葬儀が終わり、出棺し、火葬場から戻ってきた。
収骨の際に、骨が数本足りなかったのには眼を瞑った。
デキる女は黙して語らず。
束は一足先に帰った。
これ以上自分が居ると大騒ぎになるから、と。
周囲を鑑みる常識があの女にあったとは驚きだ。
ちーちゃんも無理せず、一度ゆっくり休みなよ? とこちらを気遣った発言すらしてきたのだ。
私は宇宙人に名刺渡されるぐらいにはショックだった。
そう伝えたら苦笑された。
ちょっとイラっとしたので清めの塩を力の限り顔面にぶつけてやった。
泣いて帰っていった。
束のくせに生意気なのだ。
家に戻り、私は準備を始める。
出棺の際に来客は半分ほど帰っており、今残っているのは一夏と特別仲が良かった者だけだ。
五反田や鈴音といった、中学時代からの友人が数人。
デュノアやラウラといった高校のクラスメイトが数人。
デュノアがオルコットを葬式に誘ったそうだが、オルコットは断ったとのこと。
「簡単に死んでしまった弱い男の葬式に興味はない」、と。
デュノアとラウラはそれはもう怒ったそうな。
教室でISを展開する寸前だったと。
山田先生が間に入って停めてくれたらしい。
真耶には本当に迷惑をかける。
オルコットは、今何を思うのだろうか。
自分が馬鹿にしていた、小さい島国の劣等性別に苦渋を舐めさせられ。
それ故に、心を惹かれ。
そして、あっけなく失った。
彼女の胸の中で、織斑一夏は思い出として残ったのだろうか。
傷として痕を残しただろうか。
それとも、もう忘れてしまっただろうか。
出来れば、忘れて欲しい。
織斑一夏に変わりはいない。
それがきっと、いつか、遠くない将来、残酷な事実に変わるだろうから。
私は大きめのダンボール箱を四箱程かかえ、二階の一夏の部屋から居間に持ち運んだ。
ギョっとした顔をして口々に手伝いますと告げてくれる年下連中を払い、部屋の中央に並べる。
重量はひとつひとつがかなりの重さで、任せて怪我される方が心配だった。
皆が私に注目する中、鈴音だけはポリポリと何かを無心に齧っていた。
段ボール箱の口を開ける。
中を覗き込んで、一瞬だけ手が止まってしまった。
箱の上の方にあった、作りのしっかりした指輪を握り込み、部屋の隅に移動した。
壁に背もたれ、注視する視線を無視する。
流石に三徹ともなると、疲れが出る。
眉間をマッサージしてみるも、凝り固まった疲れはほぐれる気配がしなかった。
五反田を手招きする。
一度だけ鈴音を見て、はてなマークを浮かべながら寄って来る。
どんだけ心配してるんだ。お前は鈴音のお母さんか?
「二階にあるアイツの私物で見られたら不味いモン片してこい」
五反田はそれだけで私の意図を理解し、行動してくれた。
別に私は気にしないのだが、一夏だって私に見られたくない物があるだろう。
まして年頃の男の子だ。
ベッドの下に姉の下着を隠していてもおかしくはない。
まあ、私の下着が無くなった事など二度しかないのだが。
可愛い弟の若さが迸った結果だと微笑ましく許していたが、その二回とも実は犯人が束だったというのが笑えないが。
付き合いの長い五反田のことだ。
そういったブツの隠し場所は熟知しているだろう。
二階に上がっていった五反田を尻目に、一夏の友人達に声をかける。
「おいお前等。形見分けだ、欲しい物があれば好きに持っていけ」
部屋の中央に置いたダンボール。
それは、織斑一夏の私物。
ごちゃごちゃと突っ込まれた、アイツの断片。
誰もが固まっている。
まあそうだろうな。葬式なんてはじめてだろうし。
いきなり言われても、固まってしまうだろうさ。
ただ一人を除いて。
鈴音だけは、跳び付く様にダンボールに突っ込んだ。
そしてしっちゃかめっちゃかにかき回す。
その手に迷いはない。
狙っている品は決まっているようだ。
かき回してかき回してかき回して、見つからなかったのでひっくり返した。
続々と床に広がる箱の中身。
全ての箱を引っくり返し、舐める様に確認する。
高速で視線だけを動かし、そのまま床を蹴った。
ポカンと眺める級友を置き去りに二階へ上がっていった。
ドタドタと駆け上がり、恐らく一夏の部屋でドタンバタンと大忙しだ。
五反田の叫び声が妙に哀愁を誘う。
床にぶちまけられた私物。
それは、一夏が好んだアクセサリーだったり。
それは、一夏が好んだ洋服だったり。
それは、一夏が好んだ置物だったり。
それは、一夏が好んだ音楽だったり。
それは、一夏が好んだゲーム機だったり。
それは、一夏が好んだ香水だったり。
それは、一夏が好んだ書物だったり。
それは、一夏が好んだ家具だったり。
それらすべては、一夏が好んだ何かだった。
あいつが、自分の手元に置きたいと思った何かだった。
握り込んだ指輪を意識する。
修学旅行で沖縄にいった時に、国際通りの露天で一目惚れしたと興奮気味に自慢してた、ハンドメイドの一点物。
頼み込んで格安で売って貰ったんだと、嬉しそうにしていた。
何度か強請ってみたが、一度足りとも首を立てに振らなかった。
身につけているか、身につけられなければ財布に仕舞い、いつでも携帯していた。
それぐらい、気に入っていたらしい。
決して、指輪にヤキモチを焼いた訳ではない。
断じて否だ。
この素晴らしき姉がそんな狭量である筈がない。
間違いない。
そんなくだらない事が原因で喧嘩などしていないし、スネたことなどある訳が無い。
「出しなさいよ! あるんでしょ、『アレ』!」
疲れからかぼんやりしていると、目の前に鈴音が立っていた。
鈴音は噛み付くように私に吼える。
「何の事だかサッパリだが?」
「とぼけないで!」
思わずため息が出る。
どうしてそう、おかしな方向へ生き急いでしまうのか。
国の代表(の候補生)ともあろう若者が、このように染まってしまうのは見るに耐えん。
「なあ鈴音。たとえ、オマエが望んでいる物を手にした所で、もうどうにもならないんだ。
コレは『結果』なんだよ、鳳鈴音。オマエが何を成した所で、何も変わらないし、誰も救われない」
「だからどうしたってのよ! それがどうしたってのよ!
そんなの関係ないわよ! あたしは、あたしが!」
カラ回る想いは激流だ。
その想いの強さに偽りはない。
ああ、オマエは。
「その先に未来は無いんだ。解かれ、オマエの未来はそっちじゃない。
終わった事なんだよ、鈴音。辛いなら、忘れてしまえ」
「忘れられるかッ! 未来なんていらないッ!
あたしのココロを否定するな! あたしの『イマ』はコレだけだ!」
誰よりも。
誰よりも、誰よりも。
強く、強く、強く。
己の居場所を取り戻す為だけに、どれだけの修練を積んだ事だろう。
素人の、運動神経が優れているだけの少女。
バックホーンもコネも金も無い彼女が、何をどうやったら代表候補生になど成れるのだろう。
人口が10億人を越えるあの国で、選ばれた側に立つのにどれだけの代償を支払ったのだろう。
彼女の努力は。
彼女の覚悟は。
彼女の苦痛は。
誰にも、計れない。
「触るなッ!」
自然と、鈴音の頭に伸ばした手は激しく払われた。
「あんたは家族じゃない! 気安く触るな!
私の家族は、織斑一夏と五反田弾だけだ!
それだけだったんだ! それだけだったのに!」
なんで。
どうして。
鈴音は泣く。
一緒に居たかっただけなのに。
同じ時間を過ごしたかっただけなのに。
なんで。
どうして。
鈴音は啼く。
それだけの為に。
身を粉にして。
心を鬼にして。
忍び難きを耐え。
耐え難きを忍び。
己を殺してきたのに。
そう、オマエは。
「泣いていいんだ、鈴音。オマエは今、泣いていいんだ」
私の言葉に顔をクシャリと歪ませ、背を向ける鈴音。
鈴音を捕まえようとして、鈴音が逃げようとして。
身を翻した瞬間、無理矢理後ろから抱き止めた。
ガッチリと抱き込んだ鈴音は、迷いなく―――
「鈴ッ!」
「五反田、いいんだ」
首元に回した右腕に、本気で噛み付いた。
皮が破れ、肉に刺さり、血が滴る。
イタい。
ああ、いたい。
いたいよな、オマエも。
「う゛う゛、グううぅぅーッ!」
分かるよ。
いたいんだ。
イタいんだ。
食い込んでいく歯の痛みなど、気にもならないぐらい。
悼みで、心が引き裂かれてる。
『家族』を失って。
そう、オマエだけは。
私と『同じ』だ
噛み付く力は弱まらず、なお力を増していく。
痛い。きっと凄く痛いのだけれど。それ以上に、イタい。
私にとって織斑一夏は、子の様な弟だった。たった一人の家族だった。
オマエにとって織斑一夏は、父の様な兄だった。たった二人の家族で、その一人だった。
だから、私だけは。
オマエの気持ちが、分かるんだ。
それこそ、イタい程に。
「ありがとう、鈴音。アイツの家族で居てくれて、ありがとう」
うーうー唸りながら。
私の腕に噛み付きながら、
鈴音は涙を流す。
泣いていいんだ、鈴音。
私はオマエの家族じゃないけれど。
オマエは、私の弟の大事な家族だった。
他人である私の腕の中じゃ不満かもしれない。
だけど、私は感謝していて。
少しでも、オマエのこの気持ちを返したい。
そう思ったんだ。
だから、思う存分。
泣いてくれ。
私は彼女が泣き疲れ気を失うまで、この胸に彼女を抱き続けた。
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葬式も終わり、一先ず全てが片付いた。
篠ノ之の叔母に篠ノ之家に泊まるよう誘われるも、頑なに千冬は断った。
時刻は、22時を回った頃。
織斑千冬は、弟のベッドに横になっていた。
イッピー知らないよ! なぜこの女は人様のベッドで寝ているのか、イッピー知らないよ。
イッピー死んでるよ! どうしようこのままソロプレイとか始めたら憤死すぎるけど声も掛けられないなんて拷問空間が形成されてしまいます。
死してなお俺を苦しめるとは、まことにあっぱれよチッピー。
千冬は空虚な眼で天井を見つめる。
それは、いつもいつも俺が寝る前に見ていた光景。
何を想っているのだろうか。
織斑一夏のいないその寝所に横になり、なんの面白みもない壁を眺め、何を想っているのだろう。
俺はとうにいないのに。
俺はもう、そこに亡いのに。
静かな、静かな夜だ。
何の音も響かない、静かな夜だ。
世俗から切り離されたかの様な、時間の止まりそうな部屋で。
姉は、何を想うのだろう。
「……いちか」
ぽつりと、消え入りそうな小さな声が聞こえた。
自然に。ただただ自然に。漏れてしまった声だった。
「イチカ?」
ふって沸いた音を反芻する。
まるで、自分の口から出たのに驚いているかのようで。
その様子が、おかしかった。
「―――『一夏』」
今度は強く。
認識する。自覚する。
それが、自身が何より大事にしていたものの名前であり。
それは、亡くしてしまった大切な弟の名前であると。
ひとつぶの水滴が、千冬の頬を伝う。
自然に。ただただ自然に。流れてしまった涙だった。
その涙を引き金に。
実感が、堰を切る。
ぽたり、ぽたりと。
止め処なく溢れ出す。
涙は更に勢いを増している。
だくだく、だくだくと。
まるで出血だ。
その涙は、彼女の愛だ。
俺への愛情だ。
親愛の深さだ。
織斑千冬は、愛の人だ。
人が生きる理由とは愛なのだと公言し憚らない人だ。
その愛の重さを思い知らされる。
誰が死んだって泣かないこの強い女性が、俺を悼み涙してくれている。
だからそれは、罪の証左でもあった。
なんで、誰も気付かないんだ。
どれだけ気丈に振舞っても。
どれだけ毅然と振舞っても。
織斑千冬は、女なんだ。
普通の、人間なんだ。
特別だとか、世界最強だとか、ブリュンヒルデだとか、んな些事はクソみたいなモンなんだよ。
誰も、誰も、誰も。
分かってくれない。気付いてくれない。
手を差し伸べるだけで。
優しく声をかけるだけで。
頭を撫でてやるだけで。
黙って胸を貸してやるだけで。
それだけでいいんだ。それだけで良かったんだ。
それだけ、なのに。
誰も、それを行えない。
篠ノ之箒を、恨んでる。
千冬姉が悲しむ原因を作ったアイツを恨んでる。
篠ノ之束を、憎んでる。
ただ一人千冬姉と同じ高みにいるのに何もしないあの女を憎んでる。
社会を、怨む。
大きな存在が人より強いだけの女に立場を押し付けた事を怨んでる。
だけど、何より。
だけど、誰より。
『織斑一夏』を、怨み憎み怨み忌み嫌い、死んでる今でも殺したいと思っている。
一番、傍に居たのに。
一番、近くに居たのに。
俺だけが気付いていたのに。
何も出来なかった。何も成せなかった。
彼女の本心に応えることすらも。
俺がこうして此処に存在しているのは。
この無念を自覚する為なのだと。
叶えられなかった誓いに対する贖罪なのだと。
締め付けられる心の痛みが、ひたすら強く告げていた。
俺に。
織斑一夏に、生きてる意味はあったのだろうか。
俺は。
俺が成すべき事を、成せなかった。
こうして俺の姉が独りで泣いている。
彼女が独りで在る事を許せなかったから、俺は誓ったというのに。
彼女に負担を強いて、彼女を悲しませて 、彼女の涙すら拭えない。
そんな俺の人生に、いったいどんな価値があったのだろう。
朝方まで流れ続けた彼女の涙に、俺は胸を痛めるのだった。