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No.33077の一覧
[0] 空を翔る(オリ主転生)[草食うなぎ](2012/06/03 00:50)
[1] 0    プロローグ[草食うなぎ](2012/05/09 01:23)
[2] 第一章 1~5[草食うなぎ](2012/05/09 01:22)
[3] 第一章 6~11[草食うなぎ](2012/06/03 00:32)
[4] 第一章 番外1,3[草食うなぎ](2012/06/03 00:34)
[5] 第一章 12~15,番外4[草食うなぎ](2012/05/09 01:30)
[6] 第一章 16~20[草食うなぎ](2012/06/03 00:34)
[7] 第一章 21~25[草食うなぎ](2012/05/09 01:32)
[8] 第一章 26~32[草食うなぎ](2012/05/09 01:34)
[9] 幕間1~4[草食うなぎ](2012/05/09 01:39)
[10] 第二章 1~5[草食うなぎ](2012/05/09 02:22)
[11] 第二章 6~11[草食うなぎ](2012/05/09 02:23)
[12] 第二章 12~17[草食うなぎ](2012/05/09 02:25)
[13] 第二章 18~19,番外5,6,7[草食うなぎ](2012/05/09 02:26)
[14] 第二章 20~23[草食うなぎ](2012/05/09 02:28)
[15] 第二章 24~27[草食うなぎ](2012/05/09 02:29)
[16] 第二章 28~32[草食うなぎ](2012/05/09 02:30)
[17] 第二章 33~37[草食うなぎ](2012/05/09 02:32)
[18] 第二章 38~40,番外8[草食うなぎ](2012/05/09 02:32)
[19] 幕間5[草食うなぎ](2012/05/17 02:46)
[20] 3-0    初めての虚無使い[草食うなぎ](2012/06/03 00:36)
[21] 3-1    ラ・ヴァリエール公爵の目的[草食うなぎ](2012/05/09 00:00)
[22] 3-2    目覚め[草食うなぎ](2012/05/09 00:01)
[23] 3-3    目覚め?[草食うなぎ](2012/05/09 00:02)
[24] 3-4    ラ・ヴァリエールに行くと言うこと[草食うなぎ](2012/05/09 00:03)
[25] 3-5    初診[草食うなぎ](2012/06/03 00:40)
[26] 3-6    再診[草食うなぎ](2012/06/03 00:40)
[27] 3-7    公爵家にて[草食うなぎ](2012/06/03 00:52)
[28] 3-8    決意[草食うなぎ](2012/11/06 20:56)
[29] 3-9    往復書簡[草食うなぎ](2012/11/06 20:58)
[30] 3-10    風雲急告[草食うなぎ](2012/11/17 23:09)
[31] 3-11    初エルフ[草食うなぎ](2012/11/17 23:10)
[32] 3-12    ドライブ[草食うなぎ](2012/11/24 21:55)
[33] 3-13    一段落[草食うなぎ](2012/12/06 18:49)
[34] 3-14    陰謀[草食うなぎ](2012/12/10 22:56)
[35] 3-15    温泉にいこう[草食うなぎ](2012/12/15 23:42)
[36] 3-16    大脱走[草食うなぎ](2012/12/23 01:37)
[37] 3-17    空戦[草食うなぎ](2012/12/27 20:26)
[38] 3-18    最後の荷物[草食うなぎ](2013/01/13 01:44)
[39] 3-19    略取[草食うなぎ](2013/01/19 23:30)
[40] 3-20    奪還[草食うなぎ](2013/02/22 22:14)
[41] 3-21    生きて帰る[草食うなぎ](2013/03/03 03:08)
[42] 番外9    カリーヌ・デジレの決断[草食うなぎ](2013/03/07 23:40)
[43] 番外10   ラ・フォンティーヌ子爵の挑戦[草食うなぎ](2013/03/15 01:01)
[44] 番外11   ルイズ・フランソワーズの受難[草食うなぎ](2013/03/22 00:41)
[45] 番外12   エレオノール・アルベルティーヌの憂鬱[草食うなぎ](2013/03/22 00:42)
[46] 3-22    清濁[草食うなぎ](2013/08/01 20:53)
[47] 3-23    暗雲[草食うなぎ](2013/08/01 20:54)
[48] 3-24    誤解[草食うなぎ](2013/08/01 20:57)
[49] 3-25    並立[草食うなぎ](2013/08/01 20:59)
[50] 3-26    決別[草食うなぎ](2013/08/01 21:00)
[51] 3-27    緒戦[草食うなぎ](2013/08/01 21:01)
[52] 3-28    地質[草食うなぎ](2013/08/01 21:02)
[53] 3-29    ジョゼフの策 [草食うなぎ](2013/08/01 21:03)
[54] 3-30    ガリア王ジョゼフ一世[草食うなぎ](2013/08/01 21:03)
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[33077] 第二章 38~40,番外8
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:e96bafe2 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/05/09 02:32


2-38    責任の所在



「《マジック・アロー》」
「《ブレイド》」
「《マジック・アロー》」

 帝政ゲルマニアの首都ヴィンドボナから東へ千リーグ以上離れた深き黒き辺境の森で魔法の詠唱が響き渡る。
 ウォルフの放つ魔力素のみで構成されたやたらと幅の広い鏃を持つ魔法の矢は木々をなぎ倒し、その過ぎ去った後はバリカンで刈られたように細長い空間が広がる。地面には切り倒された木々が折れ重なりその下には綺麗に切断された切り株がのぞいていた。
 一緒に木を切り倒しているクリフォードはイメージの問題で、ウォルフほどの幅広い矢を作れないので大径木は『ブレイド』で倒し、細い木を倒すのに『マジック・アロー』を使っている。

 開拓、と一言で言ってもその実際は単調な作業の連続だ。ひたすら木を切り倒して運び出し、根を掘り出して岩などを取り除き整地する。食獣植物や毒虫を焼き払い、やたらと多い幻獣を開拓予定地外に追い立てる。土地が盛り上がっていればそれを均し、窪んでいれば埋め立ててなだらかな平地にする。時折パニックになって開拓団に襲いかかってくる幻獣を駆除するのは護衛のメイジの仕事、それらの死体を食料や皮などに加工するのは平民の仕事だ。
 開拓開始から二週間、ウォルフ達はひたすらこの作業を続けてきた。エルラド(長距離音響装置)で警備しながらの作業なので幻獣や亜人などの危険は少ないが、中々思うようには進まない。一日中働いて三平方リーグ(九アルパン)を超えるくらいの木を切り倒すのがやっとだし、整地にはもっとずっと時間がかかる。
 当面の開拓予定地である平野部だけでも六千アルパン程はあるのでまだまだだ。周辺の山地にまで手を出すとなるといつまで掛かるかわからない。一応、開拓地からマイツェンまでの川の両岸百メイル以上木を切り倒したのでかなり安全に航行できるようになったし、開拓地の港も整備が終わって丸太をマイツェンに送り出す作業もだいぶスムースにいくようになったで、今後はスピードアップをしていきたいと思っているが。
 
 この開拓地はマイツェンを含む広大な平野にあり、東西に大きな川が流れ、そこに南側から別の川が合流している。その合流地点近くに川港を作り、二つの川に挟まれた地域を開拓地と定めた。T字の右下の部分になる。
 この川は全くの自然の川なので何度も流れを変えたらしく、開拓地には堤防を作ることも必須だ。木を切り倒し堤防を作り東側に五十リーグ以上離れている山地にまで開拓地をのばす。まだ開拓は始まったばかりだ。
  
「ふう、今日はこれくらいかな。皆さんお疲れ様でした」
「おーう、お疲れ。いやー、今日もがんばったなあ…あれ?キュルケはどこ行った?」
「ほら、さっきの迷い込んだワイバーン追っかけて行ったきりだよ」
「ああ、最後に大物が欲しいとか言っていたからなあ」

 そろそろ日が傾いてきたので、この日の作業を切り上げて港へ撤収する。ワイバーンを追っかけていったキュルケのことは誰も心配してはいない。バルバストルが付いているし、エルラドも持っているのでそうそうやられることはない。
 開拓が始まってからずっと一緒に働いてきたクリフォード達は、今日が最後の作業だ。整備が完了し、今後の作業にも目処が立った。予定通りの日程で警備を終了して帰る。
 ウォルフとしてはもっといて欲しいが、クリフォードやマリー・ルイーゼは来春魔法学院に入学するのでその準備もあり、いつまでも遊んではいられないのだ。

 港に停泊している船に乗り込んで待っていると、程なくキュルケ達も戻ってきた。その杖の先にはワイバーンではなく四メイルくらいの小型のトカゲをぶら下げていた。

「あー、もう、逃げられちゃったわよ。モレノがびびってエルラド外すから」
「お嬢、そうは言いますが、一人だけあんなに突出して囮みたいになればびびりますって」
「そこをがんばって、みんなが包囲する時間を稼ぐ作戦だったじゃないの」
「エルラドですぐに落ちてくれればいいですけど、そのままパニックになってこっちに突進してきたじゃないですか。不可抗力です」
「そのまま照射していれば落ちたんだって。逃げるのが早すぎるのよ」
「おーい、いいから早く乗ってくれ。みんな待っているんだ」

 せっかくの獲物を逃がしてキュルケは随分とお冠である。言い合いしながら船に乗り込んだ。
 キュルケとモレノ達自由参加組メイジはなんだかんだぶつかり合いながらも仕事はしっかりとこなしていた。四人ともラインメイジと申請していたくせに、幻獣にぶつけてみるとトライアングルスペルを使ったりして怪しさは相変わらずなのだが、キュルケはもう気にもしていないようだ。
 ちなみにトライアングルスペルを使っていたことを指摘すると、「やや、危機に直面してランクアップしたようですな、やったー」などと白々しく言ってきたものだ。
 この四人と監獄組のメイジの内風と火メイジの十四人、併せて十八人で今後は開拓地を守っていくことになる。トライアングルメイジといえどもモレノ達は信頼がないのでリーダーはラインメイジのマルセルに任せるつもりだ。

 開拓地の港を出港したフェリーは徐々に速度を上げ、滑るように川の上を進む。夕暮れ時のこの時間帯は幻獣の活動が最も活発になる時間ではあるが、連日のエルラドによる攻撃で最近はすっかり川で襲撃されることはなくなった。
 やがて完全に日が沈む頃、フェリーはマイツェンの港に到着した。



「ウォルフ様、お帰りなさいませ」
「ああ、ただいま。今日は怪我人は出なかった?」
「はい。皆大分仕事になれてきましたようで」
「ふう、ようやくだな。じゃあ、風呂に行くか」
「はい。もう準備はばっちりです」

 マイツェンの製材所に設置したウォルフの執務室で出迎えたのは監獄組のメイジ、グレースとミレーヌの姉妹だ。どこからとも無く入浴セットを三人分取り出してニッコリと笑っている。
 ここのところウォルフが帰ってくると一緒に大浴場へ行くのが日課となっているので、ウォルフはそのまま自分の分の入浴セットを受け取り、連れだって少し離れたところに建てた大浴場へと向かった。
 ウォルフのここでの毎日は朝起きてガンダーラ商会の各拠点との連絡を取り、開拓地で一日働き、風呂に入って夕食後は研究開発と内職というのがパターンだ。
 本当は『遍在』の魔法を使って日中も研究開発を進めたいのだが、基本火メイジなので風のスクウェアスペルはまだ負担が大きい。開拓地でいざという時に魔力が足りないという事態は避けたいので日頃は自重している。

 この二人についてはモレノ達がその身柄を狙っていると知って書類を見直してみたのだが、確かにベルク公爵派として投獄されたマルク伯爵の娘とあった。
 話に信憑性が出てしまったので放置するわけにも行かず、姉妹を自分の目の届くところに配置しようとしばらく秘書のように扱っている。
 二人には無断でマイツェンから外には出ることはしないように言いつけてあるし、まもるくんによる警備体制も整ったので実はもうウォルフの秘書をする必要はないのだが、ウォルフが激しく忙しいのを間近で見て、そのまま手伝いをしてくれている。
 グレースは土、ミレーヌは水メイジなのでウォルフが作業に出ている間はグレースは大工見習い、ミレーヌは他の水メイジと一緒に辺境の森でとれる秘薬の材料の勉強とウォルフのテキストによる人体の仕組みについての勉強に勤しんでいる。
 二人ともまだメイジとしての腕は最低限といったところだが、年齢を考慮に入れれば将来は有望だ。監獄組のメイジとしては一番将来性があるといえるのでウォルフはじっくりと育てていくつもりだ。
 姉妹の魔力パターンをまもるくんに登録しているので、マイツェンにいる限りまもるくんの目をかいくぐって拉致される恐れは少ないが、念のために二人には人気のないところには行かないように注意している。

 お風呂セットを持って、てくてくと三人で歩く。大浴場は広場を挟んで反対側にあるので少し距離がある。

「ウォルフ様、キュルケ様達は本当に明日帰っちゃうのですか?」
「うん。キュルケとマリー・ルイーゼ、兄さんとバルバストルさんが帰ることになるな」
「…寂しくなりますね。せっかく仲良くしてくれてたのに…」

 つぶやくように言うのは姉のグレース。ミレーヌの方はもう割り切っているのか無言だ。二人とも監獄内の児童院で育っているので周囲に同世代の子供がいない状況にはなったことがない。

「まあしょうがない。キュルケもあれで辺境伯令嬢だからな、いつまでもふらふらしているわけにはいかないだろう。春になったら商会の学校に通っている子の内何人かはこっちに就職してくれるって言ってるから、また賑やかになるよ」
「本当ですか?うーん、でも春かあ…まだまだ遠いですね」
「それまでは若いのは君たち二人と製材所のミックだけになるけど我慢してくれ」
「はーい。まあ、元々子供なんて一人もいないと思って応募したんですけど。監獄内学校の先生とかは辺境の森は地獄みたいなものだから子供が行くような所じゃないって言ってたんですよ」
「確かにきっつい所なんだけどね。よくそんな事言われて応募する気になったなあ」
「外の世界を見たかったんです。だって、物心ついたときからずっとあの中にいたんですよ? 東方開拓団って制度があるっていうのは聞いていたけど、最近は全然だったらしいから、このチャンスを逃したら一生外になんて出られないんじゃないかって思って、お姉ちゃんを説得して一緒に応募したんです」

 ウォルフは無言で頷く。もし彼女たちと同じような境遇にウォルフが生まれていたらやはり応募しただろうと思う。

「外の世界はどう? 楽しい?」
「そりゃあ、もう! 大きな木、とか川とか全部初めて見ました。フネに乗ったのも初めてだし、みんな優しいしドルスキの街も楽しいです。応募して本当に良かったですよ」
「ん、それなら良かった」

 答えたのは妹のミレーヌ。いつも前向きで明るい彼女は開拓団のマスコットとして皆に愛されている。

「でも、こんなに楽しくていいのかなって思っちゃいます。時々とても不安になりますです」

 こちらは姉のグレース。美少女ではあるがいつも悲観的な事を言っているので、薄幸の美少女などと呼ばれている。丸顔で元気の良いミレーヌに比べてどこか線が細く、か弱い印象だ。

「もう、お姉ちゃんたらまたそんな事言って! ウォルフ様に失礼だよ」
「でも、私なんかがそんなに幸せになんて、なれる訳がないし…」
「幸せになれるかどうかを決めるのは自分だよ。オレは開拓団のみんなに幸せになって欲しいと思っているんだけど」
「そうだよお姉ちゃん。不幸な顔をしてると不幸になるって、いつも学校の先生も言ってたじゃない」
「……うん。ごめんなさい、ウォルフ様。私、どうも不安がりで」
「まあこんな森の中で開拓してるのだから、その気持ちも分かるけどね。今度まもるくんの性能をみんなに披露するか。少しは安心して貰えるかも知れない」
「うん、それは良いですね。話には聞くけど実際に私たちはまもるくんが活躍しているところを見た事無い訳ですし。あ、キュルケ様とマリー様」
「あら、グレースにミレーヌ、一緒に入りましょうか」
「はーい」

 ちょうど大浴場に到着し、入り口で一度宿舎に戻っていたキュルケやクリフォード達と丁度顔を合わせた。話を打ち切ると男女に分かれてそれぞれの脱衣場に入る。
 この大浴場はウォルフが井戸を掘ってすぐ次に建てた三百人が一度に入れる立派な物だ。二カ所計四つの浴室を持ち、その内の一つが女子浴室となっている。浴室は高い天井を持った日本の銭湯を思わせる造りで、カランが並ぶ洗い場の奥に満々と湯を満たした大きな浴槽がウォルフ達を待っていた。

「うあー…気持ちいいー。兄さんもバルバストルさんもお勤めご苦労様でした」
「おう、中々楽しかったよ。ただ、エルラドがあるし森にはあまり入らないしで、思ったよりはずっと安全だったな」
「あれは本当にかなり有効ですな。市販はしないのですか? 帰ったら辺境伯にも導入するよう奨めたいのですが」
「う…あれはまだオレしか作れないのであんまり数が用意できないのですよ」
「うん? 風魔法で大きな音を出しているだけではないのですか? 市販しないというのならば、ツェルプストーでも作れそうですが」
「作ってみれば分かると思います。指向性をいかに高めるかがポイントなのです」

 ただ大きい音を出すのでは使う者まで被害を受けてしまうし、エルラド程遠くまで音を飛ばす事は出来ない。エルラドは振幅変調をかけた超音波によって可聴音を発生させているからこそ高い指向性を実現できているのだ。そう簡単に模倣できる物ではない。
『サイレント』を併用すれば使用者の被害は軽減できるかも知れないが、遠くまで音を飛ばす事が出来ないと竜を追い払うのに十分な距離を確保できないだろう。

「やはりあの聞いたことのない変な音に秘密があるのですな。違和感は感じてもそれがなんだか分からずにずっと引っかかっていたのですよ」
「まあそうです。やっぱり風メイジだと分かりますか。兄さんは分かった?」
「わかんねーよ。お前の作るものは大体変だからな」

 クリフォードはいつもあまり聞いていないが、大体風呂ではその日の反省点などを話して過ごす事が多い。
 開拓が始まって最初の内は色々問題も起きたが、二週間が経って日常は安定してきたように思える。この日も事故も襲撃も無く一日が過ぎていっている。

「いやー、しかし開拓も凄いペースで進みますねえ…。想定していたより五倍くらいの速度で平地が出来ていっている気がします」
「重機使ってますから。むしろもう少しペースアップしたいくらいです」

 バルバストルの持っていたイメージでは、森を切り開く作業部隊を守りながら少しずつその活動範囲を拡げていくのかと思っていたが、いきなりウォルフがバッサバッサと木を切り倒していくところからして想定とは違う様相を呈していた。
 時間が掛かるだろうと思っていた大木の根の撤去も、さほど苦労せずに処理している。普通は大型のゴーレムや使い魔が主体となって掘り出し、その場で細かく分割して纏めたものを運び出すので搬出が終わるまで次の根に取りかかるという事は無い。
 それがウォルフの方法だとまず重機で掘り出し、風石カートと呼んでいる風石を利用した小型のフネで吊り上げて後方へ移動する。このときには既に重機は次の根に取りかかっているために作業が遅滞すると言う事がない。
 その後もブレードソーで細かく切り分けてゴーレムでトラックへ積み込み、更に後方へ搬出するという作業をそれぞれの担当者が遅滞なく行うので、やたらと効率良く作業をする事が可能となっている。

「風石カートの数がもう少し有った方が良かったですね。まあ、ここらへんは実際に作業してみなければ分からなかった事だと思っていますが」
「はあ、あれだけ効率よく開拓できているのに、まだ日々改善ですか。ウォルフ殿は実はとても欲張りなのかも知れないですね」
「まだまだですよ。風石カートがもっとあれば倒した木の搬出がもっと効率よく出来ます。簡単な構造だし作業員も技術をそれほど必要としないので追加で商会の方に注文を出すつもりです」
「今の風石相場でこそですけど、あのカートとブレイドソーの組み合わせは我が領の林業でも使えますね。辺境伯に提案してみるつもりです」

 バルバストルはキュルケの護衛としての役目だけでなく、開拓地の作業の実態を辺境伯に伝える役目を担っている。
 報告する事が多すぎて、毎日レポートを作成するだけでかなりの時間を費やしているのがここに来ての最大の悩みだった。



 翌日早朝、キュルケ達とクリフォードはマイツェンを旅立つ。ツェルプストーまでは約千五百リーグ、モーグラでも半日の行程だ。

「じゃあ、ウォルフバイバイね」
「キュルケもマリーも兄さんもありがとね、あ、バルバストルさんも。また時間ができたらいつでも来てくれ。バイト代はずむから」
「おう、おまえも気をつけろよ。油断したときが危ないんだぞ」
「ん、気をつける。父さん、母さんとサラによろしく。もう二週間くらいしたらオレもいったん戻るから」
「わたしは次に来るのは夏休みとかになっちゃうかも。ずっと家を空けてたから両親がお冠よ」
「まあ、東方開拓団の護衛なんてマリーみたいな嫁入り前の貴族がする仕事じゃあないような気はするよな。あ、そうだキュルケ、これ」

 見送りのためにモーグラの前まで来ていたウォルフが思い出してズボンのポケットから封筒を取り出す。

「ん、手紙? 父さまに?」
「そう、渡しといて」
「魔法封蝋までして…機密事項なの?」
「んー、ちょっとした相談事かな。あんまり他の人には見られたくないけど」

 魔法封蝋は対象以外の人間が開けると手紙が燃えてしまうという特殊な封蝋だ。主に機密事項のやりとりに使われるが、キュルケはウォルフが使っているのを初めて見た。
 しばらく手紙とウォルフの顔とを見比べていたが、ハハンと何か分かったような顔をして頷いた。

「成る程、父さまに相談があると。で、どっち? グレース? それともミレーヌかしら。ウォルフもようやく年頃になったのね」

 グレース達姉妹も見送りに来ているので二人には聞こえないようにウォルフの耳元で尋ねる。

「オレがあの二人を側に置いているのはそういうことじゃないから。ちゃんと渡してくれよ」
「またまたー、照れなくてもいいことなのよ? お姉さんにだけ話してみなさい」
「だから違うって。何も言わないでそれを辺境伯に渡してくれればいいから」
「父さまの政治力で二人の身分を何とかしたいんでしょ? 分かるわー、開拓が終わるまでなんて待ってられないものね。素敵。ウォルフにそんな情熱があったなんて」

 もうキュルケはウォルフの方を見ていない。両手を頬に添えクネクネと身を捩っている。

「ふー、…キュルケ最近親父さんに似てきたね」
「っ!! 似てきた? と、父さまはこんなクネクネしたりしないわよ、似てきた!?」

 別にクネクネしているのが似ているなどとは言っていない。恋愛事が絡むと人の話を全く聞かなくなるあたりそっくりだと思うのだが、なにげにショックだったらしい。キュルケはがーん、と擬音が出そうなくらい硬直し、きょろきょろと周囲を見回す。
 近くにいたマリー・ルイーゼやバルバストル達が、気まずそうに目を逸らした事で更にショックを受けたキュルケは慌てて否定した。

「な、何よ、父さまなんてわたし、全然似てないわよ。小さい頃から母さま似ってみんなに言われてきたんだから」
「はいはい、みんな待ってるんだからさっさと乗り込む」
「ちょっと、聞いてるの? ウォルフ。似てないわよ」

 なおも否定するキュルケをぐいぐいとタラップに押しやると文句を言いながらなんとか乗り込んだ。続いて全員さっさと機上の人となり、プロペラが回転を始めた。

「キュルケ様ー、マリー・ルイーゼ様ー、また来てくださいねー!」
「似てないんだからねー!」

 四人を乗せたモーグラは大声で叫ぶグレースとミレーヌの前を通過して離陸するやぐんぐんと高度を上げ、あっという間に西の空へと消えていった。



 途中探索者の町リンベルクに寄って買い物などをしていたため到着は夕刻になったが、キュルケのモーグラはその日の内にフォン・ツェルプストーまで帰ってきた。
 早速父親の所へ顔を出すと、辺境伯は執務中だったがその手を止めて娘を迎え入れた。

「父さま、ただいま帰りました」
「おお、キュルケお帰り。どうだった、ウォルフの開拓団はうまくいっているのか」
「ええ。順調すぎて物足りないくらいだったわ。これ、ウォルフから父さまへ手紙を預かってきたんだけど」
「ふむ、わざわざお前に渡してきたのか」

 辺境伯はキュルケから手渡された手紙をしげしげと眺めた。ガンダーラ商会が使っている遠話の魔法具を使えば、ツェルプストーとの連絡は即座に取れる。わざわざ魔法封蝋をしていることから、どうも内容は機密事項らしい。

「ウォルフは何か言っていたか?」
「なんか相談事だって言ってた。ねえ、開けないの?」
「む、今開ける。なんだお前興味があるのか」
「なーんかウォルフの様子が変だったのよねー。ちょっと、怪しいって思ってるんだけど」

 興味津々のキュルケを待たせて、辺境伯が魔法封蝋に指を押しつけると封蝋はポンッと軽い音を立ててはじけた。開いた封筒から手紙を取り出し、目を通す。

「どれどれ……んん?」

 最初は訝しげでしかなかった辺境伯の表情が、読み進めるにつれ次第に獰猛な笑顔になってくる。キュルケは父親のその表情だけで手紙の内容が自分が考えていた物とは全く違う物であろうことを悟った。

「キュルケ」
「は、はい。父さま」
「モレノとセルジョとやらはどんなメイジだった?」
「えっと、なんかいい加減な感じでした。実力はあるのにやる気がない、みたいな」
「一緒に仕事していたのか?」
「はい。ウォルフに頼んで私の下に置いてもらったので。どっかの間諜っぽかったけど、ウォルフは気にしていないようだったわ」
「クックック、そうかそうか、ウォルフも中々おつなことをする」 
「それ、何が書いてあるの?」

 心底楽しそうに笑う辺境伯に不安を覚えてキュルケが尋ねる。こんな辺境伯の態度には心当たりがなかった。

「いやなに、大したことではない。そのモレノとセルジョとやらがな、どうやらお前を襲った奴らの一味らしいと言うんだ」
「はあ?」
「詳しく調べたいのならば、ボルクリンゲンでの開拓団募集に風か火のメイジを応募させてくれればこやつらと同じ班に配置できるともあるな。フフフ、ウォルフめ、メイジ不足をワシの家臣で補おうとしているな」

 キュルケは一瞬頭が真っ白になってしまい、驚きの声を発する他は全く反応が出来なかった。
 しかし、辺境伯の言葉の意味が理解できるとともに、その顔はやはり笑顔になった。もし、ウォルフが見ていたら「ほら、似てる」と言うだろう、獰猛な笑顔だ。

「ふ、ふ、ふ、ウォルフったら何で向こうにいるときに言ってくれないのかしら。二人とも火だるまにしてやったのに」
「だからだろうな。お前に火だるまにされてしまったら背後にいる主犯者までたどり着けん」
「そんなの…捕まえて火炙りにしてやればしゃべるんじゃないかしら」
「そういう奴らは拷問に対する訓練を受けているからそう簡単にはしゃべらん。それどころか禁制の魔法をかけられていて捕まえた瞬間に死んでしまう者もいるくらいだ。諜報員など所詮トカゲの尻尾に過ぎん」
「じゃあ、じゃあ父さまはどうするつもりなの?」

 不満そうな表情を見せる娘に辺境伯はニヤリと不敵に笑って見せた。

「そういう諜報員は必ず派遣元と連絡を取っている。魔法を使ってか使い魔かはわからんが、必ずだ。あんな辺境ならばそれを辿ることはそれほど難しいことではあるまい」
「使い魔はともかく、魔法で連絡を取ってても辿れるものなの?」
「できる。使い魔ならば気づかれずに追跡するのは容易だし、魔法なら系統魔法にそんなに離れたところで会話する魔法はないから遠話の魔法具を使うのであろう。気取られぬように『ディテクトマジック』をかけた結界内で魔法具を使わせる必要があるが、大まかな距離と方角を割り出すことは出来る」

 辺境伯は話しながらも可能性を一つ一つ検討する。

「今度こそ絶対に逃がさん。自分が誰に杖を向けたのかを徹底的に分からせてやらんとな。キュルケ、そやつらの雇い主が判明するまでウォルフの所へは行くな」
「確かにあいつらに今会ったら絶対に杖を向けちゃうわね…わかったわ。その代わり、奴らの正体が判明したら絶対に私にも教えてちょうだい」
「ふふふ、自分の借りは自分で返すか。いいだろう、それでこそツェルプストーの女というものだ」

 キュルケが下がると即座に辺境伯は家臣を呼び寄せる。開拓団に送り込むメイジの人選と連絡を辿り敵を割り出す班の編成、考え得る魔法具すべてに対応するための準備とやることは多かった。

 そして翌日、ガンダーラ商会のボルクリンゲン商館に開拓団志望のメイジが二人訪れた。
 ウォルフから特に連絡は入っていなかったらしく、ゲルマニアでの初めての応募に驚かれはしたがすぐに受け付けてもらえ、十日後の補給船に同乗して現地へと向かう事となった。

「だんな様、開拓団に送り込んだものが無事、出立したそうです」 
「うむ。では手筈通りマイツェン周辺の都市へも手の者を送り込むのだ」
「はっ」

 部下が下がった執務室でツェルプストー辺境伯は机の上に広げた地図に目を落とした。
 地図は随分とすかすかで、何も書いていないところが多い。この地図は先の東方調査に同行したデトレフの報告を基に加筆された辺境の森の地図である。
 暫く地図をにらんでいたが、やがて部下を送り込んだ先に納得して目を離す。やはりミルデンブルク伯爵領の町ドルスキか、ベヒトルスハイム子爵領の町リンベルクが密偵が送り込まれる町としては適している。
 ドルスキは温泉保養地として最近訪れる人が増えているし、リンベルクは探索者の町だ。どちらも余所者が多いので連絡役が滞在しても不審には思われないだろう。
 距離としてはドルスキの方が近いし、マイツェンへの唯一の補給路である川沿いにあるのでこちらが第一候補だ。

「一体何が出てくる? ロマリアかトリステインか……まさかゲルマニア帝室ってことは無いだろうが」

 既に辺境伯は主犯者が判明した後のことを考えている。トリステインだった場合問題は少ないだろう。戦争をちらつかせて強圧外交で主犯の確保を図ると共に工作員を送り込んで直接的な解決を目指せばいい。
 上手くいけば主犯達を皆殺しにした上でトリステインから賠償金を得られそうだし、上手くいかなかったとしても戦争になれば必ず勝てるのでそれなりの利益があるだろう。向こうから仕掛けてきたのだ、遠慮するつもりはない。

 ロマリアだった場合は慎重に行動しなくてはならない。ロマリア自体を敵に回すのは面白くないので、きっちりと証拠をそろえた上で犯人個人の犯罪として弾劾する必要がある。
 こちらのメリットとしては借りを返す事以外にはロマリアの影響力を低下させる事が出来るだけだが、辺境伯はそれでもいいと思っていた。

「ロマリアの政治状況をもう少し詳しく知る必要があるな。教皇派と保守派とに分かれているのだったよな、もう少し密偵を増やすか」

 部下を再び呼びつけて指示を出す。
 どんな人間だろうと政敵というのは存在するものだ。辺境伯はたとえ教皇といえども犯人だった場合には責任をとらせるつもりだった。




番外8   Grand Prix



 最近とみにその権勢を誇るツェルプストー辺境伯領で、第一回ツェルプストーグランプリが盛大に開かれた。
 近隣の自動車所有者の貴族に呼びかけて開催する運びとなったこのレースは、ボルクリンゲンをスタートしてツェルプストー領内いくつかの村や町を回る一周十二リーグ程のコースを二十周しその速さを競い合うというものだ。
 十数台の自動車が参加する事になったが、当初は通常の街道を閉鎖する事に対する苦情が山のように持ち込まれ開催が危ぶまれた。しかし臨時の迂回路を設けて街道の問題を解決し、練習走行が始まり地竜並のスピードで目の前を駆け抜ける自動車達を見ようと人々が集まり始めると祭りは徐々に盛り上がっていった。
 商人達は屋台を開いてたくましく商売を始め、予想屋が建ち並んでレースの展開を予想した。子供達は屋台のお菓子や自動車の玩具を買い求め、大人達は車券売り場に長い列を作った。練習走行の合間を縫って行われるガンダーラ商会による自動車の試乗会は大人気でこちらの行列も途絶える事はなかった。
 この大会は主催がツェルプストー辺境伯で、ガンダーラ商会が協賛して開催されている。ウォルフは全体のサポート役として自動車の修理、整備などを担当するために開拓地から帰ってきていた。



「さあ、本日予選最終走者はご存じキュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー! 最近は"野火"だの"不審火"だの、不名誉な二つ名が付けられ始めていますが、昨日の練習走行ではトップタイムをたたき出した優勝候補です」
「彼女は速いですよ。このコースを走り込んでいますし、グライダーやらセグロッドやら乗り物を操縦するという事に慣れています」

 レースの全てはツェルプストーの家臣達が操作する遠見の魔法を駆使して全て生中継されている。ボルクリンゲンの港に設けられたホームストレートに面する特設スタンドには観客が鈴生りになり、思い思いにレースを楽しんでいた。
 実況はマリー・ルイーゼが、解説はデトレフが担当し、これも拡声の魔法で会場に放送されている。
 キュルケの二つ名は、ここのところ領内の幻獣や亜人の討伐に出かける度に山火事を引き起こしてしまったために付いたものだ。本人は取り消そうと躍起になっているが、徐々に広まり始めてしまっているし今また周知されてしまった。

「マリー! 後で覚えてなさいよー!」
「さあ、今キュルケがスタートしました。デトレフさん、キュルケの車は見かけが随分と他の自動車と違いますが、これは?」
「フレームや風石発電機、モーターなどという車体そのものは一緒ですが、軽量化のために上部のボディをFRPで作りました。二百リーブルは軽量化してあります」

 実況席の前をキュルケが通過しながら大声で文句を言ってきたが、マリー・ルイーゼは気にせず実況を続ける。
 キュルケの車は他の車よりも車高が低く、流線型で滑らかなボディーをしている。最近ガンダーラ商会でFRPの材料を離型材や塗料などと一緒に一般にも販売し始めたので、それを利用してデトレフがこのボディーを作り上げたのだ。随分と試行錯誤をしたがグライダーのキャノピーを流用してなかなか流麗な車体に仕上がっており、キュルケもお気に入りだ。

「キュルケ選手、スムースな動きでコーナーをクリアしていきます。これは速い! デトレフさん、ボディが軽くなるとどんな利点があるのですか?」
「まず加速が良くなりますね。コーナーリングも優位になりますし、ブレーキも効きが良くなります。自動車にとって軽いという事は明確なアドバンテージがある事なのです」
「なるほど。FRPのボディを作ってきたのはキュルケ選手の他にはシリングス伯爵とヴァルトハウゼン伯爵のみ。三人共に良いタイムをマークしていますが、この三人が優勝争いをすると見て間違いないでしょうか?」
「今のところ予選トップのタイムを出しているツェルプストー辺境伯を忘れてはなりません。屋根やドアを取っ払ったのでそこそこ軽量化もなされていますし、小さなウィンドスクリーンによって空気抵抗も少なくなっています。なにより秘密兵器を装備していますのでその運動性能は侮れません」
「そう言えば辺境伯の車には妙な車輪が装着されていましたね。秘密兵器とはあの車輪の事でしょうか」
「よく気がつきました、その通りです。あれはアルミホイールといいまして、ガンダーラ商会で開発中の物です。アルミニウム合金という軽量な金属を数千リーブルという圧力で鍛造した逸品だと聞いています。開発責任者のウォルフ殿はレースはイコールコンディションの方が面白いからと提供を断ったのですが、辺境伯が商会長に直談判して手に入れたという曰く付きの代物です」

 辺境伯も一度はウォルフに断られて諦めていたが、練習走行でキュルケに圧倒されて慌ててタニアにねじ込んで提供させたのだ。噂ではかなりの額のエキュー金貨が積み上げられたと言うが、真相は闇の中である。

「ホイールが鉄からアルミになるだけでそんなに性能に差が出るものですか?」
「あのアルミホイールは通常のホイールに比べて半分程しか重量がありません。サスペンションのバネの下に付いているホイールがそれほど軽くなると路面追従性が格段に上がります」
「路面追従性…ですか。それが速さに関係してくるので?」
「勿論です。このコースの路面は石畳になりますのでどうしても細かい凹凸があります。これをタイヤが跳ねることなくトレースできるとコーナーリングの速度を上げる事が出来るようになるのです。ほんの僅かな速度の差ではありますがライン取りの自由度も上がりますし、積み重ねると結構大きなものになります」
「そんな素敵アイテムを自分だけ装備するとはさすが辺境伯、こんなお遊びにも本気です。『競争とは勝つ事にこそ意味がある』と常日頃言ってるだけはありますね。さあ、皆さんバックストレートをご注目下さい、キュルケ選手がライヌ川対岸の街道に入ってきました。これは速い!」

 これまでトップの辺境伯よりも三秒以上速いタイムでキュルケがバックストレートに入ってきた。そのタイムがマリー・ルイーゼによって読み上げられると怒濤のような歓声が上がる。

「さあ、これは良いタイムが期待できそうです。キュルケ選手、橋を渡って最終コーナーに入りました」
「これは、もしかしたら八分を切るかもしれないですね」

 観客が固唾をのんで見守る中、キュルケはそのままホームストレートを駆け抜けゴールラインを通過した。オフィシャルのタイムは八分一秒〇七、文句なしのトップタイムだ。
 観客席ではキュルケがトップタイムを出した歓声と八分を切れなかった嘆声とが交差したが、皆初めてのレース観戦を楽しんでいるようだった。

「予選の最終結果が出ました。一位・キュルケ・フォン・ツェルプストー・八分一秒〇七。二位・ツェルプストー辺境伯・八分八秒二五。三位・シリングス伯爵・八分九秒〇五…」
「いやー、予想通りですがキュルケ様は一歩抜け出ましたね。二位以下の選手達が明日はどう戦うのか、楽しみです」
「キュルケに挑むおじ様軍団といった構図になりましたね。では、デトレフさん明日もよろしくお願いします」
「よろしくお願いします」



 予選は滞りなく終わったが、本戦は明日だ。所詮はお遊びなので和やかなムードのレースになるのかと思われていたが、皆随分と本気になっている。
 おかげで各車の調子を見て回っているウォルフはやたらと忙しい思いをする事になった。

「私の車はモーターの回転がいまいちなような気がする」
「キュルケちゃん程ではなくても良いが、ヴァルトハウゼンよりはスピードが出るようにしてくれ」
「このバッテリーってのが重いのだが、全部取ったらだめだろうか」

 みんな好き勝手な事を言ってくる。

「気のせいです」
「無理です」
「やめてください」

 一々全部相手していたらキリがないので適当に対応しつつ車はちゃんと性能が出るように整備する。まだ販売したばかりだし、それほど変な改造もされてはいないので手を入れるところは少ないが、安全面を中心にチェックした。

「あら、ウォルフ忙しそうね。後でわたしの車も見てちょうだいね?」
「おお、キュルケ。予選トップおめでと。後三台くらいだな、それが終わったら顔を出すよ」
「うふふ、ありがと、待ってるわ」
「ウォルフはまだワシの車の整備中だ。向こうへ行っとれ」
「おお、怖い怖い、うふふふふ」

 ツェルプストー辺境伯のピットで整備をしているとキュルケが通りかかった。予選トップの成績に上機嫌になっている。
 反対に不機嫌になっているのが辺境伯だ。アルミホイールのおかげでコーナーリング性能は良くなっているはずなのだが何せ運転技術がキュルケに大分劣っている。

「ウォルフ、何か秘策は無いのか。このままではキュルケに負けてしまう」
「だから、オレは今回オフィシャル側の人間だって言ってるでしょう。辺境伯だけ特別扱いするわけにはいかないのです」
「くそっ、堅物め。その顔は本当は何か策があるのだな? ヒントで良いから何か教えんか」
「ヒントはありません。自分でお考え下さい。レースは何があるか分からないですからね、チャンスはありますよ」

 この日ウォルフが全ての車両の整備を終えたのは夜も大分更けた頃だった。



「さあ、いよいよツェルプストーグランプリが始まります! 各車ウォームアップを終え、それぞれ所定のグリッドにつきまして、今か今かとスタートを待っています。デトレフさん、今日注目して見るポイントはどんなところでしょうか?」
「やはり予選で圧倒的なタイムをたたき出したキュルケ様がポールポジションからそのまま優勝してしまうのか、それとも辺境伯をはじめとする他のドライバーに何か秘策はあるのか、と言ったところでしょうか」
「いずれにしてもレースはキュルケを中心に動くという予想ですね…さあ、シグナルが赤から今……青に変わりました!」

 いよいよグランプリ当日、観客のテンションはマックスまで高まり大歓声の中レースはスタートした。

「おおっと、辺境伯がすばらしいスタート! 真っ先に第一コーナーへ飛び込んだのはポールポジションのキュルケではなく、予選二位のツェルプストー辺境伯! 圧倒的なスタートダッシュでトップを奪いました。デトレフさん、これは?」
「おそらく登坂支援魔法を起動させましたね。辺境伯の車両はこの中で唯一のファーストクラスと呼ばれる高級機種なので登坂支援魔法が搭載されているのですが、それをスタート時に起動させる事に成功したのでしょう」
「そんなのが辺境伯の車にだけ搭載されているんですか。さすが汚い、あ、いや、それは他の車も搭載したいですね」
「開発者のウォルフ殿によれば、コーナーリング中に発動すると挙動に不安があるとの事で、登坂時以外はプロテクトされていたシステムです。おそらくツェルプストーの魔法技術者がそのプロテクトを突破したのでしょう」

 登坂支援魔法は『グラビトン・コントロール』で構成されているのだが、コーナーリング中に作動するとドライバーの意志よりも曲がりすぎてしまったり、小さなギャップで跳ねすぎて逆に曲がらなかったりと不安定な挙動になる。
 そのため通常は作動しないようになっているのだが、追い詰められた辺境伯はそのプロテクトを破ってきた。

「コーナーリング中の挙動を見ると登坂支援魔法は使っていませんね。スタートダッシュだけに使用したようです」
「成る程、少々反則気味の手ですが、おかげでトップを奪う事には成功しました。キュルケが現在二位でコーナーごとに猛烈なプッシュを仕掛けています。デトレフさん、高級機種だけの機能は他に何かありますか?」
「あとは電力回生機構が大きなポイントですね。減速時のエネルギーを電力に変換して回収する仕組みで、他の車が二回の給石を予定しているところ、おそらく辺境伯は一回で済ませると思います」

 風石発電機の克服できなかった欠点として風石が消費されたときにその分発電力が落ちるというものがある。ガソリン自動車だったらガソリンが半分になってもエンジンの出力は変わらないが、風石の場合は発電機に搭載してある量がそのまま出力に直結する。
 最高回転数の方にリミッターを付けているのとバッテリーがあるのとである程度は緩和されているが、レースのような最高出力を連続して使用する状況では風石が減ったら交換してしまいたい。

「各チーム工夫はしているようですが、交換に二十秒程のピットストップを余儀なくされます。これが一回少ないというのはかなり大きなアドバンテージです」
「昨日の予選の結果からはキュルケの圧倒的有利かと思っていましたが、辺境伯も侮れませんね……と言ってる間にバックストレート手前のコーナーでキュルケが仕掛けたぁ!」

 コーナーリングでキュルケが前に立ったのだが、すぐ後のストレートの立ち上がりで辺境伯に抜き返された。抜きつ抜かれつのドッグファイトに観客のテンションも上がる。

「さあ、先頭グループがホームストレートに入ってきました。先頭はキュルケ…を今辺境伯が抜いた! 辺境伯、キュルケと続いて今観客席の前を通過していきます。三位は少し離れてフォン・シリングス、さらにフォン・ヴァルトハウゼンと続きます」
「辺境伯は最終コーナーの立ち上がりで支援魔法を使っていますね。負けず嫌いだなあ」
「一周目は辺境伯が制したわけですが、こうして見るとキュルケの車はボディのせいだけではなくて車高そのものが低いような気がしますね」
「ええ、サスペンションユニットを少し短くダンパーが硬い物に交換していて、重心が低くなってコーナーリングが速くできるようになっています。コーナーリング中の挙動も安定しますので操縦性が高くなり、ドライバーの意志通りにラインを選ぶ事が出来るのですよ。ブッシュも全て硬い物を入れてますので随分乗り心地はハードになりましたが」
「それは自分で作ったのですか? それとも辺境伯のように無理矢理?」
「パーツリストにも載っている純正品ですよ。発注すれば誰でも手に入る部品です。全員に案内は行ってるはずですが導入しているのは五台だけですね」
「ああ、そう言えば辺境伯以外の上位の車は皆車高が少し低いですね。情報に敏感なチームが速いという事でしょうか」

 そのままレースはキュルケと辺境伯を軸として進み、中盤を過ぎるまで抜きつ抜かれつのデッドヒートは続いた。



「さあ、残り五周となって先頭はキュルケ、二十秒程遅れて辺境伯、さらに一分遅れてシリングス伯爵となっていますが…」
「はい。キュルケ様のトップスピードが落ちてきています。ここはピットインするしかないでしょう」
「キュルケの一回目の給石は停車時間とそのための減速を含めると三十秒程ロスしています。今回も同程度ロスするとなるとトップが入れ替わりますね」
「残り五周で辺境伯がその位置を守りきれるか、目が離せない展開です」

 バックストレートを疾走するキュルケにピットインのサインが出る。キュルケは親指を立てて応えるとピットロードへとハンドルを切った。

「さあピットにキュルケが入ってきました。素早く停車してクルーがボンネットを開けて風石を交換します! キュルケチームは独自の風石装填装置を使用していますね」
「はい。マガジンと呼んでいますが風石発電機の形状に合わせて素早く風石を交換できるように制作しました。あっ! 風石がこぼれた!」
「ああっと、キュルケチーム痛恨のミス! 焦ったのか一部の風石が励起してしまい飛んでいってしまいました。慌てて予備のマガジンを用意していますがこれは痛いロスです」
「これは…起きるはずのないミスがこんなところで起きてしまいました」

 キュルケチームが手間取っている間にツェルプストー辺境伯がトップに立つ。キュルケチームの隣のピットは大盛り上がりだ。
 結局コースに復帰したときには辺境伯に三十秒以上も差を付けられてしまっていた。会場の誰もが辺境伯の優勝を確信したが、一周して帰ってきたときにその差が二十四秒を切っていることがアナウンスされるとまた歓声が大きくなった。
 キュルケの追い込みが始まったのだ。

「これは…残り四周で二十四秒差! この一周で六秒程縮めていますからキュルケ様、行けますよ!」
「ちょ、デトレフさん落ち着いてください。レースも終盤集中力の無くなる時間帯ですが、ここにきてキュルケはファステストラップをマークしました! 七分五十八秒七二! 八分きりましたよ!」
「これがキュルケ様の集中力です! この集中力で先日は野生の地竜を討伐したのです!」

 キュルケが周回遅れの車を躱す度に大きな歓声があがり、その歓声に後押しされるように辺境伯との差を縮めていった。
 最終周回、バックストレートから続くコーナーでついにキュルケが辺境伯を抜き去ると観客の興奮も最高潮に達し、気の早い観客によって辺境伯の車券が破り捨てられ紙吹雪となって観客席に舞った。

 だがその興奮は突然に終わりを迎える事になる。
 ボルクリンゲン大橋からホームストレートに至る下りの最終コーナー、このコースで最も速度の乗るコーナーでキュルケのインに辺境伯が追突。二台がもつれてそのままコース外側のセーフティゾーンにコースアウトしてしまったのだ。
 キュルケはしばらく風石を励起させたりしてサンドトラップから脱出してコースに復帰しようとしていたが、三位だったシリングス伯爵が直ぐ横を駆け抜けるのを見て諦めた。

 ちりちりと炎をまとわせながら車から降りる。直ぐ横で辺境伯も憮然とした表情のまま車から降りてきた。
 キュルケは辺境伯を無視してピットへ帰ろうとしたのだが、辺境伯の掛けた言葉でその動きを止めた。

「運が無かったな」

 辺境伯は、確かにそう言った。



 思いがけぬ幸運でトップに立ったシリングス伯爵がそのままゴールし、チェッカーフラッグが振られた。遠見の魔法でウィニングランをするシリングス伯爵の様子が大写しにされているが、観客の誰もそのシーンを見てはいなかった。
 満員の観客が注目するのはただ一カ所、ホームストレートの端で勃発した壮絶な親娘喧嘩だった。

「わたしのどこが運がないって言うのかしら、誰がそれを言うのかしら、教えていただきたいわ、父さま《フレイム・ボール》!」
「ぬお!《ファイヤー・ウォール》! 貴様、娘の分際で領主たるワシに杖を向けるとは、世が世なら反逆罪ぞ《ファイヤー・ボール》」
「あら、父さまほどのメイジならラインメイジの炎なんてロウソクの炎みたいな物でしょう。子供の可愛い悪戯と思って下さいな《ファランクス》!」
「こんなん可愛くないわー!!」

 キュルケはいつの間にやらセグロッドを取り出し、それに乗って辺境伯の周囲を素早く移動しながら魔法を放つ。
 辺境伯の『ファイヤー・ボール』を躱しざま放った『ファランクス』は小さな『ファイヤー・ボール』の弾幕で、四方八方から迫る炎の攻撃に辺境伯はしばし防戦一方となった。
 キュルケの攻勢に観客からは大きな声援が上がる。皆どんな成り行きになるかと固唾をのんで見守っていたのだが、ド派手に燃え上がる炎で一気にヒートアップしたようだ。

「あー、ちょっと喧嘩始めちゃいましたが、どうしましょう、あれ」
「ちょっとあの間には入りたくないですなあ。むむ、キュルケ様の機動攻撃は見事ですね」
「あれで地竜を幻惑しましたからね。どんなに威力のある攻撃でも当たらなければ意味ありません。あ、ちょっと辺境伯そんなに大きな『フレイム・ボール』は大人げ無いんじゃないでしょうか」
「キュルケ様は大火傷から立ち直ったばかりだというのに…あ、ウォルフ殿が向かった。ちょっと期待」
「ウォルフだけに任せておく訳にもいかないでしょう。私たちも行きますか」
「そうですな。やれやれ困ったものだ」

 辺境伯の大きな魔法攻撃をセグロッドの機動力を生かして躱し、小さな魔法で反撃するキュルケ。小さな力で大きな敵に立ち向かうその姿に人々はイーヴァルディの勇者を重ねあわせて応援した。
 しかし、観客の殆どを味方に付けていてもラインとスクウェアというランクの差はいかんともしがたい。時間がたつにつれ次第に押され始めるのはどうしようもない事だった。
 巨大な炎を操って退路を断ちつつ物量でごり押しする。たとえ直接当たらなくてもいいと割り切った辺境伯の攻撃にキュルケは追い詰められていった。

「きゃあっ!」
「ふははは、残念だったな、《フレイム・ボール》!」

 攻撃で爆発した地面に煽られて転倒したキュルケに完全に悪役と化した辺境伯の攻撃が襲いかかる。キュルケにその攻撃が当たるかと思った瞬間、横から来た風がその炎を打ち消した。ウォルフの『ウィンド』である。
 もちろんただの『ウィンド』では無く、ウォルフがO2レスと呼んでる種類の風だ。風の魔法で気体を操作し、空気中の酸素以外の気体を風として送ったのだ。
 炎とは酸素濃度が十三%以上ないと燃え続ける事は出来ない。酸素を含まない風でその炎を失った火の魔法は風に煽られ急速に温度を失って霧散した。

「辺境伯、危ないですよ」
「……今のは直前で消すつもりだったのだ」
「それなら良いのですがじゃれ合うのはもうこれくらいにして下さい。表彰式の時間が押してます」
 
 全力で放った『フレイム・ボール』を事も無げに消し去られ、驚いてはいたが辺境伯がそれを表に出す事は無かった。ウォルフに非難の目で見られて気まずそうに顔を背けるとそのまま踵を返した。

「ふんっ、いいかキュルケ! ワシは謝らないからな!」

 どうにも締まらない捨て台詞を言い放って辺境伯はピットへと帰っていった。

「……まあ、悪かったとは思っているみたいだね」
「あれのどこが?! 絶対に許してやんないんだから! 母さまに言いつけてやる」

 たたきのめされ、あれだけ大きな『フレイム・ボール』をぶつけられそうになったというのにキュルケの闘志は未だ衰えていない。今からこれだとキュルケが反抗期になったら辺境伯は苦労しそうだなあ、とウォルフは人ごとのようなことを考えていた。



 最後にハプニングはあったが無事第一回ツェルプストーグランプリは終える事が出来た。
 レースの主役達がゴール直前でリタイアしてしまい、少し寂しい表彰式になったが急遽キュルケがプレゼンターを勤めたためにそれなりに観客も盛り上がった。
 第二回グランプリが翌年に開催される事も決定し、見に来ていた貴族から何台か自動車の注文も入ったのでレースそのものは大成功だったといえるだろう。
 既に辺境伯達今回の参加者達は自動車の改造に着手したようで、ウォルフは来年どんな自動車達にあえるのか楽しみになった。



 辺境伯はレースとその後の乱闘を見ていた妻にこっぴどく怒られた。
「キュルケちゃんに謝るまでは一人で寝ていなさい」と夫婦の寝室から追い出され、それどころか彼の愛する妾達も正妻の命令に従って誰一人として辺境伯を部屋へ入れてくれなくなってしまった。
 それでも領主の沽券に関わると謝罪を拒否した辺境伯はこの日から暫く執務室の長椅子で一人の夜を過ごすことになった。家臣達の前では何でもない事のように振る舞っていたが、結局独り寝に耐えきれず夫人の前でキュルケに謝ったのはそれから一週間が経ったころ。
 ゲルマニアでも名だたる貴族であるツェルプストー辺境伯が、実は夫人には頭が上がらないというのはこの一家だけの秘密だ。




2-39    諸事雑事



「成る程。凄まじい勢いで鉄が精錬されていくものだな。このペースで精錬できるのならあの価格でも高くはないか」
「これでようやく鉄鋼の価格も下がりますね。どうも高いなあと思ってたんですよ」
「くっ、ゲルマニアの鉄は低価格高品質と評判だったのにっ」

 ハルケギニアで初めて開かれた自動車レースの興奮も冷めた頃、ここボルクリンゲンにあるツェルプストーの製鉄所でツェルプストー辺境伯とウォルフは転炉の試運転に立ち会っていた。多くの家臣達が見守る中、圧延機からは次々に鋼材が吐き出されている。
 高炉のすぐ側に転炉から始まる精錬・圧延工場を建設してあり、莫大な金額を商会に支払っただけあってその精錬速度、鋼材の品質はこれまでの常識を覆す程のものだった。
 見守っている家臣達は一様にその精錬の速度と鋼材の品質に驚き、ざわざわと落ち着かない。新方式の製鉄法と聞いてどの程度のものかと余裕を持って見ていたのが今では全くその余裕はなくなっていて、特に精錬担当の火メイジは顔を真っ青にしていた。
 アルミニウムやFRPなどの新素材についてならばまだしも、鉄についてはゲルマニアが一番との自負があったのにプライドを粉々に砕かれてしまった格好だ。
 ウォルフは家臣達が色々と説明して欲しそうにしているのに気がついていたが、時間的に余裕がないのであえて無視していた。この後ガリアにも行って同様に製鉄所の建築に立ち会わなくてはならないのだ。
 この試運転にはガンダーラ商会からも作業員を連れてきて作業をさせている。自分に向けられた多くの視線を無視して、連れてきた作業員達と一緒にツェルプストーの作業員にこつや注意点を伝えているウォルフの代わりに、ある程度転炉の仕組みを理解しているデトレフが説明を買って出ていた。

「あの上から吹き付けている気体は酸素でして、これがこの製鉄法の一番大事なポイントらしいですぞ」
「下から吹き上げているのもその酸素か?」
「それはアルゴンという別の気体だそうです。あたかも金のように他の物質と反応しない特殊な気体らしいですぞ」
「そんな気体どうやって作っているんだ、特殊な魔法か?」
「…さあ? ウ、ウォルフ殿ー?」
「あー、普通にそこらの空気に含まれていますので圧縮して冷却して分溜しています」
「…」

 作業員達と話をしていたウォルフが振り向いてあっさりと答えるが、ツェルプストーの技術者達が理解しているかどうかは疑わしい。ウォルフとしてはここやラ・クルスでの作業をさっさと終わらせて開拓地に早く帰りたいので丁寧には説明していられない。メイジならば自分で調べれば分かるはずだという思いもある。
 デトレフが切なそうな顔をしているが、まあしょうがない。

「えーと、全てそこらの空気に含まれていますが、鉄と反応しやすい物としにくい物を見極め、それぞれ集めてそれぞれ適した用途で使用しています。現物は置いていきますから後は皆さん自由にご研究下さい。それではわたしはこの辺で」

 まだまだ操業は続いていたが、大体の目処は立ったので、後は連れてきた作業員達に任せてウォルフはさっさと帰る事にした。
 しかし、例の間諜の件があるので打ち合わせを、という事で辺境伯と所長室に移動した。

「ご苦労だったな。開拓地がまだ忙しいだろうに、随分と時間を取らせたようだ」
「いえ、まあこちらが本業ですから。お買い上げありがとうございます」
「うむ。で、どうだ。手紙の事以外に何か新しい事は分かったのか」
「いえ。一応彼らの居室にも録音機を取り付けましたが他の団員も居ますし、今のところ目新しい情報はないです。週一回ダエグの曜日にフクロウで連絡を取る予定だったみたいですが、中々フクロウが来ないみたいでやっと来たときは悪態をついてましたね。けちくせえやつだって」
「けちくせえ、か。ガリア東南部やロマリアの方言だな、仕事をしないやつの事だったか」
「ああ、そういう意味だったんですか、納得です」
「ふふふ、これでまた少し絞れたか。録音しているとの事だったが、今も残っているのか?」
「ええ、勿論。これを辺境伯に預けておきます」

 そう言うとウォルフは背負ったリュックから二十サント程の人形を二体取り出してテーブルに置き、その頭を指で押した。

『おい、どうすんだよ、目をつけられたっぽいじゃないか。だからやめとけって言っただろう』
『仕方がない。あの姉妹の髪色と瞳を見ただろう、ベルク公にそっくりじゃないか。確認をとるのは当然だ』

 そのとたん二体の人形はそれぞれモレノとセルジョの声色で話し始める。もし本人が聞いたとしても驚くだろう程同じ声色で密談の一部始終を話しきった。

「確かにヴァレンティーニとやらの名前が出ているな。まさか偶然という事はないだろう」
「偶然ってのはないですね。後ろの方に入っている別の日の密談ではキュルケ襲撃の日の事を話題にしてましたし、司教さんの飛ばされた先とかにも触れていました。後で確認して下さい」
「確定か。くっくっく、ようやく尻尾を見せてくれおって、どうしてくれようか」
「あー、犯罪者の処分でしたら強制労働先には是非、ウォルフ・ライエ開拓団をご利用下さい」
「うん? 犯罪者を領内から出したら政府から文句を言われ…ないか。ワシが後見貴族になってるから開拓地は暫定的にツェルプストー扱いになるのか」
「はい。関連法規を調べましたけど、開拓地で出た犯罪者の管理は開拓団長とその後見貴族が責任を持って取り扱う事になるそうです」
「ちゃっかりしておるな。いいだろう、死刑にするまでもないような奴ならお前の開拓団で強制労働させる事に異存はない。その代わり今後とも情報提供をよろしく頼む」
「ありがとうございます、すみませんね、どうにも人手不足でして」

 ニヤリと笑う辺境伯にウォルフも笑顔で返す。辺境伯は今後も協力を取り付ける事が出来、ウォルフはその見返りを確約する事が出来た。

「それにしても、これはおしゃべりアルヴィーか。よくこんな子供向けの人形を持っていたな」
「母がこういうものを好むので。結構使えるんですよ、これ。ただもうストックが無いので今度来るときまでに辺境伯の方で用意しておいてくれるとありがたいです」
「うむ、任せろ。ダース単位で用意してくれる」

 おしゃべりアルヴィーは貴族の子供向けの玩具だ。玩具ではあるが、伝言を残したり魔法のスペルを覚えるのに使われたりして結構実用的なものでもある。ウォルフは市販されているこの人形を利用してまもるくんに録音された音声を保存しているのだ。

「いや、そんなにはいらないですよ。フクロウの後を追跡していたみたいですが、何もつかめませんでしたか?」
「ああ、二十リーグも飛ばない内にワイバーンに食われてしまった。夜行性のワイバーンもいるのだな、やっかいな森だ」
「夜の森はいっそう危険なのにのんきにワイバーンが出る高度を飛んでいるんだ…そりゃ、やられるな。あれは亜種らしいです。色も真っ黒だし飛行音がほとんどしないので気づくのが遅れがちになります。せっかく連絡に来たのが食われてしまったという事はまだろくに連絡は取れていない可能性が高いですね」
「うむ。せっかくモーグラを高度一万メイルなどというところに待機させているのだ。早いところ主犯のところまで連れて行って欲しいものだ」

 まもるくんのおかげで平和に過ごしているので忘れがちだが、開拓地はもとよりマイツェンも辺境の森のまっただ中にある。その空は非常に危険なのだ。

「まあその内対策をとって定期的に連絡を取れるようになりますよ。そのときを待ちましょう」
「奴らの頑張りに期待、ってかんじなのが変だが、まあその通りだな。ワシの手の者はどうだ、無事潜り込めたか」
「エメリヒとクヌートですね。エメリヒはモレノ、クヌートはセルジョと同じ班で働いてもらってますよ。なかなか働き者のナイスガイで助かってます」
「二人ともよろしく頼む。ドルスキやリンベルクにも手の者を送り込んでいるから、万一モレノ達が逃げたりしたときは使ってくれ」

 モレノとセルジョの班を分けたのは録音装置を設置してあるのがマイツェンだけなので、密談をするなら開拓地ではなくマイツェンでして欲しいとの狙いからだ。
 その後辺境伯と互いに持っている情報を交換し、適当なところで会談を切り上げてさっさと退席した。仕事が詰まっているのだ。



 すぐに機上の人となり向かった先は故郷アルビオン。
 久しぶりに帰ったチェスターの工場では編み機が十台以上が動いていてニットの生地を生産していた。様々な材質・太さの糸を編んでいるこれらの編み機は開発中のもので、まだ改良したいとの事で編み機の量産はしていない。
 この編み機は生産されるニットの品質は高いのだが一時間あたりの編める生地が一メイル程と一台の生産効率はあまり高くない。そのため数を揃えるつもりなのだが、そうなると必要な部品は膨大な数になる。
 鋼材からプレス・熱処理・メッキ処理といくつもの工程を経た針がずらりと並ぶ姿は美しいが、必要な精度を維持しながら量産できるようになるまで多くの時間を費やした。
 今はもう量産する準備も整っているので、編み機の最終的な仕様決定を待っている段階だ。

 ウォルフは早速量産機械を一つ一つ確認し、リナがミシンを開発している研究室に移動した。

「お、ジーパン出来てる! やたっ」
「結構苦労してましたよ、それ。針子の経験者がいたから何とかなってましたが。そんなゴワゴワの布でズボン作るなんて信じられないって言ってました」
「はいている内に馴染むから良いんだよ、これで。おおー、設計図通りリベットまでちゃんと打ってある…Tシャツとパーカーはまだ?」
「今日ウォルフ様が来るって言っておいたから今向こうで縫っているはずですよ。もう出来ている頃かもしれませんね」

 ジーパンは織機による綾織の布で出来ているので今開発している編み機とは関係ないが、太い糸を使用した厚めの生地なのでミシンの試運転を兼ねて作ってもらっていた。
 アルクィークで貰った染料では鮮やかになりすぎだったので、アルビオン製の安い染料で染めた糸を縦糸に使って生地を織り、前世の記憶のままに描いたスケッチと型紙通りに出来上がっている。
 定番となっているようなものには定番となる理由がある。今後も地球の文化で導入可能なものは積極的に導入していく予定だ。

「OK行ってみる」
「にゃー! ちょっと待ってくださいよ、ここの構造見て意見下さい。時々下糸と上糸のテンションがおかしくなるんです」

 Gパンの完成に気をよくしているし、早くTシャツを見に行きたいが、ここでリナの相談にも乗らなくてはならない。そんな時に便利な魔法がこの世界にはある。
 
「《遍在》じゃあミシンはそっちのオレが見るからよろしく」
「まかせろ。本体はTシャツよろしく」
「…何という魔法の無駄遣い。久しぶりに見るとやっぱり不気味ですね、遍在って」
「ふふふ、風は遍在するのだよ。って意味わかんないよな」

 風の魔法『遍在』によって二人に分裂し、本体は違う棟にある縫製工場に行ってしまった。
 リナはまだこの魔法に慣れなかったが、ウォルフが一人になってしまえば気にはならなくなる。ミシン開発チームの面々と一緒にウォルフに現状を説明するのだった。

 ジーパンは試着してみた結果ボタンフライの調子がいまいちで作り直して貰う事にしたが、何度か作り直して貰う内に納得できるものが完成したため、ウォルフは早速通常履くズボンをジーパンにするようになった。
 これまでのハルケギニア製のどのズボンより丈夫なので作業着にはぴったりだ。濡れると乾きにくいので森などに着ていくものとしては適さないが、そういった用途にはポリエステル100パーセントで伸縮性のあるズボンを開発中だ。
 アルビオンでの仕事を済ませてガリアに行く頃にはTシャツもパーカーもスウェットも試作品が出来上がった。綿の糸を編み機で編んだこれらの服は織物と違って伸縮するので着心地が格段に良い。
 サンプルを見せたタニア達商会上層部にも好評で、編み機やミシンそのものの販売の他に服そのものも取り扱う事にして大規模な縫製工場を建てる事になった。
 紡績から縫製まで研究開発と生産を一貫して行える工場にするとの事でタニアから紡績機の開発も指示されたが、ウォルフはまたリナに丸投げした。化学繊維ならもう実用化しているが、原綿から綿糸にする工程を新たに研究しなくてはならないのでまた時間がかかりそうだからだ。
 リナも相当忙しいが、とにかくウォルフはやる事が多くて忙しい。開拓地で空いた時間に設計していたトラクタやコンバインハーベスタをこちらの工員と共に試作し、それが形になる前にもう直ぐにガリアに移動だ。文字通り寝る間もない程で、ガリアへの移動中は自動操縦のモーグラ機内で熟睡する事になった。



 ガリアでも転炉の設置をして開拓地に戻ったときには出発してから一ヶ月が経過していたが、まだ出かける前に切り倒した木は一部しか運び出せてはいなかった。とりあえず森との境界付近に簡易的な防壁になるように積み上げているが、全て運び終えるにはまだまだ時間が掛かりそうだ。
 いずれ開拓地にも製材所を作り開拓地で使う分は現地で加工するつもりなので、そうなればもう少し木材を捌ける量が増えるだろう、と期待しつつウォルフもまた作業に戻った。

 開拓地の港から少し離れたところには最初の集落を作り始めていて、井戸も掘ったのでもう少しでこちらに住み始める事が出来そうだ。
 まだ当分木は切らなくても良さそうなので引き続き築堤の監督と、上流の山間地のダム予定地の精密測量に励む。ダム予定地より少し下がったところに広大な緩速砂濾過浄水場用地も確保し、上水道の設計も本格的にし始めた。

 築堤の工事が終わればマイツェンからこちらへ移住を始め、本格的に都市の建設に取りかかる事になる。
 川港のある平地一帯は将来ウォルフの領地の中心となる都市になる。この中心都市と領内各地とは鉄道と幹線道路で結び、多くの人々はその沿線の街々から出勤してくるようになるだろう。事前に何度も検討し直した都市計画だ。まずはその実現に向け築堤と平行して下準備を始めた。
 道路用石畳の石材の手配は当面輸入でしのぐつもりだが、山地には上質な石材が採れそうな山もあるので将来的には自家製に切り替えたい。アスファルトやコンクリートは今のところ必要量が確保出来なそうなので採用を見送っている。路面電車の敷設方法は道路担当の作業員達と検討しなくてはならない。初めての事なので色々と実験もしなくてはならないだろうが、当面は必要ないだろうから用地だけ確保しておく。

 官庁予定地、市場予定地、学校予定地、商業地域、住宅地域、更には劇場や公園、スタジアム予定地まで、木を切り倒した平地に次々と杭を打ち都市の機能を割り付けていく。
 実際にこれら全てに建物が建つのはずっと先になるだろうが、この都市が多くの人口を抱える事になっても快適に人々が暮らせる事を想定して設計してある。港とそこから離れた官庁街とを結ぶ直線をまず整備して都市の機能を配置し、官庁街を中心にして螺旋状に都市が発展していくようにしているので、その時の住民の数に応じて必要な規模の街になる事だろう。

 責任が大きくなるのでプレッシャーもあるが、好き勝手に都市を設計するというのはゲームをしているみたいで楽しい。領地を作るというのも物作りの一つなんだなとウォルフは思った。




2-40    見学会



 ウォルフが開拓地に戻って一週間後、ガリアから一隻の船が到着した。
 まだ朝靄に包まれたマイツェンの港に入港してきたこの船は、食糧や物資の補給とラ・クルス領で募集した移民希望者の見学ツアー御一行様を乗せてきていた。

 ハルケギニアでは幻獣や亜人などの脅威が多いため、管理がいい加減な貴族の領地では平民の数は一定もしくは減少傾向であるが、ラ・クルスのように管理が行き届いている領地では人口増加が問題となっている。なまじ魔法があるために人々が暮らしていくのには十分以上の食料が生産されているのだ。
 基本的にこの世界の農業は村単位で行われている。土地というものは領主のものであり、灌漑や排水、耕作物決定などは村によって行うので村のものでもあり、実際に耕す耕作人のものでもあると考えられている。村人同士の平等性を確保するために耕作地は定期的に割り替えが行われ、得られる農作物は領主と村と耕作人とで分配する。
 村の耕作地は限られているために村人が一定数より増えた場合、耕作地を割り振ることが出来なくなる。そのため人口が増え、村にいられなくなった次男三男などは村を出ることになるのだが、メイジならば就職先を探す事が出来てもただの農民などは通常傭兵になるか人口が減っている領地に移動する位しか働き口が無い。しかし、都市住民の職業である商人や職人などは子供の頃からの厳しい修行が必要なので、農家の息子がおいそれと就ける職業ではない。

 今ラ・クルスではシャルルとレアンドロの推進するプロジェクトによりそこそこ働き口はあるが、近隣の領地からその仕事を求めて人々が流入してきているので競争は厳しい。しかもそんな慣れない仕事よりは農家ならやはり農業に携わりたいと思うのは人情なので、今回ウォルフが企画した無料の体験ツアーには百人以上の応募があった。募集しているのが領主の孫という安心感もあり、自分の目で見てどのような土地かを見てから決める事が出来るというのもポイントが高かった。

「はーい、皆さんお疲れ様でした、当開拓団団長のウォルフ・ライエ・ド・モルガンです。この船は荷下ろししますので、皆さんはあちらに用意してあるフェリーに乗り換えて下さい。早速開拓地の視察に行きましょう」
「や、これはウォルフ様ご丁寧にどうも」
「はい、立ち止まると後がつかえますので、立ち止まらないであちらの船に乗り込んで下さーい」

 自分たちの領主の孫が自ら案内に来た事にツアー客達は驚いたようだが、挨拶もそこそこに促されて早速船を乗り換えさせられる。
 ウォルフと一緒に誘導しているのはグレースとミレーヌの姉妹だが、今回彼らを受け入れるに当たってはこの姉妹が随分と働いてくれた。宿泊場所を確保し食糧を手配して見学の細かい行程表を作り周知するという、ウォルフから見ても文句の付けようのない仕事ぶりだった。
 秘書のまねごとをしている内にどうやらちゃんと秘書として育っているらしい。

「やあやあ、まだここからも移動するのかよ。やっぱり遠いなあ」
「うーん、こう遠くちゃあ、そう頻繁には帰れねえなあ」
「開拓団ってのはそこに骨を埋めるつもりで参加するものだろう、何甘い事言ってんだ」
「やあ、ここがマイツェンか。随分と立派な防壁があるな。でも、こっちの建物は低い防壁しかないけど大丈夫なのかい?」
「おお、辺境に来たって感じだな。彼女と観光に来たってんなら楽しめるのだが」
「お前に彼女がいた事なんて無いだろう」

 やはり開拓地の遠さは評判が悪いようで、皆文句を言いながら降りてきた。しかし、さすがにテンションが高くなっているのかお喋りしている者が多く、彼らの興味はマイツェンの建物や森、乗り換えるフェリーなどに向けられる。

「はー、随分ととんがった衝角がついてるなあ。あんなのが必要な幻獣が川にいるんですか」
「いや、あれは速度を上げたときに水の抵抗が少なくなるようにあんな形になっているだけですよ」
「なるほど、速度を上げてから突き刺すわけですな」
「それは威力がありそうです」
「…まあいいや。じゃあ、全員乗ったら出発します」

 ウェーブ・ピアーサー型船形のフェリーはウォルフの前世でも最新の高速船形だったが、この地では見ただけでその効果を判断できる者はまずいない。実際時々大型のリザードの類の幻獣が突き刺さるので開拓団員にも水面下で鋭くとがった船首をただの衝角だと思っている者は多い。
 ウォルフは説明をあきらめてわいわいと好き勝手に話しているツアー客に続いてフェリーに乗り込んだ。

「ウォルフ様、準備完了いたしました。出港できます」
「ん、じゃあ早速移動しよう」

 警備隊から準備完了の知らせを受けて船長に合図する。フェリーは軽く汽笛を鳴らして動き始めた。
 警備には万全を期している。万が一にもツアー客が幻獣や亜人の脅威を感じる事がないように前日には広範囲にわたって掃討作戦を展開したし、今日のためにまもるくんも増強して配備している。

 ウォルフには農業の知識も経験も無い。窒素・燐酸・カリウムが肥料の最重要の三要素である事は知っていても、それをいつどのくらい与えればいいのかなどは全く分からない。実際を伴わない薄っぺらな知識しかないのだ。
 作物ごとの種蒔き時期、手入れ方法、肥料の種類、水の量、適した土壌など、その多くの知識は農民達の間で代々伝えられているもので、手軽に手に入れる方法などは無い。
 図書館に行けば魔法の事はある程度調べられても、農業に関する書籍などは殆ど無いのだ。農業は年単位のサイクルなので一から知識を積み重ねていくのは時間がかかりすぎる。開拓地で早い時期に農業を軌道に乗せるために農民をスカウトしてくる事は絶対に必要な事だった。
 農民以外の技術者なども欲しいには欲しいが、農具などについてはウォルフがサポート出来る事もあるし、農民は自分の事なら割と何でも自分で出来るのでまず何はともあれ農民を増やす事を目指した。


 波を蹴立てて時速四十リーグで航行するフェリーは一時間もかからずに開拓地へと到着した。
 港の周囲には既に数リーグ堤防が築かれ、その内側には無数の木材が積み上げられて出荷を待っている。木材はここで筏を組んでマイツェンまで送られ、そこで乾燥・製材を経て開拓地で使うものは加工し、大径木や木目の美しい銘木など市場価値が高そうなものは船に積んで輸出する予定だ。
 現在ハルケギニアでは風石価格の低下が空前の造船ブームを引き起こしているので、ここで採れるような大径かつ長尺な木材の需要は高い。フェリーが開拓地に到着するまでも多くの筏とすれ違った。

 港から少し離れたところでは木造の住宅が何棟も建てられて既に村の様相を呈している。堤防を作る者、家を建てる者、木材を搬出する者、皆生き生きと働いていてさぼっている者などは見あたらなかった。

「ここが、開拓地のメインの港となる予定です。ここには空港も建設して旅客をメインに取り扱います。貨物はここから東側に行った山裾と南の台地の下にそれぞれ港を作って扱う予定です」
「はあ、二ヶ月前から開拓し始めたって言ってたけど、もうこんなに出来てんですか」
「メイジが三十人以上いますし、重機、あちらの変形ゴーレム車を平民が扱う事でより効率的に開発できています。この広大な平野は殆ど農地にしますから、皆さんにはそこに種を蒔いて麦を育てて欲しいです」
「確かにこれだけ平らで広けりゃ耕すのは楽そうだな」

 ラ・クルス領は川沿いの一部の土地をのぞいては丘陵地に畑が広がっている。収穫物を村に持ち帰るだけで苦労する事もあるのでこの平らな土地はとても魅力的に思えた。
 ウォルフが先頭に立ってフェリーから下り、土を確かめて貰う。皆思い思いに土を手に取ってぎゅっと握りしめて手を離し、土の状態を確認している。何人かは土を舐めている者もいるが、好評のようだ。
 川が栄養を運び、森がそれを更に豊かにした土だ。作物を育むのに十分な栄養を持っている事が農民達にはわかった。

「これは良い土だな。麦には最適だろう」
「ブタヨケソウやネギ類もいいな。直ぐに収穫が見込めそうだ。だがカブや芋類には向かないな」
「うーん、砂がちょっと多いんじゃないか? ハシバミ草やレタスならこれでも良いかもしれないが…」
「んん? そこらへんは木を掘り返したからだろう。こっちを見てみろ、この辺全部すごく良質な腐植さ」
「おお、成る程この辺は相当深く掘り返したのか。ああ、これなら麦も大丈夫そうだな」

 ワイワイと客達が土を評価しているが、ウォルフにはなぜ麦が良いのにカブや芋がダメなのかは分からない。ちなみにブタヨケソウとはオーク鬼がその臭いを嫌うためハルケギニアの村落では一般的に栽培されている野菜だ。
 農家達の間を回りながら評価を聞いていると、沸き立つ農家達とは別に、少し渋い顔をして土をいじっている一団を見つけた。

「どうしました?」
「や、ウォルフ様。いえね、私どもはリンゴを主に栽培していた農家なのですが、ちょっとここらの土はリンゴには向かないようで…」
「そうですね、リンゴを作るにはちょっと苦みが強いです」

 不満を述べた農家に土の味を見ていた農家が同意する。ウォルフは彼らがpHの事を言っているのだと見当を付けた。
 事前に調べたところではここらの土壌pHは七にいかないくらい。ほぼ中性といったところだ。おそらくリンゴは酸性土壌を好むのだろう。

「それなら、東側の丘陵地が適しているかと思う。後で行ってみよう」
「ほう、土メイジでもない貴族様が土の事をお分かりになるので?」
「多分だけどね。リンゴはこの領の主力産品の一つにしたいと思っているから、是非確認して欲しいよ」
「主力産品てウォルフ様、こういう事はあんま言いたくねえけど、もう少し勉強した方が良いんじゃ…」
「バカ、ディノ何失礼な事言ってんだ!」

 ウォルフに対して直言してきた者を他の者が咎めるがウォルフはそんな事は気にしない。

「いや、別にかまわない。勉強した方が良いって、何を? 土の事?」
「こんな辺境でリンゴを主力産品にするって事ですよ。長い距離を輸送してたら値段が高くなって売れねえし、そもそも日数かけてたら傷んじまう。ここでリンゴを作るって事はここで消費するしかねえって事だよ」
「ああ、その事。それなら考えているから大丈夫。低コストで新鮮なまま保存する方法を開発したから収穫期とは少し時期をずらして販売するつもりなんだ。それなら多少高くても売れるだろ?」
「はあ?」

 事も無げに言われて絶句するがそれも無理はない。食物の長期保存をする場合、この世界ではメイジが『固定化』の魔法を掛け、食べる前にそれを解いて供するのが普通だ。全く劣化せずに保存できるので便利だが、メイジが二度関わるためにそのコストは高くなる。それに対してウォルフが開発したのはコンプレッサー式の冷蔵庫とその庫内の空気の成分を調整してリンゴの鮮度を保つという保存法だ。
 元は製鉄用の酸素やアルゴンを分溜する過程で出る二酸化炭素の有効活用を模索する内に開発した技術だが、ウォルフの試算では規模が大きくなれば保存のコストは『固定化』の魔法を使った場合よりも十分の一以下になると出ている。さらに『ライト』の魔法により近赤外線を照射することで糖度を測定し、特に糖度の高い物をブランド化して高価格で販売する計画もあるのでこの辺境の地からの輸送費を計算に入れても十分に商売として成り立つと目論んでいた。

 ウォルフが詳しく計画を説明していくとポカンと口を開けて聞いていたリンゴ農家達は真剣な眼をして聞き始めた。農家が続けられるのなら、位の気持ちで応募した今回の視察旅行である。将来の具体的な販売戦略まで聞かされて俄然その気になってきた。

「ですので皆さんに栽培して欲しいのは甘く、芳醇で香り高く、美しいリンゴです。多少手はかかってもそれに見合う対価を得られるようにしてほしい」
「ジャムやシードルにしかならないようなリンゴは作らなくて良いって事ですか。ここの気候はどうなんですか?」
「春から夏までの気温はリンゴの著名な産地であるラ・ロワールとほぼ一緒らしい。冬は少し寒くなるみたいだけど、リンゴの木が育たないという程ではないって」
「ほほーう」

 気温などはマイツェンでの話だが、ほぼ変わらないだろう。リンゴは耐寒性が高いので多少気温が低いくらいなら問題はない。リンゴの名産地と気候が近いと聞いてとたんにリンゴ農家達はそわそわし始める。一刻も早くウォルフがリンゴ栽培に適していると言う丘陵地へと行ってみたいのだ。

 この後また船に乗り込んで件の丘陵地へと移動したが、その土質はウォルフの見立て通りリンゴ栽培に適していると農民達から太鼓判を押して貰う事が出来た。ここら辺はまだ切り倒した木々が搬出されていないのであまり詳しくは回れなかったが、村の建設場所や更に奥地の林・鉱業地域などをざっと案内するともう農民達はここでの暮らしを具体的に考え始める程だった。

「ウォルフ様、いつくらいからこっちに住めるんだかね、まず何はともあれ苗木の植え付けをしたいんだが」
「あー、植え付けの時期っていつなのかな、見ての通りこっちの方はちょっと開拓が遅れ気味なんだけど」
「今くらいから夏前までだな、本当は秋の内に植える方が良いんだけど」
「秋の内ってのは無理だなあ」

 どうも何人かは親から独立してどこかの領地でリンゴ農家を始めるつもりだったらしく、もう自分の苗木を用意しているそうだ。彼らには春までにこの地に村を整備する事を約束し、移住の確約を取り付ける事に成功した。
 そうするとそこからはもうとんとん拍子に話が進み、リンゴ農家の多くは移民を約束してくれ、彼らに引っ張られるように普通の農家達も移民を真剣に検討し始めた。この丘陵地にはあまり人が入っていなかったせいかワイバーンが飛来するというハプニングがあったのだが、周囲に設置したまもるくんが何でもない事のように撃退したのも髙ポイントだ。



 この日マイツェンに帰った一行は広場での焼き肉パーティーの歓待を受け、秋も深まった辺境の地の夜を存分に楽しんだ。
 肉を食べワインを飲みダンスを踊る。広場の中央には煌々と篝火が焚かれ、季節外れの祭りのような夜にテンションは上がる。意外に開拓団参加を申し出てくれた人が多かったためウォルフもついつい羽目を外し、勧められるままワインを口にして大いに酔っぱらった。

「さあさあ、どうぞウォルフ様もう一杯。ラ・クルスの男たる者この程度のワインは水と一緒ですぞ」
「あっはっは、ラ・クルス育ちじゃないんだけど。しかし、この水は久々に飲んだけど美味いな!」
「さすがはエルビラ様の息子様です。あの方はワインなど火の魔法の元だと仰っていました」
「母さんの魔法の元になるにはワインじゃあアルコール度が低すぎっぽいな。てか母さんって平民達と酒飲んだりしてたの?」
「村々を回って野盗などをよく殲滅して下さってくれていましたから、慰労の宴などはよく開かれていましたよ」
「へえー、知らなかった。でもそういうの好きそうだよね」

 討伐ではなく殲滅なのがエルビラらしいが、相変わらず彼女はラ・クルスの領民達に愛されている。ウォルフは移住確約組に囲まれ、気分良く杯を重ねていた。ちょっと酔っぱらう事を懸念してはいたが、後で魔法を使って酔いを醒まそうと思っているので気楽なものだ。

「くそうっ、ド・モルガン男爵めえ! 俺たちのエルビラ様を返せー!」
「そうだ、返せー! お前にはもったいなさ過ぎるだろー!」
「あの、その人一応オレの父さんなんですけど」
「わはははは」

 もうみんな無礼講で飛ばしまくっている。エルビラがガリアにいたのはここにいる者達がまだ子供だった頃のはずなのだが、関係ないらしい。ウォルフも酒宴は久しぶり、っていうかこの人生では初めてだがとても楽しい。酔っぱらう男達と一緒に気持ちよく酒に酔った。
 そんな中、ウォルフの正面で良い感じで酔っぱらっていた青年が、ふと、まじめな顔をしてウォルフに語りかけた。

「ウォルフ様、この開拓団の問題点を見つけましたぞ!」
「何、問題点と? それは今すぐ教えて貰いたいものだ、さあ言え」
「ではこのペドロ、皆を代表してお伝えいたしましょう! この開拓団最大の問題点、それは…!」
「それは?」
「女の子が少ない事です! うおぉおー、出会いが無えよぉー!」
「そうだそうだー! 畑なんかどうでも良いから、オラの嫁を用意してくれー!」
「うおー!、その通りだー! 青年団とか言ってる内に三十超えちまったぞ、兄貴には今度孫が出来るって言うのに!」
「おしりのおっきな女の子が好きです!」
「に、二の腕、二の腕の弾力!」
「ばいんぼいん!」
 
 農村の青年達の魂の叫び。それはウォルフの魂にも直接響き、激しく揺さぶった。
 まだ九歳でしかないウォルフの胸に、独身男達の悲哀がこれほどまでに深く染み入るのは何故だろうか。輪廻転生の不思議を久しぶりに実感しつつウォルフは腰を上げた。

「二年だ」

 ゆらりと立ち上がったウォルフが告げる。誰もその言葉の意味が分からずに顔を見合わせている。

「…ウォルフ様?」

 ぐいっとコップを掴むと、残っていたワインを一気に飲み干した。
  
「っぷぅ…正直な話、今現在ハルケギニアの何処に行こうとも、ここに嫁入りしてくれる若い娘さんなどいないだろう」
「う……」
「それはそうだ。目に見えない農地なんて無いのと一緒だ。成功してみせるまで、この森が豊かな農地に変わるなんて誰も信じてくれない」

 とぷとぷと新たなワインをグラスに注ぐ。

「お、俺はウォルフ様の言葉を信じてますぜ、こんな森なんて切り開けるって」
「ありがとう。でも、分かるだろ? 女ってのは自分の常識からは決してはみ出そうとしないものなんだ」

 冷徹な言葉に、盛り上がってた座は一気に静かになった。実際見学者の中には既婚者もいたが、ここまで来ているのは全員男だし移住を確約したのも独身者だけだ。

「男だけの集団に未来など無い。やがて老いて消滅するだけだ」

 ぐすっと鼻をすすり上げる音が時折響く中、ウォルフはクイッとグラスを傾け、朗々と声を張り上げた。

「だがな……オレは楽観している。この、開拓団の未来を」

 力強く宣言するウォルフに下を向いていた者達が顔を上げる。

「オレは挑戦する! たとえ、不可能と言われようと。女達には見えない道が、男には見えるってことを教えてやる!」

 ウォルフを見詰める男達一人一人の目を見詰め返し、続ける。
 
「願わくば、オレと共に挑戦して欲しい。この、地獄とも呼ばれた森を、実り豊かな大地と変える事に!」

 ウォルフの言葉が農民達の胸を打つ。農民にとって挑戦という言葉は自分たちとは関係のない、物語の世界の中の言葉だ。

「二年だ! 二年間歯を食いしばってこのくそったれな森を切り開けば、お前達はガリアでは決して得る事が出来ない程広大な耕作地をその手にする事が出来るだろう! その時!」

 もうウォルフは絶好調だ。『レビテーション』で軽く体を浮かせて周囲を睥睨し、拳を振り上げるとそこにいる全ての人に自分の声を届かせた。

「お前達は、お前達の女に自分の未来を示す事が出来るんだ!」

「うおおおお! やってやんよー!」
「待ってろオレの女ー!」
「決して自分に限界を設けるな! 出来ない事なんて無い! そんなのはやる気が無いやつの言い訳だ! 飛ぼうとさえ思えば、人は何処までだって飛べるんだ!」
「うおお! やってやるよおおお!! おれはガンダーラにだって行ってやるぜえええっ!」
「ここが俺たちのガンダーラなんだ! 俺はウォルフ様と一緒にここをガンダーラにするんだ」
「ガンダーラ!」

 一瞬の沈黙の後、ウォルフの檄に応じて次々に男達が叫ぶ。
 やがて誰かがギターの演奏を始め、広場はここ数年ハルケギニアで大流行している曲・ガンダーラの大合唱となった。この世界のどこかにあるという理想郷ガンダーラの歌に宴はますます盛り上がり、ウォルフはその真ん中で酔い潰れるまで気勢を上げた。



 夜通し続いた喧噪の片隅で、酔いつぶれたウォルフが毛布にくるまって丸くなっている。
 人々は皆時折思い出したようにその下を訪れ、杯を捧げてはまた喧噪の中に戻る。皆、その寝顔に輝かしい未来を夢見ているようだった。 



 この日以降、度々移住希望者達が開拓地を見学に来るようになった。ウォルフが開拓を続けながらハルケギニア中を飛び回り、各地の領主と交渉を重ねた結果だ。ハルケギニアには農奴制はほとんど残っていないが、余計な軋轢を避けるため一応ちゃんと領主には気を使った。
 見学者はガリアとアルビオンの人間が殆どで、トリステイン、ゲルマニア、ロマリアの人間はほぼいなかった。トリステインでは領主に伝手がないので交渉するまでにも至らず、ゲルマニアは相対的に人が少ないため領主が募集をいやがった。父方の親戚が何軒かトリステイン北部に残っていたので一応手紙で打診して見たのだが、ガンダーラ商会の親戚とは周囲に知られたくないので訪ねてきたりはしないように、との丁寧な返事をいただいた。ロマリアは街に沢山難民がいるそうので当初大量に移民を連れ帰られるのではと期待したが、カルロ達ロマリア出身の者に話を聞くと、難民生活を長く続け施しを受けて暮らす事に慣れきった人々は労働意欲が低く勧められないとの事で諦めた。
 前記の二カ国出身者の見学会では、多くの見学者が移住を約束してくれたときもあれば殆どゼロの時もあったが、ウォルフの開拓団は確実にその人数を増やしていった。

 積極的な勧誘活動によってウォルフ・ライエ・ド・モルガンの名前がハルケギニアの貴族、平民達の間で噂に上がるようになってしまったが、ウォルフはそれでもかまわなかった。
 商会という不安定な立場ではなく、領主という安定した立場を得るためには避けられないという事だ。風石の事などでやりすぎた感があるので、早晩似たような状況にはなるだろうという判断も有っての事だ。

 ガンダーラ商会がゲルマニアで東方開拓をしているという噂が広がるにつれ、見学希望者とは別にいきなり移住を希望してくる者もあった。住んでいた領地の税が厳し過ぎたり、不作だったりして食い詰めた難民達だ。
 これまでのハルケギニアではロマリアへと向かっていたそれらの難民達が、その噂を頼ってサウスゴータやボルクリンゲンの商館を訪れるようになったのだ。殆ど着の身着のままのそれらの人々をウォルフは無条件で受け入れ、開拓地へと送った。
 彼らが口々に歌うのはガンダーラの歌。ハルケギニアで流行する歌そのままに、彼らはウォルフの開拓団こそ愛の国・ガンダーラを実現すると信じていた。

 ガンダーラ商会が直接関与しているわけではないが、ウォルフの開拓団はいつのまにかガンダーラ開拓団と呼ばれるようになっていった。




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