コウの家からの道すがらセシルはヘンケンと一言も口をきかなかった。宇宙での生活以来久しぶりに見せる彼女の苛立ちにヘンケンは内心驚きはしたが、こういう時の彼女の取り扱いもよく心得ている。家に着き、リビングのソファーに腰を落ち着けて頭を抱えるセシルの前でヘンケンはよく使い古したハンドミルでゆっくりとコーヒー豆を挽く。豆が砕けてすり潰される音が小さくなった頃には彼女はじっとヘンケンの手元を見つめるまでに回復していた。宇宙軍時代から自室で使っていたパーコレーターに粉を入れ、野戦用携帯コンロの火にかけるとコポコポと音がしてガラスのつまみの裏側に褐色の液体が跳ね上がる。
「 …… 何があった」
セシルのカップに淹れたてのコーヒーを注ぎながらヘンケンは静かにそう尋ねる。命令でもなく、質問でもない。静かに笑いながら彼女の自由意思に任せるその物言いと手の中にある温かさが彼女の心の中でわだかまる頑なな氷柱をあっという間に溶かしてしまう、そうしてセシルはいつもヘンケンに心の中の事を洗いざらいぶちまけてしまうのだ。
それが「スルガ」で共にコンビを組んで以来、事あるごとに艦長室で開かれた二人だけの極秘会合の始まりだった。
まるでコーヒーからたちのぼる湯気の様に一つの可能性が消えていく、ヘンケンの出した結論を耳にしたセシルは悔しさを露わにしながらじっとカップの縁を見つめていた。今晩の事を彼に話せばそうなる事は分かり切っていた、課せられた任務よりも人としての情を何よりも第一義に考えるヘンケンがコウの抱えた業を見過ごせる筈がない。ましてやそれが友人の事ならば、なおさら。
後悔しても始まらない、とセシルは未だに心根でわだかまったままの名残惜しさを胸の奥底へと沈めて鍵をかけた。ようやく冷静な副官としての顔を取り戻した彼女にヘンケンは穏やかに笑いながらぽつりと語り掛ける、それは彼がコウに対して心からそうあって欲しいと望む事だった。
「それでもウラキ君は必ず、いつか必ずまたモビルスーツに乗り込むさ。もちろん民生用のもっと簡単な工作機械であれば、と望むが」
まさか、と。セシルが語った今日の話の中で彼は建築用のパワーローダーにも乗れなかったではないか、その彼がどうやって無意識に起こる身体の変調を克服しようと言うのか?
「ならばなぜ彼は未だに機械から離れられずにいると思う? 退役軍人と違って彼は予備役だ、給料も他の兵士とそんなに変わらない額を貰っている。言っちゃあ何だがあんな年代物のバイクを買わなくてももっと新しくていい奴を変えるだけのご身分だ、それがどうして部品の一つにも事欠く様な代物を一生懸命手入れしてるんだと思う? 」
確かに。彼の乗っているバイクはまだ人類が地球と言う名の井戸の底から抜け出せない頃に作られた、いわば骨董品だ。今のバイクと比較しても何の遜色もない調子の良さでごまかされてはいるが、博物館に展示されている物を除けば恐らくこの世界でたった一台しか存在しないものだろう。現役当時のコンディションを維持していると言う事は彼の腕の確かさだけで成し遂げられるものではなく、セシルはそこに彼の機械に対する執念のような物すら感じるのだ。
「 ―― 彼は、機械が好きなんだ。そしてその思いの果てにモビルスーツがある」
「連邦屈指の二つ名を持つ彼が、ただの「機械好き」 …… 彼に殺された兵士が聞いたらさぞやいたたまれないでしょうね」
「それはモビルスーツを操縦する事から派生した悲劇的な結果に過ぎない。戦争と言う非日常が彼にそういう選択を強制したんだ …… 彼の苦悩は、そして矛盾は多分そこから始まっている様に俺は思う」
ヘンケンの言葉にセシルは眼を見開いた。戦争を生業とする自分のような職業軍人にとって自分達の棲む世界が「非日常」だとは考えもつかない、もちろんそれは戦争の中で名を上げたコウ・ウラキというパイロットも同じだと思い込んでいた。だがヘンケンの様に相手の立場に立ってほんの少し見方を変えるだけでこんなにも簡単に彼の抱える問題が浮き彫りになる。
「ウラキ君が抱えた「種」、それが一体どういう類の物なのか。お前の考える通りそれは彼の封じられた能力や主義主張にちなんだ物なのかもしれないし、あるいは全く別の物なのかもしれない。だがこれだけは俺ははっきりと言える ―― 彼はモビルスーツに乗る事を絶対に諦めない」
「中佐がそう言いきる根拠は? 」
定石や論理を思考の要に置く彼女にとってヘンケンの発想は実に新鮮で刺激的だ。まるで物語のラストシーンを心待ちにする少女のような眼で尋ねたセシルに向かってヘンケンは少し苦笑いを浮かべた。
「だって誰だって好きな物をそんなに簡単に諦められる訳がないじゃないか」
たとえて言うならそれは宇宙空間を突き進む戦艦の艦橋から突然海上のヨットへと居場所が変わった様な感覚、いくつもの情報を絶え間なく表示して全ての状況をリアルタイムで伝えてくれる様々な計器やパネルが一瞬で消え失せた様な心細さ。だがなぜだろう、それは案外悪くはない。不安と引き換えに得る清々しいまでの開放感がセシルの心に新しい風を吹き込む。
そう、そうよね、あなた。
セシルは心の底で密かにヘンケンへと呼びかけながら思わず笑った。物事を難しく複雑に考えるのもいい、でもこっちの方がもっといい。だって自分に置き換えれば、ほら。こんなにも分かりやすい。
好きなものを諦めるなんてできっこない。そうね、たとえばその人がどんなに鈍感で「やぼてん」な人だと知っていたとしても。
昨日までが嘘だったかのように目まぐるしく表情を変えるその背中が二人の笑顔を誘う。どんなに取り繕っても本心は隠しようがない、なぜなら彼はモビルスーツが好きだから。ヘンケンは普段のコウとは違う子供のような面影に満足な笑顔を、そしてセシルはその素顔を隠して全てを振り切ってでも自分の生き方を貫き通そうとする彼の不器用な生き方に呆れた様な笑顔を。だが二人はその心の底で同じ事を思う。
やはり彼をここに連れて来てよかったのだ。
昨日までの重苦しい過去を捨ててまた今日から新しい明日を始めればいい。人は何度でもやり直せる、それが許される生き物なのだから。そして今日のこの時が彼の未来を切り開く何かのきっかけになってくれれば。
笑顔の後ろでそう望むヘンケンとセシルの視線の先でコウは何も知らずに、ただひたすら忌み嫌っていたはずのオベリスクをキラキラと輝く瞳で瞬きもせずに見上げていた。
* * *
「どうやらあっちでもドンパチ始まった様だぜ、キース。助けに行かなくていいのか? ―― もっとも」
気合を入れてベイトがスロットルを押し上げる、パワーゲージは途端にミリタリーラインをゲインしてマックスへと手を伸ばす。ジェネレーターの唸りがコックピットを駆け巡ってヘルメット越しに耳をつんざく。
「行かしゃあしねえけどなあっ! 」
重量級のゲルググとは思えないほどの素早い踏み込みは白兵戦に長けたベイトのスキルによる物だ、普通の兵士が最大出力で同じ事をすれば敵の懐どころかどこに飛んでいくか分からない。彼は持ち前のペダル操作の正確さで一瞬にしてキースのジムの懐へと飛び込んだ。まるで縮地のような突撃に後方へ飛んで距離を確保しようとするジムだがその隙間さえも埋め尽くすベイト、しかし多くの敵を屠ってきたその技から繰り出された模擬刀の先端をジムは肩口で受け止めて身体を反転させる。
「! 左手一本捨てて躱すか!? 」
ピポットターンでベイトの傍をすり抜けるジムの頭部が妖しく光る、予測された動きに追随するメインカメラが確実にゲルググの姿を捉えている。通りすがる一瞬からジムの次の狙いを読み取ったベイトは上体をダッキングさせて脚部を反転させる、そのすぐ上を敵の刃が通過した事を知らせる接近警報がけたたましい勢いで狭い空間を埋め尽くした。
「やるなぁ、今ので仕留められなかったのはお前も含めて何人もいねえ。どういう訓練を続けてきたかは知らねえが ―― いや」
振り向きざまに薙ぎ払った模擬刀をすぐ傍まで追い打ちに近づいていたジムの刀が受ける、手を読まれて足止めを食らったキースの機体がベイトの間合いを嫌って後ろへと飛び逃く。
「あの日の地獄がお前を変えた、新米少尉だったお前のスキルを歴戦の俺達のすぐ傍まで押し上げた。つまりはそれがお前の本当の力だったって事か」
モニターの中心に青く光るメインカメラの輝きを追ってベイトが呟く。右手一本に携えた模擬刀の切っ先を突き付けるジムの戦意は明らか、恐怖や不利に屈しないその態度に彼は会心の笑みを浮かべる。
「そうだキース、とことんまでやろうぜ。それでこそ ―― 」
脇に刀を引きつけて半身で構えるゲルググ、吶喊一突の戦法は彼の命を支えた生命線だ。躱されておいそれと変える訳にはいかない、相手の喉笛を喰いちぎるまで、何度でも。
「俺達の仲間だっ! 」
パイロットの適性はそのままモビルスーツの戦術適性へと反映される、そういう意味ではアデリアは近接白兵戦闘を最も得意としていた。普段の演習は敵との遭遇戦を想定しているので主に中長距離での戦いになるのだが、たまに行われている近接戦闘訓練ではマークスはおろかキースにも後れをとった事はない。ならばなぜ今までキースに負け続けたのかと言う事になるのだがこれは至極簡単な理屈である、そういう相手は近寄ってくる前に墜としてしまえば、いい。
「くっそっ、さすがは歴戦の撃墜王ね。絶対にこの距離を不得意にしてる筈なのに」
歯を食いしばってアデリアがモニターで大写しになるゲルググへと食い下がろうとする、彼女から見ればその体さばきや模擬刀の使い方からモンシアがこの距離を苦手にしている事がありありと分かる。だが彼の機体は持ち前のパワーと機動力で縦横無尽に動き回り、自分と相手を常に一対一の状態に持ちこんでいる。何とか二機同時に攻撃できる機会を演出しようとするアデリアだったが不慣れな戦いに巻き込まれているのはマークスのザクも同じだ、モンシアの攻撃から彼を護りながら仕留めるには力の差が大き過ぎた。
「 ” ほらほら嬢ちゃん、相棒をこのまま俺の傍に置いといていいのかっ!? もたもたしてっと ―― ” 」
「うっさい、エロおやじィっ! 」
モンシアの刃を何とか受け止めたマークスのザクを庇う様にアデリアの機体が間に割り込む。二人の位置の出し引きのタイミングは絶妙でモンシアはそれで何度もひやりとさせられたが、タイミングが分かってしまえばあとはそれを利用すればいい。鍔迫り合いで一瞬のこう着を狙ったアデリアを嘲笑う様にモンシアは機体を後ろにずらして間合いを離す、未来予想を外された彼女に生まれた一瞬の思考の空白をついてゲルググは一気に彼女の機体の背後へと回り込んだ。そこには女に護られてのうのうと生き延びようとするもう一機のザクが油断満載で体勢を整えようとしているはず。
「女のケツに隠れて生き延びようってか? そんな腑抜けはここからすぐに出ていきなっ! 」
虚を突かれてうろたえているザクに向かって一閃、その刃は確実に胸の真ん中にあるコックピット前面装甲を直撃する ―― はずだった。だがあろう事かマークスのザクは模擬刀を前にかざしてモンシアの渾身の一撃をすんでの所で防ぎきる、いや違う。これは完全に嵌められた。
「にゃろ、小生意気に小細工なんかしやがってっ! 」
動きが止まった所へアデリアの攻撃、迷いのない剣閃がモンシアへと迫る。二機を相手にする状況へと誘い込まれた彼はそれを回避するために敢えてマークスのザクをフルパワーで押し返す、ぐらりと体勢を崩した瞬間にモンシアは脇を掠めてアデリアの背後へとすり抜けた。空振りするアデリアを尻目に再び体勢を立て直して二機へと向き直るモンシア、しかしその表情からはすっかり余裕がなくなっている。
「くそっ、ニナさんめ。冗談抜きでヤバいぜ、こりゃ」
徐々に自分の機動に二人が追いつき始めている、それが二人の実力ではなく彼女が組んだプログラムによる物だと言う事はモンシアだけが知っている事実だ。理屈では起動ディスクさえ健在ならば戦闘経験がそのまま機体に反映されて徐々にレベルが上がっていくのだが、それは一度基地へと帰投して全てのシステムを再チェックしてからの事になる。しかしニナが考えたプログラムはそんなまだるっこしい事を必要としない、リアルタイムでシステムを更新し続けているのだ。戦いが長引けば長引くほど相手の手の内を読みとった機体は成長し、そしてその流れの中で相手を凌駕して撃破する。
「こんな物が普通に世間に出まわったんじゃあ撃墜王も商売あがったりだ、それこそ戦場での戦い方が変わっちまう」
このシステムが標準装備された未来へと思いを馳せたモンシアの背筋に冷たい物がつっと走る。もしこの戦いが本物で彼らが本当に敵だったとしたらモンシアはどうしなければならないか、彼に許される選択は今後の憂いを立つ為の完全撃破、敵の素性や事情に関わらずの絶対の死。万が一にも生き残ってしまえば敵はこの戦いでの経験値を繰り越して再びモンシアの前へと姿を現す、そして更なる強敵となって彼の命を強烈に脅かす存在となるのだ。生き延びるための戦いが無意味となり殺す為の戦いが絶対要件となる、そんなストレスに一体何人の兵士が耐えられると言うのか?
またしても彼女が戦争を変えようとしている ―― そんな苦い思いがモンシアの脳裏をよぎる。ガンダムしかり、このシステムしかり。コケティッシュな美貌や見た目とは裏腹な冷酷極まる創造力とそれを実現してしまう能力、目的の為には未来を省みない想像力の欠如は一介のSEの物とは思えない。むしろこのモビルスーツと言う物を開発した科学者に匹敵する能力を有しているのではとさえモンシアには思える。
「だが今度は負ける訳にゃあいかねえ、少なくともニナさんのお勧め品にゃあよ」
決して彼女を否定している訳ではない。少なくとも今の連中にはこのシステムが必要なのだと心の底にある小さなしこりがモンシアにそう言い聞かせる。彼らが生き残るためにそれが必要ならばそれはそれでも構わない、しかしまだ自分は負ける訳にはいかない。
―― 俺に出来る事は今日の内に全部、連中に教えておきてぇ。
自分のザクⅡと大尉のゲルググでは性能比は明らかだ。演習前のブリーフィングでベイト大尉が言っていた「決して俺達の乗るゲルググが全ての点でザクより上回っている訳ではない」と言う言葉は、嘘か真か?
ある、たった一つだけ。
それは一歩目のスタートダッシュ。
重量級のゲルググが二足歩行で接近戦を戦うにはその巨体がネックとなる、これはその開発コンセプトがもともと重力下使用を想定していなかった事に起因する。ゆえに重力下戦闘の際にはさっき大尉が行った様に脚部のジェットをドムの様にホバーとして使用するのが基本だが、脚部スラスターがこれだけの重量を接地面から浮かせて移動するにはある程度のパワーゲインが必要になる ―― 飛行機の離陸と同じ理屈だ。反面ザクは一年戦争前に設計された機体でそう言った先進機能が何もない、ないから重力下戦闘には一日の長がある。自重と重力を味方につけた走行摩擦は比較的軽量な装甲とも相まって機体をゲルググよりも早くトップスピードへと持ち込む事が出来る。
「 ” アデリア、来るぞ。今度は仕止める ” 」
「了解っ! 」
操縦桿から手を離したアデリアが気合い一発両腿を思いっきり叩いて渇を入れる、ギンと睨みつけるモニターの先には殺気に満ち溢れるモンシアのゲルググが既に宙へと身体を浮かせていた。遮蔽物のない空間を十二分に活用しての高機動攻撃、追いかけたら相手の思うつぼだ。敵の狙いを予想して仕留めるまでのプロセスを完全に組み上げて実行する、大尉の狙いは自分を墜とすと見せかけてのマークス機狙い。
「さあ来いっ! 今度こそぎゃふんと言わせてやるっ! 」
小さくフットペダルを踏み変えながら左右の揺さぶりを続けていたモンシアが意を決して機体を横へと滑らせる、アデリアとマークスを中心に回り込む様な動きを見せたゲルググは徐々にその半径を縮め始めた。背中合わせで迎え撃つ二機はモンシアとの間合いを計りながら僅かに旋回方向とは反対回りに位置を変える、モンシアの攻撃のタイミングを少しでも狂わそうと言う狙いなのだが彼の動体視力はそんな事ではごまかせない。何度目かの出し引きを繰り返して二機の防御のバランスが乱れたその瞬間にモンシアはバックパックのスラスターに火を入れて一気にアデリアの眼前へと躍り出た。斜め方向から慣性を纏っての突撃は受けたアデリアの機体を大きく弾いて退かせる、モンシアの眼前には完全に虚を突かれたマークス機の背中が露わになった。
「! 一機目っ! 」
勝利を確信したモンシアがアデリアを跳ね飛ばした刀をマークス機の背中に向かって振り上げる、マニピュレーターのレバーを前に倒すだけで彼の機体は背面のエネルギー供給ラインを絶たれて大破認定確実。それは後ほんの一秒足らずで起こる ―― モンシアにとっては今まで何度も繰り返したお決まりの作業、しかし。
「 ―― なにっ!? 」
それはモンシアにとって信じられない光景だった。その刹那に近い時間の中で動き始めるバックパック、素早い足の組み替えによる重力下での超信地旋回。おまけにザクのアイカメラは赤い光を妖しく放ちながら確実にモンシアの姿を捉えている。ためらう事なく振り込んだモンシアの模擬刀がマークス機の纏った旋回力で掌から弾け飛んだ。
「ちいっ! 予備兵装っ! 」
反対側の腰にあるハードポイントから予備のビームサーベルを抜こうとするモンシア、だがその動きをけん制する様に次の一撃がモンシアの腕へと迫る。何とか阻止しようと空いている左腕に仕込まれたマシンガンで牽制しようとする彼の思惑を嘲笑う様に、ザクは一瞬で体勢を落としてその手を刀で跳ね上げた。
「どういうこったっ!? こりゃあ ―― 」
そんな馬鹿な、いくら彼女のプログラムが優れていると言ってもここまで本気になった俺の動きに対応できる筈がない。それに俺の手の内が完全に坊主に読み切られている、これじゃあまるで ―― 。
使用不能となった左腕の被弾表示へと視線を向けて、そしてモンシアはそれが実現可能となる一つの手段に気が付いた。歴戦のエース部隊をここまでたぶらかす事の出来る戦術、そして周到に仕掛けられた罠の存在。ぎこちない動きも自分の攻撃を受けてうろたえる様も。
全てはこの瞬間の為だったというのか!?
「てめえキースっ! まさか乗り換えてやがったのかっ!? 」
「さすがだ中尉、気がついたか。だがもう遅い」
モニターの明かりに照らされながらキースがにやりと笑って、がら空きになったゲルググのコックピットのある胸部装甲を睨みつけた。
「ちょっと待て!? じゃあ俺が今まで相手してたのは ―― 」
モンシアの通信を耳にしたベイトは愕然として目の前にいるジムを見つめた。自分が放つ必殺の一撃を何度もやり過ごしていまだ健在なその機体を操っているのがあの色違いの瞳を持つ新米軍曹だとは考えも及ばない、混乱する思考がもたらす一瞬の隙はマークスにとっての好機だ。片手一本で脇に引き付けた模擬刀をしっかりと抱えて彼は思いっきりフットペダルを踏み込んだ。
「そう、この僕です。大尉っ! 」
脚部のジョイントを限界まで使ってマークスのジムはベイトとの距離を一気に詰めた。今教わったばかりの吶喊一突、その切っ先がよろける彼のゲルググへとひた走る。
動きを止められたモンシアが体勢を立て直すために再びホバー機能を作動させる。もともとその機能が標準装備されているドムとは違ってその操作は酷くデリケートだが、並みの兵士ならば幾許かの時を要するそのセッティングを果たしてモンシアはあっという間に成し遂げた。機体が浮いた事を確認する間もなくモンシアはゲルググを後退させようとする、しかしそれがキースが目論んだ罠の最後の仕上げだった。
「アデリア、行けっ! 」
二機の横合いで距離をとっていたアデリアの存在をモンシアが気づいていない訳がない、しかし対峙した相手がキースであったと言うショックと混乱が彼に隙を呼び寄せた。加えて最も近い距離にいるのが相手のエース機であると言う状況はモンシアに判断を誤らせる、反射的に真後ろへと機体を下がらせた事はすなわち敵の攻撃機であるアデリアとの距離が変わらないと言う事。コンマ何秒かのミスが命に関わると言う事を身にしみて分かっていながらモンシアは自分が致命的なミスを犯したと言う事をアデリアの咆哮を耳にして知った。
「うおおおおおっっ! 」
腹の底から発する気合と共に全力突撃を敢行するアデリア、鍛え抜かれた男勝りの脚力がフットペダルを床まで踏み込んでバックパックの推進剤を全て使い切るほどの炎が尾の様に伸びてたなびく。劣勢を悟ったモンシアが一縷の望みを賭けて左腰のハードポイントから予備の模擬刀を逆手で抜きながらアデリアとの時間を稼ごうと試みるが、それには失った左手とその他すべての要素が足りなかった。あっという間に詰められる間合いは回避の選択を塗りつぶしてモンシアに有無を言わさぬ白兵戦を要求する。
「おもしれえ、このモンシア様に一対一の勝負を挑むたぁいい度胸だ。だが見くびってもらっちゃあ困る ―― 」
逆手に抜いた刀があわやの所でアデリアの得物と激突した。自重の差で軽量なザクの突進はいとも容易く阻止される。
「こっちも引き出しはまだ空じゃねえっ! 」
モニターいっぱいに広がるゲルググの影以上に大きな圧力、そして殺気。まるで搭乗者の意思を具現化する様な強いオーラがアデリアの肌を粟立たせて震えを呼び覚ます。
これが、撃墜王。
戦いの流れの中でアデリアは自分の方に利がある事を悟っている、しかしその分析を全く反古にしてしまう気迫がアデリアの闘志を侵食する。己を奮い立たせようと言う意思以上にそれは激しく、そして強くアデリアに訴えかけて来るのだ。
お前が、俺に勝てるのか、と。
「 ―― っ! 負けるモンかっ! ここで負けたら一人で頑張ってるマークスに」
顔向けできない。あたしがこいつを墜とさなければみんなが殺られる。軍隊なんて嫌いだ、戦争なんてもっと嫌いだ。でもみんなを守れなければあたしはあたしを嫌いになる。
「そんなの、ダメっ!! 」
弾かれた刃を再び身体の正面に翳して前へと。踏みしめた床が彼女の気概を示す様に大きな音を立てて波紋を広げる。まるで刺し違えようとでもするアデリアの決意にモンシアは不敵な笑みを浮かべて迎え入れる。
「そうだっ! それでこそだ! 」
戦いの醍醐味、心と命の削り合い。俺がお前達にただ求め、俺がお前達に伝えるべきただ一つの。
弾ける火花は二つの正義の凌ぎ合いだと。勝ち負けなど論外だ、ただそこに生き残った者こそが次の正義を名乗れるのだと。その為に目の前の敵を沈めろ、蹂躙しろ、二度と立ち上がれなくなるまで徹底的に。
体勢を崩したザクに向かって情け容赦のない一閃、しかしアデリアはそれさえも受け切って再び前へと。狭い範囲でのラピッドムーブを使った小半径旋回で背後を伺うがアデリアは怯まない、キースもかくやと思えるほどの信地旋回でモンシアの前から正面を外さない。
「 ―― 間合いをっ! 」
「終わりだ嬢ちゃんっ! 」
降り注ぐ剣閃を振り払いながら致死の間合いへと足を踏み入れたアデリアを袈裟に薙ぎ払うモンシアの一刀には己の経験と誇りを賭けた重みがある、コマ送りの様にモニターへと迫る白灰色の鈍い光がアデリアの網膜から脳へと伝わる。敗北の予感、死への恐怖。
「まだあっ! 」
何もかもを弾き返すアデリアの咆哮、振り下ろされる負けを睨みつける鳶色が閃光を放つ。回避か防御か、その選択すらもあやふやな状態で咄嗟に彼女はマニピュレーターを指先で弾く。そこから始まる一連のコマンドが手繰り寄せられる記憶の様に次々と彼女の四肢をコンマ秒の単位で順序よく動かした。入力が完成した瞬間に発生する機動はアデルの弾を背中越しに避けた偶然、ザクの身体が軸足を起点に半身になってモンシアのゲルググから僅かに芯を逸らす。
「しょおっ! 」
気合一閃ダンパーを落として下半身を地面すれすれへと、転倒の危険を知らせるオートバランサーの叫びを無視して彼女はそのまま左足のコントロールをカットする。捻りの力を乗せた左足が鞭の様にしなって鉄の床を滑り込む、金属の放つ悲鳴と火花が弧を描いてゲルググの左足へと襲いかかった。
「! なんだとおっ!? 」
渾身の袈裟斬りで重心を左足へと置いていたゲルググに彼女の水面蹴りを躱す術はない。脚部スカートを破壊するその勢いは宙に浮いていたゲルググのバランスをいとも簡単に崩して天を向かせた。轟音と長年積もった砂埃がモニターの視界を奪う、緊急時に発生するハーネスの緊迫とHANSの微細振動で我に返ったモンシアに叩きつけられる切っ先。
ゴオン、という鈍い響きと共にコックピットの電源の全てが喪失した。ほんの僅かな空白の後に正面のモニターに点灯する『YOU LOSE』の赤い文字に目を瞬かせるモンシア、彼女が間髪をいれず止めを刺しに来た事を知った彼はほんの少しほっとした顔を浮かべた。
「 …… こんなこたぁ初めてだ。ウラキの野郎にもここまではやられなかったのによ」
荒い息使いだけが耳に残る。
それが自分だと分かるまでにほんの少しの時間が必要だった。目の前に突き立てられた模擬刀は確かに自分の物、足元に倒れたゲルググのコックピット装甲を抑え込んだまま動けない。現実と夢の境界をさまよいながらそれでもアデリアは自分が今何をしたのか、何をやり遂げたのかを瞬き二回で思い出す。
「か、勝ったの …… ? 」
それでもまだ信じられない。大尉は最後の瞬間に撃墜王としての全てのプライドを叩きつけてきた、あたしはその時一体どうやってそれに立ち向かっていったの?
「 ” 降参だ、伍長 ” 」
機体同士が接触した事によって開かれた回線からモンシアの声が流れて来る。足元で眠るゲルググの姿よりも、目の前で小さく点滅する『Good kill』の文字よりも彼に初めて『伍長』と呼ばれたその声がアデリアに現実を受け入れさせた。頭の芯がジン、と痺れて胸の奥に熱い物が込み上げ、それがたちまち塊となって口から大きな溜息となって零れ落ちる。
「ありがとうございますこのエロ …… じゃなかった大尉殿」
「 ” ケッ、上官に向かって何て言い草だ全く。止めまできっちり刺した事は褒めてやる、ウラキの野郎にゃできなかった事だ ” 」
「! 大尉は昔伍長とこういう模擬戦をした事があるんですか!? 」
自分との比較に零れた思いがけないその名にアデリアは驚いて敬語を使う事すら忘れた。忌々しそうに吐き捨てるその口調とハンガーでの講義の最中に頭の上で繰り広げられた騒ぎから、彼と伍長がどんな関係だったかというのがなんとなく分かる。
「 ” ああ、もうずいぶんと前の話だ。野郎がまだ新米少尉だった頃にな …… 俺が撃破されたのは後にも先にも野郎と伍長の二人だけだ、これからもその調子でがンばンな ” 」
先って、次は死んじゃうジャン? と心の中でモンシアの言葉尻を咎めながらアデリアは彼から褒められた事に笑顔を浮かべる。ありがとうございます、と今までのわだかまりを忘れて心の底からお礼を言おうとしたアデリアの機先を制する様にモンシアが呟いた。
「 ” おお、そういや俺を斃した褒美と言っちゃあ何だが、もう一個、伍長に大切な事をおしえてやる ” 」
「ほ、ほんとですか? 」
仮にも一年戦争を生き抜いて撃墜王の称号を持つパイロットからその心構えを聞ける機会なんてここにはない。思わずコックピットから身を乗り出してモニターに横たわるゲルググへと目を向けた彼女は期待にその瞳を輝かせて耳を澄ませる、しかしそこへと飛び込んで来たのは ―― 。
「ひえっ! ろ、ロックオン警報っ!? 」
躱す暇もなく次々に叩きつけられるペイント弾がアデリアの機体の左半身をくまなく染め上げる。断続的な衝撃と共に途絶える電源と撃破を示す赤い文字を呆然と眺める彼女に笑いを噛み殺したモンシアの声が届いた。
「 ” モビルスーツパイロットが最も隙だらけになるのは強敵との戦いに勝った瞬間だ。自分のねぐらに無事帰投するまでが戦闘、生き延びたかったらそこンとこをよーっく肝に命じておきな ” 」
「はあっ!? 何をいまさら上から目線でっ! そういう大事な事はもっと早く言っとけってのっ! この ―― 」
左足の不自由なアデリアのザクが電源をカットされれば後はもう転倒しかない。最後の罵声を伝える事なくグラリと上体を揺らしてそのまま床へと転がる轟音と震動だけがコックピットの中で笑顔を消したモンシアに届いた。
「さ、キース。後はお前の師匠とのタイマンだ。アデルとお前じゃどう考えたって格が違う、そしてお前の手元にゃ銃がない。結果は …… 知れてる」
ぽつりとそう呟くと彼は胸ポケットから細長いプラスティックケースを取り出した。蓋を外して頭だけが出た細身の葉巻を抜き取ると端をツールナイフで器用に斬り飛ばして口へと咥える、一緒に同封された細長いマッチを天井のパネルへと押し当てると彼は一気に擦り上げた。
暗闇を仄かなマッチの明かりが照らす、この時代では貴重品とも言える最高級品のコイーバの先端へとその炎を近づけると真黒な正面のモニターに自分の顔が映った。ほんの少しじっとその顔を眺めたモンシアは苦々しい目を向けながら話しかける。
「何て顔してやがる」
葉巻に火を灯してマッチを振ると再び暗闇が彼を包み込む、モンシアは大きく一口を吸って吐き出すとおもむろに頭を抱えてパネルへとうなだれた。汚染された空気をろ過する清浄機のファンが回り出す、まるでそれを誰かの声と重ねる様に彼は頭を振り、今まで苛まれ続けた心情を吐き出した。
「俺ァ …… いったいどうすりゃいいんスかねぇ、大尉」
* * *
白熱した戦いは午後も含めて六回戦にも及び、しかしながらオークリー組が勝利する事は一度もなかった。しかし回が進むにつれて複雑になる内容と高度な展開は好事家と呼ばれる人種のみならず普通の観衆をも魅了し、そこに居合わせたコウの存在が更なる熱狂を呼びこんだ。双眼鏡を眺めながら隣にいるヘンケンとセシルに今後の展開を予想していたコウの言葉を小耳にはさんだ普通の人達がまるで足元へと寄り添う様に三人の元へと近づき、同じ様に双眼鏡を目に押し当てて塔の内外で行われる戦いの一部始終を理解した。その噂と光景を耳目に集めた周りの人々は先を争ってコウの元へと集まって来たのだ。
それでも彼らの多くはコウと同じ組合に属する農夫でありその家族であり、従って彼の人となりをよく知る彼らはできるだけコウの邪魔をしない様に黙って耳をそばだてているに留まった。一試合が終わってコウが双眼鏡を降ろした時には三人を中心に人の輪が出来上がっているというありさまで、これにはさすがのコウも驚きを隠せなかった。
「なに、今考えればそれも彼が持つ本来の仁徳だったんだろう。彼自身がたとえみんなを拒んでもみんながそれを許さない、そういうカリスマ性は二つ名を貰う以前に持って生まれた彼の本質なのさ」
とは後にラーディッシュの艦橋で非公式に取材を受けたヘンケンの述懐である。遠い目で艦橋の窓から星星を眺めながら彼はどこか嬉しそうな目でそう呟いたと言う事を取材した記者は自分の友人に語っている。
徐々にその力を増すオークリー組の奮戦とコウの解説 ―― とは言え余りの人の多さに驚いたコウの声のトーンが下がって拡声機の役割を隣のヘンケンが請け負う始末ではあったが ―― によって盛り上がった観客は味方に届けとあらんばかりに大声を上げ、届くはずの無い声援に後押しされる様に彼らはティターンズのエース部隊と渡り合う。拮抗し始めた力はやがて戦域を狭いオベリスク内より外へと拡大し誰の目にも勝敗が分かる荒野での戦闘へと移行する、味方がやられた瞬間にはそこで観戦する全員が立てた親指を地面へと向けてブーイングを発するまでになっていた。
祭りは日没を迎える前に撤収の運びとなった。オークリー組の0勝6敗、しかしその六回の間に敵機を三機撃破。こんな辺境のモビルスーツ隊の意外な活躍に観客はすっかり満足し、口々に思い思いの感想を語り合いながら家路へと急いでいる。周囲の人からお礼を述べられたコウが気恥ずかしそうに会釈を返す様をヘンケンとセシルは黙って見守っている。
「 ―― 今日は誘っていただいて本当にありがとうございます …… 本当に、楽しかった」
オレンジ色の夕日に横顔を染めてコウが笑顔で頭を下げた。彼がこうなる以前にはきっとそんな顔を持っていたのだろうという晴れやかさに満足と切なさを同居させたヘンケンが、しかしそんな事をおくびにも出さずにゆっくりとコウの元へと歩を進めた。
「もう君が「あれ」に二度と乗れない事も忘れてか? 」
それはセシルしか知らないコウの致命傷、しかしヘンケンはあえて彼を試す様に尋ねた。心に負った傷が深いからと言ってまるで腫れ物に触る様な行為はかえって失礼だ、それを共有し理解する事によって他人との関わりをより深く掘り下げる事が出来るとヘンケンは信じている。ヘンケンの言葉を受けたコウは確かに一瞬眉をひそめはしたが果たしてそのまま自分の殻へと閉じこもりはしなかった。借りた双眼鏡をそっとヘンケンに手渡すと、何かを思い出す様に西日に影を落とすオベリスクを見上げた。
「子供の頃を思い出しました、親父に連れられて地元の基地際に行った時の事。まだモビルスーツなんか影も形もなくて戦闘機のアクロバット飛行やいろんな出店とかたくさんあって。ちっちゃなお祭りでしたけどそれでも歩きまわって空を飛びまわる戦闘機を見るのがすごく楽しくて …… 乗れなくても見たいのはあの頃も今もそんなに変わりないんですね」
「そうか、ならよかった」
色々な意味でそれがヘンケンの本心だった。自分が諦めた彼の未来を占う為の今日の賭けはどうやら勝ちに傾いたようだと眼を伏せたヘンケンが鼻筋を掻きながら思う。平和な世界で自分達が壊す未来の後始末を請け負う彼の姿を想像しながら、それでも必死で生きようとしている今の農夫の姿と重ね合わせてヘンケンはコウの未来に希望が満ち溢れている事を心のどこかで祈っている。
「そう言ってもらえると俺も誘った甲斐があるってモンだ ―― 実を言うとな、もし断られても首に縄ぁつけて引きずって来いってセシルに脅されたんだぜ? 旦那に向かって犯罪を強要する家内ってどう思うよ? 」
「あなた」
背後でヘンケンに呼びかけるセシルの声はにこやかだが異様な数の刺が混じっていた。ひっと首をすくめたヘンケンがそっと背後を伺うと、彼女は地面に敷いたシートを小さく折り畳みながら不吉な笑顔でじっと二人を見上げている。
「さあ片づけを手伝って下さいな。もし手伝っていただけないのならあなたもこのシートみたいにきれいに折り畳んで車の荷台に投げ込みますよ? 」
* * *
宵闇の中を駐機場から離れた「ヘリオス13」は夜間照明の林の中をゆっくりとハンガーに向かって動き出す。帰隊時刻をとっくに過ぎたと言うのに一向に音沙汰がない三人に業を煮やした機長が実力行使に打って出たのだ。ジャブロー本部から派遣された機体がタービンを回して誘導路をこちらへと向かって来る姿をはらはらしながら見つめるオークリーの兵士達の心配をよそに、ベイト達はウェブナーとの挨拶を済ませて管制塔のある建物から出て来たばかりだった。「空軍の連中は融通が利かねえな、ったく」とぼやきながら兵士達が整列する前へと歩を進めた三人はそこで肩を並べて先頭に立つキースと向きあって敬礼を交わした。
「ではこれにて任務を終了する。第三軌道艦隊旗艦「オラシオン」所属、ベイト以下三名は現刻を持って原隊へと帰投、本日の任務遂行に際しての多大な協力と配慮に感謝する」
「こちらこそ貴重なお時間を割いての来訪と貴重なご教授、本当にありがとうございました。一同を代表して当基地モビルスーツ隊の隊長である私から、お三方に感謝の意を表します」
言葉が終ると同時に全ての隊員が一斉に直立不動となって右手を翳す、一糸乱れぬ見事な動きにベイトは感心して小さく頷いて表情を崩した。
「礼には及ばねえよ。それよりこんな所でどうやってあの二人をお前が育てたのかっていう事の方に俺は興味がある ―― ウラキよりもお前の方が隊長に向いてるってバニング大尉に言った俺の眼は正しかったって訳だ」
「そうだな、特に ―― 」
ベイトの隣に立つモンシアが突然列を離れてつかつかとアデリアの前へと歩み寄った。出会った時に見せたにやけ顔ではなく明らかに好意的な笑顔で近寄って来た事が逆にアデリアの警戒心を煽りたて、思わず後ずさりをした彼女に向かってモンシアはすっと右手を差し出した。
「キースの手助けがあったとはいえ正直ここまでやれるたぁ思わなかった、俺を墜とした時の気迫さえありゃそうそう死ぬ事ぁねえだろ。ま、戦争でも始まりゃ別だがな。 ―― あン時の手応え、忘れンじゃねえぞ」
思わぬ人物に褒められて眼をパチクリさせたままのアデリアに向かって尚も催促する様にモンシアが右手を小さく振ると、彼女はやっと我に返って ―― しかし何か裏があるんじゃないかと勘繰りながら恐る恐るその手を握った。
「あ、ありがとう、ございます。その …… モンシア大尉? 」
「それよりどうだい、伍長? 」
手を握った瞬間に変わった声音と表情にアデリアはひっと小さな声を上げた。
「これから俺達と一緒にラテンの港町でおしゃれなデートとしゃれこまねえか? 」
「 ―― やっぱりナンパかっ! このエロおやじっ!! 」
怒鳴ったアデリアが思いっきりモンシアの手を振り払う、しかし彼は彼女の邪険な態度に何の意も介さずにぐるりと回りを見回した。
「フォス伍長だけじゃねえ、もしお前達が希望するならここのモビルスーツ隊の全員を地球連邦軍本部第十四番デッキに入渠している艦隊旗艦へとご招待だ、もちろん他の連中も交代で見学がてら休暇に来るといい。こんな砂漠のど真ん中じゃ休みっつてもどこにも行けやしねえだろ? 」
モンシアの口から出た突然の申し出に居合わせた全員の口から思い思いの歓びが零れ出た。この基地に所属している隊員達は嘱託職員を除いて軍から何らかの制約を受けている、それが尉官階級とはいえ今最も強い勢力を誇るティターンズの所属軍人からお墨付きがいただけるとはありがたいことこの上ない。この機会を逃したらもしかして一生ここに軟禁されたままかもしれないと常日頃から思っている彼らにとってモンシアの申し出は天から垂らされた蜘蛛の糸の様に甘美で魅力的だ。
その喧騒があちこちに伝播する中、彼の申し出の矛盾に首を傾げたのはキースとモウラそしてニナの三人だった。この基地に拘束されている理由が誰よりも極秘で過酷な自分達がその契約を破ってここから出られるとは思えない、そして何よりその事をよく知っている彼らが自分達に対してそんな申し出をする事など考えられない事だ。
もしそうなったら自分達だけではない、彼らにだって咎が及ぶはずなのに。
呆然としてモンシアの表情を眺めていたキースはその違和感の正体を追って他の二人へと目を向けて思わず息を呑んだ。にこやかにアジテーションを続けているモンシアへと苦々しい表情を向けているベイトと沈痛な面持ちのアデル。モンシアの申し出が少なくとも三人合意の物ではないという事を悟った彼は一瞬目を閉じて次善策を求める為に深く思考を奔らせた。
どうすれば皆の先頭を走るモンシア大尉のこの申し出を断る事ができるのか?
「どうせミデアの腹ン中は空っぽだ、なんなら明日非番の奴からってえのはどうだ? もう帰隊時刻も過ぎちまってるしそんなに長くは待ってやれねえ、休みを満喫する決心のついた奴からどんどんミデアに乗り込んじまいな。着替えや身の回りの物なんざジャブローに腐るほど溜めてあるから心配すンな ―― 」
「モンシア大尉」
捲し立てるモンシアに向かってキースは厳しい表情を向けた。彼はほんの少し不愉快な表情と焦りの色を湛えた眼で振り返って煽るのを止めた。
「大尉のお申し出は我々にとって身に余る光栄だとは思いますが、この件はウェブナー司令も恐らくご存じない提案だとお見受けしました。もしそれが実現するのでしたら第三軌道艦隊司令の命で正式に当基地司令に通達されるというのが筋ではないかと思うのですが」
「ったく硬え事言ってんじゃねえ、そんなの明日でもいいじゃねえか。だいたいあんなお役所連中の手続きを待ってたらここの基地の全員がアカプルコの夜を満喫する頃にゃあ白髪になっちまわぁ、善は急げって言葉、知らねえか? 」
「ですがいきなり今日にここを出立するというのは当基地先任の立場に置いて納得できかねます。ここは後日、せめて艦隊司令からの許可をウェブナー司令へと伝えて頂いてから計画的に話を進める方が ―― 」
「今日じゃなきゃだめなんでぇっ!! 」
焦りを怒りに変えて爆発するモンシアの怒鳴り声。しかし今まで見た事もないその顔と声に戸惑いながらも冷静沈着な居住まいを崩さず、彼の豹変ぶりの原因は何なのかを暗に問いかけるキースの眼。モンシアはまるでその追求から逃れる様に背を向けると「ちっ、勝手にしろっ」と毒づいて皆の前から離れた。
「すまなかったなキース、こいつの思いつきでどうやらお前達を困らせてしまった様だ。「オラシオン」モビルスーツ隊の隊長として今の件について謝罪する、許してくれ」
モンシアの態度に釈然としない表情を浮かべたキースに向かって、ベイトが仲間の落ち度を庇うように頭を下げた。昔のような三人のチームワーク? ―― いや違う。少なくともアルビオンで共に戦った彼らはそれぞれが独立していて自分の力を思うがままに行使する事でチームとして構築されていた、こんな風に相手を庇ったり思いやったりする必要がないほどに。
「頭を上げて下さい大尉、こちらこそそちらのご希望に添えずに申し訳ありません。ただあまりにも唐突な提案でしたので ―― 」
「今の件はお前の言う通り、艦隊司令に掛け合って必ず実現する様に努力してみる。実を言うと俺もお前達を俺達の船や部下に会わせたくてしょうがないんだ、今度はアマゾンの密林で模擬戦、なんてのはどうだ? 」
キースの言葉を遮ってベイトが告げる、片目をつぶって差し出される手を握ったキースはそこに籠められた力に驚き、そして言外にある忠告を悟った。
―― これ以上何も言うなと。
「それに私は軍曹が気になります。貴方が中盤で頑張ったお陰で午後の作戦の大半は私達が想定した終了時間を大幅に越えてしまった、模擬戦の勝利条件が殲滅でなく時間制限を設けられていたのなら後半の戦闘は全部引き分けです。インターセプタ―としての貴方の才能は目を見張るものがあると私は思います」
何食わぬ顔でマークスの元へと歩み寄るアデルにしても同様だ。言葉では気づかぬが通りすがりにキースへと向けられた視線には戦場で何度も見た暗い光がある。あの地獄の最中で生死を共有した仲間内での意思を確認したキースは背後の全員に気取られない様に眉根を寄せると微かに引き締まった表情をベイトへと向けた。
「できれば私達の隊に迎えたいくらいだ ―― 貴方がティターンズに参画する意思があれば、ですが。その調子でこれからもがんばってください」
いつも一気に押し切られた印象しかなかったマークスは思わぬ賛辞を受けて驚いた。最後の一言はこの基地から出る事が出来ない自分に対する社交辞令かとも思ったが差し出された手を握り締めた時に初めて彼の言葉がお世辞ではなく本心から出ている事に気づく。少し照れくさそうに笑ってアデルの手を小さく振る彼の肩を隣のアデリアが誇らしげな笑顔を浮かべて小さく叩いた。
「おい、もう帰る時間だとよ」
背を向けたままのモンシアがその先で待機しているミデアのコンテナを眺めながら不機嫌な声で告げた。チカチカと点滅するハンドライトのモールスを横目で眺めながらベイトはチッと舌打ちした。
「ったく本部の連中はどいつもこいつも空気ってものが読めねえ。いいかキース、くれぐれも言っとくがまかり間違っても絶対にジャブローなんかを希望すンじゃねえぞ。あんな穴倉に引きこもってたら物事の機微も分からねえバカになっちまうからな」
「ここの方がましですか? 何にもない砂漠のど真ん中ですけど? 」
「なに言ってンだお前、ちゃんとあるじゃねえか」
そんなこともわからねえのかと呆れた笑顔でキースを見下ろしたベイトは既に満天の星がさんざめくオークリーの夜空を仰いだ。釣られて見上げるキースの眼に飛び込んでくるいつもと変わらぬ夜空、だがベイトはまるで眩しい物でも見る様に目を細めた。
「何にもなくても空がある。そしてお前は地上、俺達は宇宙、その二つを繋げているのもここにある。…… 忘れンな、これがある限り俺達は必ず繋がってる」
ベイトはそう言うとキースの手を離してポン、と肩を叩いた。
「じゃ、元気でやるんだぞ。またいつか会おうぜ」
ベイトの後ろ姿を追う様にアデルが手を振りながら続く、しかしモンシアだけはじっとその場に佇んで動こうとはしない。声をかけようかとキースが口を開いた刹那、彼はハッと大きな溜息をついて踵を返してキースの元へと歩み寄った。
「も、モンシア大尉も今日はありがとうございました。機会がありましたらまた胸を貸して下さい」
モンシアの表情は硬い、キースはそれが午前中の最後の試合で画策した自分の策によるものかと思って緊張した。割と小さな事を根に持つ彼の性格からするとだまし討ちにも似たあの戦術は頭では理解していても心情には相容れないものかもしれない、辛辣な捨て台詞を覚悟して肩に力を入れたキースに向かってモンシアは小さく表情を崩した。
「おう、機会があったらな。 …… だからよ」
いかったままの肩へとモンシアの肘が預けられて顔が近付く様をキースの眼が追いかける。モンシアは微かに笑いながら彼の耳元で小さく、しかし強く言い聞かせるように囁いた。
「 ―― 次合う時まで、絶対に死ぬんじゃねえぞ」