「ユリウスのサーヴァントの正体がわかったわ。アサシンの真名は『李書文』。中国拳法史に名を刻む武術家で、神槍なんて二つ名で呼ばれるほどの達人中の達人よ」
「彼の透明化の秘密は、その武術の技能にあります。『圏境』と呼ばれるそれは、気を用いて天地と合一し、その姿を自然に透けこませることによって姿を消す……というよりは認識できなくするといったもののようです」
「技術でその域に到達するなんてホントとんでもない奴……でも、正体が知れれば対策なんていくらでもたてられるわ。というわけで、はいこれ」
「それは私とリンが作成した設置型礼装です。気の流れを反転させる対精神トラップ。いかに武道の達人といえど、その罠に触れれば圏境の維持は不可能でしょう」
「透明化はそれで打ち破れるわ。……本当はもっと数を用意したかったんだけど、流石にこの短い時間じゃ一つしか作れなかったの。最初で最後のチャンスよ、必ず成功させなさい」
「全ては貴方次第です、ナカオ(仮)……御武運を」
「ちゃんと帰ってきなさいよ!……待ってって、あげるから」
――超一流ってすごい。
「にゃんにゃのあの子ら。マジパネェ」
むせ返るような緑の匂い。
汗ばむ湿気を切り裂くように密林の中を走る。
ユリウスとの決闘が始まり、まず行ったことは距離を取る事。
罠を設置するにも誘導するにも時間が必要だった。
故に、開始直後に敵がいるであろう方向とは逆に全力で走り出した。
生い茂った木々や草花は、走る行為を阻害するとともに、掠めるたびに細かい傷をこちらに刻んでくる。
ネコのワープを使えばもっと容易に移動できたであろうが、今回の作戦では魔力が必要不可欠なのだ。
そのため、少しでも消費を下げるためにワープはまだ使用していない。
10分ほど走ったであろうか、植物の濃い匂いと纏わりつく湿気のせいで普段以上に息が乱れている。
それなりに距離は離せたであろうか。
急ぐ足を緩め、少しずつ速度を落とす。
――罠は既に設置した。
これまでの移動は、その軌跡を隠していない。
邪魔な草花を無理やり掻き分けた跡や、踏みしめた足跡等はそのままに残っている。
仮にユリウスがこちらを真っ直ぐに追いかけているのならば、良し。
罠を確実に踏むルートだ。
だが、迂回しこちらを囲むようなルートならば一手、策を弄す必要がある。
そのための布石は既に打ったが、博打要素が強いことは否めないので、できれば正面から来て欲しいものだが――
『少年、敵が来たにゃ!』
頭に響くネコの声に、乱れた呼吸を少しでも正そうと深呼吸をする。
ネコは今、この戦いに勝つための作戦の一環として、俺とは別行動を取っている。
そのため、必要なやり取りは念話で行うことになっている。
――方向は?
短く問いかけるとすぐさま答えが返ってきた。
『正面!ニャロウ、余裕綽々にゃのかゆっくり歩いて、しかも少年の走った跡を真っ直ぐきてやがるにゃ!』
それは油断、というよりは格下を見下す強者の在り方というべきか。
明らかに舐められているが、それは願ったり叶ったりだ。
正面から来るというのであれば、それは最上の結果だろう。
――ネコ、作戦通りに。
『にゃ!』
いつものように鳴き声とも返事とも取れる言葉を最後に、ネコとの念話が途切れる。
これからアイツに必要なのは時間と集中だ。
だからこそこの場面、単独で時間を稼ぐ必要がある。
礼装『遠見の水晶玉』に魔力を流し、戦場の地図を生成する。
自分から離れた場所にユリウスの存在を確認する。
地図上にはユリウスの反応しかないことから、アサシンの『圏境』は魔術をも凌駕することがわかった。
一瞬、ユリウスとは別行動をしているのではないかと背筋が凍るが、地図から読み取れる情報から、そこには二人いるという確信が持てたので安堵の息を漏らす。
深い密林の生い茂った葉が、何かが通ったことを示すように揺れていることが、地図から読み取れたのだ。
透明化のスキルはこちらの認識や魔術すらも誤魔化すが、歩いた地形の変化までは覆い隠せないようだ。
なるほど、圏境は精神や魔術からは身を隠せても、さすがに物理法則は凌駕できないのか――?
などと考察してみるが、そもそも生い茂る木々程度の障害に、アサシンほどの達人が苦慮すること自体がおかしいという結論に辿り着く。
一見完璧に隠しているようで、その実、隙を『わざと』作っている。
おそらく、俺達を試しているのだろう。
遠坂とラニから聞いた話では、アサシン――李書文――は強さを求める求道家としての一面を持っているらしい。
つまり奴は、更なる高みへ至る為の敵を欲しているのだろう。
マスターであるユリウスの指示に従い姿を消しているが、巧妙に小さな隙を作り俺達が敵足りえるか試している、ということなのだろう。
そんな考察を続けている内に、ついに敵が視界に映る程に近づいてきた。
「……」
『む?追いついたようだぞユリウス』
遠目に見ても尚わかるプレッシャー。
未だ遠方にあるというのに、既に敵の射程圏内にいるのではないかと思わされるほどの威圧感。
『はてさて、どんな足掻きがくるか、楽しみよのぉ』
姿は見えない、だが、確かにいる。
アサシンの存在を確信し、懐から取り出した礼装『守り刀』を握り締める。
自身に満ちる魔力を流し、その効力……相手のスキルを阻害するコードキャストを放つ――!
「スキル阻害だ、避けろ」
『呵呵!面白い芸当だが、見当違いだぞ小僧!』
放ったコードキャストはアサシンに当たらず、返ってきたのは嘲笑のみ。
まずは一手、呼び水。
この一撃をこちらの切り札と思ってくれれば――!
「スキル阻害――ふん、アサシンの透明化の秘密を見破ったか?だが、当たらなければどうということは無い。殺せ、アサシン」
『やれやれ、此度の闘争もあっけないもの、か』
来る。
次はアサシンの攻撃が来る。
もはや敵足り得ないと断じられたのか、さきほどまであった草木の揺れという隙もなくなった。
だが、アサシンという脅威が間違いなく近づいていることは今までの死闘の経験が教えてくれる。
一歩、また一歩と正面から近づく姿無き敵。
その歩みを拒むようにコードキャストを放つが、当然のように当たらない。
だが、本命は『守り刀』にあらず。
俺の正面に設置した罠。
その領域を踏み込む瞬間を命を賭して待つ――!
しかしてその隠した必殺の刃は――
「コードキャスト――燃えろ」
ユリウスの放ったコードキャストによって、いとも簡単に露にされた。
「アサシン、その燃え上がった範囲が罠だ。――小賢しい」
『呵呵!良く言う!そうなるように仕向けたのはお主だろうに!呵呵呵呵!』
仕向けた、その言葉にユリウスの策に嵌ったことを思い知らされた。
そもそもおかしかったのだ。
確かに、遠坂とラニは一流、それも超一流と呼ぶに相応しい魔術師だ。
だが、ユリウスは暗殺者として闇を渡り歩いた隠密のプロ。
そんな存在の情報がこうも簡単に手に入る、それ自体が疑うべきことだったのだ。
つまり、ユリウスの狙いは――
『あえて情報を掴ませ、希望を抱かせた後に希望そのものを踏み砕いて絶望に変える、か。呵呵!いやいや、中々の悪辣さよ。呵呵呵呵!』
「黙れ、アサシン」
そういう、ことなのだろう。
こちらの策を誘導し、その策を打ち砕くという誘い。
それこそがユリウスの描いた脚本ということ――!
「絶望したか?恥辱にまみれたか?貴様にはその項垂れた姿こそが相応しい。地に堕ち、泥に蹲って死ね。俺の手でその命を踏み砕く」
ユリウスが近づいてくる。
自身の手で決着を付けるつもりなのだろう。
殺気を身に纏い、俺を殺そうと殺意の刃を振り上げる。
「――死ね」
向けられた言葉。
それが未来。
訪れる結末。
あぁ、本当に。
なにもかもが。
――読み通りだ。
『少年!準備完了!』
その言葉を待っていた。
今までに溜めに溜めたこの言葉、今こそ高らかに世界に叫ぶ――!
――ネコ!お前の宝具を開帳しろ!
『にゃふー!』
世界が変わる。
異変を察知したユリウスの攻撃よりも、アサシンの一撃よりも尚早く。
一瞬という刹那すら凌駕し、それはさも当然に、まるで初めからそうであったように自然に、世界は『そうであった』と、姿を現す。
「これは――!」
ユリウスが初めて焦りを言葉に出した。
今、彼の瞳には映っているはずだ。
決闘場の生い茂った熱帯雨林ではなく、風が吹き抜ける果てしない草原が――!
木々は草原に、湿気は風に。
偽りの天は、星が煌く満月の夜天へ。
無限を謳う白亜の城が、その存在を世界へ示す。
「にゃっふっふ。おどろきもものき幾星霜。その節穴の目ン玉かっぽじってよく見やがれ!これぞ我が宝具!『そこはかとなくすごい城』にゃ!」
――もっと相応しい名で呼んであげて。立派なお城が泣いちゃうから。
別行動をしていたネコが、さも当然とばかりに俺の隣にいる。
いや、正確に言うならば、俺がネコの隣に居る。
つい先ほどまでユリウスの傍に居た俺は、世界の変動と共に移動し、草原にそびえる城の中、玉座と思しき場所に座るネコの隣へと立っていた。
対して、ユリウスとアサシンは城の外、まるで巨人と戦うことを想定したような巨大な城壁の外に立ち尽くしている。
別行動は、このためだった。
ネコの宝具を使用するための単独行動だった。
世界の姿を変えるこの宝具は発動までに尋常じゃないほどの魔力と集中力を要する。
本来は使うことにそれほど苦労するものではないらしいが、俺という未熟なマスターでは展開も中々に難しいとネコから聞いた。
だからこそ俺は単独で行動し、ネコの準備を邪魔させないために時間を稼ぐ必要があった。
そのためにわざと策に嵌った振りをして、少しでも時間を稼いだのだ。
「世界の改変だと!?」
驚愕の声が、まるで傍で発せられたかのように身近に聞こえた。
おそらく、この世界『そのもの』となったネコと主従関係にあるためか、世界に聞こえる音は、どこであろうと感知できるようになったようだ。
そして、その恩恵は音だけにとどまらず、俺は城の中にいるのに、ユリウスとアサシンの姿を思考の中に捉えることができた。
「まさか、固有結界とでもいうのか――!」
驚愕し、狼狽する姿が手に取るようにわかる。
だが、驚くのはここからだ――!
『む!?うおぉぉぉぉっ――!?」
「アサシン!?」
姿、気配、匂いすら。
その全てを覆い隠していた究極の技術『圏境』が破れる。
橙の中華服を着た、燃えるような赤い髪をした男性の姿が露になった。
「く――ははははははははっ!なんと!このような方法で我が圏境を破るか!」
「何事だアサシン!」
「大事だ!儂の圏境は気を持って天地と合一し透けこみ混ざる!それをあやつら、儂を天地――世界から拒絶しおった!合一する相手に拒否されては圏境などに至れようか!くはははは!」
「世界から拒絶……!?」
「おうよ!こうなっては姿隠しなど不可能!儂とて初めての経験よ!いやぁ見事!御見事也!」
これこそがネコの宝具の真骨頂。
宝具、その真髄は世界と一体化し、空想のままに世界を変貌させること。
ネコに宝具の効力は本当に観光しかできないのかと詰め寄った結果、なんとか引き出した情報だ。
アサシンの情報がユリウスの罠であると思い至ったときから、遠坂とラニの用意してくれた罠一手だけでは危険だと判断した。
だから、ネコの宝具とアサシンの情報を刷り合わせたとき、圏境を破る方法を思いついたわけだ。
まぁ、ネコ曰く、ネコの宝具は本来なら『自然』に対してのみ有効であり、人工物であるムーンセル・オートマトンには作用しないが、ムーンセルの世界を改変する演算力によって作られたこのセラフは、もはや本当の世界そのものといっても過言では――うんぬんかんぬん。
要するにちゃんと使えるか不安だったけど、このまえの初お披露目で試してみたら大丈夫っぽい、というやや不安なネコの言葉を信じて作戦の主幹としてこの宝具を使った。
そして、この大掛かりな宝具を使った理由がもう一つある。
――アサシン!いや、李書文!
「おう、なんだ小僧!愉快な体験感謝する!次は何を見せてくれるのか!」
世界と一体化したネコを通じて、俺の声は外に響いたようだ。
呼びかけに対して、アサシンは嬉しそうに応えてくれた。
そのアサシンに対し、挑発をくれてやる。
――この世界は俺のサーヴァントが一体化したもの、つまり!お前の敵は世界そのものだ!原初にして全、その存在に恐れずして掛かって来い!
「――――!」
挑発に返答は無い。
だが、歪んだその表情。喜悦を刻んだ口角は、アサシンの心情を如実に示す。
李書文、武を極めようと人生を捧げた男。
その男にとって、これほど挑み甲斐のある敵はいないはずだ――!
「ユリウス、儂は言ったな。何を殺すかはお主が決める。だが、どう殺すかは儂が決めると」
「アサシン、待て……!」
「待たん!世界、世界が敵か!くはっ――くハハハハハ!愉快、愉快だ!物、人、獣、自然、あらゆるものを壊してきたが世界を壊したことは未だ無い!英霊なぞに『成り果てた』甲斐があるというもの!儂は……俺はまだ挑戦者でいられるのだから――!」
ユリウスの制止を振り切りアサシンは走る。
草原の草花を揺らすことも無い静かな歩法。だが、常人を遥かに上回る速度を持って城壁へと迫る。
いっそ感嘆を抱くような美しさすら感じる構えから放たれるは、常軌を逸した破壊の拳。
音を置き去りにするような速さと、全てを砕くような苛烈さをもって、城壁へと拳を叩きつけた。
まるで、恐るべき硬度持った鋼同士がぶつかったような硬い音。
本当に人の拳がその音を奏でたのかと、実際に見ていながらもそう疑問を抱かざるをえない爆音が響く。
打ち付けられた拳の先が石で作られた壁ならば、もはや原型を留めないほどに破壊されるだろう。
だが、先の至高の一撃を受けて尚、この城の城壁は傷一つ付いていなかった。
「ぬぅ!?」
それとは逆に、アサシンから苦悶の声が漏れる。
打ち付けた拳、その鋼の如き鍛えられた武の結晶から、夥しいほどの血が流れている。
当然だ。
この城の城壁はただの石などではない。
それは、世界そのものなのだ。
あらゆる意味で重みが違う。
アサシンが挑むのは、真実、世界そのものなのだから――!
「くはっ!足りぬか!いやぁ、滾る、滾るぞ!二の打ち要らずなどと呼ばれたが、必要ならば二撃三撃続けよう!やはり挑むならば雑魚ではなくこうでなくては!」
一撃で拳が壊れるほどに傷つきながら、アサシンは止まらない。
一撃、二撃、三撃、終わらない演舞を続けるようにただ拳を叩きつける。
「ちっ――!」
ユリウスから舌打ちが漏れる。
指示を聞かないアサシンに苛立っているのだろう。
これこそが、ネコの宝具を使用した第二の理由。
求道者たる側面を持つアサシンにとって、世界などという巨大すぎる存在に挑むことは欲して止まないものだろう。
それこそ、マスターの指示に逆らう価値があるはずだ。
それに、先ほどのユリウスとアサシンのやり取りを見る限り、アサシンはユリウスに逆らわずにかつ自分の欲求を満たすという方法をとっている。
誰を殺すかはユリウスが決め、どう殺すかはアサシンが決める。
つまり、『俺』を殺せとユリウスが命じ、そのために『邪魔な障壁』を今壊しているということだ。
そこに、マスターの命令との矛盾はない。
ユリウスからすれば詭弁もいい所だろうが。
これでは令呪による制御も難しいだろう。
『従え』と命令しても、先ほどの解釈から今も従っているアサシンにとってさほどの重圧にはならない。
『止めろ』などという命令に貴重な令呪を使えるはずもない。
だからできるとすれば――
「令呪をもって命ずる!アサシンよ、その壁を砕け――!」
「応!委細承知!」
――全力の支援のみだ。
令呪を使った後、ユリウスはアサシンを眺めながら動かない。
何かを考えているようだ。
「……これほどの固有結界、そう長い時間は持たないはずだ。奴の魔力量は精々一流止まり。魔力が尽きればこの世界も元に戻る。その時が貴様の死だ――!」
確かにそれは一理ある。というかまさにその通りだ。
この宝具は極めて燃費が悪い。
事実、最初の使用ではネコの魔力を使いきり、俺の魔力もすぐに尽きた。
絶好調の状態で使用しても、精々2分、いや1分持つか持たないかぐらいだろう。
だがそれは、何の工夫もしない素の状態で、だ。
俺が何の手も打たないとでも思ったかユリウス。
城の外にいるお前には見えていないのだろう、この宝具を維持するための手段が。
俺がアサシンを挑発してから一言も喋らない理由がわからないだろう。
そう、俺が魔力を維持するため、一言も喋らずに行っているこの行為こそが必勝の一手だ。
これこそが我が奥の手――
――激辛麻婆豆腐(魔力小回復)だーーーー!!!
まさか購買部に戦場で食べれるお持帰りマーボーが販売されるとは。
神父はいつかの約束を守ってくれたのだ。
そう、俺は今、遠坂・ラニの用意してくれた罠を利用し、桜のくれた礼装を利用し、神父の約束のおかげで立っている。
皆の紡いでくれた絆のおかげで立っているといっても過言ではない。
こんなにも嬉しいことがあろうか。
俺は皆に感謝し――マーボーを食べるのだ。
「ねぇどんにゃ気持ち?必死こいて殴ってるのに傷一つつかにゃいってどんにゃ気持ち?」
「くはははははははは!滾る滾る!血が!肉が!年老い、なにを悟った気になっていたのやら――世界は広い!」
「やだこの爺。まるでへこたれにゃい」
ネコは全力でアサシンを煽りにいっているようだ。
望んだ形になってきた。
こうなれば戦闘ではなく、我慢比べだ。
この形こそ俺の望んだ光景だ。
そもそも今回は、まともな戦闘など挑んではいけなかった。
超絶技巧を持つアサシンと、マスター自身が高い戦闘力を持つユリウスのコンビは、俺達にとってまさに天敵だった。
ネコがアサシンと戦っている間に、俺がユリウスに殺されるからだ。
今までの敵と違い、マスター自身も恐るべき脅威である今回の決闘は、そも戦闘の形になった時点で俺達の負けだった。
どうにかして通常の戦闘という形を避ける必要があった。
ネコの宝具とアサシンの性格を利用し、耐久力勝負に持ち込むことができてこそ、勝機があるというものだ。
あとは簡単だ。
残りのマーボーを食べつくし魔力が切れるのが先か、アサシンの拳が潰れるのが先か。
ユリウスもただ座して待つことを止め、コードキャストでアサシンの筋力強化や治療に専念している。
さて、どうなるか。
先は見えないが、俺にできることはただ一つ。
ひたすらにマーボーを食べ続けるだけだ――!
蓮華を持つ。
その赤という言葉ではもはや足りない赤。
ぐつぐつ煮えたぎる熱。
鼻をくすぐるどころか穿つような刺激臭。
是非も無し。
口に含めば爆発し駆け巡る衝撃は黄金の旨みすなわちギャラクシー!
「いいぞ、若返るようだ!愉快愉快!」
「このハッスルお爺ちゃん元気すぎるにゃ!笑いながら血が噴出す拳で殴り続けるとかマジホラー。少年!ここはにゃにかいやがらせをすべき――」
おいおい、なんだこの真っ赤な食卓は。
え?DDの食卓?
ふっ、その招待受け取った。
フルコースだろうが満漢全席だろうがもってこい。
全て飲み干してやるぞ角娘――!
――すごく、まずいです。
デザートはクッキー?
やだ、このクッキーボロボロに砕かれてるんですけど。
一生懸命砕いた?
それ料理に使う言葉じゃないよね。
まずはその馬鹿でかい篭手を外すところから始めてはどうだろうか。
え?押し潰す?
――『どこ』で『挟み込ん』で潰すのか語ってもらおうか!
口直しにジュース?
すごく、ドロドロしてます。
一生懸命溶かした?
はっはっは。何を溶かしたのか正直に言いなさい。
先生、怒らないから。
――溶けて一つになろうとかスライム的な求婚はいやだー!
「にゃーーーー!?少年が変な扉開いちゃってるにゃー!それ裏側だから!まだ逝くには早いにゃ少年ー!」
脳裏走る電撃はネットワークを駆け巡り新たな扉をオープンザセサミ――!
「にゃにこのバッドトリップ!?マーボー?マーボーのせいにゃの?帰ってきて少年ーー!」
「我が八極の果てを見よ――!」
ズドン、そんな重たい音に意識が戻った。
今までの爆発するような音とは違う、まるで沈むような重い音。
意識をアサシンに移せば、そこには白く荘厳な城壁に、まるで蜘蛛の巣の様な巨大なひび割れが出来ていた。
まさか、アサシンの拳が勝った――!?
「呵々……いや、中々に、心躍る、套路であった……」
だが、世界という壁を砕いた拳士の姿は、勝者というには程遠いものであった。
右の拳、その肘先はもはや無い。
光に霞み、空間へと消えて逝く。
その姿は何度も見た、敗者の姿。
――ネコ。
呼び声に頷きを返した相棒。
その数瞬後に、世界は姿を変え、元の熱帯雨林へと戻る。
そして、俺達とユリウス達の間には――勝者と敗者を隔てる半透明の壁。
「いまひとつ、届かず、か……いや、世界というのは身近にありながらも遠いものよなぁ……」
瞳を閉じ、中天を眺めるように仰ぐアサシンの表情は、全てをやりきったような晴れ晴れとしたものだった。
「あぁ……遥か、昔……拳を初めて握った時を思い出した……そうか、挑戦者とはこういうものだったな……くくっ、悪くない……」
嬉しそうな笑みに邪気などなく、その声はまるで輝かしい未来を夢想する少年のような幼さを感じる。
「侘びはせんぞ、ユリウス。だが礼は言おう。お主との旅路、儂にとって悪くは――否、良きものであった」
ユリウスを真っ直ぐに見つめるアサシン。
大地へと座り込み終わりを待つその姿は、実に堂々としたものであった。
それに対しユリウスは――
「……どうした、お主――!」
アサシンの驚愕の声。
その先には、脂汗を大量に流し、バチバチと紫電を纏ったユリウスの姿。
何を――!?
「……死ねん!俺はまだ、死ねんのだ!このようなところで!このような結末など――!」
「お主……」
それは、世界への反逆だった。
ムーンセルというこの世界の創造主が決めた絶対のルール、死の判定に対する反抗。
幾つものコードキャストを行使しているのか、ユリウスの周囲に魔力が溢れ、形成され、霧散する。
その行為は多大な負荷と苦痛を与えているのだろう。
今までの冷静な姿も冷酷な瞳も、もはや無い。
歪み、苦しむ姿だけが見て取れる。
ユリウスはまるで何かに祈るように手を伸ばし――
――咄嗟に、その手を取ろうと自分の手を伸ばしたところで、彼は光に消えた。
これが、決着。
何度も見た結末。
「……少年」
俺を案じるようなネコの声。
俺は、後悔、しているのだろうか。
彼は、今までの対戦相手と違い、始終俺に殺意を持っていた。
それに、彼とは話す機会もなかった。
彼は、ユリウスはいったいどのような人物なのか知らないまま戦った。
それでもこの心の内に残る後悔。
きっとその正体は――ただ一人、同士となれたかもしれない男に対する憐れみなのだろう。
彼の終わりの姿は、俺の終わりの姿だ。
あんなにも悔しそうに手を伸ばすその姿は、俺の未来だったのだ。
彼が手を伸ばした先、その先に何を求めたのか、きっと俺だけが理解できる。
だから、ここで歩みを止めることはしない。
この歩みの先、未来が俺にあるとするのならば。
いつかきっと彼の墓前へ行くのだ。
そして、その墓前に捧げよう。
俺と彼が求めたもの、希望という名の『アレ』を。
この歩みは決して止めない。
そう――
ユリウスの墓前に本物のAVを供えるために進み続けよう――!
「それとどめの一撃にゃ」
【 五回戦終了 8人⇒4人 】