「で、どうなのだろうか。エインズワース会長は君がオーナーなので、君の判断を尊重すると言っていたが」
タニア逃げやがったな、とウォルフは毒づきたくなったが公爵の前であり、堪えた。
ウォルフは虚無に目覚めたルイズを連れて、ラ・ヴァリエール公爵の待つホテルへと来ていた。ルイズはまだぼやっとしていたが、今は自分の部屋で荷物をまとめている。
ここに来る時間を伝えていたので、当然タニアもこちらに来るのかと思っていたが、裏切られた。
仕方なく、圧力を強める公爵に一人で説明する。オブラートにくるんだソフトな言い方が苦手なので、本当はタニアにいて欲しかったのだが。
「機密保持のため『sara』の開発者を国外に出す事は了承できません。これまで当商会にその機密を盗もうと潜入してきた間者の数は二桁を優に超えます。ご理解ください」
「ううむ……こちらで完全武装の戦列艦に竜騎士隊を用意して道中の安全には万全をつくす。勿論アルビオン政府への根回しも怠るつもりはない。始祖に誓って機密保持には協力する、頼む……娘を診させて欲しい」
「申し訳ありません。道中だけの安全ではなく、その後の安全保持にも関わってくる問題なのです」
アルビオン政府に話を通してトリステインの戦列艦が来たりしたら、それだけで大騒ぎだ。それに、なんと言われても他人のためにサラを危険に曝すつもりは無い。サラはまだラインメイジで、十二歳として常識の範囲内の能力しか無いのだ。
「……私は、娘が健康になるのなら、どんな可能性でも試してみたいと思っている。あの化粧品は本当に凄い。あれを開発したメイジならば、何か娘の病気について分かるかも知れないと思っている。頼む、娘の命を救ってくれとは言わん、試すだけでも良いんだ」
ラ・ヴァリエール公爵がウォルフに頭を下げる。始祖の血を引くトリステインでも一二を争う名門の当主が、アルビオンの男爵の倅に頭を下げるなんて普通はあり得ない。
公爵の本気をまざまざと感じ、ウォルフは溜息を吐いた。
「……頭をお上げ下さい、公爵。開発者を行かせる訳には参りませんが、代わりにわたしが娘さんの状態を確認するというのなら、受け入れる用意がございます」
「君が? こう言っては何だが、君は火メイジではなかったか? たしかに、ルイズを虚無と見抜いた眼力は認めるが……」
「まあ、確かに火メイジですが、水の系統もある程度は使えます。いいですか? 《コンデンセイション・ラグドリアンウォーター》」
ウォルフが呪文を唱えると部屋の水分が凝縮し、魔力を帯びたラグドリアン湖の深みに眠る水となった。パッと見には普通の水であってもメイジ、それも優れた水メイジでもあるラ・ヴァリエールにはその水の特異性は一目で分かる。
「と、この程度には」
「ば、馬鹿な、こんなものをあっさりとメイジが作れるなんて…」
「それと、あの化粧品の開発中はずっと相談に乗っていましたし、あれらは全て私でも作れます。正直に言って、私が診て何も分からない状況でしたら、その開発者が診ても治療できる可能性は低いと思います」
ウォルフが部屋のコップに入れたラグドリアンウォーターを呆然と見ていた公爵であったが、治療できる可能性、の言葉にウォルフの方へ振り向いた。
「君は一体何者……いや、いい。君が何者であろうとも、問いはしない。あらためて頼みたい、カトレアを診て欲しい」
「どのような病状なのかは分かりませんが、私に出来る事があるのなら最善を尽くしたいと思います」
「ありがとう、よろしく頼む」
差し出された手を握り返し、がっしりと握手をする。分厚く、温かい掌だった。
公爵達が帰るのに飛行機で送る事も出来たが、尋ねてみたところ従者達もいる事だし来た時と同じロサイスからラ・ロシェールへのフネで帰るという。それだと時間が大分掛かるのでウォルフは付き合っていられない。来週、公爵達が帰ってからウォルフが訪れる事を約束した。
「その日の午後にツェルプストーから飛行機で飛んで行きますので、国境警備の竜騎士達に伝えておいて下さい。銀色の機体だと言えば分かると思います」
「……問わない。問わないぞ、君が何者だろうが、どこから来ようが」
最近ウォルフが乗機にしている飛行機は開発中のジュラルミン製のものだ。表面は塗装を省きアルミニウムの地肌を磨き上げているので銀色に輝きよく目立つ。最近はその高速性能と光り輝く機体でライトニングなどと呼ばれているものだが、ボルクリンゲンなどで離発着をする度にラ・ヴァリエールの竜騎士が反応しているのは分かっていた。
ウォルフやガンダーラ商会がツェルプストーと親密である事にはラ・ヴァリエール公爵としては引っ掛かるものもあるのだろうとは思うが、受け入れて貰うしかない。
「あ、そうだ。そう言えば、ミス・ルイズが虚無に目覚めました」
「……まだ黙っていて欲しかったのだが」
「ええ、そう聞いていたのでこちらもそのつもりだったのですが、『ディテクトマジック』を教えたら自分で気が付いてしまいました。まだちょっと混乱しているようですので、フォローをお願いします」
「そ、そうか。妻と相談してから伝えるつもりだったのだが、何か、特別な教え方でもしたのですかな」
「うーん、虚無のメイジの『ディテクトマジック』は我々普通のメイジのものとは違うようですね、より根底で世界と繋がっているようです」
「ふうむ。虚無メイジがどんな魔法を使うかなどは何も伝わってはおらん。この先ルイズはどうすればいいのか、難しいな」
「わたしもちょっと今回は虚無メイジの特殊性を思い知らされました。『ディテクトマジック』は危険性もあるかも知れないですのでちょっと様子を見た方が良いかもしれませんが、もしかしたら自分でスペルを覚えるようになれるかも知れません」
今回ルイズが『ディテクトマジック』を使用した後、様子が少しおかしかったので体を調べてみたら熱を出していてさらに低血糖に陥っていた。どうも得られた情報が多すぎて脳が過剰に働いていたようだ。
『ディテクトマジック』で得られる情報は、それと意識できるものばかりではない。世界観が変わる程の情報を一気に処理したであろう脳は発熱して疲弊していた。
「自分で、とは?」
「そのままです。ブリミル様は虚無のメイジとして空前絶後、虚無のスペルも自分で作ったと言います。同じ虚無のメイジのルイズならば同じ事が出来る可能性があります」
「それは、ブリミル様が特別だからじゃないのか? 一からスペルを作るなんて不可能だろう」
「ディテクトマジックを掛けていたときにルイズは歌のようなものを聞いたと言っています。粒理論に基づくこの世界でもっとも小さな粒、その波動をルイズが聞いたのだとしたらそれは虚無のスペルなのかも知れないです」
「うむむ、それならそれで大変な事だな」
素粒子とは粒であり波動でもある。その波動の性質に関与できるのが虚無のメイジならば、この世界の真実に触れ、干渉するスペルを作る事が出来るはずだとウォルフは考えている。
二人で腕を組んでうなっていると、ドアがノックされてルイズが部屋に入ってきた。
「父さま、支度が出来ました」
「うむ。では、馬車も待たせているし、出発するか」
ホテルの車寄せで馬車に乗り込む公爵親娘を見送る。最近は個人では自動車を導入する貴族も増えたが、全体で見るとまだまだ馬車の方が圧倒的に多い。
「では、ウォルフ君、来週また会えるのを楽しみにしている。ルイズの件も含めて、報酬はその時に話し合おう」
「はい、楽しみにしています。公爵もお気を付けて」
「何で家に来る事になってるのか分からないけど、また魔法を教えてくれるの?」
「あー、分からない。もしかしたら時間が取れないかも知れないし」
「その……今回は本当にありがとう。ちょっと、系統はアレだけど、魔法が使えるようになったのは凄く嬉しいわ。ウォルフは私の系統、すぐに分かっていたのよね?」
「もちろん。そうじゃないと中々成功させられなかったと思うよ。魔法については今度、研究に付き合ってね? 楽しみにしてるから」
「そそそ、そうね、研究は必要よね」
ニッコリと笑うウォルフに何故か腰が引けるルイズ。ウォルフのサイエンティストとしての気質はまだ知らないはずなのだが、分かってしまうものなのらしい。
馬車を見送ると商館に顔を出し、チェスターの工場にも行って溜まっている仕事をこなした。今回の休暇はのんびり出来る予定だったのに、思わぬ事態でいつもよりも忙しくなった。ウォルフがド・モルガン邸に帰り着いたのはもう夜中になろうとした時間だ。
「あー、やっぱりここにいた! 一緒にお風呂入りましょうって言ってたのに何一人で入ろうとしているんですか! わたしずっと待っていたんですよ!」
「だーっ! サラももう十二歳になったんだろう、どうして一人で入れないんだ!」
ようやくたどり着いたサウスゴータのド・モルガン邸で、ウォルフが風呂に入ろうと脱衣所で服を脱いでいるとサラが突入してきた。
ずっと一緒に風呂に入ってきて、そろそろ自立させようとしているのだが、中々言う事を聞いてくれない。
「やだって言いました。一緒にお風呂に入る夫婦は仲が良いのです。私とウォルフ様も仲が良いのだから一緒に入るのです」
どこで聞いたのか豆知識を披露しながら、すぽぽぽぽーん、と服を全部脱ぐとウォルフの背中を押して一緒に浴室へと移動した。
かぽーん、と桶を置く音が響く中、二人は湯船に並んで入る。結局いつも通りの入浴になり、ウォルフはサラの髪を洗ってやって、互いに背中を流しあった。
「はー、いいお湯…」
「……」
「……ウォルフ様またすぐ遠くに行っちゃうんだから、帰ってきたときくらい一緒にお風呂入っても良いじゃないですか」
ウォルフがどう説得しようか考えていると、サラの方から話を振ってきた。不満そうに口を尖らせている。
東方開拓が始まってから、サウスゴータには中々帰って来れていない上に、今回の休みは昼間も別行動が多かった。なるべく一緒にいたいというサラの気持ちは分かるが、そろそろ二人とも思春期だ。男女の別を付けておいた方が何かと良い。その内恥ずかしがるようになるだろうと思って放置していたのに一向にその気配はなく、いい加減心配になってきた。
「いいか? サラ。何故世の中で女性の裸というものに価値があるのかを考えるんだ。美人のシャツはちょっとはだけたくらいで男どもの視線を釘付けにするし、裸婦画をこっそりとコレクションする貴族も多い。女なんて全人類の半分もいるんだからその裸なんて世の中で最も珍しくないものの一つだってのに」
「それは男の人がスケベだからですよ。アンおばさんが言ってました、男の人はみんなスケベだって」
「男がスケベであるのは否定しないが、裸を見たがるのは女性が肌を隠すからだ。隠されれば見たくなる、という男のフロンティアスピリッツを利用して女性はその価値を吊り上げてきたといえるんだな」
「ええー! スケベな目で見るから隠すんですよ。何言ってるんですか」
「男がスケベじゃないと子供が生まれない。大昔は男女とも裸で暮らしていた。子供が生まれる確率を上げるため、男のスケベ心を最大限に盛り上げるという目的を持って女性は肌を隠すようになったんだ」
「……それとお風呂入るのと何が関係有るんですか?」
「サラの将来を心配しているんだ。このまま恥じらいを知らずに育ったら子供が作れなくなってしまうかもしれない」
「ええっ!」
サラにとって衝撃の新事実だ。子供に囲まれた幸せな家庭を持ちたいと思っているのにそれが出来ないなんて。
「で、でも、パオラさんってあの歳でベルナルドさんと一緒にお風呂入るくらい仲良くて、この間子供が生まれたじゃないですか」
「夫婦で入っているのは奥さんが恥ずかしがっているのがいいんだ。一緒に入っていると言っても、恥じらう事が無くなった夫婦に子供は生まれない」
「そ、そんな…じゃ、じゃあわたしも恥ずかしい振りをすれば良いんですか?」
「確かに世の中にはそういう演技が得意な女の人もいるけど、サラには無理だろうし、そんな女にはなって欲しくないな」
「うううー」
「今度アンおばさんに聞いてみろ。男の前ですぽぽぽーんと全裸になる女の子に子供は作れるでしょうかって」
「ぐぅ……ぶくぶくぶく……」
確かにそこだけ言われるとサラにもその行動が女の子として間違っているように思えてくる。物心付いたときからずっとそうしてきた訳だし、これまで考えた事など無かったが。
鼻まで湯に沈みながら悩む。答えは、見つからなかった。
翌日早速事務員のアンにこっそりと問い質した。二人で仲良くお風呂に入るのは間違っている事なのでしょうか。
最初はサラの突飛な質問に面食らっていたが、アンにはウォルフの懸念している事がすぐに理解できたので大仰に溜息をつくとウォルフを支持した。
「確かにウォルフ様の言っている事が正論だね。そんな女の子じゃあ子供が出来ないって事は無いだろうが、望まない結婚をする事になりそうだ」
「ええー、そんなあ…」
もうサラは半泣きだ。自分の行動の何がそんなに間違っているのか分からない。
「いいかい、サラちゃん。男ってのは追えば逃げるし、逃げれば追うものなんだ。どうやって男に追わせるかってのが男女の間では一番重要な事なんだよ。相手がいやがっているのに裸で押しかけるなんて論外だね」
「は、裸で押しかけてました! どどどどうすればいいのでしょうか?」
「女の裸ってのはメイジの杖と一緒さ。一番大事なものなんだ。メイジの決闘でいきなり杖を投げつけて勝とうとする馬鹿はいないだろう? 武器として使うなら女の涙くらいにしておくべきさ。こっちは、まあ、多少乱発しても大丈夫だからさ」
「確かに……はっ、そう言えば一昨日ウォルフ様がなんか外国の女の子を泣かせていました! あれって、武器なのでしょうか?」
「おやおや、サラちゃん、その子は危ないよ。外国の女ってだけで男にはミステリアスに映るもの。ミステリアスな女はいつだって男の心を捕らえて放さないものさ」
「ううー……」
「その上で涙だろう。女の涙なんて男の心を縛り上げるロープみたいにも使えるからねえ、ウォルフ様はもう捕まっちゃったかねえ」
「ぐすっ」
遂に涙がこぼれる。メイド仲間の報告によりウォルフが昨日もその女の子をこそこそ連れ込んでいた事は調べが付いていた。虚無のメイジだからなどと説明はされたが、ウォルフは時々ホラを吹くので疑念は募る。
自分が考えなしにいた事が取り返しが付かない事態を招いたような気がして、唐突に不安がサラの胸を襲ったのだ。
その涙を、アンは両手の親指で拭って笑いかける。
「くすっ、冗談さ。そんなぽっと出の女の子がウォルフ様の心を捕まえられるわけはないだろ? サラちゃんには今まで紡いできた絆があるんだからどーんと構えていれば大丈夫さ」
「ほんどうに、ぞうだのでじょうがー?」
「大丈夫、ウォルフ様の落ち着き方は半端じゃないからね。あたしらにだって年上に思える時があるくらいさ。そんなに簡単に恋に落ちる訳は無いよ」
「……」
恋とは違うかもしれないが、アン達にもウォルフがサラをとても大事に思っている事はよく分かっている。サラが泣くのであれば、そんな女などすぐに放り出して来るであろう事を確信するくらいにはウォルフの事を理解していた。
「それにウォルフ様が一緒に風呂に入らないようにって言ってきたのは、もう子供同士の関係じゃなくて、大人の関係になろうっていう意味なんだよ?」
「えっ……? 大人の、関係……」
「そう。結婚もしていない男女は一緒にお風呂なんて入らない。サラちゃんはもう子供じゃなくて結婚前の女の子になったって言っているのさ」
「結婚前の、女の子……!」
その瞬間、サラの顔がボンッという音が聞こえそうな勢いで真っ赤になった。
「え、結婚だなんて、そんな、まだ、わたし……」
俯いて指先をもじもじさせながら、ごにょごにょと何か呟いているがアンには聞き取れない。こんな可愛い子を放って置いて余所の女にうつつを抜かす分けなんて有るはずないじゃないか、とアンはほほえましくその様子を見守った。
この日以降サラがウォルフの入っている風呂に乱入してくる事はなくなった。サラが一人で入っている事に気付いたウォルフは一抹の寂しさを感じたものだが、後でこっそりとアンに礼を言っておいた。