夜襲をかけてきたのなら夜明けは禁忌、だがそこがタイムリミットだとなぜマルコに分かるのか? 「モビルスーツの稼働時間です。多分この作戦は日が改まってからすぐに始まっている、という事は今日の日の出を6時として約五時間。モビルスーツの連続搭乗可能時間は普通で約三時間、不測の事態が起こった時でも四時間とされています。多分奴らは夜明けまでに作戦を完了させるつもりでこの時間を選んだんだと」
そうなんだ、とキースは連邦のマニュアルに精通する彼の話に驚いた。あの紛争の時にはそれこそ時間が経つのも忘れてずっとキャノンのコックピットに缶詰にされていた、可能かどうかではなく生きるか死ぬかの瀬戸際でそんなおためごかしが何の役に立つのか?
「もちろん戦闘が長引けばそれは適用外です。でも長く搭乗すると運動能力や判断力は確実に低下し、そこまで凌げば今度は本拠地に陣取るこちらががぜん有利となります。それに朝になればここでの戦闘音が町や居住区まで届かないわけがない」
いくら人のいない砂漠地帯とは言えほんのちょっと走れば政府が勧める農業地帯がある。これだけの騒ぎだ、音だけは確実に届いているだろう。頷きながらキースはその意見に同意する。
「こういう作戦を得意とする輩が一番恐れるのは相対する敵じゃなく、それを聞きつけた善意の第三者による戦闘状況の暴露。報道管制は敷かれているでしょうがネットでの流出は抑えられない、ここの騒ぎを聞きつけたどこかの野次馬が必ず何かの方法で映像をアップするでしょう。世間に公になった奴らは同じ手が二度と使えなくなって今後のの戦闘ドクトリンを変えざるを得ない」
「なる、ほ、ど。 ―― でももし私たちが生き残ったらそれはそれで奴らの存在は公になっちゃうんじゃない? ここまでやられて黙ってるなんてできっこないジャン? 」
「はい。だから痛み分けのドロー ―― 人的な損害を被る代わりに奴らのやり方を封印する。僕たちが夜明けまで生き残ればこれが奴らの最後の作戦になるという事です。ただ ―― 」
作戦を構築していくうちにマルコは何となく敵の本質を理解し始めていた。自分の立てた戦略に敵を嵌めて楽に勝つのは実に痛快だ、それはかつての自分が求めていた理想。だが ―― 。
「 ―― 負けた事のない奴はそんな当たり前の事に気づかない。勝てないまでもせめて『相手の頬を張ったら自分の掌も同じくらい痛い』ってことをいやというほど思い知らせてやります」
マルコの立てた作戦を実施するための時間の猶予は少なくなっている、バスケスがかろうじて動けるのはあと何分か? しかし逆転の目があるとキースから説明された整備班はシェルターにいた者も含めて全員がその作業に参加した。バリケードとして最も当てになりそうなモビルスーツの固定具などは真っ先の壁から引きはがされてガントリークレーンで屋外へと放り出される、その外側にありったけの予備の盾やらモビルスーツの装甲を立てかけて簡単な防護壁にする。「角度に気をつけて。打ち下ろしてくる敵の砲弾を受け流がせるように寝かして取り付けるんだ、角度が決まったら内側から全部溶接して」
一夜城を思わせるその速さは運搬を手伝うアデリアやマークスの目をくぎ付けにする、それは流した血の多さですでに朦朧としているバスケスにとっても同じだった。モノアイを大きく振ってかろうじて作業の進捗を眺めている彼のつぶやきがヘッドセットを通じてモウラの耳に届いた。
「 “ しかしここの …… 整備班は、なんでもできる、なあ ” 」声は穏やかだがその色どりは深刻の度合いを増している。バスケスの状態を話しかけながら確かめているモウラにもいよいよの時が伝わる。
「あンがと。でもモビルスーツ五台分の仕事量も凄いモンさ、おかげでハンガー内が大掃除できてあたしとしちゃ」動かないドムと電源設備以外の一切がなくなった、ほぼスケルトンのハンガーを振り返って苦笑いした。どうも整備士の整理整頓というのはいつだって自分の使いやすいようにモノが置かれているというのが正しいようだ。「 ―― ちょっとさびしいけどね」
「 “ よくできる整備士のハンガーって、そんな、もんさ。 …… 色んな所回ったがこきたねぇトコほど仕事のできるヤツ、がそろってた。おれたちも安心してモビルスーツ、狩りにでかけたモンさ。こわれて、もスグ直してくれる、てな ” 」
「言うねえ、誉め言葉として聞いとくよ。ついでにちょっと自慢させてもらうと整備士ってのは戦艦の応急修理も受け持ったりするんだ、だから鉄骨組みとか装甲板の溶接なんざ年がら年中。目ェつぶってでもできなきゃ一人前とは言えないね」
「 “ 戦艦? …… そうか、班長は宇宙に上がった事が、あるんだ、なぁ ” 」
バスケスのトーンが急に下がる。声の向こう側をなんとか確かめようとモウラが大きな声で呼びかける。「バスケスっ! おいバスケス!? 」
「 “ 大丈夫だ、まだ、だいじょうぶさ。 …… 俺たちは夜空でしか宇宙を見た事がねえからな、そこがどんなところか、見当も、つかねえ。 …… というか、俺たちには、その、勇気がなかった ” 」
「勇気って …… なんで肉弾戦であんな鉄の塊とやりあってたあんたがそんな ―― 」
「 “ オデッサが終わって ―― ” 」
ゴーレムハンターとして各地を転戦した彼らに宇宙軍への編入が打診されたのはわずかな休暇を消化してのちの事だった。圧倒的に不利な戦況の中、ジープと対戦車バズーカだけで何体もの敵モビルスーツを潰した陸軍対機動兵器特殊作戦群はオデッサ作戦が終わった時点でその任を解かれ、ジャブローの作戦本部預かりの身の上となる。しかし稀有なスキルを持つ彼らをこのまま地上の警備や残党狩りに従事させるにはあまりにも惜しいとの声を受け、連邦宇宙軍は特例として彼らを特殊任務作戦群としての編入を要求した。
「 “ 悪い話じゃ、なかった。働く場所が地球から宇宙に ―― 変わるだけで、やる事ァいっしょだ。でもなあ、それを続けるにゃああまりにも、仲間が、死にすぎた ” 」
オデッサ作戦終了時点での損耗率9割。凄まじいまでの死亡率はすでに作戦群としての体を失い、彼らは『生ける伝説』という確固たる地位を築きつつあった。伝説と言われれば聞こえはいいが、それはすなわち軍の中ではもう目立たない存在になってしまったという事だ。そんな寡兵の集まりが宇宙へ出て同じように働けるはずがない。
「 “ 教官として海兵を指導、してくれとも、言われたけど。ありゃ無理だ。 …… モビルスーツの、マシンガンがぽっかり口を開けた、真正面に飛び込んでく戦い方を、どうやって、人に教える? 並じゃねえ直感と、読みと怒りが、そこには必要だ。 …… だから俺たちは、その話を、断った ” 」
「そして、あんたはここに送られた? 」モウラの問いかけに無言で肯定の意思を示す。言う事を聞かない奴は島流し ―― そりゃあたしたちだってそうだ。キースもニナも、そしてコウも。あの同意書にサインをしなかったが故にあんたと同じ場所にいる。
「 “ でもなあ、俺はいつも思うんだ、ほんとは …… あそこに行くのが、怖かったんじゃないのかって。気がついた時にゃ何人も残ってなかった、ああ、今度は俺の番か、ってずっと思ってた。だからもし、宇宙へ行ったら。もう二度と地球には、戻れねえンじゃないか、ってな ” 」
ぼんやりとした口調で心の内を明かすバスケスの声でモウラの顔がゆがむ、気を抜いたら泣いてしまいそうだ。
「 “ なあ、…… 班長。俺ァ ” 」
「な、なんだい? 」
「 “ もうすぐ死ぬだろ? ” 」かける言葉がない事に激しい胸の痛みを覚える。朦朧とする意識を必死でつなぎとめているだろう事が分かるだけにその決意が痛々しい。目の前に迫った死を得る為に生へとしがみつくバスケスに自分は何を言えばいいのか?
「 “ 死んだら、どこに行くンだろ? みんなは、ドコいったンだろうなぁ …… 俺もあんたや隊長みたいに、あそこを ―― みれるのか ” 」
「いけるさっ!! 」 モウラの視界が涙でゆがむ、抱えた悲しさをごまかすためにそう答えるのがやっとだ。「きっとあんたは宇宙に行けるっ! だからがんばれ、あんたの知ってる地獄はこんなモンじゃなかっただろっ!? ―― これが最期になるってンなら今のうちに何でもあたしに言ってくれ、会いたい奴とか気になる奴とか。ハンガーの中だったら何でも言う事聞いてあげられるよ、なんだったらあんたらお気に入りのアデリア ―― 」
「 “ 最期に …… 会いたい? そうだなぁ ―― 伍長と ” 」バスケスの言葉を受けたモウラが慌てて作業を終えたばかりのアデリアのザクへと涙目を向ける、しかし彼から零れた次の言葉は今までになくモウラの心を深くえぐった。
「 “ …… 伍長に、あって、もう一度 ―― はなしが、したかった、なぁ ” 」
* * *
息が苦しい。
頭がくらくらして指の先がジンジンする。息の荒さで居場所を知られてしまうと呼吸を制限した事で現れた過呼吸の典型的な症状。それでもニナの目はしっかりとシェルターの入り口で点滅する緑のランプと、耳はいまだに姿を見せない兵士の足音を聞き逃すまいと研ぎ澄まされている。
「 はい、了解しました。これから敵のシェルターが閉じるのを確認してから ―― はい、そちらに ―― 」その時突然兵士の会話を遮るように大きなブザーの音が廊下中に鳴り響く。
『 ―― 現時点をもってこのシェルターは閉鎖されます、利用ができない基地職員は直ちに屋外へ避難を開始してください。尚この先使用出来る通路は管理棟A-2、ハンガー直通通路H-1 ―― 』
ガコン、という金属のきしみと土埃をともなって大きな金属の壁が姿を現す、いつも通路を塞いでいる鉄の扉とは全く別物の耐爆仕様防護壁。それは強力な油圧ジャッキの力を借りてゆっくりとシェルターの入り口を閉ざし始める。ズズ、という鈍い音がその扉の莫大な重みを周囲に知らせた。
多分その兵士は通路の角に姿を現して扉のほうに気をとられるだろう ―― 賭けに出たニナが大きく息を吸って固く口を閉ざして歯を食いしばる。全身のバネに全ての力をためてその一瞬をいまや遅しと待ちかまえる。 ―― お願いっ! あの扉が閉じてしまう前にっ!
ゆっくりと閉じてゆく大きな扉と閉鎖開始を示す赤いランプの点滅へと目を向けながらその兵士は手探りで自身の残弾を確認していた。ベストには予備弾倉があと三個、拳銃はウエストベルトにあと一個と残弾が4発。ここが女性用の宿泊棟だった事が幸いだった、弾をそれほど消費する必要がなかった。しかし今交戦中というもう一つの分隊はそうもいかない、場合によっては自分達が合流して厚めの対応をしなくてはならない。
「なんにせよ俺たちは運が良かった。 …… さて ―― 」そう言いながら胸のポケットを探って思わず苦笑いを浮かべる。そうだった、夜間作戦中にはタバコは持てない約束だった。血なまぐさい仕事の後こそ一服して気持ちを切り替えたいんだが。
まあいい、どうせ誰かが黙って持ちこんでるだろ。あそこが完全に閉じたらそいつから ―― 。
今だっ!!
背中に加わった突然の衝撃にすっかり油断しきっていた兵士の体はしたたかに向かい側の壁へと叩きつけられた。壁に当たった装備が激しい音を立て、額に上げていた暗視装置が外れて床へと転がる。苦悶の声を上げる男の脇を駆け抜けようとする金色の髪、とっさに捕まえようと伸ばした右手はわずかに届かない。
「まだいたぞ! 」叩きつけられた兵士が声を上げるよりも早く二丁のサブマシンガンが火を吹き、ニナの後を追って何発も壁をえぐり取る。よろめきながら必死に走る彼女の背中をあと一発が追いつこうとした刹那、必中の弾丸は当て身をくらった男の胴体へと集中した。うめき声をあげてニナの後ろでドウ、と倒れる兵士は被弾の衝撃に苦しみながら今にも閉じようとしている鉄の扉の隙間に体をねじ込む彼女の背中を悔しさがにじむ目で追いかけた。
無骨なコンクリートの壁に埋め込まれた非常灯がいかにもシェルターという趣を漂わせる。扉をすり抜けてからほんの少し走ったところでニナの膝は限界を迎えた。緊張から解き放たれた全身から全ての力がぬけてへなへなとその場に座り込んでしまう。止めていた呼吸を解放して一気に酸素を肺へと送り込んで、そのとたんに今まで忘れていた震えがまるで高熱で浮かされた起こりのように蘇って彼女の全身へと襲いかかった。奥歯がカタカタ鳴って視線が定まらない、それはさっき部屋を出たとき以上に激しく、そして大きい。
必死で呼吸を浅くして何とか過呼吸の症状を軽減しようと努める。酸素を少なくして二酸化炭素を多く体に留めて、そうする事でアルカリ性に傾いた血液を正常に戻すことができる。ドクから聞きかじった医学の知識を実践してその効果をわずかながらに実感するニナ。まず酩酊感が薄くなって、次に末端のしびれが弱まる。少なくとも何も考えられないという症状からは抜け出しつつある。
そして彼女に与えられた選択肢も少ない。いまだに自分に連絡がないのはそれほど状況が切羽詰まっているという事だ、今は何としてもハンガーまで辿り着いてキースやマークス達の手助けをしなければ!
自分が今しなければならない事を肝に銘じて壁で体を支えながらゆっくりと立ち上がって出口のほうへと顔を向ける。しかしその時背後の鉄の扉を打ち鳴らすスズメバチのような羽音にニナは震えあがった。
「おい、大丈夫か? 」横たわったままの兵士にもう一人が手を差し出すと、彼は顔をしかめながらゆっくりと立ち上がった。「 …… ああ、防弾ベストの上からでも9ミリのつるべ打ちはけっこう効くゼ。 ―― 女は? 」
「残念ながら取り逃がした。今何とか外側から開かないかといろいろ試してるんだが、こういうのは内からは開くが外からは開かない構造だからな。けっこう望み薄だ」頭を振りながら男が扉の方へと向き直ると悔し紛れなのか、扉に向かって発砲する兵士がいた。至近距離での直撃なのに跳弾がない。
「 ―― なるほど、そういうタイプの耐爆扉なわけだ」衝撃を跳ね返すのではなく吸収して和らげる、材質は鋼鉄ではなく軟鉄。どうりで重そうな音がする。となれば ―― 。
「おい、ありったけのC-4(プラスティック爆薬、粘土のように柔らかく形が作れる)を集めろ。誰かを他の分隊に回してそいつらの分の集めてこい」
「おいおい、いくらブージャム1の命令でもそこまでする事ないだろ? たかが女一人」助け起こした兵士があきれ顔でたしなめる、しかし男は脇を掠めて逃げ込んだ女の顔に見覚えがあった。整った顔立ちと背格好、肩まである金色の髪と ――。
印象的な目の光。間違いない。
「それが対象αだったとしても、お前はそう思うか? 」
* * *
逆L字型に作られた格納庫の短い棒の端、壁の一角を利用して後から作られたその出入り口は整備班から『勝手口』と呼ばれている。もともとは小さい部品や消耗品や個人調達品を運び込むための扉だったが、どっちにしても品物はトラックでハンガー正面から運び込むので現在は開かずの扉の様相を呈していた。久しぶりに使うその用途がまさか出撃口になるとは、とモウラは三機のモビルスーツの背中に敬礼を送る。
「 “ じゃあモウラ、行ってくる ” 」わずかに後ろを振り返って外部スピーカーで遠慮がちに声をかけるキースにモウラは小さく手を振った。少し離れた所から羨ましそうな視線を送るジェスにもお構いなしだ。
「頼んだよキース。あたしらちゃんとここであんたが帰って来ンの待ってるから、前みたく思いっきりヤッといで」巨大な対物ライフルを脇に抱えたキースのジムが小さくうなずいて出口をくぐると内側からゆっくりと扉が閉じられて機械仕掛けのかんぬきがかかる、これでもう外からはたとえモビルスーツといえども武器なしで通る事はできない。
「 …… さて、と。さあみんなもう一仕事おっぱじめるよっ! ここにあるありったけの武器と弾を大急ぎでバリケードの内側に並べるんだ、マルコとアンドレアが他にもモビルスーツが残ってると思わせるぐらい撃ちまくれるように何箇所かにばらけて。 ―― 急げっ! キース達が配置につくまでもう時間がないよっ! 」
虎の子の有線ケーブルはマルコとバスケスが使っているので出撃したキース達との連絡はできない、昔ながらの手段だが全員で同時に時間合わせした腕時計を無言で見つめていたマルコは隣でバリケードの影に隠れるアンドレアにモノアイの光を向けて合図した。こくこくと二度うなずくゲルググは心なしか震えているように見える。
「時間だ。 …… じゃあ、バスケス。 ―― お願い」
指先が冷たくなって感覚が、ない。呼吸が浅くて心臓は今にも止まってしまいそうだ、こうやってあいつの声を聞けるのもあと何分ぐらい、いやあと何言葉喋れるか。
震えるバスケスの指があらかじめ設定しておいたタッチパネルへとゆっくり伸びる、反応炉に関する全制御 ―― ミノフスキー粒子への静電供給、Iフィールド、制御棒のコントロール、全てディザブル。 ―― 確認。
実行。
制御棒が一斉に抜ける音は座席の背中のあたりから。ほんのわずかな静寂ののちに生まれるかすかな振動が金切り声と共に大きく。それはバスケスのいるコクピット全体を震わせて止まりかけている彼の心臓を再び動かそうとしているようだ。耳をつんざく熱核炉の悲鳴は彼と共に最期を迎えようとするゲルググの断末摩、閉じていく視界と薄れそうな意識に抗うようにバスケスは残りわずかな全てを声につぎ込む。
「マルコっ! きこえているか、マルコ・ダヴーっ! 」
ハンガーの全員総出でバリケードを構築する様は見事としか言いようがなかった、あっという間に作り上げられた堅牢な城壁を照準器で眺めながらハンプティは感嘆の声を漏らした。「すげえ、まるで魔法だな。ありゃ」
試しに撃ってみようかとも思ったのだがどう考えても抜ける気がしない、あれを壊すためにはさっき使った徹甲榴弾を使うしかないのだがそれほど多く持ち合わせているわけではない。まだ作戦ははじまったばかり、無駄弾は極力避けなければ。
「 “ どうやら立てこもるつもりのようだな ” 」苦々しげに吐き捨てるラース1の声が耳に届く。どんな作戦でも常に敵との近距離戦を是とする彼にとってこのような消耗策は許し難いのだろう。
「このまま動かないというのならそれはそれでブージャム達がハンガー付近まで侵出するのを待つしかないな。やつらがにっちもさっちも行かなくなってこちらへ気が回らなくなったら ―― 」そこからが俺たちの出番だ、という言葉をモニター内の非常警報が押しとどめた。レッドアラート。作戦続行に重大な支障の発生する事案が発生。
「! 赤外線に感! ―― やろう、やけを起こしやがったかっ! ハンプティからトーヴ1へ、緊急事態っ! 」
「! 擱坐したゲルググの反応炉が暴走だとっ! 」ケルヒャーの驚きが腕を伝わってダンプティに届く。「どういうことだっ! まさか飛び回った破片が炉心でも直撃したのか! 」
「 “ それなら反応炉は停止するはずです、自分で操作するしかありえません! 判断を、もういくらも時間が―― ” 」
「撃破を許可する」冷たく言い放つダンプティだったがその眼には驚きと戸惑いが満ち溢れていた。自らを犠牲にして全てをご破算にしようというその勇気、決断力、連邦軍にそのような気骨を持つ者が? あり得ん!
しかしその一方でこの作戦の難易度 ―― あのモビルスーツ隊を退けて目標を自らの手で確保するという目的が異様に難しくなったともいえる。飛び出してきた奴が一番の腕ききなのかもという事は考えられるが、もしそうでなかった場合に相手の実力がどれほどのものかを理解しなければこちらのリスクが大きすぎる。もしかしたらこちらの促成編成の新人たちでは対処できないかもしれない、そうなればこちらの立てた作戦は根底から瓦解する。
失敗は絶対に許されないのだ、この作戦に関してだけはっ!
「コックピットを狙え、それで事態は収まるはずだ」
* * *
たびたび揺れる膝を何度もたたきながらニナはゆっくりと、しかし確実に出口へと近付きつつあった。自分が前に進む理由はただ一つ、この基地に在籍する技術主任としてモビルスーツ整備の指揮をモウラと一緒にとる為。
しかしその一方で彼女 ―― ニナ・パープルトンという一人の人間としてのその理由はひどくあいまいだった。理由は ―― 分かっている、自分が一度は手にした銃という代物がいかにたやすく、そしてあっけなく人の未来を奪ってしまうものなのかという事を知ってしまったから。分かっていたつもりで本当はその本質に気が付いていなかったという自分の浅はかさが彼女の足を、そして生きていく意味というものを確実に鈍らせていた。
見知った顔が幾人もそれで命を絶たれた。そんなものさえなければ彼女も、マリアもきっとここで死ぬことはなかった ―― だが自分も少し前に同じような物を生み出してしまっていた。自分の手の届かない宇宙の闇の中を何千人という人を殺して突き進む三号機。戦争だから? 正義だから? そんなものはただの言い訳だ。大勢の人とそこに連なるもっと多くの人たちの未来を潰した事に代わりはない。そしてその連鎖はついに自分のすぐそばまでやって来た、私ひとりの命のためにもっと大勢の見知った顔が、殺される。もし自分がここにいなくて ――。
もしあの時宇宙で死んでしまっていたならこんなことは起こらなかったかもしれない。 …… 他人を巻き添えにしてまで自分に生きる価値は本当にあるのか?
アイランド・イーズはまるで宝石の様な輝きを漆黒の宇宙に解き放った。救助された艦の艦長 ―― もう名前も忘れてしまった ―― は男達の魂の輝きなどと言っていたが私にはそうは見えない、もしコウがその輝きに巻き込まれて命を落としてしまったと言うのなら私はその光の中で死にたいと確かにそう願った。ルセットと最期に交わした約束を守ると言う事よりも、私自身のささやかな未来の希望さえもが閉ざされるその世界に生きる価値を見いだせないと思ったから。
私が唯一生きてしまったその理由 ―― コウ・ウラキ。生きていた事を知った私は全てを捨てて彼を追った ―― 過去を捨てて未来に賭けた。どんな茨の山でも私が彼を支えて杖となり、私が彼を繋ぎ止めて枷となり。彼の生きた証が即ち私自身の幸せ、そして二人が犯してしまった罪の償いになると信じた。
でも私は全てを失った。私が望んだ小さな希望は大きな絶望に変わって私自身を裁いた。もう二度とコウと私が笑い、語らい、確かな絆を紡ぐ事はない。それは私が目を閉じ耳を塞いで知る事を拒んだ、私自身が彼の一生の幸せの為に選んだ道のはず。
意味のない未来、一度はこの世との決別を覚悟した身の上。なのになぜコウを切り離して一人で罪をつぐなわなければならない私はこんなに死を恐れている? 生きる意味も何もかも、大切な物は全てなくなってしまったというのに。
どうして? ニナ・パープルトン。
集められたC-4は500グラムの包みが6個、男は包装紙を破るとむき出しになったオフホワイトの爆薬を何等分かにしてくさび型に成型し始めた。「手の空いてるやつは手伝え。200グラムぐらいの塊をこうやって作り直して、他の奴はできた爆薬を扉の継ぎ目にかぶせるようにセットして全部をつなげ」
「継ぎ目に埋め込んだほうがいいんじゃねえか? 」隣で手伝っている兵士に男はチッチッと指を振った。
「こういう奴は指向性を持たせたほうが効果が高い。窪ませることでモンロー効果の恩恵があるしな、それに3キロのC-4をそのまま爆発させたら俺たちまで吹っ飛んじまう」男は出来上がった爆薬を持って立ち上がると閉鎖された耐爆扉と壁の継ぎ目にかぶせるようにそれを押しつけた。可塑性のあるそれは雑なやり方でも十分その場に貼りつく。
「さあ急げよ。もたもたして対象αが逃げちまったら俺たちがブージャム1に検索しちゃいけない死に方を教わる羽目になるぞ」
赤い夜間灯の中に浮かぶ向こう側の耐爆扉、ニナはネガティブにおちいる思考とそれに伴って鈍る足取りを叱咤しながらやっとの思いでそこに辿り着いた。手前の壁側に設置されたアクセス端末にゆっくりと ―― それでも彼女にとっては一生懸命だ ―― 近づいてテンキーを操作する、自分の認識番号を入力するとメインかサブ、どちらかのサーバーが登録されている所属情報を検索して合致すれば扉のロックが外れる仕組みになっている。
もちろん全部の扉がそういう構造になっているわけではない。それぞれの建物に設置されている非常ハッチは一度閉じてしまえばその扉に対応する暗証コードが必要になり、サーバーにアクセスして不正な手続き ―― つまり、ハッキング ―― をとらない限り開ける事ができない。つまりニナはここから出られてもハンガーに辿り着くまでいくつもの非常ハッチを自分のラップトップを使って開けなければならないのだ。
ガゴン、という大きな音と共に扉がゆっくりと動き出す、向こう側に敵がいる事を恐れてニナはほんの少し顔を出して左右を見渡した。通路に人影はないが不穏な気配もない、体一つ分の隙間があいた所で彼女はそっと赤く染まったままの通路へとその足を踏み出した。
仕掛け終わった爆薬は全て一つに繋がって扉と壁の隙間に覆いかぶさった。刺された雷管は二個、起爆に失敗した時の予備でスイッチは別の兵士が持っている。「全員壁にできるだけ寄ってかがめっ! 目と耳を押さえて口は開けておけ、この先も女の裸を拝みたいならなっ! カウントっ! 3、2、1 ―― 」
* * *
「 ―― バスケスっ!! 」コックピットに響くマルコの叫び、金切り声しか垂れ流さないヘッドセットから彼は確かにバスケスの声を聞いた。必死で耳をすませる、聞き違いじゃない、聞き逃しちゃダメだっ!
「 “ お前は、もう逃げるなっ! 俺のように ―― 絶対に逃げるんじゃないっ! 必死に生きろ、生きて、生き足掻いてっ! ” 」
これが最期だというのに何も言い返せない、バスケス。あんたを宇宙に上げようとしたのは僕だっ! あんたと一緒にどこまでも戦いたかった、あんたがいればもっとすごい事ができる気がした。だから僕はゴーレムハンターを宇宙で働かせようとした。
それがあんたをこんなに苦しめていたなんてっ!
「 “ 生きるのを楽しんだらのんびりこっちに来いっ! いいか、忘れンな! 俺ァお前と一緒にいてすごく楽し ―― ” 」
* * *
「 ―― 一番ファイア 」
* * *
轟音と閃光はマルコとアンドレアのモニタースクリーンの照度を同時に下げた。それでもなお手をかざさないと目を開くことすら難しい激しい光は炎と黒煙をともなって夜空を焦がす。コックピットに充満する爆発音の中でマルコは必死に、遠くに行ってしまった友人へと許しを叫び続けた。
* * *
張り裂ける轟音と通路から吐き出された巨大な空気の塊は炎と共にニナの背中へと襲いかかった。激しい衝撃に肺じゅうの空気が全部押し出されてそのまま息がとまる、なにが起こったのかを知る暇もなく壊れたコンクリートの破片が礫のように全身を打ちつけ、空気を取り込んで膨れ上がった炎の風船はニナが着たコウのYシャツを焦がす。そして膨大な空気のハンマーは華奢な彼女の体を宙へと飛ばしてそのまま廊下の壁へと叩きつけた。全身に走る痛みがニナの意識を根こそぎ奪う、しかし床へと放り投げられた反動で閉じかけた目が再び開き、朦朧とした視界をあざ笑うかのように巨大な鉄の塊が押し寄せる。慌てて頭を伏せたその髪を掠めて耐爆扉であったそれは壁を破壊して夜の屋外へと転がり落ちた。
もうもうと立ち込める土煙と明かりの消えた廊下に横たわるニナには一体何が起きたのか分からなかった。息をしようにも背中の痛みで思うようにできず、それに比例するように意識と気力が遠のいていく。ただ分かっている事はこのまま自分はここで死んでしまうかもしれないという可能性。
「 “ ごめん、みんな。あたしはそっちに行けないみたい ―― ” 」
心の中ではく弱音はこれで何度めだろう、一度は口に出して誰かに聞いてほしかった。あたしはそんなに強くない、本当は臆病で、卑怯で、愚かで。こんなあたしが誰かに助けてもらいたいなんて、とても ―― 。
閉じてしまいたいと願う意識を空色の瞳が引き止めた。目の前の床に転がったままのラップトップ、そしてその先で無数の瓦礫に埋もれることなくリノリュームのタイルで小さな輝きを放つ、ひび割れたディスク。
それを目にした瞬間ニナの目はかっと見開かれ、愛らしい唇を血がにじむほど力いっぱい噛みしめていた。震える手が胸のポケットを何度も触って、そこになければならないものがないと分かった瞬間にその手はまっすぐ前の床へと伸ばされる。半開きの口が浅い呼吸を繰り返し、零れていく涙は彼女の顎を伝って瓦礫を濡らす。
それは決してなくしてはいけないものだ。何もかもなくしたと思っていた自分がたった一つだけ残してしまった、彼との記憶。シナプス艦長が命懸けで届けてくれた、絶対に失えない彼との絆。
ラップトップを通り過ぎてニナの目は、手はそのディスクに注がれている。にじり寄る体が汚れてしまうのもお構いなしにカタカタと震える指先がついにそのディスクの表面へと触れた。
「 “ 生きるんだ、ニナ ” 」
少し伸びた髪と宇宙に輝く星にも負けない強い光を宿す黒い瞳。あの日のコウがあの日と同じ声でニナに静かに呼びかけた。