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No.32711の一覧
[0] 機動戦士ガンダム0086 StarDust Cradle ‐ Ver.arcadia ‐ 連載終了[廣瀬 雀吉](2023/07/03 19:06)
[1] Prologue[廣瀬 雀吉](2012/04/19 18:00)
[2] Brocade[廣瀬 雀吉](2012/04/19 18:01)
[3] Ephemera[廣瀬 雀吉](2012/05/06 06:23)
[4] Truth[廣瀬 雀吉](2012/05/09 14:24)
[5] Oakly[廣瀬 雀吉](2012/05/12 02:50)
[6] The Magnificent Seven[廣瀬 雀吉](2012/05/26 18:02)
[7] Unless a kernel of wheat is planted in the soil [廣瀬 雀吉](2012/06/09 07:02)
[8] Artificial or not[廣瀬 雀吉](2012/06/20 19:13)
[9] Astarte & Warlock[廣瀬 雀吉](2012/08/02 20:47)
[10] Reflection[廣瀬 雀吉](2012/08/04 16:39)
[11] Mother Goose[廣瀬 雀吉](2012/09/07 22:53)
[12] Torukia[廣瀬 雀吉](2012/10/06 21:31)
[13] Disk[廣瀬 雀吉](2012/11/15 19:30)
[14] Scars[廣瀬 雀吉](2012/11/15 19:32)
[15] Disclosure[廣瀬 雀吉](2012/11/24 23:08)
[16] Missing[廣瀬 雀吉](2013/01/27 11:57)
[17] Missing - linkⅠ[廣瀬 雀吉](2013/01/28 18:05)
[18] Missing - linkⅡ[廣瀬 雀吉](2013/02/20 23:50)
[19] Missing - linkⅢ[廣瀬 雀吉](2013/03/21 22:43)
[20] Realize[廣瀬 雀吉](2013/04/18 23:38)
[21] Missing you[廣瀬 雀吉](2013/05/03 00:34)
[22] The Stranger[廣瀬 雀吉](2013/05/18 18:21)
[23] Salinas[廣瀬 雀吉](2013/06/05 20:31)
[24] Nemesis[廣瀬 雀吉](2013/06/22 23:34)
[25] Expose[廣瀬 雀吉](2013/08/05 13:34)
[26] No way[廣瀬 雀吉](2013/08/25 23:16)
[27] Prodrome[廣瀬 雀吉](2013/10/24 22:37)
[28] friends[廣瀬 雀吉](2014/03/10 20:57)
[29] Versus[廣瀬 雀吉](2014/11/13 19:01)
[30] keep on, keepin' on[廣瀬 雀吉](2015/02/05 01:50)
[31] PAN PAN PAN[廣瀬 雀吉](2015/02/05 01:25)
[32] On your mark[廣瀬 雀吉](2015/08/11 22:03)
[33] Laplace's demon[廣瀬 雀吉](2016/01/25 05:38)
[34] Welcome[廣瀬 雀吉](2020/08/31 05:56)
[35] To the nightmare[廣瀬 雀吉](2020/09/15 20:32)
[36] Vigilante[廣瀬 雀吉](2020/09/27 20:09)
[37] Breakthrough[廣瀬 雀吉](2020/10/04 19:20)
[38] yes[廣瀬 雀吉](2020/10/17 22:19)
[39] Strength[廣瀬 雀吉](2020/10/22 19:16)
[40] Awakening[廣瀬 雀吉](2020/11/04 19:29)
[41] Encounter[廣瀬 雀吉](2020/11/28 19:43)
[42] Period[廣瀬 雀吉](2020/12/23 06:01)
[43] Clue[廣瀬 雀吉](2021/01/07 21:17)
[44] Boy meets Girl[廣瀬 雀吉](2021/02/01 16:24)
[45] get the regret over[廣瀬 雀吉](2021/02/22 22:58)
[46] Distance[廣瀬 雀吉](2021/03/01 21:24)
[47] ZERO GRAVITY[廣瀬 雀吉](2021/04/17 18:03)
[48] Lynx[廣瀬 雀吉](2021/05/04 20:07)
[49] Determination[廣瀬 雀吉](2021/06/16 05:54)
[50] Answer[廣瀬 雀吉](2021/06/30 21:35)
[51] Assemble[廣瀬 雀吉](2021/07/23 10:48)
[52] Nightglow[廣瀬 雀吉](2021/09/14 07:04)
[53] Moon Halo[廣瀬 雀吉](2021/10/08 21:52)
[54] Dance little Baby[廣瀬 雀吉](2022/02/15 17:07)
[55] Godspeed[廣瀬 雀吉](2022/04/16 21:09)
[56] Game Changers[廣瀬 雀吉](2022/06/19 23:44)
[57] Pay back[廣瀬 雀吉](2022/08/25 20:06)
[58] Trigger[廣瀬 雀吉](2022/10/07 00:09)
[59] fallin' down[廣瀬 雀吉](2022/10/25 23:39)
[60] last resort[廣瀬 雀吉](2022/11/11 00:02)
[61] a minute[廣瀬 雀吉](2023/01/16 00:00)
[62] one shot one kill[廣瀬 雀吉](2023/01/22 00:44)
[63] Reviver[廣瀬 雀吉](2023/02/18 12:57)
[64] Crushers[廣瀬 雀吉](2023/03/31 22:11)
[65] This is what I can do[廣瀬 雀吉](2023/05/01 16:09)
[66] Ark Song[廣瀬 雀吉](2023/05/14 21:53)
[67] Men of Destiny[廣瀬 雀吉](2023/06/11 01:10)
[68] Calling to the night[廣瀬 雀吉](2023/06/18 01:03)
[69] Broken Night[廣瀬 雀吉](2023/06/30 01:40)
[70] intermission[廣瀬 雀吉](2023/07/03 19:04)
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[32711] ZERO GRAVITY
Name: 廣瀬 雀吉◆b894648c ID:6649b3b3 前を表示する / 次を表示する
Date: 2021/04/17 18:03
 ニナの泣き声を耳元で受け止めながらコウはそっと彼女の背中へと視線を落とした。多分彼女の性格でシミ一つなかったであろう真っ白なシャツが焼け焦げて裂け目さえある、そんな事には無縁だった彼女がこの一晩でどれだけの苦難や困難に直面し、どれだけの悲惨な光景を目にしてしまったのか ―― そう考えただけで抱きしめる両手に力がこもる。「すまない、もう少し俺が早く ―― 」
「 …… ばか」声を詰まらせながらコウの耳元でニナの声がした。金色の髪がコウの手をすり抜け、コウの顔を笑顔で見つめるニナが同じように視線を落とす。「あたしも …… あなたもボロボロだわ。でも、生きてる」
 彼の背中に加わった力が自然とニナの顔を胸板へと近付ける、昔よりも遥かに分厚くなったそこに頬を押しつけた彼女は囁くように言った。「ありがとう、コウ。どうしてもあなたに …… あいたかったの」

 ドンッという大きな発射音と共に廊下に撃ち込まれた弾が深々と天井へと突き刺さり、抱き合ったまま振り向いた二人の目の前にそこに繋がれたロープを伝って大きな黒い影が現れた。猿のように慣れた身のこなしでそこから降りた男は口に咥えていた明かりの光を二人に向けて照らす。「 ―― お邪魔、だったかな? 」
料理長チーフ! 」小首をかしげて片目をつぶるグレゴリーに向かってコウが嬉しそうな声を上げた。まだ足元のおぼつかないニナに肩を貸しながら彼の下へと歩み寄ったコウは差し出された大きな手をしっかりと握りしめる。「ごぶさたしてます」
「おお、ずいぶんと久しぶりにお前さんの顔を見た。しっかしちょっと見ない間にうちでも働けそうないい体つきになりやがって、ついでにやってる事がここにいた頃と同じというかあいかわらずのむちゃくちゃだ。 ―― なつかしいなっ! 」
 近づいて来たコウの胸板をドンと小突いて、しかしそれでもよろけもしない彼の反応を見てニヤリと凄味のある笑みを浮かべた。「そういや『チーフ』って呼び方も久しぶりに聞くなぁ、そう言ってくれる連中があと何人生き残ってる事か。そう考えるとどうにもやりきれんのだが ―― 主任」
 ニナに向けたグレゴリーの眼つきが突然険しくなった。睨まれる事に心当たりのあるニナはコウの後ろで姿を隠したまま小さくなっている。「さっきのアレはどういうつもりだ、自分の命を粗末に扱うなんて」
 ニナの取った行動はいかなる理由があろうともヘンケンの下で働く者達にとって許される事ではない、たとえ目の前に死の瀬戸際が大口を開けて待っていたとしても最後の最後まで生きるための手段を探し求めなければならない。そのポリシーが有効な事は星一号作戦の際、戦闘宙域で撃沈されたスルガの乗組員が全員ほぼ無傷で帰還した事が証明している。
「今晩、仲間が大勢死んだ。みんな明日を生きようとして叶えられなかった、だから生き残った俺達はそいつらの分まで精一杯生きなきゃいけないんだ。たとえどんな理由があったとしても ―― 」
 ニナの瞳に涙が浮かんだ事でグレゴリーはその先の言葉を止めた。彼らの死に対して自分が報いるものは何もない、と思い込んでいたニナの脳裏に浮かぶトンプソンの叫び ―― 彼と一緒に死ぬ事を選べなかった自分の決意を思い出した彼女はグレゴリーの前に進み出ると俯いた。
「 ―― 曹長にも、そう言われました」
「そうか。 …… じゃあ尚の事助けてもらったその命、大事に使わにゃあトンプソンにも恨まれる ―― と」グレゴリーの耳につけられた携帯の着信を示す赤いランプが点滅する。通話に切り替えた彼が驚いたようにイヤホンを外すとスピーカーに切り替えるまでもなく、ヘンケンの大声がその場にいた三人の耳にまで届いた。「説教はここまで。どうやらここにいる三人の携帯がどれも繋がってなかったみたいだ。 ―― 伍長」
 グレゴリーが自分の耳をポンポンと指で二回叩いてコウに携帯を繋げと促した。「艦長がお前さんの声を聞きたがってるぜ」

「! ウラキ君!? 」
 再び繋がったコウとの回線に齧りつくヘンケン。最後に聞いたのは輻輳する阿鼻叫喚と爆発音 ―― 不吉な予感しか残さなかった終わりにやきもきしながらせめて身の安全だけでも、と祈る彼の耳に届いたコウの声。それは彼がなし得た戦果の大きさとは全く無縁に思えるほどあっけなく、そして彼の小屋で酒を酌み交わしながら話す時と同じ声だった。
「 “ たった今ニナ ―― いえ、パープルトン技術主任を無事に保護しました、助けていただいてありがとうございます ” 」

 ほんの一瞬の静寂の後に訪れた爆発する歓喜とわき起こる歓声。
 降リかかって来た悪夢によって失われていく仲間を何の手もなく見送ったオークリーにもたらされる希望。誰もが奇跡を待ち望み、しかしそんな事が起こる訳がないと絶望をかこつしかなかった彼らに訪れた突然の福音。見えなくなった明日をもう一度取り戻せるかもしれない可能性がそこにある、俯いたままの顔を再び上げるには十分すぎるほどの光明。
 それはかつてのコウと一番深くかかわっていた整備班が最も派手に表れた。スーパーボウルの残り二分での大逆転劇に湧く観客を思わせる興奮は勝ち鬨となってハンガー中に響き渡る、泣きながら飛び上がったジェスが下で待ち構えるアストナージと全力でハイタッチを交わして抱きかかえられる。ピョンピョンと飛び跳ねながら彼はまだすぐそばに座り込んだままのモウラへと視線を向けた。
「班長、伍長が ―― 野郎、帰ってきやがったっ! ちっくしょう、なんておいしいタイミングだぁっ! 」

 整備班の全員がその知らせに最も喜んでいるだろうと信じる彼女はその歓喜の輪の中には存在しない、誰よりも屈強でタフだと整備班全員から思われていたモウラはただその場にうずくまって泣いていた。幾重にもわだかまる複雑な感情 ―― 絶望から歓喜、緊張から安堵。正反対へと舵を切ったその思いを表現するのは人にとって同じ物でしかない。長く作り上げてきた虚像が剥げ落ちた後に現れた素顔のモウラを取り囲んだアストナージが、そして彼女を引きとめたジェスが大きなモウラの肩を抱いて思いっきり揺さぶる。そして口々に降り注ぐ祝福の言葉がさらにモウラの涙を誘った。
 まちがって、なかった。
 ニナの下へと駆けつける事ができなかった自分はなにもまちがってなかった。
 そして彼らを捨てて死に向かおうとした自分の間違いを誰一人咎めるものはいない、その優しさこそが発足当時から不遇な身の上に抗い続けたシャーリー隊の強さの証だとモウラは改めて思い知った。

「 “ ―― よしっ ” 」
 短い言葉だがそれだけで十分だ。キースの声を聞いたマークスは動作不良を起こし始めた右手をなんとか操って目の前へと迫ったマチェットを受け流す。気の利いたセリフなんて思い浮かぶ状況じゃないほど追い込まれてる、でも ――。
「 “ なによぉあいつっ! あたしン時の二番煎じじゃないの、ほんともったいつけちゃって。でっきるンなら最初からやってくれっつーの! ” 」
 脇からラース1へと肉薄するアデリアの憎まれ口、でも彼女らしい感謝の表現にマークスは声を上げて楽しそうに笑った。

「 …… 艦長、申し訳ありません。私にはどうする事もできませんでした、もしウラキさんがいなければ ―― 」
「まさに『悪魔払いエクソシスト』だな」ヘンケンはコウにつけられた二つ名を感慨深げに呟いた。彼女の置かれた状況を想像した誰もが悲嘆にくれてただ見送るしかなかった、それをたった一人でものの見事にひっくり返して見せる超人を先人達は何と呼んできたのだろうか?
「俺達は何度もこんな目にあって来た、その度に誰かに何とかしてほしいと願っては叶えられなかった。 …… いるんだな、本当にこんな奴が」ヘンケンはそう言うとそっとセシルの肩を叩いてから抑えたままの携帯を手放して口を開いた。「礼を言うのはこちらの方だ、俺達のミスをよくカバーしてくれた …… すまない、もう少しで彼女を死なせてしまうところだった」
 小さく頭を下げるヘンケン、どんな立場でもどんな相手でも犯したミスに対して素直に頭を下げられる所がこの艦長のすごい所だとセシルもチェンもそれぞれに思う。しかし助けてもらった相手に礼を言えること自体が素晴らしい幸運なのだ。自分達がしでかしてしまった事で窮地を迎えた味方がどんな結末を迎えてしまうのか、それを考えれば謝る事など取るに足らない。
 死んでしまえば謝ることすらできないのだから。
「 ” いえ、そんな。俺の方こそ礼を言います ―― あ、えっと ” 」口ごもったコウの傍で小さくニナが「バンディッドよ」とささやく。些細な事だったがそれで二人の繋がりは以前とは違う物になっている事に気づいたセシルは小さく笑った。
「 “ ―― 『バンディッド』。助けていただかなければ今頃二人ともどうなっていたか。本当に ―― ありがとうございました ” 」
「こちらこそ、と言いたいところだが改めてそれを言うのはお互い明日の朝日を拝んでからにしよう。現在の状況を考えるとこれをひっくり返すのはなかなかに至難の業だ」
 仕切り直しを促すヘンケンの声がセシルの顔を引き締める。動き出した生体戦術電算機は現状から予想される分岐を瞬時に想定して最も有効だと思われるケースを選び出す。「キャンベルと二人はそのまま元の道筋から食堂に戻って敵の迎撃の準備。グレゴリーはキャンベルから武器を受け取った後にその場から離脱、医療棟にいる怪我人をできるだけ多くこちらに誘導して。ウラキさんと技術主任には助かったばかりなのに酷ですが今は人手が一人でも必要な時です、砲雷長のお手伝いをお願いします」
「 “ キャンベル了解、ただちに食堂に帰還して迎撃準備に入る。 ―― だがポイントはどちらかというとグレゴリーの持ち場だ、奴も早めに戻してくれ。その方が何かと手っ取り早い ” 」
 セシルが立てた戦術にはグレゴリー率いる砲雷班の存在が欠かせない。緊急時における対人邀撃のスキルと知識、そして何より常日頃からそこで働いているという地の利。明日の仕込みのためにほぼ全てのスタッフが今だに厨房に残っていたという事はこの戦況を覆すセシルに与えられた唯一の僥倖だった。
 しかしキャンベルの声にグレゴリーの返答がない。「グレゴリー? どうしました? 」
 よほどの事がない限りあの偉丈夫が会話に参加しないなどとは考えられない、この作戦の要ともいえる砲雷長の異変に耳をそばだてたセシル。しかし次に聞こえてきたのはグレゴリーではなくコウの声だった。
「 “ バンディッド。医療棟が ―― 敵の砲撃で完全に破壊されています ” 」

 四階から垂直降下で下に降りようとロープを垂らした時に目に飛び込んできたその景色は衝撃的だった。まるで薬品で溶かされたかのようにぐずぐずになった外壁と所々崩れ落ちた床が建物の輪郭を幾何学とは縁遠いものに変えている。暗闇に沈むその惨状は豪胆で鳴らすグレゴリーですら言葉がない。
「 “ バンディッドからグレゴリー …… お前から見て生存者がいる、可能性は? ” 」

 ヘンケンの声が震えている。戦場でまれに発生するメディカルアタックは人非人の所業と言われている。戦えなくなった兵士は民間人と同じ扱いとなり連邦ジオンを問わず戦闘艦においてもその医療区画はバイタルパートのほぼ中央に位置しており生存率を最も高い確率で保全している、敵はそこを医療棟と知らずに撃ったのか? ―― いや。
 ドイツでの戦闘結果が奴らによって引き起こされたものだというのならば、奴らは間違いなく狙った。
 そこに大勢の怪我人がいると知りながら。
 非戦闘員しかいないと知っていながら奴らは、撃った。
 冷静さを失いそうになるヘンケンの体から炎のようなオーラがめらめらと立ち上る。「艦長、まだだめです」
 爆発しそうな気配を感じたセシルが後ろを振り返って小さく、しかし鋭い声で制止を求める。その時二人の耳に意気消沈したグレゴリーの声が聞こえた。砲雷撃を生業とするグレゴリー、経験則を駆使しての損害評価は絶対だ。
「 “ …… ありません。もしこの連絡通路を壊した爆発が医療棟に起因するものならば内部は完全に ―― ” 」
「 “ 俺が行きます。バンディッド、生存者捜索の許可を ” 」
 コウからの突然の申し出は予備電算室にいる三人には藁にも縋る物だった。だが今しがたまで死線を渡り歩いていた彼に自分達の都合を押しつけていいものか? コウの声で我に返ったヘンケンが小さくため息をついた。
「ありがとう。だが君は予備役とはいえ招集を受けてない以上あくまで民間人だ、ここから先の作戦に深くかかわる事は賛同しかねる。生存者がいる可能性がないのならグレゴリーと共に速やかにそこを離れるべきだ」
「 “ ですがバンディッド ――  ” 」
「 “ あたしもコウと一緒に生存者の捜索に当たります。バンディッド、許可を ” 」
 コウの反論すらも押しのけて告げられるニナの言葉に予備電算室はそれぞれの思いで絶句した。チェンは同僚として知る技術主任はこんな風に強くふるまう人だっただろうか、と。そしてヘンケンは今の今まで命を脅かされていた人間とは思えないほど力強い声に。そしてセシルは自分の作戦能力に挑みかかるような彼女の言葉に。
 彼女は暗に自分に求めている、『民間人二人が戦場の真っただ中で生存者を捜索するための必要な手順』を今この場で『すぐに』提供しろと。
 グレゴリーの見たてに外れはない、彼がそう言うのならばそこにいた大勢の負傷者やドクも含めて多分そうなのだろう。仮に誰かが生き残っていたとしてもそれを助ける事でかかるリスクは? 口元を手で覆いながら目をつぶって必死に手立てを考えていたセシルが辛そうな顔で一つ頷いた。「分かりました、では十分間だけ捜索を許可します」
「セシル、お前 ―― 」驚きのあまり思わず彼女の名前を呼んでしまったヘンケンに振り返って唇の前に人差し指を立てる彼女の眼には明らかな苦渋があった。「ただしそれが限界です。 ―― 恐らくそこでの事はもう士官宿舎に待機している敵の本体にも察知されています。ドクの …… マスターコードを手に入れたらすぐに医療棟を離れてハンガーに向かってください。グレゴリー、あなたは外で敵の動きに目を光らせて。辛いでしょうがここは二人に任せて」

「 …… 了解した、俺はこれから二人の援護を引き受ける。通信終了」そう言うとグレゴリーは胴体に巻きつけてあったロープをするすると解くと器用な手つきでその先端に輪を作った。「俺より副長の方が辛そうだったな、無理もない。 ―― ドクはみんなの親父代わりみたいな人だったから」
「まだ死んだと決まった訳じゃない。それにまだ他に生き残っている人がいるなら ―― 」言い抗うニナの体を輪の中へと潜らせながらグレゴリーは肩を一つ叩いた。
「もちろんだ、生きてる奴がいるんなら必ず俺達が連れて帰る。 ―― 二人の事は必ず俺が守る、だから …… マスターコードだけは忘れるな」

                    *                    *                    *

 ジェットコースターのように上下を繰り返す戦況にブージャム1の苛立ちは最高潮に達していた。たった一人の女を追いかけて今まで手塩にかけて育てた陸戦部隊の約半数があの世逝き ―― たとえばそれが元特殊部隊工作員でしかも伝説の何某等という肩書を持っているのならさもありなんと今の状況を素直に受け入れる事もできるだろう。しかし彼らの目標はたった一人の民間人上がりの軍属でしかも技術系のエンジニアだ、荒事や修羅場の対岸に位置する人種にいともたやすくこちらの兵士が屠られるなどとは悪夢であり、最大の屈辱だ。
 そしてそのイライラは意外な形で配下に伝播した。指揮官の一挙手一投足に常に敏感に反応してなんとかその場をやり過ごそうと試みる ―― 明らかに自分の身を守る為の保護行動であり動物としての本能からは逃げられない。群れとして成立する地上部隊はその連動性において類まれな攻撃力を発揮するがそれは同時に隠れた弱点をも内包していた。
 頂点に君臨するブージャム1の意思決定がそのまま配下にまで反映する、裏返せば彼がもし誤った判断を下した場合には一網打尽にされる危険性がある。だが負けた事のない彼らにはその事が分からない。マルコの分析結果は実はモビルスーツ隊だけの物ではなく、この部隊全体が持つアキレス腱だった。
「チッ、前も後ろも死に放題ってわけか」舌打ちしたブージャム1が鞘からククリを抜き出して血に曇った刀身に視線を落とす。選択肢は二つ、勝利か、死か。
 時間までに作戦を終えなければ後始末を一手に担うボロゴーブが迷わずここに件の爆弾を落として全てを灰燼に帰す。ここに連邦軍の基地があった事など関係ない、それだけの証拠を隠ぺいできるだけの情報操作と力を半身擬体の大佐は持っているのだ。「同じ死ぬなら前に出て少しでも生き残る道を探すしかねえ」
 決心したブージャム1はおもむろに立ち上がって周囲で息を潜めたままの隊員達を見回した。「これから全員で一気に敵本拠地の中枢まで侵攻する。ダンプティ達を当てにしている暇はねえ、こうしてじっとしている間にも敵はどんどん逃げてっちまう。そうなる前に俺達の手でけりをつけるぞっ! 」
 檄のような指示が出てからの彼らの反応は早かった。装備を身につけて銃把にマガジンを叩き込む時間はブージャム1がククリを元の鞘へと収めるまでと同じで、全員が整列する影に一瞥をくれた不機嫌な指揮官は口元をひきつらせた。
「よくわかってンじゃねえか、さすがは俺の子分たちだ …… 2、てめえの持ってる対戦車ミサイルスパイクのセフティピンは外しておけ。いつでも ―― どこでも、誰にでも使えるようにな」

                    *                    *                    *

 見たくもないその景色を再び目にする羽目になったコウは過去の記憶に思わず表情を曇らせる。ガトーの奇襲によって壊滅したトリントンは瓦礫の山と化し、生き残ったコウ達は崩れた建物の下から数多くの仲間の遺体を運び出さなければならなかった。あの日の事を思い出すたびにそれが戦争の真実なのだと自分に言い聞かせて割りきったつもりでいても納得はできない。
「ニナ ―― 」行く先である三階へと続く道のりへとライトの光を向けて後ろを振り返ると、そこには暗闇に沈んだ被災地へと目を向けたまま立ちつくしたニナがいた。
 そこはこの基地の中でもニナの一番のお気に入りの場所だった。待合室と受付を兼ねた小さなスペースだったが整然と並べられたソファはふかふかでいつも誰かが寝転んで午後の惰眠をむさぼっている。彼女はそんな彼らの邪魔にならないように少し離れた場所に置かれた小さなテーブルでラップトップを広げる、誰かの寝息や楽しそうな話声をBGMがわりに何かを考える事がこんなにもはかどる事だなんて考えもつかなかった。
 ソフトの改良のためにいろいろなインスピレーションを得たあのテーブルも瓦礫の下でいろんなものと一緒にぺしゃんこだ。そう思っただけで胸の奥に灯ったどす黒い何かでむかむかする。「なんて、むごい」
「急ごうニナ、もうあまり時間がない」自分の持っている彼女の姿とは違う雰囲気を感じ取ったコウがニナの手を取って先を促し、彼女は視線を暗闇に向けたままその導きに従った。遠ざかる思い出からそっと目を背けて先を歩くコウの背中へと視線を向けるニナが小さな声で彼に問う。「これが …… 戦争?」
 足を速める彼は声もなく。しかし彼女の言葉に前を向いたまま小さくうなずいた。

 三階は逃げ場のない地獄だった。外壁は全て剥がれ落ちて屋外に漂う戦場のきな臭さがそのまま吹き込んでいる ―― それだけではない、大方の天井が吹き飛んでなくなっている。少し離れた場所にある滑走路で繰り広げられているモビルスーツ同士の銃撃戦が耳元で鳴る鐘の音のように騒騒しい。
「そんな …… 一体何発撃ち込まれたって? 」コウは思わず処置室があったであろう内部へと光を向けた。内壁もなく鉄骨だけがむき出しになったスケルトンの大部屋に積み重なるコンクリートの瓦礫とその隙間から突きだされた何か ―― 。「 ! 見ちゃダメだ! 」
 わずかに遅れたコウの声を振り切ってニナが黒焦げになって宙へと突きだされたその手を見てしまった、誰もが目を背けるであろう枯れ木のような人の残骸が光の中だけでもあちらこちらに数多くある。しかしコウの動揺とは裏腹に視線を向けたニナは決して怯まなかった。口元を手で覆っても目に焼き付けるように光の向こうを睨みつける彼女の瞳が怒りに燃える。「 ―― 探そう」
 短くそう告げるとコウの脇をすり抜けて先に地獄へと足を踏み入れる。肉が焦げた甘ったるい匂いと死をかき分ける彼女の背中に秘めた覚悟はコウの足を引きずるようにその地獄へと誘った。

 多くの死者がいた。形ある者無くなった者、瓦礫という墓石の下で理不尽な死に対して恨みを向けるように。コウが瓦礫を持ち上げニナが一つ一つ中を確認する、ライトの明かりを向けるたびに彼女の動きが止まって胸の前で手を合わせては次へと。一度も欠かす事のできなかったその行為がここで命を落とした者の数を見る事ができないコウに教えた。
 瓦礫の重み以上にのしかかる辛さがコウの体力を気力ごと奪っていく。彼はこの死者が ―― いや今夜命を落とした者達が『何のために』犠牲になってしまったかを知っている、その事を絶対に目の前にいる彼女には告げられない。それは多分自分の墓にまで持っていかなければならない秘密なのだ。
 でももしかしたらいつか彼女にこの事を話さなくてはならない時が来るかもしれない。ニュータイプという特異点に向けられる悪意の願望はこれから幾度となくどんな手を使ってでもニナを求めてその手を伸ばしてくるだろう、今日ここで起こった事の真実を語って彼女を自暴自棄にするという手段を使わないという保証はない。事実自分は今夜の出来事を得体のしれない男から予言のごとく聞かされたばかりなのだ。その時に。
 自分は誰よりも先んじて彼女にその事を告げる事ができるのだろうか? 彼女を陥れようとする輩をことごとく退けるだけの力が、覚悟が。
「あとはここだけ …… 大丈夫、コウ? 」全身汗まみれになって息を上げるコウをいたわるようにニナが優しく声をかける。
 ―― 何を恐れている、いまさら後ろを振り返れないだろう。
 ニナのこの気持ちを、あの笑顔を守る為に。取り戻すために俺はもう一度ここに戻る決心をした。たとえそれが修羅の道行であったとしても引き返すことはできない ―― そこに未来がなかったとしても。
 護るんだ、コウ。彼女を全ての苦痛から、苦難から。
「大丈夫さ、ありがとう」
 自分のために気丈にふるまう彼女をねぎらうように、コウは笑った。
 
 そこがこの惨事を招いた爆心地である事は二人にも一目でわかった。頑丈な天井が一枚板で床に置かれたその周囲には何もなく、多分設置されていたであろう全ての機材は壁ごとはるか彼方に吹っ飛んでいる。あちこちに光を走らせて何か変わった所はないか、可能性はないかと探すコウ。だが野ざらしの部屋から走る光は無情にも次の建物の外壁を照らすだけだ。
「これじゃあ、ここにいた人は ―― 」
 探す事を諦めたコウがニナへと声をかける、しかし傍らで立っているはずの彼女はその場にしゃがんで今まで宙を照らしていた明かりを床と天井との間へとねじ込んでいた。ドリンクベンダーのアルミ缶でさえ潰れてしまいそうなわずかな隙間にニナは耳を近づけ、大きく目を見開く。「コウっ! 誰かまだ生きてるっ! 」
 条件反射でニナの傍らにしゃがみこんでその大きな縁に手をかけて渾身の力を込め、コウの隣で彼女が続く。しかし今まででも一番大きなその瓦礫は二人の全力をもってしてもピクリとも動かない。大きく息を荒げたコウがニナの手助けを断って携帯の通話ボタンへと手を伸ばした。
「チーフっ、すまないっ! 三階の一番奥に生存者、瓦礫が大きすぎて持ち上げられないっ。手を貸してくれっ! 」

 スルガの乗組員たちから「人間重機」と呼ばれた異名はここで二人に披露された。全身の筋肉が膨れ上がって見た目を一回り大きくしたグレゴリーがその縁に手をかけるとコウの手助けも借りずに一息でその塊を床面から引きはがす。すかさずニナが明かりを向けると男は様々な瓦礫やロッカーの残骸に囲まれた中央でへこんだ床の上に奇跡的に横たわっていた。「ドクっ! 」
 昔と変わらない一張羅の白衣に少し禿げあがったその頭を見間違えるはずがない、コウが駆け寄るとモラレスは小さくせき込みながら俯いたまま言った。「誰かは知らんが儂の体をできるだけ動かさずに運び出してくれ、エコノミー症候群の恐れがあるでの。 …… ? なんじゃ? こんな時にここにいる筈のないモンの声が聞こえるとはいよいよ儂も年貢の ―― 」
「しっかりしてドクっ、コウが助けに来てくれたの、分かる!? ウラキ伍長よっ! 」 コウに抱えられて外に運び出されたモラレスにニナが寄り添う、背後で瓦礫を落としたグレゴリーがその余震の収まるのも待たずにニナの肩越しで彼の表情を窺う。
「伍長? …… ほう、そりゃまた」そうつぶやくと自分の肩に添えられたままのコウの手を触ってフン、と笑った。「パイロットじゃった過去も感じんくらいごつい手じゃ …… 農家っつうのはセシルが言っておったよりもよっぽど難儀な仕事のようじゃのう」
「ドク、しゃべっちゃだめだ。とりあえずここを離れてみんなが立てこもってる所まで行こう。痛む場所があるなら言ってくれ、何か必要な物は? 」
「そう言うのを『釈迦に説法』というんじゃ、自分の体の事くらい自分が一番解かっとるわい。 ―― というても爆発で吹き飛ばされてここにはなーんも残っとらん、そうじゃの …… とりあえず」心配するコウをよそにモラレスは隣の部屋の反対側の壁にひっくりかえった小さな戸棚を指差した。「あそこのなかに小さな赤いアンプルが入っている、一本だけでも持ってきてくれると助かる。それとグレゴリー」
 上目づかいにニヤリと笑った彼を見たグレゴリーが分かってるとばかりにうなずいた。「あそこから、アレを持ってきてくれ。ここで捨ててしまうのは惜しい代物シロモンじゃからな」

「おお、こりゃ楽でええわい」グレゴリーに背負われたモラレスが彼の頭越しに楽しそうな声を上げた。「こんな事ならチェスのたんびにおねだりするべきじゃったかのう? 」
「勘弁してくださいよ、それじゃあ俺は毎日ドクの自家用車になっちまう。それにまだ戦闘中なんだから声はもうちょっと押さえて」苦笑いしながらグレゴリーがたしなめるとモラレスは返す刀を構えて振り下ろす。「なーに言っとる、こんな時じゃから気勢を上げにゃあいかんじゃろう。それにこんな騒ぎ、チェンバロや星一号に比べりゃあ蚊トンボの鳴き声じゃ ―― おっと、そこを右じゃ」
 モラレスの指示通りに先頭をいくコウが一階の廊下の角を曲がると頑丈な鉄の扉と端末があった。「医療関係者専用の秘密の扉じゃ、ここから地下通路を通じて基地の中のどこにでもすぐ出れるようになっておる。 ―― ニナさん、儂の頸にぶら下ってるマスターコードを取ってくれ」
 後ろに続いていたニナがグレゴリーの隣に立つと頭を下げたモラレスの頸からそれを抜き取る。フラッシュメモリーに似た形状のそれがこの基地の全ての暗証を解除するマスターコードであり、ウェブナーの持っていたそれがコウのモタードと共に吹き飛んだ以上ここにあるのが最後の一つだ。「それを差し込めばすべての扉がまるでド田舎の家の勝手口みたいに開けごまじゃ ―― 」
 ニナが端末に走ってそれを差し込んだ瞬間に外れるロック、一度も開いた事のないきしむ扉をコウが開くと地下に通じる階段があった。「ここを閉じてしまえばそうそう奴らも追ってはこれンじゃろう。入ってしまえば中は迷路じゃ、知ってるモンにしかどこに出られるかは見当もつかん ―― とりあえず伍長はハンガー、儂らは食堂というところか。途中までは一緒じゃな」

 トンネルの電源はまだ生きていた。建物一個分のまっすぐな通路をゆっくりと歩く ―― 怪我人を揺らさないように ―― グレゴリーの背中からモラレスの声がした。「して伍長。お前さんハンガーへ行ってこれからどうするつもりじゃ? 」
「とりあえずは足がなくなったんで代わりを探します。バイクがあれば一番いいのですが、なければトラックでも電源車でも ―― とにかくここからニナを連れて基地の外へ」
「もしそれがなかったら? 」畳みかけるモラレスの問いにコウは声を詰まらせたまま何も答えない。「 …… 答えないのが答えじゃのう。 ―― じゃがモビルスーツは全部出払っててハンガーには多分一機もない、それにあった所でそれに乗ってどうするつもりじゃ? 指一本動かす事もできんお前さんが」
「ドク、俺は ―― 」
「死ぬぞ? 」間髪をいれずにモラレスの口から放たれた言葉は諫めるなどという物ではない、ただの脅しだ。しかしそれが真実である事を知るニナだけはモラレスの背後で視線を落とした。「儂が言わんでもお前さんはその事をとうに自覚しておるはず、それでも ―― いや聞き方を変えよう。 …… なぜ今になってそんな事をする? 」
「守りたいんだっ」
 問い詰められる圧力に耐えきれなくなったコウが振りかえりざまに小さく叫ぶ。「今まで俺はなにも ―― 誰も守れなかった、助けられなかった。いや違う、助けようとしなかったんだ。仲間だけじゃない、ケリィさんやルセットさん ―― もしかしたらもっと大勢の ―― 自分に何かを期待してた人たちを裏切リ続けてきた。あの戦いで自分の中に生まれた何かに脅えてそれを知られるのが怖くて、ニナやモウラやキースを騙してでも自分は昔と変わりないんだって思わせたかった。だけどできなかった、俺はまたできない自分に言い訳をしてあの日みんなを裏切ったんだ」
 声を荒げて吐き出すコウを見つめる六つの瞳がそれぞれの思いで優しく揺らめいた。彼の抱え込んだ業が人並み以上に大きく、酷いものだという事にグレゴリーは気づいていた。恐らく戦争という名の殺し合いに参加した全ての兵士や人々が抱える矛盾は彼よりも小さいが同じものだと思う、しかし大方の人が代わりに手にする幸せでうまく忘れ去ることができる物を彼はただ矛盾は矛盾のままとして自分の心に抱え込んでいた。
「でもそれじゃだめなんだっ! たとえ自分がこの先どうなったとしても大事な物は手放しちゃいけない、それを守るためならどんなことでもする。そのためにもう一度モビルスーツに乗らなきゃいけないというのなら必ず乗ってニナを ―― 護って見せる。 …… 俺は自分の家族エボニーにそう誓ったんだ」
「家族、とな? 」コウの言葉を聞いたニナが口を開こうとするのをモラレスの声が止めた。見上げるとグレゴリーの背中で彼はニナの方を振り返ってにっこりと笑っていた。「結婚しとったのなら早よ言わんか、それはそれでめでたい事じゃ」
「いえ、あのそれが …… 家族といっても家で飼ってる猫なんですが」大言壮語を吐くにはあまりに脆弱な理由づけに我に返ったコウが思わず視線をモラレスから外す。しかしモラレスはそんなコウに優しく声をかけながらじっとニナの目を見つめている。
「猫、ねえ。それでも家族には変わりゃあせん、お前さんはその猫に感謝せにゃならんの ―― どうやら覚悟はできとるというわけか。ならばもう儂が止めても聞きゃあせんじゃろう、好きにすればええ。…… じゃがのう、儂は今の伍長の話を聞いてちょっと安心した」

 コウの体で起こっている変調と原因は想像とはいえある程度の分析ができて、そしてその秘密を共有するモラレスとニナは彼の行きつく先にある結末をあの夜に予想した。絵空事といえども連邦の医療関係者の間で必ず名前の挙がる実力者の見立てが全然的外れだという事はあり得ない。
 だがその予測を立てたモラレスの眼はニナに何かを伝えようとしている、破滅へと向かう彼の決断を真っ向から否定したあの夜のドクとは ―― 違う。
 彼は私に何か別の事を伝えようとしている。 

「守る為に戦うというのなら簡単には死ねんという事じゃ、お前さんが運命に抗おうというのならそれはお前さん自身が生きる目的を見つけたという事  …… 体つきだけじゃなく、心根もあの頃とは変わったのう。じゃがこれだけは言うておく、心して聞け」
 グレゴリーの背中から聞こえる強い口調にコウは顔を上げてモラレスを見た。「たとえいかなる事情があろうともお前さんは気軽にモビルスーツに乗ってはいかん、もし乗るのだとしたらそれは最後の手段じゃ。万が一乗ったとして何の不具合が自覚できなかったとしても『今の』伍長がモビルスーツに乗る事を儂は絶対に認めんからな。遺言がわりにしっかりと心にとめておけ ―― さて、と」
 力強くうなずいたコウを見届けてから大きなため息が一つ。「 …… もうこのへんで、ええじゃろう。そろそろ下におろしてくれんかの? 」
「ドク? 」振り返ったグレゴリーにとって小柄な老人の体など羽が生えたくらいにしか感じない、しかし口元からつつ、と流れおちる一筋の血を見た瞬間にその重みは鉄の鎧をまとったように増した。「ドクっ! どうした、しっかりしろっ! 」
 驚いてしゃがんだグレゴリーの背中から駆け寄ったコウがモラレスの体を抱きとめてそっと壁際へと運ぶ、誰もそんな事に気づかなかったが彼の息はとても弱く、小さな物へと変わっていた。「おい、冗談だろっ! 今まで俺の耳元でぎゃあぎゃあ騒いでたんだろがっ! 」
「 …… 最期までつき合わせてすまんかったの、チーフ。じゃがどうやら儂もここまでのようじゃ。言うたじゃろう、自分の体の事は自分が一番よく知っとると …… 見た目は火傷だけじゃが内臓をひどくやられてのう ―― 残念ながら出血が止まらん、止める手立ても、ないわ」
「いやっ! そんなドクらしくもない事言わないでっ! せっかくコウとあたしが二人揃ってドクに会えたっていうのにっ! 」悲鳴を上げたニナが泣きそうな顔でモラレスの体にしがみつく。「なんか手はないのかドクっ! あんた連邦で指折りの救急救命医なんだろうっ!? なにがいるんだ、必要なモンは今すぐ俺がここに持ってきてやる、だからこんな所で死ぬんじゃないっ! 」
 狼狽するグレゴリーの傍から体を差し込んだコウが二人の叫びを背中で受け止めながらベストのポケットからインジェクターを抜き出すとモラレスの左腕へと突き刺した。親指の力と共に流れ込んでいく強心剤が今にも止まりそうだった彼の心臓を再び息をするに足る最小限の位置にまで押し上げる。
「 …… 何とも便利な物をもっとるのう、伍長。これで儂もアンプルを使わんで済んだ。気休めにしかならんが、それでも ―― 」いつもは生気に満ち溢れるその表情には力がない、しかしかろうじて微笑んだモラレスはグレゴリーに言った。
「奴らに別れの挨拶くらいはできそうじゃ …… ここに呼んでくれ。どうせ近くにいるんじゃろう? 」

 胸元を真っ赤に染めたヘンケンを見上げたモラレスが呟いた。「 …… それはウェブナーのか? 」瞬きもせずにしっかりとモラレスを見下ろしたヘンケンが無言でうなずく。「そうか …… 先を越されたのう。せめてお前だけは順番は守れとあれほど口を酸っぱくして言うておったに」
「ドクっ! 」コウは叫ぶと手の中にある赤いアンプルの先をへし折ろうとする、しかしモラレスは視線一つでコウの試みを挫いて見せた。「やめとけ伍長、それは明日を見れそうな者にしか使ってはならんモンじゃ。 …… たぶん、ウェブナーもそうしたじゃろう? 」口の中にたまった血を吐き出してせき込むモラレスの前にヘンケンが近付いて膝をついた。
「 …… ドク、今まで。 ―― 世話になった」
「ほっ、この期に及んでお前らしくもない。殊勝な物言いをしても儂は絶対に騙されんぞ? そうやってお前は ―― 」
「やめてくれっ、ドクっ …… せめて。せめて最期くらいはっ」
 冷たくなったモラレスの手を取ってヘンケンは顔を伏せた。ぽろぽろと滴り落ちる大粒の涙が彼の足元を濡らす。ふふっ、と吐息まじりに笑いながら頭を垂れたままのヘンケンを見つめた彼は思い出を探すように赤い天井へと目を向けた。
「 …… そうじゃのう、お前とセシルには何かと」言葉に上がったセシルが思わず両手で顔を押さえて小さく震えた。指の隙間から涙がこぼれる。「 ―― 泣かされたが …… じゃが、楽しかったぞ? お前達のおかげで儂は最後の最後まで一介の医者でいられた、ありがとう。礼を言う」
「 …… ドク」泣きながら近付いてきたセシルの翠色の髪をなでながら優しく笑う。「あんまり無理をしすぎんようにな。たまにはこの唐変木にも働かせろ、そうでもせんとお前のありがたみがちっともわかりゃあせんからの ―― チェン」
 呼ばれたチェンが眼鏡を外したままモラレスの前に跪いた。「親父さんによろしく伝えてくれ。それと儂の代りにヘンケンの事を頼むと。 …… そう言えばあいつは分かるじゃろう。約束を違えんのが華僑の誇りじゃ」
 冷静を絵に描いたようなあの若い東洋人が目を真っ赤にして泣きじゃくりながら何度も頭を振った。
「グレゴリー …… もうチェスで勝ってお前のおごりを楽しめんのが心残りじゃ。あのセットはお前にやる、それでたまには儂の事を思い出してくれ」
「やめてくれドクっ! あれはあなたに勝って俺の物にするんだ、だから死なないでくれっ! 」
「大の男が …… ピーピー泣くな、見送るのはこれが初めてじゃなかろうに。あんまり下のモンに厳しく当たるな? それじゃなくてもお前は見てくれが怖いンじゃから」

 死の痙攣が少しづつモラレスの体に押し寄せて泣きながら彼を取り囲む全員にその時が間近に迫っている事を教える、誰もがその瞬間を恐れながら、しかしそれでも彼の姿をこの目に焼き付けようと瞬きすら忘れて見つめる中、モラレスはニナに視線を送った。慌てて近寄る彼女に向かって小さく唇だけを動かすモラレス、ニナはそっとその口元へと耳を近づける。
「 …… エルンスト …… ハイデリッヒ」
 それはまるでラビアンローズの時の焼き直しだ。あの時はルセットの言葉を最後まで聞くことはできなかった、でも今度だけは、絶対にっ!
 全ての神経を聴覚に向けるニナの耳朶に忍び込むモラレスの最期の伝言。「その男を …… さがせ。たぶん …… そいつが伍長の ―― アレの。何かの手がかりを …… もってる」

 コウの結末を予言した彼がその持論を翻した理由。耳にしたニナが驚いて顔を上げると瞳孔の開きかけたその老人は笑いながら一つうなずくと今度はコウの方へと顔を向けた。「伍長、いや …… もっと二人の顔をよく見せてくれんかの? 儂が二人に送る、ささやかなお祝いじゃ。うけとって、くれ」
 ニナの隣に慌てて肩を並べるコウの目の前に差し出された震える掌がゆっくりと開かれる。その上に乗せられた二個の飴玉、包んだセロハンがかすかに光を放つ。
「ええか。同じ時、に …… 同じものを見て。同じ、ものをたべる。それ、が夫婦円満の ―― コツじゃ。お互いに、しんじろ、 …… きっと、でき ―― 」

 支えを失くした右手ががくりと落ちて床を叩いた。跳ね上がった飴玉がまるで彼の遺志を示すかのようにコロコロとコウとニナの膝下へと転がる。ヒッと喉を鳴らしたグレゴリーがモラレスの亡骸を壁から引きはがすと床に横たえて馬乗りになった。必死の形相で両手を組み、みぞおちへと押しあてた掌で何度も何度も彼の心臓をノックする、しかしその度に口から零れだす血が召された彼の背中へと流れ落ちていく。
「だめだ、だめだドクっ、まだ逝くなっ! まだなんにもちゃんとあんたに言えてないっ! 返せてないっ! だから待ってくれ、お願いだっ!! 」
「やめろ砲雷長っ!! 」
 ヘンケンの恫喝が大男の狼藉を止める。一晩で二人の戦友を失ったかつての指揮官はその立場にあるにもかかわらず、人目をはばかることなく泣いていた。
「もういい、もう彼を …… ドクを、楽にしてやってくれ。今の俺達にできる、それが …… 最期の手向けだと思う」
 嗚咽が鳴りやまない中、ヘンケンはモラレスの最期に立ち会った全員に視線を送って見送りの儀式を始めると促した。力を失くした両膝を両手で支えながら立ち上がった彼らは頼りない足取りで、それでもモラレスの前に一直線に並ぶとそれぞれの胸に去来する悔しさを胸に、穏やかに横たわったままのモラレスへと視線を落とした。
「すまん、ドク。作戦中だからあんたを連れてはいけない …… 慣れ親しんだオークリーがあんたの墓標だ、ここから俺達をいつまでも見守っていてくれ」
 そう告げるとヘンケンは直立不動の姿勢で右手を掲げた。「敬愛する我がスルガ付き軍医、スエルテ・モラレス少佐に ―― 」その声で全員が右手を掲げてヘンケンに続く、声を詰まらせそうになっても全てを振り払おうとする彼の声は地下通路の隅々まで響き渡った。
「 ―― 敬礼っ!! 」


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