拝啓、ツラツストラ / グッドモーニングアメリカ
織斑一夏は、不安だった。
もし俺が自伝を綴るとして、幼少期にサブタイトルをつけるのであれば、その一文に間違いないだろう。
それぐらい、当時の俺は不安だった。
あれは何歳だっただろうか。
思い返せば、それは小学校に上がる前だった。
今から一〇年以上前、四、五歳くらいの織斑少年はなにがそんなに不安だったのか。
毛も生えていない身分で、なにをそんなに恐れていたのか。
それは、今でも覚えている。
── 一夏くんは、きっと他所の子なのよ。
俺の家、織斑家には両親がおらず、かわいいかわいい一夏くんは姉に育てられていた。
織斑千冬。
のちに最強・ブリュンヒルデの名をほしいままにする、武力の極峰。
そんな武威の王冠を頂くに値する傑物はやはり幼少時においても突出しており──幼少とはいっても『そのとき』の織斑少年を主軸にするに、彼女はすでに高校生であったが。しかしてとかく、少なくとも。齢一六程度の娘っ子の時分にでさえ、織斑千冬は他者との敷居を幾重にも画していた。
それは武威であったり。それは美貌であったり。それは知恵であったり。それは人間性であったり──それらひっくるめて極上である。いやさ、美貌や人間性なんて格付けすることは困難だし、知能とやらに至ってはさらに度を越した兎さんが身近にいたりもしたが、けれども無論それらが一般ピープルにもおよびもつかない程度に優れていたのは事実である。
世界震撼させる英雄であることに変わりなかった。
ゆえに、ブリュンヒルデ。
後に連なる英雄らの先駆けとなった、女傑。
さもすれば言わずもがな、織斑千冬は素晴らしい人物であった。世間一般の評価は無論のこと、ごく身近なご近所付き合いのなかだって、彼女を批難する言葉は見つからない。むしろどう賞賛すべきかと思案を巡らすことに暇がないほどだ。
素晴らしき姉、誇らしい姉を持つ織斑少年は、その威光に照らされて生きてきた。
眩しい光に照らされ──その光の強さの分、影を落として。
──お姉さんはあんなに立派なのに、まるで女の子みたいね。
誇らしい姉とは裏腹に、当時の一夏少年にはなにもなかった。
なにもできなくて、なにもなかった。
弱虫で、臆病で、泣き虫で、人見知りで、それだけの少年だった。
他人に誇れる美点に加えて、目だって指摘できる欠点を列挙するにも窮してしまうくらいに、『無い』という事実すらもってない。空虚、伽藍。空洞。箸にも棒にも引っかからない。未完成だとかいう未来に託せる白紙ではなく、欠損が見られる赤紙でもなく、日光で変色した古紙でもなければ技巧を凝らした折り紙でもなく。強いていうなら、カバンの底で端の折れてしまった学校のプリントのように、その程度のそれだけの子ども。
だからだろうか。
この誇らしい姉に相応しい、『オリムライチカ』の存在を幻視するようになったのは。
なにもかもを上手くこなし、誰からも愛される。
この姉にしてこの弟ありと、疑念の余地なく納得させられる。
そんな『可能性《オリムライチカ》』。
そんなモノが瞼をチラつく様になってしまい、いつの日か、俺は自分の貌が見えなくなってしまった。
子ども特有の妄想だと笑い飛ばせるだろうか。
ちょいとばかし早い思春期恒例の悩みだと、揶揄できるだろうか。
寂しさを感じた子どもは、ときとして想像力だけで『空想上のお友達』すら創り上げてしまうことがある。
お気に入りの人形に名前をつけてままごとに興じる、一人二役の遊戯じゃない。正真、ただ己の想像のみで、心のみで夢想し幻想する、非実在性の大空想。時にそれを霊感だなどと誉めそやし、大人になってからスピリチュアルなどと呼称したがるが、これはなんのこともなく、いよいよどうしようもなくなってしまった幼い心が決断した、脆く悲しい結果なだけ。
本来、心を守る機能だ。
自我を守るため。健やかな成長を阻害しないため。ある程度の精神的成長を迎えた方々からしたら気味の悪いこと請け合いだが、その実そうした心の動きってやつは、概して健常な機能だといって差し支えさえなかろう。程度の違いこそ確かにあれ、それは人が人であろうとする真摯な機構に変わりないのだから……それが。
それが、己と存在を隔離し保身と走った。走ってしまった。
己を肯定するためじゃなく。
ただその心を、否定するために。
俺は、俺自身に『可能性』の仮面を被せたのだ。
だがきっと、これは周りの大人が彼個人を受け入れてあげれば。
彼の姉が、親がいない責任感から厳しく接しすぎなければ、そう肥大化する問題ではなかったのだ。
周囲の環境は幻視を増長させ、収入を稼ぐ必要のある姉はますます一夏との時間がとれなくなった。
悪循環は得てして、取り返しのつかない水際まで発覚しないのが常だ。
救いはなく慈悲もなく、心を病んだ一夏少年はそのまま大人になり、千冬は守るべき弟の疵に気づけなかったことを悔やみ続ける。悔やみ悔やんで慟哭の鬼哭にさんざ泣き、殺して殺して殺し続ける何処にも辿り着かない流れ星の結末がきっと産まれたことだろう。
これは、そんな面白くもない話をアッサリと塗り替えた、今も強く一夏少年の心に焼きつく、一人のヒーローとの思い出話である。
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────始めに貰ったものは、名前だった。
「おまえ、名前は?」
保育園の敷地内。いつものごとく草葉の影に隠れていた俺は、珍しく声をかけられた。
いやな視線を向ける先生方や、根暗で俯きがちの辛気臭いクソガキを虐める同世代から逃げることに必死だった。
それが簡単に見つかってしまった。
「かくれるの、上手いな。上からじゃなきゃ見えなかったぞ!」
侍みたいな高い位置で結った髪、快活な声。木の上に立つ、少し変わった喋り方をする女の子。
颯爽と、日差しを背負って覗き込まれた。
「名前はなんと言うのだ?」
「……イチカ」
「そうか。なら『いっぴー』だな! わたしはどうにも隠れんぼが苦手でな、友達になってくれ!」
ただそれだけの簡素なやりとりであり、忘れられない俺の思い出。
あのときの想いを、どう表現すればよいだろうか。
ヤケにひり付くのどと錆の固まった声帯。自らの名前を明かすというだけの単調動作は、久方ぶりすぎてあまりにも現実と乖離していた気がする。苗字を言えなかったのは彼女と同じ性を持つことの後ろめたさか、あるいは己の卑小さに耽溺していたゆえか。いずれにしろ誰よりなによりイチカこそがほかのすべてを差し置いてイチカの価値を見出しておらず、その末に搾り出した『イチカ』という響きの空疎さは、けれでも相手方の女の子にはなんら意味を持たなかった。
だから己を『いっぴー』と呼称してくれたその瞬間を、なんとすればよかったか。
隠れるのが上手い、と。
友達になってくれ、と。
認められて、請われた。
『オリムライチカ』ではない俺に、俺の価値を認めてくれた。
『織斑千冬の弟《オリムライチカ》』でしかない俺を、個人として認識してくれた。
他の誰かなんかじゃない。俺に。此処にしかいない俺自身に。
誰しもがあの女傑のお荷物だと汚点だと、―――いらない子だと。
そう蔑むなか、オリムラでない名前をくれた。
ただそれだけ。たったそれだけ。だけど。
俺はギャン泣きし、男勝りで有名な『ほうきちゃん』は先生からイジメの容疑をかけられお叱りを受けた。
そう、あの日。
きっと。
きっと誰にも伝わらない。だけど。
俺は、救われたのだ。
────次いで貰ったものは、勇気だった。
ほうきちゃんと友達になった根暗クソガキこと俺は、どこにでも連れ回された。
行く先々で冒険し、ときには俺を苛めてたやつとほうきちゃんが喧嘩し、稀にイタズラに勤しんだ。
彼女が先頭、その影に俺。けれどもその日陰は極光に晒される隔絶の黒なんかでは到底なくて、柔らかで。暖かい日陰の、なんと清々で明々な色彩だったろう。ほうきちゃんがもたらす色合いは、景色は、ただただ煌々と照らし尽くすだけの白じゃない色彩は、いつだって小さな男の子のキャパを超えて行った。
毎日が楽しく、毎日ほうきちゃんへの憧れを募らせていた。
先陣を切るその後姿に。追随するその黒髪に。切っ先を思わせるその言霊に。
『勇者《ヒーロー》』を思わせる、その在り方に。
決定的だった、ある日を思い出す。
「イッピー、おまえはオトコの癖によわいからダメだ。わたしが鍛えてやる」
そう告げられほうきちゃんに連れてこられたのは篠ノ之流の道場で、俺は千冬姉を見た。
偉大なる姉が遺憾なくその聡明さを発揮したのは武道であり、とりわけ『剣』であった。
しかしながら根暗だけにとどまらず臆病で弱虫だった一夏少年は、千冬姉が剣道をしていたことは知っていても、取り組む姿を終ぞ見たことがなかった。少なくともその頃は、武が持つ精神だの理念だのはまったく理解できないし、ただただ野蛮に思えて興味を抱くことさえなかったわけだ。その日までは。
圧倒、された。
竹刀を繰る実姉、満ち満ちる鋭意に胴を分断された錯覚。
武力が服を着て威力を晒す妄想に、けれども乾いた笑いさえ携えられない。
姉の姿は圧巻であり……ゆえに俺は深い自己嫌悪に陥った。
見学者として来場した俺には目もくれず、子ども組を熱心に指導し、試合では大人すらを圧倒する。
自分とは違い過ぎる、だから俺は弟に相応しくない。同じ性を名乗ることの厚顔無恥、装模に作様と振舞えぬ傑物、採長補短を許さぬ『唯一無二《パーソナル・アーツ》』。……わずかばかりに開けていた視界に幕引きを行うには、現実に叩き落すには、立ち振る舞いだけで事足りた。鶏鳴狗盗なんて、犬や鶏のほうがまだ価値があったろうに。
鎌首をもたげた悪感情、息苦しい圧迫感は。
俺の顔を隠そうと再来する『オリムライチカ』は。
しかし、自分とそう変わらない少女の姿に吹き飛ばされる。
大人に混じって、大人ですら敵わない織斑千冬に挑む少女がいたのだ。
呆気を取られた。疑問というか理解の範疇を超えた事実が脳内を駆けまわり茫然自失に宇宙すら感じた瞬間だった。
俺の絶対である姉に、俺と歳の変わらない子が試合を挑むのだ。
これもきっと、誰にも伝わらないけど。
常識がぶっ壊された。
降りた暗幕を、引き裂かれた。
『俺の姉《ゼッタイ》』とは、たかだか自分と歳の変わらぬ少女が挑める程度だったのだと。
『織斑千冬《ゼッタイ》』など、たかが大人の誰よりも強い程度でしかないんだと。
負けても負けても負けても負けても負けても、心は折れず瞳は俯かず。
悔しさに涙さえ滲ませても。誰もが諦めの中に剣を振っていても。
彼女だけは、その『剣《タマシイ》』を折られることはなかった。
なぜ闘えるのかと問うた。仔細は朧気だが。
「負けることは恥じゃない。負けることを恐れ闘えない弱さこそ恥である」
そういった答えだった。
そしてそれは、当時の織斑一夏少年を示した答えでもあった。
結果だけ言わせてもらえば、その日と言わず俺の知る限り試合は全てほうきちゃんの負けだった。当然だろう。
大人と子どもの差は歴然としてある上に、曲がりなりにも織斑千冬。人の奇跡に通ずる言葉は多々あれど、そうおいそれと覆るものでも起こるものでもないわけだ……ただやっぱりすごいのは、ほうきちゃんは俺を勇気づけるために蛮行ともいえる勇気を振り絞ったわけじゃなく、本当の本当に千冬姉に勝つつもりだったということで。バカなのかアホなのか無謀なのか剛毅なのか、けれどそれでもそれは間違いようもなく前人未到。
『織斑千冬を打倒しよう』とした、初めの一人。
単純に織斑千冬に『挑む』やつはたくさんいる。だが、ただ一人として『打倒する』として挑んだものは誇張もなくいない。試合であれ、腕試しであれ、道場破りであれ、名声を欲した外来であれ、夢見る厚い若人であれ。どれほど威勢のよい輩だとて、その威勢というものはものの数分で奈落に失墜する。『自分《ウチュウ》』の果てから墜落して、夢ごと潰れてしまうように。
だって見れば分かる。話せば判る。対面すれば解る。眼を合わせれば理解できてしまうから。
その武力を、業火を。猛々しい極光と轟々の火炎を、いとも容易く痛感させられてしまうのだから。
だからそれが、どれだけ偉大なことで──馬鹿げているのか。
暗愚。見栄っ張り。厚顔白痴。無知。身のほど知らず。意味不明。馬鹿は死ななきゃなおらない──。嘲りを洪笑させる道場に磊落とポニーテール。いくら小学生といえど遠慮のない言葉の数々は、いま思えばこそ畏敬と逃避と、そして羨望の表れだったのかもしれない。
微塵も迷いなく剣を取り、一部の揺るぎなく勝利を確信してブレない小学生……それが恐ろしくて、認められなくて、羨ましくて。
とても、すごくて。
その日俺は、勇者を見た。
理屈も理論も破綻させて、けれど理想だけは決して違えず。
在るがままの成すがままに、『魔王《ゼッタイ》』に挑む剣戟の『勇者《バカ》』。
そのバカの熱気に当てられて、虚像の仮面なぞ吹き飛んでしまった。
一夏少年の、空っぽだったココロの真ん中に、注がれた熱があった。
気づけば、体が動いていた。
「ちふゆねえ。―――ぼく、剣道がしたいんだ」
千冬姉の無表情といったら今でも忘れられないくらい印象的だった。
いま考えれば、それはあの人なりの驚愕だったんだと思う。
だってなにせ当時の俺はそれこそ自発的になにかをするようなことなぞ皆無だったし──ほうきちゃんに引きずり回されたとはいえ未だ引っ込み思案だったし、まだまだ自分で動くよりも向こうからやってくるのを待っているスタンスだった。見かけに似合わずおもしろおかしくて騒がしいことが好きなくせに、物欲しそうにチラ見ばかりの上目ばかり。そんな子どもが、である。
生まれて五年ばかしと人生いろはのいの字も知らない幼さといえ、そんな子どもが、初めてわがままを言ったのだ。いかに織斑千冬といえど、彼女の理解を突破するのは自明だった。
織斑家における驚天動地といえば、まさしくこれこそが原初だろうな。
しかし、だからこそ。
だからこそ、その初めてのわがままを容易に容認しなかったんだ。
「…………お前には無用の長物だ、一夏。こんな棒切れを振り回すだけの技術のために、お前の人生を費やす価値なぞないさ」
内心、俺を褒めたかったのかもしれない。
自分の意思を口に出すということの、たったそれだけの行為の重さを、尊さを、その階(きざはし)に手をかけようとするその成長とも表せる心情を、きっと驚きつつも称えようとしたのかもしれない。でも、それと同位の深奥で。
自分と同じ道へ進み、自分が居るからこそその先には希望なんてない事を知っていたから。
素晴らしさと同じ領域で、その危うさ、空虚さを理解していたからこそ。
「何より。―――お前には、まだ早い」
物事に速いも遅いもない、というのは実のところ嘘だ。
趣味や楽しみ程度の話であればいいのだが、ことプロフェッショナルになるというのであれば、それは早いに越したことなんてない。出来上がってから刻印するのと、設計段階から織り込むのとでは、どうしたって最終的な完成度に差異が現われる……それを覆すそもそもの職人の腕を指して才能と呼ぶが、概して早さに敵うものでもない。なにせ早期ならばその分相対的に努力できる時間というのも確保できるわけだ。
だが、その無知・無垢を利用するがゆえに幼いころから研磨研鑽された者達が頂点を頂くに至るのだとするのならば。
それと同等、いいや以上の危険性をもって、『壊れる』というリスクが付随する。
大抵、幼少期から習いごとをしているやつは親が勝手にさせていることが多い。
わかりやすいところで卓球やゴルフやら、そういったスポーツ。または指揮者なんかの音楽関係。三歳にも満たないような、それこそ自分の意思が曖昧な時分から目標をもってなにかを続けるということは皆無である。大方親御さんがその道のプロだからだとか、あるいは……言い方は悪いがエゴ、といった理由で。本人の希望が介在する余地もなく、物心がつくころにはすでに習いごとの虜になっている。
はっきりとした自我が目覚めてから行うのと、無垢な内から行うのとでは断然意味が違ってくる。練度・時間の話ではなく、精神的な話としてだ。
往々にして、子どもには耐性がない。
ゆえに折れるときは、実に呆気ない。
大人が耐えられることでも、子どもにはそうではない。大人なら乗り越えられる試練辛苦も、子どもには世界崩壊の稲妻である場合もある。『そんなの当たり前』といいはばかってわかった気になるのは構わないし、『子どもは強い』と信じてくれるのも否定はしまい。
でもリスクがあるのだ。純然たる事実として、取り返しのつかない危険性さえ孕んでいるのだ。
幼少期のトラウマがその後の人生に影響を与えたなどいう話は誰だって耳にすることだろう。そうした心的外傷は望まざるとも突発的に起こりもするが、そうした外部からの意図的な入力が引き金になることもまた、少なくはない。
何よりその道の先には、自分が深淵として潜んでいる。絶望に足る深淵が。
絶対に悪い、とは言わない。
けれど最良、でもない。
千冬姉が早いと言ったのはそういうことを存分に存知だったからだろうし。
もっと端的に、過保護だったのだ。
剣を握る意味を、真摯に捉えている愛の戦士だったから。
絶対安全の無痛室。揺り籠から墓場まで、あまねく『刺《ソーン》』の取り除かれる『織斑一夏《エルデスト》』。
──それは過去のもたらしたザーロック。イスリングルのヴラングル。
織斑一夏の知らない物語。
いつか遠いはるか遠い、遠く尊い原初の荘厳。
たった一度と決意して、修羅に甘んじ鬼神となった、最初で最後の自覚的な間違いの刃。
私が、其れを討つ理不尽に成ろう────。
彼が泣くのだ。
間違っている事がまかり通るこの世の理不尽さに。
間違っている事を正せない自身の無力さに。
間違っている事が変えられないと言う現実に。
彼は泣くのだ。叫ぶように、切り付けるように。
間違っていると。おかしいだろうと。
痛みで泣いているんじゃない。寂しくて泣いているんじゃない。
どうして届かないのだと、強く強く誰より強く、彼は求めて泣いているのに。
悲しくて、やるせなくて、間違っていることを知っていても正すことができないから。
振りぬける手と乾いた残響。誰も守らぬ疑問に思わぬ、暴力の発露。感情に支配された愚劣のツガイ。締め付けられる胸の熱が、きっと灼熱の篝火で。彼の涙が胸を打つ。
その記憶は、未だ胸に焼き付いている。
なればこそ。私が、其れを討つ理不尽に成ろう。
その彼女の尊さは、きっと宇宙の誰にもわからない。
だから、それこそが原因の、ある種彼女の『踏み外し《ヴラングル》』。
彼女は織斑一夏の姉だから。
彼を泣かせた痛みは。きっかけとなった哀切は。届かない切望は。
『苦痛《ザーロック》』は、『長男《エルデスト》』に返せない。
彼女の過保護の一端は、ここにある。
尊い痛みがそこにある。
そして静かな威圧。
有無を言わせまいとする静謐。
極地絶対の織斑千冬。千の冬は黙示録級につき。
初めて勇気を振り絞った五歳児にはそんなシングルアクションでさえ直死の挙動であったのだが──その裡で灼々する血の巡りは、零下ごときに屈しはしない。
俺の心臓には、熱い血が巡っているのだから。
「『ぼくに剣道はいらない』。きっといつも通り、ちふゆねえが正しい。だけど。
それでもぼくは、強くなりたい」
──強さという言葉の空疎さをさて置いて。
その頃の一夏少年程度の頭では、その『熱』を表現する言葉がほかに見つからなかった。
強くなりたい。世界中の男が普遍的に抱くその渇望が、多分近い言葉だっただけ。
あながち違っていないだけ。
彼女に届くには『強さ』が必要で。
貴女に勝るには『力』が不可欠で。
好きな男に人のタイプは強い人? そんなの知らず判らない。乙女心の機微なんて、燃える心に繊細につき。彼女がそう言ったから、どうしようもなくそう在りたくて。
在りたくて、でも。
「『強く』? 強くなって『どう』する? お前の気に食わない奴らでも痛め付けるか?」
「そうじゃ、ない」
「暴力筋力の強さとやらは否定せんがな。そんな慰めに費やして、どうしようもなくなった馬鹿はごまんといる。
弱さを悪だと断じたい心意気を汲んでもやりたいがな、それは昨日の今日でどうなることでもない。
初めて見た剣道の熱気に当てられただけさ。
剣とは、解かりやすい力だ。是を立てるにしても非を否定するにしても、意志を通す為には力が要る。
だから、そうさな。お前が何かに負けそうになったときは、迷わず私に頼ればいい」
「―――ちがうよ千冬姉。それじゃダメなんだ」
負けることを恐れてしまっては。
傷つくことを恐れてしまっては。
それを恥だと切って捨てて、自分とは無関係のお荷物だと、紙くずのようにお別れしてはいけないんだ。無価値だと断じて、塞ぎ込んでしまってはならないんだ。
俺は変わる? 強くなる? だけどそれと引き換えに、俺の素晴らしいものが消えてゆく? 戯けめ阿呆め、ふざけんな。一辺倒で芸がねぇよ。一つしか見てないから結局小石に躓くんだ。誰の人生だ。誰のだ。誰かを当てにしたイチカなんてもういらねえんだ。絶対なんてないんだ。んなもんは勇者様がとっくに焼き払った。負けも痛みもなんともない虚像のスーパーヒーローなんか存在しないし、間違ってもそれは俺じゃない。俺は俺の輝きを、俺の憧れを、心を。委ねてなんかやらない。
無窮の蒼穹の無辺の浜辺のその木漏れ日、眠りこけている『オリムライチカ《ドコカノダレカ》』になんて絶対やらない。
──それはきっと無自覚な、己の憧れた『篠ノ之箒《ヒーロー》』とは異なる考え方のハジマリ。
「痛いのを、忘れちゃダメだ。怖いのを、忘れちゃダメだ。ぼくは、『ぼく』じゃないと、ダメなんだ。
負けるのは恥ずかしいことじゃないから」
負けることも勝つことも、それはとても勇気が必要で。
憧憬している最高のヒーローは、そいつを持っているから笑顔が眩しい。
「追いつきたい、人がいるから」
きっとだから、それは影から出たいという最初の一歩。
行って見て触って感じて笑って泣いて怒って喜ぶ。そんな景色をくれた子が、確かに勇気をくれたから。
「だから千冬姉。────ぼくから痛みを奪わないで」
とまぁそんな感じで、懇願するように、慈悲を請うように、それはもう千冬姉を拝み倒していた。
結果としては渋々と許可をもらうことに成功。
なかばがむしゃらにほうきちゃんを追いかけ、ときには千冬姉にいっしょになって挑みボコされ、またあるときは不意打ちをかけてボコされ、ボコされる俺を囮にしてほうきちゃんが挑んでボコされた。イッピーの打たれ強さの秘密はここにあるんだと思います誰だよヘタレとか指差したやついじめんなよ。
まったくもって余談であるが。
誰よりなにより反対した織斑千冬だが、それとはてんで裏腹に、剣を学ぶ一夏にトキメキを隠せなかった。
男児の成長、新たなる一歩。それも多分。
が、しかして、なにより彼女の胸を打った『己に憧れて剣道を始めた』という健気さ。
追いつきたい人がいる──心血全霊、いいやそれこそ陳腐な物言いで自分のすべてである愛すべき弟が自分の背中を追って駆け出したのだ。諌めること言葉も多々あれど、超自然的に股座がお湿りたつ思いで夜を越えたことは語るまでもない。
また、余談ではあるが。
実は『篠ノ之箒に憧れて剣道を始めた』と知って大いにへこむのは、なるほど。まさに余談である。
その日はウサ耳つけた頭メルヘンな女が妹を守ろうと奮闘した結果キズモノにされたらしい。
────最後に貰ったものは、自由だった。
いつかの明くる年、ほかならぬ箒ちゃんの姉によってISの存在が発表され世間はてんてこ舞い。渦中のさらに中心たる篠ノ之家の生活環境は当たり前のように激変し、以後数年間は激動ともいってよかった。
そしてさまざまなとり計らい──思惑の末に、要人保護プログラムによって箒ちゃんは転校した。
しかしそこはイッピーの憧れ篠ノ之箒。お上だかお国だかがの英断に唾を吐きかけるのが得意技。大人になってから黒歴史とでしか処理できないような、まさしく子どもという立場を惜しげもなく使った駄々を捏ね、大人たちどころか同級生すらも巻き込んで、大々的に反抗した。叫び、喚き、ときには媚びて泣き唸り。かと思えば吼えて猛って逃げ回り立ち向かう。
……いまさらながらであるが、そうやって大人相手に立ち振る舞うことにすら楽しみを覚えていたのかもしれない。しかしそれらもろもろの反抗作戦が必ず俺を中継点にしているのはどうかと思う。爆弾の導火線に嬉々として火を着けるくせ、そのあとは他人に丸投げするんだ。それでいて爆発したあとに悠々と立っているのは彼女だったり。そのあまりにも自由すぎる行いは篠ノ之箒斯くあるべしとの完成度で、未熟さで、ある種諸刃のごとき儚き脆さ。──その危さから目を離せなかったのは事実だ。
最期の最後まで駄々を捏ね、散々大人たちを困らせた姿は実に『らしい』姿で感心すら覚えるものだった。
自由とは無制限を指すのではなく、事象に対する可能性の捉え方で──無秩序とは違うのだと。ゆえに箒ちゃんは侍さながらに厳粛でありながら気さく大胆に溌剌なんだ。
捕らわれていないんじゃない。常識がないわけじゃない。ただ現状を打開し超越するに至るまでの思考プロセスに、必要なものをなにひとつ持っていないのだ。
だから彼女は速い。思考がすなわち結論で、ゆえに身体駆動に直結する。
だから彼女は固い。断ずるまでの過程はすべて結論の集合であり、ゆえに意思は揺らがない。
だから彼女は軽い。そうした必要なものがないから、できることは不必要なものを捨てるだけ。
別れる当日、俺はほうきちゃんから一つの提案を受けた。
『二人で逃げないか?』と。
その時もまた、誰にも伝わらないだろうけど。俺は静かに感動していた。
やっぱすごいよほうきちゃん。俺には思いつきもしなかった考えをぽんぽん出してくる。
自由なんだ、ほうきちゃんは。
なにもかもを捨てて立って居られるほど、強いんだ。
不必要なものを捨てることができて、持つべき結論を持っていて、なくしたらなくした分加速できるような。感性に裏打ちされたまま、理性的に行動できるんだ。
それを自由と言わずになんという。
これを強さと言わずになんという。
俺も、ほうきちゃんと一緒にいたい。
でも。
俺はそんなに、強くない。
「ごめん、行けない」
「そう、か」
理由(イイワケ)など口にするだけ耳障りだ。
そういう潔さも、ほうきちゃんに教えて貰った。
俺の返事に気を落としたほうきちゃんだったが、
「引っ越しても、剣道は続けていいらしい。だから、いつか」
「会えるよ。必ず」
どうしても会いたければ、どうにかして会えばいい。
そういう諦めの悪さも、ほうきちゃんに教えて貰った。
──だからこそ、不必要なものを捨てないという自由も。
「ほうきちゃん、ありがとう」
今、こうして『俺』がここに居られるのは、ほうきちゃんのおかげだ。
今、こうして胸張って名乗れるのは、ほうきちゃんのおかげだ。
『オリムラ』なんて、糞食らえだ。
俺は『織斑千冬の弟《オリムライチカ》』じゃない。
俺は。
俺は。
『俺』は。
イッピーでいい。
俺は、『俺《イッピー》』がいい。
「また会おう、ほうきちゃん」
「ああ、またな──『一夏』!」
いや、そこはイッピーって呼べよお前台無しだろ。
こうして少年少女は幼少期に別れを告げ、新しく成長の一歩を進み始めたわけである。
しかし一夏の知るよしもないことであるが、実は彼は一つ勘違いをしていた。
それは最後の彼女の提案、『二人で逃げないか?』に対しての解釈だ。
まったくもって間抜けな話だが、このとき一夏はほかの第三者らが思っている以上に篠ノ之箒というヒーローに心酔しており、耽溺しており、憧憬しており……あろうことか最後のその提案を『自由への脱却~対大人、二人だけの犯行作戦~』とでもいうべきほど、『最後の反抗』解釈していたのだ。
言わずもがなの話であるだろうが無論のこと箒はそんな意味でいったのではない。
こんなタイミングで、女が、たとえ小学生だろうと女性が『二人で逃げよう』と言ったのだ。
……だったらそんなの、『駆け落ち』以外の意味合いなどないわけで。
しかし得てしての大概の例に漏れない程度に一夏少年も男児であり、小学生という時分ではそんな機微が感じとれない程度には純真だった。鈍感だった。女の子は小学生のころに失恋すら学んでしまうのに対し、こればかりは男は実に疎くてのろまだ。
いわばこれは乙女の一世一代ともいえる告白に気づかなかったという言い逃れのできない恥であり、
ゆえにこの齟齬がとある問題に結実する。
『また会おう』という二人の約束。
片や懸想する乙女。片や三種の神器を携えた半熟。
恋する男が剣道を続けると言って『必ず会える』とまで宣言してくれて、しからば再開の舞台は剣道の全国大会においてほかにはない。彼と彼女を繋ぐ確たる現代刃の絢爛郷。ゆえに一層と剣に打ち込み晴れて剣道全国大会優勝を果たす箒であるが、しかし待てども待てどもいっこうに、一夏はここまでやってこない。
なぜ? どうして? と幾重多重に悶々としていたが、そうとも二人の解釈の違いが結実する。
ヒーローに憧れる一夏。その別れ際に渡されたのは餞別とも言うべき『自由』。
ともすればヒーローから貰った三種の神器、無碍にする一夏ではない。
彼女がくれた『名前』は彼にイッピーという生き方を与え。
彼女がくれた『勇気』は彼を一人で立たせることに成功し。
彼女がくれた『自由』は、彼を『強くならなくてもいい』という価値観を授けるに至る。
なにせ不要なものを捨てるのが強さなら、無駄なものを抱え込む弱さがあってもいいじゃないか。
ゆえにいつしか手のひらから剣が零れる。固めた拳が解けていく。開いた両手で繋ぎたいのだと、触れ合いたいのだと、刃では掴めない素晴らしさがあるのだと。
だから織斑一夏は力を望まない。効率的に無駄を感受する。言葉を繋いで徒党を組んで、この世の楽しさを謳歌し嚥下する。──その先に確かな『夢』を見据えたままに。
などいう一夏の成長など知るわけもなく、箒は想い人との再開を夢に見る。
決して果たされない、再開を。
……ともなればいかに篠ノ之箒といえど、やさぐれてしまうのは無理らしからぬ話。
そうして磨耗と研鑽を行ったり来たりと繰り返して、必要なものにすら不必要のラベルを貼ってしまい、ただでさえ軽かったメンタルにぼろぼろと穴を空けてしまって──あとは語るべくもなく、入学当初の彼女を見てもらえればいいだろう。
そう。
かくしもシノノノホウキという目標を失い、あっさりと剣道を続けない『自由』を選択したのが織斑一夏あり。
オリムライチカという実態がてんでわからなくなり、紙メンタルの実装と『暴力《かんしゃく》』を振るう『自由』を手にしたのが篠ノ之箒であった。
まったくもって蛇足であるが。
これが、篠ノ之箒が『モッピー』になった真相である。
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「がんばれイッピーきらきら少年期〜僕がイッピーなった理由〜」
いかがだったでしょうか。
あんまり表に出すつもりもなかった話なのですが、プロットを
送り付けたらとある方がが仕上げてくださったのです感謝。
あまりの感謝にもっかいプロット送り付けるわ。
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