「衛星からの静止画像です」
ケルシャ―はそう言うとダンプティの前に何枚かの写真を差し出した。オークリー侵攻の為に確保した海岸線の一角にある司令部のテントの中で彼らは最後の調整に当たっている、本部から送られて来た至急電は彼らに最も必要な情報だった。
「稼働機数は六機、旧式のジムを除いては全部我らの機体です」
「連邦の基地なのにか? しかもザクやゲルググ ―― せめてグフやドムの一機も持たされてないとはつくづく冷や飯を喰らわされてる部隊の様だな」
オークリーのモビルスーツ隊の全力演習が行われるという暗号電文が届いたのが今朝の事、ダンプティは至急付近上空の通過を予定している監視衛星を全て押さえて撮影に当たらせた。軌道上から撮られた砂漠の上に屹立する巨大な宇宙港の残骸とその周囲に展開するモビルスーツの姿にダンプティは僅かながらに目を細めた。
「演習の相手はどうやら今入渠中の第三艦隊旗艦「オラシオン」のモビルスーツ隊の模様、大戦生き残りの腕利きですね」
「結果は? 」
ダンプティの問い掛けにケルシャ―は隣の士官へと目配せする、彼はすぐにもう一枚の紙切れを取り出してケルシャ―へと預けた。その内容を一瞥した彼は「ほう」と感心したように呟いた。
「旧式のザクとジムで臨んだ彼らは一度も勝てず、されどトータルで三機撃破。 …… なかなかどうして「博物館」の警備員と侮る訳にはいかないようですな」
「機体の能力差を考えるとほとんど拮抗した実力の持主だという事か …… ラース1からの報告だとパイロットのうち二人はまだどちらも二十歳そこそこだという事だったのだがな」
「どうします? 相手の力を考慮してフォーメーションを変更しますか? 」
作戦の立案に関してその全権を担う彼にとってみればこれは不測の事態である、押しつぶそうとした蟻塚から毒蛇が顔を覗かせたような物だ。しかし憂慮を声に滲ませるケルシャ―に向かって彼の上官は、そっと写真から目を外して小さく頭を振った。
「いや、最初の予定通り先鋒はラース1を除くサリナス組で行く。奴らとてこの隊に志願した腕自慢だ、数で勝っていればそうそう後れを取る事はあるまい。それに後れを取ったら取ったで」
無表情な目がケルシャ―へと向けられた。
「督戦する機体の数は、できるだけ少ない方が楽だからな」
* * *
全員が撤収した後になってもキースとモウラ、そしてニナはその場を立ち去ろうとはしなかった。彼らの遠くで翼端灯を赤く点滅させたミデアが轟音を上げて滑走していく、それは夜闇に敷かれた階を駆けあがるかの様に機首を上げるとするすると星の海へと消えていく。
「いやーしかし今日は大変だったわ。まあうちの機体をこれでもかっていうくらい使い倒してくれちゃって、お陰で整備班は持ち込まれた装備もほったらかしでてんてこまいだったよ」
「でもそれだけに十分なデータがとれたわ。後で整理してみないとわからないけど今日一日でみんなのスキルは格段に成長した、特にアデリアとマークスの数値と行動バリエーションは考えられないくらい …… これも全部出し惜しみせずにつきあってくれたあの三人のお陰ね」
「まあそれを言うならうちの連中も手持ちの工具だけでの野戦整備が試せた訳だし、言う事ないんだけどね。しっかしアデリアの奴、よりにもよってゲルググのスカートをべっこりへこましやがって。替えの部品がないんだから元に戻すだけでも気が重くなる ―― キース? 」
三人だけの時のいつもなら普段の皮を脱いで会話に参加する彼が一言も言わずにじっとミデアの消えた夜空を見つめている、モウラはその原因が何かを推測して声をかけた。
「モンシア大尉の事かい? そりゃあたしだって驚くさ、だってあのスケベ親父がよりにもよって結婚だよ? しかも相手は年端もいかない幼女風の女性と来た、あたしゃそっち方面の趣味は絶対ないって踏んでたんだけどねぇ」
「いえ、それよりも」
ニナの表情が硬くなる。この場にいる三人だからこそ口にできる話題と疑問は常にニナの脳裏につきまとっていた。
「なぜあの三人がこの基地へと赴く事ができたのか …… そうでしょ? 」
彼女の問い掛けにもキースは答えない、背中を向けた彼の姿はじっと星空を見上げたまま自分の殻に閉じこもって必死に何かを考え込んでいる様にニナには見える。
「だからアレはベイト大尉が言ってた通り、あの紛争を知らないどっかのお偉いさんが間違って許可しちゃったんじゃないの? もうあれから三年も経つんだしあの事を知ってるのは連邦の中でもほんの一握りだ、そろそろそういう連中が上層部に顔を出してもおかしくないとあたしゃ思うがねぇ」
モウラの指摘する可能性も無くはない。デラーズ紛争の存在自体が三年の月日を経て徐々に風化してきている事も事実だ、それは世間のメディアから未だに続く宇宙での戦いが報道されなくなってきている事と同じ様に軍による ―― 主にティターンズだろう ―― 隠蔽工作が完全に機能している事を示している。故にティターンズに未だに属さない連邦軍の上層部がそう言う命令書を発給してしまったとしても不思議ではない。
彼女の推測は的を得ている、とニナは思う。だが何かが引っ掛かるのだ。もやもやとした得体の知れない不安がニナの胸中で明日の危険を囁く、モウラの言葉にも何の反応を示さなかったキースの肩が動いたのは整備班の一人が大きな声でモウラを呼びながらハンガーからここまでの距離を走って来た時だった。彼はそこに佇んでいる三人がモビルスーツ隊の中核を担う三人だと知って慌てて立ち止まった。
「どうした、何かライフルに不具合でも? 」
彼はベイト達と共に搬入された試作ライフルの整備を担当していた。モウラに尋ねられた彼は整備用の繋ぎの胸ポケットから一枚の紙切れを差し出した。
「予備弾倉のチェックをしてたんですが、そしたら装填済みの弾の間にこんな物が」
たった一行、三文字の羅列の繰り返し。携帯の機能であるライトに浮かび上がったその文字を読んだモウラがぽつりと呟く。
「 …… ベイト大尉の字だ、間違いないけど …… なんだろ、これ? 」
「見せてくれ」
険しい表情で歩み寄ってきたキースが強い口調でモウラに告げる、彼女から紙と携帯を手渡されたキースは一目見るなりライトを消して表情を隠した。目の前にいるモウラにも聞こえないほどの小声で何かを早口で口走ったかと思うと、彼は引き締まった表情で真っ直ぐにモウラを見つめた。
「俺はこれから司令に会ってこの言葉の意味を伝えようと思う。モウラ、君はすぐに整備班と予備要員込みの搭乗員に「準臨戦態勢」を俺の命で発令してくれ」
「え、ちょ、ちょっと、どうしたのキース? コンディション・イエローって ―― 」
穏やかじゃない。それは警戒態勢を示すレベルの真ん中に位置して、基地が敵からの攻撃を想定して準備を始める段階を示す。モビルスーツパイロット及び整備班は全員ハンガー直近の宿直室へと移動して解除されるまで拘束される、もちろん全ての武装が完全装着である事は言うまでもない。
慌てるモウラと豹変したキース、その原因が全てその一枚の紙切れにあると知ったニナはキースに無言でその紙を見せる様に促した。彼から手渡されたその紙には意味不明の言葉が繰り返し書かれているだけだ。
「PAN・PAN・PAN …… これは? 」
「『緊急ではないが差し迫りつつある危険』を知らせる大昔の航空用語さ。多分他の誰かが見ても意味が分からない様にベイト大尉が書いたんだろう ―― バニング大尉と一緒に戦って来た連中だけには分かる様に」
「じゃあ、これはバニング大尉が指揮していた小隊が使っていた符丁という事? 」
小さく頷くキースの眼がニナとモウラに向けられる。こんな手の込んだ嘘をつきにわざわざあの三人が危険を冒してここまで来るとも思えないし、それに危険を承知で来たのだとしたらあの違和感も不思議な態度も全て説明がつく。
「 ―― 俺が最後に彼からこの言葉を聞いたのは、ガトーが核を発射する前」
それは衝撃の真実、そしてこの言葉がどれだけの脅威を秘めているかの裏付けだった。あの観艦式の時にはバニング大尉は既にいなかった、という事は。
「それって、ちょっとキース、まさか」
沸き立つ恐怖で鳥肌が立つ。過去の忌々しい記憶を思い出しながら彼女は必死に不安を悟られまいと言葉に力を込めた。
「そう、バニング大尉が撃墜されたあの日 …… 戦艦バーミンガムの護衛に向かう途中だ」
* * *
「くそおっ!! 」
それは機が離陸してから何度目の罵声だろう。モンシアの怒りと渾身の力で殴りつけた間仕切り板の残響音、既に彼の拳は腫れあがって痛々しいほどだ。だがそれを止めるはずの二人の表情には狼狽すら浮かんではいない、うつむいたまま何かを堪えるアデルに変わってとうとうベイトがモンシアの狼藉を止めに入った。
「やめろモンシア、これ以上は俺達にもどうする事もできん」
「 ―― てめえは涼しい顔でよくそんな事が言えるなっ、だからってこのままなンにもせずに黙って見てろってのか、あぁっ!? 」
ベイトの同情に対して向けられたのはモンシアの逆恨みにも似た抗議だった。ガツンと一歩目を床へと叩きつけてベイトへと身を乗り出すモンシアを押し留めようとアデルが身体を割り込ませる、しかし彼は痛む右手でそれを押しのけながら更にベイトへと身を乗り出した。
「頼むベイト、この通りだ。今からでも遅くねえ、戻って奴らにこの事を伝えて俺達の船へと連れて来ちまおう。ほんのすこし ―― 二三日でいい、あそこから匿うだけでいい、そうすりゃその間に」
「何が起こっても関係ないって、か? 」
懇願するモンシアの前でベイトがすっくと立ち上がるともう我慢できないとばかりに怒りの表情を突き付けた。
「てめえ今自分が何を言ってンのか分かってンのかっ!? てめえがやろうとしている事はな、立派な軍紀違反で味方に対する重大な妨害行為だっ! そんな事すりゃ俺達だけじゃなく艦の全員があらぬ疑いをかけられる事になるんだぞっ! そこらのガキじゃあるめえしそんな事も分かんねえのかっ!? 」
「だからどうだってンだっ! そんな事よりあいつらをみすみす失っちまう方がよっぽど重大事なんじゃねえのか? 俺達がそれぞれ一人づつ墜とされた ―― そんな奴らが殺されちまうのをこのまンま見過ごせって、てめえの正義はあの日の宇宙に置き去りかっ! 」
「失うとか殺されるとか推測で寝ごと言ってンじゃねえ、まだどっかの部隊がカリフォルニアの沿岸に拠点を築いたって情報だけじゃねえか。まだ連中の目標がオークリーと決まった訳じゃ ―― 」
「じゃあなんでうちの大将はあんな武器を俺達に預けてここに寄越したんだよっ! ここが目標だからって分かってンじゃねえのかっ!? 」
どれをとっても今の時点では推測の域を出ないというのは当人達がよく知っている。平行線の議論に業を煮やしたモンシアは再び間仕切りの壁を痛む右手で力いっぱい殴りつけた。
「畜生、どこまでうちの大将は情報を掴ンでんだ。せめて奴らの戦力さえ分かればもっと他のやり方を思い付いたかも知ンないのによ、これじゃあ一体俺達ァ何しに来たのか分かんねえ」
「いえ、少なくとも彼らが今の自分達と十分に渡り合えるだけの能力を持ったパイロットだと分かった ―― それで充分じゃないですか。彼らの力ならばたとえティターンズの精鋭が来たとしても十分に渡り合えます、それに持ちこたえられれば親基地のキャリフォルニアから後詰めの部隊も来るでしょう。籠城戦に持ち込めば必ず何とかなります」
「てめえもあそこを見て分かったろ? あんなだだっ広い荒れ地のど真ん中でどうやって全周防御の砦を築こうってンだ、おまけに落着したコロニーの衝撃波で細かいアンジュレーションが出来てて遠くを見通す事もままならねえ。どでかい壁を立てたとしても気がついた時にゃ敵に懐を取られてる、戦術的にも戦略的にもあそこは俺から見ても最ッ低の土地なんだよ」
「それも含めて地の利は彼らにあります。攻城戦の常識とオークリーの戦力を考えれば二個小隊の戦力でもあそこは陥とせないでしょう。それにキースは私達の仲間で「不死身の第四小隊」の一員です、彼と彼の部下がむざむざと敵の手にかかるなんて自分には ―― 」
「 ―― アデル」
モンシアの気を取り直そうと捲し立てるアデルの言葉を遮るモンシアの声。彼は睨みつけていた壁から視線を外すと失望に塗れた虚ろな目でアデルを睨んだ。
「そんな「慣用句」に奴らの幸運を求めンじゃねえ。第一俺達の知る第四小隊はもう不死身じゃねえ、その銘を持ってた俺達の上官はな ―― 」
自分の手が届かない場所で死んでしまった恩人、そして彼らに全てを叩きこんでこの世を去った尊敬すべき上司。戦争が彼らに求めた代償はあまりに大きく、深く抉られた心の傷にアデルはそれ以上の言葉を失い、ベイトはじっと居住区の天井を見上げる。
「 ―― 宇宙のチリになって二階級特進だ、とっくの昔にな」
議論の余地はない、もうできる事は祈る事しかないのだとアデルは眼を閉じて首を垂れる。しかしモンシアはそれでもなお必死に絶望と抗う様に、今度は両腕で大きく隔壁を叩いてそのまま壁へと額を預けた。まるで祈る様なその姿の影から、ベイトとアデルは悔しそうに吐き捨てる彼の言葉を耳にした。
「くそっ、ウラキのバカ野郎めっ! 」