俺達は格納庫を目指し走り続けた。
アリーナにラウラ・ボーデヴィッヒを置き去りにして逃げ出したが、誰がそのまま尻尾を巻くものか。
白式とのリンクは切られている。解除剤とはあの異質な衝撃、恐らく電気信号的な何かでランナーとISのリンクを強制的に断ち切り、コアにダメージを与える代物だ。恐らく数時間は使用できないと見ていいだろう。
昔、束姉のプレゼントで似た様なオモチャを貰った事があったな。一瞬だけ、たった一回だけISの動作を停止させることができるオモチャ。第二回モンドグロッソの時はそれに命を救われたけど、今は逆に命を脅かされてます。ISというチートに対するカウンターウェポン。そりゃ国家機密にもなるわ。
格納庫には使用していない量産機がある。一時的にそれを拝借して出撃する算段だ。
箒が尋常でないスピードで駆け回り、恐らく勘で隔壁を避けたルートを見つけてくる
あの女、たぶん百メートルは十秒切らないまでも、十メートルなら一秒切るだろ。
走るのが速いのではない。地点から地点の移動がやけに速い。こういった直線でない通路だと折れた先の通路が分からないため、足を止める必要があるのだが箒が一足先に確認してくれるからそのまま走りっぱなし。
休憩がぬい。ぬいのだ。
「伊達に前回、管制室からアリーナまで抜け出してないね」
ああ、そういやそんな事もあったな。
セシリアの尻叩いてねえ。お願いしたら叩かせてくれないかな。
「どういうルートで抜けられるんだよ」
「たぶん大回りしてアリーナの発進口からカタパルトを抜けて格納庫に抜けるんだよ」
「すっげー遠回りなんだけど」
「隔壁がおりちゃってるからね。通常のISが通れそうな通路は潰してあるから」
ただの学園じゃねえとは思ってたけど、なんか特撮の秘密基地みたいじゃねえか。
どっから出てんだよここの建設費。IS産業に金は惜しまないってか? 馬鹿じゃねえの?
「先に上がるぞ」
十五メートルはある鉄の梯子は真っ直ぐ上に伸び、カタパルトのメンテナンス用の通路に繋がっているのだろう。
ここさえ昇れば、後は格納庫まで目と鼻の先。
いっちょ気合入れていきまっしょ、い?
箒は梯子まで駆け寄り、その勢いのまま手を使わず梯子を駆け上がった。
待て待て、重力仕事しろ。
どうやったんだよ今の、びっくり人間ショーかっつーの。
「一夏も早くね」
シャルロットが同じように走り出し、梯子の半ばまで駆け上がった。
え、なんで。それって標準的な技能なの? NINJAかてめーら。
分かった。分かりましたよ。やりますよ、やってやりますとも!
「何を隠そう、俺はトライダガー派だ!」
駆けろ俺、女二人が出来たんだ俺だって梯子走りくらい余裕で無理でしたー!
二メートルも昇ってない所で踏み外しかけて梯子を掴んだ。
俺の味方はどこにいる。このパーティー、一般人がいねえ。
非常にお待たせして梯子を上ったところ、あの映画に出てきそうな大きな丸いハンドルを回して扉を開けようとする箒が俺に「遅い」と文句を言う。
俺は遅くない。普通だ。むしろ急いだんだ。これでも頑張ったんだ。
あまりにも負け惜しみすぎて、一言も返せなかったでござる。
メンテナンス用の通路からカタパルトへ繋がる扉を開け、箒とシャルは先に飛び込む。
俺はおっとり刀で梯子から扉へ駆けつけ、二人に遅れて追従する。
扉を抜けた先には、
「……………………」
静寂にして暴力的な圧力を纏った、一機のISが在った。
青を基調とし、どこかしらブルー・ティアーズを連想させるデザイン。
但し、ティアーズの流麗な曲面装甲に反し、こちらは攻撃のニュアアンスを漂わせる直線フォルム。
そして何より、その手の中に居る存在が、俺の胸をかき乱した。
「織斑、先生」
俺の前で固まっている両名のうち、金髪の方が呟く。
織斑千冬が、そのISに拘束されている。
気絶している千冬姉を、抱き抱えているIS。
ソイツのツラは、ヤケに俺の姉に似ていた。
次から次に、なんだってんだ本当に。
「二人は先に行け。コイツは俺に用があるらしい」
「でも、一夏、」
「さっさと行けッ!」
俺の怒声と同時に、箒がデュノアの腕を引いて走っていった。
頼むよ。ラウラを一人にさせてんだから。ラウラだけじゃない。戦えない誰かが境地に陥っていて、まだ間に合う可能性だってある。お前らはお前らの仕事をしろ。ISを動かせる人間に義務があるとすれば、ISを使って人を救う事だろう。
頼むぜ。
俺は、俺の仕事をするから。
「おら、オマエが望んだ状況を作ってやったぜ? なんか言えよ」
目前の女は、まるで中学時代の千冬姉の生き写しだ。この女の写真を人に見せたとして、誰も織斑千冬であると疑わないだろう。
ただ、俺には分かる。
確かに輪郭とか、体格とか、顔のパーツは同じだろう。
けどさ、目も/表情も/雰囲気も何もかもが違うんだ。
織斑千冬は織斑一夏に、そんな憎悪を込めた目を/憎々し気な表情を/怜悧な雰囲気を向けた事は、一度足りともない。
例え十年前にアンタに会った所で、俺は間違いなくアンタが織斑千冬でないと気付けたさ。
「オマエを、殺す」
「どこの思春期を殺した少年だアンタは」
「オマエを殺して、姉さんを返してもらう。
私が居るべきだった場所を、私が過ごすべきだった時間を、私が手にする筈だった全てを、取り戻す。
私は『私』を、オマエを殺して手に入れる」
会話は通じないタイプなのか? だとしたらやっべぇなあ。手も足も出せない状況で口すら封じられたら本格的に為す術無しだ。
目線を交わす。
理性も知性も損なっていない。単純に俺が嫌いで、俺と会話したくないだけっぽいぜ?
奇遇だな。俺もアンタが嫌いだよ。
そのツラで、そんな眼して、俺を見るんじゃねえ。
「俺を殺して自分が手に入ると本気で思ってんのか? 俺を殺したって、『織斑一夏』が死ぬだけだ。
俺となんの関係もねえアンタには、全く一切影響ねえよ。赤の他人だろうが、アンタ」
「ドクターからの指示だ、精々苦しめて殺してやる。私個人としては、今すぐにでも消し炭にしてやりたいがな」
昏い瞳は敵意を孕む。
だから、そのツラで、その眼で俺を見るのは止めろ。
「そのドクターとどんな契約したか知らねえが、その人は俺の姉だ。俺を殺しても、アンタの姉にはならねえよ。
織斑千冬に、妹は居ない。居るのは愛しい弟様だけだ」
一層顔を歪ませる女。
加速度的に苛立ちは増していく。
互いの不快感が相乗効果で倍々ゲーム。
「それもすぐ終わるさ。なにせ世界が変わるのだから。この人が次に目を覚ましたときには、もう変わった後だ」
「誰の書いた絵かは大体予想はついてんだ。んな上手くいくとでも思ってんのか?
誰かの所為にするアンタみたいな屑が、たかだか世界が変わった程度でどうにかなると思ってのか?」
腹が立つ。
だから、そのツラで、その眼で俺を見てンじゃねえ。
殺すぞ、テメエ。
「不本意。いや、不愉快極まりないが、私とオマエは同じ気持ちらしいな。
借り物の癖に、そうやって対等の目線であろうとする事が気に入らない。
とりあえず、跪け」
自然な動作で抜かれた銃を、俺は動くことなく受け入れる。
非即死制圧兵装『痛覚銃(パニッシャー)』。
棘だった螺子のような弾丸を撃ち出し、肉を抉り、肉を螺子止める。
肉を巻き込むため出血量はそれ程でもない。
その分痛みを与える事に特化しており、尋常でない痛みが行動を不能にする。
また、弾丸の形状から治療が難しく、設備の整った施設でないと失血死の恐れがあるため弾が抜けない。
しかも極悪なことに、防弾着を無効化するっつー恐ろしい機能までついてやがる。
戦場で足を狙って2人分の兵士を使えなくする、そんなコンセプトを発展させた武器だ。
アラスカ条約じゃ禁止されている筈だが、こんな場面でお会いするとは思ってなかったぜ。
ましてや、それを向けられるなんて。
「怯えもしないし竦みもしないか。詰まらんな。
その気に入らん目が、撃たれた後も変わらないか試してやる。
兎に角、這い蹲れ」
躊躇無く引かれた引き金に、連動して瞬間的に避ける俺。そんでその勢いのまま女の背後を取り首に手刀を打ち気絶させ、千冬姉を回収。怒りにより秘められた力に目覚めた俺が生身でゴーレムをバッタバッタとなぎ倒す。
そこまで下らない妄想をした所で、避けた場合に足以外に当たって不味いことになるのを恐れ、俺は動かない。
ごめん強がった。実はびびって動けない。
イッピー知ってるよ。イッピー本当に大事な時は動けなくなっちゃうタイプだって、イッピー知ってるよ。
パン、と鳴ったやけに軽い銃声と。
ダン、と踏み抜かれた地面の音と。
一拍置いて。
バタンと倒れた、人の音。
「あ?」
人を撃つ銃の音と/人を撃ち抜いた銃の音と、撃ち抜かれた人が倒れる音を俺の耳は拾った。
「ハッ」
えらく愉しげに笑う女と、それを平然と眺めている俺。
平然と、立って居る俺。
俺。
無事な俺。
「随分イイ顔してるじゃないか。どうした? 『何』から目を背けているんだ?」
五月蝿ェ。黙れ殺すぞ。
慌てるな。冷静に、順番に、一つずつ処理しろ。
大方それでなんとかなる。慌てるな。慌てるな。何をそんなに焦ってる。慌てんな!
銃が撃たれ、弾丸はヒットし、倒れた。
ただそれだけ、事実はそれだけ。
だから、ソレがなんなんだよ。
女が銃を撃って、『 』に弾丸はヒットし、『 』が倒れた。
俺は立っている。
つまり、誰が倒れた。
誰が、撃たれた。
俺はきっと気付いているんだと思う。
なぜ、女から視線が外せない。
左を向けよ。そこに答えがあるだろ。
俺が撃たれる瞬間、それこそ弾丸の様に飛び込んできた矮躯と、水平になびいた栗色の髪の答えが、そこにあんだろうが!
首の骨が折れそうな悲鳴をあげながら、痙攣する筋肉で顔を左に向ける。
栗色のツイテンテールは地に広がり、その上で黄色いリボンが咲く。
ピンク色の扇情的なISスーツに包まれた小さな体は、手足をたまに振るわせた。
倒れた拍子に、地面に赤い筋を残している。
「どうした? その中国人(チャイニーズ)は親友じゃなかったのか?」
心底愉しいといった感情を隠すことも無く、女は俺に投げかける。
誰だ、それは。
地面に倒れてるのは、誰だ。
「り、ん?」
なんか見覚えがあるぞソイツ。誰なんだソイツ。
傷は浅いか? 顔が見えない。声もしない。ビクっとしたから元気じゃね?
「りん?」
鉄錆の臭いがする。出血はたいして多くない。傷口を弾丸が巻き込んでいるから。
だからこそ痛いし、抜けない。下手に抜くと死ぬ。但し自分で動けない。
大丈夫なのかあの娘。射線上に立つなんて大丈夫なのか。体とか頭とか。
「おい、鈴!」
動けよ。知らない娘、ってなんだよ。鈴だろうが。凰鈴音だろうが。俺の大事な女の子だろうが。
動け、動けよ、織斑一夏。
「クッ。クッ、ハハッ! おいどうしたオマエ? 泣いているのか? 身体が震えているぞ?
滑稽だな。愉快だな。痛快だな。そうか、オマエの目はそうしたら変え―――」
蒼い閃光――肉眼では視認が困難な攻性ビーム――が、女のISに直撃した。
いや、シールドで止めている。熱波が俺を襲う。
『其の首、置いてきなさい』
アリーナから飛んできた射撃の方角には、誰も居ない。
それでも、その声からセシリアだって事だけは分かった。
「偏向射撃、BTフレキシブル! 使える奴が居たか!」
『黙って首を置いてきなさい』
アリーナの下から飛んできたビームが、カタパルトの口で直角に曲がり、女を狙う。
間髪入れず、ライフルとは思えない早さで次弾が次々撃ち込まれる。
「反応が増えたな。流石に分が悪いか。おい、オマエ。
また殺しに来てやるから、怯えて待ってろ」
『逃がすものですか! 其の首、此処に置いてきなさい!』
蒼い流線をものともせず、女は俺の姉をしっかり抱え、カタパルトからそのまま飛び去って行った。
俺は、黙ってそれを見送った。
「鈴!」
打鉄を纏った箒が、鈴を抱いてそのままどっか行った。
かなり焦った表情で、歯を喰い縛ってどっか行った。
俺は、動かない。
ラファール・リヴァイブを纏ったデュノアが、俺を一瞥し、そのままカタパルトから出て行った。
一言も言わず、一瞥しただけで、そのまま出て行った。
俺は、動けない。
地面に残る朱色の筋と、小さな真っ赤な水溜り。
びっくりする程鮮やかな赤は、血液よりもペンキを連想させた。
凍るように寒気を感じる背筋と、ガタガタと震えている己の体を押さえつける。
今にも叫び出しそうな声と、声にならない絶叫が俺の中で喧嘩して、なにもできなかった。
自問自答すら発生しない俺の頭蓋骨内では、しきりに『責任(ナニカ)』の所在を探していた。
俺は、動かない。
俺は、動けない。
俺は、守れなかった。