まさか……」
少女は大きな赤い瞳をキラキラと輝かせる。
「そうだよ! ルーシーだよ大賀!」
「なぬーーーーー!!!???」
マンドレイクにして手乗りサイズの美少女ルーシー。
彼女が人間のサイズになって九澄の前に現れたのだ。
突然すぎる事態に九澄は顔を真っ赤にしてうろたえることしかできない。
しかも目の前の彼女は単に大きくなっただけでなく、外見そのものも中学生相当だった以前から超高校生級に進化を遂げ大変な美少女となっていた。
いかに九澄が愛花一筋といっても、こんなS級美少女に抱きつかれて平静ではいられない。
「九澄ぃ~こりゃ一体全体どういうことだ!」
伊勢が号泣しながら九澄を問い詰める。
そう言われても九澄にも説明できるはずがない。
「いや……うーん参ったな……。
おいルーシー! ちょっとこっち来い!」
「きゃっ♪」
大賀は身を起こして強引にルーシーの手を引っ張り走りだした。
人ごみを押しのけ脱兎のごとく駆けていく二人の背中に伊勢が叫ぶ。
「おい九澄どこ行くんだよ!」
「わりーな! 一時間目は遅れるって先生に言っといてくれ!」
後には茫然とする数十人の生徒が残された。
####
校長室。
「なるほど、それは珍しいことが起こりましたね」
「そんな呑気な話じゃねーよ校長先生! なんでこんなことになってるんだ!?」
「それはルーシー本人に聞いてみないと」
「ルーシー!」
マンドレイクの美少女は困ったように微笑んだ。
「それがあたしにもよくわからないんだ」
「なぬっ?」
ルーシーは目をつむり、自分の胸の上に手を置いて嬉しそうに微笑む。
「毎日願っていたの。人間になって大賀のそばにいれたらなあ……って。
今日目が覚めたら校庭の芝生の上にいて……」
ゆっくりとまぶたを開くルーシー。
「こうなってたんだ」
ルーシーが頬を染めて九澄を見つめると、九澄も釣られて顔を赤くしてしまう。
顔立ちそのものは以前とさほど変わっていないが、ぐっと大人っぽくなった上に人間サイズになったことで受ける印象が全く違っていた。
好み抜きの客観的な美人度でいえば、最愛の愛花ですら敵わないだろう。
(って、なにルーシー相手に見とれてんだ俺は!)
九澄は体ごと顔を逸らして唇を噛む。
片想いとはいえ、九澄にとって愛花以外の女性に目を奪われるのは浮気しているも同然なのだ。
「もーっ! 大賀ってば照れないでよーっ♪」
「ば、ばかっ! くっつなルーシー!!」
あらあらうふふと校長が目の前の青春ドラマを楽しんでいると、九澄がルーシーに抱きつかれながら机を叩いてきた。
「校長先生!」
「あら、どうしたのかしら九澄くん」
汗をたらす九澄に対し校長はのほほんと悠長に構えている。
「どうすりゃいいのかわからねえよ……」
「あら簡単ですよ。成り行きに任せてしまえば良いのです」
「いいっ!?」
校長はいつも通りニコニコと微笑んでいる。
「何事も経験、特に若い時分は経験こそが金銀財宝にも勝る財産となるのです。
その上で自ら道を選びなさい。
ルーシー、あなたはどうしたいのですか?」
ルーシーは九澄の首に抱きついたまま天井を見上げ、んーとしばらく考えこむ。
そして顔を赤らめながら遠慮がちにつぶやいた。
「あたしは……大賀と同じクラスに入りたいな……」
「もちろん結構ですよ」
校長は全く迷わず首を縦に振った。驚いたのは九澄だ。
「こ、校長先生! そんなことしていいの!?」
「構いませんよ。柊先生には私から説明しておきましょう。
今から二人で教室に向かいなさい」
「やったー! 校長先生大好き!」
今度は校長に飛びつくルーシーと裏腹に、九澄はこの先何が起こるのかと不安を感じた。
(だけどルーシーのやつ、くっついた感触はあったかくて柔らかくて……
……本人が喜んでるならまあいいかもな……)
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「アメリカから来ました、ルーシー・ドレイクです! みんなよろしくね♪」
うおおおおおおおお!!! とクラスの男子が一斉に雄叫びを上げる。
女子も大半が「綺麗!」「カワイイ!」「お人形さんみたい!」と、感嘆の声を上げた。
そんな中、ひとり愛花だけは呆気にとられていた。
「ルーシーちゃん……ウソ……」
間違いない、彼女だ。
どうやって大きくなったのかわからないが、マンドレイクのルーシー本人に間違いない。
愛花は自分がなぜこんなにも不安定な気持ちになるのかわからなかった。
どうしてルーシーと目を合わせることができないのかもわからなかった。
ただうつむいて顔を背けることしかできなかった。
壇上の柊が大きく咳払いをして教室を静める。
「あー、じゃあ最後列に席を用意しといたから、あそこに座ってくれルーシー」
柊が空席を指差すと、ルーシーは目をキラキラさせて柊の方を向いた。
「柊センセー! あたし大賀の隣の席がいいなー」
「む、そうか……じゃあ津川、お前が後ろに行け」
「はいいっ!?」
津川がガタンと立ち上がる。
「ちょ、先生、そりゃ強引じゃないですか?」
「津川駿、今学期の魔法成績Dマイナス……と」
「だーーわかりました! 移動します!」
渋々荷物をまとめて後ろに移動した津川に代わってルーシーが席に着いた。
隣の大賀を向いてにっこりと微笑むルーシーを見て愛花はますます平静ではいられなくなる。
あと少しで泣いてしまいそうな気さえした。
一体この気持はなんなんだろう。
愛花にとってルーシーは大切な友達だ。
彼女が人間ではないことは知っていても、本当の友達だと思っていた。
なのになぜ自分は、彼女が人間として現れたことにうろたえているのだろう。
なぜ九澄くんに笑いかけるその姿を見るのが辛いのだろう。
なぜ。
教科書を持っていないという理由で、ルーシーは授業中ずっと九澄の脇にぴったりくっついていた。
男子一同の嫉妬の視線を一身に浴びながらも九澄はそれどころではなく、ルーシーの甘い香りや色っぽい唇や見えそうで見えない胸の谷間から意識を逸らすのに必死だった。
(ちくしょう、柊父の企んでいることが手に取るようにわかるぜ……)
九澄は歯ぎしりした。
親バカ極まりない柊父は、自分とルーシーをくっつけることで娘から引き離そうとしているのだろう。
あの野郎の笑いをこらえる姿が目に見えるようだ。
しかしそんなこすい策略に乗る訳にはいかない。
俺の本命はあくまでただ一人なのだ。
でもルーシーってやわらけーな……いやいや。
どうにかこうにか一限目を終えると、クラス中の生徒達がどっとルーシーのもとに集まってきた。
皆口々に疑問を口にする。
一番の関心事はもちろん九澄との関係だ。
「ねえねえ、二人ともやたら親しいけどどういう関係?」
ルーシーはポッと頬を染めて自分の体を抱くように腕を組む。
その姿はちょっとそこらではお目にかかれないほど可憐でセクシーだった。
「大賀はね……あたしにとってこの世で一番大事な人。
大賀のためならあたし、どんなことだってできるんだ」
きゃああああああああ!! と女子から歓声が上がる。
「九澄くんってば隅に置けない!」「いやらしー! でも素敵!」とはしゃぎまくる女子たちを尻目に九澄は頭を抱えた。
モテネーズこと伊勢や提本は「憎しみで人が殺せたら……」と血涙を流していた。
「なあ愛花。これでいいのか?」
三国久美が親友の愛花に尋ねる。
「……え?」
久美の目には愛花の顔は生気を失っているように見えた。
「九澄のことだよ。このままだとあの転校生に持ってかれちまうよ?」
「そ、そんな……いいとか悪いとか、それは九澄くんの問題だよ」
無理に笑顔を作る愛花を見て久美は無性に腹が立ってしまう。
なんなんだあの男は。あれだけ柊柊言っときながらこの有様か。
一発ぶん殴ってやらないととても気が済まない。
久美が拳を固めると、それを察したもう一人の親友・ミッチョンこと乾深千夜が久美を睨みつけ、無言でたしなめた。
(だけどさミッチョン!)
(いいから)
友を想う気持ちはミッチョンとて同じだ。
だけどこれは愛花自身がどうにかしなければいけないこと、周りがでしゃばっていはいけないと彼女は思っている。
少し背中を押してあげるぐらいなら、いいかもしれないけれど。
「あ、あたしは平気だよ久美。……ごめん、ちょっと体調悪いみたいだから風に当たってくるね」
愛花は無理に笑って立ち上がり、不安定な足取りで教室の外に向かう。
声をかけられないまま愛花を見送った久美は、キッと表情を引き締めて教室中央の人ごみを押しのける。
「九澄!!」
言うが早いか久美は九澄の襟首を掴み強引に引っ張り上げる。
座っていた九澄が目を丸くして久美に向きあった。
「三国……?」
久美は怖いぐらいに真剣な表情で九澄を睨みつける。
「九澄! 今すぐ愛花を追いかけろ!」
「柊を? 柊がどうかしたのか?」
久美はその問いには答えず、九澄の尻を得意の空手で思い切り蹴りあげた。
バシッという気持ちのいい打撃音が教室に響き渡る。
「だおっ!!??」
「いいから行けっ!!」
「お、おうっ!」
尻を抑えながら九澄は教室外に駆け出していった。
ルーシーを含め残された皆はぽかんとしている。
ミッチョンは一人大きく溜息をついた。
「まったく……」
「このくらいでちょうどいいのよ、あいつらにはね」
久美は呆れる親友にニカッと笑いかけた。
####
「柊!」
廊下を歩いていると突然後ろから声をかけられて愛花はビクッと震えた。
振り向くとそこには今一番会いたくない人物がいた。
「九澄くん……」
「えっと……柊どうかしたのか? なんか具合悪そうだけど」
心配そうな九澄の顔を見て、愛花はなぜか無性に腹が立ってしまう。
考えるより先に言葉が口から飛び出す。
「九澄くんには関係ないよ」
違う。
「あたしなんかほっといて、ルーシーちゃんと仲良くしてあげたら?」
こんなことが言いたいんじゃない。
「カラオケの時、好きな人はルーシーちゃんだって言ったよね。
おめでとう、これで想いが叶ったね」
あたしは何を言ってるんだろう。
あたしは。
「違う!!」
九澄が叫んだ。
九澄は愛花の両肩を掴み、真剣に愛花の目を見据えた。
「俺の……」
「俺が本当に好きなのは……」
「好きなのは……!」
愛花の鼓動が早まる。
全身の温度が上がる。
息ができない。
時間が止まってしまったように。
「おま」
「九澄ぃいいいいいいい!!!」
誰かの叫び声とともに突然九澄が何かに引っ張られ、後ろにすっ飛んでいった。
愛花はなんの反応もできず固まったままだった。
「なっ……てめえ柊父! なんのつもりだオイ!」
「それはこっちのセリフだ! 掃除用具室の備品になりたいかオラ!!」
遠くで誰かが口論していた。
愛花の耳にはその音が届いていたが、脳はそれを聞いていなかった。
ただ呆然と、何も考えられず、その場に立ち尽くしていた。
####
昼休み。
九澄はルーシーと二人で食堂にいた。
「はい、あ~ん♪」
「できるかっ!」
フォークにポテトを刺したルーシー(箸は使えないらしい)のアプローチを、九澄は顔を赤らめながら拒絶する。
二人は相変わらず周囲から注目を浴びまくっていた。
今やルーシーの転入は一年生全員に知れ渡り、休み時間ごとに見物人が押し寄せる状況だ。
当然九澄に嫉妬する人間も際限なく増え続けている。
もはやいつ誰かの呪い魔法で九澄の心臓が停止しても不思議ではないともっぱらの噂だった。
(もちろん生徒にそんな危険な魔法は扱えないが……。)
一方でF組のとある女子生徒が卒倒して保健室に運ばれたという情報は九澄の耳には届いていなかった。
「もうっ、大賀ってばもっと楽しそうにしてよ~」
「それどころじゃないっつーの……」
九澄の気分はドン底だった。
さっきは思わず告白しそうになって親バカ教師に妨害されてしまったが、冷静に考えればあれだけきっぱり脈を断たれたのに成功していたはずがない。
(ルーシーちゃんと仲良くね、か……。トホホ……失恋決定だな俺……)
思えばこの学校に入った目的も、本物のゴールドプレート目指して魔法ポイントを集めようと決めた理由も、全ては柊愛花のためだった。
彼女の笑顔が見たい、彼女の夢を叶えてあげたい、そして願わくば彼女と一緒に……。
(終わったな、全部)
この先どうしようかと九澄は考えていた。
さすがに二度目の高校中退はマズイが、かといって今までどおり執行部の激務を続ける気にはなれない。
いっそ執行部だけ辞めて、手持ちの魔法ポイントでとっととアイアンあたりのプレートを取得して普通の生徒になろうか、そんな考えが頭をよぎる。
「大賀ってば!」
気がつくとわずか5センチ先にルーシーの顔が迫っていた。
「うわっ!」
九澄は思わずのけぞってしまう。
「もう、ぼうっとしないでよ大賀」
「わ、わりい……」
謝る九澄に対しルーシーは悲しい顔を浮かべる。
「やっぱり、あたしなんかじゃダメ?」
「……え?」
「あたしなんかじゃ愛花の代わりになれない?」
さっきまでのハイテンションが嘘のようにルーシーの目から元気が消えていた。
「……ルーシー……」
「あたしは大賀のためならなんだってできるよ。大賀はこの世で一番大切なひとだもん。
……だけど、大賀は愛花のことが好きだもんね。
あたしじゃ代わりになれないって、知ってるから……」
「……代わりじゃない」
九澄は静かに、だけどきっぱりとルーシーの言葉を遮った。
「え?」
何か喋ろうと考えていたわけではない。
ただ自然に言葉が溢れだす。
「お前は柊の代わりじゃない。誰だってそうだ。誰もあいつの代わりにはなれない……。
けどよルーシー。お前の代わりだってどこにもいないんだぜ?」
ルーシーは口を中途半端に開いたまま九澄を見つめている。
「お前はいつだって俺の味方だった。いつだって俺を元気づけてくれた。
お前は俺の大切な……そう、仲間だ」
これが本心。現時点での偽らざる九澄の心だ。
「仲間……」
「今はまだお前のこと異性としてとか、そんな風には見れねえけどさ。
でも俺はお前に会えて本当に良かったと思ってんだ。だから……」
九澄が優しく微笑む。
「ありがとな、ルーシー」
「大賀……」
ルーシーの頬が真っ赤に染まる。
小さかった頃にはなかった、自分の心臓の鼓動が聞こえる。
あたし、ドキドキしてる。
ルーシーは気付いた。
ああそうか。そういうことなんだ。
好き。
そばにいれたらいいとか、幸せになってくれたらいいとかじゃないんだ。
大好き。
あたしがあなたを幸せにしてあげたい。他の誰かじゃなくて、あたしがあなたを。
ねえ大賀。
「目をつぶって」
あなたのイチバンになりたい。
「え?」
「いいから!」
「お、おい……」
ルーシーは愛しい人の愛しい顔を両手で挟んだ。
この想い、伝わりますように。
彼女はそっと顔を近づけ、二人のシルエットが重なった。
その瞬間、ルーシーの体がまばゆく輝いた。
光は食堂どころか校舎さえも溢れて広がり、やがて聖凪すべてを包んだ。
ルーシーの体は光のなかに溶けていった。
####
「……」
「…………」
「……目が覚めたか?」
「あ……」
そこは見覚えのある景色だった。
少し前、大賀と二人でここを訪れたことがある。
目の前で宙に浮かんでいる、上半身しかない少年のような男もその時に会った人物だ。
色白の中学生のような見た目に反して御年102歳、聖凪高校の設立者である花先音弥その人である。
「キスの瞬間に魔法は解ける。古典的だがロマンチックなルールだろう」
「そっか……あなたがあたしに夢を見せてくれたんだね」
ルーシーは自分の姿かたちを確認する。
正真正銘、いつも通りのマンドレイクの体だった。
すべては目の前の魔法使いが見せてくれた幻だったということか。
「夢じゃないぞ、すべては現実に起こったことだ。
もっとも魔法が解けると同時に、ボクとお前以外の全員からこの日の記憶は消えてしまったけどな」
「そっか……」
ルーシーは自分の胸に手を当てる。
もう心臓はない。
なのにまだドキドキしている気がする。
「あたし、やっとわかったよ。自分の本当の気持ちが。
ありがとね、おじいさん」
ルーシーが微笑むと音弥は照れくさそうに笑った。
「やれやれ、孫を持つってのはこんな気分だったのかもな」
ルーシーは空に浮き上がって精一杯の笑顔で音弥に手を振る。
「あたし、いつか絶対大賀のイチバンになってみせるよ!
だから……またね!」
空の向こうに消えて行くルーシーを見届けながら音弥は感傷的な気分に浸っていた。
最初は単なる暇つぶしのつもりだった。
ヒトに恋するマンドレイクというレアクリーチャーに束の間の幸せを。
まさか自分がこうまで感情移入してしまうとは思わなかった。
あんなにも人間を愛する魔法生物を見たことはない。
あんなにも魔法生物に愛される人間もいない。
たとえ彼らが結ばれなかったとしても、願わくば彼女の命に幸福があらんことを。
「まったく、長生きはするもんだ」
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昼休みが終わって5限目のチャイムが鳴ると同時に津川は教室に戻ってきた。
大急ぎで『教室の最後尾にある自分の席』に座ろうとする……あれ? 俺の机どこ行った?
「なにキョロキョロしてんだ津川。お前の席は九澄の隣だろ」
田島に言われて津川はハッと我に帰る。
そりゃそうだ、なんで俺こんなところを探してるんだろう。
席についてふと隣を見ると、九澄がぼうっとしていた。
えらく気の抜けた表情だ。
「どうしたんだよ九澄」
「ん? いや……別に何もねーんだけど……なんとなく何かあったような……なかったような……」
(相変わらずたまにわけわかんねーこと言い出すなこいつ……)
同じ時九澄の横顔を見ている人物がもう一人いた。
見ている、と言うよりは見とれていると言ったほうが正しいかもしれない。
「んー? どうしたのよ愛花ー、九澄のことじ~っと見つめちゃって~」
「えっ!?」
愛花がドキリとして振り向くと、そこにはニヤニヤと怪しい笑みを浮かべる久美がいた。
愛花はなぜか無性に焦ってしまう。
「九澄がそんなに気になるのぉ~?」
「ち、違うよ。もう久美ってば……。
ただ……」
「ただ?」
愛花はもじもじと手を動かして小声でつぶやく。
「今日の九澄くん、いつもよりかっこいいかもって……」
「ほほお~~!」
久美がニヤニヤ笑いをさらに増幅させグイッと身を乗り出す。
「ち、違うってば! そういう意味じゃないよー!」
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その日はまったくもって平和な放課後だった。
九澄は執行部の日課として校内をパトロール中だ。
「大賀ーーー!」
聞き慣れた声がやってくる方を向くと、手乗りサイズの少女が手を振って飛んで来た。
「よおルーシー。どこ行ってたんだ?」
「えへへ~、秘密♪」
ルーシーは人差し指を唇に当てて上目遣いでウィンクした。
その仕草の不意打ち的な可愛らしさに九澄はドキリとしてしまう。
(あ、あれ? 俺なんでルーシーにドキドキしてんだ……?)
気恥ずかしくなった九澄はルーシーから顔を逸らす。
「あっちょっと大賀、待ってよぉー」
ルーシーは顔を赤らめて足早に立ち去ろうとする九澄を追いかけ、耳元でそっとささやいた。
「ねえ大賀」
「大好きだよ♪」