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No.32711の一覧
[0] 機動戦士ガンダム0086 StarDust Cradle ‐ Ver.arcadia ‐ 連載終了[廣瀬 雀吉](2023/07/03 19:06)
[1] Prologue[廣瀬 雀吉](2012/04/19 18:00)
[2] Brocade[廣瀬 雀吉](2012/04/19 18:01)
[3] Ephemera[廣瀬 雀吉](2012/05/06 06:23)
[4] Truth[廣瀬 雀吉](2012/05/09 14:24)
[5] Oakly[廣瀬 雀吉](2012/05/12 02:50)
[6] The Magnificent Seven[廣瀬 雀吉](2012/05/26 18:02)
[7] Unless a kernel of wheat is planted in the soil [廣瀬 雀吉](2012/06/09 07:02)
[8] Artificial or not[廣瀬 雀吉](2012/06/20 19:13)
[9] Astarte & Warlock[廣瀬 雀吉](2012/08/02 20:47)
[10] Reflection[廣瀬 雀吉](2012/08/04 16:39)
[11] Mother Goose[廣瀬 雀吉](2012/09/07 22:53)
[12] Torukia[廣瀬 雀吉](2012/10/06 21:31)
[13] Disk[廣瀬 雀吉](2012/11/15 19:30)
[14] Scars[廣瀬 雀吉](2012/11/15 19:32)
[15] Disclosure[廣瀬 雀吉](2012/11/24 23:08)
[16] Missing[廣瀬 雀吉](2013/01/27 11:57)
[17] Missing - linkⅠ[廣瀬 雀吉](2013/01/28 18:05)
[18] Missing - linkⅡ[廣瀬 雀吉](2013/02/20 23:50)
[19] Missing - linkⅢ[廣瀬 雀吉](2013/03/21 22:43)
[20] Realize[廣瀬 雀吉](2013/04/18 23:38)
[21] Missing you[廣瀬 雀吉](2013/05/03 00:34)
[22] The Stranger[廣瀬 雀吉](2013/05/18 18:21)
[23] Salinas[廣瀬 雀吉](2013/06/05 20:31)
[24] Nemesis[廣瀬 雀吉](2013/06/22 23:34)
[25] Expose[廣瀬 雀吉](2013/08/05 13:34)
[26] No way[廣瀬 雀吉](2013/08/25 23:16)
[27] Prodrome[廣瀬 雀吉](2013/10/24 22:37)
[28] friends[廣瀬 雀吉](2014/03/10 20:57)
[29] Versus[廣瀬 雀吉](2014/11/13 19:01)
[30] keep on, keepin' on[廣瀬 雀吉](2015/02/05 01:50)
[31] PAN PAN PAN[廣瀬 雀吉](2015/02/05 01:25)
[32] On your mark[廣瀬 雀吉](2015/08/11 22:03)
[33] Laplace's demon[廣瀬 雀吉](2016/01/25 05:38)
[34] Welcome[廣瀬 雀吉](2020/08/31 05:56)
[35] To the nightmare[廣瀬 雀吉](2020/09/15 20:32)
[36] Vigilante[廣瀬 雀吉](2020/09/27 20:09)
[37] Breakthrough[廣瀬 雀吉](2020/10/04 19:20)
[38] yes[廣瀬 雀吉](2020/10/17 22:19)
[39] Strength[廣瀬 雀吉](2020/10/22 19:16)
[40] Awakening[廣瀬 雀吉](2020/11/04 19:29)
[41] Encounter[廣瀬 雀吉](2020/11/28 19:43)
[42] Period[廣瀬 雀吉](2020/12/23 06:01)
[43] Clue[廣瀬 雀吉](2021/01/07 21:17)
[44] Boy meets Girl[廣瀬 雀吉](2021/02/01 16:24)
[45] get the regret over[廣瀬 雀吉](2021/02/22 22:58)
[46] Distance[廣瀬 雀吉](2021/03/01 21:24)
[47] ZERO GRAVITY[廣瀬 雀吉](2021/04/17 18:03)
[48] Lynx[廣瀬 雀吉](2021/05/04 20:07)
[49] Determination[廣瀬 雀吉](2021/06/16 05:54)
[50] Answer[廣瀬 雀吉](2021/06/30 21:35)
[51] Assemble[廣瀬 雀吉](2021/07/23 10:48)
[52] Nightglow[廣瀬 雀吉](2021/09/14 07:04)
[53] Moon Halo[廣瀬 雀吉](2021/10/08 21:52)
[54] Dance little Baby[廣瀬 雀吉](2022/02/15 17:07)
[55] Godspeed[廣瀬 雀吉](2022/04/16 21:09)
[56] Game Changers[廣瀬 雀吉](2022/06/19 23:44)
[57] Pay back[廣瀬 雀吉](2022/08/25 20:06)
[58] Trigger[廣瀬 雀吉](2022/10/07 00:09)
[59] fallin' down[廣瀬 雀吉](2022/10/25 23:39)
[60] last resort[廣瀬 雀吉](2022/11/11 00:02)
[61] a minute[廣瀬 雀吉](2023/01/16 00:00)
[62] one shot one kill[廣瀬 雀吉](2023/01/22 00:44)
[63] Reviver[廣瀬 雀吉](2023/02/18 12:57)
[64] Crushers[廣瀬 雀吉](2023/03/31 22:11)
[65] This is what I can do[廣瀬 雀吉](2023/05/01 16:09)
[66] Ark Song[廣瀬 雀吉](2023/05/14 21:53)
[67] Men of Destiny[廣瀬 雀吉](2023/06/11 01:10)
[68] Calling to the night[廣瀬 雀吉](2023/06/18 01:03)
[69] Broken Night[廣瀬 雀吉](2023/06/30 01:40)
[70] intermission[廣瀬 雀吉](2023/07/03 19:04)
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[32711] Salinas
Name: 廣瀬 雀吉◆b894648c ID:41c9b9fd 前を表示する / 次を表示する
Date: 2013/06/05 20:31
 別にしたくてこう言う事をしてるんじゃない、とアデリアは自分の背後を通り過ぎながらひそひそと話す女の声に心の中で毒づいた。確かに男物の服を扱う店の試着室に頭だけ突っ込んで中を窺う女なんて、色魔か安っぽい倫理観しか持ち合わせない水商売の女くらいの物だろう。自分が最も毛嫌いする人種と同じ所業を選択しなければならなかった事の顛末にアデリアはほんの少しの誇らしさと、それを補って余りある面倒臭さに大きな溜息をついた。
「な、なんだよアデリア、そんなにこの服おかしいか? 」
「 …… 別にィ ―― ああ、よく似合ってていいんじゃない? 」
「なんだよ、何そんなにプンスカしてるんだよ?」
 なれない服を押しつけられてやっとの思いで着つけたマークスは仏頂面のアデリアに向かって不満を述べた。お前の方から誘ったんだぞ、と無言で憤慨するマークスを尻目にアデリアはじろりと頭の先から爪先まで一瞥する。別に似合ってない訳ではない、逆だ。似合いすぎてるのだ。それも自分の選んだ服のことごとくが、どいつもこいつも。
 マークスの容姿はことファッション界と言う畑違いの世界では絶対に通用するとアデリアは常々思っていた。プラチナの様に輝く銀色の髪や神秘的な両目は彼自身の思惑はともかく神から与えられた唯一の物だ、生まれながらにしてその『特異点』と苦楽を共にして来た彼はいつしかその欠陥を自分の生きざまに取り込んで、確固たる存在感を築き上げた。彼を見てその形を見習おうとしてもそれは必ず『偽物フェイク』として扱われてしまうだろう、本物との差はそれほどまでに激しいのだ。
 だが当人も知らぬ間に封印され続けてきたその兵装の破壊力はアデリアの想像を絶する物だった。一件目の店で彼の出で立ちに痺れたアデリアは迂闊にも試着室のカーテンを開いてマークスの姿を衆目の面前へと晒してしまった、それがどういう結果を巻き起こす事になるかなど想像もせずに。
 突如としてサリナスに降臨した異界の麗人は男性物を取り扱う店舗に僅かながら居合わせたカップルの ―― 特に女性の目をあっという間に惹きつけて、その噂はあっという間に界隈の女性の耳へと伝播した。砕ける波頭の様に押し寄せて来る女性の波に向かってダックダイブの如くすり抜けた二人はほうほうの体で一件目を後にした、もう今日の所は、というか暫くの間あの店は使えない。
「チッ、せっかく目をつけてたのに」
 お気に入りの店を自分の不注意で出禁にしてしまったアデリアがマークスの事などお構いなしに毒づいた。ブランドとは関係なしに男性物の洋服を色々なジャンルで、それもセンス良く取り扱ってる店はあの店がピカ一だった。無論これだけ広大なショッピングセンターならば他にも様々な店があるがどうしても何かが欠けてしまう、普段から効率を重視するアデリアにとってそれは徒労と言うに等しい物だ。
「 …… にしてもこの服窮屈だな、これじゃなんかあった時に体が動かないだろう。男の普段着なんだからもっと機能性を重視してだな ―― 」
 アデリアとは別の部分で不平を言うマークスは姿見に見慣れない自分の姿を映しながらぶつぶつと呟く。
「似合ってるんだからいいじゃない。それに最近の服ってみんなそんな物よ、出来るだけ体のシルエットを強調出来るようにタイトな作りになってンの。今時軍の服みたいな機能一辺倒のデザイン無視的な奴なんてコロンビアかノースフェイスアウトドアショップにしか売ってないわ」
「なんだ、それを早く行ってくれよ。じゃあそこに行こうぜ、こういうのはどうも俺には ―― 」
「却下、それじゃお金にならない」
「 …… なに言ってんだ、お前? 」
「あんたの普段着なんて買う気ないわよ? あたしが ―― いやあんたが買うのは外出する時に着る服なんだから、それなりの物を選ばなくっちゃ。それにその先もちゃんと考えてあンのよ」
 確かにマークスの私服を選ぶ事が目的ではあるのだが、この先コレクションを増やして行く為に必要なマークスの実弾が心許ないのは自分の給料明細から推測しても明らかだし、ご自慢の貯蓄などたかが知れている。吹けば飛ぶような残高の預金たくわえにしがみ付くよりも現実の資産を活用してこの先の運用資金を確保していくプロセスを構築する為にも最初に購入する服は慎重に選ばなくてはならない。
 それにアデリアが自分のへそくりを作る為の根城に定めたチェンの販売網は伊達じゃない。生写真の売り上げは勿論の事、彼女達が身に着けている服を購入する為にクリックされるアフィリエイト広告はその売り上げに応じて服飾メーカーから巨額の還付金をチェンに齎してその一部がモデルの下に入ってくる。チェンが立ち上げた合法的なネットビジネスの仕組みを知っている以上、アデリアが偶然手に入れた金の卵に最初に施す装飾について神経質になるのは当然の事だった。
 アデリアに説得されても一体何が何だか理解出来ないマークスがしぶしぶと自分の姿をしかめっ面で舐め上げる、誰の手にも触れた事のない原石が持つにはあまりにも大きくて派手な素養に、アデリアは不公平と言う名の運命を信じてしまいそうになる。
 世の中で『モデル』と持て囃される人種が陰でどれだけ苦労をしてその体型や容姿を保ち続けているかと言う事をアデリアは色々なファッション雑誌の記事を読んで知っている、ましてや目の前の男はそんな世界の対極に位置する『軍』と言う名の異次元に居を構える名も無き一兵士に過ぎない。確かに軍人と言う物が自分の肉体を財産とする以上常に鍛え上げられていなければならないのは当たり前 ―― それは自分についても同じ事が言える。アデリア自身も自分の体型を維持する為に特段の努力をしている訳ではない ―― なのだが、自分の審美眼に絶対の自信を持つアデリアが思わず畏怖の念を持ってしまうほど、マークスのモデルとしての資質は群を抜いている様に思う。彼が今まで差別され続けていたのはその容姿が不気味だからなのではなく、ひょっとしたら自分が初めてマークスと出会った時に感じた通り、余りの美しさに嫉妬してしまったのが本当の理由なんじゃないのかと思わず考え込んでしまうほどだ。
「ほんとにそれが理由だったとしてもあたしは驚かないかもね、あの店の騒ぎを考えれば …… それにしてもなんでこんな男に今まで言い寄る女の子が誰もいなかったんだろう? 」
「何の話だ? 言い寄る …… 何だって? 」
 思わず口を突いて出た一人ごとを聞かれたアデリアが慌てて首を引っ込めてカーテンを閉じる、背中をカーテンへと向けておどおどしながら試着室の中に一人残されたマークスに言った。
「あ、あんたには関係ない。そ、それよりこの店はもういいから次の店に行くわよ。だから早く着替えて」
「お、おいまだ行くのか? もういい加減にしないと基地に着く頃には日が暮れちまうぞ? 」
「もう一軒だけ、あそこにはもっとクダけた感じの服が置いてあるからそれも見てみたいのよ。その方があたしも服を合わせやすいし ―― 」
「お前と服を合わせるって ―― おい、まさか」
 まるで何かに思い当たったかのようなマークスの声がきぬ擦れの音と共にカーテンの奥から聞こえる、声音の変化を不審に思ったアデリアがチラリと肩越しに視線を向けた時、マークスの訝しい声が聞えた。
「 ―― お前、まさか俺にコスプレさせて一緒に儲けようって言うんじゃないだろうな? 」

 ―― んだとぉ、ごるぁっ! ―― 

「ちょぉっと、待っちなさいよマークスっ! 」
 いきり立ったアデリアが頭の天辺から湯気を吹きあげて試着室のカーテンへと手をかけると続けざまに力いっぱい開け放った。下着のまま手にしたズボンに足を通しかけたマークスが驚きの表情を向けたまま凍りついて何事が起きたのかと目を丸くする、怒り心頭のアデリアは仁王立ちで腰に両手を当てて、出せる限りの大声で一気に捲し立てた。
「人の事、マニアか守銭奴見たく言わないでくれるっ!? あたしだって好き好んであんな格好したんじゃないわよ、心臓病の子供の移植手術にいっぱいお金がいるから、やだけどいっちばん売れそうな格好をしたのよ! 嘘だと思うんならチェンに聞いてみなさいよ ―― 」
「わ、悪い、アデリア。俺が悪かった、今の発言は心から謝る、謝るから ―― 」
「謝るから、何っ!? 」
「 ―― カーテン、閉めてくれ」
 困惑しきったマークスの呟きで初めて自分の仕出かした事の大きさに気がついたアデリアが恐る恐る背後へと目を向ける、彼女の視界の中に再び映り込んだ一件目と同じ現象はデジャブとなってその先行きを預言した。あっという間に沖へと広がるひそひそ声のさざ波はもう彼女の力ではどうする事も出来ない。
「わ、わかったっ。ごめんマークス、ゴメンだから早く着替えてっ、このまンまじゃまたさっきとおンなじ目に遭っちゃうかも」
 後ろ手にカーテンを閉めて蒼くなったアデリアが周囲を威嚇する様に鋭い視線を向けて牽制する、しかしもう手遅れだと言う事だけははっきりとわかった。好奇の目と羨望の眼差しを湛えた大勢の女性達が ―― 老若を問わず。ところでなんでそんなちっこい子供まで? ―― じりじりと試着室までの距離を縮めて来る、アデリアは自分がまるで大昔にはやったホラーゲームの主人公の立場に立たされたような気がした。

 今ほどモビルスーツ乗りであった事に感謝した事はない。迷路の様に入り組む通路を何本も渡り歩いて体力任せに追手を振り切る、二人はとある街区の片隅にある本屋へと駆けこむとそのまま一気に裏口へと抜け、脇にある細い路地へと身を隠すとそっと自分達の後を覗き見た。人ごみの波に何の変化も現れない所を見ると恐らく追跡者たちは諦めたのか分散したのか、どうやら撒いた事を確認したアデリアが大きな安堵の溜息をついた。
「も、もうここまでくれば大丈夫ね。 …… 全くひどい目に遭ったわ」
「ま、全くだ。服を一着買うのがこんなに大変だとは思わなかった、お前毎回こんな思いして服選んでるのか? 」
「ンな訳ないでしょう、今日のこの騒ぎは基本的にマークス、あんたのせいだかンね。大体あんたがそんな ―― 」
 その先をアデリアは危うい所で押し留めた。彼の見た目が引き起こした騒動だがそれを彼は誇りには思ってはいない、むしろ自分や周囲の人々を苦しめ続けた元凶として忌み嫌っている筈なのだ。そんな事を理由にしていい訳がない。
「 ―― ぼさっとして隙だらけだからこんな事になンのよ。分かったらもうちょっとビシッとしなさい」
「 …… ん、ああ ―― 」
「 ―― おい」
 高圧的な態度で指をさすアデリアに対してマークスはどこか上の空で相対している。余りの反応の薄さに苛立ったアデリアがもう一度同じ事を言い聞かせようとした時、突然機先を制したマークスが呟いた。
「なんだ、この匂い。 …… 焦げ臭い」
 周囲をきょろきょろと見回すマークスの姿に、自分の主張を通す事を諦めたアデリアが諦め交じりの溜息で答える。だがその息を再び鼻孔へと取り入れた時に彼の言葉が間違っていない事に気付いた。
「 …… ほんと。なんだろ? 食べ物の匂いじゃない」
「だよな。なんか紙か布の燃える臭い ―― なんじゃないか、これ? 」
 その時には臭いは意識をしなくてもはっきりと分かる様になっていた。香ばしい臭いではない何か、それは心のどこかで危機意識を呼び覚ます引き金の様に感じる。出所を確かめようと臭いに導かれて顔を上げたアデリアは視線の先に見つけた天井の空調ダクトにじっと目を凝らす。その途端に朦朦たる白煙が猛然と噴出してあっという間にその辺りの天井全体を雲の如くに埋め尽くした。
「火事だわっ! 」
 二人の顔色が一瞬にして変わった。まるで覆いかぶさる様に弾ける警報音が一瞬にして彼らの休日を戦場へと導いた。

「 ” 状況終了、現在リネン室の延焼を確認 ” 」
 イヤホンから報告を受け取ったラース1は無表情に目の前のモニターへと視線を向けた。乾燥した化繊はよく燃える、ましてやカリフォルニアのこの気候だ。乾いた空気は火が燃え広がるのには絶好の環境と言えた。
 そして騒ぎを起こすにはいささか陳腐な手段ではあるがラース1が選択した『放火』と言う手段は人の心に一番手っ取り早く恐怖を齎す事を知っている。燃え盛る炎の前にはどんな屈強な兵士でさえも訓練ではどうしようもない怯えを感じる、人を人類の盟主へと押し上げたその発見はそれと同時に人の心にそれが自分達の手に余る物理現象だと言う事をDNAに刷り込まれているのだ。
「ご指示の通りに非常排煙を停止、煙は全て館内へと流れ込む筈ですが ―― しかしこれでは」
「これが平和の齎した罪の姿だ」
 タリホー1の声を遮ったラース1の声はとても低く、そして身の毛もよだつほどの冷たさを纏っていた。サリナスの気候とは正反対のその温度が彼の背筋に寒気を走らせる。
「惰眠を貪り続けた彼らには最早危機に対して立ち向かうと言う気概すらない、まだ戦争はこの宇宙の最前線で続けられていると言うのにな。 …… 覚えておけ、俺や貴様の仲間や友人はこいつらを守る為に死んだ」
 無秩序に逃げ惑ういくつかの小さな集団が寄り集まって細菌のコロニーの様に次々と領土を広げる、満たされた煙が彼らから逃げ道への案内を見失わせて更なる混乱を呼び起こす。今や人々はパニックと言う二次災害を引き起こす為の要因として自分達の生存の確率を狭めつつあった。人の動きの異常を追いかけて移動を繰り返す監視カメラはその範囲の広さにフォローしきれず、目が痛くなるほどの明滅を繰り返す。
「ほんの少し冷静になれば気がつくだろう、消火装置が ―― スプリンクラーすら作動していない事に。だがそんな些細な異常にも気付かない、ただ自分の命の心配だけをして他人を省みる事無く無様なままで生き延びようとする …… 何と滑稽な」
「滑稽、ですか? 」
「俺達は神ではないが、もしここにそんな奴がいて俺達と同じ光景を目にしたならばきっとこう思うだろう。人間と言うのは何と愚かしい、独り善がりな生き物である事かと、な」
 吐き捨てられる言葉には人々に対する侮蔑が、しかしその表情には満面の愉悦がある。歪なラース1の感情を推し量る事が出来ずにタリホー1はそれ以上踏み込んだ質問が出来ない、彼の顔に浮かんだ戸惑いを悪魔の笑みで迎えた彼はその疑問を推し量る様に答えた。
「そうだ、俺は彼らに感謝しているんだよ。彼らの存在なくして標的を捕える事は出来ない、ここで俺が彼らに出会うと言う事は『あの』日から神によって仕組まれた宿命だったのだ」
 ラース1はそう言うとタリホー1に無線のスイッチを入れる様に視線で促した。悪魔に魅入られた様な面持ちで従った彼の手からマイクを受け取ると、ラース1は次々に趣を変える壁面全体のモニターを見上げた。
「もうそろそろ何人かの連中は事態の異変に気が付いている筈だ。そして自分達の手でこの混乱を何とかしようとする輩が現れ始める、恐らく火元を探して階下を目指そうとするだろう」
 ぞっとする冷気を湛えるその声音が二人だけの室内へと流れ出す、スイッチを押しこんだラース1は唖然としたまま成り行きを見守るタリホー1の横で嗤いに顔を歪めたまま命令を下した。
「作戦をフェイズ2へと移行、フィルタリングを開始しろ」

 そこに居合わせた誰もが自分の置かれた状況にあの日の混沌を重ね合わせていた筈だ。突然空から舞い降りた災厄、大気を焦がして地上を目指したアイランド・イフィッシュ。平和を塗り替えるには余りにドラスティックで、しかしその日から一年に渡って続く闘争の未来を暗示するには十分過ぎるほどのインパクト。生き残る為に全ての倫理をかなぐり捨てて逃げたと言う罪の意識が、今の状況には全て正当化されて人々の心へと蘇った。
 逃げ惑う弱者を虐げて先へと突き進む強者の群れは一機に非常階段の入口へと押し寄せる、またある集団は生き残っているエレベーターの扉の前で狂った様にボタンを押しながらケージの到着を待っている。どの顔も一様に怯えと狂気を漲らせてあの日と同じ罪を重ねる為にそこに立つ。
「ばか野郎っ! まだ出口に急ぐんじゃない、何が起こるか ―― 」
 マークスの怒声も彼らには役に立たない。幾人かの背を掴んで引き剥がそうとする彼の背中へと新たに襲いかかる正気を無くした人の群れ、砕ける波頭の様に伸びた人の手にマークスが捉えられてしまう寸前にアデリアが彼の身体を引き戻した。すんでの所で奔流を躱す事の出来たマークスに向かってアデリアが捲し立てる。
「バカはあんたよ、一体なにやってんのよっ! そんなことしたってもうあんたの声なんて誰も聞いちゃいないんだから ―― 」
「そうじゃないっ、何か変なんだよアデリア! なんで火災警報が鳴ったままさっきから消火装置が作動しない!? 」
 マークスの指摘にアデリアは目を見張った。確かにそうだ、どんな建物でも人が大勢集まる施設には必ず設置されているスプリンクラーが作動しない。火の手はこの階からは見えないが、それでも消火装置が作動しているのならば煙の色や勢いに何らかの変化が見られる筈だ。だが。
「どういう事? まさか故障 ―― 」
「してたらすぐに消防が駆け付ける、だがその気配すらない。おかしいんだアデリア、これじゃまるで ―― 」
 マークスの言葉が突然発生した深い地響きによって遮られる、はっと顔を上げた二人の前で煙の向きが突然変わる。マークスはとっさにアデリアの手首を掴むと次々に押し寄せる人の波に逆らって一気に走り出た。
「マークスっ!? 」
「あの土台の影にとびこめっ! 」
 階段のすぐ脇に置かれている案内板の柱、内部構造を支える巨大な一本の根元に目がけて言われたとおりにダイブするアデリア。すぐ後に続いてマークスが身体を投げ出した刹那。
 巨大な火柱と爆風がエレベーターシャフトと吹き抜け階段を一瞬にして吹き飛ばした。

 その巨大な油圧式リフトはサリナスショッピングモールの一番の目玉だった。巨大なカートごと何十人と言う客を思い思いの階へと搬送する事の出来るエレベーター、モビルスーツ用に開発された技術を一般に転用した新たな試みは今日の今この瞬間まで人々の為に役立てられていた。
 だが今はそれが仇となる。巨大な扉はシャフトを駆けあがって来た爆風によって引き千切られ、それはその前へと集まっていた人間の群れを草の様にいとも容易く刈り取った。寸断される肉体が阿鼻叫喚と共にばら撒かれて次の瞬間には物と化す、悲鳴は呻きに、呻きは沈黙へと移り変わって最後に金属が奏でる轟音と共に消滅する。
 そこへと辿り着けずに運良く難を逃れたと思われた弱者にも災難は相応の報いを用意している、吹き出した爆風が周囲に置かれた什器を持ち上げて辺り一面へと見境なしに放り投げた。軽重を問わずに叩きつけられる鉄製の凶器になぎ倒され、押しつぶされる人々。広がっていく新たなうめき声に耳を塞いだアデリアが何かに抗うように大きな声で叫んだ。
「こんなの、こんなのってないっ! なんでみんなこんな目に、さっきまであんなに楽しそうだったみんながなんでっ! 」
 それに応えるかのように二人の隠れた柱に什器の一つが叩きつけられた。ビクッと首をすくめる二人の耳に届く金属の破砕音と破片の雨音、残響する爆音の影でマークスが言った。
「汝、死者にくすしき事跡みわざを現したまわんや、うせにし者立ちて汝をほめたたえんや、神よ、なぜあなたは私を捨てられるのですかエリ・エリ・レマ・サバクタニ。 ―― 神様の子供でもどうにも出来なかった死がこんな世界を作るって言うのか!? 」
 床に向かって吠えたマークスが上体をゆっくりと起こす、背中に降りかかった小さなコンクリートの破片がパラパラと音を立てて周囲へと散らばった。
「冗談じゃないジーザス、誰かがこんな事をしなけりゃ絶対に起こらなかった悲劇と末路だ。俺は絶対に認めないっ! 」

 その光景に呆気に取られているのはマークスやアデリアだけではなかった。被害状況を刻一刻と ―― この場合は災害規模だが ―― 伝えるパネルの前に仁王立ちになったタリホー1はその損害の大きさに唖然としたまま言葉を失った。個人装備として支給されたたった4発の爆薬がまさかこれほどの威力を発揮しようとは夢にも思わなかったのだ。
「モンロー / ノイマン効果。原理としては俺達も作戦でよく使う対装甲榴弾(成型炸薬弾:HEAT)と同じだ。ここのリフトはモビルスーツの搬送用と同じタイプの物で、底部の裏側は落下時の衝撃を最小限に抑える様すり鉢状に作られてある。その頂点に目がけて全ての爆発力が集中する様にC-4を設置すれば、たった一発でもこれだけの効果を得る事が出来る」
 淡々と話すラース1をこれほど恐ろしいと思った事が今の今までタリホー1には無かった。任務の為には一般人を手に欠ける事も厭わないこの男のやり口に嫌悪感よりも恐怖が先に立つ、だがラース1がただのテロリストだと言うのならば自分の正義漢にも火が着いて彼の所業を詰る事も出来るのだろうがそうじゃない。彼は上官によって正式に任命された立派な分隊指揮官なのだ。
「破壊工作など久しぶりで本当は心配だったのだが。しかし思いのほか上手くいったようだな」
「一般市民を巻き込んででも対象を確保する …… 本当にそれだけの価値があの二人にあるのでしょうか? もし彼らから何の情報も得られなければ ―― 」
「それを考えるのははダンプティや本部の仕事だ、俺は与えられた命令を遂行する為に最善を尽くす。たとえそれが一般市民を何百人巻き込む事になったとしても、だ」
 修羅場へと視線を送りながら事もなげにそう告げるラース1が突然酷く顔を歪ませた。それが彼の渾身の笑みだとやっと気がついたタリホー1はその原因に尋ねようと口を開く、だがそこから音が出る前にラース1の声が全てを説明した。
「そうだ、お前達はもうそうするしかない ―― 偽善に塗れて俺達を探しに来るがいい」
 蕩ける様なラース1の視線を追ったタリホー1が辿り着いた一つのモニター、そこに映っていたのは彼らの対象となった二人の男女があたりを窺いながら非常階段の取っ手へと手を伸ばした姿だった。
「そうするしかない …… ラース1はあの二人が必ずこうする事を見越して爆破を敢行したのですか? 」
 肯定の代わりに返って来たのはくぐもった奇妙な含み笑いだった。彼らの正義感に侮蔑を露わにした彼の目には憎しみの光が宿っている。
「認めたくはないが、これが軍から授かった俺達の業だ。平和がはびこるこの世の中で未だに命の危険と隣り合わせに存在する者達、彼らしかこの状況に立ち向かえる人種がいない」
「敢えてテロリストの役を演じる事によって彼らの正義感を煽り、その正体を確かめにここへと足を向けざる得なくなるように仕向けた、と? 」
「自分が間違っていないと。正しいと思い込んでいる青臭い輩だからこそこんな陳腐な罠に引っ掛かるのだ。俺が知るあの女は、そう言う奴だ」
 ふと漏らした最後の一節がタリホー1の耳に引っかかる、対象となったあの女性を彼は知っているのか? だがその疑問を口にする事は憚られた、彼の眼に宿った狂気は何を切っ掛けとしてどこに吹き出すかも分からないからだ。事実彼は顔色一つ変えずに自分の部下となる兵士の額を撃ち抜いたではないか。
「非常階段からは一本道だ」
 アデリアとマークスが非常階段の扉を用心しながら押し開く姿を眺めながらラース1が言った。
「各員は所定の配置に付け。定石通り二人一組ツーマンセルで行動するならこちらとしても手間が省ける、個別に行動するようなら必ず女のほうから叩け。位置はこちらから指示する」
「戦闘力は常識的に考えて男の方がある、叩くなら先ず男のほうからでは? 」
「雄が捕えられたと分かると雌は助けを呼ぶ為に逃げる、だが雌が捕えられると雄はそこから逃げ出す事が出来ない。それが遺伝子に刻まれた動物の本能だ」
 人の行動は結局定められた法則から逃れる事は出来ない。一抹の憐みを声に覗かせながらラース1は呟いた。
「つくづく御しがたいものだ、雄と言う物は」

「マークス、さっきあたしがあげた携帯」
 非常階段の扉をゆっくりと閉じたマークスに向かってアデリアが手を差し出した。意味を察した彼が胸ポケットの中の携帯を取り出すとそれを彼女の掌へ載せると、アデリアはおもむろにそこに並んだ小さなキーを長押しすると再びマークスの元へと戻した。よく見ると端に埋め込まれた小さなランプが長い間隔で点滅を繰り返している。
「ほんとはちゃんと教えてあげたいけど今は時間が無いからとりあえずこの機能だけ使うわ。VOX(Voice Operation Transmission:音声反応式通話機能)にしてあるから何かしゃべれば全部こっちに聞こえるから。音声を捉えてからスイッチが入るからタイムラグで最初の一言は途切れるかも知れない、だから会話の頭には必ずコードネームをつける事、いい? 」
 自分の携帯を耳にかけながらアデリアが言った。マークスは彼女の仕草の見よう見まねで何とか自分の耳へと装着する。
「骨伝導システムがついてるから小声でもお互いの声は相手に届くわ、音量は入力値に対して自動的に調整するからいきなり大きくなる事はない。何か質問は? 」
「すごいな携帯って。まるで軍用無線機CNR並みの機能だな」
「軍が遅れてるのよ。発想は軍需の方に一日の長があるけど開発になると民間の方が有利よ、色々なシチュエーションが用意されてるから ―― で、マークス」
 確認する様にアデリアが尋ねる、マークスはそれがてっきりこれからの手順を確かめる為に彼女が聞き直して来たのかと思った。だが心配そうな顔で見上げる彼女の表情に思わずドキリとする。
「一つだけ約束して。もし危ないとあんたが判断したらすぐに外へと応援を呼びに行く事」
 それは彼女に言われなくても当然の事だ。相手は爆薬まで持ち込んだテロリストに対してこちらは丸腰、出来る事と言えば精々相手の位置を把握して警察に通報するくらいの事だろう。それでも今の状況で彼らの元へと肉薄できる精神力と経験を持つ者がこの建物の中に何人いる事か、そしてそれをあてにしている暇はない。
「そんな事。お前に言われなくても分かってる、て言うかそれはお前の役回りだ。もし俺がそう判断したら ―― 」
「約束して」
 深刻な顔でそう告げるアデリア、何も言えなくなったマークスに彼女は重ねて言葉を続ける。
「あたしは大丈夫、でもあんたはダメ。だから約束して。 …… あんたどこかそういう所、あるから」
 
 時間と競争する様に二人が階段を飛び降りる。自分達がこの階段の存在に気付いた様にもうすぐ大勢の避難民がここへと押し寄せて来る筈だ、それまでに何とか一階の踊り場を越えて地下へと降りなければならない。身軽なアデリアはその機動力をいかんなく発揮してマークスとの差を広げていく、さすがに自分と同じセッティングでモビルスーツを乗りこなす訳だ、とその背中を妙な感心をしながら追いかけるマークスにアデリアの檄が飛ぶ。
「早くマークスっ! 上はもうあたし達がこの非常階段を使った事に気付いたっ! 」
 彼女の叫びと大勢の人間のざわめきが建物を縦に貫く吹き抜けにこだました。降り注ぐその波を背に二人の足は更に速度を上げる、しかしその時二人の耳に飛び込んで来たのは新たな人のざわめきだった。三階の踊り場を通り過ぎた瞬間に突然非常階段のドアが勢い良く解放される、あわやの所でそれを躱したマークスはそれと同じ現象が自分の足元でも発生している事に気付いた。
「アデリアっ、二階ももう気付かれてるっ! 」
「ちっくしょ、あと一息だってのにっ! 」
 追いかけるマークスの視線の片隅にアデリアの背中が見える、そのサマーセーターが突然ふわりと宙に浮かんだ。既に彼女の進行方向には大勢の人だかりが出来ている、アデリアは階段の手すりに飛び乗るなり大声で彼らに向かって叫んだ。
「ほらどいてっ! 怪我してもあたしは知らないからねっ! 」
 タン、と蹴った彼女の身体が人だかりの頭上へと飛ぶ。群衆の先頭は既に階段の途中まで進んでいたが、アデリアはそれを飛び越えると驚いて足を止めた彼らの前に軽々と着地した。
「マークス、先に行くっ! 」
 振り返りもせずにそう言うとアデリアは再び階下への階段を駆け下りていく。慌てたマークスがすぐ後を追おうと人ごみの中へと突進を試みたが、前が足を止めた事ですし詰め状態になったそれは彼の進行をいとも容易く拒んだ。必死で身体を割り込ませながら大きな声でマークスは叫んだ。
「待てアデリアっ! 一人で行くな、すぐ下で待ってろ ―― 」
 だがもみくちゃにされたマークスの声は他の人々の怒声に紛れて彼女には届かない、マークスの視界からどんどんと遠ざかる白い影に向かって彼は何度も呼びかけ、しかしもうどうしても届かないと分かった時に実力行使に打って出た。
 肩から身体を捻じ込むと無理やり人ごみを押し開いて前へと進む、肘を脇に入れられ、向う脛を何度も蹴られながらそれでも必死に先頭を目指すマークス。何度となく繰り返したボディチャージが功を奏して人だかりの先頭をその視界にとらえた時、突然彼の肩を掴む者が現れた。
「離せ、この ―― 」
「ばか野郎、軍人が何をやってるっ!? 」
 振り切ろうと揺すった肩ががっちりと抑えられて動かない。焦ったマークスがその男の拘束を解く為に振り向きざまの右フックを放とうとした時、まるで目の前に火花が飛ぶような衝撃が彼を襲った。
「落ちつけっ! 取り乱すんじゃないっ! 」
 強烈な平手打ちで我に返ったマークスが人の波に翻弄されながらその男へと目を向ける。マークスより頭一つ大きい ―― 背丈も厚みも ―― この混乱の中でも少しも慌てる事もなく、冷静な目を彼へと向けながら厳しい声で言った。
「君の様な立場の人間がこんな時に落ち着いてなくてどうする? 彼らを守る為に存在するのが軍人と言う職業だ、それを蔑にするといざと言う時にだれも手を貸してくれなくなるぞ? 」
「は、はいっ! 申し訳ありませんっ! 」
 まるでキースに叱られた時の様にとっさに謝るマークスに向かって男はニッと笑って頷いた。マークスは気付かなかったが男は彼を巻き込む人の波からその巨体を生かしてがっちりと守ってくれている、男に促されて前を向いたマークスの背中に向かって男が言った。
「そうだ、落ちつけ。落ち着くと周りの状況がよく見えるだろう? …… 君はどこへ行こうとしていたんだ? 」

 緊迫した状況の中での男の笑顔は余りにも朗らかで、それでいて余裕に満ちている。マークスは先ず一息ついて荒い息を整えると男に言った。
「ありがとうございます。僕はマークス・ヴェスト軍曹、オークリー基地の隊員です」
「オークリー、あの忘却博物館ロストスミソニアンの? 君の様な若者が一体何をやらかしてあんな所に行かされたんだ」
「ご存じなんですか、あなたは一体 ―― 」
「昔軍にいた。今は辞めてここの警察に勤務している、今日は非番だったんだがどうやらとんでもない事に巻き込まれちまったようだな。 …… で、どこへ行く?」
 男に再び尋ねられてマークスははっと表情を強張らせた。そうだ、こんな所でぐずぐずしている暇はない。アデリアを一人で行かせたままでは彼女が危ない。
「地下に隠れているテロリストの居場所を突き止めようとしていました、もう私の部下が先に」
「 ―― あの可愛いお嬢ちゃんもオークリーの兵隊だって? 開かれてンのか人手不足なんだか、俺が退役してから軍もすっかり様変わりしやがったモンだなあ。それより君たちだけで居場所を突き止めて、そこから先どうしようって言うんだ? 」
「居場所をみつけたらそこから警察に連絡します。相手に気付かれない様に監視が出来れば武器は必要ないし、それに正確な位置に警官を呼び寄せる事が出来ます」
追跡子トレーサーの役割を自ら買って出ようっていう訳か」
 マークスが頷くと男はふっと鼻で息を吐いてポンと肩を叩いた。どういう意味かをマークスが考えるよりも早く、男は苦笑いを浮かべて言った。
「しょうがない、ここに警察の関係者が一人いる。それに人手は一人でも多い方がいいだろう、何せここの地下区画は迷路みたいに入り組んでいるからな。俺も一緒に行こう」
「え、いやしかし民間人の方を危険に晒す事は ―― 」
「俺に言わせりゃお前さん達の方がよっぽど部外者だ。もし怪我でもされたら軍の方からキツーイお叱りが待ってるだろうしな …… そら、もうすぐ前が開ける」
 男の言葉に進路へと目を向けたマークスはその言葉が正しい事に気付いた。もうすぐ目の前に一階の踊り場が見える、そして人の流れはその先の階段にはただの一人も流れ出る事はなかった。そこから下は非常灯の薄暗い明かりに照らされた無人の階段がずっと最下階まで続いている、そしてもうそこにアデリアの姿はない。
「では行こう。軍曹、君がポイントマンだ。俺は後ろを抑える」
「ですがもし僕が敵の存在に気付かずに後ろを取られたら ―― 」
「その時は」
 そこで二人は人の流れから飛び出して再び階段へと足を踏み入れた。たった一本の逃げ道から外れる二人に訝しがる何人かの目を無視して男は告げた。
「俺を楯にして君は先に行ったお嬢ちゃんを探し出せ。そして一緒にここから逃げ出すんだ。いいな? 」

 五層から成る地下階層は地下一階の食品階を除いてショッピングモール全体の保守と駐車場を兼ねている。マークスは自分が車を止めた地下二階にアデリアが向かったのではないかと推理し ―― 車の中には車載のスパナなど武器になりそうな物が僅かばかりある ―― そこへと向かったが、果たしてそこに彼女の姿はなかった。ドアを開けた形跡もない所を見るとまだその階には来ていないようだ。
「と言う事はセオリー通り一番下から探してるって事か」
 車を調べるマークスの背後で男が感心した様に呟いた。理由を尋ねてみるとこう言う爆破テロの場合、犯人は最も爆心地から遠い所にいる事が多いと言う。故に警察は捜索する際には必ず現場から最も遠い所から虱潰しに当たっていくのが基本らしい、自らが破壊した現場へと追い詰める事で退路を絶ち、逃走経路を制限すると言う作戦なのだと男は言った。
「隊長との演習の成果がこんな所で現れてるとは思わなかった。と言う事はアデリアは地下五階にいると言う事ですか? 」
「もしそうじゃなくても俺達が底から攻めれば彼女とはどこかで当たる、時間が短縮出来て一石二鳥って事になるかもしれない。そうと分かればここにいる意味はない、急いで一番下に向かうぞ」

 鉄の扉を用心してマークスが開く、喧騒から最も遠くに位置する地下五階はひっそりと静まり返ったままだった。ドアの隙間から廊下の様子を窺った彼がするりと中に忍び込むと後から男が続いて中に入る、物音一つ立てないその歩き方は彼がただの警察官ではない事を窺わせた。
「どうやらこの辺りが最初の火元の様だ …… 見ろ」
 男が顎で背後の通路を指し示すとそこには真っ黒に焦げた区画が未だに煙を漂わせている。この階はスプリンクラーが作動したのか、二人の立っている床は水浸しのままだ。高い湿度に思わず額に噴き出す汗を拭いながら男は蒸気で見通しの利かない通路の向こうへと目をやった。
「この階層はこのショッピングモールの環境機能設備が置かれている階だ、この廊下を真っ直ぐ行くと駐車場への関係者通用門がある。敵が隠れるには絶好の場所だな」
「挟み撃ちにも最高の場所、ですか? 」
「そう言う事だ。通路にいる限りどこもかしこもキルゾーン、かと言って隠れる場所もない。取り敢えずここはまずい、一番奥の駐車場の手前に警備員の詰め所がある。そこで言ったん体勢を整えよう」
「そこまでいけば ―― 」
「規模はしょぼいが暴徒鎮圧用の武器はある。爆弾抱えたテロリストにどこまで通用するかはわからんがな …… 急ごう」
 男に促されたマークスが足を踏み出す。そっと足を降ろしても水浸しになった床からは湿った音が鳴り響く、自分の立てる足音に緊張しながらマークスが何歩か先へと進んだ時、男の緊張した声が背後で聞こえた。
「待て軍曹」
 慌てて足を止めて振り返ったマークスの目に男が指でつまみあげた物が見えた。思わず自分の耳に手を当ててその感触を確かめる。
「 …… これは、確かアデリアの ―― 」
 そこまで呟いたマークスの目に微かな光が飛び込んで来た。ふわりと浮かんだ鬼火の様な蒼白い光はばしゃりと水音を立ててゆっくりと通路へと降りて来る、振り向きざまに男が叫んだ。
「くそっ、ビンゴだ軍曹っ! 」
 何者かによって投げられた電源ケーブルは明らかに自分達への攻撃に向けられた物だった。事の進捗に追い付けずに硬直したマークス、しかし次の瞬間男の身体がものすごい勢いで彼へと迫る。あの日を思い出させるショルダーアタックをまともに背中に喰らったマークスの身体が勢いよく弾け飛んで乾いた床の上を転がる、途端にバン、という何かが大きくはじける音が廊下中に轟いた。
「ぐあっ! 」
 絶叫した男の身体が水溜りの上で跳ね上がった。感電する男を何とかしようと思わず手を伸ばしたマークスに向かって、彼は痙攣を繰り返しながら怒鳴った。
「軍曹行けっ! 早、くっ! 」
 悶絶しながら差し伸ばされた手を拒否した男がマークスの先にある通路へと指をさす。意図をくみ取ったマークスは男の姿から目を逸らすと思いっきり床を蹴飛ばして前へ出た。
 
 頭の中をアデリアの言葉がよぎる、「もし危ないとあんたが判断したらすぐに外へと応援を呼びに行く事 …… あたしは大丈夫、でもあんたはダメ。だから約束して」そうだアデリア、お前との約束は守れそうにない。お前にそう言われた時からそんな約束は守れっこなかった。
 お前を置いて俺だけ逃げ出す事が出来るなんて、お前は本当にそう思っていたのか?
 全力でリノリュームの床を蹴り飛ばすマークスの身体に力が籠る、上半身を極限まで前傾させて一気にトップスピードで長い廊下を駆け抜ける。あっという間に近づく駐車場への出口とその脇にある詰所の扉、しかしもう少しでそこへと辿り着こうとしたその瞬間にマークスの目は闇に光る小さな輝きを捉えた。駐車場の出口の奥に暗がりに潜む何かの影、それが銃の将星だと分かった途端に彼は思いっきり自分の身体を前へと投げ出した。
「うわっ! 」
 驚きの声と同時に轟く発砲音がマークスの耳朶を同時に叩く、間髪いれずに脳天を擦過する何かで目が眩む。焼け火箸を押しつけられた様な痛みで何とか意識を保った彼はそのままの勢いで一気に床の上へと滑りこむ、ガシャンと言うポンプアクションの響きがもう一度マークスの脳裏に警鐘を鳴らした。
「くそおっ! 」
 進行方向へと思い切り左手を伸ばして掌で床を叩く、たったそれだけの抵抗の変化でバランスを崩した彼の身体は大きく回転した。進行方向へと爪先が向いた瞬間に再び走る衝撃と発砲音、しかしマークスの機転が功を奏したのか弾道は彼のすぐ脇を通過した。勢いを失う身体を無理やりに引き起こして再び駐車場の出口へと走るマークス、敵の姿は薄闇の中でもはっきりとわかった。
「この野郎っ!! 」
 怒鳴るなり決死のダイブを敢行した彼の身体が三メートルの距離を一瞬で打ち消した。肩口に当たった敵の身体ごと床へと転がったマークスは相手の体に馬乗りになると、いきなり銃把を握って相手の顔面を殴りつけた。怯んだ敵の手から銃を力づくで捥ぎ取るとそのままの体制で相手の顔面へと銃口を突き付ける。
「言えっ! アデリアをどこにやった!? 」

 不敵な表情のまま何も言わずにただじっとマークスの顔を見つめたままのその男からは何かしらの余裕が窺えた。お前に撃てるのかと言わんばかりのその態度にマークスは逆上してフォアエンドを勢いよく前後させる、未使用の薬莢が宙を舞って男の顔のすぐ傍へと落下した。
「これが脅しだと思ったら大間違いだっ! この至近距離で顔面に食らったらどうなるかお前でも分かるだろう、棺桶の蓋も開けられない様な無様な死に顔を晒す前に白状しろ、アデリアを、彼女をどこにやった!? 」
 違う色の瞳に同じ色の焔が燃え上がる、鬼気迫る表情で男に迫るマークスに向かって男がぺっと唾を吐いた。瞬きをする事もなくそれを頬で受け止めたマークスは一瞬の葛藤の後に次の行動を決意する、人差し指へと徐々にかかる力は引き金をゆっくりと引き絞ってシアーの解放に取り掛かる。
「ま、待て軍曹、殺しちゃ、いかん」
 息も絶え絶えにマークスへと掛けられた、聞き覚えのあるその声が彼の指を押し留めた。全身をずぶぬれにしたままドアによりかかったその男に向かってマークスは思わず声をかけた。
「大丈夫ですか、怪我はっ!? 」
「お陰で何とか、と言いたい所だがまだ体が痺れてる。くそっ、こちとら非番だってのに余計な仕事を増やしてくれたもんだ、全く」
 吐き捨てる様に言う男の方から後ろ手に縛られた男がマークスの脇を掠めて前方へと投げ出される。
「俺に電気マッサージをかけてくれやがった野郎はこのザマだ。どうやらテロリストは五人、さ、後の三人はどこにいる? 」
 男はふらつきながらマークスへと近づくと彼が構えたままのショットガンへと手を伸ばす、だがマークスが彼の申し出を拒否して銃を構えたまま、じっと組み敷いたままの男を射殺さんばかりに睨みつけている。
「早まるな軍曹。君のスキルはこんな事の為に使うモンじゃない、違うか? 」

 男の言葉にマークスの殺気が薄れた。男の手が躊躇いがちにマークスの銃把を握ってそっと力を込める、今度は何の抵抗もなくマークスの手から彼の元へとショットガンが収まった。マークスから引き継いで油断なく銃を構えた男が呟いた。
「君の様な素直な奴が俺の周りにもいたなら、俺は軍に絶望せずに済んだのかもな」
 その声が何故かマークスの心のどこかにある何かに引っかかった。まるで許しを請う様な男の声は一体誰に向けられている、そして何に?

 次の瞬間、マークスの首筋に猛烈な衝撃が走る。頭の芯から飛びだした火花の様な輝きはあっという間に視界を真っ白に染めて、そして見る間に世界を暗闇へと変える。急速に閉じていく意識の片隅で、マークスは最後に男の声を確かに聞いた。
「すまない、軍曹」


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