火竜の湯に来た翌日、ウォルフは二人に飛行機の操縦を教えながらアルクィークの村まで連れて行った。暫くここで生活するので、お隣さんへのご挨拶だ。
風石や布、コークスなど持ってきた荷物とアルクィークに頼んで採掘して貰っているこの地方でしか採れないレアメタルの鉱石や染料などとを交換し、また火竜の湯に戻る。
ティファニアは人の多いこの村に住みたそうにしていたが、シャジャルはこの一族のことを知っていたらしく、この地にはアルクィークしか住めない事も理解していた。エルフの特徴を示すティファニア達の耳を見てもなんの反応も無いアルクィークを気に入り、同い年くらいの子供とも積極的に話をして友達になっていたティファニアは残念そうだった。しかし、一時滞在なら別として恒常的にここに住む訳にはいかないのだ。
今度ウォルフがモーグラを一機持ってくるので、それが来たら泊まりに来ると友達になった子供達と約束していた。
まもるくんの設定方法なども教え、対岸の森で山菜やキノコや果物の採れる場所、平原で容易に獲れるギニーの調理方法などこの地で生きていくため必要な事を教え終わったウォルフが開拓地に帰ったのはこの地に来てから二日後、開拓地を発ってからは四日目のことだった。
「あああ、ウォルフ様やっと帰ってきた! お願いですから、連絡は取れるようにしていて下さい」
「緊急事態だったからしょうがないんだ。いなくなったって言っても中二日だけなんだから一々わたわたしないでくれ」
開拓地でウォルフを出迎えたのはマルセル。相変わらず頼りなげな様子にウォルフは苦言を呈した。遠話の魔法具を置いてきたのは万が一にもシャジャル達の行方を探査されることがないようにとの配慮だ。
色々と報告を受け、とりあえず今出せる指示を出すととたんにマルセルが生き生きと動き出す。どうもこの男は誰かの下じゃないと輝けないみたいだ。
「グレース達はどこ行ったの? 見あたらないけど」
「えっと、ガンダーラ商会からサウスゴータの工場の一部を移転するとの連絡があり、工場用地を視察に来ている方を案内しています」
「お、オレも行こう。誰が来ているの?」
「トムさんと言う方です。機械加工工場の責任者とのことですが、まだお若い方です」
「ああ、そいつオレが育てた奴だから、若いのは仕方ないよ」
ガンダーラ商会の事情には詳しくないマルセルが目を白黒させるが、気にせずウォルフは移動した。
トムは川港からほど近い広大な空き地でグレース達開拓団の係官相手に色々と注文つけているところだった。
「あ、ウォルフ様帰ってきたんですね。あの川港の桟橋ですが一つはウチの専用のものにしてくれるように言ってくれませんか? どうもここの人達融通が利かないみたいで」
「ですから、何で専用桟橋が必要なのか、理由を説明して下さいと言っているでしょう」
どうも揉めているみたいだった。どちらもウォルフが関わっているとは言え、開拓団と商会とでは全く別の組織だ。摩擦が起きるのはある意味当然と言えた。
トムが求めているのは港湾設備の占有権だ。何も、ただ独り占めしたいという理由ではなく、ガンダーラ商会の荷役作業が他の商会とは違うためだ。いつも新たな港に進出する時には港湾施設を一部占有して使用している。
ガンダーラ商会では一定以上の大きさの機械部品などの荷物はパレットと呼ぶ木製の荷役台に固定して流通させている。その他の木箱に入れて運ぶようなものも木箱を纏めてパレットに載せて輸送していて、そのパレットの移動に特化した形のゴーレムを使用して倉庫などもそれを前提にして作ってある。通常の荷物との共用は作業効率が落ちるので避けているのだ。
「パレットの説明なんて面倒くさいよ。ウォルフ様、いいでしょう?」
どうもトムは考えていることを言語にして相手に伝える能力に欠けているらしい。ちょっと説明すれば誤解が解けるのに、おかげでグレースが苛ついてしまっている。
「トム、ここの港はパレットを利用することを前提にして設計している。専用桟橋は必要ないと思うが」
「え、あ、そうなんすか? あ、でもクレーンとか…」
「当然設置済みだ。お前誰がここを開拓していると思っているんだ?」
「あー、うー、済みません、あんまり考えていませんでした」
クレーンもパレットもフォークリフトもコンテナも全てこの世界ではウォルフが開発したものだ。当然ここの港はそれらに対応している。専用桟橋を使うことが当たり前になっていて、何で専用桟橋が必要なのか気にしていなかった自分の考え無さに思い至り、謝罪した。
「まあいい。チェスターの工場の引っ越し先は決まったのか? ちょっとまだ決定内容知らないから教えてくれ」
「あ、はい。機械工場の内、設計開発と量産前試作や少数製作品の生産はこちらでやることになるそうです。あと、サラの化粧品工場も。まあ、これらは機密保持が重要ですからね」
「うん、まあ希望した通りだな。他には?」
「自動車は半分くらいのラインをツェルプストーに移転させて、樹脂製造プラントと活性炭の製造プラントはより大型のものをガリアのプローナに新設するそうです。織物や縫製など繊維関係は当面そのままで、アルビオンを第一候補にして移転先を探すとのことです。機械と自動車工場の残りも今のところ残すつもりみたいですね」
まだ完全移転の話は出る前なので移転計画は緩やかだ。いきなり施設だけを移転してもすぐに生産などは出来ないので、移転先で工員を育成しつつチェスターの工場を縮小して行くつもりだった。
「まあ、想定の範囲内だな。どう? みんな移住してくれそう?」
「機械工は割と前向きですね。もともと機械がなければせっかく身につけた技術も意味無いですし、ウォルフ様みたいに自分で一から旋盤作れるとも思えませんし。工場が移転するなら一緒に移住するしかないですよ。ただ、サラの工場の方は中々難しいですね。元々勤め先はいくらでもある水メイジ達ですし、あの化粧品の製法を狙って方々から引き抜き話もあるそうですから」
「うーん、ウチにも水メイジは多少いるけど、まだまだ足りないよなあ。製法を改良してメイジの関わる行程を少なくしないと。それに残った人が引き抜かれるのは問題だよな」
化粧品の製造は機密保持のため品目ごとに一つ一つの工程を細かく分け、それぞれ別人が担当するようにして、全体の工程を理解しているのはサラだけだ。隣が何をしているのか、お互い知らない状態で働いているし、付与する魔法もサラしか出来なかったりするので、何人かを引き抜いたとしてもいきなり化粧品をコピーするのは難しいようになっているという。
「はい。ですから、製法が流出しちゃうんじゃないかって商会長なんかはピリピリしています」
「まあ、コピーされたらされただな。サラがもっと良いのを作ればいいってことだ」
「……簡単に言いますね」
ウォルフにはあまり興味のない話なのでさらっと流す。
自分の所だけで科学技術を囲い込んで外に出さない、というつもりはウォルフにはない。特許制度がハルケギニア全土で施行されたらウォルフの持つ技術を公開しても良いのだが、特許制度の創設についてツェルプストー辺境伯とも話をしてはいても中々進んでいないのが現状だ。
そもそも特許制度は科学技術の発展には不可欠な制度だ。研究者が一人で開発できる技術の量など通常は限られているが、先人が開発した技術を公開することで後進は更にその先へと進むことが出来る。
人類全体の利益のために先人の利益を保証し、権利を守る事によって技術を公開しやすくする制度が必要なのだが、今のところガンダーラ商会の持つ技術が飛び抜けているために、権力者にとっては魅力的なものに思えないようだ。他人の技術など、盗み、奪う事が当たり前の世界では技術開発者の利益を守る必要なんて無かったのだから。
ツェルプストー辺境伯などはウォルフが口を酸っぱくして説明したのでその必要性は理解してくれているようだが、ゲルマニア一国だけで特許制度を導入しても意味がない。当面は商会内部だけの機密とし、漏れた分はしょうがないと諦めるしかないようだ。
トム達が帰った後、ウォルフはまた開拓地で溜まっている分を片付けてしまおうと、通常の仕事に戻った訳だが、暫くするとアルビオンから続々と悪いニュースが入ってきた。
マチルダの卒業式やティファニア達と東へ行ったのがヘイムダルの週(ティールの月第二週)だったのだが、その週はまずサウスゴータ伯爵の逮捕があった。まあ、これは想定内だ。
そして翌週エオローの週の始めにはサウスゴータ伯爵の追放決定に父ニコラスの逮捕と、更にはサウスゴータ議会の暴走とも言える工場の操業禁止通達という酷いニュースが続いた。
ちょっと開拓地に居続けられる状況ではなく、ボルクリンゲンまで移動して情報収集と対応策を探っていたのだが、更に翌週ティワズの週にはニコラスの爵位剥奪と追放が決定され、ウォルフは平民になってしまった。
アルビオン貴族の息子という肩書きが無くなり、ガンダーラ商会オーナー兼東方開拓団長の平民となったわけだが、それで何が変わるという訳ではない。タニアと連絡を密にし、今出来ることを一つずつこなしていくためボルクリンゲンで引き続き活動した。今回の対応についてツェルプストー辺境伯と相談してアルビオン側の空に艦隊を出して警備して貰ったり、簡易な艀を造ってアルビオンに送ったり、個人的にヴァリエール公爵からフネを借りたりとやる事は沢山あった。ティワズの週が終わり、フェオの月に入るとチェスターの工場の桟橋とロサイスの港が使用できなくなり、工場の機械を運び出すことは難しくなる。一隻でも多くのフネをアルビオンに送り、全ての機械と資材を運び出すつもりで、輸送船の手配に当たった。
ゲルマニア西部、ライヌ川の河口の街・ドルトレヒトの港にガンダーラ商会のフネが三隻アルビオンから到着した。チェスター工場移転に伴う設備と人員を輸送してきた両用船であり、アルビオンから最も近いこの港で船を交換するのだ。
このタイプのガンダーラ商会の両用船は風石エンジンによる推進器を搭載しているので航行速度が速く、FRP製のバラストタンクを採用している事により普通の両用船より積載量が多い。チェスターとゲルマニアとの往復にはこれを主に使用してとにかく荷物をアルビオンから運び出し、ゲルマニア国内の輸送は水上船でまかなう予定だ。
「ウォルフ様!」
工員や商会の孤児院の子供達と一緒にフネから降りてきたサラは、岸壁に出迎えたウォルフの姿を見つけて駆け寄った。
「サラ、無事で良かった」
飛びついてきたサラを抱き返し、そのダークブラウンの髪を撫でる。サラは暫く黙って撫でられていたが、やがて顔を上げて現状を報告した。
「私の化粧品工場は設備が小さめだから荷造りが早く終わったので、みんなより先に出発してきました。ニコラス様達はまだサウスゴータに残っています」
「うん。タニアに聞いた。とにかくみんなが無事ならそれが一番だよ。工場なんてまたやり直せばいいさ」
「ふふ、そうですね。これからは開拓地が私たちのお家になるんですよね」
「うん。向こうに家とかはもう用意させてある。おれも落ち着いたらすぐに向かうから」
少し涙目のサラを元気づけるように笑い掛けると、ようやくサラの表情もほぐれる。唐突に故郷を追われることになり、精神的にショックを受けていたのだろう。サラの母アンネはまだサウスゴータに残っているので不安だということもあるようだ。
最後に船から下りてきたのはウォルフの母・エルビラだ。息子の顔を見てどこかホッとした表情を見せたが、すぐにまた厳しい顔に戻って声を掛けてきた。
「ウォルフ、子供達は向かいの水上船に乗せればいいのですか?」
「ああ、母さん。そう、このフネはすぐにまたアルビオンへ向かうんだ。水上船も荷物を全部積んだらすぐに出港するから母さんはそっちに乗って」
エルビラはタニアに頼まれてこのフネの護衛に就いていた。ウォルフが妹ペギー・スーの誕生祝いに贈った鎧を身につけて周囲に鋭い視線を送っている。
この鎧はウォルフがチタニウムなどで作った趙子龍鎧と呼んでいるもので、鎧の内側に赤ん坊を格納することが出来、しかもその内側はアルクィーク族の袋を参考にして快適な状態が常に保たれる機能が付いている。はっきり言ってネタとして作ったのだが、まさか着用してもらえる日が来ようとは思っていなかった。もちろん、今もその鎧の内側ではペギー・スーがすやすやと寝息を立てている。
ニコラス達も一緒にこのフネに乗る予定だったのだが、ロンディニウムの魔法学院を退学になったクリフォードが帰ってくるのを待つのと、タニアから陸送部隊の護衛を依頼されたためにサウスゴータに残っている。
クリフォードは酷く落ち込んでいるとのことだ。新学期になったら使い魔を召喚する事を楽しみにしていたのに、まさかの退学だ、無理もない。とにかくニコラス達と合流してアルビオンを出るつもりで、その後のことはまだ何も決めていないと言う。
「タニアさんに頼まれているので開拓地までの護衛はしますが、送ったらわたしはこちらに戻ってこようと思っています。開拓地は安全なのですよね?」
「あ、うん。今のところアルビオン関係の間諜は入っていないと思う。モーグラでラウラに迎えに行かせるから、帰りはそんなに時間が掛からないで帰って来られるはず」
「ここに来るまでに二隻程空賊のフネを燃やしました。何者かがけしかけているようです。更に多くの船団も確認しましたし、以降のフネを安全に航行させるために対策をとる必要があるわ」
「うん、次の便は十隻以上の船団になるけど、オレが護衛に付く予定」
「そう……大丈夫なのですね?」
「最初はガリアやゲルマニアにそれぞれフネを降ろすつもりだったけど、怪しい動きがあるって事で一旦ゲルマニアに全て降ろすことにしたんだよ。纏まってた方が守りやすいし、多分大丈夫。近づかせるつもりもないよ」
ニコラスの逮捕から十日以上経っているが、ウォルフはこれまで一度もアルビオンへは入らず、工場移転問題の対策に奔走してきた。ようやく段取りは全て終わり、あとは計画通り工場を空にしてそれを安全に空から降ろすだけだ。
ツェルプストー辺境伯の艦隊が警備していたにもかかわらずアルビオンから離れる時に襲われたそうだが、最初の便にはエルビラを乗せていたおかげで事なきを得た。エルビラもさすがに鬱憤が溜まっているので、襲った相手は哀れな事になったそうだ。今回は随分と辺境伯に働いて貰っているが、貸しがあるので問題はないと思っている。ボルクリンゲンにチェスターで操業していた活性炭の製造プラントを降ろすことにした事だし、ツェルプストー辺境伯にとって今回の事件はメリットが多いはずだ。既に決定していた自動車工場の生産ライン半分ほどと併せてずいぶんとボルクリンゲンの工場が大きくなることになったが、その程度は仕方のないことだと言える。ちなみに、機械製品の工場と自動車工場のもう半分の生産ラインをどこに移設するかという問題については、まだ決まっていない。
細々としたやりとりやゲルマニア政府との調整もあり、ここ一週間程ウォルフは寝る間無い程の忙しさで随分とストレスが溜まっている。エルビラに答える顔は随分と危ない笑顔になってしまった。
サラやエルビラ達を見送った直後、タニアから船団の出港準備が調ったとの連絡が入った。
「じゃあ、行きますか」
ウォルフは飛行機の装備を確認するとコックピットに乗り込み、故郷アルビオンへ向けて出撃した。