目まぐるしく攻守を入れ替えるその二機はどちらも一人の女性の発想から生まれた二機のガンダム。ニナ・パープルトンと言うエンジニアが自らの才覚と閃きを頼りに形作ったモビルスーツは出自を同じくしながらそのコンセプトを大きく違えている。
過去の連邦軍のモビルスーツには無かった巨体と圧倒的なパワー、そして膨大な火力を有して戦場をひた走る試作三号機は拠点防衛と言う戦略上の勝利を単機で得る為に作られた、連邦初のモビルアーマーと言っても過言ではない。コクピットユニットをコントロールコアに配して、合体時の火器管制と運用統制を行うという発想はプロトタイプガンダムや試作一号機のパーツ構成と理論上は同じだが、核となるモビルスーツ『ステイメン』と母体となる武器庫『アームドベース・オーキス』に組み込んで同様の制御を行うには機構的に無理があった。
コンテナ内に装填された武器はオーキスのOSによって管理されており、パイロットは二機が合体して『デンドロビウム』の名を得ると同時に二つのOSを運用する事になる。機体の制御に関してはステイメンのOSが主導権を握るが火器管制となるとそうもいかない、コンテナにある16個のウェポンスロット内にある武器とオーキスに設置されたメガビーム砲とクローアーム、そしてステイメン自身の武器も掌下に収めるとなるとその操作と制御は煩雑を極める。
加えて巡洋艦に匹敵する六基のスラスターから齎される強大な推進力は、少しでも気を許すとあっという間にパイロットの意識を根こそぎ刈り取る。事実この機体のトライアルがアナハイムの研究施設兼自走ドック艦である『ラヴィアンローズ』付近で行われた際、襲撃して来た中隊規模のジオン残党軍モビルスーツ部隊を迎え撃ったテスト機はその全てを殲滅した後にテストパイロットの人事不省が起こり、最終的には漂流中の所を恐慌状態で救助を待つ敵のビームに被弾して爆散した。
テストパイロットとして過酷な訓練を積んで来たコウはこの機体がどれだけ危険な物かと言う事をシートに腰を下ろした瞬間に感じ取った。コンピューターで画像処理されているとはいえ、生まれて初めて座る全天球型モニターの中央で制御パネルと共に浮かぶ自分はまるで宇宙に体一つで放り出された様に落ち付かない、そして全身に張り巡らされたセンサーから絶えず送り込まれる情報はコウの視野の届く範囲の至る所でウインドウを立ち上げる。それらを片っ端から読みこんで的確な判断を下すのは制御するパイロットの仕事はいえ、その量は余りにも多すぎた。優れたパイロットは与えられる情報の取捨選択を瞬時に行って必要な物だけを掻き集め、最も有効な方策を弾き出すのだがこれではその暇も無いと言うのがコウの本音だった。
だがコロニーがいよいよ地球へと接近しつつあると言う時にそれを慮っている暇はない、OSが抱えた欠点を丸呑みにしてコウは試作三号機を戦いの海原へと漕ぎだした。
コックピットで見つけたルセット・オデビーからの手紙の内容を、ニナに黙って握り潰したまま。
シーマの乗るガーベラテトラは後方から猛スピードで迫るデンドロビウムとは用途も経緯もその見た目も全くの別物だ。試作一号機が重力下での機動性と簡単なOSの書き換えとパーツの換装を行うだけで空間機動にも対応出来る汎用型だったのに対して、試作四号機として登録されたそれは純粋に空間内白兵を実現する為の高機動型機種として開発された。
体の各所に設けられた姿勢制御用のアポジモータの数は年鑑に記載されたどのモビルスーツよりも多く、そして両肩に大きく張り出したフレキシブルバーニアは見る者の目を特に引き付ける。マッチョな印象を決定付ける大きな手足はAMBAC(Active Mass Balance Auto Control ;能動的質量移動による自動姿勢制御)に優れている事の証明、極端な推力偏向機動の実現を可能にした緋色の機体はガンダムの名を冠するに相応しくないモノアイを後方へと向けながら、距離を詰めて来る巨大な影を嘲笑うかの様に身を翻して躱した。
オーバーシュートで眼前を駆け抜ける敵目がけて引き金を絞るシーマだが、その急激な機動に耐えられるほど人の身体は強靭ではない。脳を揺さぶられた事による一時的な五感の喪失はシーマの手から何度も決定機を奪っている、百分の一秒にも満たない空白でも狂った様に疾駆するデンドロビウムが射程外へと逃れるには十分過ぎる時間だ。
「ちいっ! またしてもっ! 」
眼下で螺旋を描きながらブレイクする白い背中を追い掛けながらシーマの両足がペダルを蹴る、水道の蛇口をひねる様に吹き出す炎が矢の様にガーベラを押しだして漆黒の宇宙を切り裂く、追い縋るシーマに向かって放たれるフレアの閃光を、光量を調節するモニターの後ろで目を細めながらすり抜ける。
眉間に深い皺を刻んだシーマの心中に宿る物はもう復讐では無い、それは宇宙で幾度も刃を交えたその敵の著しい変化から齎される恐怖だった。
モニター上で小さくなったデンドロビウムの後方炎の向こうで未だに艦列を乱したまま逃げ惑うデラーズの残存艦隊、シーマはマイクに向かって敵となった彼らに向かって叫んだ。
「そこのデラーズの艦隊っ! 真上から敵が来る、急いで迎撃しろっ! さもないと ―― 」
しかしシーマの叫びは届かない、それは再び生まれ始めた光の数珠によって証明された。
巨大なコンテナの蓋が開いて頭を覗かせる四番と八番。デンドロビウムの齎す慣性を身に纏った二個のスロットは一気にコウの進行方向へと躍り出た。艦隊警護の為に終結したデラーズのモビルスーツ部隊だけはシーマの警告を受けて何とか対空迎撃の布陣を整える事に成功したが、出来る事はそこまでだった。ほぼ密集隊形をとってコウの進路に立ち塞がる彼らの丁度中央部で、先行したスロットは各面に埋め込まれた弾体を猛烈な勢いで吐き出した。
『ヘッジホッグ』の名が付いたその武装は空間掃討の為に設計された対物専用邀撃ミサイル。撃ち出された108個の小型ミサイルは絶対零度の宇宙空間に点る小さな熱を感知して根絶するまで追いかける。まるで絨緞爆撃の様に生み出される光の中で次々に蹂躙されるモビルスーツとそれを操る兵士達。スパンコールで覆い尽くされた薄幕を突き破るかの様に突進したデンドロビウムが刹那に吐き出す槍は、シーマの母艦を葬った威力を再び宇宙へと顕現させた。
ビームの衝撃によって鉈で割られる様に艦橋から潰れていくムサイの傍を駆け抜けながら、シーマは自分を支配している感情が何であるのかと言う事を知る。自分の手から大事な物を奪った憎き相手、それはシーマが裏切ったデラーズの艦隊を奴が屠ったからと言って何の変わりも無い。それ以上にシーマには、今自分が相対している敵が途轍もない存在に変わり果てている事を恐れていた。
殺人鬼。
倫理を失った兵士ほど恐ろしい物はない。人の命を奪うと言う行為をより効率的に突き詰めた存在は理性と本能の境界線上にある倫理と言うコードによってその行動を制約されている、言うなればそれこそが彼らを犯罪者と言うカテゴリーから遠ざけている前提と言ってもいい。だからその境界から一歩でも外に踏み出せば彼らは罰せられるべき犯罪者だ、それを防ぐ為に軍法と言う物や条約と言う物が存在する。例えどんな些細な過ちを犯しても民間と比較して厳重な罰が与えられると言う事も、それを抑止力として彼らの倫理に働きかけようとする狙いを持っているからである。
しかしもし何らかの心の働きによりその抑止を失って、目の前に現れる全ての物を障害物同然に排除する兵士が現れたらどういう事になり得るか、その具体例が今まさにシーマの目の前で繰り広げられている光景である。
既に戦闘能力を失ってのたうつ様に戦線からの離脱を図ろうとする艦艇に対しても何の斟酌も無く実力を行使するその姿を見て、シーマはそれが既にモビルスーツと言う形をした災厄だと言う認識を持った。死と言う祟りを撒き散らす悪魔をこれ以上人の世で活動させる事は許されない、湧き上がってくる危惧と使命感はシーマの心の中に僅かに残っていた正義とも呼べる欠片だったのかもしれない。
推進剤を残らず使い切るつもりで猛然とダイブするシーマ。絶対的な恐怖に挑もうとする人間は過去にも大勢いただろう、その誰もがこんな絶望的な気持ちで立ち向かったのかと心の中で慮りながら、それでも殺意に満ちた眼差しだけは遠ざかっていく白い悪魔の影を捉え続けていた。
内なる声に耳を傾け。
外なる声に耳を塞いで。
ただコウは心の底から湧きあがる灼けた衝動に身を委ねたまま、モニターへと表示される高脅威目標の点滅へと目を奔らせる。事の善悪に意識を回す暇などない、ただ後天的に植えつけられた軍人としての論理が味方を示す青を外して赤い表示を追いかけた。血を求める様に走り出す指先と連動する白い巨体は中央に置かれたちっぽけな魂を核として、それの望むままに全ての力を行使する。命乞いなど無意味であると、吐き出す炎は次々にジオンの艦艇をその乗員諸共千々に引き千切った。
乾き、渇え、復讐と言う喉を潤す為にコウは更に血を求める。強大なメガ・ビームの連射は絶対零度の真空下での物理を捻じ曲げて砲身を歪ませる、オーキスのAIがそれ以上の連射は不可能と判断した瞬間にそれはついに訪れた。砲身の溶融を防ぐ為にオーキスのAIは強制的にトリガーをロックして安全装置を掛ける、コクピットに充満する警告音と使用不可の点滅を瞬時に視認したコウがたちまち次の命令を火器管制へと伝達した。
ステイメンのアビオニクスをオーキスへと接続するコンマ何秒かの間に必要な移行コマンドを頭の中で反芻する、それだけでも脳の中が掻き回されるほどの負担がコウに突き刺す様な頭痛を与える。
腰を浮かせる様な振動と共にオーキスの下部が小さく開く、まるで蝦蛄の腕の様に折り畳まれていた巨大なアームが次の瞬間に空間へと姿を現した。蟹鋏の先端が開いて奥に仕込まれた柄を掴む、モビルスーツを縦に何機も並べた程の長大な光の剣が、眼下で対空砲を撃ち上げるムサイへと迫った。
「な、何だアレはぁっ!? 」
回避運動を繰り返しながら必死で戦線を立て直そうとするムサイの艦橋は前方より迫り来る光の帯に目を奪われてそれ以上の叫びを失った。宇宙を縫い上げる光の羅列は目標へと向かう対空砲火、一撃必殺の効果を持つ主砲は突然の目標の変化に対応が間に合わない。それでもありったけの火力を注ぎ込んでの阻止行動はそれなりの成果を上げる筈、だと信じた。
信じなくてどうする、一発でも掠りさえすれば、敵の侵攻スピードをほんの僅かでも鈍らせる事が出来れば。
しかし彼らの望みは、そして願いは目の前に翳された刀身が起こした物理現象の前に脆くも潰え去る。柄より吹き出したメガ粒子を固定する為に形成されたIフィールドの鞘は外部から侵入しようとするメガ粒子にも同じ効果を発揮し、発生した斥力を持ってこれを遠ざける。弾かれていく対空砲火の光跡を目で追いながら士官達は尚も絶望から逃れる為にあらんかぎりの声を絞り出す、無駄だと分かっていても何かを成さずには居られない。それが人としての本能だ。
呆気無く訪れたその瞬間にも彼らの喉は希望や未来を信じ続ける、しかしその望みを引き潰すのは艦橋を据え物の様に絶ち割る巨大な光の刃だった。発する熱が全ての機器と命と指示系統を蒸散させる、脳漿代わりの酸素が断熱膨張で水蒸気へと変わって棚引いて行く傍を駆け抜けた白い死神は最大限の旋回半径で再び傷付いたムサイへと襲いかかる。状況の分からぬままに船を動かす彼らの全てを逃すまいとするその刃は真横から一気にムサイの胴体を切り裂いた。寸分の狂いも無く駆け抜けた切っ先で破壊された熱核炉が一瞬の沈黙の後に光を吹き出し、それは艦内に残った弾薬に引火して想像以上の閃光を宇宙空間へと解き放つ。
グレイアウト寸前の意識の中でシーマは彼我の戦力差を思い知った。どう足掻いてもこれ以上のパワーをガーベラに求める事は出来ない、あの悪魔と拮抗する為に必要な唯一のアタッチメント ―― シュツルム・ブースターは轟沈したリリー・マルレーンに置きっぱなしだった。それを失ってしまった今となってはアレに追い付くどころか傍へと近寄る事すら出来ない。加えてあの機体が持つポテンシャルの高さはシーマの生存本能に警鐘を鳴らすほど巨大で、不気味だった。前面に展開される火力はジオンのモビルアーマーのそれであり、今し方明らかになった下部のアームには常識外れのビームサーベルが仕込まれている。唯一死角として考えられるのは機体後部下面と上部、しかしそれをカバーする兵装が存在しない等考えられない事だった、これだけの破壊力を見せつけられた今となっては。
MIWDS(Minovsky Interference Wave Detection System;ミノフスキー干渉波探知システム)によって表示される敵との距離が離れていく数値を血走った眼で睨みながら、シーマの卓越したエースとしての頭脳は勝機を求めて目まぐるしく回転する。たった一度でいい、奴が足を止めて攻撃しなければならない兵装を使いさえすれば ―― 。
「 ”シーマ様、お引きを! ” 」
覆い被さる絶望から現実へと引き戻したのは聞き慣れた声だった。編隊の三番機として常にシーマの背中を護り続けた濃緑のゲルググMはシーマに先んじてその混沌とした戦域の只中にいる、周囲を敵に囲まれながらもシーマの露払いを続けた彼の機体は既に直進もままならないほど傷だらけだ。
「ヒンメルっ! お前っ!? 」
「 ” ここは危険です、それにその機体は目立ち過ぎます。直ちに戦域から離脱して残存艦へと ―― ” 」
「馬鹿なっ! このまま何も出来ずにやられっぱなしで居ろって言うのかい!? 大体 ―― 」
シーマの口から迸る事実は多分ヒンメルにも分かっている、宇宙の孤児同然となった我らに帰る場所など既にない、全部あの悪魔が手にした鎌でズタズタに切り裂いたではないかっ!
「 ―― 何処へ引くって言うんだいっ!? 」
シーマの叫びに絶句するヒンメル。しかし僚機として長く彼女の懐刀を務め続けた彼にはその発露となった根源が分かっている。シーマ・ガラハウと言う敬愛する上官が今最も何を欲して、何を成そうとしているのか。そして彼女の為に戦い続けた自分が彼女の為に何を為さねばならないのか。
ヒンメルはパネルに表示されているダメージレポートに視線を走らせた。損傷率三割は本来であれば直ちに戦域を離脱して修理を必要とする数値、しかし今の自分の何処にそんな必要が? 連邦に帰順した今となっては生き残った所で処遇はたかが知れている、誇りを失う様な生き方を今更選択するには遅きに失する。
その一瞬のヒンメルの思考は彼の意識から周囲の状況を見失わせるに十分な時間だった。下方より突然浮かびあがって来たムサイが対空砲火の照準をヒンメルとシーマの機体へと合わせる、ロックオンのサインを示す警告音は彼の四肢を反射的に動かすには役立ったが、それで十分な回避行動が取れる筈も無い。
「! 何いっ!? 」
推進力の半減したバーニアが機体を押し上げて射線上に未だに身を晒していたガーベラを突き飛ばす、その瞬間に一斉に吐き出された主砲の火線は逃げ遅れたゲルググの両足を一度に吹き飛ばした。パーツの致命的な損傷によって発火する爆砕ボルトが残ったガラクタを脱ぎ捨てて、ヒンメルはコントロールを失った機体を制御しながらムサイの影に向かって怒りの咆哮を叩きつけた。
「おのれ、背後から撃つとは卑怯な! それでもジオンを名乗る誇り高き士官かっ!? 」
「ヒンメルっ! 」
突き飛ばされたガーベラをあっという間に制御下に置いて、シーマは手を伸ばせば届きそうな場所でくるくると舞うゲルググに向かって叫んだ。間欠的に噴き上がるアポジとバーニアの炎がその機体の主の存命をシーマに教える、だがその後にするべき事が思い浮かばない。傷付いたまま何とか姿勢を保とうとする彼女の守護者は緩やかな軌道を描きながらシーマに向かって言った。
「 ”シーマ様、どうやら自分はここまでです。私はあの恥晒しを道連れに囮となります、シーマ様はどうかその隙にあ奴の息の根をお止め下さい。” 」
ヒンメルの言葉の中に隠された洞察が強くシーマの胸を打つ。彼女の望み、そしてその目的を知った上での捨て駒になろうとする僚機に向かってシーマはそのたった一言を告げる事が出来ない。「生きろ」と今彼に告げる事がどれだけ不遜で葬送の礼にそぐわない物であるかと言う事を知り、否定によって生まれ出ずる怒りに震えながらシーマは憤怒の息を堪えて告げた。
「分かった、頼む。 …… 長い間ご苦労だった。あんたもいい男だったよ、ヒンメル」
「 ” ―― 光栄で、あります。 …… ではっ! ” 」
恐らくシーマの言葉はある意味ヒンメルの想像の埒外にあった物だったのだろう、一瞬の逡巡の後に漏れた小さな笑いがシーマの耳にこびり付いて離れない。送り火の様に火を伸ばしたゲルググのバーニアがその傷付いた機体を一直線にムサイの上部艦橋目掛けて押し出した。
上部構造に向かって肩を突き出したヒンメルのゲルググは対空砲火によってハチの巣になりながらも最期の役割を十分に果たした。艦橋下の構造部に激突したその機体が自爆によって諸共に散華する様を唇を噛んで見守るシーマ、心の底で彼の願いが思惑通りに果たされる事を強く願いながらその時を待つ。
ヨーゼフから託された望みは彼女の中に渦巻く怒りで歪に姿を変えた、今自分が本当に望む物はヒンメルが私に捧げた祈りにも似た呪いに違いない。しかしそれを成し遂げてこその未来が必ずある筈だと信じる。
アレを、このまま生かしておく訳にはいかないのだ。戦いの負の部分を具現化した悪魔を野放しにする訳には。
よろよろと戦線を離れようとするムサイが放つサインを血に飢えたコウは見逃さない。艦上部から火花を散らしながら熱核ロケットに火を入れたその艦はシーマが思ったよりも早い時間で戦闘速度へと移行した。恐らく生き残った士官達が何とか兵を遣り繰りして指揮を執っているのだろう、その復旧の早さはいかにも歴戦を重ねた艦であったのだと言う事をシーマに向かって知らしめる。しかしその先に待ち受けている彼らの運命 ―― そしてヒンメルの思い描いた小さな戦略はまるで全てを予期した様に、シーマの望む通りに展開した。漆黒の闇を駆け抜けて再び襲撃の位置取りを行うデンドロビウム、傷付いた獲物へと止めを刺しに掛かる猛禽は巨大な刃を閃かせて再び突貫を敢行する。
しかしムサイの乗員はそこで座して死を待つほど暢気な連中では無かった。存亡を賭けて撃ち上げる対空砲火にはうろたえる事の無い強烈な意志が込められている、そしてその砲火のど真ん中へと機体を進めかけたデンドロビウムはシーマにもはっきりと分かるほど怯んでその機体を翻した。
それこそシーマが待ち望んだ切っ掛けの予兆だった。明らかに速度の落ちた白い機体を下方に置いて素早く機体を移動させる、恐らく奴は再び距離を置いて襲いかかれる場所を探すに違いない、攻撃ポジションを探して獲物の周りをぐるぐる回る隙を突いてその真上からダイブする。
地にのたうつ獣の死を待つ禿鷹の上から襲いかかる者は居ないと奴は踏むか? 気が付いた時にはもう遅い、オオタカの鋭爪は貴様の命をその存在ごと毟り取る。
何度目かの旋回の後に巨大な刃が機体の下へと隠れていく、状況の変化に勝機を悟ったシーマはコックピットの底までフットバーを踏み込んで機体を猛然と加速させた。
それはガトーと相見えた時まで隠しておいたたった一つの兵装だった。オーキスのマニピュレーターを解除して兵装コンテナへとアクセス、変更に伴うキーコントロールと手順がコウの脳裏で鋭い爪を立てる。目の奥が痛むほどの激痛を堪えながらコウはコンテナのハッチを解放した。
遠距離砲撃の為のメガ・ビーム砲は未だに砲身が冷却できない、苛烈な敵の対空砲火によってコウはビームサーベルの間合いにすら近寄れない。業を煮やしたコウの狂気は迷う事無くそのとっておきを使う事を選択した。パージされた三番の蓋の後に飛び出す巨大な銛、後部モーターに点火したその鏃は有線の長い尾を棚引かせて艦体前方に繋がれていた大気圏往復用のシャトル ―― 通称コムサイ ―― を上面から貫通した。突き出した切っ先の先端が開いて返しの為のフックが掛かる、一本の有線で繋がれたムサイとデンドロビウムは互いに引き合いながら三次元の綱引きを宇宙で始めた。
打ち込まれた銛を力づくで引き剥がしに掛かるムサイは鯨の様にもがきながら力の全てを推進力に廻す、対空砲火は必死でその筒先を漁師に向ける。だがその努力を嘲笑う様にムサイの周りを全力で周回するデンドロビウム、繰り出される有線はその軌道をなぞるかの様にムサイの艦体を縛り上げる。
一定のテンションで巻きつくその有線の正体を知る者はそれを打ち込んだ漁師以外にはいない、何度目かの旋回の後に訪れた限界はコンテナの底に固定されていた綱の端を引き千切って、ムサイを軛から解き放つ。諦めた様に機体を離すデンドロビウムとこの機を逃すまいと全力での離脱を試みるムサイ、だがそれがコウの使った兵装の真価の始まりだった。
「あれは ―― 」
デンドロビウムが手放した綱の端が突然火を噴く。断線を起点とする起爆はあっという間に絡みついたムサイの艦体へとその触手を伸ばした。火を点けられた鼠が奔る様な速さで爆発の連鎖を起こす光景を見たシーマはその兵装の正体を口走った。
「 ―― 爆導索っ! 」
それは本来空間上に散布された機雷を除去する為の軽爆薬。マインスイーパーと呼ばれる武器をその様に使う等と言う発想がシーマにはない。しかしそれは逆にあの機体を操る敵のパイロットのセンスが実に柔軟で機転に満ちていると言う証でもあった。縛り付けた綱が誘爆を起こす度にムサイの艦体表面は紙屑の様に歪み、へこむ。まるで圧壊深度に達した潜水艦の様に外から内へと潰されていく新たな生贄の姿から目を逸らして、シーマはその場を離れて次の獲物を探している筈の白い機体を追い求めた。爆導索が全て燃え尽きると同時に起こるムサイの爆発光を手掛かりに反射を探す、そしてシーマの読みは的中した。
「動きを、止めたかっ!? 」
離断の際の反発と爆発による衝撃波で翻弄される白い機体は機体の軸線を未だに進行方向へと向ける事が出来ないでいる。アンコントローラブル状態の敵の上面がまるで無防備で眼前に置かれている事を視認したシーマが、全ての力をこの一撃に注ぎこもうと手にしたライフルの引き金を引き絞った。
敵を仕留めた事で発生する一瞬の隙が命取りになると、何度もバニングに言われた。しかし正気を失ったコウは過去に説かれた諫言も忠告も何一つ思い出せない。湧き上がる高揚と興奮を憶えたままの淀んだ感情が更なる犠牲者を求めてコウの五感を支配する。殺意に塗れるその身体が緊張で震えあがったのはまさにその瞬間だった。
突然コクピットに充満するロックオン警報と降り注ぐビームの嵐、全天球モニターを埋め尽くさんばかりのそれは着弾の衝撃を持ってコウの本能へと訴えた。
「! 上っ!? 」
顔を振り上げたその先。破壊されて飛び散る第一装甲板と緩衝材の飛沫と共にポツンと灯る赤いマーカー、だがその敵が桁はずれの速さで接近している事は飛ぶように減っていく距離数値の動きで分かる。天より降り注ぐ致死の流星群はコウがその数値を読み取ろうとする間にも絶え間なく降り注いで、何発もの直撃をデンドロビウムの上面装甲へと叩きつけた。着弾の度にモニターの画面が所々消滅する、上部のセンサーを潰されている事と機体に発生する不具合はリアルタイムでコウの前面へと表示される。機能不全を示す赤い文字を読み取る間もなくコウの身体は回避運動の為のブレイクを開始した、しかし。
「くそっ、スラスターが ―― 」
全開位置にまで押し上げたスロットルに追従する筈のパワーが無い。慌てて目を奔らせたその先で点滅するダメージレポートには主機四番、補機二番の停止と自動消火中である事を示す黄色の文字が浮かび上がる。既に上部の殆どのモニターを消し飛ばされたコウには敵との正確な位置関係を知る術がない、残ったスラスターに全てを委ねてコウは機体を一気に正面へと走らせた。再び推力を取り戻すまでの永遠にも似た時の最中に敵の手に掛からない事を必死に祈りながら。
リリースしたエネルギーパックがガーベラの顔面を掠めて後方へと飛ぶ、速度を上げたデンドロビウムへと肉薄するシーマの腕は高機動時には至難の業とされるマガジンチェンジを苦も無くやり終えた。ボルトを引いて新たなカートリッジをチャンバーへと送り込んだシーマはボルトが撃発位置にくるのを待ち切れずに引き金を引く。再び吐き出されるビームの束は距離が近づくにつれて確実に、そして正確にデンドロビウムの機体を穿ち始めた。相手を完全に間合いに捉えたシーマは怒りに身を震わせながら眼下の敵に向かって大声で恫喝した。
「お前は一体どっちの味方だっ、この化け物っ! 」
覆い被さろうとする死の吐息に包まれたコウの脳が激しい火花を散らして時間を止める。それが死の寸前に齎されると言うパラダイムシフトと呼ばれる物なのかどうかを知る事は、この結果が出てみなければ分からない。全てがコマ送りになった世界の中でただ一つ、コウの指先だけが元の速さでキーの上を駆け抜けた。呼び出された機体制御系のプログラムの中から、機体のコントロールを失わない為に組み込まれた推進系と制動系のバランスプログラムを選択して、有効か無効のどちらかを選択する。
もう打つべき手は一つしかない ―― 『無効』。
眼前のモニターにはっきりと機影を浮かび上がらせた白い巨体が震えた。着弾の衝撃で悶絶する他に発生する異常で不規則な振動は、長年に渡る苛烈な戦闘経験によって回避行動の前兆であるという事をシーマは自身の経験に照らし合わせて知った。
だがそんな悪足掻きが今更通用するほど離れている訳でもなければ、自分の腕が未熟な訳でもない。既にモニターに白い機体の輪郭を露わにした目標を彼女が見失うには全ての要件が欠けていた。
「そんな中途半端な機動でこのあたしを騙せるとでもっ!? やり過ごそうなんて ―― 」
シーマの台詞の終わりを待たずに吐き出されたデンドロビウムの制動用バーニア、加速途中の機体を一気に減速する推力はそれを予測していたシーマが呆れるほどあっさりと巨体を空間へと繋ぎ止める。オーバーシュートを狙った逆噴射に合わせて肩のフレキシブルバーニアを作動させるシーマ、再びの眩暈が彼女の視界を曇らせる。ドリフト機動と言う、従来ではソロモンで喪失したフルバーニアンしか出来なかった機動特性によって、敵の輪郭をモニター中央に浮かびあがったレティクルの上に置いたシーマは、ぼやける視界の中で自らの勝利を確信した。
機体の中心を正しく貫く様に設計されているデンドロビウムの推進器。大気という抵抗を持たない宇宙空間に置いては方向転換にスラスターの偏向という手法が用いられるのが一般的な常識だ。
主機四本、補機二本で構成されるデンドロビウムのスラスター。其の全てがフライバイワイヤー方式によって操作され、パイロットの意志を受けて自在に動く事によって巨大な機体は自由に宇宙空間を飛び回る事が出来る。だがサラミス級の半分と言うジェネレーター出力の強大さはデンドロビウムの機動性能を司る偏向スラスターの自由度を大幅に制限している。
人の体が耐えられるGの限界は約9から10G。如何にハードが高性能でも其れを操るソフトが耐えられなければ意味が無い。故に設定された機動力はどちらかと言うと一年戦争で開発された初期のモビルアーマーのそれに等しい物だった。デンドロビウムと言う機体が保持する『拠点防衛用』と言う役割が其の必要性を認めなかったと言う事も其の設定に寄与した事は否めない。
限定された拠点だけを防御する為の戦術兵器。其の為に装備されたウェポンコンテナであり、Iフィールドジェネレーターである。万が一敵の襲撃に遭遇した場合には彼女を制御するステイメンが分離して迎撃行動に移行する。もっともその様な事態が発生した時にステイメンが駆使できる火力はデンドロビウムの其れには遥かに及ばない。だからといって強大な火力を失う事を惜しんで分離を躊躇うようであればデンドロビウムは其の攻撃の前に為す術が制限される。空間内機動性能に置いてはビグロやヴァルヴァロ程度の自由度しか持たない、時代遅れの機動兵器にしか過ぎないのだ。
だが、コウの手によって制御系の制約をカットされた今ではその公式は当てはまらない。パイロットの身体を保護すると言う人道的な思い遣りと引き換えにして得る事の出来る現実は、その巨体が抱えた業を人の意思が続く限り弄ぶ事の出来る殺戮の世界。狂戦士と変貌するコウは握り締めた『グラム』を引き抜いて頭上の敵へと切っ先を向けた。
コウのコマンドによって消去されたオペレーションプログラムは其のシステムの基礎理論を立ち上げたニナ・パープルトンの思惑を超えて彼の手中に収まった。機体前部に備え付けられた上下八本の制動バーニアの内上部の四本だけが持てる力の全てを吐き出して、狂った様に空間内を疾走するデンドロビウムを押さえ込む。アンバランスに働く力の衝突は容易くデンドロビウムの巨体を其のモーメントの発生に委ねた。正中線の軸が歪んで機体後部から前方下部に向って推進力が移動する。胴体を圧し折らんばかりに作用する暴力的な力はオーキスを支える骨組みとコウの体を限界まで軋ませる。
機体の損壊を回避しようとするデンドロビウムは其の瞬間に機首を大きく振り上げた。宇宙と言う海の中で獲物を求めて荒ぶる巨大な魔物、天の星星を一呑みにせんとばかりに差し上げられる禍々しいその長い鎌首。
一瞬にしてピッチアップを果たしたデンドロビウムは勝利に慢心したシーマのガーベラ目がけてその顎を大きく開いた。
揺さぶられた脳が機能を回復して視覚の補正を始める刹那に、シーマはモニター上で起こった異変に気が付いた。無機質な四角で構成されていた敵の巨体の輪郭があっという間に消失して真円を描く、その意味が理解できたのは円の中に刻まれたライフリングの突起が数えられるほど至近に接近した時だった。
「何ッ!? 」
吼える様に叫ぶ声と全身の神経を駆け巡る緊急回避の操作はほぼ同時、両手両足を狂った様に動かして積み重ねた戦闘経験と条件反射によるルーティンを行使しようと試みる。 だが指呼の距離へと迫った黄泉の風穴から逃れる為には僅かながら時間と運が足りなかった。高機動によって鈍った四肢機能と長く愛機として連れ添ったマリーネライターを凌駕する加速は、携えた慣性を逆噴射で償却できずに緋色の機体をあっという間に突き出されたメガ・ビーム砲の砲口へと叩きつける。潰れていくモニターの後ろから姿を現す金属の塊はシーマの前に設えられていたモニターを邪魔だとばかりに下半身へと押し付けた。 砕けていく背骨の音と破裂する内臓の鈍い音を脳裏に響かせながら、喉を埋め尽くそうとする生温かい液体を堪え切れずに吐き出した。衝撃によってひび割れたバイザーの内部を汚す赤い液体で視野を奪われたシーマが訪れる死に向かって呪詛を放った。
「畜生っ! こんな事が ―― 」
許されるか、と。夢と未来を同時に引き潰された女が全身全霊で神を呪う。だが次の瞬間に起こった事は必然とも呼べる現象だった。気密を失ったコックピットが吐き出す酸素と共にシーマのバイザーを粉々に割った。霧と化して外へと飛び出す自分の血を睨みつけながらシーマは最期の抵抗を試みる。残った力の全てを振り絞って何度も押し込むトリガーボタン、しかし彼女の期待にガーベラが応える事はもう、不可能だった。
彼女の機体はお節介な製作者の良心によって設定された保護システム、緊急脱出の手順を機械的に始めていた。仕込まれた爆砕ボルトの火薬を全て点火して、生存する為に必要なパーツのみに限定しようとするAIの試みはコックピット以外の全ての部品をパージする、しかし彼女の腰の下で起こった爆発が彼女自身の命を安堵する事は叶わなかった。
イジェクトロックは外されたまま、しかし脱出ポッドを吐き出す力はデンドロビウムの質量によって阻まれる。目の前が急に暗くなって全身の筋肉が痙攣する、それが減圧症によって引き起こされた物なのかそれとも今わの際に起こる物なのかすら判断出来なくなったシーマが肺の中の酸素と共に、目の前に突き付けられた砲口に向かって絶叫した。
「お前の様な奴が、戦争を呼ぶっ! お前の様に自分の我儘を通そうとする輩が。お前の様に理想に殉じようとする愚かな魂がっ! 」
それは自らが掲げた理想の為にその身と矜持を穢し続けた哀れな戦士の訴えだった。ザビ家しかりデラーズしかり、マハル再興を心に誓った彼女の心に取り入って闇を押しつけたあざとい連中の面影に唾を吐きながら、顔も見せぬまま天上へと自分の魂を還そうとする愚か者を罵倒した。噴き上がる最後の酸素がシーマの頭から赤いヘルメットをもぎ取って、収められていた翠の髪を弄ぶ。暗闇の底にポツンと灯った小さな光は微かな熱を伴ってシーマの顔を照らし出す。
「お前のした事が許されると思うな、正しいと思うなっ! あたしの罪がお前に罰せられると言うのなら、お前の罪も何れは誰かの手で罰せられる。だから ―― ! 」
膨れ上がる光源が盲いたシーマの瞼の隙間から眼球へと忍び込む。網膜に映り込んだ白亜の輝きに満たされたシーマは迎来する天使の御手をそこに感じながら、しかしもう二度と辿り着く事の出来ない楽園に背を向けて、穏やかな声で言った。
最期の息と共に吸い込まれていく怨嗟の寿ぎを、まだ見ぬ悪魔に手向ける様に。
「 …… 先に行って待っててやるから早く来な、坊や。もっと、可愛がってやるからさ ―― 」
天上目がけて屹立した砲身を駆け抜ける螺旋の輝き。励起したメガ粒子は収束したまま神へと挑む様にその全てを天空へと吐き出した。舞い散る穢れた戦士の魂が、せめて御座の階にまで届く事を望みながら。