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No.32774の一覧
[0] Lonely No More(ストライクウィッチーズ、読切完結、原作別視点、31385字)[高島津諦](2013/01/16 04:35)
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[32774] Lonely No More(ストライクウィッチーズ、読切完結、原作別視点、31385字)
Name: 高島津諦◆c82871ca ID:31e90b57
Date: 2013/01/16 04:35
【ストライクウィッチーズ、アニメ一期三話をリネット・ビショップ視点で書いたものです。自サイト『シンフォニック断末魔』、pixiv、にじファン、百合こみゅ!にも投稿しています】




『STRIKE WITCHES - Lonely No More』



 人と新しく出会う時は、誰だって期待と不安を両方感じると思う。それは学校のクラスへの転校生だって、パーティへの招待だって、部隊への新人さんだって同じことだ。
 けれど、悲観的な傾向があると自他ともに思われている私が、坂本少佐が扶桑へ新人隊員のスカウトに行くと聞いた時に感じたものは、期待の方が大きかったと言ったら意外に思ってもらえるかもしれない。でも、これは言わない。誰にも。何に期待したかを、言ってはいけないから。
 クラスへの転校生なら、優しい子かな、とか、格好いい子や綺麗な子かな、とか、そういう期待をするのだろう。軍隊においては、普通の軍人は、それらに加えて役に立つ新人だといいな、と期待するのだろう。でも、私の期待はどれとも違ったし、期待というよりほとんど確信だった。
 私、リネット・ビショップは、501で一番の役立たずだ。これも、自他共に認めるところだ。不当な評価だとは少しも思わない。当たり前の事実。けれど、私にだって自尊心というものがあった。一番の役立たずでいることが、本当は悔しくて悔しくて、仕方なかった。そう、だから、新人隊員が来ることに期待したのは、そういうことだ。
 少し乱暴な言い方だけれど、軍隊では、ホシの数よりメシの数、なんて表現がある。この場合のホシは、キルマークじゃなくって階級章の星のこと。つまり、組織上の地位の上下より、軍歴経験の長い人の方が、実質的に権威があるっていう意味の言葉だ。
 私は、地位はウィッチで最低の軍曹だし、経験だって501では一番ない。それでも、まがりなりにも、役に立てなくても、実戦経験が複数回、ある。坂本少佐は民間人をスカウトにいったそうだから、新人さんは実戦経験はもちろん、軍歴だってゼロのはずだ。訓練を受けたことがなければ、ストライカーユニットを見たことすらないかもしれない。
 だから、私は、私より役に立たない人が来ることを、部隊で私より下の人ができることを、喜んでいたのだ。
 自分でも、こんな醜い自分がいたことに驚いた。でも、確かにこの気持ちは私の中にあった。不安は、新人さんが才能豊かで私をすぐに追い抜くことだったけれど、それでも少しの間は私の方が上でいられると信じ切っていた。
 そう思っていたから、坂本少佐が連れてきた彼女――宮藤芳佳さんが初めて私たちの前に現れた時は、歓迎の笑みを浮かべられた。こんな醜い気持ちでの歓迎なんて、どんなにかおぞましいかと思うけれど。それを笑顔と呼ぶことは、何かに対する冒涜だと思うけれど。
 でも、私のその浅ましい気持ちは、すぐに打ち砕かれた。彼女は既に、ストライカーユニットを着用し、初めてにもかかわらず飛行に成功し、信じられないことに坂本少佐をサポートしてネウロイと戦ったのだと聞いて。
 天賦の才能があるに違いなかった。彼女は、私と一言も言葉を交わす前から、一度も訓練を受ける前から、部隊の他の人たちと同様、或いはそれ以上に、私に劣等感を与える存在になった。
 そして、私は思ったのだ。彼女とは、決して分かりあえないし、仲良くもなれないだろう、と。


        ☆


 もともと、寝起きは特別よくはなくとも、悪いわけでもなかった。けれど、ここしばらくずっと、朝が辛い。寝付きは悪くなったし、寝起きも悪くなった。
 休む時は十分に休むこともウィッチには重要だ、と言っていたのは坂本少佐だったろうか、バルクホルン大尉だったろうか。私はそんなことすら上手くできないし、そう思うことでますます上手に眠れなくなっていった。
 今日もまた朝が来たらしかった。日の光に辟易して目を覚ます。ベッドから重い体を起こし、立ち上がる。
 窓際まで歩き、カーテンを開ける。いい天気だった。青い空が見える。私が飛ぶ空が。溜息が出てしまいそうなのを何とかこらえた。今日できたこと、一つ目。
 テーブルの水差しから一杯水を飲み、手早く支度をする。身だしなみの時間だけは早くなったと思う。今日できたことの、二つ目。
 食堂に向かう。今日は私が食事を作る日ではない。しばらく作っていない。それほど得意ではないが、前は時々名乗り出ていたし、作って、食べてもらうことが好きだったとも思う。でも、いつしか料理をしますと言わなくなった。意味が感じられなくなったからだ。だってそんなことをしたって、何も変わらない。
 扉の並ぶ廊下を歩く。何となく足音を殺す癖がついていた。
 キィ、という音と共に、前方の扉が開いて、ハッとする。扉の向こうから現れたその部屋の持ち主は、体を半分外に出してから部屋の中を振り返り、何かを確認してから、そおっとそおっと扉を閉めた。何を確認しているかなんて考えるまでもない。

「お、リーネ。おはよう」

 振り向いたエイラさんは小さく笑って私に挨拶をした。心持ち小さな声なのは、部屋の中で寝ているサーニャちゃんを気遣ってか。大きな窓からの陽光に、白金の髪がきらめいた。エイラさんは部隊で一番白いイメージがある。髪も、肌も、一度たりとネウロイの攻撃を受けたことがないという戦績も。

「は、はい、おはようございます……」

 気弱げな自分の返事。挨拶くらい明るくすればいいのに。今日できなかったこと、一つ目。
 自分にできたこととできなかったことを数える癖は、私の隣を歩き始めたこの人から教わった事だ。いや、正確には違う。エイラさんはこう言ったのだ。

「リーネは自信がなさすぎるんだよ。毎日自分のできたことを数えてみるといいぞ」

 できなかったことを数えろ、とは言っていない。でも私は、それではズルをしているような気になってしまって、ついできなかったことも数えてしまい、それが両方癖になった。
 これではいけないのだ。エイラさんは自信をつける方法としてこのやり方を勧めてくれたのだから、できたことだけを数えるべきだ。分かってる、分かっているけれど、でも、それさえも、できなかった。それがどうしようもなく彼女に対して申し訳なかった。

「昨日来た新入り……ミヤフジ、だっけか。リーネはどう思う?」

 頭の後ろで腕を組んで、何の気なし、といった感じにエイラさんが話を振ってくる。胸がチリッとするのを隠して、応じる。

「……力になってくれる、と、思います」
「そうかー? 何にも訓練受けてないんだぞ? なのにここに配属とか、少佐も隊長も無茶するよなあ」
「でも、もう実戦に出て、坂本少佐を助けたって……」

 私と違って、という言葉は辛うじて飲み込む。でも、エイラさんは何となくそれを読み取ってしまったらしい。隠しきれなかった。今日できなかったこと、二つ目。

「それにしても、ちっちゃいなーあいつ?」

 当たり障りのない話に切り替えてくれるエイラさんに、可能な限り素直に従う。

「そうですね。ルッキーニちゃんとそんなに変わらないみたいでした」
「いやーそれは言いすぎだろー」
「え?」

 含みのある言い方にエイラさんを見ると、ニヤニヤしながら横目で私の胸を見ていた。

「なっ……」
「あははは! 冗談だよ!」

 明るく笑いながら私の背中を叩くエイラさんは、とてもいい人なのだろう。私はいい人に返す言葉を持たない。意地悪を言う人には謝ればいいけれど、いい人には何を言えばいいのか分からない。新しく入ってくる彼女も、いい人そうだった。

「今日の朝は何だろうな。余裕のある時なんか、リーネもまた作ってくれよ」

 食堂に入りながらのそんな言葉にも、曖昧に笑って頷くしかなかった。今日できなかったこと、三つ目。


        ☆


 朝食を食べ終わり、朝のミーティングの時間になった。
 隊員が揃った会議室に、ミーナ中佐が入ってきた。その後ろには、新人さん。
 前に立った中佐が手を叩く。

「改めて、今日から皆さんの仲間になる新人を紹介します」

 促され、彼女が礼をした。

「宮藤芳佳です。みなさん、よろしくお願いします!」

 溌剌としたその声も、浮かべられた微笑みも、希望に溢れているようだった。彼女は、宮藤さんは、期待しているのだ。世界に、私たちに、そして自分に。それは或いは過信かもしれないけれど、どんな場所でも必要なことだ。特にも、私たちくらいの年齢には。特にも、優秀なウィッチとなるためには。
 必要なものを持っている彼女を見ているのが辛くて、けれど何故か目を逸らせずに、胸の中を締め上げられる感覚に耐えていた。

「階級は軍曹になるので、同じ階級のリーネさんが面倒を見てあげてね」

 耐える事に精一杯で、突然呼ばれた自分の名前にすぐに反応できなかった。

「あ、は、はいっ」

 今日できなかったこと、十二個目。
 前では、階級章その他、隊員としての装備の受け渡しが行われている。と、

「あの……これは、要りません」

 沈んだ声で、宮藤さんが護身用の拳銃を突き返した。その行動に、私は少なからず驚いた。

「……何かの時には、持っていた方がいいわよ」

 ミーナ中佐が宥めるように言っても、宮藤さんは譲らない。さっきまでの明るい顔とは違う、眉間に皺を寄せた顔でかぶりを振る。

「使いませんから」
「……そう」

 困ったように中佐は受け取った。
 なんて潔癖なのか。いくらつい先日まで民間人だったといっても、とても軍人になることを志願した人間とは思えなかった。確かに、彼女の手に拳銃は似合わない。坂本少佐より少し色が薄く、ずっと柔らかそうな小さい手。

「ははは! おかしな奴だな!」

 愉快そうに少佐が笑う。宮藤さんは少佐のお気に入りらしい。わざわざ扶桑まで出かけていってスカウトしたくらいだから当たり前だし、それに少佐は型に嵌らない人が好きなようだった。いきなり実戦に出たことも、銃の携帯を拒否することも、相反するようで、どちらも型破りという意味では少佐に響くものがあったのだろう。

「……何よ何よ!」

 突然、ペリーヌさんが憤懣やるかたないと言った声を上げ、立ちあがった。宮藤さんを睨みつける。嫉妬。
 ペリーヌさんはしょっちゅう色んな人に怒っていて、もちろん私はそれを向けられることが多く、彼女が怒っているとどうしても体が強張ってしまう。
 ペリーヌさんは肩を怒らせて、そのまま退室してしまう。ミーティングは終わっていないのに、ペリーヌさんはいつにも増して怒っているらしい。
 私の横を通り抜ける時に呟いた、「綺麗事言って!」という言葉は、他の人には聞こえたろうか。

「あらあら、仕方ないわね。個別の紹介は改めてしましょう。では、解散!」

 ミーナ中佐の号令で全員が起立、ミーティングが終わる。中佐はつかつかと歩み去る。残された宮藤さんはおろおろしているけれど、これはむしろ中佐の思いやりなのだと思う。いちいち橋渡しをする学級委員長がいなくても友好的な人がこの隊には何人もいて、それなら下の者同士で自由に仲良くさせた方がいい、というような。
 ほら、早速ルッキーニちゃんが、宮藤さんの背後に忍び寄っている。部隊で一番小さい上にやたらとすばしっこい彼女は、こういう動きがあんまりに得意だ。

「たーっ!」
「ひゃあっ!?」

 全く気付かないまま、いきなり後ろから胸をわしづかみにされた宮藤さんが悲鳴を上げた。私もされたっけ、あれ。
 一切の遠慮なく揉みしだくルッキーニちゃんに、宮藤さんは混乱しているのか慌てた声を漏らすばかりで何もできないでいる。それが少し可哀想とは思えど、私にできることなどなかった。今日できなかったこと、十三個目。

「どうだ?」

 ルッキーニちゃんの相方、或いは保護者のシャーリーさんが、やらしい笑みを浮かべながら聞いた。もしかしてあの二人は、この悪戯をすることを打ち合わせていたのだろうか。

「……残念賞」

 ルッキーニちゃんががっかりしたようにそんなことを言う。そんなの、揉まなくたって分かるはず、なんて言っちゃ駄目なのかもしれないけれど。

「リーネはおっきかった」

 無表情で三人を見ていたエイラさんが、淡々と事実を指摘するように口にして、けれどその後ニヤリと私に目を流すからやっぱりからかっているのだ。
 恥ずかしくなって顔を伏せると、自分のそこが目に入ってきてしまう。少し、大きめ、かもしれない。大きい方がいいと思ってる女の人は、多いらしい。でも私は、まともなことは何もできないのに不埒なことにばかり長けているようで、罪悪感と羞恥を強く感じてしまうのだ。
 ルッキーニちゃんとシャーリーさんは、意外と私の胸のことをからかわない。でもその代わりみたいにエイラさんが、朝や今みたいに口にするのだ。
 自惚れみたいだけど、悪意ではなくて好意だと思う。好意の表し方が歪んでいるのでもない。冗談で私の気持ちを明るくしてくれようと、冗談を足がかりに隊に馴染ませようとしてくれているのだ、きっと。ありがたい話だった。けれど、どうしてもそれをうまく受け入れられないのが私だった。
 結局のところ、私は私を受け入れられていないから、自分の体が恥ずかしいし、それに優しく触れられることすら嫌なのだ。宮藤さんに対して、陽気に笑って「リーネも私ほどじゃあないけどね」なんて自分の双丘を強調しているリベリオンの彼女とは違って。

「ま、それはともかく、私はシャーロット・イェーガー。リベリオン出身で階級は中尉。シャーリーって呼んで」

 宮藤さんに右手を差しのべながら、いの一番にシャーリーさんが名乗った。こういう所が、中佐とは違う意味でシャーリーさんは大人だと思う。
 シャーリーさんは、自分の武器をよく知っているように見える。それは誰よりも速く飛ぶことであったり、セクシーな体であったり、社交的な笑顔であったり、宮藤さんの手を強く握って痛がらせる茶目っ気であったりする。武器を持っていることも、それを上手に扱えることも、いつも羨ましかった。
 握手を終えた宮藤さんに、今度はエイラさんが近づく。自分と、抱き支えているサーニャちゃんの所属と階級を告げた。
 エイラさんは多分、シャーリーさんとは逆に、自分の強みを活用しようという気が薄い人だ。なのに上手くできているもので、彼女はそうやって気負いなく振舞っている時が、一番強いし魅力的なのだ。もっとも、白い肌を真っ赤にしてガチガチになっているところすら、サーニャちゃんにとっては魅力的なのだろうけど。
 エイラさんたちに向けて下げられた宮藤さんの頭が上がるのを待たず、ルッキーニちゃんが口を開く。ロマーニャ空軍少尉という名乗りはまるで子供の冗談で、しかし笑いようもない事実だった。私より年下で、私より上官で、私より遥かに有能なことも、全く笑えなかった。
 残りは私と坂本少佐だけで、少佐は当然宮藤さんと面識があるのだから、私が行かなきゃいけないのかな、と考えていたら少佐が口を開いた。

「よし、自己紹介はそこまで。各自任務につけ。リーネと宮藤は、午後から訓練だ」

 それを聞いた宮藤さんが、背筋を正して「はいっ」と返事をする。本当に彼女は、訓練をすれば強くなれると思っているみたいだ。

「リーネ、宮藤に基地を案内してやれ」

 私への指示に、慌てて反応する。

「りょ、了解っ」

 宮藤さんの凛々しい返事に比べて、どうにも情けなかった。今日できなかったこと、十四個目。
 椅子から立ち上がった私に、宮藤さんが近寄ってくる

「私、宮藤芳佳。よろしくね」

 快活な口調に、かえって辛くなる。

「……リネット・ビショップです」

 よろしくお願いします、とは言えなかった。


        ☆


 案内の手始めとして、まず隊員の自室区域へと向かった。宮藤さんの部屋起点で案内した方がいいと思ったからだ。私の部屋を一応教えると、宮藤さんは目を丸くした。

「えっ? リネットさんの部屋、私の部屋の隣だ」
「そ、そうなんですか?」

 確かに、私の部屋の隣は空室だった。でも、他にも空室はあって、何も私の隣でなくたっていいはずなのに。面倒を見てあげて、という中佐の声が思い出された。
 宮藤さんの部屋は、ベッドの他に何もなかった。ここに来ることを本当に急に決めたのだな、ということが分かった。それは一体、どれほどの勇気が必要だったのだろう。

「家具とか日用品なら、ちょっと遠いけどいい店がありますよ。よかったら、今度案内しましょうか」

 口ではそう言いながら、内心案内したいとは思っていなかった。あの店は実際いい店だし、そこを紹介するのも嫌じゃないし、同じ部隊として宮藤さんには少しでも過ごしやすい環境で生活してほしいとは思う。でも、私があそこまで案内しに行くなんて、途中何を話せばいいのか見当もつかなかった。
 できることなら、私よりもっと向いた人が宮藤さんに色々案内してくれたら、と思う。でも、実際そんなことになったとしたら、私はまたできなかったことを一つ増やしてしまうだけだ。
 私の内心のわだかまりに気付かないのか、それとも気付いても気にしないことができるのか、宮藤さんは声を弾ませた。

「ありがとう!」

 どうやらその返事で、私が案内することは決定してしまったらしかった。私は微笑みを返せただろうか、分からない。

「私、おっきな鍋が欲しかったんだ。あるかなあ?」

 腕で鍋の大きさを描きながら、宮藤さんは首をかしげる。それを見て、次に案内する所を決めた。
 少し歩いて到着した台所とそれに隣接した厨房は、十分に広い。基本的にこの基地は施設も物資もかなり恵まれている。ネウロイの手に落ちたヨーロッパ大陸と向かい合う最前線中の最前線であり、隊員も各国のエースが集っている。だから、生活しやすかった。だから、生活しにくかった。

「食事当番はどうなってるの?」

 興味深げに見渡しながら、宮藤さんが尋ねる。

「係りの人が作ってくれるんですけど、時々みんながお国料理を作ってくれますよ」
「へー……」

 頷きながら、するすると厨房へと入っていく。瞳が輝いていて、お鍋を欲しがるだけはあるのだなと思った。

「扶桑の料理も食べてくれるかな?」

 扶桑の料理は比較的人気がある。少佐はもちろん喜ぶだろうし、多分内心ではペリーヌさんも喜ぶだろう。

「料理、得意なんですか?」

 肯定されることを見越して、一応聞く。
 棚に並んだ、充分に大きな鍋たちを見ながら、宮藤さんは照れたように答えた。

「得意ってほどじゃないけど、誰かに食べてもらうのが好きなの」

 その答えはあんまりに綺麗だったけれど、宮藤さんはその綺麗さが似合う人だった。いや、もしかしたら、そんなに綺麗ではないかもしれない。作ったものを受け入れてほしい、自分を認めてほしくて仕方ない、という欲求なら、少し浅ましい。でも宮藤さんからはそんな臭いが少しもしなくて、食べる側も作った側も純粋に嬉しそうにしている姿が容易に想像できた。ずるかった。ずるいと思い込もうとする私がずるかった。
 それから基地のあちらこちらを回った。
 宮藤さんは私のたどたどしい説明にもとても興味深げに相槌を打ってくれて、案内しがいのある人だった。素直な所は子犬のようだ。宮藤さんの使い魔は豆芝というミニチュアの扶桑犬らしくて、きっとそっくりなのだと予想できた。
 屋外を一回りしてから玄関に戻ると、ハルトマン中尉が記者の人たちに囲まれて取材を受けていた。

「あの人は?」
「ハルトマン中尉ですね。この間、撃墜数が200機になったんですよ」
「200機!?」

 信じられない、という風に宮藤さんが目を丸くした。
 私だって、説明しながらうまく想像できないでいる。ハルトマン中尉の恐ろしいくらいの強さを間近で見ていても、200という数は途方もない。

「隣にいるバルクホルン大尉なんて、250機ですよ。ミーナ隊長も160機を超えていますし……三人がいなかったら、ここもとっくにネウロイに制圧されていたと思います」

 誇張でも何でもない、率直な感想だった。カールスラントからやってきたあの人たちは、救世主のようなものだ。
 中でもハルトマン中尉は、世界でも一、二を争う強さだと言われる。今の世界で一位ということは、これまでの人類の歴史の中で、装備も含めた個人としては最も強い可能性が高い、ということだ。世界一、いや、種族一、ということがどういうものなのか、私には、本当に見当もつかない。神話の中の存在のようだった。
 部隊の他の人たちは、中尉と同僚として接している。でも、親しげに声をかけたその人は、人類の頂点なんですよ。どうしてそんな人と普通に話せるんですか。ハルトマン中尉、私と一歳しか違わないあなたが、こんな人類の命運が掛かっている時代にトップにいるなんて、どうしてそれであんなに笑っていられるんですか。
 私は普段、ハルトマン中尉のことはあまり考えないようにしている。どんどん恐ろしくなってしまうからだ。突き詰めたら、ハルトマン中尉を、更にはその周囲のみんなをどんな目で見てしまうか分からない。それは決していいことではなさそうだった。

「凄いねえ……」

 私の物思いをよそに、宮藤さんが感嘆のため息をついた。宮藤さんは私と近い場所にいてくれそうで、でも実のところ、彼女だって天才なのだ。

「他のみんなも、凄い魔法の技を持っていて、沢山の人の故郷を守ってくれているんです。本当に凄いんです、ウィッチーズは」

 そうだ、宮藤さんだって、誰だって、この隊の人たちは凄い。なのに、私はどうしてここにいるのだろう。私はどうしてここにいなきゃいけないのだろう。私はどうしてここにいさせてもらえるのだろう。

「私なんて、治療しかできないよ」

 宮藤さんの言葉が不思議だ。あなたにはもう実績があることを分かっていないの? 分からないふり? 実績もあるし未来もあるくせに。私とは、違うくせに。

「……それでも凄いです。私なんて、何もできない足手まといですから」

 口から漏れてしまったそれは先輩隊員の言葉としては大層始末が悪い物で、宮藤さんだってこんなことを言われて困っているに違いなく、言わなければよかったと思わなくもなかったけれど、もうどうでもよかった。でも、できなかったことには、数えておこう。

「……次に行きましょう」

 溜息をついて踵を返したら誰かに思い切りぶつかった。

「ごっ、ごめんなさい!」

 チカチカする額を押さえてひとしきり謝ってから恐る恐る目を開くと、柱が立っていた。

「リネットさん……」

 宮藤さんが、心配と呆れの混じった視線で見てくる。

「だ、大丈夫です、よくこういうことしちゃうんで」

 でも、慣れやしない。


        ☆


 滑走路を後ろへと蹴飛ばしながら、頭の中は霞がかかったようにぼやけていた。走るフォームはちゃんと習っているのに、いつまでたっても体が重いしすぐに息が切れてしまう。

「もっと速く!」

 訓練教官を務めてくれる坂本少佐の大声に蹴り足の力を強めるけれど、大してスピードは変わっていない。私の隣では宮藤さんも必死に走っている。
 午後の私と宮藤さんの訓練は、走り込みから始まっていた。

「お前たちの目の前には何が見える!」
「ヨーロッパです!」

 少佐の問いかけに声を張り上げて答える。一つ答えるたびにグッと呼吸が辛くなるけれど、それも必要なことだ。

「ヨーロッパは今どうなっている!」
「ネウロイに占領されています!」
「そうだ、お前たちはそれを奪還せねばならない! その為にお前たちに必要なのはまず体力だ! 走れ!」
「はい!!」

 少佐はいつも厳しく指導するけれど、私はそれはあまり嫌ではなかった。大変ではある。でも、訓練をしている最中は何も考えなくて済むから。坂本少佐は面倒なことを考えないように指導してくれるから。
 私は軍属ウィッチとしてはとても体力のない方とは言え、まがりなりにも訓練をしてきた。しかし、ランニングでも、その後の筋肉トレーニングでも、私と宮藤さんの能力はほぼ同じだった。宮藤さんのガッツの力だったり、自然と身体能力向上に充てている魔法力の強さだったりが理由なのだろう。それを私がどんな気持ちで受け止めていたかは、言うまでもないと思う。
 でも、宮藤さんより上手にできたら気分がよくなったかと言えば、そうではなかった。
 体力訓練の後は、射撃訓練だった。海に張り出した基地の突端の先、海上にターゲットが設置されている。宮藤さんは手ぶらのまま、私はいつもの、しかし使い慣れたとはとても言えないボーイズMk1対装甲ライフルを担いできた。

「これより射撃訓練を行う!」
「はい!」

 少佐の号令に揃って返事をするけれど、宮藤さんの声には、さっきまでの元気さがなかった。私が抱えるボーイズに気圧されているようだった。護身用の拳銃すら嫌がる彼女の手に、全長1.5m超のライフルが収まるわけもない。純粋に手の大きさという意味では、私だってそれほど大きくはないけれど。
 宮藤さんを見るとはなしに見ていた私に、少佐が声をかけた。 

「そうだな……まずはリーネ、宮藤に手本を見せてやれ」
「えっ」

 当たり前と言えば当たり前の指示を予想できていなかった。今日できなかったこと、三十個目。

「どうした」
「あ、は、はい!」

 慌てて射撃位置につく。腹ばいになり足を広げた伏射姿勢。空でこの体勢は取れないけれど、一番安定性があるという理由で地上練習の際は主にこれを使う。安全装置を解除し、装弾する。

「準備、できました」
「自分のタイミングで撃て」
「はいっ。……あの、魔法は」

 私は射撃に特化した固有魔法を持っている。宮藤さんに手本を見せるのなら、宮藤さんにはどうしたって真似できないそれを使うべきか分からなかった。

「うん? ああ、そうだな。……使え」
「はいっ」

 深呼吸と共に魔法力を励起すると、頭から猫の耳が、お尻から猫の尻尾が生え、世界が少し縮まる感触を覚える。それは私の固有魔法が射撃対象との主観距離を縮めるためでもあり、根本的に魔法力が第六感として世界を感じさせてくれるからでもある。スコープの中、銃星を海上のターゲットにゆっくり合わせていく。
 すう、はあ、すう。身体から不必要な力を抜いて、息を軽く止める。習った通りの身体制御。ぴたり、星が目標に重なった。
 ずどん!
 肩を襲う衝撃を受け流して、それでも耳や体全体がビリビリする。スコープから視線を外して的を見る。当たらなかった、ようだ。今日できなかったこと、三十一個目。

「んー……右にずれたな。もっと風を読め」

 少佐が、固有魔法である魔眼で確認しながら評価する。

「はい!」

 そうだ、風、それをちゃんと考えてなかった。今日できなかったこと、三十二個目だ。
 徹甲弾をリロードして、再度狙う。今度こそ、当てなくちゃいけない。風は左前方から吹いてる。すう、はあ、すう。
 ずどん!

「よし、命中した」

 少佐の声に、安堵の息が漏れた。

「リネットさんすごーい! 的なんて全然見えないよ」

 宮藤さんが驚いたように言う。そこで、面目を保てたと思えるようならよかったのだ。いっそのこと、優越感に浸ったってよかったはずだ。なのにおかしな話で、私は責められているように感じてしまった。

「ごめんなさい」

 私はズルをしているようなものだから。私は折角与えられた力を少しも生かせていないから。それを独りよがりに謝って宮藤さんを戸惑わせているから。

「……ごめんなさい」
「次は宮藤やってみろ」

 繰り返した謝罪は、幸いなことに少佐の声にかき消された。
 がちゃり、鉄の音を鳴らして身を起こす。耳と尻尾を引っ込めると、ライフルが手に食い込んだ。

「……宮藤さん?」

 指示に反応しない彼女を振り返ると、小さく唇を噛んで、眉を寄せていた。

「ほら、宮藤。そんな顔をするな」

 ずるい、と思った。


        ☆


 ペリーヌ・クロステルマン中尉という人は、恐らくとても情緒豊かで、それ以上にひどく不器用なのだ。本や映画の中の人物ならば、魅力的な個性だと思う。スクリーンで隔てられ、かつその内面を手に取るように知ることができるならば。
 けれど、同じ空気を吸っている私にとっては、怖くて仕方なかった。トロい私はしょっちゅう嫌味を言われる。悪くすると怒鳴られる。不条理な怒りだと思うことは少ない。私がハキハキ話をできないのも、二人組のロッテでペリーヌさんの足を引っ張っているのも、坂本少佐に指導してもらっているのに成果が出ないのも、全て本当のことだ。でも道理であれ非道理であれ、キツく怒られるのは辛いことだ。それは、躾でも喧嘩でも殴られたら痛いことに似る。私は、辛いことも痛いことも嫌がってしまう弱い人間だった。
 つまり、どうしたところで、私はペリーヌさんがとても苦手だった。だから、宮藤さんと飛行訓練の説明を受けている時に、彼女が「私も参加させてください」と現れた瞬間、びくついてしまった。

「お、新人と一緒に自主訓練とは、いい心がけだ」
「え、ええ……二人ずつペアを組んだ方が、やりやすいでしょうし……」

 少佐の笑顔に、ペリーヌさんの頬が染まる。彼女の豊かな喜怒哀楽の内、喜びを一手に向けられているのが坂本少佐だった。尊敬を超え、心酔、崇拝しているように見える。祖国を、家を、家族を失ったペリーヌさんの心の拠り所が少佐なのだろう。それが不幸なのか幸福なのか判断する基準を私は持たない。
 ペリーヌさんが宮藤さんに視線を流し、つんとした声をかける。

「宮藤さん、でしたっけ? わたくしはペリーヌ・クロステルマン、ガリア空軍中尉ですわ」

 正式名称である自由ガリア空軍を名乗らなかったのは、ただ説明が面倒だったからだろうか。それとも、一種の亡命軍であるその所属を、宮藤さんに対し名乗ることに何か躊躇いがあったのかもしれない。その躊躇いは、わだかまりは、ペリーヌさんが戦う理由に繋がるものだろう。だから強さでもある。

「坂本少佐にはとてもお世話になっておりますの。今日はあなたに付き合って差し上げますわ」

 薄く笑ったその言葉に、宮藤さんは扶桑式に頭を下げた。

「ありがとうございます、一生懸命頑張ります!」
「……ふん」

 これ見よがしに顔をそらすペリーヌさんは、やはり情緒豊かで不器用だ。
 けれど、空戦においてはペリーヌさんは不器用さからは遠い。ガリアエースの機動は、優雅でいて鋭い。空に上がってから、改めてそれを思い知らされる。

「リーネさん、それでは新人へのお手本になりませんわ!」
「は、はい! すいません!」

 ブレイクと呼ばれる急旋回で遅れ、ペリーヌさんに叱責された。通信機越しの高い声が刺さる。宮藤さんに見られているという意識が、手足に絡む。
 宮藤さんに合わせた初歩的な訓練だったというのに、空が赤くなる頃にはすっかり疲弊してしまっていた。
 滑走路、宮藤さんが大の字になって呼吸を荒げている隣に降りる。大丈夫ですか、と覗きこもうとして、バランスを崩して倒れてしまった。そしてもう起きあがれない。
 少佐とペリーヌさんも降下してくる。当然二人は息も乱していない。

「もうヘバったのか、宮藤。……しかし、魔法のコントロールはバラバラ、基礎体力もからっきしだな」

 少佐の呆れたような言葉は、内容に比して随分と柔らかかった。けれどその柔らかさには、訓練初日なら、という条件がついている。私が訓練してきた期間は数えたくもない。今日できなかったことは、五十を数えていた。

「あなたのような素人が一緒では、わたくし達が迷惑しますわ。さっさと国にお帰りになったら?」

 眼鏡越しにペリーヌさんが視線を投げる。その冷たさは飛沫だけで私を凍えさせる。鳥肌を立てながら、しかし私はまた彼女の不器用さを感じていた。坂本少佐が手ずから連れてきた新人に意地悪をしたならば、少佐からの心象が悪くなると思わないのだろうか。それとも、こういうことを考える私が小賢しいのか。

「それより、坂本少佐。空戦テクニックで試してみたいことが……」

 私の考えなど知らぬペリーヌさんは、少佐に一転キラキラした目を向ける。

「そうか、ならもうひとっ飛びするか?」
「はい、是非!」
「よし、宮藤とリーネは今日はここまでだ」

 言い残し、少佐は茜空へ戻っていく。追いかけて上昇するペリーヌさんが、私たちを見下ろして、貴族らしからぬあかんべえをぶつけていった。それはそれは鮮やかで稚気じみた悪意だった。


        ☆


 一週間というのは、新しい物事に慣れるには短く、その物事についてちゃんと知るにも短い。ただ、初期印象が出来上がるには足るだけの時間のようだった。
 宮藤さんが来てから一週間。訓練を通じて持った印象は、宮藤さんはウィッチとしてはすこぶる不安定だ、ということだった。全面的にバランスが悪い。それは魔法の制御という意味でも、もっと基本的な体捌きと言う意味でもだ。飛行中に失速しかけることはしょっちゅうだし、一度などはそれで海に落ちてしまった。地上での射撃訓練も、心理的抵抗のせいもあってか、なかなか銃に馴染まない。
 でも、宮藤さんは、怖がらない。異様なほどに。もちろん落ちていく最中には悲鳴を上げる。けれど何度墜落しかけても、飛ぶことを躊躇わないのだ。私の方がハラハラしてしまうというのに、それでも宮藤さんは次に向かう。銃も、怖いというより嫌いなのだと思う。肝が据わっていると言ってしまえばそれまでだけれど、何か、もっと確固たる芯があるように見えた。私は士官教育を受けていないのでよく分からないが、きっと兵士にとってそれはとても重要なことなのだろう。
 そして、魔法力の大きさもまた、特筆すべきだった。方向性を与えてコントロールする、ベクトルとなれば随分とロスが大きいけれど、単純量であるスカラーとしてのそのポテンシャルは、並ではなかった。
 つまる所、宮藤さんは、今はバランスが取れていないものの、やがてその欠点を克服するだろう精神性も、克服した時に大きな力を振るえるだけの才能も、持っているように見えた。
 この基地で浴びる風はすべて海風だ。肌に粘りつくようなそれを切って、今日も私と宮藤さんは飛行訓練をしていた。
 X軸回転、右、左、できるだけ小回りに旋回。……一応、今日できたこと、七つ目。
 Z軸回転、一旦上昇してからの下降、ハイ・ヨー・ヨー。今日できたこと、八つ目。
 ループ、インメルマンターン、ブレイク、バレルロール。できたこと十一、できなかったこと二十四。
 宮藤さんは単純な旋回も無駄が多く、他のマニューバは危なっかしいにも程があった。
 ほら、私ならこれくらいうまくできるんです、小さい頃から訓練してきたんです、身についているんです。誰かに向かって私は呟く。
 誰かは答える。でも、発揮できないんでしょう?
 太陽が海に半分没した頃、訓練終了の号令がかかった。
 滑走路に大の字になる宮藤さんの隣、私も横になりたいくらい疲れていたけれど、何とか上体を起こしていた。風を浴びた目が痛い。西日が強すぎて、瞼を閉じた。
 カツン、と固い足音が鳴った。目を開けると、バルクホルン大尉が傍に立っていた。

「バルクホルンさん……」

 大尉の視線はいつも厳しい。それは坂本少佐ともペリーヌさんとも違う。鉄血の匂いがするそれでもって、大尉は宮藤さんを見下ろしていた。

「新人」

 銃の装填音じみた呼びかけに、慌てた様子で宮藤さんも体を起こす。それをバルクホルン大尉は見下ろす。疲れきっている宮藤さんとは対照的な、ピンと背筋を伸ばした姿で。

「ここは最前線だ。即戦力だけが必要とされている。……死にたくなければ帰れ」

 ペリーヌさんが口にしたものと同じような内容であって、その重さは違っていた。ペリーヌさんは反論を聞きそうになかった。バルクホルン大尉には反論の余地がなかった。
 宮藤さんは抑えつけられたように顔を俯け、のどが痛いのに無理に水を飲んだような表情を浮かべ、だがそれでも口を開いた。

「私も、みんなの役に立ちたいと……」

 言葉は途中で掠れて消えたけれど、私が大尉に似たようなことを言われた時に比べれば立派なものだった。
 そう、私も言われたのだ。あれはいつだったろう、何度目かの出撃の後だ。私はそれに目を伏せ、すいませんとしか言えなかった。私も何かをしたい、などと言うことはとてもできなかったし、思うことすらできなかった。
 大尉は宮藤さんを見つめる。ブラウンの瞳に夕日の朱が差し込んでも、目を細めようとすらしない。数秒後、薄い唇が開いた。

「ネウロイはお前の成長を待ちはしない。後悔しなければ、ただ強くなることだ」

 それでおしまいだった。練習でもしてきたかのように美しく踵を返したバルクホルン大尉は、やはり固い足音を立てて基地へと戻っていった。
 私は大尉の背中をしばし見つめ、その無意味さに気付いて宮藤さんに目をやった。まだ彼女は顔を俯けたままだった。

「……バルクホルン大尉は、いつも厳しい方ですから」

 義務感に駆られて、慰めにもなっていない慰めを口にした。

「うん……でも、言われた通りだよね」

 宮藤さんは沈んだ声で呟く。
 彼女は気付いているだろうか。大尉が、私には一瞥すら向けなかったことに。大尉が、宮藤さんの成長を、強くなれる未来を、当然のものとして話していたことに。
 大尉はまるで、「いくら訓練しても無駄な隣のそいつのようにはなるな」と言っているような気がした。
 期待されているのだ、宮藤さんは。それもそのはず、たとえ後の英雄であろうと初実戦では情けないエピソードを作っているのが軍隊の常なのに、宮藤さんは訓練もなしに少佐を助けたのだから。
 宮藤さんがきてから、少佐の指導に前にもまして熱がこもるようになったのも感じる。少佐も宮藤さんに期待しているのだ。私なんかにより期待しているのだ。それは今更気付くまでもないことだった。どうしてわざわざ少佐が扶桑まで行き民間人を引っ張ってきたか。これまでの新人、つまり私が、いっかな期待できなかったからに違いない。実質私は、少佐からも見捨てられている。いくら教えてやっても、訓練が無駄にうまくなるばかりで実戦で役に立たないのではそうもなる。
 私は一人、居場所がなかった。


        ☆


 上弦の月が窓越しに弱い光を投げかけていた。
 明かりをつけず、カーテンも引かず、私は自分のベッドでぼんやりと床の月光溜まりを眺めていた。
 まだ眠くはない。体は疲れていたが、眠ることを許すには時間が早かった。できなかったことが多い日ほど、私のどこかが眠ることを許さない。今日できなかったことは八十二。普段よりも多かった。そもそも、その普段の平均が徐々に増えていっているのだけれど。
 できたことを考えなければ。その数は確か三十一。できなかったことの三分の一以下だった日もあった。それに比べれば大分マシだ。
 自分の発想に笑いが出てしまう。過去の自分を見下ろして、見下して安心できるなら、一度わざと散々な日を作ればいい。それをセーフティネットにして心が落ち着くというのなら。
 落ち着くものか。損耗率が過去よりマシだったからと敗戦を喜んでいたら、戦争に勝てるわけがない。
 ぐるぐると一週間のことを思い出す。その大半は宮藤さんのことで占められていた。
 宮藤さんはまだ完全に隊に馴染んでいるとは言い難い。私以外でよく話すのは坂本少佐くらいで、あとは時々シャーリーさんとルッキーニちゃんにからかわれている。ペリーヌさんからは事あるごとに意地悪なことを言われていた。他の人たちはとりあえず様子見をしているようだった。
 私は宮藤さんと一緒にいることが多い。こんなに長い間同じ人とくっついているのはいつぶりだったろうか。私がそうしようと望んでいたわけではなく、何か用事を言いつけられるときは大体がセットで扱われるからだった。そして宮藤さんも、積極的に私に近づいてくる。
 私の今の役目は、宮藤さんと501、引いては軍隊との橋渡しだ。宮藤さんがここに馴染んだら、居場所は完全になくなる。今までの、新人、という位置にも、宮藤さんが立つことになる。私はどこに行くのだろう。どこにって、ブリタニア軍の偉い人が本物のエースを派遣する気がない以上、私はここにいなければならないのだけれど。
 光が弱まった。室内が途端に暗くなる。闇に慣れた目でも、よく見えない。
 空を見れば、雲が月を遮っていた。夜の空は、昼とは全く違う。訓練でも実戦でも飛んだことがあるが、怖いものだった。
 その空に、サーニャちゃんは今日も出撃したようだった。あの子は毎日暗い空を、一人で飛んでいるのだ。
 どんな気分なのか、聞いてみたいと思ったことがある。でも、今はもういい。きっとサーニャちゃんの心には、いつだってエイラさんがいるのだから。一人でいても、一人ぼっちじゃないのだから。私とは違うのだ。エイラさんは優しい人だが、一番優しくする相手は、ちゃんと決まっている。それは私ではない。そもそも、優秀なナイトウィッチで、みんなから信頼もされているサーニャちゃんを私なんかに重ねようというのが大間違いだ。
 ここにいてもろくなことにならなそうな気持ちに押されて、ベッドから降りる。靴を履き、上着を羽織った。こういう時、足の向かう場所がある。
 照明は付いているけれどどこかひんやりとした廊下を歩き、建物の外に出た。夜気の降りた地面が固い。
 そのまま、いつもの場所に歩いていく。目指すのは、海に突き出た滑走路、その先端だ。コンクリートでできた断崖の上からは、海と空しか見えない。けれど私の身体はちゃんと地面が支えている。そういう場所だ。
 別に規則違反をしているわけではないけれど、何となく足音を殺して歩く。やがて闇の向こう、目的とする辺りにぼんやりと白い姿が見えて、はっとした。唾を飲んで近づいていく。やがて明らかになるその白さは扶桑の海軍服で、そして小さな背中が坂本少佐の物であるわけもなく、そこにいたのは宮藤さんだった。
 胸がざわめいた。こんな時間にこんな場所で、何をしているのだろう。たった一人で、背中を丸めて。

「宮藤さん?」

 数メートルまで近寄って、声をかける。

「!」

 気配にも気付いていなかったのか、宮藤さんが驚いた顔で振り返る。

「リネットさん……」

 私の名前だけを呼んで、宮藤さんは口を閉ざす。何だか少し、咎められるのを不安がっているように見えた。その姿は、何をしていたんですか、と聞くことを躊躇わせた。そもそも、何かをしているようには見えなかった。

「……隣、いいですか?」
「あ、う、うん、いいよ!」

 戸惑ったように宮藤さんは頷く。その隣に寄って、静かに腰を下ろした。
 この基地は常に海の音がしている。それは決して嫌いではない音だけれど、でも何故か、ない方がいい気がしていた。波の音を聞きにこの突端まで来ているようなものなのに、おかしな話だと思う。

「ここ、私のお気に入りの場所なの」
「そうなんだ……綺麗だよね」

 そう、ここはとても綺麗なのだ。空が綺麗で、海が綺麗で、風が綺麗で、波の音までしては恐らくあまりに綺麗すぎるのだ。私は抵抗しようとしても、それにどうしようもなく魅せられて、何度もここへ来る。
 最初に用もなくここに来た時は、確か初めて実戦をした日の夜だった。情けなさに押し潰されながら、美しさに呼ばれるように来た。
 宮藤さんも、あの時の私と同じ道を通って、同じ場所に辿り着いたのだろうか。

「今日も怒られちゃった。もっと頑張らないと」

 ……宮藤さんのその言葉からすると、辿った道は少し違うみたいだった。
 でも、私たちは同じ場所に座っている。だから。

「宮藤さんが羨ましいな」

 そおっと、そおっと、気持ちを口にした。嘘を言わないように。でも悪い意味だと思われないように。
 今、同じ空を見ていて、同じように一人ずつだから、ねえ、いいでしょう。

「えっ? 何が?」

 きょとんとする宮藤さんは、自分の強さにちっとも気付いていないのだ。

「諦めないで頑張れるところ」
「同じこと、通知表に書いてあった」

 言葉に混ざった笑いは、照れ隠し半分、苦笑半分で、それがどれだけ凄いことなのか分かろうともしていない。人の瞳が翳らなかったら、それはあらゆる宝石より価値があるのに。

「私なんて、何の取り柄もないし、ここにいていいのかしら」

 そこまで口に出すつもりじゃなかったはずの言葉は、誤魔化しようもない弱音で、あられもない本音だった。
 固有魔法も、養成学校での成績も、確かに私の取り柄のはずだった。でも、違った。鏡の前でだけうまく笑える人を、誰が笑顔が素敵と呼ぶだろう。

「え!? リネットさんあんなに上手なのに」

 宮藤さんが目を丸くする。さっきから驚いてばっかりだ。

「ううん、全然そんなことないわ」

 引っ込み思案な人間と言うのは、大体において損をする。今だってそうだった。私は普段から、自分のことについて後ろ向きなことを言いすぎる。それは他の人からは、謙遜癖のある人間だと見えてしまう。だから、本音の弱音を吐いても、謙遜だと思われる。通じない。

「上手だよ」

 視界の端に映る笑顔は衒いも曇りも一切ない。宮藤さんは後ろ向きなことを言っている人にはそうすれば喜んでもらえると信じていて、自分もそうされたいと願う人なのだ。
 宮藤さんは本当にいい人だ。真っ直ぐに人を励ませる。それは、無愛想だったり照れ屋だったりが多い501では、貴重な才能だった。きっといいムードメーカーになってくれる。
 どこからかロープの軋むような音が聞こえたけど、気の迷いだと否定する。
 考えてみれば、宮藤さんは訓練する私しか見ていないのだ。それなら、謙遜と誤解されても仕方ないのかもしれない。
 夜の魔法の話を聞いたことがある。静かな夜には、普段伝わらない気持ちも伝わりやすいという。それは心を伝える妖精が寂しがって、分かりあった人たちの笑顔を見たくなるからだって。それを、信じてみることにする。

「訓練だけなの。実戦じゃあ全然駄目で、飛ぶのがやっと」

 ここまで言えば分かってくれるはず、と思って呟く。
 ここまで話すのには、少なからず勇気が必要だった。
 宮藤さんのバランスが悪いなんて、よくも言えたものだ。戦闘空域に入った私は、魔法力の平衡も体の平衡も、心の平衡すら保てやしない。
 自分に任された分の面倒は自分で見るのが、最低限で最大限の兵士の役割だ。それがどうしたってできない。
 宮藤さん、あなたは少佐から訓練を積めば強くなれると言われてるのでしょう。ミーナ隊長からも言われてるかな。バルクホルン大尉も言外にそう言ってた。
 でもね、でも、私は無理なんだよ。訓練で上手くできても発揮できないし、実戦をいくら重ねても慣れやしないし、そうしたらもう、強くなる方法なんてないじゃない。
 世の中には、私みたいな人もいるって、分かる?

「えっ? でも訓練でできれば」

 駄目だった。
 彼女が言いかけた言葉で限界だった。
 もう自分を騙せなかった。
 この人は絶対に私を分かってくれない。
 本当はさっきからずっと苛々していた。私の場所を奪わないでほしかった。隊での居場所どころか、私の好きなこの場所まで取らないでほしかった。元気な癖に。実績がある癖に。活躍できる癖に。未来がある癖に。天才の癖に!

「訓練もなしで、いきなり飛べた宮藤さんとは違うのっ!」

 キリキリと引き絞られていた激情の弓からは、魔法を使ったように鋭い矢が飛んだ。
 宮藤さんがはっとした表情になったのは、罵声の内容よりも単純に声の大きさに驚いたのだろう。また驚かせてしまった。申し訳ないとも思わないけれど。
 言葉の勢いのまま睨みつければ、宮藤さんは眉根を寄せ、ちょうど今日バルクホルン大尉に話しかけられた時のような顔に変わった。それを見てやっと私は恥ずかしくなった。大尉の言葉は正しい忠告で、私がぶつけたのは嫉妬と逆恨みを腐らせて八つ当たりをぶちまけた、見るもおぞましい汚物だ。

「っ……ごめんなさい」

 卑怯にも程がある言葉を残して、私は走って逃げだした。宮藤さんが私の名を呼んだが、振り返ることも足を緩めることもできなかった。
 最悪だ。何もかも最悪。あの場所にももう、行かない、行けない。


        ☆


 ネウロイが現れたのは、翌朝のことだった。
 魔導エンジンの爆音を立てて、坂本少佐率いる六人が出撃していく。格納庫の入り口で美しい編隊を見上げながら、私は小さくため息が出るのを我慢できなかった。今日できなかったこと、十二個目。

「行っちゃったね」

 隣に立ち、同じように空を見上げていた宮藤さんが呟く。
 何故か彼女は私の隣にいた。昨晩あんなことがあったのに、どうして傍に来るのか本当に理解できなかった。もう、いいでしょう。今まで通り、隊に馴染むまで必要な時は宮藤さんのお世話はするから。必要じゃない時は、近づかないで。
 自分の論理の飛躍には気付いていた。宮藤さんの心が分からないとしても、近づいてきてくれるなら、嬉しく思ったっていい。ちゃんと謝って、改めて親しくなろうとしてもいい。宮藤さんに限らない、隊の他の人たちに対しても、もっと愛想よく振舞うことはできたはずだ。
 それをしなかったのは私だ。したかったけれどできなかった、なんて誤魔化すつもりはない。一人を嘆いていたつもりが、何のことはない、一番一人を望んでいたのは自分だ。誰も彼をも理不尽に羨んで、恨んでいたのは私だ。その噴出を受けてしまった宮藤さんには、本当に悪いことをした。悪いことをしたのだから、いい加減愛想も尽きたでしょう。
 それなのに宮藤さんは、まだ私に話しかける。

「今、できることって何だろう」

 そう言って、また私の唇を噛ませる。全くの善意で。強い人が弱い人に教えを請うなんてふざけている。

「……足手まといの私にできることなんて」

 それしか言えず、小走りに立ち去る。今日できなかったこと、十三個目。
 一瞬背後に目をやると、ミーナ中佐が宮藤さんに話しかけていた。もし私のこの振る舞いのフォローをさせているなら、ますます私は足手まといだ。
 基地内をそのまま自室に向かう。誰とも擦れ違わず部屋に入り、鍵を締めた。
 ベッドに倒れ込みたいのを我慢して、椅子に座る。横になったら、しばらく起き上がれない気がした。

「できること、なんて」

 呟く。他隊員が出撃している最中に、待機員がすべきことはシンプルだ。不慮の事態にいつでも対応できるよう、物心の準備を整えておくべし。つまり、待機員なら待機していればいい。たとえば戻ってくる人たちの為にお茶と軽食の準備をしておくとか、そういうのは相応しい行動ではない。提案してあげれば、宮藤さんは喜びそうだけれど。
 基地には、ミーナ中佐、エイラさん、宮藤さん、私、それに夜間哨戒明けのサーニャちゃんが待機している。サーニャちゃんは疲労困憊しているはずだから、実質戦力は四人。いや、私は頭数に入れられない。宮藤さんも、今はまだ。実質、中佐とエイラさんだけが控えていることになる。
 不安があるわけではない。中佐は指揮官としては間違いなく優秀だし、戦闘員としても160機撃墜のスーパーエースだ。エイラさんはと言えば、何でも任せられるスオムス一のウィッチだ。二人が控えていて不安はない。ただ、僅か二人という数的不足は存在し、そしてそんな状況でも使える戦闘員としてはカウントされない己の情けなさを嫌悪していた。
 自己嫌悪と他者嫌悪だけを秤にかけて、その時々でどちらかを選ぶのはもう治らないのかもしれない。
 不意に、扉が外からノックされた。縮こまっていた心臓が跳ねる。

「はっ、はい!」

 椅子から立ち上がり、鍵を開けに行く途中で向こう側の人が声を出す。

「リネットさん」

 宮藤さんの声だった。
 見えないけれど私は今、嫌な顔をしている。
 それでも義務感で扉を開こうとノブに手を伸ばし、そこでほつれた。腕は萎えて垂れ下がり、よろめく足が倒れてしまわないよう扉にもたれかかった。
 何をしにきたのだろう。もしかして中佐に何か言われたのだろうか。中佐は宮藤さんに任せたのだろうか。

「……なん、ですか」

 ただ返事をするだけなのに、どうしてこんなに重いのか、辛いのか、苦しいのか。
 この人はどうしてこんなに、私をみっともなくさせるのか。

「リネットさん、できることなんかないって言ったけど」

 躊躇い混じりでも、宮藤さんは言葉を続ける。私はそれを黙って聞くしかない。叱られる子供のように、できるだけ意識を薄っぺらくして。

「私こそ、魔法も下手っぴで、」

 そう。

「叱られてばっかりだし、」

 そう。

「ちゃんと飛べないし、」

 そう。

「銃も満足に……使えないし、」

 そうだね。

「ネウロイとだってホントは戦いたくない」

 そう、それがどうしたっていうんだろう。

「でも、私はウィッチーズにいたい」

 ……ああ、そういうことなのか。この子は私を励ましに来たのだ。わざわざ、私を、励ましに、来て、くれたのだ、この、天才は。
 本当の本当に分かってない。何にも分かってない。宮藤さん、あなたは私のことなんか何にも分かってない。
 ホシの数よりメシの数だ。私はあなたの十倍以上、実戦に出ている。私はあなたの十倍以上、実戦で役立たずの足手まといで、あなたの十倍以上、味のしないご飯を食べている。それがどんな気持ちか分かりますか? 分かるはずがないのだ。あなたみたいな真っ直ぐな目をしている人が分かっていては、困るのだ。できることがある人には、少なくともそう信じていられる人には、分かりっこない。
 宮藤さんは、第一印象通り、いい人だった。私とは違う。

「私の魔法でも誰かを救えるのなら、何かできることがあるなら、やりたいの」

 宮藤さんはそうしたらいい。できることがあるんだからすればいい。それは私には不可能な世界の話だ。
 もう、帰ってください。独りの私は、一人にしておいてください。そうじゃないと、あなたを嫌いになってしまう。

「そして、」

 もう聞きたくないよ。

「そして、みんなを守れたらって」

 聞きたくないことに限って、聞き流せたりしないものだった。

「だから、私は頑張る。だから、リネットさんも……」

 私にも守りたいものがあった。忘れていたわけじゃない。ただ、考えてはいけないことだった。守りたいという気持ちと、私では守れないという現実の距離がどんどん開いていったから。その狭間には悪魔が棲んでいる。見てはいけないはずの場所だった。
 なのに、宮藤さんは頑張ると言う。頑張れと言う。才能があるから、悪魔を見たことがないから、言えるのだろうか。
 答えを出す前に、緊急警報が鳴り響いた。
 じりりりりり、と頭に響くベルの音は、敵襲の合図だ。坂本少佐たちが迎撃に行っているのにこのベルが鳴るということは。

「伏兵……」
「!」

 私の声に、扉の向こう、宮藤さんが息をのむのが伝わってくる。

「リネットさん、私、先行くね!」

 言うや否や、走る音が遠ざかっていく。私に聞かなくたって、宮藤さんはすべきことを知っている。
 恐る恐る鍵を解き、扉を開ける。もちろん誰もいなかった。廊下にベルの音だけが反響している。私は、どうしてこんな所にいるのだろう。
 宮藤さんが知っているのは、すべきことではなく、したいことなのかもしれなかった。

「……行かなきゃ」

 警報が鳴ったのなら、当然、待機要員は指揮官の指示を受けなければならない。ミーナ中佐の所に行かなければ。多分、宮藤さんの後を追うことになる。
 扉の外に出るのに、思ったほどの抵抗はなかった。走り出す。集まるべきは作戦会議室だ。
 息を弾ませながら考える。辿り着いて、私は何をするつもりなのだろう。出撃するつもり? どうせまた、私は何もできやしない。ゼロではなくマイナスだ。少人数しかいない今の状況、ミーナ中佐にもエイラさんにも私の面倒をみる余裕などないはずだ。なのに回避機動もまともにできない私が出撃することになったなら、大きな迷惑をかける。致命的な悪影響をもたらすかもしれない。それなら、留守番をしていた方がずっとマシに思えた。戦術的に考えて、これは正しいはずだ。
 私が出撃しない方がいい理由はいくらだって考え付いた。いつもよりも多く、雲が空を覆うように考え付いた。それらを、一つだって打ち消すに足る根拠はないはずだ。
 作戦会議室が見えた。宮藤さんは迷わず来れただろうか。
 あと少しまで迫った時、宮藤さんの強い声が聞こえた。

「――精一杯頑張ります!」

 それに応じるミーナ中佐の、宮藤さんほど大きくないのに、宮藤さんより険しい声。

「訓練が十分じゃない人を戦場に出すわけにはいかないわ」

 宮藤さんは、出撃をお願いしていた。そうするのではないか、とは思っていた。でも、本当に願い出るなんて、信じられなかった。
 だって今の宮藤さんは、訓練が十分じゃないどころではない。模擬戦だってほとんど試合にならないくらいだ。それなのに、実戦に出ようとする。何ができると思っているのだろう。
 何より、死ぬかもしれないのだ。バルクホルン大尉の、死にたくなければ帰れという言葉は何の誇張でもない。宮藤さんがネウロイの前に立ったなら、低くない確率で、殺される。
 私は宮藤さんを止めるべきだ。
 出た結論が、しかしどうしてなのか、その通りに身体を動かしてくれない。会議室の入り口の横、まるで盗み聞きをするような場所で、私は固まってしまっていた。
 私とは無関係に、中佐の言葉は続く。

「それにあなたは、撃つことに躊躇いがあるの」

 それだ。接敵する兵士としてはあまりに大きな弱点。宮藤さんは深く銃を嫌っている。それを否定することはできないはず。
 なのに宮藤さんは、一瞬たりとも怯まなかった。

「撃てます、守るためなら!」

 実際に銃を持っていなければ、引き鉄に指がかかっていなければ、何とでも言える。しかし、私はここに銃があれば宮藤さんは確かに引き鉄を引いたに違いないと思った。
 私だけではない、ミーナ中佐も僅かに言葉を失った。それでも威厳までは失わずに、中佐はNoを突き付ける。

「とにかく、あなたはまだ半人前なの」
「でも……!」

 でも、で宮藤さんの言葉はとうとうつっかえる。彼女の嘆願は通りそうにない。このまま、中佐とエイラさんに任せるのがあらゆる面で正しい。
 宮藤さんが飛んでもできることはない。
 中佐とエイラさんだけの方が実力を発揮できる。
 宮藤さんが出るのは危険だ。
 戦功を焦らなくとも機会はこれから沢山ある。
 更なる伏兵に備えることも合理的だ。
 一つ一つ挙げていけば、どれもが私が出撃するべきでない理由にもなるし、どれもが正しい。
 正しくって正しくって、震えが止まらなかった。
 それらすべてに、私は逆らうから。

「私も行きます!」

 飛び出すように会議室に入って、叫んだ。

「リネットさん」

 虚を突かれたように宮藤さんが呟く。
 構わず、ミーナ中佐を思い切り見つめる。

「二人合わせれば、一人分くらいにはなります!」

 拳を強く握って、全身に力を込めないと立っていることも難しかった。
 自分が何を考えてこんなことをしているのか分からない。
 ただ、行かなきゃいけないと思った。
 幾つも幾つも行くべきでない理由を考え付いたのは、その想いを否定するためだった。
 否定し損ねて、ここにいる。
 ミーナ中佐は司令官としての視線で私を見つめ、宮藤さんを見つめ、もう一度私を見つめた。

「……九十秒で支度なさい」

 微笑まれたりしなくてよかった。


        ☆


「敵は三時の方向から基地に向かってくるわ」

 少し先を飛ぶミーナ中佐が通信機越しに指示を出す。私はそれを必死で追いかけながら、ちらりと並飛する宮藤さんを見た。
 扶桑の九九式機関銃を握った宮藤さんは、少なくとも真っ直ぐ飛べている。私とは違い、実戦の方が力を発揮できるタイプのようだった。

「私とエイラさんが先行するから、ここでバックアップをお願いね」
「はい!」
「はい!」
「じゃあ、頼んだわよ」

 ミーナ中佐の言葉と同時、エイラさんが加速する。中佐も遅れることなくそれを追う。エンジン音を残して、二人は敵ネウロイに向かっていった。
 あっというまに小さくなって行く二人から、私は視線を下げた。海面が高速で後ろに流れていく。
 私が狙撃兵だとしても、この距離でのバックアップは普段より遠い。私、それに宮藤さんの面倒を見る余裕はないから、せめて狙われにくい距離にいろ、ということだ。それを悔しいと思う気持ちより、ほっとする気持ちの方が大きかった。
 あれだけ勇ましいことを言っておいて、私の覚悟はろくろく定まっていなかった。吹き付ける風は痛いし、手の中の鉄は冷え冷えとして、頭の中は嫌な想像ばかりが渦巻き、気を抜くと失速してしまいそうだった。
 どうして私は自分も行くなんて言ったのだろう、と考える。行かなくてはいけない、というあの気持ち。義務感? 使命感? 焦燥感? 功名心? 名前をつけることができない。
 冷や汗が吹き出る心の中で、しかしなおもその名状しがたい気持ちは残っている。ここが私のいるべき場所だと思う。でも、ここで私が何をできるのか、分からない。

「……宮藤さん。本当は私、怖かったんです」

 今自分を打ち明けるのはずるいだろうか。励ましてくれた時に罵声を浴びせて、それでも一緒に頑張ろうと言ってくれた時に頷けもしないで、今更。間違いなく私はずるいし、醜い。
 なのに宮藤さんは、怒りだすことも、私に軽蔑の視線を向けることもしなかった。

「私は今も怖いよ」

 意外な言葉だった。真っ直ぐにぶつかっていける宮藤さんは、怖さなんか吹き飛ばせると思っていた。そうじゃなければ、止められているのに飛ぶなんて。

「怖いなら、どうして……」
「……うまく言えないんだけど、何もしないでじっとしている方が、怖かったの」

 それは、何かができる人だから言える言葉で、恵まれた人の言葉だ。宮藤さんに対して何度も思ったことをなぞるように、反射的にそう考える。
 強者の理論という批判はとっても便利なもので、自分が大変だと思うことを要求されれば全部この言葉で言い返せるし、なによりこの批判は間違っていないことも多い。世の中に能力差は厳然とあり、上位のパフォーマンスを下位に求めるのは横暴で、下位のパフォーマンスを上位に求めるのは足の引っ張りだ。バルクホルン大尉と同じスコアを稼げないことを責め始めたら、世界のウィッチで戦い続ける人は何人もいないだろう。
 宮藤さんを含めた他の隊員は全員強者で、私は弱者だと思っていた。戦績もちゃんとそれを示していた。
 なのにまだ、私の手にはボーイズがあった。使い魔の耳と尾が生え、脚ではスピットファイアが唸り、首からは認識票がぶら下がり、サージェントの階級が与えられていた。私は戦場にいる資格があった。
 つまるところ、何もできない人なんているのか、という問題だった。どうしようもないことはいくらだって存在するけれど、能力はゼロかイチかではない。私は、何かをするためにウィッチになろうとしたはずだった。それをしないのは、怖いことなのだろうか。
 更に物思いに沈みそうになった視界の端で、光がきらめいた。爆発光。

「!」
「どうしたの?」

 問いかけに、前方を示す。

「ほら、あそこ!」

 指を指したその先、光が連続する。

「ネウロイ?」
「そうみたいです……!」
「近づいてくるよ!」

 宮藤さんの緊張した声に、慌てて銃を構える。照準器越しの敵影は、どうしようもなく遠い。
 当てられそうにない。それでも撃たなければならない。姿勢を安定させなきゃ。安全装置は外したっけ。コアの位置は。ミーナ中佐とエイラさんへのフレンドリーファイアだけは避けなければ。早くしなきゃこっちに来る。さっさと国へ帰れ、死にたくなければ帰れ、いない方がマシ。怖い。ここが水際。貴重な固有魔法。私は何かをしなきゃいけないんだ。
 とにかく撃て。
 ずどん、と発射した弾はかすりもしない。もっと撃たなきゃ、もっと、何かできることを!
 ずどん、ずどん、と撃っても、今まで散々繰り返したように、当たらなかった。今日できなかったこと、幾つ、二十?

「駄目、全然当てられない!」

 悲鳴みたいな声が出る。それか泣き声だ。実際私は泣きそうだった。

「大丈夫、訓練であんなに上手だったんだから!」

 宮藤さんは明るくそう言ってくれる。でも、無理だよ。

「私、飛ぶのに精一杯で、射撃を魔法でコントロールできないんです」

 中佐の指示したこの距離は、私が固有魔法を使うことを前提としての距離だ。なのに私は、弾を操作する以前に、目標をちゃんと見ることすらできなかった。視覚に魔法力を振り分けられない。
 結局、役立たずは役立たずなのだ。
 しかし宮藤さんは、うん、と小さく頷いた。

「じゃあ、私が支えてあげる。だったら、撃つのに集中できるでしょ?」
「え?」

 言っている意味が分からなかった。呆ける私をよそに、宮藤さんは私の下へと位置を取る。

「あの、宮藤さん何を……」
「もう少し足を開いて」

 言われがままにした私の足の間に、宮藤さんが頭を入れてきた。これは、いわゆる、肩車だ。

「どう? これで安定する?」

 宮藤さんは私を彼女にくっつけた。

「あ……は、はい」

 半ばぼんやりと返事を返す。太ももにあたる宮藤さんの後ろ髪が少しくすぐったい。誰もこんなこと思いつかなかった。
 ミーナ中佐から通信が入ったのはその時だ。

「リーネさん、宮藤さん。敵がそちらに向かっているわ。分離して高速化したせいで、私たちでは追いつけない」

 緊迫した声が、嘘みたいに悪い状況を告げる。二人が振り切られて、他の人たちはまだ帰投していなくて、基地とネウロイの間には私たちしかいない。
 私があれを落とさなければ、ヨーロッパ最後の人の土地、ブリタニアはネウロイに侵入される。
 骨が冷えた。

「あなたたちだけが頼りなの。お願い!」
「はい!」

 宮藤さんの返事を聞いて中佐からの通信が切れた直後、もう一度ブツ、と通信ノイズが聴こえた。けれど、何の声もない。数秒の沈黙ののち、ブツリ、と切断音がした。
 今のは何だったのだろう。少し考えて、思いいたる。誰かが、私に何か言おうとしたのだ。頑張れ、とか、そのようなことを。けれど私には、何もかもをプレッシャーと思ってしまう私には、かけるべき適当な言葉がない。ミーナ中佐なら、それでも何かちょうどいいことを言ったろう。すぐ隣にいる宮藤さんなら、通信機を使う理由がない。残るは一人だった。
 私は彼女に気を遣われているのだ、いや、気にかけてもらっているのだ、ということが、今更のように強く感じられた。
 彼女は他の人の面倒を見ずにはいられないのだ。普段その性格はオラーシャのあの子に一番傾けられているように見えるけれど、本当は、誰に対しても気を配っているのだ。特にも、落ちこぼれの私には。
 それが、とてもありがたくて、でもそれ以上に重いのが私のどうしようもないところだった。彼女の気遣いは正しい、私は何を言われたって悪い方に受け取ってしまうだろう。だが、敢えて何も言わないようにと気遣われたことすら、私の手脚にまとわりついていた。
 悪いなと思う、悔しいと思う、無言の頑張れに頑張らなきゃと思う、思えば思うほど、息が苦しい。どうにかしたいのに、どうにかしなきゃと思うほど駄目になっていく。魔法力が安定しない。歯の根が合わない。銃が重い。私の射撃にブリタニアの、或いは世界の運命が掛かってるなんて、信じられないのに信じてしまっている。
 意味のわからないことを叫んで逃げてしまいたい。身体を強張らせた拍子に少し足が締まって、私は気付いた。
 腿に触れる宮藤さんの首と肩が、震えていた。強気な瞳とはまるで別の人のものであるように震えていた。
 怯えているのだ。普通の生活をしていたのに、突然見知らぬ軍人に誘われ、話でしか知らない国に来て、世界を守るため化物と戦うことになり、練習もうまくいかないまま、本物の銃を持たされて頼りにならない先輩と二人っきりで人を殺す化物の正面から逃げることもできず、怯えている。
 怯えているのは、私と一緒だ。
 宮藤さんは言っていた。みんなを守れたらと思って軍に入ったと。それは私だって同じだ。私は、世界を、祖国を、守らなければならない。そう思って軍に入ったはずだった。
 しかし、私はあまりにちっぽけで、信じられないくらい弱かった。世界はもちろん、ブリタニアの五千万の人々も、それどころか父さん母さんやお姉ちゃん、妹たちだけでさえ、私には大きすぎて、重すぎた。とても守れる気がしなかった。いくら魔女としての潜在能力がどうと言われようと、学校での成績がよかろうと、できっこないものはできっこないのだ。
 けれど、今私の下で震えている小さなこの子、一人くらいは。守るしかないと思った。守りたいと思った。守れるかもしれないと思った。501の他の人たちは、私なんかが守るまでもない。でもこの子は、守ってあげなくちゃいけない。今それができるのは、私だ。
 どこまでも押しつけがましいそれが、私が心からしたいことで、できることで、真ん中にあるものだ。
 ガチリ、鳴っていた歯が噛み合った。
 飛行に使う魔法力のリソースは最低限にして、姿勢制御は宮藤さんに任せる。残りは射撃に全部を注いだ。私には不相応なくらいの固有魔法、【弾道制御】。それが必要だった。
 ガンサイトからネウロイを視認する。風を読め、という坂本少佐の声がフラッシュバックする。
 意識を広げる。シールドに吹き付ける風の強さと向きがニューロンに流れ込む。西北西の風。雲の流れ方とこの距離とこの空域なら、目標との経路の風力は、3。
 位置、敵速。計測するやり方は習っている。ミーナ中佐とエイラさんからの情報もある。
 ボーイズの銃身の先に、さらに魔法力で銃身を伸ばすイメージ。遠く、遠く、ネウロイの直前まで。目標まで10cmの距離で撃ったら外す方が難しい。だからこれも当たる。きっと、当たる。
 当たるはずで、なのに、今までは当たらなかった。宮藤さんが支えてくれてるから、今度は当たる? 分からない。もう一手、何か欲しかった。クイーンなんていらない、ポーンでいい。何もしないより、何かする方が怖くない。できる事を、もう一つ!
 訓練を必死に思い出す。訓練でしかうまくできなかったけれど、でもきっとあれだって無駄じゃないはずだ。何か言われなかったろうか。何か見なかったろうか。
 ペリーヌさんとのロッテ訓練。二人で少佐を追っていた。ペリーヌさんから自分が合図をしたら少佐の左側を撃つように指示されていた。合図と同時に発射した.55は後ろに目がついているかのようにあっさりかわされ、しかし同時に連射されたペリーヌさんのブレンが少佐を襲いシールドを引き出した。
 あれはただまとめて撃った方が当たりやすいということかと思っていたけれど、違うんじゃないだろうか。だってそれなら、私に左側を狙わせる理由がない。あれは――。

「敵の避ける未来位置を予測して、そこに……!」

 あの時のペリーヌさんには私がいた。そして今の私には、宮藤さんがいる。何度拒絶したって、妬んだって、嫌ったって、怯えながらでも私を支えてくれている。
 思うに、私は手を握るのが下手なのだ。一人ぼっちで誰も助けてくれないと拗ねている癖に、差し伸べられたというだけでは、不安でそれを取ることができない。でも、今は私から手を伸ばした。宮藤さんも手を伸ばしていた。そうして初めて、繋がった。でもそれに感慨を覚えるのは、彼女を守ってからだ。

「宮藤さん、私と一緒に撃って!」
「うん、わかった!」

 細かな説明なしにも宮藤さんは頷く。素直で、何より勘がいいのだ。それが今はただ心強かった。
 ネウロイは高速で近づいてきている。望むところだ、接近した方が当たりやすい。移動速度と形状から回避軌道を予測。エイラさんほどうまくできなくたって、私は私でやるしかない。僅かに上方に照星を合わせる。外れた場所を狙うのが怖くなかったと言ったら嘘になる。でも、本当だ、何もしないことより、怖くない。
 魔法力の仮想銃身は光のように真っ直ぐ伸びている。それを通じてネウロイの動きを感じられる気がする。自分の肺の動きと心臓の鼓動と筋肉の収縮まで分かる。視界を遮るものは何もない。あと少し、0.2度上、1mm右、風、変わるな!

「今です!!」

 射撃、排莢、装填、射撃、排莢、装填、射撃、排莢、装填、射撃、排莢、装填、射撃、排莢、自分で撃っておきながらいつも怖いぐらいに大きな撃音は、今は私自身の叫びだった。

「当たれっ――!」

 止めていた息ごとその祈りを吐き出した。
 完璧なタイミングで発射されていた宮藤さんの機関銃掃射の上、私の五発が900m/sを超える速度で空気を貫く。
 ネウロイが、宮藤さんの弾を避けたそこは。
 私の仮想銃身の、先。
 ぎん、という音が聞こえたのはまだ錯覚だったはずだ。
 一発目をかわしたネウロイの左翼を二発目が砕き、衝撃で持ち上がった機体の下部に三発目、機首に四発目が着弾、そしてド真ん中を、五発目が撃ち抜いた。

「当たった!!」

 13.9mm徹甲弾の破壊痕で、ネウロイが折れた。
 金属が引っ掻かれひしゃげるような異音。今まで他人事として聞くだけだった異音。
 断末魔のようにそれを響かせ、目標はオフホワイトの破片へと、爆散した。

「きゃあっ!」

 飛行速度のまま吹き付けてくるネウロイの破片に、視界を塞がれる。シールドを反射的に強くして身を守った。どれほどの速度で飛んできていたのか、風圧でもみくちゃにされる。
 煙幕のようなそれが晴れて、宮藤さんが声を上げた。

「凄い……」

 太ももの間から聞こえたそれに、私は我に返る。

「当た……った?」

 さっき自分で口にしたのに、理解ができなくて私は呟いた。
 周囲に残る白煙は明らかにネウロイの撃墜跡だったし、私は確かに、私の銃弾がネウロイに当たる所を見た。
 私が、ネウロイを撃墜した。

「やった! やったよ宮藤さん!!」

 理解が染み込んだ途端に私の口からは叫びが溢れて止まらなかった。 

「私、初めてみんなの役に立てた!!」

 やったのだ、私が、どうしようもない私が、一人で足を引っ張っていただけの私が、いらない人員として派遣された私が、みんなを、ブリタニアを、宮藤さんを守ったのだ!
 馬鹿みたいに嬉しくて仕方なかった。どうしてこんなに嬉しいのか分からないくらい嬉しかった。大きすぎる嬉しさをとても一人では抱えていられなくて、私は体を反転させると上下逆さまに宮藤さんに思い切り抱きついた。

「宮藤さんのおかげよ、ありがとう!!」
「わぷっ」

 私が宮藤さんに抱いていた感情を考えればどうにも虫のよすぎる話で、けれど胸の奥からは感謝の気持ちがこんこんと湧き出てきていた。だって私は、宮藤さんのおかげで初めてここにいる意味ができたのだ。ここ、というのは、戦場であり、ストライクウィッチーズであり、軍であり、祖国であり、この世界だ。
 宮藤さんがいたから、宮藤さんが支えてくれたから、宮藤さんが語りかけてくれたから、私は意味を持てた。暗い場所から立ち上がれた。

「ありがとう、本当にありがとう!」

 あの夜宮藤さんに投げつけてしまった泥と、今まで心の中で宮藤さんに吐いていた言葉を謝りたくって、でも今この時にはそれは相応しくない気がしたから、ぎゅうとぎゅうと宮藤さんを抱きしめながら、私は何度もありがとうを繰り返した。
 この小さな新人さんが、私にとってどんな英雄より凄いことをしてくれたのだ。ここにいていいと思える、それは赦しだ。人に赦しを与えるのは、神様の仕事だ。宮藤さんが神様だなんて、そこまで言う気はないけれど、でもどんなにありがとうを伝えても足りなかった。

「リ、リネットさん、危な……ひゃあっ!」

 ところで逆さまに抱きつくなんてそんな姿勢が安定するわけもなく、私たちはバランスを崩して飛行することができなくなった。今日できなかったことの、ええと、ああ、もうそんなのどうだっていい! できたことの数もどうでもいい! とにかく私は、ずっとずっと本当にやりたかったことを、初めてできたんだ! それだけでもう、完璧じゃないか!
 宮藤さんと一塊りにドーバー海峡に落下していく私の眼を太陽が射た。眩しさが気持ちよかった。
 盛大な水柱を立てて海が私たちを受け止めた。流石に宮藤さんから手を離し、必死に水をかく。ばしゃり、水面を頭で割ったのはほとんど同時だった。

「…………」
「…………」

 二人で見つめ合う。宮藤さんの髪がペッタリとしていて、何だか濡れた子犬みたいだった。扶桑の海軍服は水に濡れても様になるなあ、なんてことを頭の隅っこで思った。

「……ふ、ふふ」
「……えへ」

 どちらともなく、肩を震わせはじめる。揺らめく水面にさざ波が広がる。
 私はどうにかなってしまったのだ。だって、全部が全部素敵なものに見えたのだ。世界はネウロイに脅かされていて、ヨーロッパは人が住める場所ではなくて、私はまだまだ足手まといで、宮藤さんは私より才能があって、なのに笑いがこみあげて仕方なかった。目に映るものが砂糖とスパイスと素敵な何かだけでできているように。

「ふふっ、ふ、はははは!」
「あははははははっ!」

 とうとう私たちは大声を上げて笑い出した。笑えば笑うほどおかしくなって止まらない。水はまだまだ冷たかったけれど、ちっとも火照りを冷ましたりなんかしなかった。
 散々笑った挙句、息が切れてようやっと私たちは静かになった。荒い息の下、宮藤さんが一かき、私に近づいて微笑んだ。

「芳佳でいいよ。私たち友達でしょ?」

 あんまりに綺麗に言われるものだから、浮かびかけた躊躇なんか全部真っ白に色褪せた。だから私は、頷いたのだ。

「じゃあ、私もリーネで」

 愛称で呼んでもらうことをお願いするなんて、本当に久しぶりな気がした。

「うん、リーネちゃん!」

 こんな風に真っ直ぐに名前を呼ばれてしまって、彼女を嫌うことなんか、もうとてもできそうになかった。
 彼女より高く飛び続けられるように頑張ろうと思った。きっとすぐに彼女はもっと上に行くだろうけれど、そしたら今度は追いかけようと思えた。そう思うことがちっとも嫌ではなかった。今まで妬んでいたことを、憧れていたと誤魔化すことはできない。それは私の汚さとして認めなければいけない。でもこれから彼女を見上げる時に思う気持ちは、憧れと呼んだっていいはずだ。
 それに、空で彼女がどんなに遠くに行っても、地上では手を伸ばせる気がした。上からでも下からでもなく、隣に並んで。それを彼女は、きっとしっかり握り返してくれるはずだ。私は宮藤さんを完璧には理解できないし、宮藤さんも私を完璧には理解できない。でも、繋いだ手から伝わる温度は、私を一人にしない。一人じゃない場所があれば、一人の時も耐えられそうな気がした。
 だから私は、彼女がここに来てくれてよかったと、仲良くなりたいと、心からその名を呼んだのだ。

「はい、芳佳ちゃん!」


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