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No.33077の一覧
[0] 空を翔る(オリ主転生)[草食うなぎ](2012/06/03 00:50)
[1] 0    プロローグ[草食うなぎ](2012/05/09 01:23)
[2] 第一章 1~5[草食うなぎ](2012/05/09 01:22)
[3] 第一章 6~11[草食うなぎ](2012/06/03 00:32)
[4] 第一章 番外1,3[草食うなぎ](2012/06/03 00:34)
[5] 第一章 12~15,番外4[草食うなぎ](2012/05/09 01:30)
[6] 第一章 16~20[草食うなぎ](2012/06/03 00:34)
[7] 第一章 21~25[草食うなぎ](2012/05/09 01:32)
[8] 第一章 26~32[草食うなぎ](2012/05/09 01:34)
[9] 幕間1~4[草食うなぎ](2012/05/09 01:39)
[10] 第二章 1~5[草食うなぎ](2012/05/09 02:22)
[11] 第二章 6~11[草食うなぎ](2012/05/09 02:23)
[12] 第二章 12~17[草食うなぎ](2012/05/09 02:25)
[13] 第二章 18~19,番外5,6,7[草食うなぎ](2012/05/09 02:26)
[14] 第二章 20~23[草食うなぎ](2012/05/09 02:28)
[15] 第二章 24~27[草食うなぎ](2012/05/09 02:29)
[16] 第二章 28~32[草食うなぎ](2012/05/09 02:30)
[17] 第二章 33~37[草食うなぎ](2012/05/09 02:32)
[18] 第二章 38~40,番外8[草食うなぎ](2012/05/09 02:32)
[19] 幕間5[草食うなぎ](2012/05/17 02:46)
[20] 3-0    初めての虚無使い[草食うなぎ](2012/06/03 00:36)
[21] 3-1    ラ・ヴァリエール公爵の目的[草食うなぎ](2012/05/09 00:00)
[22] 3-2    目覚め[草食うなぎ](2012/05/09 00:01)
[23] 3-3    目覚め?[草食うなぎ](2012/05/09 00:02)
[24] 3-4    ラ・ヴァリエールに行くと言うこと[草食うなぎ](2012/05/09 00:03)
[25] 3-5    初診[草食うなぎ](2012/06/03 00:40)
[26] 3-6    再診[草食うなぎ](2012/06/03 00:40)
[27] 3-7    公爵家にて[草食うなぎ](2012/06/03 00:52)
[28] 3-8    決意[草食うなぎ](2012/11/06 20:56)
[29] 3-9    往復書簡[草食うなぎ](2012/11/06 20:58)
[30] 3-10    風雲急告[草食うなぎ](2012/11/17 23:09)
[31] 3-11    初エルフ[草食うなぎ](2012/11/17 23:10)
[32] 3-12    ドライブ[草食うなぎ](2012/11/24 21:55)
[33] 3-13    一段落[草食うなぎ](2012/12/06 18:49)
[34] 3-14    陰謀[草食うなぎ](2012/12/10 22:56)
[35] 3-15    温泉にいこう[草食うなぎ](2012/12/15 23:42)
[36] 3-16    大脱走[草食うなぎ](2012/12/23 01:37)
[37] 3-17    空戦[草食うなぎ](2012/12/27 20:26)
[38] 3-18    最後の荷物[草食うなぎ](2013/01/13 01:44)
[39] 3-19    略取[草食うなぎ](2013/01/19 23:30)
[40] 3-20    奪還[草食うなぎ](2013/02/22 22:14)
[41] 3-21    生きて帰る[草食うなぎ](2013/03/03 03:08)
[42] 番外9    カリーヌ・デジレの決断[草食うなぎ](2013/03/07 23:40)
[43] 番外10   ラ・フォンティーヌ子爵の挑戦[草食うなぎ](2013/03/15 01:01)
[44] 番外11   ルイズ・フランソワーズの受難[草食うなぎ](2013/03/22 00:41)
[45] 番外12   エレオノール・アルベルティーヌの憂鬱[草食うなぎ](2013/03/22 00:42)
[46] 3-22    清濁[草食うなぎ](2013/08/01 20:53)
[47] 3-23    暗雲[草食うなぎ](2013/08/01 20:54)
[48] 3-24    誤解[草食うなぎ](2013/08/01 20:57)
[49] 3-25    並立[草食うなぎ](2013/08/01 20:59)
[50] 3-26    決別[草食うなぎ](2013/08/01 21:00)
[51] 3-27    緒戦[草食うなぎ](2013/08/01 21:01)
[52] 3-28    地質[草食うなぎ](2013/08/01 21:02)
[53] 3-29    ジョゼフの策 [草食うなぎ](2013/08/01 21:03)
[54] 3-30    ガリア王ジョゼフ一世[草食うなぎ](2013/08/01 21:03)
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[33077] 第二章 18~19,番外5,6,7
Name: 草食うなぎ◆ebf41eb8 ID:e96bafe2 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/05/09 02:26


2-18    戦後処理



 ツェルプストー辺境伯領の山賊討伐の日から一週間後、ボルクリンゲンの商館に突然ツェルプストー辺境伯が訪ねてきた。
商館のある埠頭に突然降り立った真っ赤なグライダーに一時商会は騒然となるが、商館長であるフークバルトはこれを鎮めて直接応対した。

「これは辺境伯様、本日はどのような御用でしょうか」
「ウォルフはいるか?会いたい」

辺境伯の返答は簡潔なものであったが、ウォルフは日頃こちらの商館にはいない。工場を拠点として辺境伯領内のガンダーラ商会の各施設をを回っているので、どこにいるのかさえこちらでは把握していなかった。

「申し訳ございません、こちらには居りませんのでただ今確認を致します。少々、お待ちくださいませ」

確認を取るとウォルフはまだ工場にいるとのことなので呼び寄せようとしたのだが、辺境伯はそれを制し自分が移動すると告げた。
 商館員総出で見送る中、辺境伯のグライダーは滑らかに工場へと滑空した。



「こんちは、辺境伯様。グライダー使ってくれてるみたいで嬉しいです」
「ああ、中々便利だな、これは。竜で街に降りると住民が怯えるが、これはそれが無いのがいい。ただ、もう少し速度を上げたい気もするな」
「ご意見ありがとうございます。速度向上タイプも開発検討中なのですが、中々時間が取れなくて」
「もっと速いのが出来たら買ってやるからすぐに持って来いよ」
「はい。一番に納入します」
 
 工場の中庭に降り立った辺境伯を出かける予定を止めて待っていたウォルフが出迎え、連れだって話をしながら工場建屋内にある応接室へと移動した。キュルケの様子を聞いてみたが、もう心配は要らないらしいので安心した。
お茶を出した工員が下がり、ウォルフと護衛のみになるとおもむろに辺境伯は座っていたソファーから立ち上がり姿勢を正した。

「ウォルフ・ライエ・ド・モルガン殿、此度の山賊征伐において、貴殿の働き誠に見事であった。フォン・ツェルプストー当主として、また、キュルケの父として深く感謝する。謝意を伝えるのが遅くなって申し訳ない」
 
 ウォルフを見据えて礼を述べると胸に手を当てて頭を下げた。ウォルフも慌てて立ち上がって礼を受けたが、正直辺境伯にここまでされるとは思っていなかった。

「これは、ご丁寧に・・・恐縮します。今日はわざわざこれを伝えに?」
「まあ、そうだな。あと事後処理についてこっちにも伝えておこうと思ってな・・・ああ、そうだ、何か褒美はいるか?子爵領位なら何時でもくれてやるぞ」
「ありがとうございます。、しかしわたしは一応アルビオンの貴族でありますので、あなたから褒美を頂くわけには参りません、お気遣いは無用に願います」
「フン、ワシなんぞの部下に収まるつもりはないと言うことか。まあいい、いずれ借りは返すからな」
「楽しみにしています。今は賊の正体を教えていただけると嬉しいです。どうやらこっちにも関係のあることらしいので」
「うむ、では始めから話すとするかな」

 辺境伯はソファーに座り直すと語り始めた。あの日一体何があったのかを。

 ツェルプストー辺境伯の部隊がキュルケ隊に合流したのはキュルケ隊が襲撃されてから二時間以上経ってからだった。山道を八リーグ以上移動し山賊を殲滅した上での事なので十分に早かったのではあるが、もう全てが終わった後だった。
二つに分断されていたキュルケ隊も一つに合流し、怪我人の手当や死者の確認を終え部隊を再編成していた。休憩もそこそこに部隊をまとめて城に帰還し、外交ルートを通してトリステインと接触してみるとヴァリエールはこちらが攻めてくるものだと思っていることが分かった。
何のことはない、互いが疑心暗鬼に陥り攻め込まれると思っているだけだったのだ。
 辺境伯は当初ウォルフの所にもっと早く顔を出そうと思っていたのだが、ラ・ヴァリエールと相互不可侵を確認し、事実の確認や調査をしてゲルマニアの首都ヴィンドボナまで報告に行っていた為に来るのが遅れた。

 今回の事件の首謀者については未だ調査中で結論は出ていない。
ラ・ヴァリエール領のティオンを拠点に工作活動を行い、傭兵を雇った事はほぼ確実なのだが証拠が無い。
戦場から逃げる敵のメイジ三人を使い魔を使って確認しているがトリステインに入った後気付かれて振り切られてしまっている。ウォルフがヴァレンティーニという名のメイジを目撃しているが、他に彼を見た者はいない。
 ボルクリンゲンの教会に確認を取ったが、ヴァレンティーニという人間はロマリアから来た助祭でもう国に帰っているという。

「どう見てもその助祭か教会が首謀者っぽいのですが、その辺はどうなのですか?」
「昨日ロマリアの本国から問い合わせに対する返答が来た。それによると、そんな助祭はロマリアにはいないとのことで、助祭を派遣したという事実も無いそうだ」
「・・・ボルクリンゲンの教会かロマリアか、どちらかが嘘をついていることになりますね」
「明らかに疑わしいのはここの司教だ。件の助祭を派遣したのがとある枢機卿だと証言しているが、その枢機卿と司教とは本来全く別の派閥の筈なんだ」
「あー、書類とかは残ってなさそうですね」
「もちろん何もない。今分かっている事実はヴァレンティーニという名の人間がワシやお前の所をこそこそと嗅ぎ回っていた事だけだ。ここの司教の調査依頼書を持ち、細かい所まで立ち入って調査をしていた事だな。そしてそのトリステイン訛りを話す男とそっくりの風体を持つ男がヴァリエールの街で噂を広め傭兵を雇っている」
「うーん、教会はうちのダンプカーに興味を持っていたみたいなのですが、何故だかは聞いていますか?」
「詳しくは話さなんだが、始祖研究の一環とのことらしい。何のことだか分かるか?」
「いいえ、全く・・・何でここで始祖が出てくるんだ?」

 思わずウォルフは自問した。
何故ここで唐突にブリミルの名が出てくるのか全く分からない。伝説の虚無魔法の使い手と地球の科学文明の産物と言えるダンプカー。接点はないはずだがそうではないのだろうか。

「あの、わたしは寡聞にして知りませんでしたが、実は始祖はああいった機械を駆使したとかいう話があるのでしょうか?」
「いや、ワシも知らんな。ロマリアではどうなのか知らんが」
 
 もし伝説の虚無魔法が科学を利用したものだとするとウォルフが予測していた理論がいくつか壊れてしまう。それどころか何かとても残念な気持ちになってしまうので、始祖には是非虚無魔法を使っていて欲しかった。

「ま、まあ、ロマリアにはロマリアの理由があるのでしょう。わたしには全く分かりませんが」
「まあそうだな。これまでの流れからは司教がトリステインの何者かと図って不埒者を招き入れたという疑いが最も強い。しかし、司教を取り調べようとしたのだがロマリア本国から召喚状が届いたとかでロマリアへ帰ってしまった。悔しいが枢機卿の命令ではワシよりも権限が上だ。今後向こうで取り調べるとのことだが、真相が明らかになることはないだろう」

 吐き捨てるように辺境伯が言う。その顔には憤懣やるかたない思いが浮かんでいた。
自分の娘の命を狙ったかも知れない者が堂々と自分の領地から出て行く。そしてそれを黙って見送るしかないと言うことは辺境伯にとって耐え難い屈辱であった。

「え・・・っと、その司教は何食わぬ顔をしてロマリアで出世するのでしょうか?」
「その司教が調査依頼書を発行した人間にワシの軍隊を襲い娘を誘拐しようとしたいう嫌疑が掛かっているのだ。いくら何でもそんなことは出来んよ。まあ、人知れず始末されるか、精々どっかの孤児院の院長にでもなって一生冷や飯食いってところだろう」

 現役の司教がそんな犯罪に加担していたなどということは、教会にとって絶対にあってはならぬスキャンダルである。
そのため、調査はしてもその結果を公表することはないだろうと辺境伯は言う。教会は暫く辺境伯に対し下手に出てくるだろうがそれでお終いだろうというのが彼の予想である。
何とももどかしいが教会というのは領主にとってもある意味アンタッチャブルな存在である。下手に突いて今後の領地経営に禍根を残すわけにもいかなかった。

「というわけで、色々と情報を上げてもらったが真相が分かる見込みは低くなった。すまん。あとこれはワシのカンだが、この件にはまだ何か裏がある気がしている。今後まだ何か手を出してくるかも知れん。我々も警備を増やすが、やつらがあれに興味を持っているのは確かだろうからそっちも自衛してくれ」
「了解しました。はあ、教会相手だと色々と面倒くさいですね・・・」
「お前の場合自業自得という面もあるからな。同情はせんよ」
「はあ、いや、すみません」

 元々これらのトラブルはウォルフの発明品が呼び寄せたという面があると言えなくもないので辺境伯の言うことももっともだった。
それを言われるとウォルフとしては恐縮するしかない。それでも自重するつもりはないが。

「まあ、気をつけることだ。ヴァリエールとも相互不可侵を確認したとは言え、今後何があるかは分からんし」
「あー、戦争は回避してくれたんですね、ありがとうございます。せっかく色々と事業を始めたとこなんで戦争で頓挫することは避けたかったので」
「ふん、結構苦労したんだぞ?ヴィンドボナではこれを機にトリステインを併合してしまえと言う主戦論が大分強くなっていてな」
「そんな乱暴な。今時そんな事言う諸侯がいるんですか?」
「いるとか言うレベルではない。それ程積極的ではないのも入れれば半数を超えていたかも知れん。それもお前のせいだがな」
「ええっ!?そんなのもオレのせいなのですか!?」

 ウォルフは素に戻って驚くが、ウォルフのせいと言うかガンダーラ商会の誕生が関わっていることだった。

「いいか?トリステインという小国が何故永きにわたって存続する事が出来たのか。そのカギはアルビオンにある」
「はい。トリステイン危急の時はハルケギニア最強の軍事力を誇るアルビオン空軍がそれを助けたと歴史書にはありますね」
「うむ。アルビオンは陸地を持たぬ。平時には不足しがちな物資の供給をトリステインが行い、有事にはアルビオンがトリステインを守る。ここのところずっとそのような関係を続けてきた。もしゲルマニアがトリステインを占領することが出来てもあの地はアルビオンの攻撃から守ることに適していない。もしガリアが向こうに付けば戦線を維持することは出来ないだろう。その事はガリアから見ても同じ事が言える」
「トリステインという餌を目の前に三竦みになっているという人も居ましたね」
「そうだ。それが近年はその体制が大分緩んでいたのだ。トリステイン商人が自己の利益を追求するあまりカルテルを組み暴利を貪りだしたのが始まりだな。トリステインの貴族数名が主導したみたいだが、おかげでアルビオンでは徐々に物価が上がり、深刻な不況が国を覆うようになった。人々の不満は高まり貴族達は有効な手を打てぬ王家に不信を抱いた。王家を政治から外し、貴族による共和制を模索し研究するグループもいた程だ」
「そんな状態になっていて、しかもそれがゲルマニアに筒抜けというのは・・・」
「そう、ろくな状態じゃないな。アルビオンは二十年以内に王制が打倒され貴族による共和制に移行するのではないか、という予測が当時ゲルマニア政府内では最も強かった。ああ、一部の貴族が空賊行為に手を染めて力をつけていたこともあるか」
「・・・」
「言うなればアルビオンは水から茹でられた蛙のようになっていたのだ。徐々に変化する事態に気付くことなく緩やかな死を迎えようとしていた」

 蛙を湯に入れればその温度に驚いて飛び出すが、水から茹でると温度が上がってもそれに気付くことなくそのまま茹で上げられてしまうと言う。そこまで自分の国が深刻な状態になっていたことを聞かされウォルフは言葉がない。
王家に特に思い入れがあるわけではないが、貴族による共和制などとてもうまくいくとは思えない。自己の利益を最優先させる貴族が何人集まっても纏まるはずはないのだ。

「それをお前のところが変えた。ガリアやゲルマニアと航路を繋ぎ、カルテルに風穴を開けた。空賊を退治し王家を動かすことによって航路の安全を保証し、普通の商人も貿易に参加できるように主導した。結果アルビオンの経済には活気が出て王権は強化されガリア・ゲルマニアとの繋がりも深まった。その反面、トリステインとの関係は希薄になってきている」
「・・・確かに、ハルケギニアに置けるトリステインの存在価値は随分と低くなったようにも思えます」
「低いんだ。主戦派の主張ではトリステインを三分割するように提案すれば、さしたる反発もなくアルビオン・ガリアと共同作戦をとれると言うんだ。つまりトリステイン北部をアルビオンが、南西部及びラグドリアン湖をガリアが、南東部及びトリスタニアをゲルマニアがそれぞれ領有しようと言うことだな。アルビオンにとってこちらの大陸に領土を持つことは悲願だし、ガリアも王子がラグドリアン湖に随分と執心しているらしいから問題ない。始祖の血統は我がゲルマニア帝室が受け継げば全て丸く収まるという話だな」
「トリステインの国王はアルビオン国王の弟君です。そう簡単にアルビオンがトリステインと敵対するとは思えません」
「ワシもその点が引っかかったから今回は止めておいた。しかし、主戦派は貴族達に利益を示して焚き付ければあの王に抑え続ける力は無いと読んでいる」

 ウォルフもトリステインの国としての価値が落ちてきていることには気付いていた。ゲルマニアとガリアは今では盛んに直接交易をしているので緩衝地帯としての意味はなくなっているし、アルビオンにもトリステインを絶対に守るという理由が無くなっている。
 ガリアとゲルマニアはそれぞれ一国で完結した国家だ。広大な国土と多くの人口を持ち、多彩な産業は国庫を潤し豊富な資源が国力を下支えする。
それに対してトリステインは不足するものが多すぎた。狭い国土に貴族達がひしめき、汚職が横行し民は少なく一様に疲弊している。王家は将来を示せず貴族達は自分のことにしか興味がない。いずれ放っておいても滅びそうな国家だ。
この国が生き延びるにはアルビオンの王子とトリステインの王女との婚姻により連合王国となる他に道はないのではないか、と悠長に考えていたのだが、事態はそれまで待ってはくれないかも知れない。

「話が少しそれたな、今聞いたことは他言無用にしてくれ」
「はい。今後はその事も可能性に入れて行動することにします」
「まあ、今の国王がいるうちは無いかも知れんがな。あれは中々優秀な軍人だし」

 ひらひらと手を振って辺境伯はお茶に口をつけた。時間が経ってしまったそれは少し冷めていた。
 
「それはそうと、先週のことでいくつか聞きたいことがある。ワシと分かれた後のことを詳しく話してくれるか?」
「報告に結構詳しく書きましたよ?何が知りたいのですか?」
「まず、敵のメイジとの戦いについて。途中までは使い魔で見ていたんだが、キュルケの周辺警備や逃げた族の追跡で戦闘そのものを近くで見ていた者がいなかった。部下の話では敵は強力なメイジで、スクウェアやトライアングルのメイジが束になって掛かっても倒すことは適わず、遠巻きにして精神力が切れるのを待つしかなかったと言うことなのだが、お前は無傷で倒したらしいな。詳しく教えてくれ」
「えーと、炎の温度を上げることによって魔法を高威力化し、その威力に依存する戦い方をするメイジでしたので、その炎を突き抜けるような魔法で倒しました」
「・・・随分と簡単そうだな。何の魔法を使ったんだ?部下によるとどの系統も通用しなかったと言う話なのだが」
「『超臨界水槍』というオリジナルスペルです。『水槍』の温度と圧力を上げた物と考えて下さい」

 オリジナルスペルなどという言葉を八歳の子供がさらりと言う。その難しさを知っているだけに辺境伯は言葉を失う。部下からの話通りどうやらこの子供は魔法も尋常ではないらしい。
何かこの子の得意な機械仕掛けの武器でも用意していたのかと思っていたのだ。真っ当に魔法で倒したと考えてはいなかった。

「・・・まあいい、では第二の疑問だ。キュルケの治療に大量の水の秘薬を提供してくれたそうだが、ガンダーラ商会は秘薬の納入ルートを持っているのか?」
「いえ、あれは貰い物なんで、ガンダーラ商会が扱っているというわけではありません」

 水の秘薬の販売はトリステインが独占していてその流通量は少なく価格はおそろしく高い。辺境伯ですら十分な量を用意できない程なのに、一商人がそれ程の量を自分用に持ち歩くというのは異常である。
ガンダーラ商会はトリステインとはほぼ取引をしていないはずなので、不思議に思って聞いたのだがまたさらりと理解不能なことを言われてしまった。

「誰が、それ程の量をくれるというのだ?随分と気前の良い人間がいたものだな」
「あ、人間じゃありません、ラグドリアン湖の精霊様です。前にラグドリアン湖に行った時にくれました。まあ、気前は良いですけどね」
「何・・・だと?精霊と取引しているというのか・・・」
「だから取引じゃないですって。偶々、ちょっと話をしてたらポンとくれたんです。今のところ研究以外にはあまり使ってませんが、近所の子供が熱出した時なんかに重宝しています」
「・・・」

 公式には水の精霊と取引できるのはトリステイン王国のモンモランシー一族だけである。水の精霊がこの子供を彼の一族と同等と見なしているとすればトリステインの存在意義はますます少なくなることになる。

「第三の、疑問。・・・キュルケの治療の時に魔法で大量にラグドリアン水を出したそうだが、それはその、水の精霊に教えて貰ったのか?」
「いえ、あれは自分で考えつきました。精霊様やラグドリアン水を観察して思いついたんです。初めてやった時は精霊様も驚いていましたよ」
「・・・第四、お前は火メイジではないのか?何故そんな水のスクウェアですら出来ないようなことを易々と行える」
「得意な系統は火ですけど、それ以外も出来ないって訳ではないんで」
「ふざけるな!そんなんでラグドリアン水が出来てたまるか!」

 思わず怒鳴ってしまって、すぐに辺境伯はばつが悪そうに黙った。どうして自分がこんなにいらついているのか分からない。
ウォルフは怒鳴られてもさして気にした風でもなく肩をすくめて見せた。

「出来ますよ。ラインスペルになりますね。まあ、ハルケギニアの人にはイメージするのが難しい魔法かも知れませんが」
「・・・部下達はお前の事を始祖の再来ではないかと言った。あの冷静なオイゲンでさえもだ。それを聞いた時ワシは一笑に付したが、今ならその意味が分かる」
「勘弁して欲しいです。大体みんな始祖がどんな人だったかなんて分かっているんですか?」
「誰も見たことのない機械を次々と作り、誰も倒せない敵を倒し、人が作れるなどと考えた者もいないラグドリアン湖の水を作り精霊と交信する。そんな存在が始祖なのではないかと思うのは当然のことだろう」
「貴方達にとってわたしと始祖との共通点なんて「理解できない」って事だけでしょう。理解できないから考えることもやめているだけです。始祖はもっとずっと凄い人ですよ」
「・・・では、最後の疑問だ。始祖の再来でないというのならば、お前は何者だ?その年でその知識その魔法・・・そもそも人間なのか?」

 そう尋ねる辺境伯の眼光は鋭く言葉は力強い。しかし、額にはびっしりと汗が浮かび顔色は悪かった。
ウォルフは軽く嘆息すると辺境伯に聞き返した。

「ふう・・・辺境伯、オレのことが怖いのですか?」

 辺境伯はその瞬間自らの心臓が跳ね上がるのを感じた。隠していたことを言い当てられた時のような感覚・・・それはつまり辺境伯が目の前の少年に怯えていたと言うことで、そしてそれは彼にとって受け入れられる事ではなかった。
全身に力を入れ、グッと両拳を握りしめた。そうして杖に手が伸びようとするのを阻止し、歯を食いしばってウォルフを睨みつける。

「・・・舐めるなよ、小僧。誰に向かって口をきいて居る、ワシは帝政ゲルマニア随一の軍人・ツェルプストー辺境伯であるぞ!」
「これは失礼しました。・・・わたしが何者かということですが、まあ、ただの人間です。アルビオン貴族ド・モルガン男爵の次男でガンダーラ商会筆頭株主兼開発部主任のメイジ。それが、現在の私です。それ以上でも以下でもありません」

 見得を切る辺境伯に対し、素直に謝罪する。ウォルフはふつうに生活しているだけのつもりなので、それで辺境伯程の人間に怯えられるのは居心地が悪い。

「確かに他の人から見たら理解しがたい知識を持っていますが、それは独自に正しい知識を積み重ねた結果です。私の持つ「知」が正しいからこそ機械も魔法も正しく動くのです。そもそも私の魔法も技術も理解すれば他の人でも行使できる物ばかりです。今理解できないからと言ってバケモノのように言われるのは心外です」
「では何故その年でそんな正しい知識を積み重ねることが出来るのだ?八歳と言えばまだ魔法のなんたるかさえ知らぬ子の方が多い」 
「何故私がそんな知識を持つことが出来たのかと言うことですか・・・残念ながらそれはまだ分かっていません。研究していますが、目下解明の糸口すらつかめていません」
「クックック、分からない、か」

 正しい知識を持っていると言いながらそんな根本的なことは分からないと言い放つ。それがどうにもアンバランスに思えて辺境伯は思わず笑ってしまった。
どっかりとソファーにもたれかけて上を向くと目を閉じた。この子どもの得体の知れ無さに恐怖を感じたことは確かだ。それは受け入れることは出来た。

「分からないことを分からないと認識することが大事です。分からないことに適当に理由を付けて分かった気になる事、それこそが人間を真実から遠ざけます」
「ふむ、確かに、足の速い人間に何故足が速いのか尋ねてみても理由を答えることが出来る者はおらんか」

 今知らないのならば、今後知ればいい。辺境伯は力の戻った目であらためてウォルフを見つめた。先程までとは違い、ハルケギニアのどこにでも普通にいる少年としか見えなかった。

「その、ただの人間の望みは東方開拓団だったかな」
「あ、はい。正確には開拓団に応募する前に調査させて欲しいと言うことなのですが」
「いいだろう。どうやら能力は過分にあるらしいことが分かったからな。精々ゲルマニアの為にあの森を切り開いてくれば良いわ」
「ありがとうございます!いや、楽しみになってきましたよ!」
「まあ、根回しはしておく。準備が出来たら申請するが良い」
「はい!多分春になると思いますが、よろしくお願いします!」

 ニコニコとしているウォルフを見ていると、さっきまでの考えが何だか馬鹿らしい物に思えてきて辺境伯は一つ大きく溜息をついた。




2-19    闘う魂



 ウォルフは相変わらず連日忙しく働いていた。
アルビオンとゲルマニアとを行き来してリナ達と機械の開発をし、ボーキサイト鉱山のトラブルを解決してイェナー山の試験採掘を監督し、水酸化ナトリウム製造工場で工員を指導する。
各地の工場でどんどん人を増やしているのでそれの指導にも加わることもあるし、サラ達子供の教育も手は抜けない。新型グライダーの設計も進めているし、アルミニウム精錬工場ではメイジ達の指導があり、時にはガリアまで足を伸ばして発酵研究所も監督する。
 風のスクウェアスペル『遍在』を使えるようになったのだが、まだ一人しか出せない上に持続時間が短い。しかもツェルプストー領内位しか離れて活動できないので
根本的な解決となる程ではない。通常は魔法に習熟するにつれて出せる人数が増えて離れられる距離も伸び、持続時間も長くなるという話なので積極的に使っていこうと思っているが、早くそれぞれの国に配置できるようになりたいものである。
好きなテルメに行く時間も取れず、多分ハルケギニアの誰よりも忙しく働いているだろうと思われる日々を過ごしているとあっという間に一ヶ月が過ぎた。



 そんなある日ウォルフの元へ再びツェルプストー辺境伯が訪ねてきた。どうも表情が暗く、あまりいい話では無さそうだ。

「いらっしゃい、お久しぶりですね。今日はどうされましたか?」
「またお前に話があって来た。人払いをしてくれるか」

 今回は商館にウォルフがいる時に辺境伯が来たので、そのまま館長室を借りて二人きりになった。
辺境伯は珍しく少し話しづらそうにしていたが、ウォルフが促すと覚悟を決めたように話し始めた。

「あー、実は、キュルケのことなんだが・・・その、どうもこの間のことがショックだったみたいでな、自分の部屋から出ようとしないのだ」
「ああ、引きこもりですか」

 キュルケとはあれ以来会っていない。気にはしていたが、髪の毛とかも燃えてしまっていたので自分から出てくるのを待つつもりでいたのだ。
一度見られているとは言え、女の子だったら髪の毛や眉毛が無い状態で人と会うのはいやだろう。

「うむ、家庭教師が授業をしようとしても部屋から出てこんのだ」
「さらにニート・・・」
「ニートが何かは知らんが、城に帰ってすぐに新しい杖との契約はしたらしいが、まだ一回も魔法を使おうとしない。昼はマリー・ルイーゼやリアを離そうとしないし夜は母のベッドにもぐり込んでくると言うのだ」
「・・・」
「一度、自分のベッドで寝るように言い付けたのだが、泣き喚いて大変なことになった。それ以来ワシは会ってもらえん」

 言われてみてウォルフはキュルケの現在の状態を推測する。あれだけ酷い目にあったのだ、心に傷を負っていたとしてもおかしくない。
人間の心理など詳しくはないし、彼女が今どんな状態になっているのかも分からない。彼女がトラウマを克服する手伝いが出来るのならしてあげたいと思うが、何をしたらいい物やら皆目見当が付かない。
しかし、そんな状態ならば会って話をするだけでも良いのではないかとも思う。外との関係を継続することは彼女の助けになるのではないか、と。

「分かりました。キュルケに会いに行きましょう」
「頼む。オイゲンは時間をかけるしかないと言うのだが・・・何とかなるだろうか」
「わたしには全く分からないです。時間が掛かるというのはその通りなのでしょう。ただ、外の人間であるわたしと会えるようなら、回復に向かってると言えるのではないでしょうか」
「会うだけでか?それなら部屋から引っ張り出してしまえばいいとい言うことか?」
「無理矢理したら良くないでしょう。友人とはいえ彼女にとってわたしは外の人間です。彼女が部屋から出る案内には丁度良い人間かも知れません」

 人間は日頃周囲の社会を信頼して生活している。自分を信じ、肉親など周囲の人間を信じ、社会を信じている。道行く人が皆連続殺人魔で自分を殺そうと狙っている、などと疑っていてはとても生活など出来るものではない。
キュルケは今、信じていた自身の力に裏切られ、助けを求めたであろう肉親にも助けに来てはもらえず、あのような凶悪な人間が存在する社会に恐怖している。
またいつかあの時のような目に遭うのではないかと怯え、それを防ぐ力が自分には無いのではないかと怯え、今度こそ誰も助けに来てはくれないのではないかと怯えているのだ。その恐怖は社会に対する恐怖でありながら、自分自身に対する恐怖であり絶望であると言える。
 丁寧にウォルフが自分の考えを説明するとツェルプストー辺境伯は顔を歪ませた。

「あれがワシには精一杯だったのだ!たとえ娘といえどもそのために全軍を危険にさらす事などは出来ん!」
「多分キュルケも分かってくれますよ。ただ、感情のコントロールが出来なくなっている状態だという事を理解してあげて下さい」
「・・・」
「彼女もきっと信じたいのです。でもそれが出来ないでさらに傷ついている。今は誰かがそばにいて話を聞いてあげる事が大事なのかなと思います」
「ワシは、近づかせてももらえんのだ」

 ここでこれ以上推測を重ねていても意味はないので二人はグライダーに分乗し、キュルケの元へと移動した。



 ツェルプストー城の奥域、手入れされた草木が生い茂る中庭に面した日当たりの良い一角にキュルケの居室はあった。ウォルフはいきなり入っていくことはせずに、まずは様子を窺う為、中にいるマリー・ルイーゼを呼び出して貰った。
彼女と会うのも山賊討伐以来だ。

「ああ、ウォルフあなただったの。いきなり呼び出されるから誰かと思ったわ」
「やあ、ミス・ペルファル久しぶり。元気?」

 久しぶりに会うマリー・ルイーゼは少しやつれて見え、あまり元気そうには見えなかった。ウォルフは努めて明るく接したのだが、嘆息で返されてしまった。

「あまり元気じゃないわね。キュルケに会いに来てくれたの?」
「うん。元気無いんだって?」
「ふう・・・まあ、そうね。元気ないわね」

 話を聞くと思ったより深刻そうだった。キュルケは一日のほとんどをベッドの上に座って過ごし、マリー・ルイーゼかリアが隣にいないとパニックになることもあるという。

「ちょっと思ったより重傷そうだな。ミス・ペルファルはずっと帰らないでここにいるの?」
「うん、わたしはあの時助けてあげることは出来なかったから、せめて今、側にいてあげようと思っているわ」
「ん、それは凄く大事なことだと思う」
「そう?本当はあの時わたしも行けたら良かったんだけど・・・ウォルフには感謝しているわ。キュルケを助けてくれてありがとう」
「それはこの前も散々聞いたからもう良いよ。ミス・ペルファルみたいな美少女にハグされたし、おつりが来る位だ」
「フフッ、あんなもんで良かったの?キッスの嵐とかの方が良かったかしら」
「いやいやハグ位で十分です」

 ウォルフの軽口にマリー・ルイーゼはつい笑ってしまった。思えば笑うのは久しぶりな気がする。

「じゃあ、キュルケのとこに行きましょう!もっと明るくした方がいい気がしてきたわ」
「おう、行こう。元気を出すのが一番だ。元気があれば何でも出来るって東方の偉人・アントニオが言ってたし」
「元気があれば何でも出来る・・・その通りね。まずキュルケに必要なのは元気だわ!」

 二人で気合いを入れるとキュルケの部屋の前に移動する。先にマリー・ルイーゼが部屋に入って暫くした後ウォルフも呼ばれた。

「会うって。入って、ウォルフ」
「おう、失礼しまーす」

 努めて明るく振る舞おうとするマリー・ルイーゼに合わせ、ウォルフも軽い調子で応える。
部屋に入るとキュルケは部屋の中程で立って待っていた。簡易な部屋着にニットの帽子を目深に被り、横にはリアがいてその手を掴んでいる。いつも自信満々に相手を見据えていた瞳は、今は力を失っている。その視線はウォルフの喉の辺りを彷徨うだけで決して目を合わそうとはしなかった。

「キュルケ、久しぶり。元気、じゃなさそうだな」
「久しぶり・・・あの、わたし、ウォルフにお礼、言って無くて・・・」
「お、今言ってくれるの?おk、カモーン」

両手を広げて笑ってみせる。キュルケはほんの少し笑ってくれたような気がした。

「その、助けてに来てくれて、ありがとう。あなたが来てくれなかったら、死、死んでたかも知れないって聞いたわ。あと、水の秘薬やラグドリアン水のことも。傷が残らなかったのはウォルフのおかげだってオイゲンが言ってた」
「お、おお、どういたしまし、て、いやー、キュルケが助かって良かったよ!良かった良かった」
「ホント良かったわよね!ほらキュルケ、ウォルフと一緒にお茶にしましょう」

 キュルケがしんみりとなるのをウォルフとマリー・ルイーゼで何とか明るい雰囲気へともっていく。放っておくとすぐに落ち込むので結構気を使う。
お茶を飲みながらグライダーの風防をはめ込んだ窓を褒めたり、今度ウォルフが行くことになった東の森のことなどを話して過ごした。
 マリー・ルイーゼが東方開拓団に興味を持ったみたいで、色々聞いてきて結構話が盛り上がった。東方開拓団の制度というよりは辺境の森に住む幻獣に興味があるらしい。
そんな中、ポツリポツリと会話に参加していたキュルケが下を向いて何かを考え出した。どうしたのかとウォルフが様子を窺うと、キュルケは顔を上げ久しぶりにウォルフの目を見つめた。

「ウォルフは、怖くないの?そんな、何がいるのか分からないような森に行くのって」
「いやあ、怖いよ。オレってかなりビビりだし」
「そんなの嘘っ!この間もあいつを全然怖がってなかったってリアが言っていたわ!」
「ああいう正面から来てくれるタイプはそんなに怖いと思わないかな。突然認識の外から攻撃されるとかのが嫌だよ」
「あいつのことは怖くないんだ・・・」
「オレは臆病だから、日頃想定できることには対応できるように訓練してきた。あのメイジは確かに強力だったけど、想定を超える程じゃなかったよ」

 ウォルフがハルケギニアに転生してみて日本との一番大きな違いと感じたのは魔法の存在だが、その魔法は人間を殺傷することが出来る武器でもあるのだ。
銃刀法が整備され、銃はおろかナイフでさえも持ち歩くことが制限されている世界から、銃以上の武器を多くの人間が持ち歩いていると言える世界に来てみると、それは結構怖い事だった。
 ちょっとした諍いから決闘に発展したり、闇討ちされたりする。警察力は弱く、ろくな捜査もされないので自重しようとする空気もない。
大好きな物づくりの時間を削ってまでフアンや両親の戦闘訓練を積極的に受けたのも貴族のたしなみと言うよりは護身の為だし、気配察知の訓練に励むのも同じ理由だ。
ウォルフが感じている脅威に対してキュルケ達生粋のハルケギニア人はどうもおおらかというかあまり何も感じていないように思えるので、ウォルフは常日頃自分のことは臆病なんだと感じていた。

「相手をよく観察する事も大事だね。観察する事によって弱点が見えてくる事もあるし、弱点が見えた相手の事は怖くない」
「・・・でも、今回はウォルフが勝ったけど、いつか負けちゃうかも知れない。弱点なんて無い相手もいるかも知れない。それなのに、そんな所に行くの?」
「怖さよりも行きたい気持ちの方が断然強いから。負けるかも知れないけど、負けないように最善の努力はしている。それに勝てそうにない相手だったら逃げちゃうしね。オレは逃げ足は速いんだ」
「逃げるの?貴族なのに、敵の前から逃げるって言うの?」
「逃げる逃げる。この前だって勝てないと思ったらキュルケ連れてとっとと逃げてたよ」
「・・・」

 実際に逃げるとすればウォルフの『フライ』は『グラビトン・コントロール』を利用して質量ゼロにまですれば普通のメイジとは勝負にならない程の速度で上空へ逃げることが出来る。たとえ相手が伝説の風の使い手とかでも逃げ切る自信はある。
キュルケの感性からすれば敵の前から逃げる事は美しい事ではないのだろうが、ウォルフ的には戦略的撤退は余裕で有りだ。
 その後も色々と話をしたがキュルケはあまり話をしなくなったし、長居をするのも何なので今日の所は帰ることにした。あまり焦ってどうこうしようとしない方が良いだろうという思いだ。

「じゃあキュルケ、またな。元気出せよ?」
「ええ。今日は来てくれてありがとう・・・またね」
「近いうちに顔を出すよ、じゃ、これで」

 キュルケは部屋からは出ようとしないので入口のドアで別れる。素直なキュルケというのも何とも違和感がある物だ。
そのまま帰ろうかと思ったのだが、思い出して一応辺境伯の所へ顔を出した。辺境伯はずっとウォルフを待っていたらしく、すぐに執務室へと通された。

「で、どうだ、キュルケは。治ったのか」
「・・・そんなすぐに治るような状態ではないでしょう。何言ってんですか」
「むう、そうか・・・じゃあ、見込みはどうなんだ、何か分かったことはあるのか」

 性急な事を言う辺境伯にウォルフは呆れる。言葉遣いがぞんざいになってしまうのはしょうがないことだろう。 

「だからそんなすぐには分かりませんって。専門家じゃないんだし・・・あ、でも、辺境伯の話題が出た時にキュルケが竦むって言うか、良くない反応をしてた気がします。何か叱ったり余計なことを言ったりしませんでしたか?」
「いや、そんな覚えはないぞ。優しい言葉で多少叱咤激励しただけだ。可愛い娘が傷ついているんだ、こういう時に励ますのは普通だろう?」
「うーん、気のせいなのかな・・・あー、でもあんまり「頑張れ」って言うのも負担になるみたいですよ?今は頑張らなくても良いんだって言ってあげた方が良いらしいです」
「む、そうか。気をつけるとしよう。他に何かあるか?」
「後は、そうですね、キュルケは今、自分のことを否定されたと感じていますので、「心が弱いからダメなんだ」とか否定から入るのはダメです。肯定してあげてください」
「う・・・それはそのまま言ってしまったぞ・・・心が弱いから何時までもくよくよしているんじゃないのか?」

 少し焦って辺境伯が答えた。キュルケの心が強くなればいいと思って言った言葉をそのまま否定されるとは思っていなかった。

「たまたま足を骨折した人間に「骨が弱いから折れるんだ」って言うようなものですね。骨が折れる程の強い力が加わったことを考慮すべきで、「良く耐えた」と褒めるのが当然です。何か不安になってきたよ・・・「もう忘れろ」とか言うのも意味はないですよ?」
「それも・・・言ったな。なぜだめなんだ、忘れてしまえば楽だろう」
「忘れられる物ならとっくに忘れています。人間とはそういう風に出来ているので。今回は気軽に忘れられない程大きく傷ついてると言えます。もしかして、「甘えるな」とかも言っちゃったりしてますか?」
「・・・言った。オイゲンがもうどこも悪い所はないと言っているのに、やれ腹が痛いだの胸が苦しいだのと言うから、少し厳しくした方が良いかと思って・・・ダメか?」
「本当に痛いんです。心の変調が体に表れるのは良くあることなのに・・・傷ついた子供を親が甘えさせてやんなくてどうすんだ、このボケっ!・・・て言いたい位ダメです」
「それは言ってるのと同じだわい・・・そうか、ボケか、そんなにダメか」

 辺境伯は返す言葉もない。がっくりと肩を落とし、項垂れる。ウォルフが随分と失礼なことを口走ってるが、それを気にする余裕がない程打ちのめされている。

「ダメです。他には・・・「いつまでそうしているつもりだ」これは彼女が一番知りたいでしょう。先の事なんて考えられる状態じゃないです」
「ぐっ」
「「もっと酷い目にあった人もいる」彼女には関係ない事だし、立ち直れない自分を責めることになりかねません」
「むぐぐ」
「「ワシに恥をかかせるな」これは最悪ですね。何も言うことはない位ダメです」
「・・・」

 執務机に突っ伏し両手で頭を抱える辺境伯をウォルフは冷ややかな目で見つめた。まさか良く無さそうと思いついたことを辺境伯が全部言ってしまっているとは思わなかった。
本格的な治療方法などは知らないが、まず辺境伯との関係を改善しなくてはどうにもならない事はよく分かった。彼はキュルケの父親なのだから。

「とにかく今は彼女の話を良く聞いてあげることが大事です。彼女の言葉に耳を傾けて、肯いてあげるだけで良いんです・・・まあ、キュルケが会ってくれればの話ですけど」
「ぬうう・・・」
「せめて夫人経由であなたが怒ってないことを伝えて、謝罪しておいて下さい。じゃあ、また来ます」

 なおも落ち込む辺境伯を放置してウォルフはとっとと退出した。彼を甘やかす理由など何もない。



 辺境伯の元を辞した後ウォルフは直ぐに仕事に戻り、間に一日空けた二日後、再びキュルケの元を訪れた。キュルケはやはり同じ様な部屋着にニットの帽子を被っていて、部屋にはマリー・ルイーゼとリアがいた。
辺境伯とはちゃんと話をしたらしく、キュルケが少し嬉しそうに話してくれた。ここ二日毎朝顔を見に来ているらしく、何故あの日辺境伯がキュルケの救援へ行けなかったのか、そもそも何故部隊は襲撃されたのか、など話をしてくれたと言う。
ラ・ヴァリエールと事を構える寸前まで行ったことは驚きだったらしく、興奮した様子でウォルフに話した。
辺境伯との関係が改善したことは良いことで、それで少しは状態が良くなったかとも思ったのだが、まだまだ簡単にはいかないらしかった。

「じゃあ、まだ外には出てないんだ」
「うん、怖くて・・・外に出たら悪い人が居そうな気がしちゃって、こんな事じゃダメだと思うんだけど」
「いやいや、あんな目に遭ったんだからそう感じちゃうのは普通だよ」
「そう?ウォルフもそういう気分になる事ってある?」
「うん、言ったろ、ビビりだって。ボルクリンゲンのオレの部屋ってガラス張りだろ?あれは急に襲われない為だし、実は壁にも細工して外の様子が分かるようにしてある。例えば」

 ウォルフは杖を手に取ると『練金』で三十サント四方のゲルマニウムの板を作った。金属のように見えるその板を他の三人は見つめるが、それが何なのかは誰も分からなかった。。

「あ、これ窓の側にはめ込んであったかな?」
「そう、あちこちにはめ込んであるんだけどね、何だか分かるかな」

 キュルケが気付いたが、やはり何かは分からない。ウォルフはゲルマニウム板を手に取り三人にかざしゆっくりと動かす。
あちこちにかざして見せたり板の反対側で手を上下に動かしてみせると、マリー・ルイーゼがようやく気がついた。

「あ、温度が分かる!後ろに手とか顔とかがあると感じが違う!」
「正解。これはゲルマニウムって言って半金属の結晶なんだけど、可視光は透過しないんだけど赤外線に対しては透明って特徴があるんだ。えっと、つまり、普通の光は通さずに外の温度だけ分かるっていう性質を持っているから、壁の外に誰かが近づいたら直ぐに部屋の中から分かるんだよ」
「わたしはさっぱり分からないわ」
「水メイジには難しいかも・・・キュルケは分かる?」
「分かる・・・こんなのもあるんだ。っていうかウォルフって本当にビビりなんだ」

 リアには分からないらしいが火メイジである二人にはゲルマニウムの赤外線透過という特徴は分かってもらえた。しかし、女の子にただのビビりと思われてしまうのはちょっと辛いので訂正しておく。

「まあ、ただのビビりじゃだめで丁度良い塩梅って言うのがあるんだな。勇敢さは美徳だけど勇敢なだけだとただの無謀になる。慎重なのも良いけど過ぎると臆病になる。慎重さを持った勇敢っていうのが良いんだと思うよ」
「言い訳ヨクナイ。ウォルフがビビりなのは理解した」
「そうねえ、こんな変な窓作って外見張ってるってのはちょっと・・・」
「いや、別にずっと見張ってるわけじゃないから!外を誰かが通った時に分かるって言うか・・・」
「はいはい分かった分かった」

 ウォルフとしてはちょっとゲルマニウムの自慢をしたかっただけなのに、本気でビビり認定されてしまった。他にも魔法具を使って警備しているとはとても言えない雰囲気だ。まあ、キュルケが笑っているからこれ以上は気にしないことにする。

 この日、キュルケはウォルフ達と一緒に怪我の後初めて中庭に出た。



 また数日後ウォルフが訪れると、キュルケ達は庭でお茶を飲んでおり、笑顔でウォルフを迎え入れた。キュルケは帽子を被っておらず、生えてきた髪に合わせてほとんど坊主頭といった感じに短く切りそろえた頭を晒していた。
 この日は何故か聖人・アントニオの話で盛り上がった。いつの間にか偉人から聖人にランクアップしているがそれは気にしない。
マリー・ルイーゼが元気があれば何でも出来るという彼の言葉を言い出したのがきっかけだが、ウォルフは色々とアントニオの話を紹介させられた。

曰く、アントニオは強力なメイジ殺しであり、二つ名は燃える闘魂である。
曰く、彼は武器も杖も持たず、素手だけで闘う。
曰く、彼はビンタによってその闘魂を他人に注入することが出来る。そのため彼が訪れた街ではビンタをしてもらう為にいつも長い行列が出来た。
曰く、アントニオの魂と共に1!2!3! ダァーッ!と叫ぶと魂が燃え上がる。
曰く、座右の銘は「この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし 踏み出せばその一足が道となり その一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ」というもの。
 
 普通に聞けば眉唾物の話なのだがウォルフが見てきたことのようにペラペラと話すので三人とも信じてしまった。特にキュルケは件の詩をいたく気に入り、自身も座右の銘にすると言っている程だ。

「素手でメイジを倒すなんて素敵。アントニオってまるでイーヴァルディの勇者みたいだわ」
「あら、剣も槍も持っていないんだもの、アントニオの方が凄いわ」
「魂が燃え上がるってどんな感じなのかしら。ねえねえウォルフ、123ダァーッ!ってどうやるの?」
「えーっと、・・・」



 ゲルマニアの黒き森に面したツェルプストーの城の中庭で、ウォルフは一人テーブルに残り、メイドに入れ直してもらったお茶を静かにすすった。太陽は徐々に高さを落とし、庭木の影は長さを増している。少し離れた庭の開けた場所にはキュルケ達がいて、そこに城のメイド達も集まって結構な人数になっていた。
つい調子に乗ってアントニオの話などしてしまったが、あの詩を気に入るということはキュルケが未来に向き合い始めているのだと言えるだろう。
まだまだ大変だろうけど、キュルケが一歩を踏み出す勇気を持てたのなら良かったと振り返る。

「いくぞー!いーち!にーい! さーん!」「「「ダァーッ!」」」

 ただ、今は天に向かって繰り返し拳を突き上げる少女達をどうしたらいいものかとウォルフは悩んでいた。




番外5   サラのおしごと



「ああ、もう!」

 ここの所いつも上機嫌だったタニアが珍しくいらだちを隠さずソファーに身を投げ出した。ここはシティオブサウスゴータのガンダーラ商会、その商館にある事務室である。

「どうしました?ご機嫌斜めですね」

 女性の事務員がお茶を入れて持ってきてくれる。タニアは礼を言って受け取ると大きくため息を吐いた。

「今度ね?うちで美容品を扱おうとしてるんだけど、全然いいのがなくて・・・ガリアで目新しいのがなかったからこっちに来てみたんだけど、こっちはもう壊滅的でしょう」
「えーと、貴族様のことは分からないけど、そうなんですか?」
「そうなのよ!うちで扱うからには何か、こう革新的というか新しい物が必要なのに、あの商人達ったらもう何世紀も作ってるような物ばかり出してきて・・・」

 ブチブチとタニアは不満を言う。しかし商会の事務員には貴族の奥様の美容品なんてよく分からない話だ。

「まああ、商会長も大変なんですねえ」
「大変なのよ。ウォルフがサクッとなんか作ってくれりゃいいのに、あの子ったら興味が無いなんて言って断ったのよ?」
「フフ、男の子じゃ美容品に興味がないのは仕方がないでしょう」
「そりゃそうなんだけど、仕事なんだから・・・」

 なおもタニアは諦めきれないみたいだった。タレーズでおいしい目を見ているので二匹目のドジョウを狙っていたのだ。
元々ウォルフに手伝い位はしてもらえると当て込んで始めた美容品事業である。ウォルフがここまで忙しくなって断られてしまうとは完全にタニアの想定外だった。
自分で作るには知識が無いし、泥縄的に既存の製品を探してみても望む物がそう簡単に見つからないのは当然とは言えた。
 また大きくため息を吐いたタニアに事務室の奥から年配の事務員が仕事の手を止めて声をかけた。

「売る物が無いってんなら、サラちゃんのハンドクリームはどうだい?あれなら貴族の奥様だって満足するはずさあ」
「ハンドクリーム?サラが作っているの?」
「そうさ。あの子は優しい子でね、あたしの手がアカギレしていたのを見て自分が使っているのを分けてくれたのさ。アカギレなんてあっという間に治ったね」
「ああ、あれは良いですね。わたしも貰いましたが、もう冬場には手放せませんよ」
「どどど、どんなの作ってるの?水の秘薬とか使ってるのかしら」
「さあね、そんなのは知らないよ。でもあの子はちっちゃくても水メイジ様だからね、薬を作るのはお手の物なのさ」
「サラって今どこにいるのかしら、ド・モルガン邸?」
「この時間なら学校で授業してるでしょう。もうすぐ終わりますから、こちらに顔を出してから帰りますよ」
「じゃあ、来たら商会長室に来るように伝えて頂戴。わたしはちょっと急いで仕事片付けちゃうから」

 意外な近場に商品の種があったのかも知れない。タニアは今すぐサラに会いに行きたいのを何とか堪え、自分の部屋へと向かった。



「お疲れ様でーす!アンおばさん、何か御用はありますか?」
 
 昼になり、授業が終わったのだろう、元気良くサラが事務室に入ってきた。サラはいつも子供達の授業が終わった後こちらに顔を出し、話をしていく。

「おや、サラちゃんご機嫌だねえ。ウォルフ様が戻っているのかい?」
「あら、分かっちゃいますか?ふふふ、まあ、また出てっちゃったんですけど、昨夜は久しぶりにウォルフ様が歌を歌ってくれて・・・」

 サラが頬を染めて報告する。ウォルフは昔から良くサラに歌を聴かせてくれたが、数年前にジョニー・ビーからギターを貰ってからは伴奏付きで演奏してくれるようになった。
方舟の扉を開けて月明かりの下、サウスゴータの街並みを眺めながら開催される二人きりの演奏会はいつもサラを幸せにしてくれる。ウォルフとしてはサラがまだ小さい頃、泣いているサラに歌を歌ってあげると泣きやんだのでその頃の習慣が続いているだけなのだが。
 幸せそうなサラの様子に事務員のおばさん達は目を細める。微笑ましいとはこういう事を言うのだろう。

「あら、良いわねえ。ウォルフ様は歌が上手だものねえ」
「昨夜は"小さな恋のうた"っていう曲を歌ってくれたんですけど、これがまた素敵で・・・ウォルフ様は東方の曲だって言ってるんですけど、絶対に私のことを想って作ってくれたんだと思います」
「あらあら惚気かい?まあいいけど、商会長がサラちゃんに用があるってさ。会長室で待ってるよ」
「タニアさん来てるんですか。用って何だろ。じゃあ行ってきます」

 サラはまだ惚気たそうにしていたが、そうもいかず事務員達に挨拶するとタニアの元へと向かった。
 


 事務室から戻ってからタニアはずっとここの所溜まっていた仕事をこなしていたのだが、今はヤカに作った石鹸工場からの報告をチェックしていた。
 石鹸製造の事業は順調に準備が進んでいる。ウォルフもこの事業には協力してくれて、以前自分で石鹸を作る時に研究したというレシピを提供してくれた。
それを元に石鹸はオリーブオイルをベースに時間をかけて固めるタイプと一週間程窯で煮てから塩を加えて不純物を除去したタイプの二種類、それに加えて牛脂などの廉価な油脂を高温高圧釜で脂肪酸とグリセリンに分離してから作る、食器洗いや洗濯用のタイプを作った。
他には液体石鹸であるシャンプーとクエン酸をベースにグリセリンなどを少々加えたリンスが今のところの製品である。
 シャンプーに使う水酸化カリウムは岩塩鉱山で採れるシルビンという鉱石をツェルプストーから購入し、ボルクリンゲンの工場で電解して作っている。
シルビンは岩塩と一緒に産出されるが舐めると非常に不味い。ハルケギニアでは利用されておらず、ゴミとして捨てられていたので非常に安価だった。

 タニアが始めた事業ではあるが高温高圧釜の開発やシルビンの精製、水酸化ナトリウムの提供などほぼ全てウォルフの技術に頼っており、タニアが決めたことは加える香料の選定やパッケージそれに自身が開拓した販路だけである。
美容品事業をウォルフに断られて、意地になって一人でやるとウォルフに啖呵を切ったものだが改めて見直してみるとその存在の大きさに怯む。

 ウォルフに頭を下げてもう一度お願いしてみようか、などと思い始めた頃ドアがノックされた。

「タニアさん、サラです、お呼びでしょうか」
「サラ!待ってたわ」
「な、何なんですか?」

 タニアはサラを飛びかからんばかりにして部屋に招き入れた。サラが怯むがそんなことには頓着せずに手を引っ張ってソファーに座らせた。その顔は思わずサラが顔を背けたくなる程の笑顔だ。

「良く来てくれたわ、サラ。ちょっと相談があるんだけど、あなた、ハンドクリームってのを作ってるんですって?」
「は、はい、冬場にメイド仲間達の手が荒れるので何とかしようとしたんですけど、それが何か・・・」
「ちょっと、どんな物か見せて欲しいのよ。ほら、わたし今度美容品事業を始めるでしょう?中々良い商品が無くて困ってるのよ」
「え!あれを商品にするんですか?あれってオイルと蜜蝋を溶かして混ぜただけですよ?」
「そうなの?水の秘薬とか使った凄い奴じゃないの?凄く評判良かったわよ?」
「違います。その人が買えないような物を上げちゃダメだってウォルフ様に言われてますし。アンさん達はいつも無防備に水仕事してるんで効果が大きいだけです。貴族の奥様達用にはとても向かないと思いますが」
「そんな・・・良さそうだったのに・・・」

 タニアはあからさまに落胆してしまってサラもどうしたものかと思うがこれはどうしようもない。

「美容品事業、うまくいってないんですか?ウォルフ様はタニアさんが一人でやるって言ってましたけど」
「・・・ウォルフにも手伝って貰おうとしたのよ。なのに断るもんだから」
「いくらウォルフ様でも貴族の奥様相手の商売は無理なんじゃ・・・社交界の流行を完璧に把握するウォルフ様とか想像が付かないんですけど」
「商会の経営を安定させる為には柱になる事業が必要なのよ!貴族の奥様方の購買力は消費の牽引力よ!お金を儲ける為には必要なんだって言ったのに、あの子ったら興味が無いなんて言うのよ?お金にも興味が無いって言うのかしら」
「ウォルフ様が好きな物は、一に自分が作れない物、二に自分が作った物、三四が無くて五に食べ物です。エキュー金貨なんてウォルフ様が作れて、ウォルフ様が作った物じゃなくて、食べ物じゃありません。興味がないのも仕方ないです」
「お金があれば食べ物でも何でも買えるじゃない!お金は大事よ。あの子商売に向いてないんじゃないの?」
「だから商会の経営はタニアさんに任せっきりじゃないですか」
「うぐぐ、手伝ってくれって言ってんだから少し位手を貸してくれても良いじゃないかー」

 タニアはソファーに倒れ込みじたばたと足を動かして駄々を捏ねるが、もちろんそんなことをしても何の意味も無い。
 ウォルフは商会を作って航路を拓いた後は商会の経営をタニアに任せっきりで本人はずっと研究開発に専念している。経営に口を出したのなんて多少グライダーの販売をごり押しした位だ。
経営に問題があれば口に出すつもりだったみたいだが、現状何も問題はないのでタニアはこれまで自由に采配を振るってこれた。
 商会は貿易業以外ではグライダーや織機などの機械工業、タレーズの販売などで収益を得ている。今は順調ではあるが、これらは単価が高い為売り上げが景気にかなり左右される。
ここの所競争が激化して風石の値上がりなどもあり本業の貿易業で十分な収益を上げられない為、タニアとしては安定した売り上げを見込める収入源を持ちたかった。どんなに景気が悪くなっても女性は日々化粧をするのだから、美容品事業は安定した収益を商会にもたらすと思えたのだ。

「ほら、タニアさんそうしていてもしょうがないでしょう、起き上がって下さいな」
「ねえ、サラの方からウォルフに言ってくれない?なんかこう、アイデアだけでももらえたら嬉しいんだけど」
「無理です。どこまで出来るのかお手並み拝見とか言ってましたから、完全に傍観者モードに入ってますよ。むしろそっちに興味が向いていると言えます」
「・・・ガリアなら結構良い化粧品作ってる所があるんだけど、メジャーな所は販路がしっかり定まっていてうちが取り入る隙はないわ。マイナーな所はどうも今一で、しかたないからこっちで目新しいの無いかと思ったんだけど・・・」
「ダメだったんですか」
「この国の美容業界は二世紀は遅れているわね。口紅なんて明るいのと普通のと暗いのとの三色。それを若い・普通・年寄りで使い分けるだけ。万事がそんな感じでとにかく選択肢がないわ。とてもガリアやゲルマニアの貴族の奥様達が望むような品物を作れる気がしないのよ」

 ようやく身を起こしたタニアが自嘲気味に笑う。その様子を見ているとさすがにサラはタニアが気の毒になってきた。

「うーん、ハンドクリームは単価が安すぎるからなんだけど、スキンケア用品なら貴族の奥様にも売れるかなあ・・・家にわたしや家族用のが作ってありますから、見に来ますか?何か参考になるかも知れませんし」
「スキンケア?スキンケアって何?」
「ええと、お肌を整えたり、保湿したり、しみやそばかすを無くして日焼けを防いだりするんです」
「そう言えば・・・あなた、子供のくせにそばかすが一つもないわね。それどころか黒子もないわ。ちょっとこれどういうことなの」

 両手でサラの肩を掴みまじまじとその顔を観察する。少し垂れ気味の目やダークブラウンの髪などはいつも通りだが、久しぶりに近くで見るその顔はミルクを溶かし込んだような白い肌に血色の良い頬、どこもかしこも思わず触ってみたくなる程の瑞々しさだった。

「え、ええ。どっちもメラニン色素が原因だから除去しました」
「何ですって!?それにこの肌の肌理・・・子供だからってだけじゃない、これはもう赤ちゃんの肌よ!」

 プニプニとほっぺたから耳たぶまで触りまくる。サラは逃げ出したかったがそれを許さない迫力がタニアにはあった。

「えっと、だから肌理を整えて手入れしてるからです」
「ちょっと、それ自分で作ってるの?そういうのをわたしは求めていたのよ!」
「水の秘薬を使ってる物もありますから、そうそう安くはなりませんですけど。化粧品って訳じゃないけど良いんですか?」
「お肌は美容の基本じゃない!こんな肌になるんだったら、みんないくらでも払うと思うわ。水の秘薬
ならウォルフが結構持ってるって話じゃない。安く分けてくれないかしら」
「ウォルフ様が人に、この場合は精霊さまにですけど、貰った物を売るなんて有り得ないです。わたしが分けて貰ったのだって研究用だからくれただけですよ」
「くっ、あの子そういう融通は利かなそうだわね・・・まあ、いいわ。今すぐあなたの家へ行きましょう!」

 タニアは戸惑うサラを急かして外へ出て、ド・モルガン邸へと向かった。アンら事務員が声をかける間も無い程の勢いだった。

 あっという間に着いたド・モルガン邸で直ぐにサラの私室へ行こうとしたのだが、エルビラがいるとのことで先に挨拶に顔を出した。

「お久しぶりです、エルビラ様。いつもウォルフにはお世話になっています」
「あらタニアさん珍しいですね。ウォルフなら今日はいませんよ?」
「はい、今日はサラに用があったもので・・・」

 何気なく挨拶しに来たのだが、久しぶりに顔を合わせるエルビラを前にしてタニアは硬直した。エルビラはタニアよりも大分年上の筈だが、その肌はタニアよりも若々しく、どう見ても十代の肌だった。

「エルビラ様、肌、綺麗・・・」
「あら、ありがと。これはね、サラのおかげなのよ」
「・・・実は、今日こちらに来たのはそのスキンケア用品についてなのです」
「あら、ガンダーラ商会で扱うつもりかしら。販売が決まったら教えて頂戴、同僚達によく訊かれて困っているのよ」
「は、はい、是非。ではこれで失礼しまーす」

 まだ若いサラの肌が綺麗なのはある意味当然だが、三十も半ばのエルビラの肌をあそこまで若々しくするというのは衝撃的な効果である。
タニアはとんでもない鉱脈を掘り当てた予感をひしひしと感じていた。
 


「こちらが美白美容液"スーパーホワイト"で、こっちが美白乳液の"ホワイトキープ"です。"スーパーホワイト"を使うのは最初だけで良くて、しみとかが消えたら後は普通の美容液"ウォーターキープ"を使います。で、これが化粧水の"ウォーターイン"に洗顔用石鹸"パーフェクトクリーン"、最後がわたしはまだ使ったことはないんだけどムダ毛処理用クリームの"ツルリンEX"で、これは取り扱い厳重注意です」
「結構あるのね、素晴らしいわ。これで全部?一つずつ用途と用法、それに原料を説明してくれるかしら」
「はい、あとは"アンチエイジングDX"っていうのも作りましたけどもう全部使っちゃいましたので今ここにはないです。えっと、使い方なんですけど、スキンケアの基本は水分を如何に保つかと言うことです。洗顔して化粧水で水分を補充して美容液でその水分が逃げないようにして栄養を補充します。乳液は脂分の補充です」

 在庫が置いてあった方舟でサラは机の上に自分が作ったスキンケア商品を並べた。そして熱心にメモを取るタニアを前に一つずつ解説していく。

"パーフェクトクリーン"・・・非加熱製法で作った洗顔石鹸で原料はオリーブオイルと水酸化ナトリウム、それにラグドリアン水である。ラグドリアン水を使っている為に肌そのものには影響を与えることなくどんな汚れも落とす。
"ウォーターイン"・・・ラグドリアン水にアルコール・ジグリセリン・ヒアルロン酸などを添加した化粧水。普通の水でも作れるがもちろん効果は落ちる。水分を保持する魔法がかけられている。
"ウォーターイン・アンチエイジングDX"・・・"ウォーターイン"に水の秘薬を添加した肌老化防止化粧水。老化して傷ついた遺伝子を修復するが、どの程度まで修復できるかは個人の肌の状態による。
"ウォーターキープ"・・・ラグドリアン水にコラーゲン・ヒアルロン酸・エラスチン・アスタキサンチンなどを高濃度で配合した美容液。血行促進・老廃物排出・活性酸素除去などの効果がある魔法が掛かっている。
"ウォーターキープ・スーパーホワイト"・・・"ウォーターキープ"に水の秘薬を添加しており、肌のしみ、そばかす、黒子などの原因であるメラニン色素を分解し除去する。
"ホワイトキープ"・・・ラグドリアン水とホホバオイルをパームヤシの乳化剤で乳化した乳液。アスタキサンチンとリン酸アスコルビルマグネシウムが添加してあり有害な紫外線・UVC遮断の魔法が掛かっている。
"ツルリンEX"・・・水の秘薬を使用した毛根の血行を阻害し休眠に追い込む事で脱毛をするクリーム。塗るのに使用した手は必ず"パーフェクトクリーン"で洗浄すること。

 それぞれの添加物の効果や魔法の構造、簡単な製造の手順など、全ての説明が終わった時にはメモを取るタニアの手は痛みを覚えていたが、そんなのが気にならなくなる程彼女は興奮していた。それもハルケギニアでは聞いたことがない革新的なもので、説明を聞いているだけで効きそうに思えてくる。
この世界には元々水メイジによる若返りの魔法は存在する。しかし、漠然と若返りというイメージだけで行使される魔法と、科学的に老化の原因を潰していくサラの魔法とでは圧倒的に後者の方が効果が高いことは当然であった。

「ちょっと、凄いじゃないの、サラ。これならどれもそのまま商品に出来ちゃうわ。あなたどこでこんな事覚えたの」
「最初はウォルフ様が実験している横で時間が空いた時にクリーム作ったりしていただけだったんですけど、段々とエスカレートしちゃって」
「それにしてもイデンシとかなんとか、凄い知識の量じゃないの。ひあるろんさんとかも全然分からないけど、やっぱりウォルフに教えて貰ったの?」
「そりゃそうですよ。わたし一人でこんなに詳しくなりませんて」
「あの子ったら私には興味が無いとか言っておいてサラにはこんなに詳しく教えてるんだ・・・」
「私が美容液の作り方教えてって言っても教えてくれないと思いますよ?ウォルフ様だって知らなそうだし。細胞とか肌の構造とか基本的な事は教えて貰ってますので、後は自分で魔法を使って勉強しました。それに日頃から一杯話をしてグリセリンの保湿力とかアスタキサンチンの抗酸化力とかの知識も別々の話として教えて貰ってますから、それを応用して私が作りました」

 エヘンと胸を張る。ウォルフの知識を利用していてもここにある品々はサラの研究の成果だ。

「うーん、そうか知識の引き出し方にこつがいるのね。オッケー、今後の参考にさせて貰うわ」
「ちゃんと訊けばウォルフ様は教えてくれますよ。漠然とした質問だとウォルフ様の持つ知識が膨大だから答えようがないだけで」
「・・・今更だけど、一体何者なのよあの子は。訊けば教えてくれるって言っても、何を訊いたらいいのか分からないのが問題なのよね。まあ、いいわ。サラ!お願い、協力して!」

 ストレートにタニアはサラに全面的な協力を頼み込んだ。もうこれらの美肌化粧品抜きに今後の事業計画など考えられない。製品化に向けてサラの協力は絶対に必要なことであった。

「いいですけど、私もそんなには時間が取れないから・・・」
「今商会でサラがやってる事務とかは人を増やして対応するし、もちろん手当もドーンと出すわ!あと、ほらサラ孤児院を作りたいって言ってたじゃない、あれも作っちゃいましょう」
「えー!孤児院は作るのもお金が掛かるけど、運営にもお金が掛かるからってあんなに渋ってたじゃないですか」
「この事業が軌道に乗ればそれくらい余裕なのよ。だからお願い、一緒にハルケギニアの美容界に革命を起こしましょう!」
「タニアさんがそこまで言うなら・・・協力します」
「ぃよっし!」

 サラの協力を取り付けたのでタニアはすぐに具体的な検討に入る。
詳しくサラに聞くと成分の抽出など、大部分を魔法によって作られていることが分かった。ウォルフの作るプラントのような大掛かりな施設は必要ないが、メイジを多数雇う必要がある。
サラとも話し合い、工場はチェスターの工場に隣接、水メイジを早々に求人をかけて雇い始めることを決定した。原料になる鶏冠や動物の腱・血管等、甲殻類の殻やブドウ糖など必要な数量を聞き出してタニアが手配することにし、ヤカの石鹸工場やプローナの醸造所の協力を取り付けるのもタニアの仕事だ。
 水の秘薬やラグドリアン水に関しては現在取引ルートを持っていないが、タニアの持つ顧客リストには上級貴族の奥様達も多いので、今回の品の効果を喧伝すれば色々と入手について便宜を図ってもらえそうだと考えている。

「ただ、入手するまで時間が掛かりそうなのが問題ね。取り敢えずラグドリアン水だけでも先に何とかならないかしら」
「取り敢えずって、どの位の量が必要なんでしょう。多少ならわたしも作れますが」
「・・・何ですって?」
「『コンデンセイション・ラグドリアンウォーター』ってウォルフ様が作ったオリジナルスペルがあるんですよ。ラインスペルになるしちょっと難しいけど、百や二百リーブルなら直ぐ出来ますよ」
「貴方達にはもう、驚かないようにするわ・・・水の秘薬はもちろん作れないのよね?」
「ウォルフ様は作ろうとしているけど、まだ難しいみたいです。大きい力と小さい力がどうのこうのって悩んでました」 
「まだ、なんだ・・・ははは」

 ウォルフが何者なのか、何を目指しているのかタニアにはさっぱり分からないが、身内で良かったと思った。



 この後精力的にタニアは動き、あっという間に美容品事業は動き出した。メイジを雇い工場を建設し、製品を作り始める。その製品のブランド名は「sara」。
まんまサラの名前だが、ラグドリアン水を使用する製品には全てこの名を冠し、それ以下の製品とは区別した。
 タニアは一番のセールスレディーとして「sara」を愛用し、プルプルの美肌を手に入れた。滑らかでどこまでも肌理が細かく抜けるような白い肌はタニア自身十代の頃でもこんなに綺麗ではなかったと思う程だ。
彼女に会う貴族の奥様方達も大いに驚き、その噂はハルケギニアの社交界に瞬く間に広まった。
 おかげで水の秘薬の供給ルートにも無事伝手が出来、少量ずつではあるが水の秘薬を使用した製品も生産できるようになった。こちらのシリーズは「sara premier」として販売する。

 サラはいきなり工場長に就任させられた。九歳の身で十人からの部下を持たされて戸惑ったが、次第に慣れて生産や新商品の開発を積極的にこなしていくようになった。この間ウォルフも忙しく働いていたのでそちらの世話をすることが少なかった為に化粧品の開発に専念できた形だ。
雇い入れた水メイジ達にサラの魔法のイメージを理解させるのは時間がかかったが、きちんと順を追って説明し、メラニン色素や細胞の事など実際に魔法で観察しながら教えて何とか理解してもらえた。ただ、紫外線だけはどうにも理解してもらえず、結局そこはサラが担当する事になっている。
 サラの希望でハンドクリームやリップクリーム、ラグドリアン水を使わない乳液など平民向けの廉価な商品も販売することになり、こちらは割と大きな設備で平民を雇用して大量生産を開始した。
 約束の孤児院も開設された。子供を育てられない女性から預かったり、貧民街のストリートチルドレン達を保護したりしてどんどんその数を増やし、あっという間にサウスゴータで一番大きい孤児院となった。
当然子供達の教育もガンダーラ商会の学校で行うことになった。まだサラの受け持つクラスに入ってくる孤児院の子はいないが、廊下などで増えた子供達を目にする度にサラは喜びと共に責任感を感じるのであった。

 そしていよいよガンダーラ商会初の美容品である「sara」シリーズが発売された。基礎化粧品と名付けられたそれは、高めな価格設定ながら半年分以上のバックオーダーを抱え、お得意様から順に届けられた。



 とあるガリアでのパーティーにて、一人の夫人が会場の注目を一身に浴び、その中心でにこやかな笑顔を振りまいていた。
ここのところ化粧が濃くなる一方だとの評判であったデ・ガジェド伯爵夫人である。しかし今日の彼女は薄化粧でほとんどスッピンに近い状態であった。
何よりも周囲の関心を引いたのは、彼女が濃い化粧をしていた頃よりも遙かに美しく見えるという事実であった。四十を超えてその美貌に陰りが見え、今では若かりし頃の名声にしがみついているかに思えた彼女が、今ではどうだ、まるで二十歳の頃のように光り輝かんばかりの笑顔を振りまいている。
 誰もがここ最近流れていた噂を思い出し、真相を確かめんと伯爵夫人の周囲に集まっていたが、そのあまりの美貌に圧倒され中々声をかけられずにいた。
 そんな中、彼女とは長い付き合いのあるデ・ローレ伯爵夫人が一歩前へ出て声をかけた。

「ごきげんよう、デ・ガジェド伯爵夫人。本日は一段とお綺麗ですこと」
「あら、ごきげんよう、デ・ローレ伯爵夫人。嬉しいですわ、化粧品を変えたのが良かったみたいですの」
「それって、もしかして今話題の、ガンダーラ商会の?」
「ええ、ご存知でしたか?ずっと頼んでいたのが先週やっと届きましたの。お安かったし、とても良い買い物が出来ましたわ」
「あ、あら、あれは水の秘薬を使っているからって言ってもちょっとお値段が高すぎるんじゃないかって言う方もございましたのに」
「その方はきっと使ったことがないのでは? 一度でも使えばあれがとても安い事なんて分かるでしょうに」

 デ・ガジェド伯爵夫人は人差し指を軽くそのぽってりとした下唇に当てて艶然と微笑んだ。それは間近で見ていたデ・ローレ伯爵夫人が思わず息をのむ程のなまめかしさであった。
少女では出し得ない、四十を超えた円熟した女のみが出せる色気。それが二十代かと見まがう美貌によってまき散らされるのである。遠巻きに見ている男どもはごくりと生唾を飲み込んで前屈みになってしまっているし、周囲にいる女性陣もそわそわと落ち着きをなくした。

「どうやら、仰る通りのようですわね・・・実は、わたくしも注文はしてあるのですが、何時入荷するのか全く見通しが立ってないと言われていまして。そんなに早く入手されるなんて、何か、伝手でもございましたのですか?」
「伝手というか・・・ほら、ガンダーラ商会って後発というか、まだ新しいでしょう?水の秘薬の入手に苦労なさってるみたいでしたから、ちょっとお手伝いして差し上げましたの」

 キラリとデ・ローレ伯爵夫人の目が光る。周囲もにわかに騒がしくなった。

 タニアは今現在の販売を「premier」シリーズを含むセット「ファーストパック」のみに絞っている。
やはり水の秘薬入りの方が効果が覿面であるのでブランドイメージ形成の為には外せないという経営判断からであるが、おかげで市場に出せる数が少なくなってしまっている。
その結果起こりうる人気のせいで継続的な購入が出来なくなるという事態は「ファーストパック」を購入できた顧客のみに次回以降数量に余裕のあるノーマル「sara」シリーズを販売することによって避けるつもりだ。しかし「ファーストパック」を購入できていない顧客にとって何時入荷するか分からないと言う状態には不満が高まっている。
 今、品薄の原因が水の秘薬にあると明らかにされ、秘薬を入手する事が可能な夫人達は自分たちが即座に「sara」シリーズを手にできる可能性に色めきだった。
 
 この夜のパーティーは大いに盛り上がったものの、何故か会の途中で帰ってしまう参加者が続出した為に早めに散会となってしまった。

 「sara」シリーズの供給量はこの後徐々に増えていくことになるが、それを上回る勢いで注文が殺到した為に当分供給不足が改善されることは無かった。




番外6   デトレフの戦車



 その日、デトレフは朝から緊張していた。ツェルプストー辺境伯に戦車の自力開発を命ぜられてから一ヶ月と少々、事件の後処理などで遅れたがいよいよ辺境伯にお披露目する日なのだ。

「右良し!左良し!微速前進!」

 火竜山脈の地鳴りのような音を発しながらデトレフらフォン・ツェルプストーの技術者が総力を挙げて作り上げた戦車が動き出した。
 まだ大砲を設置していない車上でゆっくりと背景が動くのを確認しながらデトレフはホッと安堵の息を漏らした。今日のこの日の為にここ二日は寝ないで調整を続けてきたのだ。これでまたキャタピラが焼き付いただの切れただのトラブルが起こったらたまった物ではない。
そのままそろそろと走り、工房からお披露目をする練兵場へと向かった。

「停止!良し!方向転換、左七十度!」

 工房の出口まで来たところで一旦停止し、方向転換して出口へと向かった。ウォルフのダンプカーは走りながら方向変換をしているが、まだとてもそんなことは出来ない。
走行は片方のキャタピラに三人ずつ土メイジが配置され、それぞれ土石を使って出力をコントロールしていた。

「停ー止!良し!方向転換、右九十度!良ーし!微速前進!」

 最後の方向転換を終え、車体は無事に練兵場へと入っていった。車内では思わず歓声が上がり、お互いに握手を交わす乗組員の姿が見られた。
これまでも試験走行は練兵場で行っていたのだが、方向転換に失敗して門などに激突し、そのまま修理に向かったことなど一回や二回ではないのだ。

「ふー、何とかなりましたな」
「なりましたなあ。昨日履帯が切れた時はもうダメかと思いましたよ」
「確かにあれが今日だったらと考えると首筋が寒くなります。あれだけやってもまだ強度が足りないのですなあ」
「まあ、取り敢えず今日は大丈夫でしょう」

 開発で一番苦労したのは左右に二つあるキャタピラである。そのキャタピラの大量にある履板一つ一つはマイスターメイジが叩いて鍛え上げた手作り品である。最初の試作品では全て同じ型から鋳造した物だったが、サイズ・形こそほぼ同じ物が出来た物の組み立ててみると絶対的に強度が足りずキャタピラ車は五メイルと進むことが出来なかった。
初めは中々不揃いであったが大量に作ってその中から大きさの揃ったのを選んで仮組みし、ベンチテストにかけて大きさをならしさらに選別するという手法で今では結構な精度で揃うようになった。
大きさの揃った履板を熱処理して強度を上げ、また一つ一つマイスターメイジの手によって擦り合わせしながらピンで繋ぎ、本組みしてその上で魔法を幾重にもかけて強化してある。
 膨大な手間と莫大なコストが掛かったが、何とか作り上げることが出来た。
あらためて停車した車体を眺めると今までの苦労が思い出される。一つ一つの部品などもう芸術品と言って良い程丹念に作り込まれていて、これ程の機械を僅か一ヶ月あまりで作り上げた感慨は深い。
 デトレフ達は練兵場に停車させた車体を丹念に磨き上げ、ツェルプストー辺境伯の登場を待った。



「ふむふむ、車体は木製でそれに鉄を巻いて補強しているのだな。全部鉄には出来なかったのか?」
「全部鉄にすると走行している内に歪みが出やすいというのが担当メイジの判断です。使用しているヒッコリー材はしなやかで粘りがありますし、鉄に比べて重量的にもこちらの方が有利です」
「なるほど。こちらの方が優れているという訳か。速度はどれくらい出せる?」
「現時点で最高時速二十リーグ程です。速度向上は今後の課題となっております」
「・・・ガンダーラ商会は五十と言っておらなんだか?随分と差があるな」
「はっ、キャタピラの製造に予想以上の手間が掛かり開発が遅れています」
「うむ、最低でもあちらより速度で上回れるように開発を続けよ」
「はっ」

 ツェルプストー辺境伯は予定通り戦車が出来ていたことに満足し、上機嫌で説明を受けていた。
最高速度が大分劣っていることは不満だが、それが解決できない問題であるとは思えない。そんな辺境伯の表情が一変したのはコストについての説明を受けた時だ。

「は?もう一度言ってくれないか?ちょっと妙な数字が聞こえたんだが」
「は、はい。一台の製造にかかるコストは推定でおよそ五十万エキューになります。この数字は材料費、人件費、製造時のコークスや土石など全てのコストを計算しております。これとは別に走行時には土石が必要となります」
「・・・」

 ピクピクと辺境伯の頬が動き、こめかみにはぶっとい血管が浮き出ている。
説明していたデトレフは恐縮するが、こればかりはどうしようもないことだった。最高級の鉄を使い一流のマイスターメイジを大量投入して作っていることもあるが、何しろ土石が高いのだ。
試験運転をしては熱を持った部品を交換・調整して精度を高めていくという手法を採っている為にどうしても土石の消費は多くなってしまう。車輪に比べて圧倒的に機械抵抗が大きいこともあり、この車が走行するには莫大な量の土石を必要とするのだ。

「お前、前にこれを百台位整備すればとかなんとか言ってなかったか?ワシを破産させる気か?馬鹿なのか?死ぬのか?」
「あ、いや、何せ土石が高くて・・・量産すればその効果でもう少し下がるかも知れませんし、大型の水車を製造してその側に工場を建てれば更に下がることが期待できます」
「その水車を建てるのは誰だ、ワシか。下がるってどの位だ、そもそもそんなに大量に土石ってのは入手できるのか?」
「あー、そのー」
「大体ガンダーラ商会はそんな高価な機械で採掘をしているのか?ろくに金にならないアルミニウムのために」
「あー、ガンダーラ商会は土石ではなく風石を使用しています。最近値段が上がったとは言え土石に比べかなり廉価ですから、その分は安いかも知れません」
「だったら何故お前も風石を使わん!馬鹿高い土石を湯水のごとく使いおって、何を考えているんだ!」

 デトレフも安価な風石を動力にと考えなかったわけではないが、その場合出力のコントロールが大変に難しい。辺境伯が設定した一ヶ月という期限内にはとても使い物になる物が開発出来そうに無かったので高価なのを承知で土石を使用したのだ。
ただ、これほど大量に土石を消費するとは想定していなかった。精度の悪い物を無理矢理回しているせいではあるのだが、今回の物はあくまで短期開発の為の物であると言葉を尽くして説明する。
 まだまだ文句はあるみたいだが、辺境伯も今後コストダウンを図ると言うことで一応納得してくれた。
 
「では、風石にシフトすればコストは押さえられるんだな?」
「は、はい、二十万エキュー位には押さえられるかと予想できますが、速度向上を目指すとなるとまた掛かるコストが上がっていきます」
「むう・・・二十万キューか。ガンダーラ商会はそんなんで採算が取れるのか?グライダー一機売って五千エキューだぞ?」
「さあ、今はガンダーラ商会しか利用者がいないからアルミニウムには値段が付いていませんが、今後は利用者が増えて価格が上昇すると読んでいるのかも知れません。今アルミニウムを精錬できるのはウォルフ殿しかいませんし。キャタピラに関しては確かにコストが高すぎて販売は出来ないとは言っていました」
「むう・・・あの軽いだけで虚弱な金属にどんな用途があるというのだ。精々木材の代替位だろう」
「ま、まあ、ガンダーラ商会の事は今関係ありませんな。では早速試走をお目にかけましょう」

 ウォルフが市販しているグライダーの部品に使用しているアルミニウム素材はヒドロナリウムと呼ばれるマグネシウムとの合金だ。純アルミニウムに比べれば三倍近い強度を持つが、ジュラルミンなどに比べれば半分近くの強度しかない。
デトレフが入手したアルミニウムインゴットが純アルミニウムだったこともあり、辺境伯はアルミニウムにはほとんど関心を失っていた。

 そんな考え込んでいる辺境伯を横目にデトレフは試験走行の準備を進めた。不機嫌そうにしていた辺境伯もいよいよ動き出すと言うことで興味を持って戦車を見つめる。

「準備完了!微速前進!」

 デトレフが大きな声で号令をかけると戦車は盛大な音を立てながら動き出した。
小山が動くようなその姿は近くで見ている辺境伯を圧倒し、彼の機嫌を少し戻した。

「停止!良し!転回!良ーし!全速前進!」

 練兵場の端まで移動した戦車がその場で転回しこちらを向くと凄まじい音を立てながら全速で走り出した。地竜の群れでもこれほど五月蠅くは無いだろうという程の喧しさで戦車は辺境伯の目の前を通過して停止した。
大地を揺らして走り抜けた後にはくっきりとキャタピラの後が残り、周囲には油の臭いが漂った。

「ふーむ、中々凄まじいな。むっ、これは油の臭いか?どっかから漏れてるぞ」
「や、これはその、潤滑の為に定期的にキャタピラに油を噴射していまして・・・」
「と言うことは、こいつはいつも油まみれになっているって事か?」
「それは、その、そうなりますな。キャタピラが熱を持ちますのでそれを冷却する意味合いもありまして、これがないと強化の魔法も解けてしまいますので今のところ無くせません。今後の研究次第で低減する事は可能かも知れませんが」
「ふう・・・是非、そうしてくれ。火の魔法一発で火達磨になるようじゃとても戦場には連れて行けん」
「・・・」

 辺境伯は軽く左右に頭を振るとそのまま練兵場を後にした。現状の評価としては使い物にならない、と言った所だろう。
速度が遅いのも、ハイコストなのも今後改善できるであろうが、油まみれというのは許容できないことだった。

 後に残されたデトレフ達技術者は肩を叩き合って互いに慰めると、停車していた戦車に乗り込み工房へと撤収した。

 

 数日後、ガンダーラ商会のボーキサイト採掘場を見渡せる小高い丘にポツンと座り込んで採掘の様子を眺めるデトレフの姿があった。
朝からもう三時間はダンプカーなどが走り回る姿を見ていて、冬の気配を感じさせる秋の風が彼の体を冷やしても飽きることなくただそこに座っていた。

「デトレフさん、どうなさいましたか?朝からずっとここにいるそうですね」
「・・・や、これはウォルフ殿」
「ちょっと、ちゃんと寝てますか?凄い顔になってますよ」
「あー、実はあんまり・・・今日は休暇を取ったのでここでダンプカーが走るのを見ていました」
「休暇を取ったのなら家で寝ていた方が良さそうなんだけど・・・」
「・・・分からんのです。私には、分からないのです」
「わー!ちょっとデトレフさん、ここで寝ないでー!」

 ぱたりとその場に倒れ込んでしまったデトレフを採掘場の事務所に連れて行ってソファーに寝かせ、ウォルフはアルミナ精製槽や採掘機械達のメンテナンス等自分の用事を済ませた。
事務所に戻って、そのまま寝ていたデトレフを起こしてお茶を勧め話を聞く。最初は口が重かったデトレフもウォルフが促すうちにポツリポツリと語り出した。
話した内容は、キャタピラの開発を辺境伯に命ぜられていてそれがうまくいっていないと言うこと。言ってしまえばそれだけの話なのだが本人にとっては大変なことである。
 ツェルプストー専属のカウンセラーじゃないんだが、と思いながらもウォルフはデトレフの話を聞く。ちょっと自分の所為でとばっちりを食っているのかなと思う部分もあるし、デトレフには期待しているし。

「あーあれは我々も苦労しましたよ。砂を咬み込んで焼き付いたり車輪から外れたり、最初に作ったのは使い物にならなかったなあ」
「何と、ウォルフ殿も最初は失敗しましたか。そうですか・・・それでどんな対策を?」
「徹底的に関節部分をシーリングしましたね。潤滑油が出て行かないように、外から砂などが入ってこないように」
「シーリング、ですか」
「そうです、ま、要は隙間に摩擦の少ない詰め物をして隙間を無くしちゃおうって位の考えですね」

 紙とペンを取り出して履板を接合するピンの概略図を描き、デトレフに説明した。ニップルと呼ばれる潤滑油注入口からシーリングの仕組みまで、ただの鉄の棒と思っていた部品に施された精密な細工の数々にデトレフは驚いた。

「これは・・・こんなにまでしているのですか、あの一本一本に・・・」
「そうですね。シールから油が漏れてきたら寿命なんで分解して交換整備することになります」
「これなら、まだ出来るかも知れない・・・ウォルフ殿、ありがとうございます。今すぐ工房へ戻って試してみます」
「あ、はい、がんばって」

 ウォルフが描いたメモを大事そうに懐にしまうと挨拶する間もあらばこその勢いでデトレフは帰って行った。
ただ、この時の彼はオイルが漏れない程の精度という物がどの程度かということを知らなかった。
おかげでこの後も彼は苦労を重ねることになる。



 デトレフの作った戦車が一応の完成を見せたのはこの三ヶ月後、花咲く季節になってからだった。
潤滑油を通す仕組みと強度とのかねあいでキャタピラはどんどん大型化し、ついには全長十五メイルを超える程の大きさになった。
メインの動力として風石を用い、回転盤から直接動力を繋いで土石を補助動力とすることで細かな操作も可能となった。最高速度も時速五十リーグを達成し、シーリングも多少オイルが滲み出す程度まで精度を高めることが出来たので耐久性は格段に増した。

 しかし、この戦車の二号機が作られることはついに無かった。
それはついに解決しきれなかったコストの問題だったり、製造に掛かる期間が長すぎることとか、大きすぎて街道や橋などの負担が大きく運用が難しかったりした為である。

 しかしデトレフは満足だった。砲を乗せたその車体は流麗で美しく、小さな部品一つ一つまでマイスターメイジの心意気が感じられる仕上がりだ。
大きくなったおかげで射程の長い大型砲を複数積むことが出来たし、こういった兵器は一台あれば抑止力として働くことが出来る。この偉容を前にしたらそれだけで敵などは逃げ出すに違いない。
実際に前線の兵士達には鉄を張り巨大な砲を積んだこの厳つい車体がとても頼もしい物に感じられるらしく、よく労いの言葉をかけられた。
 彼らがこの戦車にかけられた開発費を知った時にどういう反応を取るのかなどということはデトレフは知らない。それだけあれば竜騎士をもっと配備できたとか、戦列艦が建造できたんじゃないかとかそんなことは問題ではないのだ。

 「デトレフの戦車」この言葉は今後この国でムダに贅沢な物のたとえになるのだが、それも今のデトレフには関係のないことだった。ただ、今はこの巨大な機械を作り上げた満足感に浸っていた。




番外7   シャルルの騎士



 その日ガリア国第二王子シャルル・ド・オルレアンはリュティスにある産業省の一室で報告書に目を通していた。大きな椅子に深く腰掛け、片手で報告書を持ちながらもう片方の手は肘掛けをこつこつと叩き、頻繁に足を組み替えて苛立たしさを隠そうともしていなかった。
報告書の署名はガリア西部の有力貴族であるラ・クルス伯爵家の嫡男で産業省副大臣、レアンドロ・フェルナンデス・デ・ラ・クルス子爵である。

 シャルルが数年前にレアンドロをチームリーダーとして始めた魔法技術と非魔法技術とを融合し、新たな産業を振興するという試みは概ね順調に進んでいた。
ガリアは好景気に沸いていて税収も伸びているし、それは間違いなくこのプロジェクトの成果である。プロジェクトは単なる産業振興にはとどまらず、より効率的な技術を開発し社会そのものを変革しつつあった。
 今回の報告書でも既存のフネの横に伸びるマストを強化し、帆の張り方を工夫して航行方法を改善する事によって風石の消費量を二割削減したことが記されている。
風石が値上がりしている昨今、順次フネの改装時にこの新方式のマストを採用していけば国全体で削減できる風石費は相当な額になる。今すぐ採用したい案だ。

 ではなぜシャルルがこんなに不機嫌なのかというと今朝ここに来る前に読んだもう一冊の報告書のせいである。
こちらのレポートは産業省とは関係のないオルレアン公爵家の諜報組織がガリア貴族間におけるシャルルと兄王子ジョゼフの評価を調査し、まとめた物である。
 率直に言ってシャルルの評価は一連のプロジェクトを始める前よりも落ちていた。三年前は五割程の貴族が何らかの形で次期王に相応しいのはシャルルであると表明していたものが、今回の調査では三割にまで落ちてしまっている。兄王子ジョゼフの支持率は変わらず一割程度なのでシャルル支持派だった者が様子見に変わっているものと思われる。

 改革をまずは王領やオルレアン公領、ラ・クルス伯爵領で導入している為に、他領と発展に差が出来ていることで取り残された貴族達から不満が出ていると言うことは確かにあった。
しかしここまで決定的にシャルルの評判が下がってしまったのは一年程前にリュティスの王城であるヴェルサルテイル宮殿の西門を改修した時に起こった騒動のせいだと言える。

 最初は何気ない提案から始めた事業だった。産業省のプロジェクトでは非魔法技術を利用はするが、あくまでも魔法をベースにしているのでメイジは絶対に必要である。産業振興に使えるメイジの数を確保しようと、魔法を必要としない職場からメイジを融通することが提案された。

 件の西門はちょうど門の前を川が流れているので大型の跳ね橋が併設されている。その跳ね橋の上げ下げは大型のゴーレムを使ってメイジ三人が一つの班を作り、四班計十二人で運用していた。
その跳ね橋を目の前の川に設置した水車を動力として開閉し、平民が操作できるように改修したのである。そしてメイジ十二人を産業省に引っ張ってきて雇用しようとしたのだが、このメイジ達が産業省に勤務することを拒否した。
 彼らは皆二十年以上その職場に勤務して宮廷の門を守っていることに誇りを持っていたし、今更違う仕事に就くことに不安を覚えたのだ。
何とか説得しようと試みたのだが、メイジを産業省に取られることに対して強い不快感を示していた宮廷が彼らを守る為に積極的にロビー活動を展開しだした事で事態は混迷の一途をたどる事になる。

 曰く、シャルルはメイジの職場を奪い平民で代替し、人件費を抑えようとしている。
 曰く、宮廷の次は貴族達に領地のメイジを出せと迫ってくるだろう。もちろん変わりに領地に送り込まれるのは平民である。
 曰く、王が通る宮廷の橋というものはメイジが操作すべきであり、平民が触って良い種類の物ではない。

 上の二つなどはまったくのデマだし、宮殿を警備している傭兵にはメイジではないものも多い訳で三つ目も言いがかりでしかない。しかしその他にもあること無いこと色々と喧伝されてしまい、貴族達が宮廷の意見になびくような事態に至っては結局このメイジ達を引き抜くのは諦めざるを得なかった。
それどころか改修した橋を業者などの物品搬入用門として隣に新しくメイジが開閉する豪華な橋を新設する羽目となった。
 
 プロジェクトチームが成果を上げる度に一々貴族達が反発するようになったのはその後位からである。改革はうまくいき成果も上がっているのに評価は下がっていく。急激な改革の反作用というべき事態にシャルルはどうしたらいい物かと頭を悩ませていた。
レアンドロは実務的なことには優れているがはっきり言ってそのような政治的な事柄には疎い。兄ジョゼフなら解決策を思いつくのではと思ったが、シャルルのプライドが兄に教えを請うことを拒んでいた。
 このところは成果が見込めそうでも貴族達に気を使って採用を見送る事柄が増えていて、プロジェクトは停滞気味であった。

「ふう・・・今回の改善で軍の大型艦なら一人か二人の風メイジを風石の運用から外すことが出来る、か。レアンドロは気楽で良いな」
「はっ。軍全体で採用したら相当数のメイジを確保できそうですが、当然反発も激しくなるでしょう」
「下手をしたら軍その物を敵に回すことになりそうだな。代わりの職をちゃんと見つけてからでないととても発表は出来ないな、これは」
「軍で風石の運用に回っているメイジというのは、戦闘には向かなかった者が多いので軍で新しい職務を見つけるのは難しいでしょう。かといって産業省に連れて来るとなると、仰る通り反発が激しくなりそうです」
「華やかで名誉があって安全な職務ならみんながやりたがるが、そうそうそんなのは無いからな・・・となると考えられるのは新造艦、軍備拡張か。しかし、せっかくゲルマニアと良い関係になりつつある時に大金使って軍備拡張する意味なんて無いしな。ふう」
「シャルル様、副大臣への指示はいかがなさいましょうか」
「・・・とりあえず保留。レアンドロには指示が有るまで発表しないように伝えてくれ」
「畏まりました。ではこちらも保留・・・と」
「・・・今日はもう疲れたな。僕はこれで帰るよ」
「はっ、王宮の方でしょうか」
「いや、屋敷だよ。シャルロットの顔を見ないと倒れてしまいそうだ」
「お疲れ様でした。ごゆっくりとお休み下さいませ」

 まだ日は大分高いが、シャルルは家へ帰ることにした。結局今日決済した事案はほとんどが保留となってしまって精神的に疲れがドッと来た。
 何とかしなくてはならないとは思うがどうしたらいいのかが分からない。シャルルはふわふわとした気分のままリュティスのオルレアン邸の門をくぐった。
古き因習に囚われた貴族社会。それを打破したくて始めた事業だが、結局因習に押さえ込まれているのは自分の方だ。王になっていれば多少の反対などに気を使うことなく強引に事を進めることが出来るだろうとは思う。
 貴族達の顔色を窺わなくてはならない自分の弱さがシャルルはたまらなくいやだった。



「良くできました、シャルロット様。では次は『エア・スピアー』を覚えましょう。シャルロット様、『エア・スピアー』とはどのような魔法ですか?」
「はい、『エア・ニードル』の発展系で空気を固めて作った槍を杖からのばし、敵を貫くというものです」
「良く勉強してますね、正解です。『エア・ニードル』が杖にまとわりつかせて近接した敵に対して使用する魔法であるのに対し、『エア・スピアー』は槍ですので少し離れた敵も攻撃することが可能となります。また、慣れれば投擲することも可能ですのでもっと離れた敵も攻撃範囲に入ります」
「先生、長さ位しか違いがないように思えるのですが、わざわざ別の呪文を覚える必要があるのでしょうか」
「もちろんです。大剣と短剣では全く使い方が違うように魔法も詠唱時間や強さなど、その使われ方に最も適したスペルになっているのです。面倒くさがらずにちゃんと覚えましょう」
「はーい」

 オルレアン邸の中庭では風メイジによる風魔法の授業が行われていた。ちょっと前までは風の授業もレアンドロの長女であるティティアナも一緒に授業を受けていたのだが、水のメイジである彼女は授業について来られなくなって今はシャルロット一人である。
邪魔をしてはならないとシャルルはその様子を物陰から覗いていたのだが、久々に見る娘の成長ぶりに驚いていた。詠唱時間も短いし、『エア・ニードル』は十分な硬度がありそうで今すぐ実戦に使っても問題無さそうだ。子供の成長は早い。思わず今日一日の疲れを忘れ、シャルルはそのまま一時間も授業を覗き見てしまった。



「それでは、今日の授業はここまでにしましょう。次の授業までによく練習しておいて下さい」
「はい、ありがとうございました」

 ようやく授業が終わった。シャルルは随分と長い時間覗き見ていたことに気がついて苦笑しながらシャルロット達の前に姿を現した。さすがに風のスクウェアである家庭教師はシャルルのことに気付いていたと見え、驚くことはなかった。

「やあ、シャルロット!僕のお姫様は随分と魔法が上達したみたいだね、驚いたよ」
「父さま、お帰りなさい!」

 ここの所帰りが遅く顔を合わせない日も多かった父が、思いがけず早く帰ってきたのでシャルロットは喜んでシャルルに駆け寄ると、その勢いのまま腰に抱きついた。

「ははは、さすがは将来有望な風メイジだ、疾風のようなスピードだな」
「父さま、今日はお仕事もういいの?」
「ああ、何だか無性にシャルロットに合いたくなってね、全部ほっぽり出して帰ってきたよ」
「ふふ、父さまサボりだ」
「ああ、サボりだよ。はははは」

 シャルルはそのままシャルロットを抱き上げ、二人で笑いながらくるくると回る。家庭教師はそんな二人に軽く黙礼すると、そのまま黙って下がっていった。

「それにしても、あの『エア・スピアー』は本当に初めて使ったのかい?とても良いイメージで魔法を使えていたから驚いたよ」
「父さまずっと見ていたの?『エア・スピアー』は初めてだったけど、『ウォーター・スピアー』はパティ先生にもう教えてもらっていたから、同じ様なイメージで使えたの」
「何と!風メイジだっていうのに、もう水の魔法もそんなに使えるのかい。これは『ジャベリン』もすぐに使えるようになりそうだなあ」
「『ジャベリン』って氷の槍でしょ?パティ先生にも出来るようになるって言われた」

 嬉しそうにはにかむ娘を見ていると胸に溜まった澱のような感情が洗い流されていくのを感じる。シャルルはシャルロットを腕に抱き上げたまま室内へと移動した。

「父さま、もう下ろして?何時までも子供じゃないんだから、ずっと抱っこしているのは変」
「もうちょっと位、いいだろう。いくつになろうが君は僕のお姫様だよ」
「もう・・・」

 家族でいつも過ごす居間まで来るとようやくシャルルはシャルロットを腕から下ろした。ソファーの上にシャルロットを座らせ、自分もすぐ隣に腰を下ろしてシャルロットに向き合った。

「それで、他にはどんな魔法が出来るようになったんだい?」
「風系統はラインスペルなら大体出来るようになったし、水魔法もいくつかラインスペルが出来るようになったけど、土と火はまだちょっとだけ」
「すばらしいね。それだともうすぐトライアングルにもなれそうだ。楽しみだよ」
「でも、ウォルフはもっと小さい時からもっと凄かったってパティ先生が言ってた。もっと頑張らなくちゃ」
「・・・ド・バラダ先生は君とウォルフを比べたりしているのかい?これはちょっと、見過ごせないかなあ」

 楽しい時間にいきなり冷水を浴びせられたような気がして、シャルルの声は随分と冷たいものになってしまった。王族の者に魔法を教えるのに王族以外の者と比べながら教えるなど許し難い不敬である。しかもそれがウォルフのような尋常でない子供が相手とあっては、許容できるような事ではない。
突然無表情になった父にシャルロットは慌てた。常にウォルフと自分とを比べているのは他ならないシャルロット自身なのだから。

「父さま、パティ先生を怒らないで。ウォルフと比べているのは私なの。パティ先生はそれに答えているだけ」
「何で君がそんなことを・・・いいかい?シャルロット、ウォルフの事なんて関係ないんだ、君は君で素晴らしいメイジにきっとなる」
「私は、誰よりも強いメイジになりたい。ウォルフよりも。だから先生にもウォルフのことを色々教えてもらっているの」
「何でそんな・・・君は僕のお姫様なんだから、そんなに強くならなくても良いんだよ?」
 
 誰よりも強くなりたいだなどと言い出したのが息子ならばシャルルも喜んだであろうが、シャルロットはまだ八歳になったばかりの少女である。その台詞には随分と違和感があった。
 しかしシャルロットは本気である。シャルルを真っ直ぐに見つめたまま自分の思いを告白した。

「私は誰よりも強くなって、騎士になる。父さまの、シャルル・ド・オルレアンの騎士に」
「え、騎士? シャルロットが騎士になるって言うのかい?」
「父さまが笑っていると私もうれしい。父さまの笑顔は世界一素敵なのに、最近は前みたいに笑ってはくれない。私は、父さまの笑顔を守りたいと思う」
「シャルロット・・・」
「どんな敵にも負けない。全ての敵を打ち倒し、父さまを守ってみせる・・・だから、だから父さまはいつも笑っていて?」

 小さな首をかしげてシャルルの事をまっすぐに見つめてくる。シャルロット・エレーヌ・ド・オルレアン八歳の誓いを受けた父は感極まってその小さな体を抱きしめた。

「ああ、シャルロット、君が僕の騎士になってくれるというのならば、僕はきっと百万の敵をも打ち破ることが出来るだろう! 僕の理想をこのハルケギニアに打ち立てるのにこんなに心強い味方はいないよ!」

 言葉にすることはなかったが、シャルルは腕の中の小さな騎士に誓う。絶対にガリアの王となり、素晴らしい国を作ってみせる事を。



 この日以降、シャルルの方針ががらりと変わり、プロジェクトはこれまでの自粛ムードから一転して攻めに転じるようになった。
次々に新たな改革を発表し、強引とも言える手段でそれを実行する。沸き上がる反発にはシャルルが率先して対応し、シャルルに好意的な貴族には誠心誠意プロジェクトの目指すものを説明して納得して貰い、そうではない貴族には手段を選ばず押さえて回った。
表には出せないようなことにも手を染めたが、シャルルがそれを後悔することはなかった。
 自らの目指す道を信じ、次々に断固たる態度で改革を実行していく姿に、人々は再び次代の王の姿を見るようになった。反発も当然強かったが一部では熱狂的にシャルルを支持する貴族達も現れ始め、この貴族達はオルレアニストと呼ばれ公然とシャルルの改革を支えるようになった。

 人々は言う。シャルルが王座へと続く階段を上り始めたのだ、と。


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