<注意> このSSはタイトル通り、あかべぇそふとつぅ様から発売されたPCゲーム魂響~円環の絆~のオリキャラ主、ネタバレありとなっております。
それでもいい、と読んでいただければ幸いです。
強くなりたい。
そう思っていた。
親を亡くした自分を育ててくれた人達に少しでも恩返しをする為に。
魑魅魍魎の類から人々を護る為に戦っていた両親の志を継ぐ為に。
そして、誰よりも大切な彼女に認めてもらう為に―――――
なのに―――――
◇ ◆ ◇
夜―――――
月と星は下界を煌々と照らせど、闇と影が世界を支配し、光は鳴りを潜める。
しかし、それは昔の話。
かつては人外の領域だった夜の闇も、今となっては人工の光によって駆逐され、大都会は不夜城と化した。
驕り高ぶる人間達は、我々こそがこの世の支配者と己の栄華に酔いしれる。
だが、忘れてはいけない。
如何に技術が進歩しようと、決して触れてはならない領域がある事を。
決して人間はこの世の支配者ではない事を。
それを証明するかのように、誰一人訪れる事の無い廃墟と化したビルの二階にある一室で、今日もまた一つの戦いが繰り広げられていた。
大気を震わせる爆音。
空間を吹き荒れる熱風。
殺到する殺意の塊。
絶え間無く放たれる炎。
巻き添えを喰らった物質は呆気無く瓦礫と化していく。
現世にあって地獄と呼ぶに相応しいその世界の中、一人の少年が異形の怪物に立ち向かっていた。
異形の怪物―――――それは出来損ないの悪夢。
例えるならば、蜘蛛になろうとして失敗した獣。
獣に似た頭と蜘蛛に似た胴体を持ち、人と同じあるいはそれ以上の大きさの化け物。
針金のような剛毛が全身を覆い、六本の蜘蛛のような鋭い鉤爪を持つ足は脆い人間など一撃で引き裂くだろう。
禍々しく輝く大小四つの複眼が狙いを定め、口から漏れる炎はいっそう力を増していき、ついには獲物に向けて解き放たれる。
獲物と見定めれれた少年はサイドステップしてそれを回避――――成功。放たれた炎は彼のすぐ近くに着弾した。
炎はその場で炸裂――――そして爆散。無数の火の粉を周囲に撒き散らし、少年にも容赦無く降り注ぐ。
流石に至近距離から放たれるそれを全て完全にかわす事は不可能。
大量の火の粉をまともに浴びてしまい、少年は転げまわった。
「ずあっちゃーーー!」
それを追いかけるかのように化け物は次々と炎を放つが、少年はそれを転がりながら回避し続ける。化け物も獲物を嬲るつもりなのか、わざと炎を放つタイミングを遅らせ、狙いを甘くしているかのようにも見える。
もっとも、そのお蔭で少年が直撃を喰らわずに済んでいるのは紛れも無い事実。そのままの状態がしばらく続く。
「あっちいいーー!」
化け物が放つ炎が少年のすぐ脇を通過した。その輝きにより、一瞬彼の容貌が明らかになる。
年の頃はおよそ16、7。学校に通っているなら高校生ぐらい。
身長は180cm以上はあるか、同年代の平均よりは高い部類に属するだろう。
顔の造りは可も無く不可も無くと言ったところ。一言で言えば、「平凡」
強いて特徴を挙げるなら、吊り目気味の目と僅かに見える八重歯のお蔭か、何処か猫を思わせる雰囲気を放っているところだろう。それも飼い猫ではなく、己の力のみで逞しく生きる野良猫の雰囲気を。
と言っても、それはあくまでも“強いて特徴を挙げるなら”である。どのような雰囲気を放とうと彼の容姿が平凡なレベルから逸脱する事は無く、大勢の中に紛れ込めば容易く埋没してしまうであろう事は想像に難くない。
「うわちゃちゃちゃちゃちゃーー!」
情けない悲鳴を上げながら転がり続ける少年。直撃を喰らえば人間の体など、その場で燃えカスにされかねないほどの猛火を必死に回避し続けるその姿は、お世辞にも格好良いとは言えない。
それでもその瞳から戦う意思が消える事は無く、今も尚、己の勝利の為に運命に抗い続けている。
「ここじゃ良い的だ、戦略的撤退!」
狭い部屋の中では不利だと感じたのか、少年は転げ回る勢いをそのままに立ち上がり部屋から飛び出すと、手すりを掴み一気に下、一階のロビーへと飛び降りた。
見た目の印象そのままに猫のような身軽さで全身を上手く使い、少年は音も無く着地に成功。そのすぐ後に不吉な予感を感じて素早くその場から退避。次の瞬間、天井を突き破った炎が一瞬前まで彼が居た場所を蹂躙する。
急速に温度を上げる室内の空気に構わず見上げた少年の視界に入ったのは、天井に逆さに貼り付いた化け物の姿。
「お前は逃げられない」――――そう言い表すかのような、餌を見る捕食者の視線を少年に向ける。
「蜘蛛に似てるからってそこまでする事はねーだろ………」
思わず洩れた少年の愚痴の返事とばかりに、化け物の喉元で燻っていた炎が一気に膨れ上がり解き放たれる。
「よっと!」
この行動は予測していたのか、少年は余裕を持って全力で床を蹴り、回避――――今度は火の粉を浴びないように大きく距離をとる――――成功。外れた炎が起こす爆発。それによる被害も一切無かった。
(―――――よし!)
ここなら問題無く炎を避けられる――――そう判断すると、少年はこの場で戦う覚悟を決める。
「やってやる! 紅玉虫(こうぎょくちゅう)如きがいい気になるな!」
化け物――――紅玉虫は彼の言葉を理解したのか、残虐な笑みの形に口元を歪めると、少年に向かって突進した。どうやら獲物を焼き殺すよりも、己の爪で引き裂く方を選択したらしい。
向かってくる紅玉虫に向けて少年は両手を突き出すと、左手首に填められた鈍色に輝く腕輪を掴み、己のみが使う事を許された武器の名前を高らかに叫ぶ。
「顕在化(で)ろ、神楽耀鎌(セイクリッド・デス)!」
声に呼応した腕輪が眩く光り、闘志は力へとその姿を変える。
あふれ出した光は脈動する束となり、少年の手へと収束していく。
光の束は収束するほどに質量を増していき、密度を増して形を成していった。
そうして現れたのは一言で表現するならば、死神が持つ大鎌。
二メートル半ばにも達する長大な柄。その先端の向かって右側に高さ30センチ、直径5センチ程の円錐状の突起が、左側に刃渡り約一メートルにも及ぶ緩やかな弧を描く刃がついている。
その全ては白銀に輝いており、刃の形状もあいまって、まるで闇夜を照らす三日月のような印象がある。
時間にすれば一秒も経たずに生み出されたそれを僅かに腰を落として構えると、少年は襲い来る紅玉虫の爪を半歩下がって五分の見切りで回避。そのまま攻撃をかわされ無防備となった相手の胴体を狙い、渾身の力を籠めて横薙ぎに大鎌――――神楽耀鎌の刃を叩きつける。向かってくる相手の勢いも利用した絶妙なカウンター。結果は――――
「かってーー!」
相手にかすり傷をつける事も叶わず、逆に攻撃した少年の手が痺れてしまった。それにより生まれる一瞬の隙。そこを狙って紅玉虫は次はコチラの番だとばかりに急制動をかけてその場に踏みとどまり、それによって発生する慣性エネルギーを用いて体を独楽の様に回転、遠心力を加えた爪の一撃を繰り出してくる。
辛くも少年はそれを神楽耀鎌の柄で受け止めたものの、そこに籠められた運動エネルギーまでは完全に受け止められず派手に吹き飛ばされてしまった。このままでは壁に叩きつけられ、大きなダメージを負ってしまう。そうなってしまっては敗北は必至。
「くそ!」
舌打ちしながら少年は神楽耀鎌の刃を床に突き立てて勢いを殺し、壁に叩きつけられる前に何とか着地成功。そこへ紅玉虫が再び突進を仕掛けてくる。彼我の距離は約15メートル。
(胴体は駄目だ、じゃあ――――)
突進してくる紅玉虫をどう回避するかについては全く問題無い。あの程度ならば幾らでも対処出来る自信がある。問題なのはどうやって相手を倒すかだ。
分厚い体毛に覆われた胴体への狙いは捨てる。自分の攻撃力では、どう足掻いてもあそこを傷つけるのは不可能。ならば――――
素早く考えを纏めると少年は神楽耀鎌の柄の後端、石突の辺りを両手で持ち限界まで長く構えて、先程の紅玉虫と同じく体を独楽の様に回転させる。
一回転――――
紅玉虫が突進してくる。彼我の距離は約10メートル――――まだ遠い。
二回転――――
紅玉虫が突進してくる。彼我の距離は約6メートル――――もう少しだ。
三回転――――
紅玉虫が突進してくる。彼我の距離は約2メートル――――射程に入った。
リーチはこちらの方が長い。敵の攻撃は届かない。コチラの攻撃は届く。
回転しながらも少年は相手との距離を正確に測り、刃の先端を狙った場所に充分に力を乗せて打ち込む為に素早く両手をスライドさせて柄の長さを調節、神楽耀鎌を構え直す。
「いっけええぇぇぇええーー!!」
気合一閃――――
タイミングを合わせて、遠心力と向かってくる相手の勢い、更には床を砕くほどの踏み込みの力をも上乗せした一撃を4つある紅玉虫の複眼、その内の一つに叩き込んだ。
「ぎゃおおおお!!」
狙い違わず刃の先端がカウンター気味に紅玉虫の複眼の一つに潜り込む。眼を潰され、身の毛もよだつ叫び声を上げる紅玉虫。同時に紅玉虫の巨体が元々持つ重量、それが突進のエネルギーにより掛け算されて増量、凄まじい慣性重量と変化して少年を襲う。
少年も今度は相手の勢いに負けて吹き飛ばされないよう、充分に踏ん張って待ち構えていた。自己を襲う凄まじい重量、その全てを己が踏みしめる足場へと受け流すか、己の体で受け止め、より一層深く神楽耀鎌の刃を相手に喰い込ませる為の力へと変換させる。
一瞬の拮抗。僅かに後退したものの、無事に踏みとどまった。紅玉虫も痛みにより怯み、動きが止まっている。少年はそのまま一気に相手の顔面を引き裂こうとするが、
「ここもかよ!」
予想以上に固い相手の頭蓋骨に阻まれ、断念させられた。またも攻守逆転。怒りに燃えた紅玉虫が爪を振り上げる。神楽耀鎌を引き抜いて受け止めようにも、しっかりと刃が喰い込んでいる為それは不可能。
一瞬の判断で神楽耀鎌を手放し、後ろへ跳んで攻撃を回避。紅玉虫の一撃は虚しく空を切る。
「やっと本気になりやがった。そうだよ俺はお前の餌じゃない」
少年の言葉通り、紅玉虫の様子が変わった。それまでは少年をただの餌だとしか認識していなかったようだが、ここにきてやっと相手を敵と認識。油断無く距離をとり連続で炎を放ってくる。
先程とは比べ物にならない速さ、正確さ、威力で放たれる炎。少年は神楽耀鎌を維持していた霊力を全て肉体強化にまわす。神楽耀鎌は霞のように掻き消えて左手首に填められている腕輪に戻った。
強化された身体能力を存分に駆使して少年は炎を回避し続ける。炎と炎の間に出来る僅かな隙間を縫うように、泳ぐように、滑るように直撃を避け、歩を進めるその姿はあたかも完成された舞を思わせるものがある。
とは言っても、完全にダメージが無いという訳ではない。直撃は避けても炎が放つ余波によって、少しづつではあるが確実に少年から体力が奪われていっている。今はまだ問題が無くても、そう遠くない内に致命的な事になるのは確実だ。その前に決着を付けねばならない。
(コイツはどうだ?)
作戦決定、少年は自ら紅玉虫に接近開始。当然、近付けば近付く程炎を避ける事は困難になっていき、避け切れなかった炎が衣服を焼き、肌を焦がす。
焼き鏝を押し付けられたような痛みに襲われ、少年は思わず悲鳴を上げて転がり回りたくなる。だが、そんな事はしない。今はそんな余裕など何処にも無い。今だけは己は痛覚を持たない人形だという強烈な自己暗示をかけて痛みを黙らせ前進し続ける。
(―――――今だ!)
一足の間合いにまで接近に成功。同時に霊力を全て足にまわして脚力強化、全力で床を蹴り、炎を避けつつ紅玉虫の真上に跳躍。
突然の縦移動はそれまで前進、もしくは横移動しかしてこなかった少年の動きに慣れた紅玉虫からすればいきなり相手が消えたようにも感じられた。慌てて少年の姿を求めて視線を彷徨わせる。
紅玉虫の真上に跳躍した少年は体を回転、向きを変えて今度は天井を蹴り、紅玉虫のすぐ横に向かって突貫、床に到達する寸前に脚力強化を解除、再び神楽耀鎌を形成、石突を両手で掴み、紅玉虫の足と足の間から床と腹の隙間に突起を差し込んだ。
そのまま一気に着地。同時にレバーを下げるように、神楽耀鎌の柄を加速と重力によって掛け算させて増大させた全体重をかけて下ろした。
支点―――――床に接地している三日月状の刃。
力点―――――少年が握り全体重をかけてている石突。
作用点――――紅玉虫の足と足の間から床と腹の間に差し込まれている突起。
この三つが揃った以上、起こる現象は一つ。梃子の原理である。
それにより紅玉虫は真上に跳ね上げられ、これまで見せてこなかった腹部と喉が露になる。それこそが少年の狙い。冷静に迅速に攻撃部分を選択する。
腹部―――――却下。予想通り腹部も頑丈な体毛に覆われており、自分の攻撃力では傷をつけられないだろう。
喉――――――胴体と頭部の継ぎ目、そこに僅かながら体毛に覆われていない部分がある。
(喉だ―――――)
選択終了。発条(ぜんまい)を巻くように全身を捻り、弓を引き絞るように力を蓄え、それを一気に爆発させる。
「らあああああ!!」
――――――命中!
相手が落下してくる勢いも利用したその一撃は――――
「くそったれ!」
やはり通じなかった。胴体と同じくかすり傷もついていない。返ってくるのはいつも通り鉄塊を叩いたような固い手応えのみ。
もっとも、傷こそつけられなかったが、向こうも完全にダメージ無しという訳でもなかったらしい。僅かに怯んだ気配を見せ、炎を吐きながら後退。少年も後退しながら身を翻してそれを回避。互いに距離をとりあい、それぞれ相手の出方を窺うかのようにジッと待ち構え、そのまま睨み合いになる。
(どうする、どうすればいい?)
表面上は冷静にしながらも少年は内心かなり焦っていた。あそこまでやっても自分は相手に大したダメージを与えられない。それどころか、さっき潰した筈の眼もいつの間にか復元している。逆に向こうは少しずつではあるが、着実に自分にダメージを与えてきている。このままでは敗北は免れない。その前に何とか逆転の一手を。
(やるしかない、か…………)
最後の手段を採る覚悟を決めた。最早これ以外に自分が相手に勝利する手段は思いつかない。
少年は神楽耀鎌を左腕の腕輪に戻す。そして腕輪を外し霊力で包み込むと無造作に近付き誘いをかける。紅玉虫はそれを待っていたかのように炎を乱射。少年は大きくサイドステップしてその全てを回避。同時に腕輪を投げつける。
投げられた腕輪は狙い通り、吸い込まれるかのように紅玉虫の口の中へ。反射的に紅玉虫は腕輪を飲み込んだ。全て計算通り。後は神楽耀鎌を形成するだけ。たとえ手元に腕輪が無くても理論上は形成可能な筈。
「顕在化(で)ろ、神楽耀鎌!」
霊力で包み込まれた腕輪は少年の声に反応して、神楽耀鎌を形成――――――しなかった。
「何で!? いや、やっぱり俺じゃあ駄目なのか!?」
神楽耀鎌が形成されない理由に思い当たり、少年は絶望の声を上げる。
薄々予感はしていたが、やはり自分の力ではここが限界なのか。
泣きたくなる程の無力感に襲われ、この戦いの中、初めて少年の意識に空白が生まれる。そこを狙って放たれる炎。慌てて回避しようとしても既に遅い。
(駄目だ――――)
少年が死を覚悟したその瞬間、彼を護るかのように周囲に風の壁が出現。それによって少年は覆い尽くされる。炎は風の壁によって完全に弾かれ、少年には届かない。
「真散(まちる)姉!?」
風を操る力の持ち主の名を呼ぶ少年の声に応えるかのように、凛とした声が響き渡る。
「―――――散河澎湃(さんかほうはい)!」
圧倒的な水気が紅玉虫を襲う。あれだけ少年が攻撃しても、結局大した傷も与えられなかった紅玉虫の体は呆気無く氷結、次の瞬間、澄んだ音をたてて塵と化していった。
「この技は……真咲(まさき)姉も来ているのか………」
「大丈夫、慎一(しんいち)?」
目の前の光景に圧倒されて呆然と立ち尽くす少年――――慎一に先程の声と似て否なる声が気遣わしげにかけられる。
「真散姉……」
振り向いたその先にいたのは髪を短く切り揃え、紫のバンダナをカチューシャのようにつけているおっとりとした感じの女性。右手に鳥の翼を象った美しい剣を持っている。その容姿は充分以上に美人と呼んでいいレベル。スタイルも良く、慎一と呼ばれた少年と違って、町を歩けば最低でも10人中7、8人は振り向くのは間違い無い。
彼女の名前は九重真散(ここのえまちる)退魔の名門、九重家の現当主の妹にして、紅玉虫と戦っていた少年――――九重慎一(ここのえしんいち)の義理の姉である。
「本当に大丈夫? 火傷だらけじゃない」
「うん、大丈夫だから、心配しないで……」
尚も心配げに声をかけてくる真散に慎一は笑顔を向ける。もっとも、笑顔といってもそれは表面上だけなのは誰の眼にも明白だ。本当に人を安心させたいのなら、まず最初に背中に背負っている暗雲を何とかするべきだろう。それ以前に火傷だらけの体では「大丈夫」という言葉に説得力の欠片も与えられない。
「ほら、これあなたの龍駆石(りょうくせき)」
「ありがとう、真散姉」
紅玉虫が消えた後に残っていた自分の腕輪を真散から受け取ると、慎一は思わず彼女が持っている剣とそれとを見比べた。劣っているのは武器ではなく、己の力だと分かってはいてもそうせずにはいられない。
「畜生……………」
形ばかりの笑顔が不甲斐無い自分への失望にたちまち崩れていく。
「話は後にして、とにかく家に帰ろ、ね? 早く手当てしないと……」
「分かった………」
二人が連れ立ってビルから出て行こうとした時、この場に来ていたもう一人が声をかけてくる。
「待ちなさい」
「お姉ちゃん………」
「真咲姉………」
いつの間にビルの中に入ってきたのか、真散と同じく髪を短く切り揃え、彼女と同じ顔をした美女が姿を現した。
こちらも町を歩けば最低でも10人中7、8人は振り向くのは間違い無いだろう。ただしそれぞれが他人に与える印象は全く違う。
彼女は真散には無い大人の女性の色気を放っており、その内面を現すかのように全く違った雰囲気を放っている。例えて言うなら、真散が太陽なら彼女は月といったところか。
彼女も右手に剣を持っており、こちらは氷柱を象った円錐状をしている。
彼女の名前は九重真咲(ここのえまさき)、退魔の名門、九重家の現当主にして、真散にとっては実の、更に言えば双子の、慎一にとっては義理の姉にあたる人物である。
普段は穏やかな笑顔を浮かべているその顔にあるのは厳しい表情。二人は経験的に真咲がこういう顔をしている時は、本気で怒っている時だと知っているだけに萎縮してしまう。
「慎一、私達に何か言う事は無い?」
剣を消すと腕を組み、感情を抑えながら詰問してくる真咲に慎一は力なくうな垂れ、必死に言い訳の言葉を探す。
「その………」
「お、お姉ちゃん、慎一も疲れてるし、火傷の手当てもしないといけないから話はまた後で……」
弟を庇うかのように真散が二人の間に割って入る――――こちらも剣を消している――――が、真咲はその程度で赦すほどお人好しではない。尚もきつい口調で慎一を問い詰める。
「下がりなさい、真散。もう一度聞くわよ、慎一。私達に何か言う事は無い?」
「その………」
「『その………』……何?」
「………ごめんなさい……」
結局、言い訳の言葉も見つからず、慎一は素直に頭を下げた。が、真咲は追及の手を緩めない。二度と同じ事が無いよう、ここで弟をしっかりと叱っておかねばならない。
「そうね、まずはそれよね………で、どうして私達に謝る羽目になったのかしら?」
「勝手に一人で退魔の仕事に出かけたから………」
「分かってるじゃない。それで、どうしてそんな事したの?」
「お姉ちゃん、もうそれくらいで………」
何とかとりなそうとする真散。しかし、真咲がそれに応じる気配は無い。振り向く事無く慎一への追及を続ける。
「いいから、真散は下がっていなさい。約束したわよね、慎一。『一人で退魔の仕事には行かない。行くなら真散か私のどちらかと一緒に行く』って。念のために聞いておくけど、忘れた訳じゃないわよね?」
「うん……」
「だったらどうしてこんな事したの!?」
ここで真咲は初めて感情を爆発させた。いつも冷静な彼女にしては珍しい光景。余程慎一の、弟の事が心配だったのだろう。
「………………………た……」
うつむいたまま答える慎一の声は小さく、真咲には何を言っているか聞こえない。
「………え?」
「……強くなりたかったんだ!」
「慎一………」
血を吐くような弟の叫びに真咲は表情を曇らせた。
彼女は、いや、彼女達姉妹は慎一が「強くなりたい」と誰よりも願っている事を知っている。それが彼の幼い頃からの夢を叶える為に必要である事も知っている。その為に九重家に引き取られて以来、どれだけ努力を重ねてきたかも知っている。
しかし、運命、才能の不足、そういったこれ以上ないほど単純で残酷な言葉でしか言い表せないような、生まれつき背負っている大きなハンデがある以上、それは容易い事ではない。
今回の勝手な行動も、少しでもそれを何とかしようとする足掻きの現れだろう。少なくとも真咲はそう思う。
「慎一は弱くなんか………」
「弱いさ!」
真散の言葉を遮って慎一が叫ぶ。
「だってそうだろ! さっきも真散姉が助けてくれなければ俺は死んでいた。俺があれだけ必死になって攻撃しても、結局致命傷を与えられなかった相手を真咲姉は一撃で葬り去った!」
先程の光景を思いだして、慎一は強烈な自己嫌悪に襲われた。まるで「これが生まれついての格の違いだ」、そう言わんばかりのあの圧倒的な光景を目の当たりにしては、劣等感を抱かずにはいられない。
「でもそれは……」
今の慎一には慰めようとする真散の声は聞こえない。自棄になったかのように、有無を言わさない迫力で自らの心の内を吐露し続ける。
「ああそうだよ! 俺の霊力は弱い! 姉さん達と比べるどころか、他のどんな霊狩人(たまかりうど)と比べてもダントツに弱いさ! 普通に考えたら、この程度の力しかない俺が霊狩人になるなんてとんだお笑い種だろうな! でも、それでも俺は……………それでも俺は強くなって霊狩人になりたいんだ!」
◇ ◆ ◇
霊狩人(たまかりうど)
それは陰陽師、魔術師、風水師、さまざまな名称を持つ彼等の内、幽玄の世の住人、いわゆる妖怪、妖魔などと呼ばれる異形の化け物の命を刈り取る事を生業とした者達。
いつからか、彼等は己の役割を霊狩人と呼ぶようになった。
今は亡き実の両親の跡を継いでそれになる事が慎一の夢。
彼はその為に幼い頃から文字通り血を吐くほどの鍛錬を、それこそ常軌を逸したと言ってもいいほどの鍛錬を自らに課してきた。その甲斐あってか彼は年齢から考えると、信じがたい程に優れた身体能力と体術、武術を身につけた。そしてそれを生かす為の戦術も。
更には霊狩人達が使う様々な術の知識――――呪言、詠唱、印の組み方、環境を利用した特殊な術を使う為の条件等――――をも身につけている。
真咲達が知る限り、これらの点で彼以上に優れた霊狩人は早々いない。少なくとも同年代の中では最高の部類に属すると言ってもいい。現役の霊狩人、その中でも一流と呼ばれる者達とも張り合えるだろう。
ただ、その全ては「生まれつき霊力が弱い」それだけの理由で簡単に否定されてしまう。
幾ら体を鍛え、技を身につけて彼の貧弱な霊力を使って身体強化じみた事を行っても、充分な霊力を持つ者が使う本物の身体強化の前には無力だ。実際に比べてみればその差は歴然。正にウサギと亀。月とスッポン。霊力で強化した状態で真っ向正面からの力比べを行えば、年下の少女にも敵わない。
術の使用に至っては悲惨の一言に尽きる。どれだけ豊富な知識があっても、彼の霊力で使用出来るのは大した効果のない初級の術のみだ。
本人としては堪ったものではないだろう。努力しても、努力しても、「霊力が弱い」ただそれだけで弱者にされるのだから。
これが努力で何とか出来る事なら、慎一もこれまで見せてきた人一倍の努力で何とかした筈だ。
だが、「生まれつき霊力が弱い」――――こればかりはどうしようもない。
後天的にそうなったのならともかく、生まれつき弱い霊力を増大させる方法など真咲も真散も知らない。知っていたなら、とっくに何とかしてやっている。
霊力とは才能だ。
それはもう生まれた時から残酷なまでに定められている。
無い者は一生涯持てない。
僅かな例外として、生まれた時は持っていなくても、成長するにつれて霊力が発現、増大していく場合がある。そのような者は確かに存在する。が、残念ながらそれも十代半ばまでに限られる。慎一の年齢ではこれ以上の成長は見込めない。
他のケースで後天的に霊力を発現、成長させた者もいなくはないにしても、それは例外中の例外。当てにはならない。
つまり、慎一の霊力は一生弱いままと断言していいだろう。
それはとりもなおさず、九重慎一は控えめに言うなら、霊狩人に向いていない。はっきり言えば、なれないという事に繋がる。
何故なら霊力が弱いという事は、それだけで他にどんな才能があっても霊狩人としての才能が無い、という事になるからだ。
勿論、霊力があれば良いというものではないが、弱いという事は致命的だ。
何せ充分な霊力が無いと、妖魔に対して満足に攻撃や防御も出来ない。
そして攻撃や防御も出来ない以上、必然的に戦えば必ず負けると言う事になる。
そのような者を霊狩人として認める者など存在しない。
もっとも、絶対になれないという訳でも無い。真散は何度目かになるか忘れたが、今回もまたいつもの説得を始める。
「慎一、どうしても霊狩人になりたいなら、龍駆石じゃなくて他の霊具を使えばいいじゃない。あなたの体術と武術なら充分にやれるよ。霊具は私達が何とかするから……」
そう、力が足りないなら他の何かで補えばいい。それが人間というものだ。事実、慎一ほどではないにしても、霊力が弱くても霊具の力を借りて活動している霊狩人は存在している。
身内の欲目を差し引いても、真散の知る限り慎一以上の体術と武術の使い手はそうそういない。充分な力を持つ霊具を使えば必ず本人の希望通り一人前の霊狩人になれると確信している。
だが、慎一の返事はいつも同じだ。きっと今回もそうだろう。
「駄目だよ、真散姉。龍駆石を使って霊狩人にならないと意味が無いんだ」
やはり今回もこれまで通り、首を縦に振らなかった。
◇ ◆ ◇
龍駆石(りょうくせき)
対霊兵器として霊狩人が生み出した武器。賢者の石と同じく硬度ゼロの架空原石。普段は腕輪や指輪などの携帯可能な形をしており、発動と同時にそれぞれの武具へと姿を変える。
慎一が持つ白銀の大鎌――――神楽耀鎌(セイクリッド・デス)
真散が持つ鳥の翼を象った美しい剣―――――双炬剣“風”(イノセンス)
真咲が持つ氷柱を象った円錐状の剣―――――双炬剣“水”(ギルティ)
これらは全て龍駆石が変化した武器である。
基本的にその全てに一つ以上の特殊能力がついており、イノセンスは風の力を、ギルティは水の力を自由に操れる。
他にも、あるものは装備すると同時に身体能力が向上したり、その刃に浄化の力がある等、力の種類は多岐に亘る。
完全に個人専用の武具で一度使用者が登録されてしまえば、僅かな例外を除いて他人には使用不可能。
尚、その僅かな例外とはイノセンスとギルティ。これらは九重家に代々伝わる龍駆石で、とある方法で使用者の変更が可能らしい。その“とある方法”とは代々の九重家当主とその後継者にしか伝えられていない秘伝である為、養子である慎一には全く知らされていない。
上記の事からも分かる通り、使用者を選ぶという多少の制限はあるものの、龍駆石とは霊狩人最大の武器である。
本気で霊狩人を志す人間なら、本来はこれを使いこなせるようになっておくべきだ。そうなっておいて損は無い。にも拘らず、真散が慎一に龍駆石の使用を勧めないのにはそれなりの理由がある。
具体的に挙げるなら理由は全部で三つ。その全てが慎一の霊力が弱い事に起因する。
まず最初に、神楽耀鎌を形成している間は、他の霊的な能動的行動が全くとれないという事。
元々彼の霊力ではまともな方法では龍駆石の起動は不可能な筈だった。だが、彼は努力した。霊力のコントロールを極限まで磨きぬき、最小の霊力で最大の効果を出すという、霊狩人にとっては基本的なスキルを有り得ない程に高いレベルで発現させる事に成功。それにより龍駆石の起動を可能にした。
もっとも、不可能を可能とした奇跡の代償は大きく、己の持つ全ての霊力を神楽耀鎌の形成とその維持に回している為、起動中は霊力による肉体強化、種類も少なく効果も薄いながら使えていた術も使用不可能になってしまう。
しかも、少ない量の霊力で無理に起動させている為、その攻撃力は他のどの龍駆石よりも低い。具体的に言うなら、最下級の妖魔に通じるか通じないか、というぐらいに貧弱である。更には一般人でさえ僅かと言えど持っている筈の肉体の霊的加護も失われる。言ってしまえば、神楽耀鎌を形成中の彼は霊的には裸も同然。
せめてもの救いはあくまでもとれないのは能動的行動だけであって、受動的行動、つまり、霊視や気配の察知、相手の妖気や霊力の流れの見極めなどには影響が無い事ぐらいだ。
次に神楽耀鎌が重いという事。
如何に霊的な武器とはいえ、龍駆石が変化した武器にもしっかりと重さがある。その重さはだいたい見た目通りと言っていいだろうが、その使用者が持った場合のみ、重さは軽減される。具体的な例を挙げるなら、とある少女が持つ大刀は重さが17キロもあるにもかかわらず、彼女が持った場合のみ体感重量1.6キロぐらいだそうだ。熟練して霊力を自在に通わられるようになれば、体の一部と同じく全く重さを感じなくなるらしい。
しかし、慎一の場合は上にも挙げた通り、神楽耀鎌の形成とその維持で精一杯。軽量化の為に霊力を通わせる余裕など何処にも無い。よって、彼は20キロ近くある神楽耀鎌を強化無しの素の身体能力と磨き上げた術理で振り回している。
勿論、最初からそんな芸当が可能だった訳ではない。実際、形成に成功した当初は武器の重さに振り回されていた。それを可能にしたのはやはり努力だ。何度も疲労骨折を繰り返す程の鍛錬を積み上げた結果、彼は自在に神楽耀鎌を振り回せるようになった。
とは言え、重いものは重い。その事に変わりは無い。神楽耀鎌の重さが戦闘の際に動きを鈍らせ、疲労を誘う原因の一つになっている事は動かしようの無い事実である。
最後に、神楽耀鎌にある筈の特殊能力が発動していない、または出来ないという事。
この理由も簡単。
慎一が霊力に乏しい為、特殊能力を発動する為に必要なだけの霊力を捻り出せないから。理論的には必ず特殊能力がある筈にせよ、充分な量の霊力が無くてはどんな能力も発動しない。
これだけ理由を並べれば、何故真散が慎一に龍駆石の使用を勧めないか誰にでも分かるだろう。
攻撃力も低く、防御力も下がり、機動力も落ち、疲労を誘う原因になり、特殊能力も発動できず、とどめとばかりに術も使用不可能になる。
呪いの武器でさえ、メリットとデメリットの両方があるというのに、慎一にとって龍駆石の使用はデメリットしかない。これならいっその事使わない方が遥かにマシだ。
このまま龍駆石に拘り続ける限り、慎一には霊狩人への道は拓けない。仮になれたとしても、精々三流、もしくはそれ以下。
真散も、そして真咲もどうしても退魔の仕事をするなら、龍駆石ではなく他の霊具を使うよう口を酸っぱくして何度も言っているのだが、慎一は頑として聞き入れない。
「ごめん、真散姉。本当にこれだけは譲れないんだ……」
そう言って慎一は頭を下げた。
本当にすまないと思う。常識的に考えれば、そちらの方が賢いと分かっている。姉たちが心から自分を思って提案してくれているのも分かっている。碌に使えもしない武器に拘って長年の夢をふいにするなんて、我ながらどうしようもない大馬鹿野郎だと思う。
それでも―――――――それでも、この一線だけは譲れない。
自分は龍駆石を使って戦う両親に憧れて霊狩人になる事を決意したのだから。
「慎一………」
心からすまなさそうに謝る弟の顔を見て、真散は今回もまた説得が失敗に終わった事を悟った。
◇ ◆ ◇
「さて。二人ともいいかしら………」
二人の話が終わるタイミングを見計らって真咲が声をかけてくる。
「お姉ちゃん……」
「真咲姉……」
視線を向けてみると、そこにいたのは無茶をする弟を叱る姉の姿。
「―――――あなたの言いたい事は分かったわ………」
一旦、言葉を区切る。
真咲も慎一の「強くなって霊狩人になりたい」という夢を叶えられるものなら叶えてやりたいと思う。
だが、それと今回の件とは話が別だ。いったい、自分達が、特に真散がどれだけ心配したのか分かっているのだろうか?
偶々協会の人間が電話をとった慎一の態度を不審に思い、確認の電話をしてくれなければどうなっていた事か。
自分でさえ、一瞬意識が真っ白になり、真散などは現場に着くまでずっと半泣き状態だった。
そしてあの時、現場に到着した時、今にも炎の直撃を喰らいそうだった慎一を助ける為に真散が龍駆石を起動、イノセンスを形成、風の壁を生み出し、自分はギルティを形成して奥義「散河澎湃」を放ち紅玉虫を葬った。
本当に際どいタイミングだった。ほんの少しでも到着が遅れていたら、慎一は死んでいた筈だ。そう思うとゾッとする。
血が繋がっていなくても、慎一は自分達にとって可愛い弟だ。喪うなど考えられない。
それだけは姉として、しっかりと言い聞かせておかねばならない。
「それでも、約束を破った言い訳にはならない。いったい私達がどれだけ心配したと思っているの?」
「そうだよ、慎一。実戦経験を積みたいなら私達も一緒に行くから……その方が安全だよ、きっと……」
しつこいようだが、霊力が弱いという事はそれだけで霊狩人には致命的なハンデだ。それを少しでも埋めるには霊具を使うか、実戦経験を積んで効果的な戦い方を身につけるしかない。
よって慎一もこれまでは実戦経験を積む為に真散か真咲のどちらか、あるいはその両方と退魔の仕事に出かけていた。
確かにそうしていれば真散の言う通り安全には違いない。何せ危なくなったら助けてもらえるのだから………
そう、“必ず助けてもらえる”のだ。
そしてこれが今回、慎一が約束を破ってまで単独で退魔の仕事に出かけた理由でもある。
「安全……そうだね、真散姉………確かに安全だ…………でも、それじゃ意味が無いんだよ………」
自分の身を案ずるあまり、大切な事を見落としている真散に慎一は苦い笑みを向けた。
「『意味が無い』って、どういう事?」
「…………………」
慎一の言葉を聞いてキョトンとした表情を浮かべる真散と、表情に苦い物を含ませている真咲。どうやら真咲は慎一の言いたい事が分かるらしい。
(そうだ……真咲姉と真散姉に護られていたら意味が無いんだ………)
考えてもみて欲しい。いったい何処の誰が、危なくなったら必ず助けてもらえる戦いを実戦などと呼ぶのか?
そのような戦いは訓練と呼ぶ。間違っても実戦と呼ぶ馬鹿は何処にもいない。
――――このまま姉たちに保護されている限り、自分はただの一度も実戦を経験出来ない――――
だから、自分は今回の行動にでた。本当の意味での実戦を経験する為に。
もっとも、結果は見ての通り。相手に碌なダメージも与えられないまま戦いに敗れ、今回もまたいつも通り姉達に助けられてしまった。
(畜生…………霊力さえあれば…………)
真散の説得と同じく何度目かになるか忘れたが、今回もまた慎一はいつも通りの苦悩に陥った。
無いものねだりをしても仕方ない。それは分かっている。
そもそも人間とは不満と一緒に生まれたようなもの。個人差はあるものの誰もが何がしかの不満を抱え、それに折り合いをつけて生きている。
これはただの我侭。しかも、幼い子供と同じレベルの。
それでも考える。
もしも、本当に「もしも」だが――――
自分にもう少し霊力があれば―――――と。
別に他を圧する程に強大な霊力が欲しい訳では無い。
――――が、せめて充分に龍駆石を起動させるに足る霊力が欲しい。
そうであればあの時、先程の紅玉虫との闘いにおいて最後の賭けに出た際にも問題無く神楽耀鎌が形成された筈だ。
他の霊狩人ならともかく、自分が龍駆石を起動するには一分の隙も無い絶妙な霊力のコントロールが必要不可欠。やはりそれは遠隔操作などで可能な程甘い物ではなかった。
これが仮に充分な霊力を持つ他の霊狩人なら、多少の霊力のコントロール不足など問題にならず龍駆石を起動させられただろうが、生憎自分には肝心の霊力が足りない。必然的に神楽耀鎌も形成されず、それが敗北に繋がった。
そして、死を覚悟した次の瞬間、目の当たりにした姉たちが持つ圧倒的な力――――
龍駆石を使いこなす事すら出来ない自分。強力な霊狩人たりうる力を持つ姉たち。
紅玉虫程度の相手に碌にダメージを与えられない自分。それを一蹴してみせた姉たち。
全ては生まれた時に決められており、どれだけ努力しても自分が望む強さは手に入らない。
「畜生…………」
どうにもならない現実に慎一の目から涙が溢れた。
◇ ◆ ◇
「慎一………」
「まったく、この子は…………」
とうとう泣きだしてしまった慎一を見て、真散は自分まで泣きそうになり、真咲は頭を掻いて溜息を吐く。
知ってはいたつもりだったが、弟がここまでを思いつめていたとは思いもよらなかった。
それは明らかに自分のミス。しっかりと弟の心の内を把握していれば今回の勝手な行動は防げた筈だ。
これからはただ一緒に付いて行くだけではなく、難易度の低い安全な仕事から任せていった方がいいだろう。
足りない霊力、正確には不足している攻撃力と防御力は霊具を使って補えばいい。
確かに慎一は霊具の使用を頑なに拒んではいるが、それは霊刀や霊槍といった龍駆石の代わりに使う主力となる武器に限られている。退魔の力を付与させたスローイングナイフや呪符といった補助用のものについては、それほど強い抵抗感を示してはいない。
龍駆石を使いながらでもそれがあれば、並みの妖魔が相手なら何とかなる筈だ。どうしても霊具の使用が嫌だと言うのなら、単独で実戦に出す交換条件の一つとして提示すればいい。そうすればどれだけごねようと、最後には必ずこの条件を呑む。
自分達に心配をかけた件についても、あの気の強い弟がしょぼくれた態度をとって素直に頭を下げた様子から見ても充分に反省しているようだし、ここは姉である自分から妥協案を持ち出してやろう―――――勿論、後で制裁を加えるが……
その方が慎一も納得するだろうし、自分達も「今度はいつ暴走するか」などという心配から解き放たれる。
考えてみればただ叱り付けるより、コチラの方が断然良いではないか。最初からそうしておけば良かった―――――と言うよりも、何故、そうしなかったのだろう?
よし決めた。真散は間違い無く反対するだろうが、ここは当主権限でも何でも使って納得させる。
「慎一、もう二度と勝手な行動はとらないと約束しなさい。そうすれば今度からは、私の認める範囲内で貴方に単独で仕事に向かう事を許します」
「お姉ちゃん!」
「本当! 真咲姉!」
驚愕する真散。泣き顔から一転、表情を明るくする慎一。ここまで予想通りの反応をされると少し気持ちいい。
「本当よ、慎一。だから約束しなさい。『もう二度と勝手な行動をとらない』って」
「うん! 約束する! 絶対だ!」
「お姉ちゃん!」
喜色満面といった感じで頭を振る慎一とは逆に真散は非難の声を上げる。予想通りの反応。やはり慎一を単独で仕事に向かわせるのは反対らしい。余裕の笑顔を浮かべながら真咲はそれに対応する。
「何、真散?」
「『何、真散?』じゃなくて!」
「『どうしてそんな事言うの? 危ないじゃない!』って言いたいの?」
真咲に言いたい事を先回りされて言われた真散は一瞬絶句しながらも頷いた。
「………そうだよ!」
真咲は尚も納得する様子を見せない真散を淡々と諭す。
「真散、貴方も慎一が本気で霊狩人になりたがってるのは知っているわよね?」
「それぐらい知ってるよ!」
即答――――間髪入れず真散は答えた。真咲はもう一つの質問をする。
「ならどうして今回慎一が勝手な行動をとったのかも?」
「それは………」
今度は即答出来なかった。口篭る真散に真咲は立て板に水を流すように、淀み無く言葉を続ける。
「いい? 今回この子が勝手な行動をとったのは、今まで私達が構いすぎたからよ」
「でもそれは――――」
慎一が心配だったから、という真散の反論を真咲は事も無げに封じる。
「確かに私達がその場で監督していれば慎一の安全は保証されるけど、それじゃあいつまで経ってもこの子が望む実戦経験は得られない。だからこの子は今回の行動にでたのよ」
「………そうなの、慎一?」
「………………うん」
真咲の言葉の真偽を問い質す為に質問してくる真散に、慎一は躊躇いながらも、ハッキリと答えた。
「………そう……」
ショックを隠せない様子で呟く真散。
彼女としては、今まで慎一が退魔の仕事に行く際に同行していたのは、弟の身を案じての事だったが、それが逆に弟の望みを妨げていたとは思わなかった。
そしてその事に姉は気づいていたのに、自分は気づけなかった事も。
「ごめん、真散姉達が心配してくれているのは分かっているけど……それでも俺は一人でやりたいんだ」
「…………うん、分かった。お姉ちゃんも応援してあげる」
「―――ありがとう、真散姉!」
ややあって、笑顔を浮かべて励ましの言葉をくれた真散に慎一は表情を輝かせた。
本当に嬉しい。これで自分は少しずつでも霊狩人に近づけるかもしれない。そう思うと、意味も無くこの場で踊りだしそうなってくる。
「それと慎一、言い忘れたけど一人で退魔の仕事に行かせるについて一つ条件があります」
折角の喜びに水をさされた慎一は、警戒しながら真咲の次の言葉を待つ。
「――――何、真散姉?」
「仕事で龍駆石を使っても良いけど、必ず私達の用意した霊具も持って行く事」
「それは…………」
真咲の言葉に難色を示す慎一。真咲はそんな弟を安心させるように優しく微笑み、条件の正確な内容を告げた。
「安心なさい。霊具と言っても退魔の力を付与させたスローイングナイフや呪符といった補助用のものよ」
「それなら、まあ………」
不承不承ながらも慎一は納得した。
折角、一人で実戦に出ても良いという許しが貰えるのだ。その程度の条件は呑まねばなるまい。
「真散もそれなら安心でしょ?」
真咲の出した条件を聞いて懸念が払拭され、何の憂いも無くなった真散は今度こそ心から弟を応援する。
「うん、慎一ならきっと大丈夫。頑張ってね!」
「――――だそうよ。頑張りなさいな、慎一」
「うん! 本当にありがとう、真散姉! 真咲姉!」
二人の姉から激励されて慎一は喜びを露にする。それを見て満足を覚えるもそれはそれとして、真咲は姉として約束を破った弟に死神の鎌を振り下ろした。
「でもそれと今回の件についてのお仕置きは話が別よ」
「え゛…………」
思考停止。気分は引き潮。血の気の引く音が聞こえる。九回裏、逆転サヨナラホームランを受けたピッチャーならこの気持ちは分かるだろうか。
思い出すのはこれまでに受けた愛の鞭という名の拷問の数々。よくもまあ手を変え品を変え、あれだけの数の拷問、もとい、愛の鞭を思いついたものだ。
眼前の敬愛する我ら三姉弟の長女さまのご尊顔に浮かぶのは、優しいとさえ言える笑顔――――と言っても、目が笑っていない。それどころか、これから始まる嗜虐の悦びに満ち満ちている。背後で昏く燃えている情念の炎さえ見えてきそうだ。
自分、いや、自分達には分かる。間違い無い。あの顔は完全にお仕置きモードに入った時の顔。
ここしばらくの間、穏やかな日々が続いたので忘れていたが、もう一人の姉――――真散との幼い頃からの共通認識、「真咲姉はドSだ」やはりこれに間違いは無かったようだ。
いや、今はそんな事を考えている場合ではない。何としてでもご機嫌をとらねばならない。出来なければ死あるのみ。
その為にもまずは笑顔でご挨拶。
「真咲姉」
真咲も笑顔で対応してくる。
「何、慎一?」
とりあえず媚びてみる。
「今日も綺麗だね」
「ありがとう」
効果無し。対象は僅かたりとも赦す様子を見せていない。
大丈夫、無問題。この程度でどうにかなると最初から思っていない。予定通り作戦はPHASE2へ移行。
「そうだ、真咲姉この間欲しいって言っていたネックレスがあったじゃないか」
定番のプレゼント攻撃。これならば――――
「もう買ったわ」
――――先回りされた。あえなく撃沈。
大丈夫、まだいける。自分には伝家の宝刀がある。作戦は最終PHASEへ――――
「真咲姉、良かったら俺、今度マロンケーキ作るから――――」
「まさか、食べ物で私を懐柔できると思ってないでしょうね?」
「「………………………………………えぇぇぇええええーーーーー!!」」
作戦失敗。まさかの出来事にたっぷり十秒ほど硬直してから、慎一と真散は揃って「ムンクの叫び」状態になった。
二人の全身に衝撃が走る。今まで信じていた常識が崩壊した。
――――まさか、あの真咲姉がこんな台詞を吐くなんて信じられない!
――――あのお姉ちゃんが!
――――マロンケーキを食べている間は、何をされても分からない程別次元に旅立つ真咲姉が!
――――「マロンケーキさえあれば、プルトニウムも怖くない」と言っているお姉ちゃんが!
――――マロンケーキを食べるのを邪魔をすれば、相手が誰であろうと修羅と化す真咲姉が!
――――昔、コンビニのケーキをケーキ屋のケーキと偽って差し出したら、思い出すのも恐ろしい、トラウマものの報復行動に出たお姉ちゃんが!
――――美味しいマロンケーキを食べる為なら、平気で家族の魂を悪魔に売り渡しそうな真咲姉が!
――――マロンケーキで誤魔化されてくれないなんて!
「……嘘だ…………こんな事ある訳無い。これは夢だ。悪夢だ………」
その場に座り込み膝を抱えてうわ言を洩らし始めた慎一を庇うように、イノセンスを形成した真散が真咲の前に立ちはだかる。
「あなた、何者!? お姉ちゃんを何処にやったの!?」
「あなた達ねえ………」
あっさりと現実逃避を始めた弟と、自分を偽者扱いした妹を見た真咲は肩を落として地の底まで届くような溜息を吐いた。
普段、この二人が自分をどのように見ているかが良く分かる。確かに自分はマロンケーキが大好きだが、それとこれとは話が別だ。
自分は嗜好品の為に大切な家族の事をおざなりにする程愚かではない。
ここはお仕置きの対象を真散と慎一の二人に変更。最期に言い残す事が無いか聞いておいてから、問答無用で裁きの鉄槌を下してやる。
「言いたい事はそれだけかしら、二人とも?」
「あれ、その怒った顔はやっぱり真咲姉?」
「なーんだ、やっぱりお姉ちゃんだ」
「―――――分かったわ、それが最期の言葉で良いのね?」
怒気を纏った姿を見て、やはり目の前の人物は自分達の姉だと安堵し、胸を撫で下ろす二人に別れを告げて真咲はギルティを形成、霊力を限界値まで解放、極限にまで練り上げる――――ここにきてようやく二人は今、自分達が死に瀕している事に気が付いた。
「ま、待って、真咲姉! 話せば分かる! 話せば!」
「そうだよ、お姉ちゃん! 落ち着いて!」
二人は顔面蒼白になりながら必死に命乞いするをするが、もう遅い。ギルティから圧倒的な水気が放たれる。
「―――――散河澎湃!」
「お助けえぇぇええーー!」
「ごめんなさーい!」
真咲の持つ最大の奥義の直撃を喰らった二人はそれから半日の間、行方不明になったとか、ならなかったとか…………
あとがき
初めまして、カリントウと申します。
すいません。文章量の調節が出来ず、これだけの量になってしまいました。
これが長すぎるのかどうかも、よく分かりません。
もしも、「長すぎる。もう少し短くして話を簡潔に纏めろ」という意見が多いようでしたら、次回からそうさせていただきます。
お暇でしたら、ご意見いただければ幸いです。
それでは失礼します。
追記 すいません。誤字を修正させていただきます。