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No.32711の一覧
[0] 機動戦士ガンダム0086 StarDust Cradle ‐ Ver.arcadia ‐ 連載終了[廣瀬 雀吉](2023/07/03 19:06)
[1] Prologue[廣瀬 雀吉](2012/04/19 18:00)
[2] Brocade[廣瀬 雀吉](2012/04/19 18:01)
[3] Ephemera[廣瀬 雀吉](2012/05/06 06:23)
[4] Truth[廣瀬 雀吉](2012/05/09 14:24)
[5] Oakly[廣瀬 雀吉](2012/05/12 02:50)
[6] The Magnificent Seven[廣瀬 雀吉](2012/05/26 18:02)
[7] Unless a kernel of wheat is planted in the soil [廣瀬 雀吉](2012/06/09 07:02)
[8] Artificial or not[廣瀬 雀吉](2012/06/20 19:13)
[9] Astarte & Warlock[廣瀬 雀吉](2012/08/02 20:47)
[10] Reflection[廣瀬 雀吉](2012/08/04 16:39)
[11] Mother Goose[廣瀬 雀吉](2012/09/07 22:53)
[12] Torukia[廣瀬 雀吉](2012/10/06 21:31)
[13] Disk[廣瀬 雀吉](2012/11/15 19:30)
[14] Scars[廣瀬 雀吉](2012/11/15 19:32)
[15] Disclosure[廣瀬 雀吉](2012/11/24 23:08)
[16] Missing[廣瀬 雀吉](2013/01/27 11:57)
[17] Missing - linkⅠ[廣瀬 雀吉](2013/01/28 18:05)
[18] Missing - linkⅡ[廣瀬 雀吉](2013/02/20 23:50)
[19] Missing - linkⅢ[廣瀬 雀吉](2013/03/21 22:43)
[20] Realize[廣瀬 雀吉](2013/04/18 23:38)
[21] Missing you[廣瀬 雀吉](2013/05/03 00:34)
[22] The Stranger[廣瀬 雀吉](2013/05/18 18:21)
[23] Salinas[廣瀬 雀吉](2013/06/05 20:31)
[24] Nemesis[廣瀬 雀吉](2013/06/22 23:34)
[25] Expose[廣瀬 雀吉](2013/08/05 13:34)
[26] No way[廣瀬 雀吉](2013/08/25 23:16)
[27] Prodrome[廣瀬 雀吉](2013/10/24 22:37)
[28] friends[廣瀬 雀吉](2014/03/10 20:57)
[29] Versus[廣瀬 雀吉](2014/11/13 19:01)
[30] keep on, keepin' on[廣瀬 雀吉](2015/02/05 01:50)
[31] PAN PAN PAN[廣瀬 雀吉](2015/02/05 01:25)
[32] On your mark[廣瀬 雀吉](2015/08/11 22:03)
[33] Laplace's demon[廣瀬 雀吉](2016/01/25 05:38)
[34] Welcome[廣瀬 雀吉](2020/08/31 05:56)
[35] To the nightmare[廣瀬 雀吉](2020/09/15 20:32)
[36] Vigilante[廣瀬 雀吉](2020/09/27 20:09)
[37] Breakthrough[廣瀬 雀吉](2020/10/04 19:20)
[38] yes[廣瀬 雀吉](2020/10/17 22:19)
[39] Strength[廣瀬 雀吉](2020/10/22 19:16)
[40] Awakening[廣瀬 雀吉](2020/11/04 19:29)
[41] Encounter[廣瀬 雀吉](2020/11/28 19:43)
[42] Period[廣瀬 雀吉](2020/12/23 06:01)
[43] Clue[廣瀬 雀吉](2021/01/07 21:17)
[44] Boy meets Girl[廣瀬 雀吉](2021/02/01 16:24)
[45] get the regret over[廣瀬 雀吉](2021/02/22 22:58)
[46] Distance[廣瀬 雀吉](2021/03/01 21:24)
[47] ZERO GRAVITY[廣瀬 雀吉](2021/04/17 18:03)
[48] Lynx[廣瀬 雀吉](2021/05/04 20:07)
[49] Determination[廣瀬 雀吉](2021/06/16 05:54)
[50] Answer[廣瀬 雀吉](2021/06/30 21:35)
[51] Assemble[廣瀬 雀吉](2021/07/23 10:48)
[52] Nightglow[廣瀬 雀吉](2021/09/14 07:04)
[53] Moon Halo[廣瀬 雀吉](2021/10/08 21:52)
[54] Dance little Baby[廣瀬 雀吉](2022/02/15 17:07)
[55] Godspeed[廣瀬 雀吉](2022/04/16 21:09)
[56] Game Changers[廣瀬 雀吉](2022/06/19 23:44)
[57] Pay back[廣瀬 雀吉](2022/08/25 20:06)
[58] Trigger[廣瀬 雀吉](2022/10/07 00:09)
[59] fallin' down[廣瀬 雀吉](2022/10/25 23:39)
[60] last resort[廣瀬 雀吉](2022/11/11 00:02)
[61] a minute[廣瀬 雀吉](2023/01/16 00:00)
[62] one shot one kill[廣瀬 雀吉](2023/01/22 00:44)
[63] Reviver[廣瀬 雀吉](2023/02/18 12:57)
[64] Crushers[廣瀬 雀吉](2023/03/31 22:11)
[65] This is what I can do[廣瀬 雀吉](2023/05/01 16:09)
[66] Ark Song[廣瀬 雀吉](2023/05/14 21:53)
[67] Men of Destiny[廣瀬 雀吉](2023/06/11 01:10)
[68] Calling to the night[廣瀬 雀吉](2023/06/18 01:03)
[69] Broken Night[廣瀬 雀吉](2023/06/30 01:40)
[70] intermission[廣瀬 雀吉](2023/07/03 19:04)
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[32711] get the regret over
Name: 廣瀬 雀吉◆b894648c ID:6649b3b3 前を表示する / 次を表示する
Date: 2021/02/22 22:58
「 “ 副長っ! 通路がなくなって ―― ”  」「チェンっ! 監視モニター、急いでっ! 」キャンベルの声にセシルの強い指示がかぶさる、チェンは即座に警備システムを立ち上げると数少ない生き残りの画像を探した。敷地内にはほとんどない、しかし敷地外から俯瞰で映すいくつかに炎に沈むオークリーが見える。
「副長 …… 」最大ズームで問題の個所を拡大したチェンが呆然とする。各階で二つの建物を繋いでいたはずの頑丈な橋げたがちぎれて向こうの景色が素通しだ。基礎は飴細工のように垂れ下がってそれぞれの壁にへばりついている。
「なんて、事」そう呟いたまま絶句したセシル。こうなる可能性は考慮しなければならなかった、でもまさかっ! よりによってこのタイミングでっ!
「バンディッドからグレゴリーっ! 大至急ロープブリッジ渡過の準備、A棟4階のキャンベルと協力して対象を確保っ! 急げ、もう時間が ―― 」
「ハウンド接近っ! 一つ距離を縮めてきた、接触まであと二分っ! 」
「モーターへの電力供給を最小にっ! それで何分稼げる!? 」一言もなくモニターを食い入るように見つめて対策を模索するセシルの代りにヘンケンが矢継ぎ早に指示を出す。「約五分弱、それで限界です! 」
「三分で現着、キャンベルは後の二名と共にグレゴリーの渡過を援護っ! 技術主任にその場で伏せるように指示しろ! 」
「 “ …… ありがとうバンディッド ” 」彼女の呟きだ。そのコールサインがどっちに向けられたものか ―― 多分ヘンケンとセシルにだろう、だがその声には二人が何度も耳にしたある種の諦観が混じっている。「 “ でももうあたしなんかのために誰かが傷つく事なんて耐えられない。 …… ここで敵に投降 ―― ” 」
「敵への投降は許可できない、ニナ。繰り返す、敵への投降は絶対にやめなさいっ! 」黙っていたセシルが突然鋭い声を上げた。デスクの上に置いた手が硬く握りしめられて白くなる。「逃げてきたあなたにその結果が分からないとは言わせない。あたし達の前でそんなのは絶対に許さない! 」
「 “ 誰も死なせずに自分が生き残れるかもしれない可能性はもうこれしかない、あたしを支えてくれたみんなには本当に感謝しています。だからもう ―― ” 」
「ふざけないで」見えない何かをなじるようにセシルの手がデスクに叩きつけられた。
「生きる事を諦めるな、ニナ・パープルトンっ! この意気地なしっ!! 」

                    *                    *                    *

 焼けた路面のせいですでにタイヤの表面はベトベトに溶け始め、地面を掴むはずのトレッドが崩れ落ちている。しかしそれでもコウは脛と肘に血をにじませながらより過激な挙動をモタードに要求し、彼の愛機は全力で応えた。ともすればハイサイドさえ起こしそうな姿勢変化を意図的なドリフトで抑え込み、躍起になって後を追いかけるクゥエルに何度も定置旋回を繰り返させては再び距離を置く事の繰り返し。一見無意味にも見えるその行動は果たして優位に立っているはずの黒い巨人をある場所へと導きつつあった。
 もし脚部のセンサーが壊れていなければトーヴ2は今自分に起こりつつある異変に気づいて何らかの対策を立てただろう、左足に食い込んだ鎌を覆い尽くす滑走路の誘導灯の束はすでにジムの踝にあるモーターに干渉してその動作を阻害しつつある。コウがセンサーを潰した狙いは確かに今の状況を気づかせないための物だったが実はその先に重要な目的があった。
 徐々に巻きついていく誘導灯から伸びる太い電線が突然滑走路の脇を外れて急ごしらえの小屋へと走り、中から少し大ぶりの箱を引きずり出した。地面に溝を穿ちながらクゥエルへと近付いていくその箱は進相キャパシタと呼ばれる蓄電器。滑走路の誘導灯のように長い区間を走る発光装置は電力減衰によって照度が不安定になる、それを防ぐために誘導路灯火定電流変圧器(Constant Current Transformer; CCT)が滑走路を保有する基地には必ず設置されている。力率の変化に対応するために常に放充電を行っているその箱はいわばその機能の心臓部。
 蓄えられた電力はヴァルヴァロのプラズマリーダーには全然及ばない、しかしモビルスーツの電子部品を破壊するだけの力はあるはずだ。それに ―― 。

「 …… だれか、いる」残った一機に牽制をかけながらマルコの眼は離れて行く黒い影に釘づけになっていた。不安定な輪舞の途中で時折放たれる銃撃、それでも見えない手で敵を振りまわす小さな影。しかしマルコはそれによく似た光景を過去の記憶の中に見た。
 思わず口をついて出る、あの日の。「 …… ゴーレム、ハンター」
 体の奥で眠っていた何かがマルコの体を駆け巡る、時間も場所もさかのぼって自分が立つその戦場で取り戻す勇気。「アンドレアっ! こっちにバズを一本、早くっ! 」

 コウの背後に迫る90ミリの脅威、敵の殺意と死の気配が濃密になったその瞬間に彼の体は即座に反応する。逃走ではなく敵との間合いを詰める事は自殺行為のように思われがちだがそうではない、マシンガンを持つ手が下がる事で起こる加重モーメントは手前に近づくにつれて振れ幅を大きくして照準の固定を難しくさせる。もちろんそんな事は火器管制AIも織り込み済みなのだがコウのモタードは想定されたプログラムの理論値をはるかに超えている。リード射撃すら無視して何の苦もなく懐へと入りこまれる醜態を演じるトーヴ2の苛立ちは頂点に達した。「くそっ! この野郎絶対に仕留めてやるっ! 」
 背後へと回ろうとする標的を追いかけてペダルを踏み替えてのピボットターン、しかし幾度となく繰り返したその一回がトーヴ2にとって最後のシークエンスとなった。繋がったままの三個の箱があっという間にクゥエルの足へと巻き付いた瞬間、触れた電極は自らの役割のために蓄えてあった電流を一気にそのボディへと放出した。
 大電流の流れるバン、という大音響と共に全てのシステムがダウンして一瞬で真っ暗になったコックピット。何が起こったのかわからないトーヴ2は自分に降り注いだ災難の正体を知る為に訓練で得た緊急動作手順を正確にトレースした。サーキットブレーカー回復、全電源初期化からのOS再起動。フェイルセーフ作動による回路保護のおかげで正面モニターに浮かびあがる連邦軍のロゴが暗闇を退けてトーヴ2に周りの様子を教える。「 ―― な、なんだこりゃ、いったいどうなって」
 惨憺たるありさまだった。基盤が組み込まれているボックスの蓋が全て開いて煙を上げている、作動を始めた換気システムの下で思わず振り返った先にある駆動系の配電盤からは破壊されたヒューズ ―― 断線などという生易しいもんじゃない ―― が溶けて他の配線にまで干渉している。どう控え目に見てもここからの戦線復帰は不可能だ。
「冗談じゃねえ、敵のど真ん中で擱座なんてっ! 」怒鳴るより早く座席の下から予備のヒューズが入ったケースを引っ張り出す、せめてここから後方へと移動するだけの機能は最低限確保しなければと手近なボックスから焼けた基盤を取り出して中を確認しようと ―― 。

 モニターが復旧してコックピットを照らす明かりが人工的な物から室外の炎へと変わった。臓腑が潰されるような圧に思わず外へと目を向けるトーヴ2の視線の先に彼はいる。衣服のあちこちが被弾の衝撃でちぎれて膝には血が滲んでいるのがはっきりとわかる、だが自分との戦力差を鑑みるならばそれは全くの無傷と言っていい。「くそっ、見下してンじゃねえぞ。万が一次にどこかで遭った時にゃ必ず俺が ―― 」
 しかしモニターの中央でじっとコックピットを見上げるコウに毒づいたトーヴ2はそこで出会った時とは確実に違っている、ある事に気づいた。背後にある怒りのオーラも物腰も変わってないのにその一点 ―― こちらに向けられたその眼の輝きだけが違う。射殺すような憎悪もなく燃え盛る炎のような気迫もない、その思いに取って代わったのは淋しさや悲しみ、そして憐れみ。
 勝者の余韻もなくコウに見送られているトーヴ2は自分にもう彼との次の出会いなど存在しない事を悟った。「まさか、この先の事まで全部仕組んでたって …… 事なのか? 」
 
 閃光と雷鳴、ロックオンマークの赤い四角の中でぼんやりと光る黒い機体を捕捉するには十分な距離と時間がマルコには与えられた。目標の足元で弾ける小さな火花がハイパーバズーカの簡易照準器を正常に作動させて命中に必要な全ての諸元をモニターに表示する。コウが与えた千歳一隅のチャンスにマルコの体は無意識に反応した。「 ―― バスケス! 」
 口をついて出た亡き友人の名と共に動いた指が硬い金属をグリップの奥にまで押し込んで強烈な反動を全身に伝える、ブラストの先端をハンガー内にまで届かせながらマルコのゲルググがわずかに反りかえった。

 モニターからすごい勢いで遠ざかっていく小さな怪物の背中を見送りながらトーヴ2は持ったままのヒューズをしっかりと握りしめた。入れ替わりに接近する黒い影と噴煙、そして接近警報。だが確実な死が約束された自分にできる事は、もうない。
「こりゃやべえや。俺たちゃとんでもないモンを相手にしちまったのかもしンねえぜ」誰にも伝えられない貴重な情報を苦笑いを浮かべながら呟いた彼の視界が、この世の終わりに真っ白に輝いた。

 突然の味方機撃破は敵を半包囲しつつある陣形を崩しかねないほど衝撃的で、しかもその対象がこの部隊を創設した時から在籍した「トーヴ2」であるという事実が部隊に動揺を招いた。地球連邦陸軍極東方面軍コジマ大隊所属の生き残りで最終軍歴は機動教導団所属アドバーサリー部隊の教官、アグレッサー部隊とは違う本物の仮想ジオンを演じた兵の一人だ。
 味方を包むかがり火に向かって移動を始めるラース2につられて半包囲の戦線が少しづつ綻んでいく、安否を確認したいのはもちろんだがそれだけのスキルを持った兵士がいかなる手段で破壊されたのか。それを ―― いやせめて手掛かりだけでも掴まない事にはここから先には安易に進めない。
「 “ 持ち場を離れるなラース2、速やかに元の配置に戻れ ” 」動揺著しいラース2を含む前線の崩壊を止める冷酷な声。絶対的な権限を持つダンプティと滑走路の端に姿を現した機体は全く同一で搭乗者だけが異なっている、悪い方向へと向かいつつある戦況をいち早く察知して自らの役割を統括から指揮へと変えたトーヴ1の銃口がピタリとラース2のコックピットに向けられていた。
「ロストはロストだ、諦めろ。それよりもたった一機の損失で戦線を瓦解させるような事はこの私が許さん、誰一人として」
 無慈悲な殺意と硬い決意がこもった恫喝が部隊にはびころうとしていた疑心暗鬼を一言で誅した。正規のメンバーとしてただ一人最前線に立つラース2はそれだけで自分のミスに気付いたのだろう、無言で一つうなずくとすぐに手でタリホー達に合図を送りながら元の配置へと戻っていく。元通りに収まりつつある戦況を五機が作る火線の後ろで眺めながらケルヒャーはおもむろに秘匿回線を開いた。
「中佐、当面の作戦の指揮権とハンプティの使用権を私に」
「 “ 許可する。とんでもなく敵は手強いな、正規軍より始末が悪い。 ―― 一気に制圧するつもりか? ” 」
「時間をかけるとこの後どんな事態が起こるか想像もできなくなりそうです、そうなる前に一気にハンガーを制圧してブージャム達より先に対象を確保します。 ―― ハンプティ、敵の配置と正確な数が知りたい」
「 “ 『Volga』到着まで二十分、アレをするンならそれからでお願いします ” 」
 とぼけた返事が心強い、戦況分析表を眺めながらケルヒャーは満足して小さく笑った。ブージャムは自分達がハンガーを制圧するまで橋頭保にした宿舎から出ないつもりだろう、ならばこの戦いの主導権は自分達が握っている事になる。向こうは対象を殺害するつもりでもこっちの考えは違う、その思惑の差が生み出すタイムラグこそこの作戦の成否の要。
 多分長い二十分になるだろう。味方にとっても、敵にとっても。
「全員聞け。ハンプティからの報告が届き次第『スレッジ・ハンマー』を開始する。二十五分後、各自時計合わせっ」
 
 背中で受ける熱と衝撃の嵐はコウの表情を少し曇らせた。あの時は無我夢中でなかなか感じられなかった自分の罪、今になってそれを数えたところで再び血に染めたその掌がもう綺麗になる事はないのだから。刻みこまれた戦士としての業を償わなくてはならない時がいつかは自分にも訪れる、あのクゥエルに乗っていたパイロットのように。
 ならばそれまでに ―― 自分がいなくなるその日まで自分が信じる正しいと思う事のためにこの命を使おう。大した事はできないかもしれない、みっともない事になるかもしれない。
 それでも穢れてしまった手が、汚れた指が欲しいと望むものがある。守らなければならない事、紡いでいかなければならない事があるのを俺はあの日から知っていた。だからもう手放せない。
 必ず。何があってもどんな事をしてでもきっと、そこにたどり着いたみせる。

 滑走路を疾走するモタードが大穴を躱しながら向かうその先、ニナの未来を遮った断崖の左側にある施設棟A棟。コウは迷わずその入り口へと愛機の前輪を向けた。

                    *                    *                    *

 聞き耳を立てていた整備班の人垣がニナの言葉に声すら失う。基地全員が共有するたった一つの願いを自ら切り離そうとする彼女の行いに誰もが黙り、そして呆然と宙を見上げた。
 だがモウラの両隣りに立つアストナージとジェスだけは明らかに気配の変わったモウラの雰囲気を敏感に察知した、それでも彼女の憤怒を前にして足がすくみあがる。「この、馬鹿ニナァぁっ!! 」
 言うなり前に立つ屈強な整備士を右手の一掻きでなぎ払う。ビブラムのソールを鳴らしながら通路のドアに突進したモウラはその勢いで超重量級の鉄板をこじ開けようと思いっきり上半身を叩き付けた。電気のアシストがなければ絶対に動かないはずのその扉がモウラの圧に屈してじり、と隙間を開ける。
「だめだ班長っ! もう間に合わないっ! 」金縛りを解いたアストナージが必死でモウラの腰にしがみついて足を踏ん張るが、それでも彼女は止まらない。「はなせっ! ニナが、あたしの友達がヤバいんだ! このまま黙って行かせろぉォッつ!! 」
 モウラの右手の一振りで腰に手を回したはずのアストナージが吹っ飛ばされる。涙まじりの両目で後ろを振り返った彼女が何かを振り払うように硬く目を閉じて再び鉄の扉を全力で押し込む。だがやっと開いた隙間に体をねじ込んで通路へと身を躍らせようとしたその時、自分の右手だけがハンガー側に残っててこでも動かなくなった。
「 ! 」ドアの隙間に残る右手の先に見える緑の繋ぎから差し出された小さな手が彼女の袖を握って離さない。「いかないでよ、班長っ ! 」
「ジェスッ!? 」今まで聞いた事のない彼女の叫びに驚いたモウラが思わず隙間越しにジェスの顔を見る。大粒の涙をポロポロとこぼしながら、それでも彼女は真っすぐにモウラを見上げて訴えた。
「なんでよ、班長っ! どうしていくの!? あたしたちほったらかしにしてどこいっちゃうのっ!? 」

 そんなつもりじゃなかった。本当は ―― 仲間になってしまうのが怖かっただけ。
 現場からのたたき上げで連邦軍の整備士としては異例の昇格を果たしたモウラ・バシットは地上軍での実績を買われて宇宙軍へと編入された。最初はルナツ-にある整備大隊、しかし戦いが佳境を迎えるにつれて激しくなった損耗のために彼女も遂に戦艦に乗り込んで最前線での補修整備を担う事になる。その時の経験が彼女の精神を強固な軍人へと作り上げ、しかし彼女の本質を歪な物へと本人も知らない間に変化させてしまっていた。
 昨日まで笑いながら酒を酌み交わしていた仲間が明日には宇宙のチリとなる。フィジカルもメンタルも崩壊寸前にまで追い込まれていく日常の中で彼女は自分の心を守る為に『誰もが模範とする連邦軍の整備士』と言う役を演じ続けた。どんな状況にも何事にも動じず、常に冷静的確な指示を出して味方の戦力を維持し続ける陽気な凄腕整備士という悲しい姿を。
 それが ―― そうあり続ける事が正しい事なんだと信じ続けてきたんだ、今の、今まで。

 右の袖を千切れんばかりに握りしめるジェスの両手を振りほどこうと必死になるモウラ、しかし大の男を一振りでなぎ払えるだけの膂力を持っているはずの彼女がその小さな手を振り払えない。これでもかと歯を食いしばり、両の足に渾身の力をこめて先へと進もうと試みるその一歩が動かない。
 ニナとオークリーに来て三年、一緒になって頑張ってきた自分がいた。だからあたしは今ニナの所に行かなきゃいけない、そうする事が自分にとっての正しい選択だと信じて疑わない。でも。
 こんな少女に引きとめられて動けなくなったあたしがいる、ニナの所へと駆け付けられないあたしがいる。
 ―― わかってる。あたしがそうしてしまったんだ。ここに吹き溜まってきたみんなをどこに出しても恥ずかしくない整備士にしてあげたいと一生懸命育てた事が強い絆を作り上げ、過ごしてきた日々がそれを断ち切ることができないくらいに強く、大きなものにしてしまった。
 これは ―― あたしの責任だっ。

「ねえ、モウラさんっ。お願いだから …… あたし達を置いていっちゃヤダよ、おねがいだから  ―― 」泣きじゃくるジェスを潤みきった眼で見つめながらぐっと唇をかみしめて必死に何かをこらえるモウラの耳に届く友人の声。
「 “ モウラ、みんなの傍にいてあげて。整備班のみんなにはあなたが絶対に必要なんだから ” 」
「ニナっ! だめっ!! 」涙声で叫ぶモウラの体が迫りくる喪失の恐ろしさに小さく震えた。心を通わせた数少ない友人の一人が告げる最後の言葉がモウラの表情をあられもなく壊していく。
「 “ ごめん、こんなことになっちゃって。でもほんとはこうするつもりだったの、最後にモウラと話せるなんて思ってもみなかったけど ―― あのね ” 」やめてよっ! そんな言葉聞きたくないっ!
 心の叫びは嗚咽に変わってモウラの口から零れて落ちた。「ニナ、だめだよ。ねえ ―― 」
「 “ モウラとならこの先ずっと生きていけるかもしれないって、おもってた。 …… でもね ” 」不意に電話の声がこみ上げて来た悲しみで揺らめく。「 “ あたしね ―― やっぱり、コウがいない、と …… ダメみたい ” 」

「 “ ダメええっっッッ!! ” 」不利になりつつある戦いを覆そうと二人がかりでラース1と刃を交え続けるアデリアの絶叫がまるで遠吠えのように全ての携帯から鳴り響いた。「 “ ニナさんっあきらめちゃダメだっ! アデリアが、モウラさんがオークリーのみんながニナさんの帰りを必死で待ってるんだっ! だからニナさんも最後まであきらめちゃダメだっ!! ” 」
 マークスの声がハウリングを伴ってアデリアの絶叫と一緒になってほとばしる。たまりかねたモウラが廊下へと崩れ落ちながら最愛の男の名を呼んだ。「 ―― キースっ !!」

 向こうの通路で大声を上げて自分の名を呼ぶ男達がいる、携帯から大勢の仲間が自分の名を呼ぶ声が聞こえる。しかしニナはそっと頬の涙をぬぐいながら微笑んで向こう岸にいる助けに向かって小さく手を振った。「モウラ、いつまでもキースと仲良く、ね? アデリアももっと素直になってマークスを大事にしなさい。あなたたちって本当にうらやましいくらいお似合いなんだから」ニナはそう言うとホログラムを展開して切断のスイッチへと手をかけて、少しためらいながら呟いた。
「バンディッド」 

 深い思考に全神経を巡らせながら敵の光点を睨みつけるセシルの奥歯がギリ、と鳴る。まだ ―― きっとまだ何か手があるはずだ。これくらいの窮地は何度も経験した、幾度も勝ちを拾ってきた。たった一人の人間を救う事くらい自分にとって造作もない、そう信じてここに立っているんじゃないのかっ。セシル・クロトワッ!? 
「 “ 本当にありがとうございました、みんなの事をよろしくお願いします。かならず、助けてください …… それと ” 」
「だめよニナっ! 私の言うとおりにしてっ、そこでおとなしく待つのよっ! ―― 」切羽詰まった状況の中で、それでもセシルはその名を口にする事を思わずためらってしまった。予備役とはいえ招集も受けていない民間人、ましてや彼は私達の友人。もしそれを敵に知られて万が一の事が起こったら自分は後ろに立って戦況を見守るヘンケンにどういう顔で謝ればいいのか。彼女を助けられないばかりか彼まで失ってしまったら、私はもうあの人の傍に立つ資格がない!
 彼の意思がいかなるものであろうともそれを軍人として戦線に復帰した自分達がおいそれと口にしてはならないと。セシルは基地の入り口でコウと別れたその時に決意していた。だが生きる事を諦めてしまったニナを前にしてもうそんな建前が通用しない。
 どんなことでも、些細なことでも。彼女の生きる力になるのならっ!
「 “ ウラキ伍長、いえ。 …… コウの事、よろしくお願いします ” 」
「そのウラキさんもここに来てるのニナっ! だから! 」叫ぶセシルをあざ笑うように通話が切れる。「 ―― 技術主任の、反応。途絶しました」ことさら事務的に告げるチェンの声が硬い、直接チャットに繋がらずにゲストとしてねじ込まれた彼女との通信を電話番号を知らない自分達が再び復旧させる事はできないのだ。何度もリダイヤルが繰り返される事を示す複数の呼び出し音を耳にしながらセシルが硬く目をつぶって唇をわなわなと震わせた。

「 “ …… コウ、どこかで聞いてるか? ” 」モウラの耳に突然飛び込んできたキースの声、あきれるほど静かな声にそれを耳にした誰もが ―― アデリアやマークスでさえも修羅場に挑んでもなお冷静な部隊長の豪胆さに驚かされる。だがモウラだけは ―― 彼と全てを交わした彼女にだけは分かった。
 キース、怒ってる。
「 “ ニナさんがあぶない。 …… お前、俺に言ったよな? 必ず助けるって。それなのにお前は今どこにいる? ” 」
 そんな声を彼女は今まで聞いた事がない。抑え込んでもなおキースの声に残る激しい慟哭がモウラの瞳に涙を誘い、全身の力を奪い去った。途端に扉の隙間から伸びる何本もの手が彼女の袖を掴んで力任せにハンガーへと引きずり戻す。
「 “ トリントンもコンペイトウも、アイランド・イースも。全部俺達は取りこぼした。あの時ひよっこだった俺達には運がなかった、力もなかった ―― 今でもそう思う ” 」今のオークリーではモウラしか知らないあの紛争を訥々と語る彼の声に涙が止まらない。コウがいなくなって残されたモビルスーツ部隊を強い義務感で担っていた事をモウラは知っていた。そしてコウと同じようにあの日々は彼の心にも大きな傷を残していた事を。
「 “ でもよ、俺達は全部なくしてしまったんじゃない。あの戦いは負けた俺達にも大事な物をくれた。 ―― この先、一生。自分の命を賭けても絶対に守らなきゃいけない大切な物を ” 」

 すでにキースのジムは南の山の山頂直下にいた。斜面に背中を預けたままでライフルのボルトを引いて虎の子のルーファスを薬室内へと押し込む。「なあ、コウ。俺達 …… また間にあわないのか? 」

                    *                    *                     *

 遅参を叱咤しようとしたキャンベルの脇を掠めてグレゴリーが滑り込む。「遅いぞっ! もう時間が ―― 」
「知ってるけどこれでもこっちは全力だ、文句は技術主任を助けてからいくらでも聞くぜ」言うなり彼は腰のポケットに差し込んである変わった形状の弾を抜き出して先端に部品をねじ込んだ。「携帯用個人装備の迫撃筒、大昔の代モンだが対戦車装備だ。一応予備の榴弾も ―― 」そう言うとたすき掛けにした麻袋をぽんと叩く。「 ―― 持ってきてる」
 滑り込んだ体勢のまま壊れた通路の端までにじり寄って迫撃筒の支柱を伸ばすとそのまま足の裏と左手で固定してからキャンベルに目くばせする。「ものすごい反動だから全員で支えてくれ、特装弾はこれ一発だ。 ―― 主任っ! 」
 野太いグレゴリーの大声は爆発音にも負けないほど力強くてよく通る。元々轟音と罵声だけが飛び交う部署でさんざん鍛えられた喉にこの程度の距離は無いも同然。「今からそっち側に綱渡り用のアンカーを打ち込むっ、あぶねえからドアを大きく開けて壁際に寄って体を小さくしててくれっ! 」
  今まで自分の指示が誰かに伝わらなかった事などない、それくらいグレゴリーは自分の声に自信を持っている。だが彼が発した指示の直後に見せたニナの行動は今までの経験を大きく揺るがす物だった。にっこりと笑った彼女がドアに手をかけると、あろうことかグレゴリーの指示とは反対に閉じようとし始めている。「主任! 何やってンだ!? そのドアを開けて壁際に寄るんだ、聞こえなかったのかっ!? 」
 焦りのあまり自分が間違ったのかとグレゴリーは自分の言葉を何度も頭の中で繰り返す。しかし自分が間違っていない事、そしてその言葉とは正反対の行動をとるニナを見てグレゴリーは彼女が今何をしようとしているのかを瞬時に悟った。
「主任っ!? 」激発する感情が彼から射撃体勢を解かせて、後ろの男達が大きくよろける。仁王立ちになったグレゴリーの全身から自ら命を捨てようとする者に対する怒りが陽炎のように立ち上った。硬く握りしめられた鉄の筒が膨れ上がった二の腕でつぶれそうだ。
「ここまで来てっ! こんな所で諦めちまうつもりかっ!? この大馬鹿野郎っ!! 」

 すりガラスを通して聞こえてくるグレゴリーの罵る声に背を向けたニナはゆっくりと赤い廊下を反対方向へと歩き出した。そう、自分は最初からこうしようと思っていた。ただその時が来てしまったというだけ。
 自分が囮となって敵を引き離している隙にハンガーを閉鎖して防御を固める ―― この基地にいる誰もが脛に傷持つ身の上だが元々は一年戦争を生き延びた猛者ぞろいだ、もしかしたら敵の侵攻を防ぐ事ができるかもしれない。その時間稼ぎにあたしの命が役に立つのなら ―― 。
 そう、心に決めたはず、なのに。
 目の前の一メートルが途方もなく長く感じる、それでも生きていたいと言う想いがニナの足にまとわりついて離れない。もう叶わない願いだと分かってはいても、それでも。
「 ―― コウ」
 かすれた声で呟くニナの手が胸ポケットの中にある記憶の欠片をそっと取り出した。今まで生きてきた人生の中で最も過酷な過去を記録したそれは間違いなく自分の犯した罪の結果、でもそれが今はたまらなく愛おしい。ラップトップを抱えた手の先が欠けた端から真ん中へと向かって走る皹をそっとなぞる。
 まるでコウとあたしのようだわ、やっぱり元に戻る事はなかった。でも最期にもう一度。

 ―― あなたに、あいたい。

「止めるなキャンベルっ!」手負いの熊のように暴れるグレゴリーを三人がかりでも抑えきれない。もともとミサイルを肩に担いで一人でハードポイントに取り付けてしまうような怪力の持ち主、命知らずで荒くれ者ぞろいの砲雷班を束ねる長がこの男だ。「あのバカの所に行って説教するだけだっ! 死にに行く訳じゃねえンだぞ!? 」
「お前の言ってる事が訳分からん事になってるからこうやって止めてるんだろうがっ! だいたいアンカーをどこへ打ち込むつもりだ、それ一発だけなんだろうっ!? 」
「知るかそんな事っ! とにかくあのドア目がけて撃ち込んでどっかに引っかかりゃあそれでいい、命を粗末にする奴だきゃあ俺は我慢がならねえんだ! だからお前らも黙って手伝えってのっ! 」
「そんなばかばかしい無茶についていけるかっ! これだから脳筋砲雷班は ―― 」始末に負えない、と言おうとしたその瞬間にキャンベルは今までと違った違和感を覚えた。グレゴリーの分厚い胸板に押しつけていた頭が力を失って後ろを振り返る。
「なんだ、このクソじじいっ! 俺だけじゃなく部下まで脳筋呼ばわりとはどういうつもりだゴラァッ! ―― 」「ちょっと黙ってろっ! 」
 それは暴れる猛獣をも黙らせる強烈な一喝だった。まるで自分に興味を失ったキャンベルの背中を目を丸くして見つめるグレゴリーと二人の仲間、そしてキャンベルは自分を振り向かせた違和感の正体を必死に探っていた。気配なのか、空気なのか。
 ―― いや。
「 ―― 音? 」

 目の前のハッチが自分が思うよりも早く開いて隙間からわらわらと三つの黒い影が這い出してくる。泥のようにしみ出してきたそれはむくりと起き上がると人の形をしてニナの下へと近付いてきた。赤い光の下で突きつけられた銃の鈍い光が彼女の視線を奪い、そして抑えきれない震えが始まる。
「 ―― ニナ・パープルトン技術主任? 」

「 “ 対象αを視認、本人と確認しました ” 」
 報告を受けた通信兵が傍らのブージャム1にその事を伝えると彼はマイクをもぎ取って嬉しそうに笑った。この目標一人のためにどれだけの貴重な戦力が今夜失われた事か、まるで疫病神のような存在感に地上戦力はこの作戦の主導権をあの忌まわしいデクノボウ連中に奪われたままだ。
 だがこれでこの作戦の要ともいえる大事な目標をやっと排除する事ができる、後の連中は命を奪わなくてもどこか手近な場所に監禁しておくだけで最後にボロゴーブが跡かたもなく焼き尽くす。あのMPI研究所の時のように。
「1から別働隊、よくやった。今晩の一番手柄はお前たちだな」踊るような声が周囲に集まる部下の表情を明るくする、上機嫌な彼がいらだち紛れに自分達に八つ当たりする危険が薄まるからだ。
「帰ったら准将に掛け合ってお前達の欲しい物をプレゼントしてもらおう、うん。ぜひそうしよう」そういうとブージャム1の表情に残忍な貌がかすかに浮かび上がる。「俺以外のな。 ―― 俺へのプレゼントはお前達が用意しろよ」
「 “ ―― と言いますと? ” 」
「1から別働隊に発令、女の息の根を止めたらその写真を収めて『必ず』原隊に合流しろ。それが俺へのご褒美だ。俺はな ―― 」
 醜い笑みがまるでこの世に二つとない美味な物を口にした子供のような蕩ける笑顔に変わる。「 ―― ああいう美人の死んだ顔が、本当に大好きなんだよぉ」

 通信を切ったその兵士はうつむいて小さく頭を振ると上官のあまりに下種な趣味に小さくため息をついた。彼につき従っている兵士の全てが同じ価値観を共有している訳ではない、部隊の大勢がそうなのかもしれないが少なくとも彼はその勢力とはかけ離れた信念を持っていた。
 対象の殺害はあくまで作戦の目標として。目標を達成するために立ちふさがる障害は徹底的に排除してこれを殲滅する ―― 純粋な特殊部隊としての在り方を追求するために入隊した彼にとって嬉々として人の命や尊厳を蔑にするブージャム1達のやり方は受け入れがたいものでもあった。だが上官が選べない以上それに異を唱えずに任務を遂行する事もまた特殊部隊としての心得でもある。
 隊の作戦に斟酌など存在しない。彼は胸のホルスターから拳銃を抜き出すと手にしたサプレッサーを銃口へとねじ込んだ。
「あなたには私の上官から殺害命令が出ている、理由はお伝えできませんが。これも軍の作戦の範疇だとご理解いただきたい」そう言うと両側でライフルを構えていた兵士に目くばせをして銃口を下げさせた。
「 …… 大丈夫、すぐに楽にして差し上げます。どうぞこちらに」

 死神の声とは何て優しいのだろう。その物言いを聞いた時ニナは素直にそう思った。
 かつて宇宙で聞いた怒号や喧騒とは違って、静かな赤い廊下をまるで神聖な物へと塗り替えていく低い声。誘われるがままに、促されるままに自分がそこへと歩を進めていく。現実味を失った意識が混濁して夢の中だと勘違いしてしまうほど、これから行われようとしている出来事に対する実感がない。「そこで結構です、そこに膝をついて。そうすればたった一度の痛みで済みます」
 言われるがままに廊下へと座り込むニナ、ラップトップを床に置いてコウのディスクをその上に。
 だがその瞬間猛烈な衝動がニナの奥底から突然湧き上がって全身を大きく震わせた。

 ―― いやだっ!!  ―― 
 
 静まり返っていた心の水面が激情ともいえる大きな波で荒れ狂った。それは自分を作り上げていた全ての過去や生き様の全てを粉々に叩き割って何度も何度も彼女に向かって訴えかける。

 ―― コウ、コウっ! コウッっっ!! ―― 

 吐き気をこらえて硬く結んだ唇の奥で今にもその言葉が飛び出しそうだ、かつえた心がどうしてもそれを欲しいと。ゆっくりと上がってくる拳銃の銃口を見たくない一心で瞳を閉じたニナの声が愛しさの全てをこめて零れ落ちた。

「 ―― あいたいっ 」

                    *                    *                    *

 それは自分の背後にいる、とキャンベルは急いで壊れた通路から顔をのぞかせた。絶え間ない発砲音と金属を叩く早鐘の音は間違いなくハンガーの方角から、時折建物を掠めていく流れ弾がコンクリートを削ってきな臭い匂いを一面に漂わせる。様々な音で満ち溢れているこの世界で、しかしキャンベルは確かに今までになかった音を耳にしたのだ。
「計器に頼らなければ機械の具合も分からないなどとは三流の言い草、一流の機関士は音を聞いただけですぐにわかる」と部下に言い聞かせる彼の耳は嘘をつかない。もしここに、今頃月のフォン・ブラウンでハンバーガー屋の店長をしているタカヤナギがいればその正体やら方角をあっという間に答えてくれるだろう。はなはだ残念ではあるが軍隊に入隊して機関士一筋に邁進してきた自分にはその機会を手にする事ができなかった。
 しかしそんな超一流のソナー手にも負けない特技をキャンベルの耳は持っている、それは『それがいったいどういう機関が出している音なのか』を正確に判別する能力だ。連邦軍ジオンを問わず戦車戦艦航空機果てはモビルスーツに至るまで戦場に投入された事のある全ての量産機の機関音をほんの少し耳にしただけで全てのスペックを言い当てる事ができる。もちろんその他の最新型であろうとも一度耳にすれば絶対に忘れる事はない。
 最近の連中からすればそれはほとんど特殊能力のように思えるかもしれない、しかし昔からこの仕事に携わって来て生き残ったロートルは必ずと言っていいほどみんなこれくらいの事はできる。それが時間を積み重ねた彼らだけが持つ「経験」という大きな財産なのだ。
 交戦の切れ間、ほんの少し沈黙が許されたその一瞬にキャンベルの卓越した聴力はついにその音を捉えた。建物を構成するコンクリートを震わせて伝わってくるその音はほぼ一定の間隔で、しかも微妙な高低を繰り返している。「おい、キャンベル ―― 」「しーっ、静かに」
 すっかり憑き物の落ちたグレゴリーが慌ててキャンベルの後ろから顔を出す、おずおずと二人の隙間から同じように外を見るあとの二人。外から見るとそれはまるで不細工に崩れたピラミッドだ。「 …… 聞こえる、なんだこの音? 」
 呟くグレゴリーをしり目にすでにその音を見つけていたキャンベルはその正体の解析に入る。幾度も繰り返されているその音の強弱は恐ろしいほど安定していて乱れがない、彼はそれが大昔に開発された内燃機関の作動音だと判断した。それもピストンの動きはトルク重視のロングストローク、しかも精緻を極める機械工学の粋を極めたモビルスーツの駆動モーターや油圧シリンダーに負けるとも劣らないほど正確に組み上げられてフリクションを徹底的に抑え込んだレーシングエンジン。
 記憶を掘り返すまでもない、この音はついさっき聞いた。ここに来る道すがらの砂漠で自分が火を入れ、そして息を吹き返した恐らく世界にただ一つの。

「 “ ―― 俺が …… いきます ” 」

 いきなり飛び込んできたその声に驚いたヘンケンが反射的に押したホログラムが表示した電話番号には確かに彼の友人の名が刻み込まれている、ヘンケンは宙に浮かんだゲストアイコンに指をかざしながら相手の名を思わず叫んでいた。
「ウラキ君っ!? 」

 今のオークリーで彼を知る者はもう数えるほど、しかしそこで働く誰もが一度は耳にした事のあるその名は稲妻のようにネットを駆け巡った。かつての彼を知る者は一様に驚き、突如として具現化したその姿を追い求めるように宙を見上げる。そして彼を知らない者はまことしやかに語り継がれた数々の伝説を眉に唾して聞き流していた事を心の底から後悔する。
 そして彼をよく知るモウラが、アデリアが。マークスが。
 ほんの一秒にも満たないその叫びに耳を奪われ体の芯が粟立つような興奮に身を委ねながらその声を待つ。絶望も諦めも幾度となく覆してきたその名を呼ぶ ―― それはかつて相棒として共に歩んできた彼の口にこそふさわしい。
「 “ コウッッっ !!  ” 」
 湧き上がる全ての感情を叩きつけるようなキースの声がオークリーに轟いた。

 だが予備電算室で状況を把握する三人はその後に示されたコウの位置情報を目にして更に驚いた。てっきりニナと同じ建物のどこかにいると思われた彼の反応はキャンベル達のいるA棟、それも屋上の一番奥でぽつんと輝いている。こんな肝心な時にたどり着く場所を間違えるとは、と苦渋の表情でモニターを睨みつけるヘンケン。しかしセシルだけは彼が描いた作戦のシナリオを瞬く間に理解し、そしてそのあまりの無謀さに思わず悲鳴を上げた。
「ウラキさんダメっ! そこからじゃ絶対に届かないっ!! 」

 焼けた空気が鼻腔をくすぐり炎の熱が肌に突き刺さる戦場と言う名の見知った世界。もう二度と巡り合うことはないと決別したはずの地獄がなぜか今はとても懐かしい。
 舞い上がる火の粉が星に紛れて次から次へと消えていく夜空を一度だけ見上げたコウは強い決意に満ちた目をゆっくりと正面へと向けた。漂う煙に映るヘッドライトのハイビームは何もない空間をまっすぐに貫いている、向こうの建物までの距離はだいたい二十メートル。
 ギアを踏んだ途端に後輪がキキッとかすかに鳴った。最大回転域で酷使した事によるクラッチの異常、そして駆動輪の限度を超えた損耗。満身創痍と化したそのモタードが満足に動ける時間はあと幾ばくもない。「 ―― ごめんなモタード …… これで最後だ、頼むぞ」
 クラッチを繋いだとたんにスプロケットがチェーンを噛んで死にかけの後輪を全力で回す、ゴムの放つ絶叫と黒いうねりを床に刻みつけながらコウの愛機は短い、そして最後の疾走に入った。不十分な加速と頼りない針路、しかし主のリクエストに応えるべくコウのモタードは屋上の縁に立てかけられた小さな鉄の板を目指した。

「まさかここを飛び越える気かっ!? 」はっきりと分かる音を耳に捉えた瞬間にキャンベルは叫んだ。土地勘のあるグレゴリーが頭の中で瞬時に距離と速度の相関関係をはじき出す、建物の間は二十メートル、助走距離はどう見積もっても百メートル弱。飛び超えるには三秒間で時速百キロ以上出さなければならない、そんな車がどこにある!?
「やめろぉッ!! 伍長ぉォっ! 」頭上にまで迫って来た爆音に向かって力の限りグレゴリーが怒鳴る、その瞬間にガン、と言う音を立てて黒い影が屋上の縁から空中へと躍り出た。
 祈るように空に浮かんだモタードを見上げる八つの瞳、しかし彼らの願いも空しくその車体は向こう岸に届かなければならない放物線を逸れて失速を始めた。重力に引かれて地上へと滑り落ちる車体の上で下を向いたコウが目を見開いているのがはっきりと見える。
「伍長ぉぉっッッ !!」

 モタードがこの距離を飛び越えられない事をコウは知っていた。それでも彼がここを目指したのはニナを見つけたと同時に飛び込んできた小さな情報から構築した最短距離を選択したからだった。
 彼女の命を担保するはずだった連絡通路、爆風で消し飛ばされたそれが壁面に残した強度の証。トラス構造と言う頑丈な造りでできていたが故に上部が破壊されても床面は最後までその衝撃に抵抗したのだろう、耐えきれずに最後の最後で壊れてしまったその床を支えていた基部の鉄骨がまるで壁から生え出ているように離断した状態で残っている。長さ一メートル、幅はタイヤの幅三本分にも満たない小さなハーケン、だがコウはニナを助けるためにその手掛かりを掴みにいった。
 目まぐるしく変わる景色と下から上へと流れながら迫りくる建物の壁、加速する世界が彼の中でコマ送りに変わる。足元に見えるマッチ棒のような目標へとコウはしっかりと狙いを定めた。

 もし彼がブージャム1のように偏執的な殺人狂だったとしたら彼女の呟きなど意に介する事もなく、即座にその引き金を引いていた事だろう。だがほんの少しためらったその一瞬が彼の周囲を劇的に変えようとしていた。彼女が来た方向の背後で閉じられたドアの向こうで聞こえる大勢の男の声 ―― よくあることだ。自分の逃げる距離を確保しながらこれから起こる惨劇に対して批判の声を上げる連中、そこまで言うならここに来ればいい。卑怯な手に訴えても自分を守りたいというのはまともな思考を持つ人として当然のことだ。そう言う輩を蔑みはするが一概には責められない。
 しかしその声がどんどん変化して叫び声になった時に男の危機管理が警鐘を鳴らした。女子供ならともかく大の男が発する声じゃない、そう思った時彼は男の怒声に紛れて聞こえるチェンソーの音を耳にした。大昔のホラー映画で殺人鬼が登場するシンボルにも似たその音がドアの向こうから。
 異変に対応するために選択せざるを得ない二者択一、任務をこのまま遂行するか。それとも音の正体を見極めるべきか?
 慎重な男は後者を選択した。殺人鬼といえどもしょせんは人だ、撃てば血を流すし不死身ではない。現にどのホラー映画でもそいつらは最後に必ず死んでいるではないか、任務遂行はそれを仕留めてからでも十分に間に合う。ニナの胸につけた狙いを外したその男が後の二人に目くばせをしてドアの方へと銃口を向けて構えた、その瞬間。
 廊下を揺るがす振動と共にドスンと降り立つ黒い影、煌々と光を放ちながらそいつは空からやって来た。

 着地に成功したその鉄骨が大きく撓む。全身の力を使ってなんとか消却しようと試みるコウだったがその代償は想像をはるかに超えるものだった。一本で全重を支えた後部サスペンションはコイルを全て縮めてからダンパーをへし折られて二度と使い物にはならない、さらに残る落下の衝撃はエンジンに直結されたトレリスフレームに何本ものひびを走らせた。鉄骨に接地した後輪は悲鳴と煙を上げながら空回りし、タイヤを構成する内部のナイロンコードが遂には弾けてちぎれ飛ぶ。
 危うい一本橋の上で歯を食いしばりながら必死でバランスを保つコウの目の前で基部を支えていた建物の外壁が耐久限界を超えて崩れ始める、しかしそれがコウがうった博打の成否だった。今にも地面へ引きずり落とそうとしていた加重がなくなりモタードの抵抗が始まる、オイルを噴き出しながら最後の力を振り絞って唸りを上げたL型ツインが重力と物理法則に向かって中指を立てた。
 ―― 行けっ!
 最後のグリップで鉄骨を掴んで前輪を持ち上げたまま一本橋を駆け上がったモタードは残った力の全てを目の前に立ちふさがる鉄のドア目がけて解き放った。

 猛烈な破壊音と共に飛び込んできた黒い塊が放つハイビーム ―― 5000ケルビムの光が赤い通路を真っ白に染め、それはナイトビジョン越しにはレーザーの直撃に等しい威力だ。増幅された光は一瞬で兵士達の網膜を焼き切って一生めしいとなる事を強制し、間違っても二度と銃など持てない体にした。脳を灼く痛みでゴーグルを跳ね上げながらよろめく人影、それでもニナに銃を向けた男は迫りくる音だけを頼りに引き金を引く。
 頬を掠める銃弾が刻んだ傷ごとコウの顔を苦痛にゆがめる、だがその眼はスローに動き続ける景色の中を目まぐるしく動いた。目を押さえながら自分に銃を向ける兵士、そしてその後ろでもがき苦しむ二人の姿。
 そして。
 跪いたまま硬く目を閉じて。
 肩にかかった金色の髪が光に照らされて眩しく。
 脳裏に焼き付いたまま一日も ―― ただの一度も瞼の裏から離れた事のない、彼女のっ!

「 ―― ニナぁっっ!! 」

 咆哮だった。コウの喉からほとばしる甲高い叫びが廊下をくまなく席巻して世界を揺るがす。

 二度目の銃声がこだましてニナの肩がビクッとすくむ。放たれた銃弾は間違いなくコウの胸を目指したがそれよりも彼の反応は早かった。走り込んだ勢いのまま車体を倒しこんだ彼の頭上を駆け抜ける9ミリパラぺラム、しかしコウは怯むことなくそのままの体勢で兵士目がけてモタードの底面を叩き付けた。三百キロの慣性重量がめり込んだ胸から肉のつぶれる鈍い音と骨が砕ける気持ちの悪い音がしてニナの命を断とうとした兵士はそのままエンジン下部にあるクランクケースに体を持って行かれる。ステップが火花を上げながら廊下を滑って、末期の悲鳴を上げながら回る事を止めない傷だらけの後輪が残った兵士の衣服を絡め取って地獄への道行に連れていく。異様な叫び声を上げる彼らを巻き込んだモタードをコウは足で蹴り飛ばしてそのまま廊下の先へと送り出した。
 勢いがついたままのコウの体が廊下の上を何度も転がる、しかしすぐに体勢を立て直した彼は膝立ちになって素早くベストのホルスターからヘンケンの銃を抜き放った。三人を掴んだまま赤い廊下を滑って行ったモタードが廊下の半ばを過ぎたあたりでついにその動きを止め、コウが構えた銃の前後の将星につけられた小さなルミノールの光がまるで居場所を知らせるかのように点滅するモタードの警告灯を真正面に捉えた。

 続けざまに放たれた三発の銃弾は確実に燃料タンクに命中する。その中の貫通した一発がシリンダーヘッドに命中して小さな火花を散らし、漏れた燃料に命を吹き込むその輝きは一瞬でタンク内を炎で満たして爆弾へと作り変えた。

 吹き飛んだ車体が巻き込んだ三人の兵士と共に廊下を炎の海原へと変える、しかし壊れた部品が銃を構えたままでその光景を呆然と見つめるコウの体のどこかを直撃する事はなかった。バラバラとコウの周りに降り注ぐパーツの多くがモタードと築いた信頼の絆、走馬灯のように流れていく今までの出会いと苦悩。彼との思い出を振り返りながら感謝で潤む目が炎から離れない ―― そして共に死線をくぐり抜けてニナの下へと連れて来たコウの愛機はまるでその体を気遣うかのように、炎の中でヘッドライトを瞬かせて安らかに息絶えた。


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