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No.33077の一覧
[0] 空を翔る(オリ主転生)[草食うなぎ](2012/06/03 00:50)
[1] 0    プロローグ[草食うなぎ](2012/05/09 01:23)
[2] 第一章 1~5[草食うなぎ](2012/05/09 01:22)
[3] 第一章 6~11[草食うなぎ](2012/06/03 00:32)
[4] 第一章 番外1,3[草食うなぎ](2012/06/03 00:34)
[5] 第一章 12~15,番外4[草食うなぎ](2012/05/09 01:30)
[6] 第一章 16~20[草食うなぎ](2012/06/03 00:34)
[7] 第一章 21~25[草食うなぎ](2012/05/09 01:32)
[8] 第一章 26~32[草食うなぎ](2012/05/09 01:34)
[9] 幕間1~4[草食うなぎ](2012/05/09 01:39)
[10] 第二章 1~5[草食うなぎ](2012/05/09 02:22)
[11] 第二章 6~11[草食うなぎ](2012/05/09 02:23)
[12] 第二章 12~17[草食うなぎ](2012/05/09 02:25)
[13] 第二章 18~19,番外5,6,7[草食うなぎ](2012/05/09 02:26)
[14] 第二章 20~23[草食うなぎ](2012/05/09 02:28)
[15] 第二章 24~27[草食うなぎ](2012/05/09 02:29)
[16] 第二章 28~32[草食うなぎ](2012/05/09 02:30)
[17] 第二章 33~37[草食うなぎ](2012/05/09 02:32)
[18] 第二章 38~40,番外8[草食うなぎ](2012/05/09 02:32)
[19] 幕間5[草食うなぎ](2012/05/17 02:46)
[20] 3-0    初めての虚無使い[草食うなぎ](2012/06/03 00:36)
[21] 3-1    ラ・ヴァリエール公爵の目的[草食うなぎ](2012/05/09 00:00)
[22] 3-2    目覚め[草食うなぎ](2012/05/09 00:01)
[23] 3-3    目覚め?[草食うなぎ](2012/05/09 00:02)
[24] 3-4    ラ・ヴァリエールに行くと言うこと[草食うなぎ](2012/05/09 00:03)
[25] 3-5    初診[草食うなぎ](2012/06/03 00:40)
[26] 3-6    再診[草食うなぎ](2012/06/03 00:40)
[27] 3-7    公爵家にて[草食うなぎ](2012/06/03 00:52)
[28] 3-8    決意[草食うなぎ](2012/11/06 20:56)
[29] 3-9    往復書簡[草食うなぎ](2012/11/06 20:58)
[30] 3-10    風雲急告[草食うなぎ](2012/11/17 23:09)
[31] 3-11    初エルフ[草食うなぎ](2012/11/17 23:10)
[32] 3-12    ドライブ[草食うなぎ](2012/11/24 21:55)
[33] 3-13    一段落[草食うなぎ](2012/12/06 18:49)
[34] 3-14    陰謀[草食うなぎ](2012/12/10 22:56)
[35] 3-15    温泉にいこう[草食うなぎ](2012/12/15 23:42)
[36] 3-16    大脱走[草食うなぎ](2012/12/23 01:37)
[37] 3-17    空戦[草食うなぎ](2012/12/27 20:26)
[38] 3-18    最後の荷物[草食うなぎ](2013/01/13 01:44)
[39] 3-19    略取[草食うなぎ](2013/01/19 23:30)
[40] 3-20    奪還[草食うなぎ](2013/02/22 22:14)
[41] 3-21    生きて帰る[草食うなぎ](2013/03/03 03:08)
[42] 番外9    カリーヌ・デジレの決断[草食うなぎ](2013/03/07 23:40)
[43] 番外10   ラ・フォンティーヌ子爵の挑戦[草食うなぎ](2013/03/15 01:01)
[44] 番外11   ルイズ・フランソワーズの受難[草食うなぎ](2013/03/22 00:41)
[45] 番外12   エレオノール・アルベルティーヌの憂鬱[草食うなぎ](2013/03/22 00:42)
[46] 3-22    清濁[草食うなぎ](2013/08/01 20:53)
[47] 3-23    暗雲[草食うなぎ](2013/08/01 20:54)
[48] 3-24    誤解[草食うなぎ](2013/08/01 20:57)
[49] 3-25    並立[草食うなぎ](2013/08/01 20:59)
[50] 3-26    決別[草食うなぎ](2013/08/01 21:00)
[51] 3-27    緒戦[草食うなぎ](2013/08/01 21:01)
[52] 3-28    地質[草食うなぎ](2013/08/01 21:02)
[53] 3-29    ジョゼフの策 [草食うなぎ](2013/08/01 21:03)
[54] 3-30    ガリア王ジョゼフ一世[草食うなぎ](2013/08/01 21:03)
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[33077] 第二章 33~37
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:e96bafe2 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/05/09 02:32


2-33    思惑



 季節は夏になり、ド・モルガン一家はガリアのラ・クルス家を久しぶりに訪れる事になった。
エルビラが妊娠した為一時は中止も考えたのだが、つわりも収まり本人も久しぶりに両親に会いたいと言う事で予定通りサウスゴータを出発した。
 ラ・クルスまではド・モルガン家とアンネとサラとラウラとリナの計八人がモーグラ二機に分乗して直接行くので、以前とは比べものにならない程楽な行程だ。

「馬車に乗るのが嫌で自動車作ったって言うのに、いざ作ったら自動車にも乗らないって言うんだから皮肉だよな」
「お前がこんな便利なの作るからだろう。自動車は話題にならないが、このモーグラは良く職場の話題に出ているぞ」

 ラ・クルスまでの飛行中、何気なく呟いたウォルフの独り言にニコラスが突っこみを入れる。
 自動車販売は相変わらず不振が続いていて、月に数台という感じの販売数が続いている。一応熱心なファンもいて、二台、三台と買ってくれる客もいるので徐々に自動車の良さが広まっていると信じたい所だ。
タニアからは不採算部門として目を付けられており、そろそろ何とかしたい所だ。今度、ボルクリンゲンで自動車によるレース、第一回ツェルプストーグランプリを開催するのでそれを機に人気が上昇する事を期待している。

 不振の自動車に比べるとモーグラは高価格にも関わらず発売するなり高い人気で生産が追いつかない程だ。荒天時や雲の中での視界確保についてはハルケギニア式レーダーを開発する事で対応した。
『ライト』の魔法でマイクロ波を前方へ照射し、反射波を可視領域が変更された『遠見の鏡』で捉えて、それをコックピット前面に映像として表示するというしくみだ。
使用する電磁波がマイクロ波のために表示される映像は鮮明なものにはならないが、レーダーとしては十分なものになっている。
 言わば電波を"見る"魔法具だが、これを作るのは苦労した。『遠見の鏡』は風魔法を使っているのだが、電磁波の可視領域を電波という人間には知覚できない波長にイメージだけで変更するのが難しかった。現物をいくら調べてもニコラスやバルバストルら風メイジに聞いてみても解らなかった。
風メイジは戦闘に特化している者が多く、魔法具に詳しい人は少ないのだ。遠話の魔法具があんなに便利なのに普及していないのはそれを作る技術が既に失伝しているためで、ウォルフにもまだ遠話の魔法具の仕組みは解明できていない。
 何とかツェルプストー秘蔵の古書に『遠見の鏡』に使用されている魔法の事が詳しく書いてあったので作る事が出来たが、それがなかったら普通のレーダーを今も作ろうと研究していたかも知れない。

 相対的に人気が落ちてしまったグライダーの為に、商会で各地の都市に設置してある空港にグライダー用の簡易なカタパルトを設置した。ジェットコースターのようなレールの上を走る台車をリニアモーターで加速してグライダーに初速を与えるというものだ。
最近増えてきた競合空港対策でもあり、グライダーの初期加速に不満を持っていた客は多かったらしく評判はよかった。

 競合空港が増えたのはグライダーの利用者が増えたからで、ゲルマニアとアルビオンで木枠帆布張りの機体を廉価に販売する商会が出てきた為ハルケギニアの空を飛ぶグライダーは飛躍的に増えてきている。ガンダーラ商会の物と比べれば圧倒的に性能は低いし故障しやすくはあるが、その低価格で着実にユーザーを増やしている。
その機体はまるっきり模倣というわけではなく、揚力と強度を確保する為に翼の根本が幅広になっていたり色々と各自工夫をしているようだ。翼先端での失速を回避するために前進翼になっている機体をみた時はウォルフも感心したほどである。

 東方開拓の準備は順調だ。まずボルクリンゲンにて、開拓で大量に必要になるであろう鋼材を確保するために製鉄法の改善に着手した。
ツェルプストーの高炉で生産される銑鉄を購入してきて電磁誘導炉で溶融し、炭素や不純物の除去方法を研究。得られたデータを元に大型の転炉とそれに続く圧延工場を設計しアルビオンの工場に発注してある。
 高炉で生産された銑鉄には炭素が大量に含まれており、そのままでは硬くて脆いのでどのように炭素を抜くかということが製鉄法の重要なテーマなのであるが、ゲルマニアでの方法は反射炉で溶融した銑鉄を攪拌しつつ火メイジが特殊な炎を操って精錬するという物だ。
実はこの特殊な炎というのがゲルマニアの高品質な鉄を作る製鉄法の重要な機密らしく、ツェルプストーからは教えてもらえなかった。
しかし、ウォルフにはその炎が酸素を多く含んだ酸化炎であることが予想できるので教えて貰えなくてもあまり関係ない。銑鉄中の炭素と酸素を反応させて燃焼させているのだろうということはウォルフには直ぐに分かる事なのだ。
 ウォルフが設計した転炉は炉の下部からアルゴンガスを吹き出して攪拌し、上部から純酸素を吹き付けて炭素を取り除くというものだ。鉄に含まれる炭素が減ると融点が上がるが、炭素が燃焼する熱のため外部燃料は必要としない。
酸素やアルゴンはコンプレッサーで空気を冷却しながら圧縮し液体とした上で分留して生産した。
 この転炉が完成すれば、反射炉に比べ十倍以上の生産力を持つことになるので必要な鋼材を自分で生産するのに十分だ。

 マイツェンから開拓地への主要交通機関になる予定の船はオールアルミ製の双胴船を二隻造った。二つの下部船体はAl-Mg合金製で魔法溶接によって製造したが、それらを結合する上部船体はジュラルミンや超々ジュラルミン、さらにはAl-Mg-Si系の合金など試験的に色々な素材の部品を使用してリベット止めで組み立てている。
リベットやアルミ合金についてはまだ研究中なので、今後船を運用しながらそれぞれの素材の耐蝕性や応力腐食割れ、リベットの緩みなど経年変化を観察していくつもりだ。
 風石エンジンを動力にしてスクリュープロペラで推進し、プロペラにはスーパーキャビテーティングプロペラを採用。船首下部に衝角を持っているような形のウェーブ・ピアーサー型船形により自動車十台を搭載しながら時速四十リーグで安定して航行する性能を実現できた。
この他にも船外機を取り付けた小型のアルミボートを何艘か制作したので持って行くつもりである。

 重機や今回からタイヤで駆動するようになったダンプカーなども製造が終わり、今はゲルマニアの鉱山で働きながら公募の開拓員候補を訓練している。
ちなみに結構な給料を掲示したにも関わらず開拓員候補は十名程しか集まらなかった。

 今、工場では製材機械を作るのに忙しい。これは、平民の家を現地の木材で造ろうと思っている為で、チェーンソーのように使えるブレイドソー(ちなみにこれは人間を切らないように設定してあるので安全だ)を始めとしてバンドソー、プレーナー、角鑿盤、ルーター、テーブルソー、ロータリーレース、プレス機等ウォルフの試作を元に大型の機械を製造している。
これらの木工機械を駆使して作る平民の家はアルビオンで雇った大工五人と一緒にパネル工法の家を開発した。工場で設計図通りに作った壁面を組み立てて作る家に対する彼らの感想は「ままごとの家みたいだ」だったが、工場で前もってある程度作っておくことで現地での工期が短くなるように工夫を凝らした家だ。彼らに開拓団員が工法を覚えるまでマイツェンで指導してくれる事を頼み込んで、交渉の結果、ブレイドソーを各人に提供する事で了承してもらえた。
この家に使われる金物はボルクリンゲンの工場で生産する予定で準備を進めている。
 他にもコンプレッサーを使用した大型の冷蔵庫など長期の生活に必要なものも色々と作り、もうこの旅行から帰ったら直ぐにでも出発できる程にはなっている。

 順調に飛行を続ける機内で、ニコラスと東方開拓の話をしているとあっという間にラ・クルス上空に到着した。

「本当に速いな。もっと大きいのは作らないのか?」
「作るよ。今その技術を開発中だからもう少しかかるけど、多分完成したらこれよりも速く飛べると思う」
「もしそれが実現したら、ハルケギニアの物流は一変するかも知れないな」
「航行そのものには既存のフネよりはコストがかかるけど、飛んでる時間が短くなるから人件費を考えればよっぽどローコストで運行できる。空飛ぶ帆船はなくなるかも知れないね」
「…それも寂しいもんだがな」

「ほら、サラ、リナ、起きろ。もう到着するぞ」
「んあ…もう着きましたか、速いですねぇ…zzz」
「だから起きろって」  

 サラはこの休みを取る為に美容品工場の仕事をここの所ずっと居残りでやっていたので寝不足らしく、昨夜も準備で寝るのが遅かった事もあってモーグラに乗り込むなり熟睡していた。リナも全く同じ状況で、起こす言葉にも反応せずに熟睡している。
道中も寝っぱなしで結局到着してウォルフが無理矢理起こすまでサラ達が起きる事はなかった。



 東方調査以降ウォルフは仕事もあるのでラ・クルスには時々来ていた。その時にウォルフが東方開拓団に応募する事を聞いたフアンの反応は微妙なものだった。
自分の力で領地を得ようとしているのだから祖父としてそれを応援したいような気持ち、何故、それがガリアじゃないのかという残念な気持ち、東方の森の開拓なんて無理ではないかという気持ち、商人になるよりはマシかという安堵の気持ち、様々な感情が綯い交ぜになった複雑な表情でウォルフの事を見つめたものである。
 今回顔を合わせてもまだその気持ちを消化し切れていないようで、複雑な顔をされた。
 ド・モルガン家と時期を合わせて帰ってきているレアンドロ一家とも一通り顔合わせが済み、家族一同揃っての昼食の時にもフアンは詳しい話を聞いてきた。

「で、どうだ、ウォルフ。開拓とやらの準備は進んでいるのか?」
「はい。もう申請も済みましたし、開拓地から一番近い村であるマイツェンを領有するミルデンブルク伯爵から村の外の河岸に専用の桟橋と開拓の拠点を作る許可は得ました」
「結構な税を取られるのではないか?」
「いえ、一部牧草地にかかってますけど、開拓しようとしている場所は三十リーグも離れていますし、製材所を建てるつもりだと言ったら好意的な税額にしてもらえました」 

 マイツェンは辺境の村には珍しく、広大な牧草地に囲まれた村だ。周囲数リーグにわたって牧草地が続いていて、今も毎年幻獣の少ない時期に少しずつ拡大しているという。
牧草地はあっても幻獣を誘い込む恐れのある家畜はいない。僅かに移動用の馬を飼っている位だ。種類ごとに年三回程収穫される牧草は全て内陸にあるミルデンブルク伯爵領へ船で送られている。この地に付随する子爵位が無かったら伯爵も破産して売りに出されていたこの土地を購入する事もなかったが、伯爵は手に入れてからは"頑張らない"事をモットーに開拓を続け、今では伯爵領に収益をもたらすまでになった。
 ミルテンブルク伯爵領にとってこの村は牧草供給地としての意味合いしか持たない。そんな土地に新たな税収をもたらすというウォルフは好意的に迎えられていた。
 
「ふうーむ、それほどその地の鉱山は見込みがあるのか? ガリアじゃダメなのか?」
「見込みはありますね、鉄や銅、亜鉛、鉛、錫などを始めとして色々面白い鉱石が見つかっていますし。ガリアは、その、調査させて貰えないことも多いですから詳しくは分からないです」
「う、うむ、それならば仕方ないな」

 キラキラと目を輝かせて開拓地の事を語る孫に、さすがフアンも強い事を言えずに黙った。以前はウォルフの事を嫡男の長女であるティティアナの婿候補の一人として考えていた節があったが、嫡孫であるディエゴが二年前に生まれたので事情が変わってきている。
ガリア貴族であるフアンにとってゲルマニアの東方開拓団と言えば、ガリアで出世も出来ずどこの貴族の婿養子にもなれず、三十過ぎまで実家に寄食しているような次男三男が一発逆転を狙って行くものという印象がある。
 そんなものに自分の孫が応募するなんて、何となく恥ずかしいような、好きにやらせてみたいような、まだまだフアンの気持ちは整理できないようだった。

 フアンが黙ったのでレアンドロが詳しく辺境の森の様子を訊ねる。ガリアの人間にとってゲルマニアの辺境の森はおとぎ話のように遠い世界だ。

「でも、ウォルフ達は辺境の森へ行ったんだろう、凄い所だって噂だけど大丈夫なのかい?」
「凄い所ですよ。予定地は毒を持つ昆虫とかは南の方よりは少ないみたいですけど、大型の幻獣が結構多くて大変でした。なあ、兄さん」
「うん、五メイル位のトカゲなら小っちゃいって思うようになった」
「トカゲは十サントくらいなら可愛いって思えるけど、そんな大きいのは嫌…」

 五メイルのトカゲを想像して顔を歪ませるのは従姉妹のティティアナ。フォークを持つ手が止まってしまっていた。

「あ、でも三メイルのカエルはでっかいって思ったよ。何かこう、質量感が凄かった」
「そんなのもっとやあ!」
「それがな、ティティ、十メイル離れた所からでも舌を伸ばしてこっちを捕まえて食べようとしてくるんだよ。凄く素早いし全く予備動作がないしで、躱しにくいんだ」
「ああ、あれは五メイル以内に近寄られたらやばそうだったね」
「てらてらと色鮮やかな黄緑色をした大カエルがカパッと口を開いて、中からネバネバとした粘液にまみれたピンク色の舌が…」
「リフ兄いじわる!ティティがカエル嫌いって知ってて言っているんでしょ!」

 もうティティアナはフォークを置いて両手で耳を塞いでいる。クリフォードはティティアナが涙目になっているのを見てさすがに慌てた。

「や、いや、カエル嫌いなんて知らなかったって、ホント。でも、辺境の森も慣れると中々楽しい所だよ。ティティも一度行ってみると良いよ」
「絶対に行かない!」

 ティティアナはプンとむくれてしまったが、クリフォードがあの森を楽しいと感じたのは本当だ。この後辺境の森の幻獣について皆に聞かれるままに色々と話をした。怪鳥ロックはガリア側にも出るようで、その存在を知っていたフアンはクリフォードが一人で倒したと聞いて驚いていた。
様々な幻獣の話が出た結果、ティティアナが辺境の森へ行く事は絶対に無いと確定した。

 話の途中からはフアンもまた会話に参加するようになり、幾分気持ちを切り替えられてたのか若い頃竜を倒した時の話を自慢したりしていた。



 食後、ウォルフはレアンドロに誘われて中庭に面したテラスへやってきた。 

「わざわざ済まないね、ウォルフ。ちょっと内密な話なんだ」
「いや、別に構わないけど、商会関係の話?」
「あー、そっちの話もあるな、そっちから済ませるか。あの、苛性ソーダなのだが、以前はウォルフの提供してくれた製法でガリアでも作っていたけど、今はガンダーラ商会から購入しているだろう?」
「うん。価格も安くしているし、そちらもメイジを節約できて良かったと納得しての取引だと思うけど」
「あ、いや別に不満があるわけではないんだ。ただ、シャルル殿下がこんな重要な物資を外国に頼りきりというのは良くないと仰ってね、出来ればガンダーラ商会に製法を提供してもらいたいとのことなんだ」
「製法の提供か…」
「対価は払う。ガンダーラ商会に損はないようにする。ガリアの王子がそう約束しているんだ、何とかならないだろうか」

 水酸化ナトリウムの製法でネックとなるのはイオン交換膜だ。地球ではこれが発明される前は石綿で行っていたが、そんな方法を勧めるわけにはいかない。
イオン交換膜の製法と言っても、気相接触脱水素反応だのスルフォン化だのを短期間でハルケギニア人に理解できるように教える自信がウォルフには無い。さらにスチレンなど交換膜の原料の作り方も教えろと言われたら大変すぎる。気楽に請け負えるような内容では無かった。

「ちょっと…難しいかな。教えられる人間が多分オレしか居ないし、オレにそんな余裕はないし」
「む、一日二日も空ける余裕はないのか…」
「いや、そんな簡単に教えられる内容じゃないよ」
「そうか、うむむ…」

 レアンドロには悪いがボルクリンゲンで生産する量でウォルフは困ってないし、そんな事に割く時間はない。

「どうしてもと言うなら、ボルクリンゲンに技術者を送って下さい。工場を見学できるように手配しておきます」
「え、作っている所を見せてくれるのかい?」
「そっちで勝手に作れるようになる分には構わないよ」
「おお、ありがとう、それなら殿下も喜ぶよ」

 ホッとした顔で答える。ちょっと自分達に都合の良い申し出だと思っていたのだろう。
他にも色々とガンダーラ商会から導入できそうな技術について相談をしてきたが、その辺はタニアかガリア代表であるスハイツに相談してくれるように頼んだ。ウォルフとしては細々とした経営の事にはあまり関わりたくない。

「うん、分かった、商会長かガリア代表だな。で、もう一つの話なんだが、これもシャルル殿下からの申し出で、ウォルフ、君にオルレアン公爵領に来ないかという誘いなんだ」
「伯父さんも知っている通り、この後家族みんなでラグドリアン湖に行くけど」
「それは知ってる。知ってるけどそう言う意味じゃないんだ。子爵位とそれに相応しい領地を用意するからシャルル殿下に仕えないかという誘いなんだ」

 ウォルフから目を逸らしながら言いにくそうに切り出した。似たような話をフアンが言っていても歯牙にもかけなかったのを知っているし、今も東方開拓団をやる気になっている事も知っているからだ。

「その、殿下は君の様々な発明をとても高く評価していて、年齢など関係なく相応の地位を保証してくれるそうだよ」
「オレまだ九歳だよ? 他の人が黙ってないでしょう」
「やっている内容に対して今の君の地位はとても不安定だろう? ちゃんとした身分と強力な後ろ楯を手に入れておくのは悪い事じゃないと思うんだ。地位の事は大丈夫、今のシャルル殿下にはそのくらいどうとでもなる力がある」
「うーん、ごめん、メリットはあるのかもしれないけど……伯父さん、断っておいてくれるかな」
「ああ、シャルル殿下は、パーティーの時に返事を聞くからって…」
「断る事を了承してもらって、パーティーでもその件を持ち出さないと約束してくれないと、ド・オルレアンなんかに行けないんだけど」

 大勢の貴族の前で勧誘されて、それを断ったらまた面倒な事になりそうだ。シャルルは相変わらずなのだろうか。

「ああ、そうか、わかった、苛性ソーダの話も含めて明日ド・オルレアンまで行って話をしてくるよ。残念だけど、しようがない。こんな事で君たちとギクシャクするのは望む事ではないし」
「何とか角が立たないように断って下さい」
「それは大丈夫だよ。シャルル殿下は君が東方開拓団に応募すると聞いてちゃんとした地位と身分を与えれば引き抜けるかと思っただけなんだ」
「はは、確かに開拓団はそう言う人が応募するものらしいね」

 ウォルフは今のところ自由にやれているので、この自由を手放す気はなかった。開拓がうまくいったとしても期限の十年間が過ぎるまでは爵位を貰わないように気をつけないと、と思っている程で九歳の身空で子爵などと言う堅苦しいものになるなど冗談としか思えない。
何だか気が重くなってしまったウォルフはこの後サラ達と合流してレアンドロ家の長男ディエゴと初対面し、まだあどけない二歳児に存分に癒してもらった。

 ラ・クルスでの日々は何事もなく過ぎ、貴族らしく観劇したりパーティーに参加したり、暇を見て風石鉱山に行ったり醸造工場や石鹸工場へ行ったりして過ごした。
パーティーではウォルフと同じ年頃の貴族の娘を何人か紹介され相手をしたが、どうも満足してもらえる対応は出来なかったみたいだ。正直なところ、話が合わなかった。
 向こうからしてみても、いくらラ・クルスの血を引いてるとはいえアルビオンの領地無し男爵の次男ではどう見ても不良債権のように思えるし、この年で商売していると言われてもピンと来なかったようだ。
そういえば同世代の友達と言える存在が全くいない事に今更ながら気付いたが、それこそ今更どうとなるものではないので気にしない事にした。

 レアンドロには領内でやっているというプロジェクトをいくつか見せて貰ったが、色々と面白い事をやっていた。
一緒に見学した女子達には、魔法によってエナメルの微粉末を調製したエナメル工房見学や、やはり魔法によって成分を変えた色彩豊かなガラスを使用したガラス工房見学が人気だったが、ウォルフが面白いと思ったのは水メイジによるヒヨコの選別だ。
 この時使う魔法は唱えるだけで数百羽いるヒヨコの内オスだけを浮き上がらせて一瞬で選別するというもの。これまで雄のヒヨコにかけていたコストをカットできたので卵の生産量が飛躍的に上がり、竜など騎乗用の幻獣達も好物のヒヨコをふんだんに食べられるようになって機嫌が良いという。
養鶏業が大規模化を進めるにつれ新鮮で安価な卵を使った卵料理はラ・クルスの新しい名物になりつつあるという。
 こんな魔法の使い方を思い付きもしなかったウォルフはまだまだ魔法の可能性はいくらでもあると感心したものだ。

 そんなこんなで楽しく過ごす内、ラ・クルスでの日々はあっという間に過ぎていった。




2-34    表裏



 祖父達に別れを告げてド・モルガン一行はラ・クルスを後にし、ラグドリアン湖へと向かった。モーグラでの移動はそれこそあっという間で、また以前と同じホテルに泊まって湖畔でのバカンスを楽しんだ。いつもと同じように昼は湖で遊び、夜には本を読んだりホテルを抜け出して水の精霊と語らったり、ゆったりとした時間を過ごした。

 水の精霊はウォルフが呼びかけるとまたすぐに現れて色々と話をしたが、水の精霊が自身の起源を求めて昔の事を思い出そうとしている事を聞いた時にはウォルフのテンションが上がった。
 何せ本物の歴史の生き証人だ。固有名詞を全く覚えていないのは残念な事だが、何百ヶ月前に戦争があったとか何千ヶ月前に地震があったとか正確な数字が出てくるのは貴重な史料だ。
 現在二十万ヶ月程前、つまり約一万七千年前位まで記憶を遡っているらしいのだが、ウォルフの知識によれば生命の起源はあと四十億年程昔なので頑張って欲しいものだ。それを伝えた時に水の精霊がちょっと落ち込んだように見えたのはきっと気のせいだろう。

 歴史の話だけでなく魔法研究の助言もしてもらった。最近ウォルフは魔力素を凝縮して人工土石や水石を作り出す研究をしていたのだが、どうにも系統魔法ではうまくいかないので相談に乗って貰ったのだ。
 ウォルフの考えた方法は魔力素をセレナイトに凝縮して定着させるというもの。風石の研究から導かれた方法だったが、出来上がったものはそこに魔力素が定着しているだけのセレナイトの塊で、土石や水石としては全く利用できないしろものだった。敢えて言うなら"魔力が定着する"という魔法が発動している石、であろうか。セレナイトに凝縮するというのは間違っていないらしく、ウォルフが用意したセレナイトに水の精霊が見本として凝縮して見せてくれたが立派な水石が出来上がった。
 水の精霊曰く、魔力素を取り込んでから利用するという系統魔法の方法が自然の理から外れているので仕方がないそうだ。一度生命が取り込んだ魔力素は取り込んだ者の意志をその身に宿してしまうらしい。そしてその意志を実現した後は一度魔力子とウォルフが呼んでいる素粒子の状態に分解してしまうので、そこに定着した魔力素を利用できないのだ。
『コンデンセイション・ラグドリアンウォーター』のように魔力素が自分で定着する条件を整えてやる事が出来れば不可能では無さそうなので、何故セレナイトに魔力素が定着しやすいのかを明らかにする必要がある。精霊魔法を使えるようになればいいのだが、魔法の発動方法からして全く違う魔法をそう簡単に使えるようなら苦労はない。一応水の精霊の魔法を観察はしたが元々水の精霊自身が魔法その物という存在の為、全く参考にはならなかった。
 何せ『ディテクトマジック』を唱えても魔法が発動しているとは探知できないのだ。せいぜい普通に魔力素があって、それが移動している位にしか分からないというのにちゃんとそれが魔法になっている。ウォルフから見ると精霊魔法は人間には使えないのではないかとすら思えた。


 バカンスと言いながらまた研究しているのはウォルフの性なのでしょうがない。他の者は皆十分にバカンスを満喫し、いよいよド・オルレアンでのパーティーに出かける日となった。

「はーあ、久しぶりのド・オルレアンの屋敷だな。何か緊張してきた」
「緊張してきたのはこっちもだよ。頼むから今回は問題起こさないでくれよ」
「父さん、それはシャルル殿下に言ってもらわないと」
「ははは、大丈夫だよウォルフ。殿下は君がガリアに来てくれないと聞いて残念がってはいたけど、無理強いするような人じゃないよ」

 レアンドロが心配ないと肩を叩くが、その無理強いを前回されそうになったから気にしている。不安は尽きないが、ウォルフはそれ以上は何も言わなかった。

 ウォルフ達は今、レアンドロの連結馬車に同乗してド・オルレアン邸へ向かう所だ。この風石を利用した大型の連結馬車は二台の台車を長大な客車で連結し、貴族用の広大な室内空間を実現しているものだ。前後に配置した台車に細長い客車が乗っている様は丁度電車のようだが、八頭の馬で牽引するので馬車としての体裁を失っていない。客車と台車とが分離してリンクで繋がれており、客車は走行中風石で浮いているので乗り心地がすこぶる良い。
 モンテーロ商会の帆走車と言い、この連結馬車と言い自動車にはライバルが多い。ウォルフがその雲の上を走るような乗り心地に慣れた頃、馬車はオルレアン邸に到着した。

 オルレアン邸に入ってすぐのエントランスで、訪問客の相手をしていたシャルルとその奥方がにこやかにレアンドロ一行を出迎え、やがてウォルフにも声を掛けてきた。

「やあ、ウォルフ久しぶりだね。魔法は上達したかい?」
「お久しぶりにございます、シャルル殿下。ボチボチと上達しています。最近は忙しくて魔法の鍛錬はサボり気味ですが」
「ははは、聞いているよ、随分と色々やっているみたいだね。今度はゲルマニアで開拓をするとか」
「はい、有望な鉱山が見つかりました事もありまして、ちょっと挑戦してみようかなと」
「君なら成功すると信じているよ。奥にシャルロットがいるから話をしてあげてくれ、君と会えるのを楽しみにしていたんだ」

 シャルルはさらりと挨拶を済ませるとすぐに次の客の相手をしに移動した。それは身構えていたウォルフが拍子抜けした程だし、ニコラスやエルビラもホッと安堵したようだった。

「シャルル殿下は毎日凄い数の案件を処理しているからね。一つうまくいかない事があったからって一々拘泥してはいられないんだよ」 
「何か風格が出てきたというか、肩の力が抜けているというか、前とは変わったみたいだね」
「色々とご苦労なさったけど、それらを全て糧になさったんだろう。最近では次の王はシャルル殿下で決まりだって専らの噂なんだ……おっと、これは内緒だよ?」

 感心するウォルフにレアンドロが誇らしげに話してくれた。王者の風格が出てきたと言う事ならウォルフも賛成だ。そのくらい今のシャルルは堂々としていて覇気に満ちていた。

「ゆとりが有る感じがいいよね。心配はいらなかったって事か。じゃあ、安心して今日はモリモリ食べて帰ろう!」
「おっと、また食べまくるのかい。シャルロット様もいる事だしコックも忙しくなりそうだ」
「へー、シャルロットもやっぱりまだ大食いなんだ、あ、いた。おーい、シャルロット久しぶり」

 話しながらエントランスからホールへと入るなり奥のテーブルでサラダを食べているシャルロットを見つけた。ウォルフがそちらへ歩いていくのを見届けてレアンドロも近くの知り合いのグループの所へと移動した。

「ウォルフ」
「あ、覚えててくれた。忘れられちゃってないか心配だったんだよ」
「忘れたりしないわ。パティ先生がいつも話をしてくれるし」
「そう言えばパティ先生って今シャルロット達の家庭教師やっているんだっけ、元気にしてる?」
「元気すぎる位。彼氏が出来たらしくて惚気るのがうるさいわ」
「へー、まあ、先生もいい年だしな」

 二人の共通の教師であるパトリシアは当年二十四才、ハルケギニアではそろそろ嫁き遅れと言われる年だ。
 しばらくパトリシアの事について話をしているとクリフォードやサラ、ティティアナもやってきて会話に加わった。

「兄さん、パティ先生彼氏出来たって」
「何でそれをわざわざ俺に言うんだ。関係ないだろう。シャルロット様、こんちは、ご無沙汰してます」
「久しぶり、クリフ。シャルロットで良いっていったよね?」
「う、うん、でも久しぶりだし…」
「久しぶりだからってリフ兄他人ぎょーぎだよ。シャルロット、こちらが私のサラお姉ちゃん、よろしくね?」
「は、初めましてシャルロット様、サラと申します」

 サラは初めて会う王族に緊張しきりだ。ガリアにいる間はレアンドロやフアンに言われてマントを着用し、貴族として行動しているが根は平民なのだ。

「初めまして。サラさんもシャルロットって呼んでくれると嬉しいな」
「む、無理でえす……」

 あまりにもおそれおおい事を言われ、サラは恐縮してウォルフの陰に隠れた。シャルロットは不満げな様子を見せたが、これはいつもの事なのでしょうがないと諦めた。

「お姉ちゃんはね、私と同じ水メイジでガンダーラ商会の化粧品を作っているんだよ。化粧品の名前にもなっているの」
「あの化粧品…水のスクウェアのパティ先生ですら分からない所が多いって言っていた」
「ねえ、すごいよね。ウチのお母様もあれ使ってから凄く綺麗になったの」
「うん、あれは凄い。私の母さまも使っているわ。どういう秘薬なの?」
「えとその、老化した細胞を補修して、水分を補うという考えです。水分がたっぷり入っていればそれだけで綺麗な肌に見えますし、それに加えて皮膚が老化する原因を排除するので、そのままの肌をキープできます。ウォルフ様から教わった知識を利用して、色々と工夫を凝らしているのですよ」

 女子達がわいわいと化粧品の話に突入してしまったのでウォルフとクリフォードは料理の方へ移動して食事を始めた。たとえ何歳でも女子というものは美容に興味があるものらしい。山海の美味珍味が並んだ料理に舌鼓を打っていると、シャルロットもやってきてウォルフに話し掛けた。

「ウォルフ、この後杖合わせをしてくれる?」
「杖合わせって、君ドレスじゃん。ここガリアだし、オレあんまり目立ちたくないんだけど。君と試合なんてしたら大注目になっちゃうよ」

 これから本格的に食べ始めようとした所だったし、正直言って注目を集めるのはこりごりだ。

「大丈夫。着替えるし、会場からは見えない中庭があるから」
「それならいい、かな? でも何でまたオレなんかと」
「ウォルフは凄いってみんなが言うから、どの位凄いのか知りたくて」
「うーん、ご期待に応えられるかは分からないけど、お手柔らかに頼むよ」

 結局シャルロットがごり押ししてウォルフが相手をする事になった。満腹だと動きづらいので食事を中断し、さっさと手合わせをしてしまう事にして移動する。

「おい、ウォルフ分かっているな。万が一にもシャルロットに傷を付けたりするなよ」
「いや、試合なんだから怪我位はする可能性はあるだろう。ある程度攻防をしないとシャルロットも納得しないだろうし」
「ここはド・オルレアンなんだぞ! 見ろよ衛兵の人達ピリピリしているぞ」

 シャルロットが着替えてくるのを待つ間、トラブルになる事を心配したクリフォードがウォルフに近付いて小声で注意する。確かに周囲にいるオルレアン家の家臣達はシャルロットと手合わせをする外国の貴族の子供に対して好意的な感情を持ってはいないようだ。

「なるべくは気をつけるけど、そんなに危険な事にはならないと思うよ」
「思う、とかじゃなくて、"しない"んだ。また逃げ帰るのはゴメンだからな」
「わかったわかった。気をつけるよ」

 クリフォードはまだ言い足りないようだったが、シャルロットの準備が整ったのでそれ以上は言う事が出来なかった。



 オルレアン公邸の奥の奥、うっそうと木々が茂る森にほど近い中庭で、ウォルフとシャルロットは十メイル程の距離を空けて対峙した。シャルロットは動きやすそうな服に着替えてきているが、ウォルフは正装のままだ。クリフォードが立会人で、観客はサラとティティアナそれにシャルロットの護衛である衛兵数人だけだ。クリフォードが立ち会いをするのはあくまでも子供同士の遊びであるというスタンスの為だ。 
 ウォルフは衛兵からのプレッシャーになるべく気付かないふりをしながら、如何に怪我をさせないで試合をするかに頭を悩ませていた。何せ相手はぴかぴかの王族で、ここはその領地なのだ。キュルケの相手をする時以上に気を使わなくてはならない。

「じゃあウォルフ、絶対にシャルロットを傷つけるような魔法を使わない事。シャルロットは全力でどんな魔法撃っても大丈夫だから」
「んー、努力します」
「……ウォルフも全力出して構わない」
「あー、まあとりあえずやってみよう。気に入らなかったら二回戦すれば良いんだし」

 ウォルフの全力とか、クリフォード的には心臓に悪すぎるのでやめて欲しい。

「ごほん、では二人とも正々堂々と戦う事。始め!」

 クリフォードの合図と共に二人の間の空気がピンと張り詰める。ウォルフはゆっくりと横に移動しながらシャルロットの構えを観察する。重心はやや高め、前後左右どちらにでも即座に移動できそうな構えでウォルフとは反対側に円を描くように移動している。スタイルとしてはシャルロットは相手の魔法を受け止めるのではなく、ギリギリで躱して反撃するというものらしい。シャルロットも慎重にこちらを観察していて、自分から仕掛けてくる気配は無い。
 睨み合っていてもしょうがないのでとりあえず攻撃してみる事にした。使う魔法は怪我の少ない『エア・ハンマー』だ。

「じゃあ、ウォルフ行きまーす《エア・ハンマー》」
「くっ!」

 シャルロットの重心が高めだったので大きくは避けられないだろうと、威力は落ちるが大きい『エア・ハンマー』を放ってみた。半径二メイルもの大きさで放たれた魔法の槌を、そこまで広い範囲の攻撃を想定していなかったシャルロットは躱しきれずに避けた勢いのままゴロゴロと地面を転がった。転がるシャルロットに今度は集束して威力を高めた『エア・ハンマー』を放つが、素早く起き上がるとトンボを切って躱した。

「おお、凄い身のこなし」
「今度はこっちの番《エア・カッター》!」
「ほんじゃこっちも《エア・カッター》」

 シャルロットの放った『エア・カッター』を迎撃して打ち砕き、そのままウォルフの風の刃はシャルロットに襲いかかった。
 文字通り間一髪で身を捻って躱したが、シャルロットの美しい青色の髪が数本宙に舞った。

「ちょおーっ!! バカウォルフ! 危ないだろ、お前何やってんだ!」
「シャルロットの身のこなしなら、あのくらいは避けられるって」
「クリフ、うるさい」
 
 シャルロットは気丈にクリフォードに文句を言ったが、内心ではかなり冷や汗をかいていた。自分の『エア・カッター』が砕かれたのに気を取られて反応が遅れた。
 実はシャルロットが決闘形式で立ち合うのはこれが初めてだ。教師の十分に手加減をされた手合わせとは違い、一歩間違えば大怪我になる魔法が目の前を飛び交う緊張感は想像していたものよりも随分と大きい。
 しかし、そんな内心を全く気取らせずに再び攻撃を仕掛ける。シャルロットの『エア・カッター』や『エア・ハンマー』をウォルフが打ち砕いてそのまま反撃するという全く同じ展開になったが、先程よりも間合いが遠い事もありシャルロットは余裕を持ってその反撃を捌いた。
 そのまま何度か同じ攻撃を繰り返したが、ウォルフは足を止めた場所から一歩も動かずに余裕を持って全ての攻撃に対応した。飛ぶ軌道の違う『マジック・アロー』を合間に挟んでみたりして工夫してみたが、そんな小手先の変化はウォルフには何の意味もないようだった。
 はっきり言ってこの間合いではシャルロットは手詰まりだ。ウォルフの方が詠唱も早いし魔法の威力も数段上だ。飛んでいる見えない風の刃に正確に当てられるのだから制御もウォルフの方が上なのだろう。シャルロットには何カ所か風の刃が掠り、血は出ていないようだが服が切れている。もちろんシャルロットにとって服を切られるなんて事も初めてだ。
 どうも手詰まりになったようなので、ウォルフの魔法がシャルロットに掠る度に心臓が縮む思いをしているクリフォードがこれ以上黙っていられずに声を掛けた。

「ももも、もう十分なんじゃないかな、二人とも十分頑張った事だし、引き分けって事で」
「だってさ。どうする? シャルロット」
「何を言ってるの? ウォルフはまだ全然余裕じゃない」
「だって、護衛の人達が凄く怖い顔してるう…」

 クリフォードから弱音が出るがシャルロットの耳には入らないようだ。確かにクリフォードがもう止めたくなる位、状況は絶望的だ。このまま続けていてもやがてシャルロットの精神力が尽きて敗れるだけだろう。そんな状況で、シャルロットはしかし、微笑んでいた。

「みんなお願い、もう少しやらせて? わたし今、凄く楽しいの」
「あ、あー、我々は別に何も…」

 とびっきりの愛らしい笑顔で言われては、護衛達も文句を言うわけにはいかない。元々この家の家臣達はシャルロットに弱い。

「じゃあ、再開かな。どうも手詰まりっぽいけど、どうするつもりだ?」
「…ウォルフは優しいね。魔法の先生達は、魔法を教えてくれてもこんな風に魔法をぶつけてきてはくれない。わたし、こんなにワクワクするのは初めてだよ」
「お遊びって感じだったら、オレももっと適当に相手するんだけどね。どうやら結構本気みたいだし」

 話しながらもシャルロットはずっとどうすればいいのか戦略を考えている。『ブレイド』や『エア・ニードル』の間合いにはとても入れそうもないし、『エア・カッター』は全く通用しない。『エア・ハンマー』もあちらの方が上手だから『ウィンド・ブレイク』なんかじゃ決め手にはならない。
 とにかく分かっている事はこのまま遠距離の間合いにいてもジリ貧だと言う事なので、間合いを潰す事によって勝機を見いだす事にした。

「本気も本気、次が最後の攻撃……わたしの全力、受け止めて?《ウィンド・ブレイク》!」

 宣言した直後、激しい風を自分とウォルフとの間の地面に叩き付け、砂埃を上げて一瞬の間を作る。シャルロットは即座に詠唱を始めながらその砂埃に突っ込むように勢いよく駆けだした。

「《アース・ハンド》」

 砂埃の中、地面から突き出た手で駆けだしたその足を掴まれそうになったが、間一髪ジャンプして躱す。

「《エア・ハンマー》」

 着地する瞬間、拳大の風の槌でしたたかに脛のあたりを叩かれて転がるが、受け身を取ってすぐに起き上がると詠唱を完成させた。唱えるは『風の槍』シャルロットが放つ最大威力の魔法だ。

「もらった!《エア・スピアー》!」

 中距離の間合いまで進入したシャルロットの杖から勢いよくウォルフへと『風の槍』が伸びる。来る日も来る日もひたすら練習してきたのだ、この魔法の速度と貫通力には自信があった。さすがのウォルフも躱しきれないはず、とのシャルロットの思いは次の瞬間に崩れ去った。

「《ファイヤー・ボール》」

 凄まじい勢いで飛来する炎の玉が『風の槍』を飲み込み、消し去りながらシャルロットへと襲いかかる。全く反応できない速度で飛んできた炎の玉は『風の槍』を完全に消し去ると、シャルロットの目の前一メイルで弾けて消えた。
 目を瞑ったシャルロットの周囲を熱風だけが通り過ぎ、力が抜けたシャルロットはぺたんと尻餅をついて座り込んだ。

「終わりで良いかな?」

 呆然としているシャルロットの目の前に杖を突きつけ、終了を宣告する。
 コクンと肯いだのを確認し、魔法でざっと体を調べてみて脛の内出血以外怪我がない事に満足すると手を差し出した。

「はい、お疲れ。お互いに怪我が無くて良かった」
「…ウォルフの『ファイヤー・ボール』凄く速かった」
「速さってのは大事だからね。ちょっと足見せて」

 ズボンの裾をまくると、脛がポッコリと腫れて内出血していたので魔法を唱えて治療した。内出血を止め、細胞を補修して炎症を抑え血液を散らす。シャルロットの細い脛はあっという間に元通りになり、怪我したとは分からなくなった。

「ウォルフは全部の系統が得意なの?」
「いや、効率という面では火が得意な系統になる。水だとドットスペルでも結構精神力を消費しちゃう」
「私は土と火が苦手。ウォルフは全部の系統を使いこなしていて凄いと思う」
「苦手って思うとあまり使わなくなるし、どんどん魔法のイメージを作りにくくなっていくと思うんだ。確かに系統ごとに効率の差は出てくるものだけど、あまり気にしないでどんどん使っていくべきだね」
「うん、これからは火と土ももっと練習するようにする」

 ウォルフが見た所、シャルロットの魔法はこの年齢としては驚異的と言っていい程の腕前だ。王家の血筋というのも有るのだろうが、この向上心こそ彼女のメイジとしての今を築いている根幹なのだろう。今後どれほどのメイジになるのか、楽しみだ。
 サラやティティアナ達観客は皆拍手して迎えてくれたが、クリフォードはシャルロットに大きな怪我がなかった事に心底安堵して座り込んでしまっていた。

「シャルロットって身が軽いねえ、何かリスみたいだったよ」
「全然ウォルフに通用しなかった。もっと頑張らなくちゃ」
「今だって凄く頑張っているのに、好きねえ」
「うん、今日は凄く楽しかった! クリフやサラさんはウォルフと毎日手合わせを出来るなんてうらやましい」
「フフ、毎日なんて手合わせしてられないですよ。私は戦闘苦手ですし」

 やいやいと話しながらまたパーティー会場へ戻る。シャルロットの興奮はまだ収まらないようで、またドレスに着替えて戻ってきてからもずっと魔法の事を話していた。
 そんなシャルロットの相手をしながら、ウォルフは今度こそ腹一杯に料理を食べる事が出来た。



 パーティーが散会した後、シャルルは先程までとは打って変わって静まりかえった屋敷の執務室で部下の報告を受けていた。

「以上のようにウォルフ・ライエ・ド・モルガンはメイジとしても既に一流。あからさまに本気を出してはいませんが、魔法のコントロールはほれぼれする程でした。実戦での実力は分かりませんが、人気取りには十分なものを持っていると言えるでしょう。エルビラ・アルバレス…"業火"の息子という事も有りますし、陣営に引き込めればガリア西部の掌握はより容易になると言えます」
「うん、レアンドロだとどうしてもカリスマ性に欠けるから、ウォルフとのコンビで人気を取るのは間違っていない戦略だと思うんだ。ガンダーラ商会の技術も欲しい事だし」
「水の精霊との邂逅は確認できませんでしたが、夜中に一人でホテルを抜け出す所までは確認済みです。帰って来た時に立派な水石を保有していましたので、どうやら水の精霊と取引できるという事も本当の事らしいです」
「やはり本当だったか。彼さえ確保できれば、トリステインは無くてもいいな」
「そうですね、トリステイン王家を廃した後に、アンリエッタ王女と番わせて現在のモンモランシ領、ラグドリアン湖周辺を治めさせるのが良いように思えます」

 いつものシャルルを知る者が聞いたら耳を疑ってしまうような事を平然と言い、部下もそれを当然と答える。どうやらこの主従は日頃からこの様な話をしているようだった。

「む、それでは権威が強くなりすぎないか?」
「没落した王家に何の脅威がありましょうか。むしろラグドリアン専任の地位を与えて、政治には口を出させないのが良策かと存じます」
「ああ、なるほど、むしろ権威だけの存在にしてしまうのか。代々水の精霊との交渉役と始祖の血を受け継ぐガリアのド・モルガン家。いいじゃないか」

 楽しそうに言うシャルルの顔は、日頃の誠実な王子の顔しか知らない者が見れば別人かと思うような含みのある表情だ。

「次に、商会の株をヤカ商人ギルドから入手する件ですが、リュティスの商人を通して彼らが投資したという十万エキューの三倍額で打診しましたが、断られました」
「やれやれ、僅か数年で投資額が三倍になるって言うのに満足しないのか。強欲な商人達だな」
「はい。ラ・クルスとの関係を考えるとこちらの正体をばらすわけにもいかないので今後の交渉は難しいでしょう。ツェルプストーの方も今のところ関係は良好なようなので、株を手放す見込みはありません」

 ふむ、とシャルルは考え込む。ガリアで現在進行中の各種改革だが、実はガンダーラ商会の技術を利用しているものも結構多い。地下千メイルにまで及ぶ風石鉱山開発はまんまガンダーラ商会の技術で行っているし、水酸化ナトリウムの製造ももちろんの事、ガンダーラ商会製の高精度ベアリングなどは今やガリアの産業界にとって無くてはならない物だ。
 シャルルにとってガンダーラ商会の技術は、ウォルフと共に手に入れられるものならば手に入れておきたいものであった。

「ガリアとゲルマニアでは現状で出来る事は少ないか。と、するとあとはアルビオンだが、貴族派とやらに渡りはつけているんだな?」
「はい。王家とガンダーラ商会の躍進に不満を持っている者ばかりで、特に今回風石市場で損失を多く出していて追い詰められつつあります。朝貢を条件にある程度の自治を認めてやれば支援に飛びつくものと思われます」
「情勢としてはどうなんだ? ここの所王家の力が増しているようだが」
「確かに今は王権派が盛り返していますが、我々が支援するならば貴族派が最終的な勝利を得る事も難しくはないでしょう」
「そうなればトリステインとアルビオンの二国とも実質的にガリアの物になる可能性があるか。私の戴冠に丁度良い華を添える事になるな」

 また、何かに酔っているかのような笑みを漏らす。貴族派がアルビオンで国政の実権を握る事になれば、ガンダーラ商会のアルビオンでの活動はかなり制限されるというのがシャルル達の見込みだ。

「ふふふ、アルビオンで排斥されたらどうなる? ガンダーラ商会といえど所詮一商会、どこか大きな力に頼らざるを得ないだろう。そう、この私のような」
「御意。現在アルビオンで行っている機械製造などの事業を国外へ転出せざるを得なくなった場合、辺境の森では地理的に遠すぎて適していないでしょう。ハルケギニアの中心近くにあるラグドリアン湖周辺に領地を約束すれば辺境の森の権利などさっさと売り払う事が予想されます」
「うむ。だがまだ早い。まだトリステインへの工作も途上だし、アルビオンも動きがあるのはまだ先だろう。暫くは泳がせておけばいいな。とはいえ、開拓の進捗具合は常に把握しておきたい。確か、ウォルフが開拓員を募集していると言ったな、そこに何人か諜報員をもぐり込ませてくれ。そうだな、二人位で良いだろう。その二人を支援するチームを作って連絡や情報収集に当たってくれ」
「畏まりました。目的は情報収集という事で風メイジが良いでしょうな。丁度良いのに心当たりがありますから、早速送り込みましょう」



 部下が去った後、シャルルはゆっくりと椅子から立ち上がり、壁に貼ってあるハルケギニアの地図の前に立った。
 広大な領地を誇るガリア。そのガリアと同等の大国ゲルマニアに挟まれた小国トリステイン。強力な空戦力を持ち地勢的に攻略しにくいアルビオン。シャルルはそれらの全てを手に入れるつもりだ。そして、それだけで終わるつもりも勿論無かった。

「ガリアとアルビオン、トリステインを統一すれば既にこの地におそれるものなど何も無い。ロマリアなどもはや圧力を掛けるだけで言いなりに出来るだろうし、アルブレヒトに異端宣告を出させる事すら可能となるだろう」

 異端宣言が出されてしまえばゲルマニアなど一年も持たずに瓦解する事が予測される。自分たちも異端宣告を出される危険を冒してまで帝室に忠義を貫く貴族などあの国にはいないのだから。

「最後にロマリアを武装解除すればこの六千年の間誰も出来なかったハルケギニアの統一が成し遂げられる。その統一王の名はシャルル・ド・ハルケギニア、この僕だ」

 シャルルはハルケギニアの地図を見つめ続ける。その目の輝きは妖しい光を放ち続けていた。




2-35    大事の前の小事



 楽しかったガリアでの日々も終わり、いよいよ東方開拓へ出発する日が近づいてきた。
 そんな、わくわくする毎日を過ごしていたある日、ウォルフはタニアの呼び出しを受ける。チェスターの化粧品工場の一角に設けられた商会長室で、不機嫌な顔を隠そうともしないタニアがウォルフを待っていた。

「ウォルフ、東方開拓にかまけるのはいいのよ? いいのだけれど、自動車の販売台数が絶不調のまま底辺を這っているのは、これはどういう事かしら?」
「あー、中々商品の良さが消費者に理解されていないみたいだね」
「何を人ごとのように…あなた言ったわよね、俺が居なくたって工場は回るようにしてから行くって。今自動車工場はどうなっているかしら?」
「絶賛技術訓練中でございます」

 自動車生産のために増員された工員は予定していた仕事が無いので、規定の訓練を終えた後も他の機械の取り扱いなど部署を変えながら訓練を続けている。他の工場は忙しいのにこの工場だけ仕事が無い。訓練も集中的にやったら直ぐに終わってしまいそうなので他の部署に応援に行ったり、十八歳以下の若い工員になどは旋盤などの高い技術が必要な機械の訓練を始めているほどだ。

「訓練させている間も給与は出ていくのよ? あなたが必要だと言うから大幅に増員したのに、これはどうした事かしら」

 このままでは開発費をペイするどころか人件費がかさむ一方だ。本来はウォルフが開拓にかまけている間も、自動車の生産で工場はフル生産状態になっている予定だったのに、計算外の事態だ。

「分かった、分かりましたよ。他にいくつか考えていた事があるから手っ取り早くその事業を始動させよう。それで勘弁してくれ」
「ん、何をするつもり?」
「平民向けの安価な服飾製品を考えている。当然機械による大量生産を前提に開発を進めるつもり」
「平民向け…」

 ナイロンやポリエステル更にはガラス繊維を生産しているし、リナの自動織機なども有る。ガンダーラ商会は繊維工業に強い。その強みを更に伸ばす計画だ。
 ウォルフは続けて概要を説明するが、タニアは平民向けという点に懸念を感じた。

「平民なんて年に数枚しか服を買わないわ。しかも単価が安い。あまり商売としてはうまみが無さそうなのだけど」
「現在市場規模が小さいからって将来も小さいままと考えるのは間違っているだろ。特にアルビオンなんかだと今までより大分物価が下がったので平民の購買力に余裕が出ているし、何より平民は人口の九割を占めるという事を忘れてはいけない」
「うーん、確かに最近は暮らしに余裕が出てきたのか、ちょっと良いものの需要が高くなってきているわねえ」
「だろ? 暮らしに余裕が出たら身の回りのものに気を遣うようになるんだよ。だからこれまでよりちょっと良いものを安価に提供すれば爆発的に売れると思う」
「……いいでしょう。開拓に出発するまでにサンプルを提出して下さい」
「とりあえず半額くらいにはなるようにするから、楽しみに待ってて」

 結局ウォルフの仕事がまた増えたわけだが、まあ仕方ない。自動車が全然売れなかったのだから。頭を切り換えてウォルフは工場へ戻って計画を練った。
 


 まず最初に取りかかったのはボタン製造だ。
 ハルケギニアの服に使われているボタンは金属や動物の牙や貝などが原料で、金属はこの世界では高価だし貝なども一つずつ研磨して作っているのでウォルフから見るとやたらと高価だ。ボタンの機能からすればそんな高級品は必要ないのでこれを大量生産すれば服の値段は結構下がる。
 以前いくつか試作した事はあるので、その工程を元にして生産機械を設計、製作する。グライダーにも使っている不飽和ポリエステルを棒状に成型し、それをスライスして切削、穴開けまで行う機械だ。
 この機械で量産されたボタンを卸業者達に見せ、低廉な予定販売価格を伝えると好評を得た。価格だけではなく、このボタンは樹脂中に混和された顔料によるカラフルなラインナップや、平民向けのボタンで主に使用されている貝に比べて割れにくく高強度で有ることなど優れた面は多い。
 ボタンの大きさや形状など業者達の意見も取り入れながら開発を続け、すぐに量産を始める手筈を整えた。

 ボタンと平行してリナ達と共に編み機の開発にも取り組んだ。この編み機は二本の糸から筒状の生地、いわゆるニットを編み上げる吊り編み機と呼ばれる機械で、これまでの織機とは違い伸縮性に優れた生地を生産できる。
 フライス編み機という首の部分などを編める機械も平行して開発し、これらが完成すればTシャツやジャージなどのウォルフにとってなじみの深い服が作れるようになる。
 試作して生地を編んでは改良を施すという作業を繰り返し、こちらは開発に少し時間が掛かっているが、そろそろ最終形が近いという状態になった。

 こういった開発の現場ではウォルフの『遍在』の魔法はかなり活躍した。今回この二つの機械を同時に開発できたのはこの魔法が有ってこそだ。今まで体が二つあればと思っていたことがようやく実現できたのだ。
 魔力を相当消費するので開拓の現場ではあまり使えなさそうではあるが、開発も出来て『遍在』の練習も出来てと有意義な日々を過ごした。

 最後に取りかかったのはミシンの製造だ。
 ちょっとウォルフはもう時間がとれなかったので概要だけリナに説明してあとはまかせた。元々複雑な機械だし、すぐに出来るとは思っていなかったのでのんびり作らせるつもりだったのだが、二週間ほどで一台作ってきたので驚いた。おかげでウォルフも出発前にその試作機を見ることが出来た。

 今回リナが作ってきたミシンは単環縫いという方式だ。針穴に通した糸を布の下部ですくい取りループを作り、布を送って次のループに通す。糸のテンションやすくい取るタイミング等製作にはかなり微妙な調整を必要だったみたいだが、どうやらリナはコツをつかんだようだった。
 ウォルフがリンク機構などの機械の基本的な構造を教えたのはもう大分前になるが、リナは完全にその知識を自分のものにしている。興味深げに見つめるウォルフの前でリナは重ねた布をあっという間に縫い合わせて見せた。

「ふふふ、どうですか、お針子さんでもない素人の私がこの早さであっという間に縫ってしまいましたよ…しかもこの縫い目の美しさ! 機械ってすばらしい…」
「おお、この調子でロックミシンも本縫いミシンもすぐに作れそうだな。よろしく頼むよ」
「…今ようやくできあがったばっかりじゃないですか。少しは感慨に耽らせてくださいよ」
「吊り編み機もフライス編み機も編み機の方はもうほぼ原型が固まったからな。これでロックミシンが完成すればTシャツを量産できる」
「ロックミシンってもっと複雑な縫い方のやつですよね。布の端を切り揃えながら縁かがりをする…はあ」

 ニットは伸縮するためにそれに対応した縫い方をしなくてはならない。必然的にミシンも複雑化するのだ。  

「もちろん、このミシンも改善を加えてもっといろんな糸や生地に対応できるようにしてくれ。今はまだこのセットにしか対応していないだろう」
「うにゅ、わかりますか。調整する項目がかなり多いんですよね。ウォルフ様が精密機械と言ったのも分かります」
「あと、オレから見るとちょっと一つの目が大きい気がするな。もうちょっと細かく縫って欲しい」
「ぬう、平民向けなのに高級志向ですね……」
「機械なんだからあんまり関係ないだろう。とりあえずボタンの量産でタニアの方は満足してくれたみたいだから、しっかりとした物を作ってくれ。ミシンにしても編み機にしても長く使う物なんだから」
「うーい。この機械達を量産するとなったら相当工場も忙しくなりそうですからね、がんばりますよ。打倒! ガーゴイル針子」

 おー! と、気合いを入れるとリナは早速ミシンを分解し始める。話している内に改良点を思いついたようだ。
 ミシンは人間が操作しなくてはならないから増産には限界があるが、速度において手縫いを圧倒する。多くの縫製工場で使われているガーゴイルよりも早くて正確であるので仕上がる製品の品質は安定するだろう。早くも目処が立ちそうなのでウォルフも安心して出かける事が出来る。

「おお、頑張ってくれよ。じゃあ、オレもうゲルマニアに行くから。一月くらいで一度帰ってくるけど、進捗状況は知らせてくれ」
「いってらっさい」

 あっさりとした見送りを受けてボルクリンゲンへ移動する。先日送り出した製鉄工場用の設備類がそろそろボルクリンゲンへ着くので工場建設に立ち会わなくてはならない。
 タニアにも許可を得たし、サラ達家族もウォルフが暫くいない事にはもう慣れっこだ。ウォルフは心おきなくアルビオンを後にした。



「おお、溶鉄が出てきた。あれはまだ銑鉄なのですね?」
「ええ、おたくから二束三文で買ってきたやつですよ」

 ボルクリンゲンに着いて休む間もなく直ぐに製鉄用の施設を設置し転炉の試験運転を開始したのだが、どこで聞きつけたのかデトレフが見学にやってきた。別に見られて困ることでもないのでウォルフは解説しながら一緒に工員の作業を見守った。
 工場の奥に据えられた大型の電磁誘導炉からは断続的に真っ赤に光る溶けた鉄が流れ出し、前部に設けられた炉にたまっていく。十分な量が前炉にたまった段階で予熱した転炉に溶鉄を流し込むのだ。これまでこの炉ではツェルプストーから購入した既に精錬された鉄を溶融してワイヤなどに加工していたが、今回は精錬する前の炭素や不純物をふんだんに含んだ銑鉄を溶融している。
 精錬が終わって成分が調整された鉄とは違い、銑鉄は不純物が多くそのままでは炭素が多すぎる上、高炉でいくらでも生産できてしまうので値段的にはかなり安い。
 普通は自分で精錬する炉を持っていて不純物や炭素を除去できる火メイジや、魔法でそれが出来る土メイジなどが購入する素材だ。

「あれはコークスで溶融しているのではないのですか? 投入しているのが見えませんが」
「自動車に使っている電気の熱で溶かしているのですよ。隣の棟の地下に風石発電機を設置しています」

 騒音が出るので地下に設置された大型の風石発電機は今この瞬間も勢いよく回っている。大型の交流発電機と接続されており、鉄を溶かす程の電力を安定して供給していた。

「やや、また電気ですか。どうも電気は分かりにくいですなあ」
「雷が落ちれば火事になるでしょう。同じ理屈で鉄も溶けるのですよ」
「ううむ、風メイジに聞いたところでは風を擦り合わせれば雷が出来るとのことですが、どうも何のことやらさっぱりで」
「まあ、自動車が手元に有るわけですから、じっくりと研究してください」
「それなのですが…実はまた動かなくなったのです」
「…走行中に動かなくなったのですか? それとも停車していたのが再起動しなかったのでしょうか」
「その、辺境伯にもっと速度を上げるように言われてモーターを分解してみたのですが、元通り組み立てても動かないのです…」
「…それは多分元通り組み立ってないですね。商館の方に伝えておきますよ。スタッフが引き取り修理に伺いますので渡してください」
「よろしくお願いします」

 そうこうしているうちに十分な量の鉄が溶けたようで、精錬に入る。鉄の精錬はいかに不純物を取り除き、炭素の量を必要な量に調整するかと言うことが大事だ。
 まず溶銑予備処理として最初に酸化鉄を入れて珪素を取り除き、次いで石灰、酸化鉄、螢石などをアルゴンガスと共に吹き込むことで燐と硫黄を除去する。発生するスラグを取り除き、珪素、燐、硫黄と鉄鋼に必要のないな成分が低減したところで転炉に勢いよく溶鉄が注ぎ込まれた。
 工員が訓練通りの手筈で転炉を操作し、底から吹き出るアルゴンガスで攪拌しながら上部から酸素を吹き付ける。十分に炭素が反応したところで酸素を止め、フェロマンガン、フェロシリコン、アルミニウムなどを加えて反応を止めて成分を調整した。
 不純物を含んだスラグを取り除き、転炉を傾けて取り鍋に溶鉄をとり、クレーンで運んで連続鋳造機にかける。鋳造機から出てきた鋼材は適当な長さに切断されそのまま長い圧延機を通り、直径一サント程の鋼材が次々に冷却棚に吐き出されてきた。通常はこの鋼材からワイヤを作っている。

「なんだかものすごい量が一気に出来ますね。一度にどれくらい処理できるのですか?」
「二十万リーブル位ですね。まあうちには十分な量だと思っています」
「二十万…」

 反射炉で精錬する量とは桁が違う上に精錬にかかる時間はこちらの方が圧倒的に短い。しかも機械を操作しているのは平民で、メイジはいない。その圧倒的な生産性の差にデトレフは暫く絶句したまま固まっていたが、再起動すると冷却棚へと近づいて『ディテクトマジック』を使用して鉄の品質を確認する。

「くう……見事な品質ですね。我が領で一般に生産されるどんな鉄よりも不純物が少ない、強靱でしなやかな鉄です」
「投入している石灰や蛍石はツェルプストーから購入した物を使用しています。燐や硫黄はやっぱり少なければ少ない程いいですね。本当はもう少し硫黄を減らしたいところですが、まあ十分な品質かなあと思っています」
「蛍石はうちでも使用していますが…これほどは不純物を除去できてはいません。一体何が違うのでしょうか?」
「ああ、多分珪素が原因でしょう。珪素が一定以上鉄の中に含まれていると燐が除去できないのですよ。先に鉄錆などを投入してある程度除去しておくのがポイントみたいです」
「…ウォルフ殿は不純物のことにも詳しいですなあ。やはりそれも観察の成果ですか」
「そりゃそうですよ。鉄以外を除去、とか言っても不純物として何が含まれているのか分からなければ除去する方法も本来は分からないはずです」

 不純物の除去には炉に使う耐火煉瓦の性質にも左右されるようで、今使っている水酸化マグネシウムを焼結した物をベースに製造した煉瓦に至るまでは随分と試作を重ねたものだ。
 この後もいろいろとデトレフに質問され、転炉の上から吹き付けている空気は酸素という特殊な気体で単なる空気を吹き込むのでは効率が悪いということ、炉の底からはアルゴンガスというもっと特殊な気体を吹き出して鉄を攪拌していることなどを説明した。
 この工程を見たまま模倣しても上手くはいかないことを間接的に指摘され、デトレフは落ち込む。もしツェルプストーで転炉を導入できれば鉄の生産量は飛躍的に上がることが予想できるのだ、無理もない。
 がっかりと落ち込んでいるデトレフにウォルフがさらなる爆弾を投下した。

「気に入ったのでしたら、ツェルプストーでこれ一式買いますか?実はこれ、ほぼ同じのを今度ガリアのラ・クルスに納入することが決まっているんですよ」
「なっ! ガリアですって?」

 ぞわりとデトレフは鳥肌が立つのを感じる。これまでゲルマニアの鉄の販売先であったガリアがゲルマニアよりも高度な技術で鉄を作り出す……技術でライバルに追い抜かれる事に対する焦燥感は技術者として味わいたくない種類の物だ。

「ええ、価格とかはちょっと私には分からないのですが、来月には納入する予定で今アルビオンで製造しています。これよりちょっと大型の転炉と連続鋳造機と圧延機をセットで納入する予定ですよ」
「買います。一割多く払いますから、ラ・クルスより一日でも早く納入していただきたい」
「ちょっ、結構な額になりますよ? 辺境伯の決済が必要なのでは?!」
「かまいません。辺境伯は必ず購入します」

 きっぱりとデトレフは断言する。高炉を持っていないガンダーラ商会ならともかく、高炉を有する他貴族が自分たちよりも優れた技術で鉄の生産を始めるなど黙って見ていられる事ではない。彼は既に長い事ツェルプストーに仕えているので辺境伯が絶対に買うと言うであろうことは分かった。

「わかりました、フークバルトとタニアに伝えておきます。今日帰りに商館の方へ寄ってください。細かい条件など商談はそちらで」
「お願いします」

 ガンダーラ商会としては設備一式を販売した後はそのメンテナンス費用と酸素やアルゴンなどのガス、フェロシリコンやフェロマンガンなどの調質材の販売で継続して利益をあげる予定だ。フェロシリコンはシリカが原料なので問題なく生産できているし、フェロマンガンは今は宝飾品材料として流通している菱マンガン鉱の鉱石や加工屑を安価に購入してきて精錬しているが、開拓地で鉱脈が発見できているので今後は安定して供給できる見込みが立っている。
 ガリアやゲルマニアで転炉が操業するようになると空気の分溜機が足りなくなりそうなので、それは増産して対応する事にした。

 デトレフとしてはこの新製鉄法をいち早く取り入れて自分たちの技術にする事が急務だと判断した。鉄の製造コストは大幅に下がるだろうし、生産量も飛躍的に上げる事が出来る。グライダーや戦車などとは比べものにならない程重要な事だ。
 これほど不純物の少ないしなやかな鉄ならばかねてから懸案だった高品質な鉄製大砲の量産化が出来るかもしれない。現在使われている青銅製の大砲は何しろコストが高い。低コストな鉄製の大砲ならば戦列艦などの建造費を大幅に下げる事が出来る。

 ウォルフとデトレフ、それぞれに思惑を持ちながら握手して分かれた。デトレフはサンプルとしてできあがった鋼材をグライダーに積めるだけ積み込んで帰って行った。早速大砲を試作してみるつもりなのだ。
 ツェルプストーとはこれからもこうして持ちつ持たれつの関係を続けていくのだろう。重量超過で無理に機体を浮かせているグライダーを見送り、ウォルフは商館へ連絡を入れた。




2-36    開拓団結成



 ゲルマニア南部、ガリアとの国境もほど近い街ミュンヒ。ゲルマニアで最大の聖堂を持つこの街は、多くの神官が行き交う信教の地であると同時に近郊に最大の刑務所であるランツベルク監獄と最大の岩塩及び風石鉱山であるベルヒテス山を持つ労働者の街という顔を持っていた。
 ウォルフはガンダーラ商会における残務をすべて処理し、開拓団員の引き渡しの為この街を訪れていた。
 ツエルプストーからは三百リーグ程しか離れていない街だが、人員輸送用のフネを移動させるのには丸一昼夜近くかかった。ウォルフは後からモーグラで来た為に一時間少々しかかかっていないが。
 ここで開拓団員の貸与手続きを済ませ、いよいよ開拓へと向かう。団員の食料・装備・住居など開拓に必要な物資は既にボルクリンゲンから船団を組んで海路マイツェンへと送り出してある。重機は新開発の双胴船に積み込んで海路で送り、ダンプカーは資材を積み込んで陸路を自走し、ここで引き渡される開拓団員はフネに分乗して空路向かう事になる。

「お待たせしました、ウォルフ・ライエ・ド・モルガン殿ですね。こちらが貸与する開拓団員のリストです。後ほど顔合わせをしますので、それが済みましたら確認してこちらの書類にサインをして提出して下さい」
「分かりました。これで全員分ですね?」
「はい。こちらがメイジで、こっちが非メイジとなります。では、準備が出来ましたらご案内いたしますのであちらでお待ち下さい」

 東方開拓団申請の手続きはツェルプストーの方でほとんどやってくれていたのであとはここ、ランツベルク監獄で開拓団員の引き渡しを受ければ終了だ。ツェルプストーからはデトレフが手続きの為に同行してくれている。
 もう一人同行しているのは商会の土メイジだったジルベールだ。ジルベールは風石鉱山の採掘を担当していたのだが、タニアに頼み込んで期限付きで移籍して貰っていた。彼にとって地味な石しか出てこない風石鉱山よりもウォルフが見せた辺境の森から産出する珍しい鉱石の数々のほうが魅力的に映ったらしく、暫く悩んだ末に移籍を了承してくれた。
 ゲルマニア政府から一万エキューの預託金と引き替えに貸与される開拓団員は総勢二百三十名。その経歴などが詳しく記された書類は結構な分量があった。それだけの数の人間の人生を預かるという事にはプレッシャーも当然ある。しかし、開発できるという自信があるからこそ手を出したのだ、今更臆するつもりはない。待合室のソファーに座ってページをめくり、一人一人確認しながら、絶対に死亡事故を起こさない現場にするいう決意を新たにした。
 暫く座って確認してみたが、総じて皆若い。貸与される人員を選ぶ権利はこちらにない為に老人ばかりだったらどうしようかと心配していたが、杞憂だったようだ。ここの受刑者内で希望した者から選ばれるとの事だが、いくら東方開拓団の死亡率が高いと言われていても自由になれるチャンスがあるというのはまだ若い者にとって魅力的なのだろう。
 男女比はメイジが男十八人に女十二人、平民が男百七十五人に女二十五人。平民の方に随分と偏りが有るがこれは犯罪者の数がそういうものなのだろう。書類上で目立ったのには十三才と十一才のメイジの姉妹だ。おそらくは連座制で投獄されたのだろうとは思うがちょっとこの二人は戦力とは考えにくい。

 随分と待たされた後、ようやく講堂のような所へ通された。いよいよ開拓団員との初顔合わせだ。
 ずらりと居並ぶ団員の前にウォルフはデトレフとジルベールを伴って登壇した。団員達はいきなり現れた子供に訝しげな視線を送るが、さすがに刑務所での訓練が行き届いているらしく、私語などは一切無い。

「あー、皆さん初めまして、この度東方開拓団を結成する事になりました、団長のウォルフ・ライエです、よろしく。アルビオンのド・モルガン男爵家の次男でありまして、ゲルマニアでの後見貴族はツェルプストー辺境伯になります。後ろにいるのはツェルプストー家臣のデトレフさんと、自由参加の開拓団員であるジルベールで、ジルベールは皆さんの世話をして一緒に開拓地に向かいます」

 ウォルフが自己紹介すると、団員達は不安げな様子で互いに顔を見合わせた。こんな子供の下で働くなど信じられないのも無理はない。ウォルフはある程度予想していた反応なので無視して名簿の確認に入った。
 
「では、名簿を確認しますので呼ばれた人は手を上げて返事をして下さい。えー、アーベル」
「はい」
「アルノルト」
「はい」

 順次名前を呼びながら全員の名簿と顔とを確認する。作業としては面倒だがこれから十年以上一緒に働く予定の者たちだ。きちんと一人ずつ顔を合わせておきたかった。
 平民達はいかにも山の男といった荒くれ者達が目に付くがメイジの方はどことなく線が細い者ばかりだ。メイジは全てドットかライン。戦闘力としてはそれほど期待できないが、まもるくんが有るのでそれ程心配はしていない。どちらかというと土木や建築での活躍を期待している。
 一見しただけではあるがメイジも平民も全員健康そうで、ツェルプストー辺境伯が政治力を発揮してくれたのであろう事が分かる。
 確認を終えるとジルベールが全員をフネへ誘導し、ウォルフは手続きを完了する為係員の元へと向かった。

「ではこちらにサインしましたので確認して下さい」
「はい、確かに。ではこちらの書類は推薦貴族に、ツェルプストー辺境伯ですね、お渡し下さい」

 係員から渡された書類はデトレフが受け取った。続いてウォルフにはブレスレットのような物が渡された。

「こちらは開拓団員達の首輪を制御するブレスレットになります。使用方法はご存知ですか?」
「…いえ、初めて見ました」
「では説明いたします。あの首輪は隷属の首輪と申しまして、受刑者の反乱や逃亡を防ぐ目的で付ける物です。ゲルマニア政府開発の品で所有権は政府に帰属しますので、開拓終了時や装備者が死亡した時はお返しいただく物として認識して下さい。では先ずこのブレスレットを手に通して下さい」
「はあ…」

 言われた通りブレスレットを手に通すとすぐに縮んでウォルフのまだ細い手首にぴったりと装着された。

「こちらの言う事を聞かない時は対象を認識して「締まれ」と言うだけで首輪を締め上げる事が出来ます。長時間締めたままだと死にますのでご注意下さいね」
「……中々物騒なマジックアイテムですね」
「はい。禁制の魔法も使用されていますので、構造を調べたりはしないで下さい。こちらに保管されている隷属の鎖と対になっていまして、首輪に対し不当な干渉を試みた場合は魔法で記録されますし、無理に外そうとするとやはり締まりまして装着者が死亡します」
「わ、分かりました。他の団員にも徹底させます」

 中々恐ろしい事を平然と言いながら係員は机の下から黒光りする鎖を取り出した。帰ったら早速調べてやろうと思っていたウォルフは少し焦って答える。ブレスレットは二つ支給されたので一つはとりあえずウォルフが付けっぱなしにする事にした。
 係員によると禁制の魔法とはいえそれほど多くの効果があるわけではないので、開拓団員をしっかりと管理する必要があるそうだ。

「特に開拓団員が犯罪を犯した場合、その責任は開拓団長であるあなたにかかる事になるのでご注意下さい」
「えっと、団員が逃げちゃった場合とかはどうなるんですか? その場合でもこのブレスレットで首絞めて対応するのでしょうか?」
「ブレスレットは対象が視界に入っていないと作動しませんので、その場合はこちらにご連絡下さい、鎖に首輪の所在を解析する魔法がありますので。ただ逃亡した場合首輪の対象者は死刑となりますが、その損失及び逮捕に要した経費もあなたの責任となりまして預託金から引かれますので逃がしたりはしないよう、ご注意下さい」
「…団員達はこの首輪の事を知っているのですよね」
「ええ、勿論。ですが、辛い日々が長く続くと人間は死んだ方がマシだと思ったりするらしいのです。死ぬ前にせめて故郷を見たいとか言う理由で逃げ出す者はよくいるようです」
「それは…そんなには酷使しないつもりなので大丈夫だと思います」
「はは、お優しいですな。あと受刑者はセックスが禁止されていますので、ご注意下さい。性欲を押さえる機能が付いていますので自発的にする心配はありませんが、セックスするとやはり首輪に記録され、こちらで確認次第相手共々処罰いたしますので。まあ、あなたにはまだ関係ないでしょうが、合意があった場合でも帝国の財物を毀損したと言う事で罰金もしくは一年の懲役となります」

 セックス禁止というのは性犯罪防止の為に設定された条項のようだ。男性団員の性犯罪防止は勿論、かつては女性団員を性奴隷のように扱う開拓団長が時折いたのでその対策にもなっているそうだ。係員の説明からウォルフが推測したところでは性交時の脳波を検知して作動する魔法が組み込まれているらしいが、まあ随分と念の入った事だ。

「この首輪は開拓に成功すれば外されるんですよね?」
「はい。その場合はもう普通の領民となります」

 ウォルフは開拓期限の十年後位を目標に完了申請をすれば良いかと考えていたのだが、子供が作れないというのではあんまりのんびりするのも団員に悪い気がしてきた。三十近くの女性もいたので、十年後では家庭を作るのは難しくなってしまうかも知れない。 



「じゃあジルベール、君が責任者だからよろしく頼むよ」
「お任せ下さい! ちゃんと全員無事に送り届けますよ、多分」

 全ての手続きを終え、フネに帰ってきたウォルフはジルベールに開拓団員をまかせ、自分は一度ツェルプストーに戻る。デトレフを送るのと辺境伯に挨拶をする為だ。
 ジルベールに任せるのは些か不安だが、他に人員がいないので仕方がない。ブレスレットの説明をして一つ渡し、モーグラに乗り込むとさっさと離陸する。 
 刑務所暮らしでグライダーの類を見た事が無い開拓団員達が驚く中、ウォルフのモーグラはぐんぐん加速して彼方へと飛び去った。

「はあー、えらく速いフネだなありゃ。刑務所に入っている間に随分と世の中は変わっちまったらしい」
「いやあ、あんなのはつい最近出来た物だから、刑務所は関係ないぞ。あ、部屋割り済んだ?」
「あ、はい。船室に結構余裕があるのですが、良いのでしょうか」
「良いんじゃない? ウォルフ様が決めた事だし。千五百リーグ近い長旅になるんだからぎゅうぎゅうじゃ疲れちゃうでしょ」
「その、ウォルフ様とはどのような方なのでしょうか? 我々もあんなに若い方が開拓団長になるなど想像していませんでしたので」

 ジルベールがフネの中の部屋割りを任せていたのは三十才位のメイジの団員だ。短い移動の間にも何となくみんなを纏めていたのでそのままジルベールがやるべき仕事を丸投げした。

「このフネの所有者であるガンダーラ商会の創始者で、さっきのモーグラとかの開発者。風石鉱山を見つけたり色々やっているよ」
「ええと、親御さんがお金持ちなのですか? アルビオンの男爵だそうですが」
「いや、全部自分で出しているみたいだよ。どんな人かって言うのは良く分からないね」

 ウォルフがどんな人間だなどといきなり解説なんて出来るわけもない。あっさりと説明を放棄した。

「まあ、長い付き合いになるんだから自分で見極めればいいんじゃない? ただ、あの年でスクウェアメイジらしいから、子供だからってあんまり舐めた真似はしない方が良いってみんなに伝えておいて」
「……徹底させます」
「頼みますねー。見た事無いけど、怒ると怖いって噂なんで。あなた、名前何でしたっけ?」
「マルセルと言います、よろしくお願いします」
「こちらこそ。じゃあそろそろ出発しましょう」

 ジルベール達開拓団員を乗せたフネは順調に高度を上げ、一路東へと向かった。



 ウォルフは真っ直ぐにツェルプストーの城に向かい、デトレフを下ろすとキュルケやこの城で待っていたクリフォードと合流した。
 開拓の始めはやはり幻獣や亜人を駆除する作業が激しくなりそうなので、戦闘力を見込んでウォルフが期間限定で参加を依頼していたのだ。ツェルプストーからはキュルケとマリー・ルイーゼ、それに二人の護衛としてバルバストルが参加してくれる。

「ウォルフ。手続きは全部終わったのかしら?」
「ああ、開拓団総勢二百三十人貸与して貰ってきたよ。辺境伯に挨拶もしてきたし、早速出発しよう」
「オッケー、こっちも準備はバッチリよ。どう? アントニオの詩を刺繍させたの、素敵でしょう」

 そういうとキュルケは新調したマントを翻し背中を見せる。つらつらとマントにハルケギニア語で刺繍されている"迷わず行けよ、行けば分かるさ"の「道」の詩。それを見たウォルフの感想は「ヤンキーみたい」だったが口にはせずに適当に褒めておいた。

「うふふ、ランドドラゴンの軽鎧は向こうに着いたら見せてあげるわね。またあの森に行くのは楽しみだわあ…どう、開拓団に強そうなメイジはいた?」
「いや、ドットとラインだけだったし、あんまり戦闘に向いていそうじゃなかった。メイジじゃない方が喧嘩は強そうだったよ」 
「なによそれ…でもまあ、そんなもんか。ガリアの方で応募してきたメイジ達ってのは強そうなのよね?」
「ああ、あっちもラインだって言っていたけど、傭兵していたって言うし随分と強そうな感じだった」

 一向に応募人数が増えなかった開拓団員の一般募集だったが、最近になってガリアで風メイジが四人も応募してきた。
 これで開拓団のメイジはここにいる五人とガリアの四人、ジルベール、貸与の三十人で計四十人だ。
 まずは木々の伐採と整地、飲料水の確保と幻獣・亜人避けの防壁作り。やる事はいくらでもあるのでメイジはいくらいても足りない。この四人の応募でウォルフは今後も応募がある事を期待するようになっていた。

「ふうん。そんな引く手あまたっぽそうなのが何で東方開拓団なんかに応募してきたのかは気になるけど、一回手合わせしてみたいわね」
「見る目がある人はいるって事だと思いたいね。まあ多少思惑がある人だとしても団員としてちゃんと働いてくれるのならあんまり気にしないけどね」

 開拓団の方には相変わらず応募が少ないが、ガンダーラ商会の方には求人に応募が殺到している。しかし、どうもひも付きというか、誰かの指図で来ているっぽい人が多いのであまり雇用を増やせず慎重に人物を選別している。
 こちらに来ているメイジももしかしたらそう言う類なのかも知れないとは思うが、開拓団では特に機密事項を扱うつもりはないし、気にしだしたらきりがないので応募してくれた人は原則受け入れることにしていた。

「じゃあ、今回もよろしくお願いします! ウォルフ・ライエ東方開拓団、出発します!」
「よろしくー、なんかいつになくテンションが高いわね」
 
 キュルケの真っ赤なモーグラと二機でマイツェンへと向かう。クリフォードにはキュルケのモーグラに乗って貰い、ウォルフの機体には自由応募の平民三人が乗り込んだ。
 まだ年若いこの三人は最初に応募してきた平民で、ウォルフが遍在で念入りに測量の技術を教え込んだ測量専門官だ。拠点建設予定地と開拓予定地の測量の為に先に到着する予定のモーグラでつれていく。
 この日はリンベルクのホテルに泊まり、翌日早朝にマイツェンに着いた。



「相変わらず何にも無い村ねえ…大体人がほとんど居ないじゃない」
「牧草の刈り取りのシーズンはみんな泊まり込みで来るけど、普段はあまり人がいないみたいだな」
「この間はたまたま人が多くいるときだったのね。人が居ない村って辛気くさくて嫌だわ、さっさと森に入りましょう。私たちの任務はまもるくんの設置ね?」
「うん。この地図のポイントに村の外周をカバーできるよう設置して欲しい。領主の許可は取ってあるから。まずはマイツェンを安全地帯にするんだ」
「マイツェンの周りにある草原の外周ね。それはすぐに終わりそうね。それだけ?」
「それが終わったら、詳しくは測量班に教えてあるけど、彼らは村の測量が終わったらここらの見晴らしの良い山の頂上に三角点を設置して三角点網を作る予定だから、その工事を護衛するのが主な任務になる。ついでに三角点のそばにもまもるくんを設置して防空網の整備もお願いしたい。オレはここで防壁を作ってるから」
「オッケー、分からない事があったら聞きに来るわ。じゃあマリー、クリフ行きましょう」

 マイツェンの村には村の規模にしては立派な川港があり、川から水を引き込んでいるその港ごとぐるりと村を囲む石造りの防壁がある。高さは八メイル程でかなり立派なのだが、村は狭くて空き地が無く、今回ウォルフが拠点と製材所を作るのはこの防壁の外だ。
 まもるくんを設置するのでそれ程しっかりした物を作る必要はないが、万が一幻獣などが迷い込んだ場合、一時足止めする必要がありそうなのでこちらにも三メイルの高さで防壁を作るつもりだ。
 今回のまもるくんはジャイアントモールなど地中の幻獣対策に振動装置を搭載している。天敵である地竜の足音を再現し、防壁と併せて空中・地上・地中いずれからの進入も許さない。
 予定地の北側は川に面している上に頑丈な岩盤が五メイル位段差を造っているのでそのまま使え、西側はマイツェンの村の防壁をそのまま利用するので東と南側だけではあるが、総延長一リーグを超える工事を一人でやるのは結構大変だった。
 ひたすら『土の壁』を唱えて堀と壁を作る日々だ。後で石積みの防壁にするつもりだが、今はとにかく囲みを完成させる事が優先されるので、時折こちらの様子を窺う幻獣をまもるくんが撃退する中ひたすら魔法で土を高く盛った。
 作業を初めて三日目にはおおよそ作り終え、次に開拓団専用の川港と倉庫の建築に取り掛かった。キュルケ達は基本的にはマリー・ルイーゼとクリフォードが測量の護衛に付き、キュルケはバルバストルを連れて気ままに幻獣達を追い回しているらしい。キュルケが獲ってきた幻獣がウォルフ達の食卓を賑わす事になった。

 そして作業を初めて五日目、大回りして海路はるばる航海してきた輸送船団とその輸送船団より後にボルクリンゲンを出た陸路組、空路ミュンヒから飛行してきたフネ二隻の本隊とがマイツェンへと到着し、いよいよウォルフの東方開拓団が勢揃いした。




2-37    開拓前夜



「ばかやろう、邪魔だって言ってんだろが! まず宿舎作るんだって!」
「えーと、我々はどこへ行けば…」
「建築経験ある人ー、あの親方に付いていってくださーい」
「契約では荷を運ぶだけなのでさっさと荷を下ろして帰りたいのですが」
「おーい、こっちメイジ何人か来てくれよう!」

 川から少し離れた所で水道用の井戸を掘っていたウォルフが船団到着の報を受けて港まで来てみると、そこは見事に混乱していた。今朝完成したばかりの港にジルベールの指揮するフネが先に入ってしまった為、荷物を下ろしたい輸送船団が渋滞しているのだ。
 詳しく話を聞くとどうもジルベールが悪い。輸送船団が二隻ずつ荷下ろしのために入港していたのに、港が空いた時に上空から割り込んで着水してしまったそうだ。
 とりあえずフネ二隻の人員は全て下ろさせ、村の方の港に移動させてそこでまだ残っている荷下ろしをさせる。開拓団専用港の方は宿舎建築の資材、重機、製材所用の大型機械を優先して荷下ろしさせる。
 所在なげにしている団員たちに片っ端から指示を与えて荷下ろしなどに人員を割り振るとようやく作業がスムースに流れ始めた。

「やあ、助かりましたウォルフ様。三百人近く人間がいるといろいろ大変ですね」
「何を人ごとのように。お前は人の上に立つのに向かないなあ……早くリーダーを選ばなきゃな」
「向かないですね。ところでオレはいつ鉱山へ行けるのですか? あの美しい菱マンガン鉱とか硫カドミウム鉱が採れたという山に早く行きたいのですけど」
「…当面拠点整備に時間がかかるから鉱山に取りかかるのはだいぶ先だ。一人で勝手に行こうとはするなよ? ワイバーンとか、うようよいたからな」

 そう言えばジルベールがただの鉱物オタクだったことを思い出す。そのオタク趣味につけ込んで珍しい鉱石を見せびらかして引き抜いてきたこともあるので、怒ることもできない。
 とは言え貴重な土メイジだ、ジルベールには井戸を掘る手伝いをさせ、遍在を出してウォルフは井戸を掘りつつ作業全体を監督した。

 村の港と開拓団専用港とで船から積み荷を降ろし、整理して倉庫に収めているグループと大工について宿舎の建築に取りかかっているグループ。大きく分けて二つのグループに分かれて作業していたのだが、荷下ろしが終わるとその人員が建築の方へ移動してそのマンパワーにより夕方には三百人が泊まれる宿舎が一応完成した。二段ベッドを一部屋に四つ入れて二階建て二十部屋の結構大きな建物が二棟で、今日は男女共用だが明日には女子宿舎も一棟別に造る予定だ。
 宿舎用の資材はボルクリンゲンでパネルにまで加工していたので、メイジが作った基礎の上にそれを組み立てて屋根と床を張って窓やドアを入れただけの簡単な建物だ。本当に建てただけで内装などは構造用合板むき出しの味気ないものだが、これで団員たちが今夜夜露に濡れる心配はなくなった。今後住みながら外壁や内装を仕上げて行く予定だ。
 石造りではなく木造であることで建物の幻獣に対する防御力に不安を訴える者もいたが、マイツェンは牧草地に囲まれており、まもるくんの防御力が高いため心配は無用だ。まもるくんは超音波を利用しているので障害物が多いと音波が反射してしまうので広範囲を守ることに適さないが、ここほど開けていればどんな幻獣だろうと接近する前に追い払えるのだ。
 明日からはここを拠点にして開拓地へと入り、木を切り倒して搬出し平地を整地する作業を進める。将来的には製材所勤務の人間以外は開拓地に移住し、この建物は新規移民の一時宿泊施設、つまりホテルとして活用する予定だ。



 夕食前ウォルフは今日の作業でリーダーシップを発揮していた者十人、重機班と測量班、製材機械担当工員と大工の代表、それにツェルプストー組を集めて今後の予定についてミーティングを開いた。  

「えーと、今日はお疲れ様でした。おかげさまで宿舎もできまして、開拓の第一歩を記すことができました。まだほとんどの方が初対面だと思いますのでざっと各人の紹介をしたいと思います」

 今集まっている場所は製材所の予定地で、既に基礎はできあがっており明日以降上物を建築して機械を設置していく予定だが、今はまだ石を敷き詰めた床があるだけの場所だ。
 
「こちらの四人は二週間ほどの予定だが、幻獣駆除及び護衛を担当してくれるキュルケとマリー・ルイーゼ、バルバストルさん、クリフォードだ。キュルケはフォン・ツェルプストーの息女、クリフォードはオレの兄だ」
「よろしくね」「よろしく」

 紹介されたキュルケたちが軽く挨拶をし、一同がそれに応えるが、辺境伯の娘とあって皆緊張気味だ。

「食糧確保も担当してくれるらしい。今夜の肉も彼らが用意してくれたので後で味わってくれ。次、大工の親方マーカスさん。マーカスさんは今日の作業から三十人を選んで訓練を兼ねて製材所の建築に当たってください」
「マーカスだ、よろしく。坊、皆手先が不器用そうだったんだが、若いのから優先的に選んでいいか?」
「任せます。パネル工法の大工ならそれほど器用さを要求されないだろうし、なんとかなるでしょう。レビテーションが得意なメイジも五人くらいはいた方がいいですね。えー、その隣が製材機械担当のミックです。ミック、君は平民の女性二十五人に製材機械の講習をしてくれ。あと、せんたくんZときえーるボックスの操作方法もお願い」
「わかりました。えっと、ミックです、若輩者ですがよろしくお願いします」

 ミックはサウスゴータの機械工二期生で、製材機械の設計製造をウォルフとともに行ってきたので、今回商会から借りてきた。設計の方はまだまだだが機械の扱いには大分慣れている。
 せんたくんZは新たに開発した大型の自動洗濯ガーゴイル、きえーるボックスは好気性菌類を利用した生ゴミ及びし尿処理機、いわゆるバイオトイレと呼ばれる類の機械だ。もともとハルケギニアは生ゴミの排出量も洗濯物も少ないが、人間が多いので総量は多い。より効率的な開拓のために設置することにした。
 きえーるボックスはまだ研究開発中なのでより優れた菌類の発見と併せて開拓地で改良を続けていく予定だが、一応処理は出来るのでこれがあれば開拓地が糞尿だらけにはならないですむ。

「次、測量班のゲオルク。君達は引き続き測量を続けてくれ。特に水源となる山間部には将来ダムを造る予定だから精密にして欲しい。重機班のモーリッツ、監獄組からメイジ五人平民十人を選んで訓練しておいてくれ。明日以降開拓地の整地に忙しくなる予定だから」
「わかりました。防壁を補強する工事はどうしますか?ちょっと土の壁だと大型の幻獣を止められなさそうですけど」
「大型のは接近させないから補強は後回しでいい。木の根処理と堤防作りが当面の作業になりそうだからそのつもりで訓練よろしく。えー、次は監獄メイジ代表のマルセルさん。あなたに政府から貸与された開拓団員の代表をお願いしますので、皆の要望などをまとめて私まで報告してくれるよう、お願いします」

 マルセルは今年二十九になる元貴族のメイジだ。十九歳までは貴族として暮らしていたが親が帝室の跡目争いに巻き込まれて粛正対象となり、投獄された。
 いきなり代表に選ばれて困惑していたが、臆さずに手を挙げると早速発言した。

「マルセルと申します、まだどんな開拓団なのか理解もしていませんが、よろしくお願いします。早速要望があります、宿舎が木造で防壁もマイツェンの村よりもだいぶ低くて皆が不安を覚えています。村には空き家も多いみたいなのであちらに泊めてもらうことはできないのでしょうか?」
「防壁全体を常時作動型のガーゴイル複数で警備していますので、火竜百頭の群れといえどもここには近づけません。心配は当然かとは思いますが、皆さんには安心してくれるよう伝えて下さい」

 火竜百頭を撃退するガーゴイルなど普通は想像できない。マルセルは絶句してしまったのでウォルフは次の人の紹介に移った。
 主力となる部隊は開拓地で切り倒した木材の搬出に従事することになる。森の木はウォルフとクリフォード、バルバストルで片っ端から切り倒してしまう予定だが、毒蛇や毒虫など危険に直面する作業なので入念に打ち合わせを済ませた。



 この夜の夕食はキュルケ達が獲ってきた幻獣などの焼き肉と野菜の入ったスープなどで、森で採れるフルーツやナッツ類も沢山用意されている。メイン料理は三時間以上掛けて焼き上げた三本角竜牛の丸焼きだ。宿舎の前の広場に炉を組み、全員が集まっての晩餐だ。広場には肉を焼く匂いが漂い、ウォルフからワインの樽も提供されて自由に飲めることになっているので、監獄組のテンションは食事を始める前からマックスになっていた。

「えー、今日はお疲れ様でした。明日も早朝から作業がありますからあまり飲み過ぎないように注意してください。乾杯!」
「「「乾杯!」」」

 マイツェン入りしてからずっと毎日ウォルフはため込んだ魔力素が尽きるまで作業していたので、今日団員達が集結してようやく一息つけた感じだ。
 一仕事終えた開放感からくつろぎ、キュルケ達とテーブルを囲みながら焼き上がった肉を片っ端から平らげていた。

「んー、じゃあ亜人の巣は全て壊滅したんだな?」
「そうね、東部山岳地帯のオークと南部湿地帯付近のコボルドは共に開拓予定地からは逃げ出したのを確認しているわ。巣の跡地を見通せる高台にまもるくんをそれぞれ設置してきたから、戻ってくることもないと思うし」
「おつかれさん。あとは平野部だな。これは木を全部切っちゃえば何とかなりそうだ」
「まもるくん、木があると効果が低いから気をつけた方がいいわね」
「ん、分かってる。とりあえず全部切っちゃうのはそのためだしな」

 しばらく今後の予定について打ち合わせをしていたが、ふと、キュルケが誰かを捜すように広場を見渡した。

「ねえ、ウォルフ。ガリアから来たメイジってどこにいるのかしら?」
「ん? ええと、あそこで二人きりで飯食っているのと、あっちでメイジの女の子をナンパしてる二人組だな」
「二人だけでぼそぼそ話しちゃって怪しいわね。向こうのも妙にハイテンションだし。ねえ、あの四人わたしが預かってもいいかしら?」
「あ、元からそのつもりだった。四人とも風以外の系統はあまり得意じゃないみたいだし、警備担当が無難かなって」
「オッケーオッケー、キュルケさんに任せなさい。ちょっと挨拶してくるわ」
「おう、任せた。優秀そうな人たちだし心配はいらないと思うよ」

 さっさと夕食を済ませたキュルケは楽しげな笑みを浮かべて立ち上がった。



 広場の片隅で目立たないように二人で座り、料理を食べながら時折ぼそぼそとなにやら話しているのはガリアで応募してきたメイジ、クラウディオとルシオだ。
 キュルケは二人に気取られないように足音を殺し、背後からゆっくりと近づいた。全く音を立ててはいなかったと思うのだが、五メイルくらいまで近づいたときにおもむろに二人がキュルケの方に振り向いた。

「どうなさいましたかな、マドマゼル。ここらには料理や取り皿は置いてありませんが」
「キュルケよ。あなた達ガリアから来たメイジでしょう? 明日からはわたしと一緒に仕事してもらうから、挨拶しに来たわ」
「おお、そうでしたか、これはわざわざご丁寧に。私がクラウディオでこちらがルシオでございます」
「あなた達ガリアで食い詰めて来たっていう設定らしいわね。並の風メイジはそんなに敏感じゃないわよ?」
「…どうも生来の臆病者らしく、物音には敏感なのですよ」
「ふふふ、臆病者が東方開拓団に応募とか、中々笑える冗談ね。まあいいわ、明日は本隊より先に現地入りするから早めに集合してね?」

 苦い顔をする二人にひらひらと手を振ると、すぐにその場を離れもう一方の二人組の方へと向かう。ウォルフの言うとおり、工作員というよりは情報収集のために来ているようだ。盗まれて困る情報もあまりないとのことだし、せいぜいメイジとしてこき使ってやればいいのだろう。

 もう一方のガリア組モレノとセルジョは監獄組の幼い姉妹の横に座って熱心にナンパしている最中である。どうやらモレノが熱心でセルジョは少し引いているようだ。姉ですらまだ十三歳でしかないので周囲の目は冷たいが、本人は一切気にしていない様子でぺらぺらと調子のいいことを言っている。

「ロマリアの聖堂は本当に美しいんだよ。一目見れば誰もが神の存在を信じられる、素晴らしいものだ。是非君たちにも見せたい」
「ありがたいのですが、ご存じの通り、私たちは罪人ですので無理ですよ。開拓が成功するまでは、ロマリアに行く自由など得られません」
「いやいや、君たちのような幼い娘が罪人だなんて、どんな冗談なんだい。どうせ何もしていないんだろう?」
「確かに私たちは生まれてからずっとランツベルク監獄で育ちましたが、ゲルマニア政府が決めたことです。私たちにはどうしようもありません」
「どんなことにも裏道はあるってことを知った方が良い。君たちなら教会に奉仕することを誓ってロマリアの教皇庁に申請すれば恩赦が出る可能性はあると思うよ」
「恩赦…ですか?」

 迷惑そうにしていた二人だが、恩赦の話が出てはさすがに興味を持ったようだ。モレノの方を向き、続きを聞こうとする。

「そうだよ、ゲル「そこまで」」

 話しかけてから初めて自分の方を向いてもらえ、喜び勇んで続きを話そうとしたモレノの目の前に杖が差し出された。キュルケである。

「開拓団のど真ん中でどうどうと引き抜きとは、あなた何の冗談なのかしら」
「あ、いやお嬢さん、引き抜くつもりはなくて、そういう方法もあるって教えて差し上げようかと…」
「適当な話をするものじゃないわ。あなたには女の子の興味を引くための話かもしれないけど、相手にとっては深刻な話なのよ」

 まだ何か言い訳しようとする男を一睨みして、姉妹の方へ向き直る。よく似たストレートのプラチナブロンドと淡い碧色の瞳が印象的な美少女姉妹だった。

「騙されちゃだめよ? 男って適当なこと言って気を引こうとするものだから。ロマリアの恩赦請求なんて、百万エキューはかかるって言われているシロモノよ」
「やっぱり、そんな都合のいい話なんてないのですね。あの、あなたは?」
「キュルケよ、キュルケ・フレデリカ。ウォルフの友達なの。短い間だけど開拓団の警備を担当しているわ」
「わたしはグレース、こっちはわたしの妹でミレーヌです。二人ともランツベルク監獄から初めて外に出たから世間知らずなの、教えてくれてありがとう」
「どういたしまして。あいつらのことはウォルフに任されているから、まだ何かちょっかいかけてくるようならすぐに知らせて。火だるまにしてあげるわ」

 キュルケは姉妹に自己紹介し、けしからん二人の方を見た。二人はばつが悪そうにこそこそとその場から離れようとしていたが、キュルケが後ろから声をかけた。

「そこの二人。名前は?」
「…モレノとセルジョですよ、お嬢様」
「そう。では、モレノとセルジョ、あなた達明日は早朝から仕事があるから、遅れないで来なさいね? 元気が余っているみたいだから、いっぱい働いてもらうわ」
「その、俺たちはお嬢様の下で働くので?」
「ええ、ウォルフの許可は取ってあるわ。主な任務は竜などの幻獣が開拓団に近づかないように撃退することよ」
「そいつは随分とハードな任務ですね。俺たち程度の魔法じゃ竜には通用しないと思うのですが」
「大丈夫よ。あなた達はとても優秀なメイジのような気がするもの」

 モレノとセルジョはにっこりと告げるキュルケに引き攣った笑顔を返し、早々に退散した。



「おい、どうすんだよ、目をつけられたっぽいじゃないか。だからやめとけって言っただろう」
「仕方がない。あの姉妹の髪色と瞳を見ただろう、ベルク公にそっくりじゃないか。確認をとるのは当然だ」
「ベルク公の顔なんて知らねえって。あんな金髪碧眼どこにでもいるだろ、俺たちの任務はこの開拓団の情報収集だ。任務に支障を来すような活動は慎め」
「俺はここ十年もベルク公の埋蔵金を追いかけてきたんだ。こんな開拓団なんかより遙かに価値が高い情報だろう」

 割り振られた部屋へ戻りながらモレノとセルジョが小声で密談している。どうやらこの二人もキュルケの読み通り余所からのスパイらしい。二人は魔法を使って周囲の気配を探りながら密談を続けた。

「あんな与太話…もしそうだとしても、指示を受けてから行動すべきだ」
「フネの中じゃあ自重してたろ、連絡が来ないから勝手に調べ始めたんだ。あの年頃だと死んだとされているが遺体が見つかっていないベルク公の二人の娘と同じだ。しかも彼女たちの父親とされているのがベルク公の粛正に巻き込まれたマルク伯爵だ。疑わしいと思うのは当然だと思うがな」
「もしベルク公爵の娘だったらどうだと言うんだ。事件の時は上の娘だって二歳だ。記憶なんて無いはずだろ」
「たとえ記憶がなくたって、何かしら埋蔵金の情報が記された物を託されている可能性がある」
「そんなの監獄に入るときに詳しく調べられているって。とにかく指示が来るまではあの姉妹には接触をするな…オレにはお前が本当にあんな小娘に熱を上げているように見えたぞ」
「ば、馬鹿野郎、あんなの演技に決まっているだろうが」
「…まあ、迫真の演技だったな。おかげでこっちの狙いはごまかせたみたいだが」
「ふん、ヴァレンティーニ様ならこの情報の価値を分かってくださるさ」

 この二人は知らなかった。
 ウォルフが開拓団員を無条件で受け入れてはいても、無防備に受け入れているわけではないことを。
 防壁の上に配置されたまもるくんの内、何体かには録音装置が内蔵され、集団から外れた場所で密談する人物の会話内容を録音している。パラボラ式の集音装置を装備して集音には魔法を使っていないのでメイジにも気付かれにくい。
 この事はその内開拓団員にも知らせようと思っているが、今はまだ不審者を把握することが重要なのでウォルフだけの秘密となっている。集団生活を送っているので宿舎内では密談はしにくいかと、外に設置してみたが早速その威力を発揮しているようだ。
 
 二人はこの広場で交わされた会話がすべて録音されているとは全く気づかずに、連れだって宿舎へと入っていった。



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