初めて見た本物の夕焼けの感動はもう遠い昔の記憶でしか無かった。ほんの数時間前に体験した事なのに、この僅かな時間に起こった様々な出来事はその素晴らしい映像をあっという間に時間の彼方へと押し流す。
破壊された搬入口から吹き込む熱風と爆発音、絶え間なく足元を揺さぶる振動は敵の攻撃に晒されていると言う事実よりも現実味のない夢物語をニナの前に突き付けている様だった。就航中の強襲揚陸艦では最大のスペースを誇るモビルスーツハンガーが書き込み切れないト書きと喧騒で塗りつぶされて彼女の足と手を止める、その呪縛が解けたのは遥か頭上で叫んだモウラの声を捉えた瞬間だった。
「給弾終了っ! ウラキ少尉、コンタクトっ!」
頭部の給弾口に差し込まれていたフレキシブルコンベアがモウラの手によって引き抜かれてハッチが叩き付ける様に閉じられる、側頭部に設けられたエアダクトに向かって大声で叫んだモウラに呼応した一号機は休眠状態にあった核融合炉に渇を入れてジェネレーターへと電力を供給し始めた。しかし強電システムの放つ野太い低音と発電冷却機の高周波、急激に高まる覚醒への予兆は果たしてその白い巨体を振動させるだけにとどまった。
「ばかっ、なんて無茶なっ! リミッターが作動するまで制御棒を解放するなんて! 」
オーバーロードを避ける為に設置された安全器がジェネレーターへの電源供給をカットした事を示す猛烈なバイブレーションが一号機に襲いかかる、恐らくコックピット内では警告ランプを点滅させたAIが懸命の復旧作業に当たっているだろう。だだをこねる様に整備用ケージから離れようとはしない一号機の巨体を足元から見上げながらニナは叫んだ。
「モウラ、やめてっ! この機体は彼には無理だわっ! 今すぐ融合炉の緊急停止ボタンを押して ―― 」
フルドライブ状態の融合炉がもし爆発したらその被害はアルビオンや自分だけには留まらない、この基地全てを巻き込んで何もかも蒸発させてしまうかもしれない。だが彼女の脳裏にふいに浮かんだその文言は自分の本心をひた隠す為の建前にすぎなかった。このままでは二号機ばかりか一号機までもが自分の知らない輩に奪われてしまうではないか。
その瞬間邪まなニナの本心を見透かしたかのように突然一号機は身震いを止めた。機体を構成する全てのモーターやシリンダーから流れ始める硬質のカノンが、ニナに一号機の発進準備が整った事を知らせる。
「無理かどうかは分かンないけど、今一番二号機に近いモビルスーツはこの一号機だけだ。もう少尉に任せるしかないっ! 」
「そんなの駄目よっ! なにもわざわざコレを出さなくても基地のモビルスーツ隊に任せればいいじゃないっ、それにザクにしか乗った事のないパイロットじゃあこれは扱えないわっ! 」
「 ” ―― ザクだって立派なモビルスーツですよ、パープルトンさん ” 」
ヘッドセットからニナの耳に忍び込んだコウの声は震えている、それよりも彼の言葉が彼の仲間のパイロットに自分が吐いた毒と同じ台詞だった事に思わず声を失った。気恥ずかしさで熱を帯びる目の奥で全ての機器に電力が滞りなく供給された事を示す一号機の両眼が鮮やかに光を放った。
「ウラキ少尉、整備責任者のモウラ・バシットだ。残念ながらその一号機の武装は60ミリ機関砲の50発と両肩のビームサーベルしかない、機動性能は二号機よりあるけど耐久性と出力がダンチだ。近接戦闘は避けた方が無難だよ」
「 ” ご忠告に感謝します、バシット中尉 ” 」
おっ、と驚くモウラ。この緊迫した状況が彼にとっての初陣と言うのは誠に遺憾であるとしか言えないのだが、それでも人としての理性を保っていると言う所にモウラは根拠のない可能性を見出してニヤリと笑った。いや、根拠がない訳ではない。この事態に何のパニックも起こさずに会話をする新兵、そう言う連中は必ず彼女の元へと生きて帰って来たものだ。
ただ一人の例外もなく。
「OKウラキ少尉。だが今は歳や階級の上下なんざ抜きだ、あんたがパイロットならあたしはメカニック ―― 出来るとこまで頑張ンな。生きて帰ってきたら後の面倒はあたしが見てやるよ」
高所作業用のバケットの上で一号機の後頭部を不敵な笑いで見送るモウラを見上げたニナは、ヘッドセットを乱暴にむしり取って傍のコンソールへと叩きつけるとすぐ脇にある艦内電話へと手を伸ばした。整備士としての義務に目覚めたモウラが一号機を止める事はもう、ない。だったら私は自分の権限を最大限に利用してあの機体を止めてやる。このプロジェクトの責任者としての立場から、彼らが従わざるを得ない力を使って。
彼女が手に取ったその電話はアルビオン艦橋への有線回線だ、一度目のコールですぐに繋がった電話に向かってニナはその先で何事かと待ち構えている筈のシナプスに向かって切実に訴えた。
「シナプス艦長、ウラキ少尉を止めてください。奪われた二号機を追ってテストパイロットのウラキ少尉が一号機で ―― 」
だが彼女の声を電話の先にいる相手がまともに聞いているかどうかも疑わしい、なぜならいつも耳にする彼の穏やかな声は周囲の喧騒に遮られてまともにニナの耳へとは届かなかったからだ。
何処からか放たれた対地ミサイルは雨霰のように敷地内へと降り注ぎ図体のでかいアルビオンは格好の的となっている、対処に追われるシナプスとクル―にニナの訴えが届かないのも無理はない。ニナの呼びかけに応じようとしたシナプスの背後でオペレーターの緊迫した叫び声が響き、続いて彼女の世界が猛烈な爆音で満たされる。二号機の手によって破壊された資材搬入用のハッチから吹き込む閃光と爆風はあっという間にニナの身体を取り囲んだ。
「ニナっ! 敵の爆撃だよ、そこにいちゃだめっ! 」
バケットから身を乗り出したモウラが声を振り絞ってニナへと叫ぶ、だが既に災厄の予兆に取り巻かれたニナの耳には届かない。届いているのかも知れないが、彼女の身体がそれを受け入れようとはしない、迫り来る死の恐怖の為に。
その場でおろおろと立ち往生するニナを助ける為にモウラはパネルの昇降ボタンを思いっきり拳で叩いた。ジャッキの油圧が低下してバケットを乗せたアームがゆっくりと折り畳まれ、それは人が梯子を降りるよりも早い速度でハンガーデッキを目指す。鋼板まであと数メートルの距離に迫った所で矢も盾もたまらなくなったモウラが手摺に足をかけて飛び降りようと身構えた。
「 ―― 至近弾っ、全員物影に隠れろおっ! 」
それが誰の声だったのかモウラには分からない、だが次の瞬間目も眩む様な閃光と熱風がハンガー内へと吹き込んだ。慌ててバケットの床に伏せてやり過ごそうとするモウラの頭上をささくれだった装甲板がペンデュラムの様に駆け抜け、それは彼女の背後で轟音を上げて大きく歪む。思わず目を閉じたモウラが視界の外へと消えてしまった、出会ってからほんの僅かの間に意気投合した新しい親友の名を叫んだ。
「ニナぁっ! 」
目を閉じて頭を抱え込んだままのニナには一体何が起こったのか分からない。真っ白な光と鼓膜を突き破らんばかりの炸裂音、自分の周囲に吹き荒れる嵐、金属の残響音。はっきりしている事はそれが今まで自分が体験した事のない現象で、しかも命に関わる事なのかもしれない、と言う事。
爆発の衝撃波で全身が痺れている、余波に眩む頭で自分の身体の状況を確かめようと恐る恐る瞼を開いてみる。指を動かし足を動かし、アルビオンに乗艦する前に受けた負傷個所の自己診断方法を思い出しながら自分の意識を徐々に視野へと集中させる。何かよくない物を目にする覚悟で焦点を合わせたニナは、自分の前に置かれた見慣れない金属の大きな壁を見つめて呆然とした。
「 ” ―― 怪我は、ありませんか? ” 」
頭上から降り注ぐ震える声に思わず天を振り仰ぐニナ、そこには自分の記憶には無い一号機の両目があった。ニナの身体の前へと翳して爆風から守ったその手が微かに熱を帯びている。機械の顔に浮かんだ憂いの色に驚きながらもそれを表現する術を知らないニナは、ただ促されるままに何度も小さく頷いて自分の安否をコウへと知らせた。
「ニナっ、大丈夫!? 怪我はない!? 」
血相を変えたモウラがまるで敵に狙われた我が子を護る様に大きな体で抱きしめる、その姿を見守る様に俯いたままの一号機の外部スピーカーが抱き合う二人に向かって声をかけた。
「 ” …… バシット中尉、生存者と民間人の確保と避難誘導をお願いします。 ―― 僕は、行きます ” 」
声と共に噴き上がるパワーゲインの唸り声、ミリタリーラインを軽く突破した一号機のジェネレーターは複雑に編み込まれた機構の一つ一つに火を灯して白い巨体を軽々と持ち上げた。パーツの擦れ合う音一つ立てずに立ち上がるそれは全てが高い精度で組み上げられている証拠、幾何学美の粋を凝らした人類の最高傑作は滑らかな動きでその大きな足を前へと踏み出した。
下敷きになった残骸やコンクリートの塊がその重みで奇妙な破砕音を周囲へと撒き散らす、気付け代わりのその音で耳朶を叩かれたニナはやっと取り戻した現実の世界で遠ざかっていく一号機の背中に向かって思わずその手を伸ばした。
「まっ、待ってっ! 」
力の限り差し伸ばした彼女の指がそこまで届けとばかりに彼を追い求める。だがその指の間から覗く僅かな景色の間から一号機の姿は零れ落ちた、破壊されたハッチの向こうに広がる破壊と混沌の戦場へと。
力の及ばぬ彼女の代わりに二号機を取り戻す為。
* * *
「 …… それがコウがガンダムに乗った理由 ―― そして私との出会い。核装備の二号機を奪取したのがガトーだと分かったのは、後を追った彼らが帰って来てから知ったわ。無傷だったのはコウ一人、トリントン基地のモビルスーツ隊はコウとキースと指揮官のバニング大尉を除いて全滅したけどね」
「そんな …… だってテストパイロットの部隊だったんでしょ、その基地に駐留していた隊って。連邦軍でも一番上手にモビルスーツを扱える部隊が全滅だなんて ―― 」
「それが『ガンダム』。そしてそれを自在に操る事の出来るエース、勝つ為の条件を二つも手に入れた彼に勝てる者は誰もいない。むしろ彼と見えて生きて帰って来た者がいるだけ奇跡と言えるわ」
ニナの答えを受け取ったアデリアの眉がピクリと動く。その仕草をちらりと横目で見たマークスは訝しく思った、それは彼女が不快感を表す時に無意識に出る癖なのだ。
「もちろんコウだって敵う訳がない。でも帰って来た一号機を見た時私は興奮したわ、やっぱり『あたしのガンダム』は凄いって。コウが無事だったのもきっと一号機の性能のおかげだ、そう思っていたわ。 …… コウに返して貰った起動ディスクを開いて見るまではね」
* * *
「モウラ、ちょっと」
データ管理用のラップトップの画面をニナが真剣な面持ちで見つめている。一号機の点検が一段落した所で呼び出されたモウラはマグカップの中で冷えたコーヒーを啜りながらニナの肩越しに画面を見つめて、そこに描かれた様々な数値に目を通してから彼女に尋ねた。
「ニナ、これってあの少尉さんのデータなのかい? 」
画面の隅にはそのデータの持ち主が正式に登録されていない事を示す『No Name』の表示、だがそのデータが誰の物なのかをリバモアからの付き合いであるモウラが尋ねる訳がない。この機体はジェネレーターの事故でニール・クレッチマンと言うベテランパイロットを失って以来、誰の手にも委ねられていなかったのだから。
コウによって記録された稼働データ数値の異常さは門前の小僧並みのモウラにも分かる、瞬間最大駆動率、反応速度、関節部を構成するアクチュエーターの伸縮バリエーション等ありとあらゆるデータが試験想定範囲の上限を超えて実戦領域に踏み込んでいる。言を返せばそこまでこの一号機を扱う事が出来なかったとしたら、彼は他のモビルスーツの隊員と一緒にガトーの手によって『星』の一つにされていた事だろう。
「信じらンない …… いくらテストパイロットと言っても彼らが普段使ってた機体とは格段の差があった筈だよ。よりにもよって『ザク』しか乗った事の無い少尉さんがいきなりこんな数値を ―― 」
「ザ、ザクも …… いい機体だわ、モウラ」
咎める様なニナの物言いにきょとんとしたモウラは、ジオンが誇る機動兵器の始祖に纏わる三人のあやに思わず苦笑してニナの後頭部へと視線を落とす。
どうしてどうして、仕事一徹の堅物かと思いきや可愛い所も存外あるじゃないか。不承不承ながらも自分の非をモウラの前で初めて認めた彼女に向かってモウラは尋ねた。
「ンで、あたしを呼び出したのは何の相談なのかな? このプロジェクトの責任者としてはこのデータを見て黙ってはいられないという所なのかい? 」
「そ、そうじゃないわ。ただこの基地に残っているパイロットで無事なのはあの二人だけでしょう? この先一号機の運用試験をお願いするとしたら彼ら二人の内どちらかじゃない。私は整備責任者としてのモウラの意見を聞きたいだけよ」
「運用試験? …… 聞いてないのかい? ニナ」
何を、と口が開く前に振り返ってモウラの顔を見上げるニナに向かってモウラは残念そうな表情を浮かべた。嘘偽りでは無い、それがモウラの本心だった。
「残念だけど一号機の試験は中止するみたいだ。ジャブローからの指示でこのアルビオンは二号機奪還作戦の任に就く事がさっき決まったよ。艦内はとっくに臨戦態勢、補充の部隊ももうすぐ到着する」
「! なんですって!? じゃあ一号機はどうなるの? まだパイロットも決まってないって言うのにっ! 」
激昂して思わず腰を浮かせたニナの両肩に手を当てて、落ちつけと言わんばかりにモウラが宥めた。だがそんな事で彼女が収まる訳がない、手から伝わる怒りの震えがそれをモウラに教えている。
「一号機は現状のままで軍が受領する事になると思う。パイロットは ―― んー、多分だけど今から来る隊員の誰かと言う事になンじゃない? 実戦経験の浅い新米少尉さんと一年戦争の生き残りとじゃあ上層部の受けも比べモンになンないし、まあ妥当っちゃあ妥当な ―― 」
「なによそれっ!? 私の意見なんかどこにもないじゃない。いくら軍に譲渡するって言っても開発責任者の私を無視して話を決めるなんてあんまりだわっ! 」
「そりゃまあそうなンだけどさあ、ちょっと落ち着いて考えてみなって。一刻も早く二号機を奪還する為にはそれなりの ―― 」
「それなりって何よ!? じゃあ連邦軍の誰かも分からない馬の骨が彼と同じ数値を叩きだして私を納得させる事が出来るって言うの!? ありえない、そんな事絶対にありえないっ! 」
見目麗しき姿形に隠されていた火の様な感情が露わになって目の前の友人を責め立てる。自分の想像には無かった彼女の豹変ぶりに思わずたじろぐモウラではあったが、その原因がたった一つの事柄に集約されている事に気付いて思わず小さく笑ってしまった。もちろん彼女のそんな表情を見逃すニナでは無い、自分の訴えに対して見透かした様な笑みを浮かべたモウラを咎める様な眼で睨みつけた。
「 …… 何? 」
「いや、随分とウラキ少尉の肩を持つんだなあ、って。それにその口ぶりじゃああんたの中ではとっくにパイロットが決まってンだろ? 」
モウラの思わぬ指摘でニナの表情は一瞬凍り付き、次の瞬間にはあられもなく狼狽した。大きな目を何度も瞬かせて口をパクパクと開いて今の不埒な言葉に言い返そうと試みる、だがモウラはそんなニナの肩をポンポンと叩くと穏やかな笑顔を浮かべた。
「ま、あんたの気持ちも分からなくはないけど契約上では軍への譲渡の後はアナハイム側の所有権が消滅する事になっている ―― それくらいの理屈は分かンだろ? それにウラキ少尉はトリントンの常勤だ、幾ら基地が機能しなくなったと言っても地上配備から宇宙軍へと急に移籍なんて出きゃしない。彼が宇宙軍に必要なよっぽどの理由でもない限りね」
「 ―― ウラキ少尉は今どこ? 」
真顔になったニナがいた。ラップトップの蓋をパタンと閉じてモウラを見上げるその目は険しい。
「どこって …… だから彼はこの基地の所属だから今頃後片付けに追われてるんじゃない? …… 戦死者がだいぶ出たからね、彼の仲間も含めて」
その言葉を聞いた途端にニナはすっくと立ち上がった。余りの勢いに押されたモウラが後ずさりするのもお構いなしにテーブルのラップトップを小脇に抱えると、思わぬ展開に呆気にとられたままのモウラに背を向けた。
「 ―― って、ニナ。なにする気? 」
不穏な気配を感じ取ったモウラがその華奢な背中を包む空色の制服に向かって問いかける、ニナは金色の髪を僅かに揺らして僅かに振り返りながら答えた。
「とりあえず本社。残った一号機の実戦データを採る必要があるかどうか」
「ああ、そりゃそうだ。あんたもあたしも宮仕えの身だ、なにはともあれお上のご意向を ―― って、今、何て言った? 『実戦』? 」
ニナの言葉の中に紛れ込んだ物騒な単語を拾い上げたモウラの顔色が変わった。普通の人ならば頼まれても忌避する諍いを表すそれを、彼女はまるで近所のコンビニでも行くかのようにさらりと言ってのけた。
「私もアルビオンに残ろうと思う、一号機をより完全な形で軍に譲渡する為に」
「 ―― ちょい待ちニナ、あんた今自分の言った事の意味が分かってる? 」
本当に怒ると妙に固い口調になるのがニナの癖だと言う事をモウラは知っている。そして見かけによらず自分の欲望に忠実で、その為にはどんな手段も厭わないと言う事も。二号機を追ったコウへと一言伝えようと単身基地を飛び出そうとしたニナをあわやの所で引き止めたモウラは、今の彼女を抑え込むのがどれだけ至難の業であるかと言う事が分かる。
「これからアルビオンは軍の命令を受けて正式な任務に就く、今までみたいに試験運用艦じゃなくなるんだ。もしかしたら戦闘になるかもしれない軍艦にわざわざ乗る必要があると思う? 」
「だからってこんな形で一号機を持っていかれても私の気が済まないわ、まだ調整を加えないといけない所が山ほどあるんだから。戦闘になると言うのならそれは私にとっても好都合、きっと彼なら一号機の全てを限界まで使い切ってくれるに違いない」
「彼って …… 」
視線を外して出口へと足を向けた彼女の背中を唖然として見送るモウラ、だがやっとその言葉の意味を飲み込んだ瞬間に我へと返った彼女は焦りを交えて呼びかけた。
「あんたっ、本っ当にあたしの話を聞いてたの!? 自分で志願でもしない限りウラキ少尉はこの艦に乗り込めないんだって! 幾ら開発者のあんたが推薦したって軍の規定をひっくり返せる訳無いっ! 」
「彼を一号機に乗せる為なら ―― 」
足を止めて振り返る彼女のどこにそんな気迫が隠されているのか。凄みすら感じさせる目つきでモウラを睨んだニナはきっぱりと自分の決意を言い切った。
「無茶でも何でもやるわよ、どんな手を使ってでも私自身を賭けてでも。一号機には ―― ううん、私には」
手の中のラップトップをぎゅっと握りしめて声を詰まらせる。
―― 人と人との出会いは偶然の悪戯なのか? もしそうだと誰かが言うのなら私は声を大にしてこう言うだろう、「それは嘘だ」と。コウとここで出会った事はきっと私にとって、そして彼にとっての必然。
「 ―― 彼が必要なのよ」
* * *
馴れ初めを語るニナの表情はとても穏やかにマークスには見えた。激動の悲劇の中で生まれたたった一つの小さな希望、その記憶は未だに彼女の心を捉えて離さない。口元を小さく歪めるその顔が今の彼女に出来る限りの頬笑みだと言う事も。
「最初はコウの事を『部品』の一つくらいにしか思ってなかった。でもそれは私の一号機を完成させる為にはなくてはならない存在 ―― 今思うとあの時の私はちっとも素直じゃなかった、もしかしたらコウの事が好きだと言う事を隠す為にガンダムと言う存在を利用してたのかもしれない。彼が初陣でコムサイを落とし、アフリカ大陸で包囲を突破する為に一度に三機のモビルスーツを撃破した時もそれはコウの実力ではなく私のガンダムの性能のお陰だと思って ―― そう思い込もうとしていた」
そう言って静かに閉じたニナの長い睫毛が震えている、どんなに艶やかで美しい思い出だとしても今彼女が語っている物語のエピローグは悲劇。用意された結末に向かって捲るページの重みはそのまま彼女の心の痛みへと繋がっている。
「でもあの日 ―― そう、私が止めるのも聞かずに一号機で宇宙へと飛び出したあの日、私はとうとう気付いてしまった …… 自分の本当の気持ちに」
* * *
「ウラキ少尉、機体を放棄して味方に保護を求めてくださいっ! そのままではアルビオンと進路が交差します、出来るならすぐに座標移動をっ! 」
シーマの強襲によって大破した一号機は、乱戦によって引き離されたアルビオンのモビルスーツ隊の手の届かぬ宇宙を彷徨っている。メーターが振り切れるほどの声量でコウへと呼びかける通信士の声を震える耳で聞き届けながら、ニナは艦橋の窓遠くで緩やかに流れる小さな流れ星を縋る様な眼で追いかけていた。
重力下では無類の強さを発揮した一号機ではあったが、コアファイターの換装による仕様変更でしか空間戦闘での実用性を発揮できないと言う偏ったコンセプトは実質宇宙空間での一号機の使用の凍結を意味した。だが一号機の潜在能力を高く評価したコウはそれをよしとせず、自らの手で書き換えたプログラムを手にしてアルビオンの防御の為に宇宙へと飛び出す。結果、推進系統とAMBACの連動性を欠いた一号機はシーマの前で操縦不能状態に陥り、為す術もなく蹂躙されて戦域の終端部を漂っていた。
シモンの元へと送られて来たテレメーターに記録されている一号機の損傷率は40%、それは重篤な事態が機体やパイロットに訪れている事を意味する。しかしもはや死に体となった最新鋭機の回収を交戦空域より帰還するモビルスーツ隊へと委ねようとした矢先、一号機は突如息を吹き返した。手足をもがれ、顔を潰されたスクラップがバーニアだけをくしゃみの様に漏らしながらアルビオンへの衝突コースを取っていると言う事実は超望遠に設定された外部カメラの映像に小さく写る白い影の動きを見てもはっきりと分かる。
頭部と共に通信アンテナを吹き飛ばされた一号機から送られて来る物は位置計測の為の規則的な探信音のみ、不規則な加速を繰り返しながらアルビオンに接近しつつある一号機は意思を持たない巨大なデブリと同様の危険な障害物でしかなく、衝突による二次災害を想定したアルビオンは対空銃座の一部を迫り来る一号機の影へと向けた。
艦橋に流れる異常な緊張感と不気味な沈黙、オペレーターと通信士の叫び声と一号機との距離を刻々と伝える砲術士以外には息さえも遠慮がちなその空気に全てを察したニナは思わず振り返って、自分の背後に控えて頭上のスクリーンへと目を凝らしたままのシナプスに向かって叫んだ。
「やめて下さい! シナプス艦長! 」
それが何に対して向けられた事なのかは十分わかっている、だがシナプスはそれでも表情一つ変えず艦内モニターにその輪郭を鮮明にし始めた一号機を睨んだまま微動だにしない。
「お願いです艦長! 一号機を、コウを撃たないでっ! 」
「 ―― オペレーター、何をしているっ! 休まず呼びかけんかっ!? 」
ニナの叫びに驚いて声を休めた二人の命綱に向かってシナプスは声を荒げた。表情に浮かび上がる苦渋と苦悩、焦りは怒りへと変わって尚も二人を叱咤する。
「モーリス、シモンっ! 二人掛りで呼びかけんか、最後まで諦めるんじゃないっ! ―― 左舷銃座! 発砲は私の指示を待て。万が一の時には出来るだけコクピットへの直撃を避けろ、コースを変えるだけでいいっ! 」
「艦長っ! 」
「止むをえんのです、パープルトンさん」
なけなしのシナプスの理性は民間人であるニナの為に使われた。感情を必要以上に押し殺したが故に低く籠った声が彼女の説得へと向けられる。
「私にはこの艦に乗り込む全員の命に対する責任がある。ウラキ少尉が ―― 一号機がアルビオンに対して重大な脅威を及ぼす存在になると言うのなら、それは私自身の責任において排除せねばならない …… それが軍艦と言う物です。貴方はその事を理解した上でこの艦に乗り込んだのではなかったのですかな? 」
シナプスの言葉とは裏腹に名指しで怒鳴られた二人の要員は弾かれた様にコウの名を呼び続ける。まるでその艦橋の中がシナプスの抱える複雑な心境であるかの様にニナには思えた。多くを生かすために払う小さな犠牲は確かにそれ自体を人が『正義』と呼ぶように、どこにでもあり得る事なのかもしれない。
だが。
「お願いです、一号機はどうなってもいいっ! でもウラキ少尉は ―― 」
切羽詰まったニナの思いがどこかで燻っていた小さな火種を呼び覚ました。それはたちまち大きな炎と化して彼女の心の奥底にしまっておいた秘めた何かに燃え移る。
「 ―― どうかコウだけはっ! お願い、助けてっ! 」
「 …… パープルトンさん、いや、ニナ・パープルトンっ! これは私の判断だ、民間人である貴方が口出しする領分では無いっ! 」
苛立ちの恫喝を受けてもニナは引き下がる事は出来ない。自分を突き動かすものの正体をニナはその時初めて知った。
一号機よりも。
自分の乗るアルビオンよりも。
もしかしたら自分自身よりも。
彼を、失いたくないっ!
無言で対峙したまま鬩ぎ合うニナとシナプス、そしてその成り行きを固唾を呑んで見守る艦橋のクルー達。徐々に排除限界へと接近する一号機からの探信音は次第にその間隔を縮めて砲術士のカウントの声だけが大きく世界に鳴り響く。だが最終決定を求める為に彼がシナプスへと振り向いた瞬間に届いた声は、その場でただひたすら悲劇を眺めるしか出来なかった者達に希望を齎す物だった。
「 ” ―― 発砲するなアルビオン。こちらは編隊長のバニングだ ” 」
アルビオンのモビルスーツ隊の指揮官であるバニングから齎されたその通信は艦内すべての状況を一変させた。エースをなすすべもなく失うという悲劇に溺れたアルビオンの全員がそこに一筋の光明を見出して雄叫びを上げる、シナプスは柄にもなく肘掛のマイクを一度取り損ねるという失態を演じる有様だ。彼に先んじてバニングとの回線を確保したのは通信士のモーリスだった。
「こちらアルビオンっ、バニング大尉、よく聞こえます。どうぞ! 」
「 ” 早とちりするんじゃない、現在一号機をエスコートしてアルビオンへと向かっている。ウラキ少尉はまだ生きている。―― 繰り返す、ウラキ少尉の生存を確認した ” 」
「シナプスだ。バニング君、すぐに少尉に機体を放棄するよう命令してくれ。現在一号機は本艦との衝突コースをとっている、少尉の救助を確認した後に艦砲にて排除する予定だ」
「 ” 艦長、残念ですが ―― ” 」
バニングのジム・カスタムが何度も、幼子を連れて飛ぶ親鳥のように後方をよろよろとついてくる一号機へと振り返る。その姿がはっきりとスクリーンで確認できるほど双方の距離は近づいている。
「 ” ―― 一号機の接近は機体の故障ではありません、奴の意思です ” 」
「どう言う意味だ? 」
「 ” ―― 奴は被弾と負傷の影響で意識が朦朧としているようです、こちらからの応答には一切答えません。しかもうわ言のようにアルビオンへの着艦を求めています、何度も ” 」
「なんだって!? あの機体でここに降りるって言うのかい!? 」
通信を聞いたモウラが怒ったように叫んだ。その瞬間に頭の中を過ぎったあの日の自分の言葉、『生きて帰ってきたらあとの面倒はあたしが見てやるよ』 ―― 確かにあたしはあんたにそう言ったが何もこんな所で返す事ァねえだろ!?
過去への回想で失ったほんの一瞬の空白、気付いた時には整備班の殆どの者が途方に暮れて戸惑っている。無理もない、アルビオンに乗り込んだ一年戦争経験者は数少ない。我に返ったモウラは慌てて傍にいる先任整備士に向かって大声で指示を出した。
「なにやってんのっ! ネットを、クラッシュバリアを全部上げて! ハンガー内の全照明と着陸誘導灯の出力を最大、ガイドビーコンは限界まで伸ばして! 要員はすぐに誘導路から退避だ、急げっ! あっという間に降りてくるよっ! 」
一瞬の沈黙を守っていたのはシナプスも同じであった。突き付けられる究極の選択、艦の安全を優先するべきか負傷兵の保護を優先するべきか。
顎を摘まんだまま頭上のスクリーンへとちらりと目をやる。ジムに随伴する一号機の損傷は思った以上に深刻で、特に顔面を半壊されたのが痛い。ガイドビーコンに同調する為のデュアルカメラを潰されたモビルスーツが無事に着艦出来る確率など小数点以下だろう。その様な勝ち目のない賭けに艦全員の命を賭ける価値があるのだろうか。
スクリーンから視線を外して俯いたシナプスはふう、と息を吐くと徐に肘掛けのマイクを取り上げてスイッチを入れた。
「達する。これより本艦はガンダム一号機回収の為に現時点を持って第一種戦闘配備を解除、直ちに緊急着艦の準備へと移行する。左舷に位置する全ての対空要員並びに保安要員は速やかに右舷デッキへと避難しろ」
「 ” 艦長!? ” 」
艦橋に響くバニングの声には虚偽の感情が入り乱れている、彼とて一号機の惨状を間近で見ればコウの判断がいかに無謀な物かと言う事くらいすぐ分かる。だが自分の予想とは全く正反対の命令を下したシナプスに疑問の声を上げるのは当然の事だった。
「私は軍人である前に一介の船乗りだ、遭難している仲間が助けを求めているのなら万難を排してそれに手を差し伸べるのは当たり前の事だろう。 ―― できるか、大尉? 」
先導役に敢えて事の成否を確かめるシナプスの声は低くて力強い、絶句していたバニングはそこにシナプスの強い意志を感じ取ってその迫力に負けない力強さで問いかけに応えた。
「 ” やりますっ! 必ず、やらせて見せます。 …… 一号機のアルビオンへの着艦、許可願います ” 」
「よかろう、着艦を許可する。大尉」
シナプスはそう言うと口を両手で塞ぎながら震えているニナの顔をちらりと見て、言った。
「必ず彼を …… ウラキ少尉を連れて帰って来てくれ」
シナプスの言葉が終わった瞬間に艦内の空気が一変した。静寂を打ち破る非常警報、それに負けないぐらいの大きな声で自分の担当部署へと指示を飛ばす艦橋のクルー達。操舵手のパサロフが前方に置かれたモニターの数値を睨みながら舵輪を少しづつ右に廻して窓の外に広がる星の位置を変え始める、接近する一号機との相対速度を出来るだけ抑える為の逆噴射の振動がアルビオンの全身を大きく震わせる。彼らの執る行動は襲いかかって来た敵に対する対応と何ら変わりがない様にも見える、しかし明らかに違う所が一つだけある。
それは熱だ。仲間を助けたいと思う気持ちが激突による恐怖を完全に凌駕している、コウを助ける為に全ての手を尽くそうとする仲間達の願いがアルビオン全体を包み込んでいる。
何かに後押しされる様に震える床を蹴って艦橋の出口へと向かうニナの両足、脇を通り過ぎるその横顔を祈る様に目を閉じながら見送るシナプス。
艦中央から縦に貫く移動用エレベーターへと飛び込んだニナは何かに怒りをぶつける様に開閉ボタンを拳で叩いてうなだれた。止めどなく溢れる涙が瞳を濡らして景色を歪ませる、零れ落ちた滴の後に向かってニナは泣き叫んだ。
「ばかっ、私の言う事きかないから …… ディスクも持たずにいっちゃうからっ! 」
―― 私のせいだ。
彼の頑張りに嫉妬した私が意地を張るからこうなった。私よりも一号機を好きな彼がきっとこうするであろう事を、私だけが誰よりも知っていた筈なのにっ!
「 ―― ガンダムを …… 一号機をどうしてくれんのよ …… 」
―― 違うっ!
空いた穴は埋めればいい、傷ついた物は換えればいい、壊れた物は直せばいい。
でも無くした物は二度とは帰ってこない、彼を失えば明日からの私は今までの私じゃなくなる。大事な物すら守れない、そんな私を私は赦す事が出来るの!?
嗚咽と慟哭と共に湧き上がる想いはニナ・パープルトンと言う仮初めの全てを否定して狭いエレベーターシャフトの中に木霊した。
「救護班待機っ! あたしがハッチを開けるっ! 」
慣性のついた一号機のデブリを肘で払いのけながらモウラは一直線にコックピットへと飛ぶ。最後のネットに辛うじて引っ掛かった一号機は着艦のショックで足を捥ぎ取られて見るも無残な姿をハンガーへと晒している、虫の息となった融合炉に緊急停止をかけたモウラは急いでハッチの爆砕レバーを握り締めた。
「下がれ、強制開放っ! 」
一気呵成に引き抜くモウラの目の前でハッチの結合部が鈍い音を立てて外れる、その途端にコックピット内部に残っていた残留酸素が気圧差でその重い塊を勢いよく一号機の残骸から押し出した。一瞬で霧と化した空気がその中にあった全ての浮遊物を巻き込んでハンガー内へと流れ出す。被弾の衝撃で破壊されたであろう機器の破片と蓋が開いたままの緊急医療キット、そして ――
「 ” コウッ! ” 」
血塗れの白いスーツが最後に飛び出した事をモウラが確認する前に、その叫び声は耳へと届いた。慌てて振り返る彼女の目に映る朱色のノーマルスーツ、差し伸ばしたその手がコウの腕を掴むとまるで包み込む様に抱きかかえた。
「 ” ごめんなさいっ! コウ。私が、わたしがあんな事しなければっ! ” 」
スーツで隔てられたその距離がもどかしい。遮る物が何もなければ彼の温度をこの肌で直に感じる事が出来るのに。
力の抜けたコウの身体を抱きかかえたニナが何度も何度もその名を呼ぶ、ひび割れたバイザーの奥に眠る彼の顔を必死の形相で見つめながら。返り血で自分の身体が染まるのもお構いなしに。
「! …… いき、て、る」
ニナの呼びかけに応えるかのようにコウの睫毛が小さく震える、握った腕の筋肉が微かに動く。奇跡を手にした喜びはニナの蒼い瞳から新たな涙と声を迸らせる。
「ごめんなさい、コウ。 …… ありがとう、生きててくれて。私 ―― 」
それ以上の思いをニナが口にする事は出来なかった。言葉にならない嘆きの調べがハンガーの隅々にまで届いて、それは救護班に二人の身体が確保されてからも鳴り止む事は無い。ストレッチャーに横たえられるコウと看護師に支えられたニナがハンガー脇のエアロックから通路へと出ていく様を、一号機のコックピットの淵に掴まったままのモウラが目を細めながら見送っていた。
「ったく『塞翁が馬』ってレベルじゃないけど。ま、いいか。 …… ニナ、コウが生きててほんとによかったね」
複雑な笑みを浮かべて大きく空いたままの開口部からボロボロのコックピットを眺める、パネルの隅で辛うじて点滅していたパワーゲージの最後の一つの息の根が止まった事を確認したモウラがそこでやっと安堵の溜息を洩らした。
* * *
「私はコウを死なせたくなかった」
ぽつりと漏らしたニナの何げない言葉の中に隠された重み、単純であるが故にそれがいかに確固たる思いであったかを窺い知ることが出来る。語り部の声に緊張するマークスは既にその雰囲気に呑まれて立ち尽くしていた。
「コウのディスクに残された戦闘データ、そして記録されたジオンのありとあらゆる機動兵器のスペック、そして彼がこの先辿り着くであろうパイロットとしての能力の限界。それらを全て再検証して出来上がったのが『フルバーニアン』、私の手がけた最高傑作」
「『フルバーニアン』? 」
「正式名称は『AERX78-GP01Fb』、それが生まれ変わった一号機の名前。速度と機動性能に特化したその機体を凌ぐモビルスーツは紛争が終結してから三年たった今でも未だに存在しない、それも多分この先暫くは現れないでしょうね。そしてコウの為だけにカスタマイズされたその機体が誰かに後れを取る事など有り得ない、事実彼は初陣で一年戦争末期に未完成のまま放棄されていたモビルアーマーを月面で撃破しているわ」
「え ―― の、乗って間もない機体で、モビルアーマーを撃破だって? 」
小さく頷いて肯定するニナを信じられないと言った面持ちで見つめる二人。数々残る戦争中の逸話の中にもそんな馬鹿げた話にはお目にかかった事がない、それは言うなれば初めて乗った車でレースに出て優勝する様な物。
「そんな適応力を伍長が持ってるなんて信じらンない。それにモビルアーマーってそんなに簡単に墜とせるモンなの? 」
無口だったアデリアが隣のマークスに向かって尋ねても、聞かれた彼でさえそれに答える事は出来ない。なぜならモビルアーマーの実物すら拝んだ事のない彼らにはその圧倒的な破壊力や防御力を想像する事すら困難だからだ。
「コウだってもう少しの所で命を落とす所だった ―― その時の事をコウは私には何も話してはくれなかった。もしかしたら本当は敵のパイロットを死なせたくない、例えここでガンダムを失っても …… そう考えてたんじゃなかったのかしら」
「そんな。敵に情けをかけるにしても程度って物がある。相手が自分を殺そうとしているのにわざわざ犠牲になろうとするなんて ―― 」
「彼は ―― ケリィ・レズナーと言う敵のパイロットはコウにとっての、恩人だったから」
* * *
「 ” ウラキっ! コウ・ウラキ聞こえるかっ! ” 」
ガンダムシリーズに継承される脱出機能 ―― コア・ブロック・システムによってケリィのヴァルヴァロに捕えられた下半身をパージしたコウは、メインブースターを全開にしてその一点へと肉薄した。それは恐らくケリィも知らない、しかし共にそのモビルアーマーを組み立てたコウだけが知る唯一の弱点。
強襲型のモビルアーマーであるヴァルヴァロの前面装甲は異様なまでに分厚くモビルスーツのビームライフル、いや距離によっては巡洋艦の主砲ですらも跳ね返してしまうかもしれない。だが重装甲の機体に唯一残されたアキレスの踵、それが機体上面から燃料タンクへと取り廻されたアポジ用のラインだった。
ベース機となったMA-05の弱点を補う為に追加された数多くのアポジモータはその真価を十分に発揮してニナの想像を超える機動力をヴァルヴァロに授けた。だが巨大なスラスターを後部に抱えるこの機体の余剰スペースは限られており、その為からかアポジへと燃料を供給するラインは装甲下で複雑に入り組んでしまっている。そして全てのラインが偶然にも一点に集まるその場所が丁度機体上面の中央に位置するメンテナンスハッチだった。
真っ赤な装甲板を易々と貫いたフルバーニアンのビームサーベルは全てのラインを分断して推進剤の真っ直中へとその刃を差し込んだ。発生する膨大な熱量によって発火した二液は瞬くうちにヴァルヴァロの全身を駆け巡ってそれ自体を巨大な爆弾へと変質させる。
「ケリィさん!? 」
連邦軍の通信周波数で発信されたケリィの呼びかけに思わず驚きの声を上げるコウ、誘爆寸前の巨大なモビルアーマーを目の前にして彼は未だにそこから離れられずにいる。
「 ” ウラキ、俺は後悔などしていないぞ。最期の相手が貴様だった事を誇らしく思っている位だ ” 」
「最期って! ケリィさん、早く機体から脱出をっ! そのモビルアーマーはもうすぐ爆発しますっ! 」
「 ” ―― 脱出装置など、端からこれにはついていない。これが俺の棺桶のつもりだったからな ” 」
ケリィの答えにコウは耳を疑った。馬鹿な、彼から見せてもらった青写真には確かに脱出用の爆砕ボルトが描かれていたではないか。
「 ” そこまで片手で扱えるようには出来なかったって事だ、ガトーが俺の元へとビデオレターを寄越してから今までの間ではな ” 」
「あなたは ―― あなたは最初から死ぬつもりでっ!? もう二度とあの家へと戻る事なんか考えもしないで!? 」
「 ” 俺の覚悟を奴に ―― ガトーに伝えるにはそれしかなかった。片腕である事を知っていながらデラーズフリートへの参加を呼びかけて来たあいつの信用に応える為には ” 」
「ケリィさんがそこまで命を賭けるだけの価値があの男にはあるって言うんですか? 自分には分からない、あの男はやっと平和になった宇宙にもう一度戦争を巻き起こそうとしている張本人だ! 」
「 ” ―― あいつがどんな事をしようとしているかと言う事までは知らん、ただ俺が思ったのは貴様が必ずガトーの野望に立ち塞がる最大の障害になると思ったからだ。ガンダムさえいなくなればあいつはきっと事を成し遂げる、まさか貴様がガンダムのパイロットだとは夢にも思わんかったが ” 」
装甲下での誘爆がサーベルの柄に伝わり始める、コウはビームの刃を手元のレバーで収めると僅かにヴァルヴァロの背中から距離を空けた。
「 ” 俺がなぜ、街のごろつきに叩きのめされた貴様をわざわざ自分の家に連れて帰ったか分かるか? ” 」
死へと向かう旅すがらに語り掛けられたケリィの声に、コウは応える前に息を呑んだ。敵である資格を失って残された友人としての間柄、それを如実に表す彼の声。
優しかったのだ、途方もなく。
「 ” ―― 貴様は、俺が出会った頃のガトーに似ている ” 」
驚きのあまりに言葉を失ったコウへとケリィは更に語りかけた。
「 ” 貴様の中には既にガトーがいる、それは奴と修羅場を潜り抜け続けた俺だから分かる事だ。貴様と刃を交えた事で俺は長年抱き続けた疑問の答えを得る事が出来た、俺と奴とどちらが力が上なのかという答えにな ” 」
ぐらりと揺れる目の前の深紅が緩やかに月面へと降下を始める、為す術もなくその場へと浮かんでいたフルバーニアンの機体に向かってヴァルヴァロの腕が押し付けられた。
「 ” もう行け、その前にこれは貴様に返しておく ” 」
押し出される上半身のすぐ脇で、囚われたままの下半身が星空に舞う。
「ケリィさんっ! 」
「 ” 敗者にかける言葉などない、死者に手向ける言葉も無用だ。兵士はいつか自らの死を戦場で迎える、それこそが本懐 ” 」
「だめだっ! あなたが死んだらラトーラさんはどうなるんだ!? 彼女は今でもあの家であなたの帰りを待っている筈なのにっ! 」
「 ” ―― 愛よりも、友情よりも ” 」
押し寄せる葛藤がケリィの言葉を詰まらせる、だが彼は断固としてその姿勢を崩さない。目には見えなくてもコウには分かる、例えその腕を失っても威風堂々と背筋を伸ばし、力を漲らせたその目でモニターを睨みつけているに違いない。それがケリィ・レズナー大尉と言う、恐らくジオンの撃墜王の一人である彼の姿。
「 ” 『俺達』には守らなければならない物がある、進むべき道がある。今は分からなくても貴様はもうすぐそれを知る事になるだろう。ガトーに近づけば近づくほど俺と同じ志を持った者達が貴様の前に立ちはだかる、己の矜持と義を証明する為に ” 」
ヴァルヴァロの後部の装甲板が内部からの爆発で剥離した。暴走を始めた三基のメインスラスタがコウとケリィの距離を絶望的なまでに引き裂き、制御不能に陥った瀕死のヴァルヴァロはコウの恩人を黄泉路へと導く。接近警報の鳴り止まないコックピットの中でケリィは、声を張り上げて勝者に向かって高らかに謳い上げた。
「 ” 聞け。この世に正しい物などない、それは人が何かを為し得た後に起こる様々な事を評価されて初めて正しいと証明されるのだ。もし自分が間違ってないと信じるのならそれを貫き通せ、ガトーと見えて貴様の『義』を証明して見せろ。生き残れるとは限らんがな ” 」
「ケリィさんっ! 」
「 ” さらばだ、ウラキ。 ―― ジーク・ジオン ” 」
その声が途絶えた瞬間にヴァルヴァロの機体は月面へと激突した。コウの眼下で真っ二つに折れ曲がる機体を猛烈な爆炎が包み込んで辺り一帯へと衝撃波を撒き散らす、最期の命の輝きをその目にしっかりと収めながらコウはバイザーの奥で血が出るほど唇をかみしめる。月を埋め尽くさんばかりの光に瞳と心を焼き焦がしながらコウは呟いた。
「 …… ガトーに辿り着かなければ、奴を、殺さなければ。この戦いは終わらな、い、…… だれも救えないのか? 」
* * *
「その日からコウは変わった」
そこでプレリュードが終わり、本当の悲劇の幕が上がった事をアデリアとマークスはニナの面持ちから知った。いつの間にかニナの両手はしっかりと結ばれて、籠められた力が彼女の白い指を更に白く彩っている。引き剥がされる罪の痛みに苛まれるニナは悲痛な声でこう告げた。
「コウの顔から笑顔が消えて、彼の口から未来を描く言葉はなくなった。それは彼がこの戦いを何としてでも自分の手で終わらせようとする覚悟の現れ、そしてその為にガトーを殺すと言う固い決意」
小さな声に秘められた大きな後悔、それは彼女のエゴによって生まれた二人の運命。
「『フルバーニアン』はその為に彼に与えられた最悪の兵器だと …… 私は二人が戦ったソロモンの海で初めて知ったわ」