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No.32711の一覧
[0] 機動戦士ガンダム0086 StarDust Cradle ‐ Ver.arcadia ‐ 連載終了[廣瀬 雀吉](2023/07/03 19:06)
[1] Prologue[廣瀬 雀吉](2012/04/19 18:00)
[2] Brocade[廣瀬 雀吉](2012/04/19 18:01)
[3] Ephemera[廣瀬 雀吉](2012/05/06 06:23)
[4] Truth[廣瀬 雀吉](2012/05/09 14:24)
[5] Oakly[廣瀬 雀吉](2012/05/12 02:50)
[6] The Magnificent Seven[廣瀬 雀吉](2012/05/26 18:02)
[7] Unless a kernel of wheat is planted in the soil [廣瀬 雀吉](2012/06/09 07:02)
[8] Artificial or not[廣瀬 雀吉](2012/06/20 19:13)
[9] Astarte & Warlock[廣瀬 雀吉](2012/08/02 20:47)
[10] Reflection[廣瀬 雀吉](2012/08/04 16:39)
[11] Mother Goose[廣瀬 雀吉](2012/09/07 22:53)
[12] Torukia[廣瀬 雀吉](2012/10/06 21:31)
[13] Disk[廣瀬 雀吉](2012/11/15 19:30)
[14] Scars[廣瀬 雀吉](2012/11/15 19:32)
[15] Disclosure[廣瀬 雀吉](2012/11/24 23:08)
[16] Missing[廣瀬 雀吉](2013/01/27 11:57)
[17] Missing - linkⅠ[廣瀬 雀吉](2013/01/28 18:05)
[18] Missing - linkⅡ[廣瀬 雀吉](2013/02/20 23:50)
[19] Missing - linkⅢ[廣瀬 雀吉](2013/03/21 22:43)
[20] Realize[廣瀬 雀吉](2013/04/18 23:38)
[21] Missing you[廣瀬 雀吉](2013/05/03 00:34)
[22] The Stranger[廣瀬 雀吉](2013/05/18 18:21)
[23] Salinas[廣瀬 雀吉](2013/06/05 20:31)
[24] Nemesis[廣瀬 雀吉](2013/06/22 23:34)
[25] Expose[廣瀬 雀吉](2013/08/05 13:34)
[26] No way[廣瀬 雀吉](2013/08/25 23:16)
[27] Prodrome[廣瀬 雀吉](2013/10/24 22:37)
[28] friends[廣瀬 雀吉](2014/03/10 20:57)
[29] Versus[廣瀬 雀吉](2014/11/13 19:01)
[30] keep on, keepin' on[廣瀬 雀吉](2015/02/05 01:50)
[31] PAN PAN PAN[廣瀬 雀吉](2015/02/05 01:25)
[32] On your mark[廣瀬 雀吉](2015/08/11 22:03)
[33] Laplace's demon[廣瀬 雀吉](2016/01/25 05:38)
[34] Welcome[廣瀬 雀吉](2020/08/31 05:56)
[35] To the nightmare[廣瀬 雀吉](2020/09/15 20:32)
[36] Vigilante[廣瀬 雀吉](2020/09/27 20:09)
[37] Breakthrough[廣瀬 雀吉](2020/10/04 19:20)
[38] yes[廣瀬 雀吉](2020/10/17 22:19)
[39] Strength[廣瀬 雀吉](2020/10/22 19:16)
[40] Awakening[廣瀬 雀吉](2020/11/04 19:29)
[41] Encounter[廣瀬 雀吉](2020/11/28 19:43)
[42] Period[廣瀬 雀吉](2020/12/23 06:01)
[43] Clue[廣瀬 雀吉](2021/01/07 21:17)
[44] Boy meets Girl[廣瀬 雀吉](2021/02/01 16:24)
[45] get the regret over[廣瀬 雀吉](2021/02/22 22:58)
[46] Distance[廣瀬 雀吉](2021/03/01 21:24)
[47] ZERO GRAVITY[廣瀬 雀吉](2021/04/17 18:03)
[48] Lynx[廣瀬 雀吉](2021/05/04 20:07)
[49] Determination[廣瀬 雀吉](2021/06/16 05:54)
[50] Answer[廣瀬 雀吉](2021/06/30 21:35)
[51] Assemble[廣瀬 雀吉](2021/07/23 10:48)
[52] Nightglow[廣瀬 雀吉](2021/09/14 07:04)
[53] Moon Halo[廣瀬 雀吉](2021/10/08 21:52)
[54] Dance little Baby[廣瀬 雀吉](2022/02/15 17:07)
[55] Godspeed[廣瀬 雀吉](2022/04/16 21:09)
[56] Game Changers[廣瀬 雀吉](2022/06/19 23:44)
[57] Pay back[廣瀬 雀吉](2022/08/25 20:06)
[58] Trigger[廣瀬 雀吉](2022/10/07 00:09)
[59] fallin' down[廣瀬 雀吉](2022/10/25 23:39)
[60] last resort[廣瀬 雀吉](2022/11/11 00:02)
[61] a minute[廣瀬 雀吉](2023/01/16 00:00)
[62] one shot one kill[廣瀬 雀吉](2023/01/22 00:44)
[63] Reviver[廣瀬 雀吉](2023/02/18 12:57)
[64] Crushers[廣瀬 雀吉](2023/03/31 22:11)
[65] This is what I can do[廣瀬 雀吉](2023/05/01 16:09)
[66] Ark Song[廣瀬 雀吉](2023/05/14 21:53)
[67] Men of Destiny[廣瀬 雀吉](2023/06/11 01:10)
[68] Calling to the night[廣瀬 雀吉](2023/06/18 01:03)
[69] Broken Night[廣瀬 雀吉](2023/06/30 01:40)
[70] intermission[廣瀬 雀吉](2023/07/03 19:04)
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[32711] Missing
Name: 廣瀬 雀吉◆b894648c ID:41c9b9fd 前を表示する / 次を表示する
Date: 2013/01/27 11:57
 月の光に照らし出されたオークリーの大地はまるで自分の生まれ育った所の景色にそっくりだ。ニナは宿舎へと続く長い渡り廊下を歩きながら、滑走路の向こうに浮かびあがる丘の稜線を眺めながらそう思った。時折吹き渡る風の哭き声以外には自分しかいないその世界で彼女は、今自分が手にしている達成感を噛み締めながら遠い過去へと想いを馳せている。
 そっくりなのは景色だけじゃない。自分を高揚させる達成感とこの足取り、間違いない。
 あの日の月、リバモア工区のオペレーションルーム。

 宇宙空間での戦闘によって『重力下仕様』のガンダム一号機は大破した。当初より予定されていた宇宙戦仕様への換装を行う為にアナハイム・リバモア工区へと運びこまれた一号機はそこで大幅な仕様変更を含めた全面改装をこのプロジェクトの責任者であるニナ・パープルトンの手によって行われる運びとなった。機動能力向上の為のスラスター数増加とそれに伴うジェネレーターの巨大化、関節保護の為の稼働アーマーの追加など仕様変更の為の項目は多岐に及び、結果レストレイン・ケージから解放された一号機は当初予定されていた物とは全く別物の機体となってその全貌を現した。
 総推力234000㎏、パワーレシオだけならば今でも絶対に凌駕出来ない機動性能を誇るその試作機を操縦するパイロットの姿を改装に参加したエンジニアの誰もが想像し、そして疑いの眼差しを設計者であるニナへと向けた。本当にこんな物を使いこなせるパイロットが連邦に存在するのか、と。
 しかしそこに、彼女が必要とする最後のパーツは存在しなかった。

 両肩から突き出たユニバーサルブースト・ポッドから伸びる白炎、宇宙空間へと押し出す圧搾式カタパルトの水蒸気。星空を切り裂いて一直線に彼方へと飛び去る姿を、ニナはオペレーションルームの窓から羨望の眼差しで見送った。試作機である事を示す白と連邦軍の所属である事を明示する識別パネルの青は月の地平を僅かに照らす太陽の輝きに彩られて黒白に抗う。スピーカーから聞こえるコウの声に絶対とも言える確信と期待を込めて彼女は、刻々と送られて来るテレメトリーへと目を向けた。
 産声を上げた我が子の実力と性能、それは完全に彼にマッチしている。当然だ。
 これは全て『彼の為だけ』に私が創り上げた機体なのだから。

「 ―― この機体は成長するわ、誰かさんの戦技レベルと一緒に、ね」

 自分の予言通りに成長したフルバーニアンはガトーの魔の手からコウの命を護って二号機サイサリスと共にソロモンの海で散った。失った事への悲しみよりも取り戻した事への喜びに安堵するニナ、しかしそれも長くは続かなかった。
 彼がなぜ生き残ったか、その訳に気付いてしまった瞬間に。

 初陣からたった一ヶ月の間に伝説の撃墜王と対等に渡り合ったと言う事実、それはかのアムロ・レイ曹長が初陣に『赤い彗星』シャア・アズナブルと戦って以来の快挙となる。アムロ曹長のその後の活躍を紐解いてみると、彼がシャアと互角に戦えたその理由が自身の持つ稀有な資質によって為し得た物だと言う事が分かる。ではコウもそう言う資質を携えた、規格外の兵士なのだろうか?
 答えは否。ニュータイプとは常人とはかけ離れた空間認識力を持ち、未来を予知し、前兆を感知できる能力を持つ者達の事だ。確かにコウの空間認識や未来予測には目を見張る物こそあれそれが信じられないと言う程の物ではない、それにもし彼がそういう人種なのだとしたらなぜ彼はあの時不完全なままの一号機で宇宙へ飛び出したりしたのか。なぜ一号機は為す術もなく敵の砲火に蹂躙され続けてしまったのか?
 ほぼ同列に位置する自分の手掛けた二機の間にある差異はパイロットの技量のみだ、ではそれを埋めてガトーとコウが拮抗出来る為の要因とは?

  ―― 吐き気を催す様なおぞましさがニナを襲った。――

 彼を生き延びさせるために創ったプログラムはその代償として彼の魂を殺戮の螺旋の頂点にまで押し上げた。恩人を殺め、千畳の屍を糧にして成長を続ける私の願いは彼の復讐を手助けする為だけの道具へと次第に変わっていってしまった。撃墜王と言う血塗れの烙印を握り締めて宿敵と相見えた彼を見て、私は自分の犯した本当の罪の姿を知った、ソロモンの露と消えた将兵の命もケリィ・レズナーもサウス・バニングもその真実の前では私にとって取るに足らない瑣末な事でしかない。
 私は。
 私はこんな物を創ってしまったのか。
 こんな物を与えてしまったのか。
 あの二人に。

 罪は償わければならない。
 罪には必ず罰がついて回ると言う事を私は知りながら目を背け、素知らぬふりをしてやり過ごせると信じていた。自分が手掛けた二機のガンダムが跡形もなく宇宙の藻屑と消えた事を贖罪として、何事もなかったかのようにコウと二人で生きようと望んだ。どこまでもその勢力を広げていく人類の瓦の片隅で幸せを得るには十分過ぎる未来の続く限り。

 ―― 手遅れだった。――

 私の決意を嘲笑うかの様にその白い巨体を現した三号機、それは彼の為に創られた ―― いや、誰かの為に創られた機体では無い。拠点防衛と言う曖昧な役割を可能な限り考慮して、およそアナハイムで注ぎ込めるだけの技術を詰め込んだテストベッドとも言える物だった。コントロールコアとなるステイメンの武器以外は全て空間掃討用重兵装、彼がそれを放つだけで数百の命と未来が確実に消滅する死神の鎌。連邦初のモビルアーマーと言っても過言ではないこれを創造したのは紛れもなく自分自身、しかし私が棄てたその試案を形にしたのはルセット。私の良き友人でありながら良きライバルであり続けた女性。
 
                              *                                *                               *

「とぼけないで」
 咎める様なルセットの目を正視できずにニナは思わず顔を背けた。小脇に抱えていた自前のミニノートをまるで敵の手から我が子を隠す様にそっと後ろ手へと廻すニナ、不自然な動きを見咎めたルセットが畳み込むように問い質した。
「あなたがウラキ中尉の起動ディスクのコピーを持ってない、ですって? そんな訳ないでしょう。おまけにフォン・ブラウンのあなたのデスクに残っている筈のキャッシュすら消去してるだなんて」
「も、元々あのプログラムはあくまで試作機用のβ版だったから。正式採用されてからちゃんとしたコマーシャル版に書き換えるつもりだったのよ、だから ―― 」
「ふうん、じゃあいつでも書き換えられる様にその元データはあなたの知ってる『どこかに』はあるって事ね? 」
 取り繕う様につく嘘を一枚一枚剥がしていこうとするルセットの質問に耐えかねたニナが遂に言葉を失って俯く、ルセットはこれ以上の詮索が無駄だと分かると轟然と胸を張ってニナを睨みつけた。
「そう、そこまであなたがしらを切るならそれでもいい。中尉にはデフラの起動ディスクでステイメンに乗ってもらうから」
「だめよっ! 」
「ニナ、それは彼女の起動ディスクを使う事に対して? それともウラキ中尉を三号機に乗せる事? 」
 何もかも見透かした様に畳み込むルセットの問いに対する答えはただ一つ、しかしニナはそれを口にする事を躊躇った。ガトーの核攻撃によって終結したと思われた『星の屑』は華やかな戦果の裏側で更なる、そして真の戦略を露わにした。移送中の二基のコロニーを奪取して接触させる事により地球の引力圏内へと導く乾坤一擲のコロニー落し、事態は全てデラーズのタイムテーブル通りに進行中でしかもそれを止める為の十分な手立てすら見つからない。一縷の望みを遊撃艦隊として活動するアルビオンに託したコーウェンが最後の試作機を彼らに手渡そうとするのは必然の流れだと言えた。
「軍の命令に民間企業の一職員がもの申すなんてそんな事できっこないじゃない、あなたがいくら拒んでも彼は三号機に乗るしかないのよ。二度目のコロニー落しを阻止する為に、ね」

 ―― わかってる。わかってるからこそこのプログラムをコウに渡す訳にはいかない。テストパイロットをして人事不省を起こす様なモビルスーツにこんな物を搭載してしまったら一体どういう事になるか、人の手に余る制御機構とオペレーションはあっという間にプログラムに飲み込まれてコウの思考を引き摺り回した挙句に彼の意識を根こそぎ刈り取ってしまうだろう。私がこの機体のプランを破棄したのも、恐らく常人には二つのOSの統合制御が不可能であろうと言う観測による物だった。ルセットの手によって実験が続けられていると言う話は耳には挟んでいたがそれが実戦に投入されるとは思えなかった、そのまさかが今現実となってしかも操るパイロットはコウただ一人。
 ルセットの言う事は間違ってはいない、軍の命令である以上私達は三号機を受け取って一刻も早くコロニーの後を追わなくてはならない。コウがそう望んでいる限り、私は、彼を、止められない。
 だからこそ、これだけは、渡せない。

                               *                               *                                *
                               
 ニナの手の中に抱えられたミニノートの奥深くで封印されていた『禁書』。そのフォルダを開く事を躊躇わなかった訳ではない。だが彼女はあえて若き二人のパイロットの為にそれを役立てる決心をした。もちろんコウに組んだ物よりも遥かに制約が多く単純化された物ではあったが、それでもあの二人には十分だろう。そしてあの時のコウには無かった要素が彼らにはある。
 感情の高ぶりと共に操作の精度が荒くなるマークスはコウによく似ている、でも彼にはアデリアがついている。見た目とは裏腹な冷静さと沈着さを兼ね備えた優秀な僚機が。
 ただ一人でガトーと戦う事を求めたコウには誰もいなかった、だからこそ彼はあそこまで自分のスキルを高めなければならなかったのだ。もし今のキースがあの時の彼と共に戦場に立っていたのならばきっとあんな事にはならなかった。キース自身もそれを口には出さないがきっと同じ事を考えていたのだろう、だからこそコウのいなくなった今、ストイックに自分を追い込んで二人を鍛え上げようとしている。
「大丈夫、あの二人なら、きっと」
 ぽつりと呟いたニナは現実の世界へと想いを立ち戻らせて、自分の部屋のある宿舎の入口へと視線を戻した。
 ―― 大丈夫、彼らはコウじゃない。そしてガンダムもここにはないのだから。

 夜間モードに切り替えられた廊下の照明は足元すらおぼつかなくなるほど薄暗く、時折灯っている小さな豆電球の下を通る度にニナの髪がそれを受けて微かに煌めく。建物を縦に貫く長い廊下の突き当たりの右側、そこに彼女の居室があった。出来るだけ音を立てない様にハッシュパピーのソールを静かに降ろしながら自室へと向かうニナの耳に、まるでその心遣いを嘲笑う様に男女の声が聞えて来た。
 コンクリートの壁に反射して届く遠慮がちなその音をはっきりと捉えたニナは、ふっと足を止めて自分の居室の反対側にある筈の避難通路の扉を睨みつけた。
 ニナの部屋は仕官宿舎の中でも女性隊員専用エリアの一角に当たる。ただ自分の立場は技術部門の関係者という事でアデリアやモウラとは別の階の、民間人から嘱託と言う形で採用されている基地スタッフに使用を限定された階層にあった。
 緊急出動や非常事態に際して逸早く脱出路を確保できる位置に宿泊エリアを設けたのは民間人の安全の確保を優先に考えた先任司令官の配慮である。軍人である以上常に万が一の事態と言う部分は常に想定されていなければならず、その時の民間人の保護は古今東西如何なる場合に於いても最優先の考えられる、とは聞こえのいい話だが要は軍事行動において民間人の存在は単に邪魔になるからである。
 自分達の職場から部外者を排除し、仕事の専念できる環境を整える。その為その階層の廊下の先には地下へと続く避難通路の非常扉がある。分厚い鋼鉄で作られた其れは恐らくファウストやRPG等の対戦車駆逐ミサイルによっても破壊出来ない分厚さを誇り、一度閉めればそこに逃げ込んだ人員の安全は取りあえず確保される事を暫定的に約束する。
 だが平和な地上で、それも『忘却博物館』と軍内部から揶揄されるほど戦火から遠く離れたこの基地において軍規の緩みと言う物は往々にして幅を利かせているという事は摂理に叶った現象だ。特に民間スタッフ専住のこの階では消灯時間を過ぎてから束の間の逢瀬を楽しむカップルが少なくない。彼らは安普請で生るこの仕官宿舎での逢引を良しとせず、たまにこの避難通路の向こう側での秘め事を画策して扉の向こうへと消えて行く。その方が『音や声が外に漏れにくい』と言う単純かつ重要な理由を優先して。
「 …… まったく、もうっ! 」
 気持ちは分かるが腹が立つ。基地の周囲に人家が無く、人がいないという事は『そういう施設』が存在しないと言う現状を考えてみればその様な不埒な行動を選択するカップルの心境を非難する事は躊躇われるのだが、それがよりにもよって自分の部屋の直ぐ傍で行われていると言う現実は心情的には理解が出来ても納得がいかない。
 だがだからといって無理やりオークリーに赴任したニナにこの部屋を優先的に宛がってくれた先任の司令官の好意を無にする訳にもいかなかった。引渡しのほんの僅かな間とは言え司令官として赴任したパイロット上がりの彼はこの基地に於けるこれからのモビルスーツ隊の将来を憂慮して、万が一の時に備えてこの部屋をニナの為に選んだのだ。これからこの基地に隔離される事が決まっていた哀れな陸戦隊員の群れが憂さ晴らしに襲い掛かってきても逸早く逃げ込める、ニナの身柄の安全を保障するセフティーハウスとなるこの通路の直ぐ傍に。
 憤りを篭めて壁を睨むニナの耳が聴きたくない物を捉える、それが男女の声だという事が分かると一層腹立たしい。自分がこの忌々しい鉄の扉をビブラムの靴底で蹴り付けると言う不届きな行為に及ぶ前に自室に篭ろうと決心したその時だった。
「 …… ? 」
 ニナが小首を傾げた。
 おかしい、いつもならばもっと生々しい会話や声が聞こえて来る筈だ。だが不本意ながら耳を澄ませたニナの耳に届く男女の声には蜂蜜の様な甘さも、悩ましげな愛しさの欠片も無い。ただ声を潜めて何かを呟く感嘆の声だけが理性を伴ってニナへと届いている。本能をより合わせた様な男女の睦み事では絶対に発せられる事のない声。
「違う? …… 」
 ニナはそう呟いて声のする方向を探った。周囲に反響して分かり辛いその声音が、『いつもの場所』の反対側から流れている事を知るのにさほどの時間は掛からなかった。

 はっとして振り向くニナの視線の先には自室の古ぼけたドアがある。そして内開き ―― いざと言う時立て篭もるのには其の方が都合が良い ―― のドアの隙間から、その感嘆交じりの会話は漏れ出している。自分の憤りが見当違いであった事に、そしてその声の主達が誰であるかという事を理解したニナの表情が一転して氷解した。自分の勘違いによって湧き上がってきた感情を思い返して、揺れ動いた心の醜態を顧みながら苦笑する。
 鍵を掛けないのは最近のニナの癖。今夜の様に何時誰かが尋ねてきても部屋に迎え入れる事が出来る様に、最近ではほんの少しの外出ならば鍵を掛けずに部屋を後にする事が多くなった。昔とは違ってオークリー基地自体の治安が安定してきた事も挙げられるがそれよりもモビルスーツ隊の存在が陸戦隊のはみ出し者達に渋々ながら認められているという事も大きな要因だ。
 モウラやキース、そして …… コウの奮戦によってその地位を確保した彼らは最初は恐怖によって、そしてそれはコウの行動によって次第に尊敬へと変わっていった。布教にも似たコウの、懲罰による降格をも顧みないあの闘争の日々はこの基地自体の安定した日常を齎す事に寄与した。これは彼が残した成果の一つ。
 だがその日々の間 ―― 味方がいないその間に彼が私を心の支えにしてくれた事は無かった。気遣う私に言葉を返す事はあっても、その心を開く事は一度も無かった。拒絶する訳でもなく、感謝する訳でもなく。ただ心配する私の顔をじっと見つめる漆黒の瞳の底に蠢く絶望の影だけが私の心を苛み続ける。
 それを彼に植え付けてしまったのが、私。
 その影を消そうと努める私の日々の積み重ねを嘲笑うかの様にコウの瞳は陰りを増して、そして遂にあの日 ―― 。
 泡沫の様に浮かんでは消えるコウへの思いをそっと両手で包み込んで、自室に無断で居座り続ける二人に対して浮かんだ苦笑はそのままだった。閉じた蕾の中で出口を求める様々な思いを握り締めて、そしていつもと変わらぬ技術者然とした表情と雰囲気で武装を固めたニナは今朝の自分に戻って自室のドアへと歩み寄る。無断で自室に入った二人をどの様に叱ってやろうか、せめてドアくらいは閉めて話をしなさい。回りの部屋に迷惑だから、と言う台詞を頭の中に書き連ねてドアの取っ手に手を伸ばそうとした。

 ―― あなたたち ――
 皮肉交じりに浮かんでいた苦笑が見る間に凍り付いて指先にまで及んだ。ドアの隙間から覗く二人の背中はまるで恋人同士の様に仲むつまじく寄りそって一つの影になっている、だが前のめりになって何かを覗きこんでいるその気配を感じ取った瞬間にニナの記憶は昨晩にまで一気に遡った。ドアを開けた途端に目に入る古ぼけた17インチの液晶画面、彼らがそれを見ている事は明らかだ。ではそこには何が映っている?
 ” ―― あの後あのディスクを私はどこに仕舞った? 取り出した覚えは? いやそもそもパソコンの電源を落とした記憶は? ” 
 失われたまま取り戻しようのない過去に囚われていた昨日の自分の記憶を必死の思いで手繰り寄せるニナ、だがそれはまるで古ぼけて擦り切れてしまった映画のフィルムの様に断片的でしかも肝心な物は何も蘇らない。不吉な予感に鷲掴みにされた心臓が二人の背中に届くかと思ってしまう位に盛大な音を立てる、全てが凍りついた世界に佇んだままのニナの元へマークスの声が届いた。
「 ―― 何だよこの反応速度。20ms(ミリ秒)なんて単位、見た事も無い。どうやったらこんな速さで火気管制を呼び出せるんだ? 」
「それよりこの火器の種類は一体どういう事? 一回の戦闘で呼び出した攻撃選択コマンドが、えっと …… いち、に、さん …… 16!? 何でこんなに武器を装備出来るの? 伍長の乗った機体に付いていたハードポイントって一体いくつあったのよ? 」

 ―― ああ、神様っ! ―― 
 心の底で迸った慟哭がニナの体中に絶望を生んだ。絶対に誰にも見せてはならない禁断の書を自分の不注意で人の目に晒してしまった、それもよりにもよって自分が歩めなかった健やかな未来を託したあの二人にっ!
 目の前が真っ暗になって足が震える、少しでも気を許せばしゃがみ込んでしまいそうな膝を必死で支えながらニナは懸命に打開策を考える。吐息さえ聞こえない様に口を押さえた掌が熱を帯びた様に熱い、カタカタとなる歯の根とは対照的に瞬きすら忘れた彼女の両目は未だに彷徨う思考の迷路に逆らって、じっと二人の背中を見つめ続ける。
 だがそんな膠着も長くは続かなかった。ふうっとマークスが溜息を洩らした後に呟いたその言葉が、ニナの意識の全てを霧散させた。
「 ―― それにしても伍長の起動ディスク、現行の物とは違って随分と古いタイプの物みたいだ。一体何年ごろの物なんだろう? 」
「? ディスクを見ただけでそれが分かるの? 」
 マークスの指が外付けのディスクリーダーのイジェクトボタンに伸びる指をアデリアの声が止めた。マークスの指先の動きに釘づけになったニナの瞳が焦点を失って大きく見開かれた。
「俺達が使ってるディスクはアナハイムが主導になって全てのモビルスーツが同じ装備をつけられる様に統一された『ユニバーサル規格』になってからの物で、それさえあればアビオニクスがアナハイムの物であればどんなモビルスーツにもデータが反映される。でもこれは旧式の外付けリーダーを使ってるくらいだから多分その前の物だと思う、出してみれば一番手っ取り早く分かる ―― 」

 ―― やめてっ!! ――

 偶然以上の確率がニナの脳裏に閃いた瞬間に全ての思考が消え失せた。残っていた物は本能とも言える衝動とそれに後押しされる行動、背後で起爆した何かに背中を蹴飛ばされてニナは自室の扉に体を叩きつけた。

 酒場のスイングドアの様に勢いよく開いた木製の扉はそのまま勢い余って壁に激突した。大きな音がフロア中に轟く中で血相を変えて部屋に飛び込むニナと驚いて振り向く罪なき二人の侵入者、突き刺さる視線の中をつかつかと早足で歩み寄って傍らを通り過ぎたニナは、データリーダーのイジェクトボタンに触れていたマークスの指を振り払うとそのままモニターをオフにした。途絶える画面に呼応する様に沈黙が支配する室内、ニナが声を震わせて言った。
「あなた達」
 仄瞑い海の底から浮かび上がってくるような低い声。怒りや恐怖と言う言葉では表現し尽くせない様々な負の感情がその声には込められている様にアデリアは思う。蛍光灯の明かりに照らされた金の髪を穴があくほど見つめていた彼女に向かって振り向いたニナの表情はそれほど険しかった。
「今ここで見た物はすぐに忘れなさい。そして絶対に、二度と思い出してはいけない。いい? 」
「なぜですか」
 ニナの圧力に立ち向かう様に尋ねたのは隣に立っていたマークスだった。アデリアの目から視線を外してキッと睨みつけるニナに向かって、マークスは毅然とした態度で再び聞き返した。
「理由を ―― その訳を教えて下さい。それともう一つ、ニナさんがこの基地に常駐していない『民間人』の起動ディスクをなぜ隠し持っているかと言う事についても」
「まるでMPの様な聞き方ね。 …… 訳は教えられない、そして彼は ―― ウラキ伍長は予備役兵よ、ただの民間人じゃない」
「予備役兵が個人の起動ディスクを所持しているなんて聞いた事がない。大体彼らは有事の際にはどの機体でも使用可能なように汎用型のディスクが基地に保管されている筈です、従ってウラキ伍長がこのディスクを使って戦闘に参加する事は出来ない。それにこの形式のディスクが使えるアビオニクスを搭載した兵装がこのオークリーには、ない」
 理詰めでニナの矛盾を叩くマークスの表情は真剣だ、何かに突き動かされる様に彼はこのディスクの正体を暴こうとしている。口を噤んだまま射る様な視線を投げかけるニナに向かってマークスは更に問い質した。
「 ―― ニナさん、本当の事を教えて下さい。彼は …… ウラキ伍長とは一体、何者なんですか? 」
「彼は、ウラキ伍長はかつてオークリーのモビルスーツ隊に所属していて、この基地を離れる際に予備役として登録し直された、ただの民間人 ―― 」
「あなたはさっき彼の事をただの民間人じゃないと自分の口で言いました。そして …… あなたも、彼の過去をそう記憶しているんだ」
 マークスの言葉にアデリアがはっとなった。ウラキ伍長と言う人物に最も近しかった者の言葉こそ真実、そして自分達が探し当てた彼の記録との決定的な相違。
「軍に記録されている彼の経歴には『民間人からこの基地に予備役登録が為された』事になっている、と言う事はウラキ伍長はいままで一度も軍には在籍していない。でも彼を知るあなたや隊長、整備主任や古参の隊員達は伍長がこの基地の再建直後から働いていたと言っている。 ―― 彼についての記憶が全員書き換えられているのか、それとも軍の記録が書き換えられているのか …… ニナさんはどちらだと思いますか? 」
「なぜそれを。あなた達の立場ではジャブローのアーカイブに立ち入る事は許されない筈」
 マークスの放った真実にうろたえるニナ、取り繕う言葉を探す為に小さく動く唇は果たして何もそれに対する打開策を発する事は出来ない。
「僕がその事実を手に入れた事なんて今はどうでもいい事だ。それより僕が知りたいのは、なぜ軍はたった一人の兵士の経歴を書き換えてまで過去を隠そうとしているのかと言う事。そしてニナさんはその理由を知ってる筈です、他人が持っていると言うだけで軍機を犯すにも等しい個人の起動ディスクを、その危険も顧みずに隠し持っていたあなたならば」
「マークス、もう止めよう? 」
 尚も問い詰めるマークスの腕を引きながらアデリアが言った。
「ニナさんが言えないって言うんだったらもうそれでいいじゃない、きっと誰にも言えない大事な事なんだよ。それにマークスはニナさんとウラキ伍長の話が聞きたいんじゃなかったの? だったら何もこんな所で、しかも問い詰めてニナさんを困らせる事ないじゃない」
「 ―― 気がついたんだ。隊長やニナさんが言う、『目標とする相手』の事に」
 何かを確信してそう断言するマークスの瞳が輝きを増す、その光から目を逸らす様に顔を背けるニナと受け止める様に大きく眼を見開くアデリア。
「そうなんですね? ニナさん。 …… 彼 ―― ウラキ伍長の事なんですね、僕たちが目標とする ―― いや、しなければならない目標と言うのは」

「 ―― 彼は、もういない」
 小さな声で呟いた唇をアデリアは確かに見た。ニナの言う通りオークリーにはもうコウはいない、だがそれを意味する言葉ではない様に思えるほど切なく、そして重々しい声だったようにアデリアは感じた。ただじっと顔をそむけたまま静寂の時を費やすニナに向かって、業を煮やしたマークスが強い口調を差し向けた。
「ニナさん、僕を見て下さい。―― 僕の顔を」
 その言葉に促される様にそむけた目を再びマークスの顔へと向ける、何かにだだひたすら耐えようとしているニナの顔色ははた目から見ても痛々しいほどだ。
「分かりますか? …… 僕はこんな顔形をしている。アデリアは知っているけど僕の眼と髪の色は劣性遺伝で、この事で小さい時から僕と両親は随分と苦労をした。生まれた国を追われて辿り着いた新天地でも同じ様に蔑まれ、自分の出で立ちで巻き添えを食らう両親だけでも楽にしようと入った士官学校で付けられた仇名が『魔女のマークス』だ。そして軍に入隊した後でもそんな下らない差別は続いた。時には自分の命に関わるほどに」
 苦々しい過去を告白するマークスの瞳と魅入られた様にその異色を見つめるニナの蒼い瞳、交差する二つの感情が見えない火花をほんの僅かな暗闇に飛ばす。
「僕は色々な基地に …… 軍と言う組織に弾き出されてとうとうここに流れ着いた。コンクリートの建物以外には何も無いこの基地を見た時、最初はやっぱり自分の様な人間にはどこにも居場所は無い、遂に流刑地送りにされたと思ったくらいだ。 …… でも、違った。この基地は僕の様な者を差別も分け隔てもせず迎え入れてくれた。言葉遣いは悪くても、規律はなっていなくてもそれでもこの基地の人達は僕の事を『仲間』だと言って接してくれた。だからここは僕にとっての『楽園』なんだ、多分最初で最後の」
 振り絞る様な言葉がニナの顔色を変えていく。差別と言う名の理不尽に抗い続けた若き才能の苦悩を知ったニナの目から拒絶の意思が消え、憐憫と言う名の慕情すら現れ始めている。マークスの腕を押さえていたアデリアの手がそっと引かれて彼を自由に解き放った。
「 ―― アデリアはニナさんの事を『姉』の様に思っていると僕に言った。でも僕はニナさんだけじゃなく、僕の見てくれを何も言わずに受け入れてくれたこの基地にいるみんなの事を『家族』の様に思っている。だから僕は自分の本当の父や母と同じ様にこの基地の皆を守りたい、守れるだけの力が欲しい」
「『家族』 …… 」
「僕の『家族』が守れるのなら、守らなければならないのなら僕は何だってしてみせる。どんなに理不尽でも無茶でもその為に必要ならばどんな事だって構わない。 ―― だからニナさん、教えてください」
 それはアデリアにさえ告げた事のない彼の願いだった。ニナのコウの事を聞く為だと言ってキースに無茶な賭けを申し出たのも、そしていきなりマニュアル操作での演習を画策したのもその根源には「その力が欲しい」と願うマークスの持つ強い意志が齎した結果なのかもしれない。
「僕の大事な『家族』を守る為に得なければならない力って、『コウ・ウラキ伍長』とは一体何者なんですか? そしてどうして伍長は、どんな理由でこの基地を去らなきゃいけなかったんですか? 」

 左には強い意志を現す琥珀の色、右に冷静な理知を潜める白銀の光沢。その瞳の何処が気味が悪いのだろうと間近で見るニナは思う。マークスの宿した双眼異色ヘテロクロミアは正しく人が生み出した偶然の産物であり、そこには求めても得られる事の無い美しさが混在する。
 だが求めて得られない物ならば人はそれを手に入れる事を諦めて自分の価値観からそれらの存在を締め出して決して認めようとはしなくなる、それが『差別』の正体だ。人の罪に苛まれ続けて尚抗い続けた青年の二色の虹彩の底に輝く願望は差し伸ばされる手となって、ニナが心の奥に封印してあった記憶の琴線へと触れた。

 アデリアは私の事を『姉』と、そしてマークスは『家族』だと言う。それは私達も同じ。二人の事を掛け替えの無い『家族』と思うからこそ今まで見守ってきたのだから。だけど。
 あなた達の事を大事に思うからこそ、隠さなければならない事もある。『家族』だからこそ守らなければならない物がある。それはあなた達の素晴らしい未来の姿。
 私達が生きた現実の全てをあなた達に話してしまったら、あなた達が泳ぐ清浄な水域と私達が潜む混濁した水域の水は、交わる。日の光の下で健やかに平和を謳歌し続けるあなた達の人生はそれを境に一変する。私達と同じ秘密を抱えて一生報われる事の無い人生を歩まなければならなくなる。それを少しでも外部に漏らした事が当局にばれれば速やかに存在を抹消されてしまうかもしれないと言う恐怖に怯えながら。
 ―― だから、言えない。話す訳にはいかない。

 言語やことわざのみならず過去の事象や歴史上の教訓に至るまでありとあらゆる知識を総動員して説得の準備を始めるニナ。しかし当たりくじの僅かな抽選箱をかき混ぜるその手が不意に掴みだした一つの可能性を省みて、彼女の確固たる決意はあっという間に覆された。

 もし、今ここでその事を告げないとしたら二人はこの後どうするのだろう、私の言う事を聞いて大人しく引き下がってくれるのだろうか? 
 いや、否定ネガティブ
 自分達の手でコウの矛盾を探り当てた位だ、例え私がここで彼らを上手く説得できたとしてもそれで引き下がる様なやわな根性はしていないだろう。きっと私以外のルートを通じてコウの事や、彼に纏わるいくつかの秘密を解き明かすに決まってる、そしてそれはティターンズが必死になって隠そうとしているあの紛争の真実の一端に触れる事と同じ意味を持つ。 ―― 結果は同じ。
 いや違う、同じじゃない。
 私の知らない所で彼らがあの日の事実を知り、その事で『デラーズ紛争』を調べようとする者達に次々に訪れている偶然の不幸がこの二人の身に襲い掛かったとしたら、私は今晩の事を後悔せずにいられるのか?
 自分が隠し通そうとした事で失ってしまったコウ、私は同じ事を繰り返そうとしているのか? 失ってから初めてその大きさに気付き、後悔してしまう様な真似を再び。
 
「 …… 一つだけ約束してちょうだい」
 俯いたままぽつりと零れたニナの声には、今まで二人に向けられていた激情の彩りが無かった。彼女の突然の変化に目を見開いて成り行きを見つめる二人に向かって、ニナは顔を上げると静かな面持ちと声音で告げた。
「今から私があなた達に話す事を絶対に他の人に言ってはいけない、例えそれがあなた達の親友でも親兄弟でも。―― そしてキースやモウラにも」
「隊長やモウラさんにも、ですか? だってニナさん達はずっと伍長と一緒に ―― 」
「二人もこの事は知らないのよ」
 小さく頭を振って否定するニナの表情には後ろめたさがありありと浮かんでいる。
「 …… だからこの事はあなた達二人だけの胸の中にしっかりしまっておいて欲しいの。軍の機密保持とはレベルの違う、あなた達の命に関わる問題だから。いい? 」
 覚悟を突き付けるニナの瞳が交互に二人の顔を見つめた。視線と共に流れ込んで来る冷たい予感に背筋を凍らせながらもアデリアとマークスは交互に小さく頷いた。
『好奇心は猫をも殺す』とは大昔の小説の題名だったか、頭の中にふと浮かんだ他愛もない一節に心の中で一人ごちたニナは、目の前の二人が決してそうはならない様に祈りながら一つ溜息をついて視線を落とした。
 その仕草が懺悔をする為の儀式に似ている、とアデリア。その通りだった。
「あなた達が見た起動ディスクは確かにコウ・ウラキ予備役伍長本人の物。そしてそこに記録されているデータの最終更新日は宇宙世紀0083年11月13日 …… 彼が宇宙で最後に戦った日」
「戦った? ―― ちょっと待って下さいニナさん、0083年って一年戦争から三年も後の事じゃないですか。その頃に起こった戦闘と言えば一部のジオンの残党による小競り合いしか無かったと教えられました、ましてやこんなモビルアーマーが参戦する宙域がその頃にあったなんて僕にはとても信じられない」
 言いたい事を全部マークスに持っていかれてしまったアデリアは真剣な眼差しをニナへと向けたまま無言で頷く、二人の反応を無かったかのように受け流したニナはその後に続くべき言葉を告げた。
「それはティターンズがその勢力を拡大する為に利用した地球圏内の極小規模な地域で発生した紛争、そしてコウはその紛争の中心で数多くの敵と戦い続けて最後まで生き残った撃墜王。それ以降彼は予備役に編入されて表舞台から姿を消すまでこう呼ばれていたわ …… 『悪魔払いエクソシスト』と」

 それは特殊な二つ名だった。本来別名を与えられるほどの実力を持ったパイロットならば氏素性は広く知れ渡っているのが常だ。『白い悪魔』とジオンの兵士に畏れられたアムロ・レイ曹長しかり、『赤い稲妻』と呼ばれたジオンの英雄シャア・アズナブルしかり。
 しかしその二つ名は軍関係者の間で突如として持ちあがり、まるで夏の日の入道雲を思わせる勢いでその名を広めた。誰しもがその正体を知りたがり、そしてその実力をこの目で見極めたいと願う、しかしその二つ名がどういう経緯で兵士の口に上り始めたのかも定かでは無く、どこの所属部隊で一体誰なのかと言う事すら分からなかった。いつの間にかその名は寓話や伝説の中の英雄像として彼らの間で語られるようになり、風化しかけたその噂を耳にしたアデリアやマークスでさえお伽噺の主人公の様な扱いでその存在を疑っていたのだ。
 だがその伝説が確かな実体を持って、しかも自分達のすぐ傍に現れたと言う事実は二人を愕然とさせるには十分だった。アデリアはその小さな口を噤んで思わず唾を飲み、マークスはその言葉をやっとの思いで口にした。
「あ、あの人が …… 伍長が、あの『悪魔払い』、だって? 」
 小さく頷いたニナには誇らしさの欠片も見受けられない、むしろその名前の背後にある罪深さを嘆く様に沈痛な面持ちで顔を上げた。
「私やキースがあなた達に求めた物は確かにあなたの予想通り、キースのパートナーとして立派にやっていけるだけの実力よ。でもそれは決してコウ ―― 彼が『悪魔払い』と呼ばれる由縁になったこの日の力じゃない。ここに記された記録は決して人が到達してはならない悪魔の領域、ふみ込んだら最期、二度と戻っては来れなくなる」
「悪魔の領域? 」
「そう。あなた達でも一目見れば分かるくらい、この時の彼の反応速度は常軌を逸している。OSの処理速度の限界を超えたコマンド入力と火器制御 ―― 彼はそこまで自分を追い詰めなければ勝てない相手と戦っていた、アナベル・ガトーと言う悪夢と」
 その名を聞いたアデリアの脳裏に蘇るついさっきの記憶、そんな事はありえないと三人で顔を見合せて笑ったあの小説のストーリー。
「じゃ、じゃあ伍長の乗っていたこの機体はまさか …… ガンダム、三号、機? 」

 なぜそれを知っている、と言わんばかりに眉をひそめたニナがキッとその声の主を睨む。反射的に慌てて口を手で塞いだアデリアを一瞥してから彼女はほう、と溜息をついた。
 そこまで調べがついているのならばもう隠しておいても意味がない、いっそここで全てを洗いざらい話して彼らにこの話の持つ恐ろしさを分からせておいた方がいいのかも知れない。封印していた過去を再び引き剥がす為にニナは顰めた眉を元へと戻した。
「開発ナンバー、AERX-78GP03。 ―― 一年戦争終結後に当時の連邦軍本部とアナハイムとの間で極秘に進められていた次期主力機動兵器開発計画『ガンダム・プロジェクト』 …… 彼が残した記録はその内の試作機の一つ、『デンドロビウム』と言うコードネームを持つ三号機によるものよ」
「試作機、を戦線へ投入、だって。そんな無茶な、そこまで切羽詰まった戦況に戦勝国が陥るなんて。一体そこでどんな戦いが行われたって言うんですか? 」
「 ―― あのアイランド・イーズが事故では無く、彼らの手によって地球へと落とされたと言ったら? 」
 静かにあの紛争の終結点ピリオドを語ったニナの目にもはっきりと分かる位、二人に動揺が現れた。人の手によって地上に落とされたコロニーはブリティッシュ作戦によって落下したアイランド・イフィッシュだけだと教えられてきた、南極条約違反である『大質量兵器の使用』を何の糾弾もせずに隠蔽して何の得があると言うのか。
「『南極条約』には確かに違反しているけど、所属する国家を持たない彼らには適用されないわ。それに戦時協定として締結されたそれは平時に於いては何の効力もない」
 二人の内に浮かんだ疑問を読み取った様にニナが答えた。どうせ見透かされているのなら、とマークスは気を取り直して次々に湧き上がる質問を素直にニナへとぶつける。
「彼ら、と今言いましたね。 ―― 国家を持たない、と言う事は私兵と言う事になる。しかしいくらガトーが伝説の撃墜王と言っても、一兵士にそれだけの戦力を統率するだけの力があるとは思えない」
「彼はその戦いを起こした張本人じゃない、その艦隊のモビルスーツ隊の総指揮官として全軍を掌握していただけ。 …… エギ―ユ・デラーズ、それがその紛争を ―― いえ、ティターンズに千歳一隅の機会を与えた男の名前。その当時私の作ったガンダムが盗まれたその瞬間から始まった一連の紛争の事を、連邦軍ではこう呼んでいた」
 ふっと遠い目になったニナが二人から目を離して肩越しに見える暗い部屋の隅を見た。思い出すにはあまりにも辛く、そして生々しい過去の疵。だがニナは全ての力でその重い扉をこじ開けると、そこに刻み込まれた記憶の題名を声に出して読み上げた。
「 ―― デラーズ、紛争、と」


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