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No.32711の一覧
[0] 機動戦士ガンダム0086 StarDust Cradle ‐ Ver.arcadia ‐ 連載終了[廣瀬 雀吉](2023/07/03 19:06)
[1] Prologue[廣瀬 雀吉](2012/04/19 18:00)
[2] Brocade[廣瀬 雀吉](2012/04/19 18:01)
[3] Ephemera[廣瀬 雀吉](2012/05/06 06:23)
[4] Truth[廣瀬 雀吉](2012/05/09 14:24)
[5] Oakly[廣瀬 雀吉](2012/05/12 02:50)
[6] The Magnificent Seven[廣瀬 雀吉](2012/05/26 18:02)
[7] Unless a kernel of wheat is planted in the soil [廣瀬 雀吉](2012/06/09 07:02)
[8] Artificial or not[廣瀬 雀吉](2012/06/20 19:13)
[9] Astarte & Warlock[廣瀬 雀吉](2012/08/02 20:47)
[10] Reflection[廣瀬 雀吉](2012/08/04 16:39)
[11] Mother Goose[廣瀬 雀吉](2012/09/07 22:53)
[12] Torukia[廣瀬 雀吉](2012/10/06 21:31)
[13] Disk[廣瀬 雀吉](2012/11/15 19:30)
[14] Scars[廣瀬 雀吉](2012/11/15 19:32)
[15] Disclosure[廣瀬 雀吉](2012/11/24 23:08)
[16] Missing[廣瀬 雀吉](2013/01/27 11:57)
[17] Missing - linkⅠ[廣瀬 雀吉](2013/01/28 18:05)
[18] Missing - linkⅡ[廣瀬 雀吉](2013/02/20 23:50)
[19] Missing - linkⅢ[廣瀬 雀吉](2013/03/21 22:43)
[20] Realize[廣瀬 雀吉](2013/04/18 23:38)
[21] Missing you[廣瀬 雀吉](2013/05/03 00:34)
[22] The Stranger[廣瀬 雀吉](2013/05/18 18:21)
[23] Salinas[廣瀬 雀吉](2013/06/05 20:31)
[24] Nemesis[廣瀬 雀吉](2013/06/22 23:34)
[25] Expose[廣瀬 雀吉](2013/08/05 13:34)
[26] No way[廣瀬 雀吉](2013/08/25 23:16)
[27] Prodrome[廣瀬 雀吉](2013/10/24 22:37)
[28] friends[廣瀬 雀吉](2014/03/10 20:57)
[29] Versus[廣瀬 雀吉](2014/11/13 19:01)
[30] keep on, keepin' on[廣瀬 雀吉](2015/02/05 01:50)
[31] PAN PAN PAN[廣瀬 雀吉](2015/02/05 01:25)
[32] On your mark[廣瀬 雀吉](2015/08/11 22:03)
[33] Laplace's demon[廣瀬 雀吉](2016/01/25 05:38)
[34] Welcome[廣瀬 雀吉](2020/08/31 05:56)
[35] To the nightmare[廣瀬 雀吉](2020/09/15 20:32)
[36] Vigilante[廣瀬 雀吉](2020/09/27 20:09)
[37] Breakthrough[廣瀬 雀吉](2020/10/04 19:20)
[38] yes[廣瀬 雀吉](2020/10/17 22:19)
[39] Strength[廣瀬 雀吉](2020/10/22 19:16)
[40] Awakening[廣瀬 雀吉](2020/11/04 19:29)
[41] Encounter[廣瀬 雀吉](2020/11/28 19:43)
[42] Period[廣瀬 雀吉](2020/12/23 06:01)
[43] Clue[廣瀬 雀吉](2021/01/07 21:17)
[44] Boy meets Girl[廣瀬 雀吉](2021/02/01 16:24)
[45] get the regret over[廣瀬 雀吉](2021/02/22 22:58)
[46] Distance[廣瀬 雀吉](2021/03/01 21:24)
[47] ZERO GRAVITY[廣瀬 雀吉](2021/04/17 18:03)
[48] Lynx[廣瀬 雀吉](2021/05/04 20:07)
[49] Determination[廣瀬 雀吉](2021/06/16 05:54)
[50] Answer[廣瀬 雀吉](2021/06/30 21:35)
[51] Assemble[廣瀬 雀吉](2021/07/23 10:48)
[52] Nightglow[廣瀬 雀吉](2021/09/14 07:04)
[53] Moon Halo[廣瀬 雀吉](2021/10/08 21:52)
[54] Dance little Baby[廣瀬 雀吉](2022/02/15 17:07)
[55] Godspeed[廣瀬 雀吉](2022/04/16 21:09)
[56] Game Changers[廣瀬 雀吉](2022/06/19 23:44)
[57] Pay back[廣瀬 雀吉](2022/08/25 20:06)
[58] Trigger[廣瀬 雀吉](2022/10/07 00:09)
[59] fallin' down[廣瀬 雀吉](2022/10/25 23:39)
[60] last resort[廣瀬 雀吉](2022/11/11 00:02)
[61] a minute[廣瀬 雀吉](2023/01/16 00:00)
[62] one shot one kill[廣瀬 雀吉](2023/01/22 00:44)
[63] Reviver[廣瀬 雀吉](2023/02/18 12:57)
[64] Crushers[廣瀬 雀吉](2023/03/31 22:11)
[65] This is what I can do[廣瀬 雀吉](2023/05/01 16:09)
[66] Ark Song[廣瀬 雀吉](2023/05/14 21:53)
[67] Men of Destiny[廣瀬 雀吉](2023/06/11 01:10)
[68] Calling to the night[廣瀬 雀吉](2023/06/18 01:03)
[69] Broken Night[廣瀬 雀吉](2023/06/30 01:40)
[70] intermission[廣瀬 雀吉](2023/07/03 19:04)
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[32711] Disclosure
Name: 廣瀬 雀吉◆b894648c ID:41c9b9fd 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/11/24 23:08
「次の作戦が決まった、一週間後の未明になる」
  窓一つない地下の部屋でその男は居丈高な声で告げた。規定によるR&Rを予定通り消化したダンプティは休み明け早々に下された出頭命令にも何食わぬ顔でその部屋を訪れる、しかし心の奥底ではいかにも腐敗した連邦軍を象徴する様なこの男と相対するのを嫌悪した。威嚇する様にこってりと塗りつけられたポマードの匂いが鼻に衝く、それよりも部下である自分達を蔑んだ目で見つめるその態度が気に入らない。自分の周りでは今まで見た事も無い最低の上官に向かって、それでもダンプティは右手を掲げて踵を鳴らした。
 直立不動で見事な敬礼をする彼に向かって男は無造作にファイルを投げてよこした。二人を隔てる巨大なデスクの表面を滑ったそれはぴたりとダンプティの前で止まる、さして分厚くも無い作戦命令書を取り上げると彼は表紙を捲ってから呟いた。
「オークリー基地? 聞いた事も無い名前ですね …… 軍の施設、それも基地を襲撃するのは今回が初めてだ」
「基地とは名ばかり、連邦でも鼻つまみ者達を強制的に収容した刑務所の様な所だ。もちろん基地と言うからにはモビルスーツも旧式ではあるが配備はされている、しかし問題はあるまい」
 簡単に言ってくれる。
「ですが准将、今度の相手は曲がりなりにもそれなりの訓練を受けた軍人です。それにモビルスーツ部隊が配備されていると言うのであれば前回の研究所の様には ―― 」
「臆病風にでも吹かれたか、中佐」
 幅広な口角を歪めて嘲笑うその顔はまるでお伽噺に出て来そうな小鬼ゴブリンを彷彿とさせる、僅かな照明の光を受けて妖しげに光る瞳をダンプティに向けた男はさも愉快げな口調で言った。
「作戦成功率100%を誇る『W.W.W』小隊の真の姿がまさかジオンの負け犬に率いられているなどとは、今まで襲われた奴らも気付くまい。貴様の戦績も自らの実力では無くただ単に運が良かっただけではないのか、ええ? 」
 他人は自分を映す鏡なり、とは昔の人はよく言った物だ。自分がこの男を心の底から嫌っている様に、この男も自分の事を嫌悪している。
 だがそれもティターンズという勢力の興りを考えれば頷ける、地球至上主義を掲げた彼らにとって元ジオン軍の自分等は最も唾棄されて然るべき存在なのだ。この旅団が一切の前歴を考慮せずに参加出来る外人部隊の性格を持っていなければ、自分ばかりかケルシャーもここへもぐりこむ事は出来なかっただろう。
 無表情で罵詈雑言を聞き流したダンプティを舐めあげていた男は、自分の挑発に一切乗ろうとはしない彼の顔に向かって侮蔑の鼻息を洩らした。
「貴様の臆病さ加減は大佐カーネルもよくご存じのようだ、今回の作戦を実施するに当たって彼の方からも直々に追加戦力の要請が届いている。 ―― それも、五機もだ。私は反対したがな」
 そう言うと面白くもなさそうな顔で次のファイルを机の上に滑らせた。追加戦力として参加するパイロットの経歴へと目をやったダンプティは、ふと浮かんだ疑問を迂闊にも口に出した。
「 …… ざっと見る限りではつい最近にティターンズへと参加した連中ばかりですね。能力的には十分なのですか? 」
「自惚れるな。それでも最前線でつい最近まで残党狩りをしていた連中ばかりだ、貴様の元お仲間を、な」

 心の底で燃え上がった殺意の焔を理性の力で必死で押し留める。危うく素顔をさらけ出しそうになったダンプティが小さく喉を鳴らして気持ちを整えると、怒りで眩んだ視界がはっきりと像を結ぶ。目の前に座った男はいつの間にか机の引き出しを僅かに開いて右手を深深と差し込んでいた。
 そこに何が握られているかと言う事など言うには及ばない。
「了解しました。それでは彼らを準隊員として我が小隊へと編入させます。役回りとしては各隊員の援護と言う事になりますが」
「貴様の好きにしろ、入ってからの事まで私は関知しない。それに今回の貴様達の任務は前回と同様、敵高脅威目標の撃破制圧。本作戦の実働は地上部隊が行う手筈になっている」
「と言う事は今回もその基地内の誰かを確保すると言う事で? しかしこんな聞いた事も無い様な基地にどんな人材が埋もれていると ―― 」
 ダンプティが尋ねた瞬間に男の指の間に挟んだ紙切れが目の前へと滑り込んだ。一枚のポートレートに映った女性の顔を見るなりダンプティが目を細める、その変化を見逃さなかった男が言った。
「どうした、この女がどうかしたのか? 」
「いえ …… 」
 取り上げた写真をじっと眺めていたダンプティがしばしの沈黙の後に男へと問いかけた。
「どう見ても只の、美しい女性です。今までの様に科学者や技術者ならともかく、彼女に一体どのような利用価値が? 」
「対象は殺害する。ブージャムには口頭でそう命じてある」

 声には出さなかったがダンプティの顔には疑問の表情がありありと浮かぶ。対象すらも殺害するという事は攻撃対象となったこの基地の全てを完全に抹殺すると言う事になる、ならばわざわざ自分達が出張ってそんな回りくどい事をしなくても他にもっとやり方があるのではないか?
「これはバスク・オム大佐からの直々のご命令だ、「見つけ次第殺せ」とな。クライアントの手前表向きは対象の確保と言う事にしてあるが、戦場で起こる不慮の事故ならば仕方があるまい? 」
「我が隊の戦果に疵をつけてでも、この命令を成し遂げろと? 」
 自分達の積み上げた実績と言う物はそのまま作戦行動へのモチベーションへと繋がる、常勝無敗を誇る者のたった一度の敗北が致命傷になる事は過去の歴史が教えている。目には見えない興亡のあやを危惧したダンプティが男にそう尋ねた時、彼はいかにも不愉快そうに鼻を一つ鳴らした。
「何の罪も無い大勢の人間を殺し続ける貴様らが戦果? ふん、ご大層な物言いだな中佐。その下らん誇りとやらが貴様の母国を敗北へと導いたと言う事が未だに分からんか」
 戦場での命の遣り取りの本質を理解出来ないこの男が一度もそこに参加していない輩だと言う事をダンプティは知っている、故にそれを只の殺し合いだとしか認識できない彼は足し引きでしか戦争を考えられないのであろう。自分の過去に向かって恥辱をぶつける男に向かって、ダンプティはまるで心の扉を閉ざすかのようにはっきりとした声で返答した。
「若輩者ゆえ戦争の機微について閣下と語り合う事は能いませんが、司令部よりの下知と言う事であらば速やかに拝命いたします」
 その固い物言いこそがダンプティの最大の抵抗だった。何の感情も浮かべずにそう告げて踵を返した彼の背中へと男の侮蔑が投げつけられる。
「命令とあらば同族殺しも厭わんとは、さすがに自らの出自たるこの地球にコロニーを落とした連中だけの事はある」

「酷い顔色です、一体どんな無理難題を ―― 」
 部屋の外で待っていたケルシャ―がダンプティを一目見るなりそう言った。自分では平静を装っているつもりでも張りつめた空気から解放された瞬間に、その心情は正直に表情へと現れた様だ。自分が唯一本音を語れる同士に向かってダンプティは小脇に抱えたファイルを渡した。
「次の作戦が決まった、実施は一週間後の未明。作戦要項はそのファイルに書かれてある通りだ、貴様は直ちにその内容に従って詳細な時間割を構築して各部署間での調整に入れ。各項目に関する補正と承認は私自らが行う」
 手渡されたファイルの表紙を開くなりケルシャ―は、ううむと小さく唸ったまま手書きの書類から目が離せない。
「 ―― まさか味方の基地まで手に掛けるとは …… 目的の為に手段は選ばんとは言えこれはあまりにも非道過ぎる。 ―― 中佐」
 ダンプティよりも遥かに年上のケルシャ―は歴戦の足跡を顔の皺に刻み込んだ武人の表情に憂慮の色を携えて顔を上げた。
「私がこのような事を中佐に申し上げるのは差し出がましい事だとは思うのですが、もしこの作戦が中佐の矜持を真に穢す物であるのならばお受けする必要はないのでは? 他にも実働部隊はいますし何よりも ―― 」
「俺達は傭兵、金銭の授受をもって作戦への承拒を選択出来る。 ―― 確かに貴様の言う通りだが ―― 」
 そう言うとダンプティは手を伸ばしてファイルを捲るとニナの写真がクリップで止められたページを開いた。怪訝な目で覗きこむケルシャ―に静かな声で言い放つ。
「俺達が断った所でバスクからの命令である以上この作戦が中止される事は有り得ない、そして他の連中には任せられない理由がここにある」

                              *                                *                               *
 
 研究所の最上階にある広大な窓を占領する黎明の暁はそれを眺める一人の男の眼を赤く彩っている。生まれい出ようとする今日と言う日に魅せられたかのように身動ぎもせず、立ち尽くしたままでいるハイデリッヒの背後に控えていた暗い人影が心に秘めた不安を押し隠せずに尋ねた。
「よろしいのですか、所長。あのような軍人を信用して」
 微かに含まれる怯えと非難の要素を孕んだ声にハイデリッヒは応えない、あけの閃光が遠くに霞む山肌を照らし出して彼の蓬髪を白から赤へと染め上げた瞬間に彼はその口を開いた。
「信用? する訳が無い」
 踵を返して尋ねた部下に向き合うその顔には得も言われぬ嘲笑がある、意外な返答に驚いた彼を前にしてハイデリッヒは両手をポケットに収めたままで静かに言葉を続けた。
「あのバスクと言う男は正直言って無能だ、ティターンズと言う組織があの男を重用する限りいずれは致命的な失態を犯して全てを崩壊に導く事は間違いない。無能は無能なりに現場であくせく働いておけばいい物を、変な色気を出して政治等と言う分不相応な魔窟に足を踏み入れるからああいう風に肩肘張って生きていかねばならない羽目になる。まさに道化だな。 ―― まあもっとも」
 面従腹背を曝露するハイデリッヒの表情は嘲りを通り越して愉悦へと進化する。
「 ―― そうでなければ困る。道化は道化なりに精一杯観客の要望に応えて踊り続けてもらわねば、わざわざこの研究所をティターンズ直属の機関に推し進めた意味が無くなる。彼らの力無しには私の『実証』にも支障をきたすのでね」
「ですがあの男がこちらの思惑通りに動くと言う保証も無い、無能と言えども今日までにあの地位にまで登りつめた人物ならばかなりの権謀術数は持ち合わせていると考えるべきでしょう。何もこれほどの素質の持ち主の参画をそんな男に委ねなくても ―― 」
「思惑通りだよ、私にとっては」
 ハイデリッヒはそう言うと顎を持ち上げて白い天井の一角を見上げながらぽつりと呟いた。
「 ―― 奴は殺そうとするだろうな、彼女を」

 ハイデリッヒの独白はそれを尋ねた男の声を凍りつかせる。望んだ物を手に入れられない可能性へと言及したハイデリッヒは小さく口を開いたまま呆然とする彼に向かって言葉を続けた。
「奴は無能ではあるが正しく軍人だ、今頃は妄想で膨らんだ頭を冷やして自分が成り上がる欲望とそれに伴って降りかかる自分への風当たりを計りに掛けている頃だろう。 …… ティターンズはまだ創設して間も無い組織だ、巨大な勢力を誇っているが故にその内部は脆弱で危うい。自らの出世を献身や人望では無く恐怖や権力で成し遂げた奴だからこそ自分の突出が組織のバランスを崩すと言う事にはすぐに気が付く、その時に奴が選べる分岐は驚くほど少ない」
「自分の保身の為に、所長の依頼をわざと失敗する。 …… それでは私達の為に必要な得難い才能をみすみす ―― 」
「奴には是非ともそうして貰わねば困るのだ。その為の毒も撒いておいたのだから」
 失う物の無いハイデリッヒと大きな損失を被るバスクとの立場の対比がそれだ。彼が真に支配者たる資質を持っているのならばハイデリッヒの提案がいかに今後の宇宙史に大きな足跡を残す可能性があるかと言う事を深慮するだろう、しかし俗物であるが故に自らの立場や抱えた財産に固執し、それを打ち棄ててまで夢の実現と言う曖昧な物へと自らの足を向けると言う暴挙に出る事はありえない。ここで対象を殺した所で自分の立場や権力には何の影響も及ぼさない、またはそれに近い方法や言い訳を考えるに違いない。
「そういう点においては奴は矛盾だらけの、中途半端な人間なんだよ。そのまま私の申し出に乗っておけばティターン等と言うちっぽけな一勢力だけではなくこの人類の生存圏全ての権力を手中に収める事ができると言うのに。だが奴の様な卑屈な者が抱える矛盾によって引き起こされる判断が今回の私の狙いでもある」
 腹の内に収めておいた思惑を全て晒したハイデリッヒは満足そうな笑み ―― 相対する男には普段との違いは分からないが ―― を浮かべて小さく頷いた。

「『ニュータイプ』としての彼女はまだ生まれてもいない、いわば覚醒前の状態だ。自分の仕事や研究の影に見え隠れする力を彼女や周囲の人間はただの才能としか思わないだろう。実際彼女の成し得た仕事は奇跡に近い代物ではあるが世の理の常軌を逸したと言うほどの物でもない、あくまでも人の考えの及ぶ理屈の範囲内に収まっている。もし彼女がその能力を完全に発揮していたとしたらこんな物では済まない、恐らくこの世の誰一人として扱う事の出来ないガンダムが出来上がっていたはずだ」
 その結論は彼ならではの実績から導き出された物だ、と口を噤んだままハイデリッヒの講義へと耳を傾ける男は思った。かつてフラナガン・ロムの右腕としてジオンのニュータイプ研究に深く関わり、その後継者と目されながら突然の逐電によって連邦軍へと亡命を果たした科学者。ニュータイプ理論においてはその卓越した分析力と非道とも言える実証によって師をも凌ぐ一家言を擁し、その彼をして『生まれてくるのが十年早かった男』と言わしめた鬼才。
 エルンスト・ハイデリッヒ博士。
「では所長は彼女の事を大佐にお願いする前に、既に注目していらしゃったと」
「次期主力機開発計画の責任者が彼女だったと知ってからだ。独自のつてでその事実を確認した私はすぐに彼女が生まれてから現在に到るまでに残した足跡 ―― 在籍した学校の成績はもとより論文、作文の類に到るまで全ての綱目に於いて検討したが、そこには彼女がニュータイプとして覚醒したと言う事実は見いだせなかった。しかしあのガンダム三機の基礎理論を立ち上げた時のデータには、僅かながらニュータイプ特有の閃きによる論理の跳躍が見受けられたがね」
 洗い晒しの白衣のポケットから眼鏡を取り出して、何かを思い出す様に金属の蔓を何度も折り畳みするハイデリッヒは突然閃いた様に顔を上げて目の前の男に尋ねた。
「ここで君に質問だ。 ―― ニュータイプの最も効果的で、かつ効率のよい発動条件とは何だか分かるかね? 」

「死に直面若しくはそれに類する環境に置かれた時、自己防衛本能によって発動するケースが一番効率的で最大の効果を上げる ―― 」
 それは自分が研究員時代に前任者のDr.ナカモトから教わった一節だった。ハイデリッヒは彼が寸暇の間を置かずに答えた事に喝采をするように小さく頷いた。
「そう、それだ」
 人を褒める事など滅多にないハイデリッヒの称賛に男は喜びよりも恐怖を覚える、そして今自分が告げた言葉の意味を彼の思惑と照らし合わせて愕然とした。ありありと浮かんだ驚愕の表情へと細い目を向けたハイデリッヒは、手にした眼鏡をかけながらその模範解答を提示した。
「彼女を今だ体験した事のない死の間際へと追いやる。他の症例と同様自分の命を脅かす圧倒的な死の匂いこそが彼女の中に眠る資質を目覚めさせるトリガー、それが発動しさえすれば彼女は『至高』へと至る為の第一歩を踏み出す事が出来る。それに彼女を生かしてオークリーから脱出させる為の手も既に打ってある …… ニュータイプとして覚醒した彼女ならば手駒はそれだけで十分な筈だ。科学の力が暴力を圧倒する様を私もじかにこの目で確かめてみたい所だが ―― 」
 まるで愛しい物を愛でるかのように恍惚の視線を宙へと泳がせるハイデリッヒ、嬉々として未来を語る姿など彼が人を褒める事以上に男は目にした事がない。だが彼の空想には確かな戦略と確信が存在する事を知って男は固くなっていたままの表情を緩めた。
「彼女が所長の思い通りに目覚めてこの研究所へとやって来ればそれも叶います。今残っている検体の能力を最大限に発揮出来るモジュールさえ完成すれば、今までにロールアウトした検体を遥かに凌ぐ強化人間が出来上がります。これこそ所長の意図した彼らの未来の姿、科学が暴力を凌駕する力の発現」
 熱に浮かされた様に滔々と賛辞を述べる男は自分の感情が目の前に立つ鬼才と同調した事に陶酔する、だが酔った頭に冷水を浴びせる様なハイデリッヒの一言は瞬く間に男を現実へと引きずり戻した。
「 ―― 彼ら? それは一体誰の事だ? 」

 怜悧な刃物を思わせる彼の声が男の耳に突き刺さる、夢の途中からの突然の下車を命じられた男はハイデリッヒの表情へと目を凝らした。明けゆく朝日のお陰で逆光になってはいるが、そこにはあからさまな疑問と侮蔑の色が見て取れる。
「い、いえ、ですから研究所内に残っている『検体』達の事です。確かに少なくなりましたがそれでもまだ相当数が残っている、彼らの能力が十分に発揮できさえすれば所長がおっしゃった『人類の生存圏全ての権力を手中に収める』力が ―― 空前絶後の兵団が出来上がるではありませんか。それに所長が以前から考えている『アレ』を実現する事だって ―― 」
 捲し立てる男に向かって掲げられたハイデリッヒの掌がそれ以上の発言を遮る、糸の様に細い瞼の奥から不気味な瞳が覗いて男を射抜いた。
「 ―― 君は『キク』と言う花を知っているかね? 」
 目の前で立てられた掌から放たれる異様な圧力、例えようもない恐怖を感じた男はハイデリッヒの問い掛けにさえも答える事は出来なかった。ひりひりと焼けつく喉が声を詰まらせ、凍った思考が言葉を奪う。やっとの思いでできた事は彼の言葉の一部分を反復する事、それだけだった。
「 ―― 『キク』」
「『菊』と言うのは今や連邦に吸収され尽くして帰属意識アイデンティティすら失った東アジアでも僅かに生息している花の名前だ。私はその中でも特に『和菊』と呼ばれる物が好きなのだよ」
 隠喩と呼ぶにはあまりにも唐突で、しかも今までの話題とは到底噛み合いそうもない花の話をハイデリッヒは男に聞かせる。しかし男はその声から耳を遠ざける事は出来なかった、ハイデリッヒの喉を伝わって届く声には聞き流そうとする我儘すらも捻じ伏せるだけの恐怖が宿っている。
「『菊』の美しさに魅せられた園芸愛好家フローリスト達はたった一輪の大輪を咲かせる為に惜しみない努力と手間をそれに費やす。…… 私が特に気に入っているのはそのやり方だ、実に合理的で理に適っている」
 
 痺れた様に声を失ってじっとその場に佇む男にはその後に続く彼の言葉を知っている、いや知っているつもりだった。だがハイデリッヒの発想は彼の部下として様々な『実証』を手掛けてきた男にとっても予想外の、そして背筋の凍る様な言葉だった。
「自分が選んだその一輪を咲かせる為に、生まれて来る全ての蕾を次々に切り落とすのだよ。 …… 根より吸い上げた全ての物をその一輪の為だけに与えるのだ。そうした犠牲の果てに完成する作品こそが見る者全てを魅了し、称賛を得られる資格を持つ」
 生き残っている『検体』を全て犠牲にしてでもそのたった一つの『花』を咲かそうとするのか。
 ハイデリッヒの未来を垣間見てしまった男の喉がごくりと溜まった唾を飲み込んだ。研究者として真理を追求する以上その到達点を特定する事は必須だ、だが彼の求めるそれに辿り着くまでには今までも、そしてこれからも多くの屍を必要としている。
 間違いない、これが彼にとっての戦争だ。
 彼の中での戦争は彼の師の元を離れたあの日から、未だに終わってはいないのだ。

 男の心を読んだかのようにハイデリッヒが薄く冷ややかな嗤いを浮かべる、眼鏡の蔓を指で押し上げながら鋭い目を向けながら言った。
「さあ、始めようじゃないか。彼女が『至高』であるならば、我々はそれに見合った『究極』を彼女の為に用意しなければ、な」

                              *                                *                               *

「! ちょっと待ったぁッ! 軍曹、あんた何やってンすかぁッ!? 」
 ハンガー内の異変に気付いたアストナージが手元にあった野戦用のヘッドセットをむしり取ってマイクへと罵声を浴びせた。モウラに命じられた罰則であるジムのC整備の段取りの最中に起った事態はただでさえ不安定なアストナージの情緒を更に逆撫でするほど大胆かつ無謀だ。バケットの上で登壇を待ちわびるUTMの巨体に片足を掛けたまま、アストナージは我が目を疑った。
 アイドリングを始めた薄緑のザクは確かにマークスの予備機だ、彼が使用しても何ら咎め立てする事は出来ない。だがそのセットは前回の演習でキースが使用してから何の手も加えられてはいない、つまり搭載されているOSのプログラムは全て解除されている筈だ。「どこかの神の悪戯であの機体のOSが元に戻ってますように」と祈るアストナージの願いも空しく、マークスの搭乗したザクはケージのロックが解かれた瞬間に大きくバランスを崩した。
「言わんこっちゃねえっ、 ―― ジェス、全員に退避命令っ! やっこさん、血迷いやがったっ! 」
「 ” 聞えてるぞ、アストナージ ” 」
 さもありなんと言った体で含み笑いを洩らしながらマークスが言った。不敵な声がヘッドホンから耳へと届いた瞬間にアストナージの怒りはうなぎ上りに頂点への道を駆けあがった。
「軍曹、あんた一体何考えてンすか!? 今日の演習計画書にはゲルググを使うって書いてあったでしょうが、大体その機体はこの前隊長が使ったそのまんまだ、軍曹に扱える訳がねえっ! 」
「 ” ご忠告痛み入る。だが今日の演習にはこの機体で出ようと思う、悪く思わないでくれ ” 」
「ハアッ!? あんたいま俺の話のどこを聞いて ―― 」
 言葉の途中で踏み出されたマークスの一歩目がアストナージの声を止めた。普段ならばリズミカルに動くその足がまるで赤ん坊の様に心許ない、オートバランサーの加護すら受け入れないマークスの暴挙を知ったアストナージが唾を飛ばして怒鳴り付けた。
「それで悪く思うなって、どの口がっ!? モビルスーツってなあ官給品であんたのおもちゃじゃねえンだ、へこんだ装甲打ちだすだけでも大変なんだぞ、分かってんのかっ!? 」
「アストナージっ! 」
 ジェスの肉声がどんな音よりも大きくアストナージの耳に響く、ただ事とは思えないその叫びにヘッドセットを外した彼はジェスがいたであろう方向へと目を向けた。彼女の指さす方向にはアデリアの予備機である黄褐色のザクがケージに収められている、だがあろう事かその機体までもが千鳥足でハンガーの誘導路へと足を踏み出していた。
「おいぃぃ …… どこのトンマだあの機体のOSをいじった奴ァっ!? プログラム関係は技術開発部の領分だろがっ! 」
「 ” あたし ” 」
 惚けた口調でぽつりと漏らしたその声をアストナージが聞き逃す訳がない、アデリアだと分かった瞬間にアストナージの怒りは頂点に達した。
「あんたら一体何考えてンだ、いくら演習で負け続けだからってヤケになるこたぁねえだろがっ! それともあんたら二人でそろいもそろってドMかコラァッ!? 」
「 ” なによ、そんなのやってみなけりゃわかんないじゃない。もしかしたら演習の最中にマニュアル操作のコツを掴んで勝つってこともあるかもよ? ―― 何よ、ジェス ” 」
 アデリアの楽観的観測を耳にしたジェスが頭と手を交互に左右に振って「それは、無理」とジェスチャーする、その光景へとモノアイを動かした彼女のザクはグラリとバランスを崩して前のめりになる。慌てて伸ばした右手が天井から伸びたままのホイストの鎖を掴んで転倒を防いだ。金属の擦れ合う轟音とハンガー全体の骨組みを揺らす振動が梁の上にたまった土埃を一気に撒き散らす、もうもうとする景色の中を尚も諦めずによろよろと動き出す二機のザクを睨みつけながらアストナージが誰かに怒鳴った。
「おい、このまンまじゃ埒があかねえ、誰か班長を呼んで来いっ! それとハンガー出口を緊急閉鎖、直ちにだっimmediately! 」
「 ” いいンでないの? ” 」
 
 割り込んで来たその声音が誰の物でもない、自分の上司の物である事を知ったアストナージは反射的にハンガーの出口へと視線を走らせた。防爆仕様の分厚い扉を開閉する為に設置された電源盤の前で、先任たるアストナージの命を受けて駆け寄った整備士をニヤニヤと笑いながら片手を上げて押し留めているモウラの姿が彼の目に飛び込んで来た。隣には金の髪を日に揺らしながら、いつもの出で立ちで颯爽と立つニナもいる。
「 ” 構わないからそのまま出しちゃいな、あたしと技術主任が許可する ” 」
 思い掛けない上司の指示にあんぐりと口を開けたまま声を失うアストナージ、代わって整備班全員の声を代弁したのは二人の前で戸惑いながら焦っているデニスと言う男だった。
「いや、班長。いくら許可したってダメなモンはダメでしょう? こんな深酒の酔っ払いみたいなのがよろよろ出てったところで隊長に指一本で瞬殺されるのがオチですよ、演習のエの字にもなりゃしませんって」
「そりゃあたしだってそう思ってるよ? でも、技術主任が、ねえ」
 意味深な目を横に立つニナへと向けると、彼女はヘッドセットのスイッチを入れてその場に居合わせている全員に向かって言った。
「今日の演習内容の変更は私の一存で許可します。 …… 二人には貴重なデータ採取の為の尊い犠牲になってもらうわ、もちろんそれを管理する整備班全員にも、ね」
 
「え、あ。いや …… ええっ!? 」
 バケットの手すりを握り締めて驚くアストナージ、彼だけでは無い。整備班の全員が退避の途中である事も忘れて一斉にニナの方へと振り向いた。彼らの間を相変わらずよたよたともたつきながら慎重に足を踏み出すザクが通る。
「 ” 今日の演習が全くの無駄である事は承知している、でも二人が昨日の演習内容を省みて新しい事にチャレンジしようとしている努力を私は認めるわ。勝って得られる物よりも負けて得られる事の方が遥かに価値があり、これから先に役立つ事が多い。 …… そうよね、アストナージ? ” 」
「いやいやいやお言葉ですが技術主任」
 何と言う説得力だ。気が付けばニナの言う事に誰もが耳を傾け、彼女の言う事が世界の理だと言わんばかりの表情で皆この理不尽を受け入れようとしている。彼女の説得に対して未だに疑いの目を向けているのはジムのC整備と言う罰ゲームを課せられたアストナージとジェスだけだ、それもその筈二人にはそんな余計な作業を請け負えるだけの心と体の余裕がない。
「ダメダメーな奴にダメダメ―って言うのは当たり前の事っしょ? それにデータ採りって『クラッシャーズ』の何を採ろうって言うんです、時間単位での部品損耗率ならこの基地始まって以来のキャリアハイを更新するに決まってる」
「 ” 『クラッシャーズ』言うなッ! ” 」
「うっせ、伍長っ! …… それにこんな状態のザクで演習に参加して本人達は納得して負けても後始末する俺達はどうなンです? 負けて上手くなンのは金持ちの道楽だけでいつも必ず還って来るのは山の様な請求書の束っスよ? 隊長だってそんな書類を司令の元へと持ってくのはヤでしょうよ」
「 ” 覚悟の上だ、アストナージ ” 」

 声と共にハンガーの奥で待機していたゲルググの目に灯が燈った。融合炉の出力がミリタリーラインを越えた所でキースの乗ったその機体はゆっくりとケージから背を離す、壁際へと手を伸ばした彼は一本の模擬戦用サーベルを手に取ると背中のハードポイントへと固定した。
「 ” 今日の所は初めてだからハンデをつける。軍曹と伍長はいつも通りのA装備、俺はこれ一本でいい。中近距離と白兵戦ならば無茶な機動を試みて致命的な損傷を被る事は少ない筈だ ” 」
「 ―― もういっその事隊長お得意の遠距離射撃、一発終了で今日の所は手ぇ打ちませんか? とにかく奴らがあの機体を動かすだけでもこちとらひやひやモンですゼ、ましてや走ってこけたりなんかすりゃあもう目も当てらンねえ」
 重量のあるモビルスーツが転倒すればそれだけでも各パーツへとかなりのストレスが掛かる。それを防ぐ為のオートバランサーを使わないなんて先祖がえりもいい所だ、進化する科学の恩恵から派生する利便を否定する事はアストナージのポリシーには無い。て言うか何でわざわざそんな事ッ!? 
「 ” そう言う修羅場を君は潜り抜けてここにいる、この事態をただならぬ事と感じている君の危機管理能力はやはり他の者より秀いでている。ならばそれをこの機会にもう一度全員でおさらいしておく事もアリなんじゃないのか? ” 」
「いや、それナシ。もうお腹いっぱい」
 呟くアストナージの横へと迫ったキースのゲルググは赤い単眼だけをバケットへと振り向けてゆっくりと通り過ぎる、それは既にハンガーの出口へと到達している二機のザクとは対照的だ。一向に自分の意見を聞き入れない ―― 聞き入れる気が、多分ない ―― キースのゲルググを歯ぎしりしながら見上げるアストナージに向かって、いつの間にかすぐ下への台座へと腰を降ろしていたジェスが言った。
「 ―― こりゃダメだわ。もう諦めようアストナージ、皆さんやる気マンマンだもん」

 じりじりと照りつける日差しがほんの少し天頂を行き過ぎて僅かな影を基地にもたらす、ビーチパラソルを片手にハンガーの屋根へとよじ登った整備士の一人が手にした双眼鏡に目を押し当てたまま突然大声で叫んだ。
「先任、帰って来ました! シャーリー帰投! 」
「状況を確認しろ! 機影は何機だ!? 」
 胸の前に腕を組んだアストナージの人差し指が事態の進捗を急く様に小刻みに動き、あみだに被った作業帽の庇で影になった両目がこれから自分に降りかかる事態を予感して目尻を細める。仁王立ちになって見張りの報告を黙って待つアストナージと打って変わって、その背後へと集まった残りの整備士達は思い思いの方法で準備体操を始めている。色々な機械が醸し出す微かな騒音の他には何も聞こえない沈黙を破る様に、屋根の上で双眼鏡に映る映像を凝視していた男はおもむろにそれを目から離して報告した。
「 ―― 一機確認っ! モビルスーツ回収車ドラゴンワゴンに随伴して来ます。繰り返します、機影は一機っ。隊長のゲルググです! 」
 途端に湧き起こる様々な声、だがそこには失望や憤りに似た毛色の物が無かった。むしろこれから戦いに挑もうとする戦士達が自らを鼓舞しようとする息吹に似ている、とその光景をモウラと共に視界に収めているニナは思った。ふと隣に立つモウラの方へと視線を送ると、モウラは両腕を胸の前で組んだまま満足そうな笑みを浮かべている。
「いよおおっっし! 聞いたか手前らっ!? 」
 腰に手を当て踵を返したアストナージが腹の底から大声を出して全員へと向き直った。帽子の庇を摘まんで後ろ前に被り直した彼は親指で背後の地平を指さしながら言った。
「我が麗しのモビルスーツ隊の皆様は今日も我等に思わぬお仕事をお恵み下すッた! これも自らのスキルを高めるいい機会として真摯に受け止めて奮励努力する様に! いいか!? 」
 呼応する様に上がる鬨の声にニナは目を丸くした。それと同時にこれと同じ光景と雰囲気を憶えている。
「 …… あの頃を思い出すだろ、ニナ? 」
 耳元でそっとささやくモウラの言葉にニナは小さく頷いた。モウラを筆頭にデラーズ紛争を戦い抜いたアルビオンの整備士達、どこでどうしているのかすらももう知る事は出来ないが彼らも同じ様に自らを奮い立たせて五機のモビルスーツの整備に臨んだ。あの日を彷彿とさせる光景が、今自分の目の前にある。
 思い出と呼ぶにはあまりにも苛烈で、しかし鮮明に刻まれた記憶はニナの心を湧き立たせる。自分がこの世界でしか生きられない人種だと心の底から思うのは、現場で戦う彼らと接しながらその琴線に触れて興奮を覚える時だった。

「二手に分かれて整備を行う、隊長のゲルググアグレッサーはケージに固定したら速やかに各部の機能チェックと補給を行ってそのまま待機状態スクランブルにまで持っていけ。その後こちらを手伝ってくれ。 ―― ジェスっ! 」
はい副長アイ・サー
 軽く敬礼を返すジェスの顔を真剣な表情で睨んだアストナージが、びっくりするほど厳しい口調で彼女に言った。
「お前はアデリア機を担当しろ、夕飯までには補給込みで必ず機体をロールアウトさせるんだ」
「夕食までに? あと六時間もないじゃん、ちょっと厳しいかも」
「やりもしないで愚痴ってんじゃねえ、戦場本番だったらこんなモンじゃ済まねえぞ? 損傷した機体を一刻も早く最低限の稼働状態に持ってかないとこっちが殺られンだ、ここがその最前線で今が戦闘宙域の真っ只中だと思って作業にかかれ。大事な武器を壊してのこのこ帰ってきた『クラッシャーズダメダメさん』達に『オークリー最速』の腕前を見せてやンな」
 不思議そうな顔でアストナージを見ていたジェスの顔が『オークリー最速』の言葉を聞いて綻んだ。踵を揃えて見事な敬礼を施した彼女の片目が軽やかに閉じる。
了解アイ、では夕飯までには必ずやアデリア機をロールアウトしてご覧にいれます。 …… やってやろうジャン? 」

 短い赤毛を日の光に煌めかせて脱兎のごとく駆け出すジェスの後ろ姿を尻目に、モウラはある事に気がついた。同じ様に彼女の背中へと視線を送るアストナージへ近づくと、自分の目線の下にある彼の背中越しに声を掛けた。
「そう言やアストナージ、班を二つに分けてもう一機の機体の整備は一体どうするつもりなんだい? まさかあんた一人でマークスの機体を ―― ? 」
「まさか」
 軽く笑うとアストナージは何かを想像する様に自分の足元へと視線を落として、そのまま目を閉じた。
「 …… 多分俺の予想ではアデリアよりマークスの機体の方がなまじ動けてる分だけ損傷は激しい筈です。ジェスにはまだ荷が重いでしょう」
「ふーん、あたしの予想も同じ。で、それが分かってて ―― 何で? 」
「マークスの機体には二人で当たります。俺と ―― 」
 アストナージの目が開いて意味深な瞳がモウラへと向けられる。すでに彼の意図を悟っていたモウラは繋ぎの袖を捲くりながら笑った。
「あたしも数に入れてたか。 ―― OKアストナージ、じゃあ久々に実戦を潜り抜けた整備士の腕前とやらを、ぴよぴよやかましいひよっ子共に拝ませてやるとするか」
 アストナージの直ぐ傍を颯爽と通り過ぎるモウラの足取りは軽い。意気揚々とハンガーに足を踏み入れる二人の姿を見た他の整備士は、久し振りに見るその光景に目を ―― オークリー最速と謳われたジェスですら ―― 見張った。年季の入った愛用の工具箱をぶら下げてマークスの機体へと歩み寄る二人に向かって羨望と喝采の拍手が巻き起こる、高所作業車のバケットに自分の道具を置いたモウラは工具を一纏めにしたホルスターを腰に回しながら尋ねた。
「さて、アストナージ。 …… ジェスには晩飯までに仕上げろって言ったんだ、あたし達はどうする? 」
 ケブラー製の作業用手袋に手を通しながらモウラの片腕は宙をぼんやりと見詰めて暫し考え込む。やがて何かに閃くとモウラに向かってニヤリと笑った。
「そうですね、ひよっ子どもが晩飯なら、俺達は …… 日没までに」
「上等! 」
 掛け声と共に交わされるハイタッチは号砲のようにハンガーを駆け抜ける、その合図を待っていた整備士達は我先に目の前の獲物へと飛び付いた。

 二人にとっては初めて見る光景だった。
 唸りを上げて天井を行き交うホイストクレーンはただの一時もその動きを止める事無く、次々に運ばれて来る予備パーツの木箱はザクの足元へと次々に積み上げられてバールで蓋を引き剥がされる。アセチレンの青い火と切り飛ばされる金属の悲鳴、セラミックグローブの焦げる臭いと機体の足元から立ち上る猛烈な水蒸気。自分の愛機があっという間にばらばらにされていく様子を目の当たりにした二人は普段とは全く雰囲気の違う整備班の気迫に気圧されて、ハンガーの片隅に腰かけて息を潜めた。
「ねえ、なんか …… すごくない? 」
 話しかけるアデリアの声も耳に入らないほどマークスは初めて見る整備班の動きに眼を奪われている。アデリアの機体の膝から装甲が引き剥がされて、クの字に折れ曲がった油圧シリンダーがアセチレンで一気に切り飛ばされる。基部に仕込まれた二個の駆動用モーターは耐熱手袋をはめた整備士の手で直に引き抜かれ、切断したばかりのモーターを握る手から煙とセラミックファイバーの焦げる匂いが上がった。耐熱仕様とは言え掌に伝わる猛烈な熱さに顔を顰めながら、しかしその整備士はそれでも間髪いれずにその廃品を足元の容器に投げ落とす。
水を湛えた容器に落ちたモーターから致命的なクラック音が鳴り響いた。
「こういうのを見るのは初めてだろうな、お前達には」
 呆然と見守る二人の背後でキースの声がした。戦場と化したハンガーには当然キースの居場所も無い、作業の邪魔にならないようにと気を使う部外者の居る場所はどうやら二人の居場所と同じ所に落ち着いてしまうようだ。二人は同時に背後へと目配せすると再び全てを見逃すまいと目の前の作業へと集中した。それはまるでお気に入りの映画のワンシーンすら見逃すまいとする観客の様だ。
「これが『U整備』状態シフト …… 何て早さだ」
 緊急整備アージェントメンテ ―― 通称『U整備』。戦闘中の艦船に帰還したモビルスーツを最短で補修・補給を完了して再び戦域へと送り出す為の、整備士の間では裏メニューとも言える整備方法だ。当然訓練等で身に付く代物ではなくおよそ一年戦争を生き延びた一握りの整備クルーのみに許される、経験のみが物を言う禁じ手に当たる。
 マニュアルや工程・手順段取り等を一切無視してどんなに損傷した機体でも一応の稼働領域まで持っていく、その為にはどんな手段もお構いなし。純粋に速度だけを追求した整備手段を目の当たりにしたアデリアとマークスが呆然としてしまうのも無理はない。再生利用リビルドなど全く考えない破損部品の扱いは自分達の所属するオークリーの常識では考えられない物だった。
「うちの整備班にこんな特技があったなんて知らなかった。あたしなんか『構造理論』の時間に教官の口から出た噂話でしか知らないもん。みんな普段はのんびり作業してるのに ―― 」
「おい、そんなの整備班みんなの耳に入ったら明日から看てもらえなくなるぞ」
 小さな声で隣のアデリアに耳打ちするマークス、驚いたのかそれともくすぐったかったのか肩をすくめたアデリアの背中越しにキースが言った。
「ここのトップは二人とも一年戦争の生き残りだからな、状況に応じて様々な整備手段を教えておく事は上官としてはごく当たり前の事だ。 …… しかし、まあこの整備班の姿を見る限りでは二人の指導方針と教わる側の習得状況はすこぶる良好と言えそうだ」
「確かにこれならば誰がどこの部隊に出向しても引けを取らない。 …… 今まで回って来たどの基地でもU整備を行う事の出来る整備クルー等見た事も聞いた事もない」

「さて、整備班の実力の程は二人にもよーく理解できたと思う。上官の指導が行き届いている部隊がどれだけ立派に働くかと言う事もな」
 エンドロールと呼ぶにはあまりに無粋で高圧的なキースの言葉は二人を観客席から退場させるには十分だった。椅子代わりに使っていた木箱の上でビクッと首を竦めたまま凍りつく二人の背中に向かって、キースは人の悪い笑みを浮かべた。
「 ―― で、ここからが本題だ。その有能な整備班のご利益にあやかった俺のモビルスーツ部隊のお二人さんは今日の演習で何を身につけたのかな? 貴重なモビルスーツを二機も行動不能にしたんだ、それに値する十分な見返りを期待してもいいんだよな、俺は? 」
 後ろめたい気持ちでいっぱいの二人が恐る恐る後ろを振り返ると、腕を腰に当てて少し前屈みで二人の顔を覗き込むキースと目が合ってしまった。反射的に跳ねあがった二人が同時に見事な敬礼をキースに向かって披露する。
「もっ、もちろんであります。マニュアル制御下での戦闘を許可していただいた事によって得た貴重な経験を無駄にするなんてとんでもない! 自分達の我儘につきあっていただいた隊長や整備班の方々、それに許可して頂いた技術主任殿に対しては感謝の言葉もありません」
 少なくともこれだけ動揺した中でよくも心にもない事をペラペラと喋れるモンだと、マークスの台詞を耳にしながらアデリアは上ずったその横顔をチラリと見た。
「そうだな、そうでなくては今日の罰ゲームを見逃してやった意味がなくなる」
 意味深な笑顔で二人の顔を交互に見やるキースとは対照的に緊張を隠せないまま敬礼を解かない二人がいる。蛇に睨まれた蛙の様に固まった二人に向かってキースが言った。
「今日の所はお前達の覚悟に免じて強制的な講義の時間は免除にしよう、その代わり今日行った演習で得た自分達の課題を復習して次の機会へと繋げる様に。 ―― 今度は今日の様に模擬戦用のサーベル一本とはいかないぞ、心しておけ。」
「あ、ありがとうございますっ! 」
 何かの呪縛が解けたかのように小さく跳ねて頭を下げるマークス、しかしその隣で同じ様に喜んでいる筈のアデリアは緊張の顔色に加えて不信感を浮かべたまま掲げた手を降ろした。
「あの、隊長? 」
 小首を傾げてキースの顔をしげしげと眺めながら眉をひそめるアデリア。ん? と目を向けたキースに彼女は尋ねた。
「今日の課題とお聞きしましたが、私達 ―― いえ、特に私なんですが今日の演習ではひっくり返ってばかりでまともに隊長と噛み合ってないンですけど。一体何が課題で何が課題でないのかも分からない私はどの様に今日の課題を復習すれば ―― 」
「ああ、その点なら心配するな」
 シューティンググラスを外したキースの目はとても優しい、しかしそれを見た二人の身体には再び硬直が始まった。経験上彼がこういう目をした時には決まってとんでもない事を口走るのが定番なのだ、投げかけるその目が優しければ優しいほど。
「次の機会は来週だ、それまでに二人は考えられるだけのありとあらゆる手段を使って今日の課題を克服しておけ。もちろん ―― と言うか当然技術主任の助けを借りて、というのもアリ、だ」
 考えられるだけ? キースに引かれた一本道を迂回して辿り着こうにも迷子になってしまうだけではないか。
 やっぱりと言う想いと共に昨晩の講義内容を思い出して思わずげんなりする二人の表情をみかねたキースが苦笑しながら二人を叱った。
「こら、そんな顔するんじゃない。普通の基地でこんな事仕出かしたらすぐ営倉にブチ込まれる所だ、俺達が出かけた後に渋い顔で中止を命じている指令を解き伏せてくれた技術主任と整備班長に心から感謝するんだな」

                              *                                *                               *

「ちょっとチェン。それどういう意味? 」
 あからさまに不満を口にするアデリアに向かってチェンは向かいの席からLサイズのスムージーを差し出した。周辺に町どころか民家の欠片もないオークリーでは、仕事が終わってから繰り出すべき場所がない。勢いその不満は基地の運営方法へと向けられる事となり、糧秣を一手に担う兵站科に属するコックたちは自主的に夕食から消灯までの間だけ解放されたロビーに軽食を提供する事になっていた。かと言ってそこで出されるメニューには一切の妥協が無く、簡単なサンドイッチからコーヒーに至るまで微に入り際に至る気遣いが為されていた。アデリアの手にしたスムージーも
手作りのジェラートに思い切り空気を混ぜ込んだもので、これが彼女の一番のお気に入りだ。
 消灯間際のロビーにはさすがに人影が少ない。チェンを呼び出した二人はそれでも出来るだけ人の目に触れない角の一角に陣取って秘密の会合を行う事にしていた。受け取ったカップの蓋にストローを刺して中身を勢いよく吸い込むだけで仄かなバニラの香りが漂い始める。
「どういう意味って …… 今僕が言ったまんま伍長の軍人としてのキャリアは予備役から始まってるって事さ。0084年4月に当基地に予備役として登録、入隊時に受けた身体測定によると身長175センチ・体重68キロ・瞳の色は黒。視力は右1.5左は2.0。健康診断の評定はA ―― つまりどこにも障害が見受けられないという事。その他の経歴・経類は不詳、前歴不明。 …… これが人事部のアーカイブに保管されているコウ・ウラキ予備役伍長の全データさ、他には何も無い」
「嘘だ、第一彼はここにいたってみんなが知ってるじゃないか。それに民間人からいきなり予備役に登録されるなんてまるで徴兵制だ、そんな事例聞いた事もない。 ―― 大体予備役兵が何のトライアルも受けずにいきなり機動兵徽章ウィングマークをつけることができるなんて」
 思わず身を乗り出したマークスの肘に自分のコーヒーカップが当たって大きく揺れる、慌てて掴んだ彼に向かってチェンは微笑みながら自分のジャスミン茶に口をつけた。
「そうですね。ですが確かに記録上では入隊と同時にパイロットとして登録されています、そしてパイロットとして採用される為には欠かせない筈の適性検査の記録すら残ってない。 ―― 要するにウラキ伍長はどういう訳かこの基地に居たという事実を抹消されて、今や軍ではなかなか見つける事の出来ない天才肌の素人パイロットとして予備役に登録されたと言う事になります。眉唾もいいとこですけどね」
「今や? じゃあ前はいくらでもいたって事? 」
「そう言う過程を経て機動兵器を扱った人は他にもいるって事さ。例えば一年戦争で最初のガンダムに乗って活躍したアムロ・レイ曹長とか」
「一人だけじゃん、それにそれこそ眉唾よ。予知能力を使って敵をばったばったとなぎ倒したって、中国のお昔の話じゃあるまいし」
 確かに、とチェンはにっこりと笑ってアデリアを見た。チェンという名前と顔立ちからも分かる様に、連邦の発足と共に消滅してしまった中国と言う国名は彼の出自に大きく関わっているのだろう。ぶしつけな物言いでそれを揶揄するアデリアに対しても何の蟠りも持たずに笑いかけて来る所に、マークスは彼の芯の強さを感じた。
「まあ、とにかくこれ以上はどうしようもない。尉官クラスのアクセス権限ではこれが限界、ここから先へは佐官以上のパーソナルコードが必要になる。ここで佐官といえば司令とドクしかいないからハッキングした事が表沙汰になる可能性は大、いくらなんでも自分で自分の首を絞める様な真似は出来ないよ」
「そっかあ、だめかあ …… あんたが出来ないんじゃあこの基地で他にそんな事が出来る人はいないわよねえ」
「僕の他に出来そうな人といえば、一人いるけど」
「誰よ、それ? 」
「技術主任」

 それを調べる為にあんたに頼んだのよ、と言いたくなる気持ちをぐっと堪えてアデリアは再びスムージーに口をつけた。口の中に広がる甘い香りと心の中に広がる苦い気持ちが混ざり合って、それは彼女の愛らしい顔を複雑に曇らせる。奇妙なアデリアの表情を黙って見つめていたチェンは、おもむろに自分のラップトップをテーブルの上へと置いた。
「じゃあ上手くいかなかった罪滅ぼしと言っちゃあなんだけど、ここで君に耳寄りな情報があるんだ。きっと興味があると思うんだけど」
「 …… 何よ、どうせまたモデルの仕事か何か? ―― 今ンとこ手がすいてるからやってあげてもいいけど、それなりの条件は持って来てよね。ここの安月給じゃそれ用の服も買えない ―― 」
 そこまで口走ってアデリアははたとマークスがいる事に気がついた。横目でそっと視線を送るアデリアとマークスの視線が同時に交差して、その瞬間に昨日の記憶が蘇った。真っ赤になった顔を見られない様に下を向いたアデリアがしどろもどろの口調でチェンに言った。
「あ、や、やっぱいい、あたしもうやンない。 …… ご、ごめんチェン。ほんとにもう ―― 」
「違うよ」
 穏やかにアデリアの予想を否定したチェンはラップトップを起動させるとくるりと回して液晶を二人の側へと向けた。既にブックマークがされていたと思われるそのサイトはかなりチープな作りで、どこをどう見ても個人が立ち上げたとしか思えないデザインだった。
「? …… 何、これ? 」
 ぱちぱちと瞬きしながら覗きこむアデリアに釣られてマークスも隣から身を乗り出す、肩に当てられた分厚い胸板の感触でアデリアの顔に再び血が上った。世間知らずの小娘の様な衝動を心の中で罵倒しながら、それでも抑え切れない高鳴りに困惑しているアデリアに代わってマークスが尋ねた。
「『貴方の知らない宇宙の裏側・真実はどこかに隠されている』 …… 都市伝説か何かのサイトかい? 」
「まあその類です、ただしこれは大手に登録されている物ではなくてかなりディープな ―― アフリカで細々と運営されている小規模のプロバイダが管理しているホームページの一つです。伍長のデータを調べている間に、ほんの暇つぶしに、ね」
 そう言うとチェンはすっと手を伸ばしてキーを押した。画面はすぐに切り替わって溢れんばかりの文字であっという間に埋め尽くされた。
「伍長の足跡がネットのどこかに残ってないかと思って一斉に検索をかけたんです。まあ、それは見事に ―― 幼稚園から士官学校に至るまで合致した場所がなかったんですがただ一つ、このサイトだけに同じ名前がありました。違う形ではありますが」
 チェンの言葉を耳にしながらマークスは、手を両膝に置いて固まったままのアデリアを置き去りにしたまま画面へと目を走らせる、やがてその口がぽつりと言葉を呟いた。
「 …… 『浦城 航』 ―― これ、なんて読むんだ?」
「『うらき わたる』。前後はしていますが文中での彼の出自を考えるとその読み方が正しい、今の呼び方は連邦公用語に準拠していますからね。その名を持つ彼がこの物語の主人公です」

 時折見せるマークスの異常なまでの集中力がほんとに憎たらしい。あたしがこんなにドキドキしてるってのにあんたは何とも思わないの!? 
 羞恥を怒りへとやっと置き換える事の出来たアデリアが、マークスと同じ目線で液晶を眺める。無理やり焦点を合わせた先で時折スクロールを繰り返す文字の羅列を一通り読みこんだ後に、彼女はぼそりと抗議した。
「 …… チェン、ひょっとしてこれはあたしに対する何かの当てつけ? 別にあたしだっていっつもファッション雑誌ばっかり読み漁ってる訳じゃないんだけど」
「 ―― 『ニナ』」
「え? 」
 マークスの呟きにアデリアが声を潜めて画面に見入った。彼が見つめているその先には確かに『nina』の文字がそこかしこに踊っている。
「恐らくヒロインはロシア人なので読み方は『ニーナ』でしょう、ですが綴りはどちらも『nina』。技術主任と同じです」
「偶然の一致、にしては出来過ぎてる、か ―― チェン、この話のあらすじは?」
「舞台は一年戦争終了後の地球。オーストラリアで開発中だったガンダム試作機をジオンの残党が奪って、それを連邦軍が追うという話です。最終的には彼らは二度目のコロニー落しに成功する訳なんですが、恐ろしい事にそのコロニーの名は『アイランド・イーズ』。 ―― どうです? 」
「実名を使って私小説書くなんてよくある手じゃん。それにアレは移送中の事故で間違って地球に落っこっちゃったンでしょ? 話の締めとしちゃ上手だと思うけど ―― 」
 言い返すアデリアの声を柳に風と受け流すチェンと馬耳東風のマークス、主張が聞き入れられない事にちょっと腹が立つアデリアではあったがマークスの邪魔をしない様にそっと言葉を押し殺す。
「で、面白いのはここからです。この話の中に出てくる三機のガンダムがとんでもない代物でして、最初に主人公の乗るガンダムはともかく奪われたガンダムは核装備。そして最後に出てくるガンダムに到ってはモビルアーマークラスと言うから書いた作者もなかなか面白い発想を持ってる。最後には全部なくなっちゃいますけど」
「へえ、歴史の影に消えたガンダムかぁ …… 面白そうな話だな、今度俺も全部通して読んでみようかな」
「男の子って好きよね、そういうの。あたしはあんまり興味ないけど」
 男二人の世界から見事なまでに一線を引いたアデリアが手の中のスムージーを一気に吸い切る。不機嫌を露わにした彼女に向かってチェンは宥める様に言った。
「偶然と言えば確かに偶然と言えるかもしれないけど小説としてはかなり面白い部類に入ると思うよ。それに主人公のライバルの名前がジオンの将校の実名だって所も驚くし」
「実名? 主人公やヒロインの名前は架空でそれだけが実名なのかい? 一体どんな有名人 ―― 」
「 ―― アナベル・ガトー」
 その名を聞いた二人の動きがぴたりと止まった。目を大きく見開いてチェンにもう一度その名を告げる様に暗に促す。
「そう。戦術教本にも必ずその名が残されているジオンのトップエース、アナベル・ガトー。 …… 『ソロモンの悪夢』その人の名前です」

 時が止まったような沈黙の後、それを一気に振り払ったのは硬直の解けた二人の大きな笑い声だった。踊る様に身体をくねらせて机を叩くアデリアと天を仰いで腹の底に溜まった愉快を一気に吐き出すマークス。
「あはははっ! チェン、それは無い、それは無いって! 」
「いや、全くだ。いくらなんでも敵の名前にあの撃墜王の名前を使うなんてどうかしてる、せっかくのリアルが台無しじゃないか。何をどう考えたってあのアナベル・ガトーと戦って生き残ったパイロットがいる事自体がすでに、もう」
 笑い転げる二人の姿を目の前にして、チェンは半ばあきらめ顔で笑って両手を軽く差し上げた。
「まあ、このサイトに書かれている物自体がかなりのトンデモ話ばかりですからね。例えば一年戦争でジオンの実質的指導者の立場にあったギレン・ザビ総帥が未だに生存して再びジオン勃興を目指しているとか、実は暗殺されたジオン大公の子供達が生きているとか。この作者には申し訳ないけど、まあ何と言うか『蛇足』ってやつかナ? 」
 目の前の二人に同調するチェン、だが笑いの渦に翻弄されていたマークスはその時彼の目に浮かんだ不思議な光に目を奪われて笑うのを止めた。
「 ―― どうした、チェン? 」
 チェンに尋ねるマークスを見てアデリアも笑うのを止めた。笑顔の余波を残したマークスに向かってチェンは眼鏡の蔓を指で押し上げながら、少し皮肉めいた頬笑みを浮かべながら答えた。
「私の国に伝わる兵法の一つに『偽兵の計』と言うのがありましてね。実際の兵数を敵から隠す為に多くの旗を立ててその目を欺くと言う物です。これだけ眉唾物の噂話が数多くあるとその中にあるたった一つの真実も嘘に見えてしまう、そんな可能性はないのかなあ、と」
「トールキンかい? 『木は森に隠せ』って言う。 …… でも残念ながらそんな事はありえない、特にガトーの名前が出てしまったんじゃね。彼はア・バオア・クーで戦死している」
「 …… 『木を見て森を見ず』。やっぱり全体的にこのサイトの信憑性を考えるべきなのかなぁ …… 何だ、やっぱり都市伝説は伝説のままって事か」
 残念そうに上を見上げて呟くチェンをアデリアがニヤニヤしながら眺めている。どうやら昨日の夜の出来事を彼女はかなり根に持っているらしく、久々にみるその表情にかなりご満悦の様子だ。
「ま、でもなかなか面白かったわよ、チェン。あたしにしてみればあんたのそんな残念そうな顔初めて見たんだし、マークスに感謝しなきゃ。読む気はこれっぽっちもないケドね」
 してやったりの声にチェンが顔を戻してアデリアを見た。テーブルの上に置いた両肘で支えた掌がアデリアの両頬を包む、まるでアイドルのプロマイドの様なポーズでニコニコと微笑む彼女につられてチェンの顔にもいつもの穏やかさが戻っていた。
「形はどうあれ君に気に入ってもらえたのなら、まあ良しとしよう。 …… あ、もうこんな時間か。」
 チェンの声でマークスは自分の腕時計を覗きこむ。父から手渡されたイタリア製の軍用時計は今まさに夜の9時を指そうとしている、顔を上げて遠くを見ると調理場の食器返却口のカウンターで誰かがこちら側を一生懸命覗き込んでいるのが見えた。
「じゃあ、ご依頼の件については以上と言う事で。また何かこういう事で困った事があったらいつでも声をかけて下さい」
「ええもちろん。今日のミスは貸しにしておくからできるだけ早く返してね、当てにしてるから」

 ラップトップを小脇に抱えて出口へと向かうチェンの後ろ姿を眺めながら、マークスはさっきの彼の言葉がどうしても耳にこびり付いて離れなくなっていた。
 数多くある偽物の中に紛れ込んだたった一つの真実、もしそんな物が本当にあるのだとしたらそれはどういう意図を持って隠された物なんだろう? 確かに途中までしか読んではいないがあの小説は実によく出来ていた、連邦軍の施設の概要から駐留している兵数。冒頭のモビルスーツの模擬戦に至ってはパイロットでなければ書けない描写がほとんどを占めていた。もしガトーの名前が出て来なければあの小説は軍のレポートだと言われても何一つ疑わなかったかもしれない。
 それにウラキ伍長のデータの改ざんも気にかかる。チェンは伍長の事を今や伝説と化したまま姿を消した『アムロ・レイ曹長』に準えて、アデリアはそれを眉唾ものと一笑に付した。だがチェンの語ったこの話のあらすじによると主人公は少なくともコンセプトの違う二機のガンダム ―― それも一機はモビルアーマー ―― を操ってガトーと戦い続けた事になる。にわかには信じられないがもしあの話が森の中に隠された一本の小枝だったとしたらそれは真実と言う事になり、伍長の経歴改ざんも政府か軍の何らかの意図が絡んでいると言う事になる。
 そんな、ばかな。
 じゃあなぜそれだけの人材が予備役なんかでこんな最果ての地にくすぶってるんだ? 連邦の現状を考えればそういう稀有なスキルを携えた兵士はもれなく最前線へと投入されてしかるべきだ。一騎当千の兵を送り込むだけで敵の士気は消沈し味方の戦意は高揚する、噂でしか耳には出来ないがここから遠く離れた連邦の勢力境界線では未だに小競り合いが続いていると言うのだから。

「なーに難しい顔して考え込んでんのよ。ほら、あたし達も行くわよ」
 深刻な表情で座り込んだままのマークスの肩をアデリアがポンと叩いて立ち上がった。小気味のいい声と柔らかな肩への感触に我へと返ったマークスがアデリアの声を追いかけると、彼女は既に席を立って全員の分の空のコップをゴミ箱へと投げ込んでいる所だった。
「行く? …… ああ、そうだな。明日の非番はお前の買い物に付き合う約束だったからな、今晩は早く寝なくちゃ」 
「何言ってンの。どうせ寝るまでまだ時間あるんでしょ? だったらもう今からあたしに付き合いなさいよ」
 椅子から立ち上がろうとした瞬間に聞いたアデリアの言葉でマークスの心臓が大きく音を立てた。どぎまぎする心を悟られない様にそっとアデリアの顔を盗み見るマークスを尻目に、パンパンと手を叩いたアデリアがにっこりと笑った。
「あたし今 とっても気分がいいから、明日の非番を心置きなく過ごす為に課題を今日中に済ませる事にしたの、今決めた」
「え? 」
 自分の想像していた艶っぽい展開ではなく、それは普段のアデリアからは最もかけ離れた位置にある発想に驚いたマークスはぽかんと口を空けて彼女を見た。我ながら間抜けな顔だろうとは思うがそれ以外の表現方法を思い付かなかったマークスに向かってアデリアがむくれた。
「なによお。あたしだってたまにはそんな気になるんだから。 ―― さ、今からニナさんの所に行って課題をパパッと済ませちゃうわよ、あんたも一緒に」
「パパッとって …… い、いや俺はいいけどもうこんな時間だぜ? いくらなんでも消灯時間を過ぎてからって言うのは技術主任に失礼じゃないか? どうせなら復習しといて明日の夜にでも改めて訪ねた方が ―― 」
「はっはーん」
 いやな嗤いを浮かべて両腕を組んだアデリアが挑発する様にマークスを見下ろした。
「 ―― マークス、実は一人暮らしの女性の部屋にまだ入った事ないんだ? 」
「なっ、お前何を ―― 」
 図星を刺されて思わず立ち上がったマークスの口から出た言葉はそれだけ、あとは口をパクパクと開けるだけで何の言葉も浮かばない。男を翻弄する悪女の様ないやらしい笑みから普段通りの可愛らしい笑顔へと表情を変えたアデリアが胸の前で組んでいた両腕を解いてパン、と柏手を鳴らした。
「じゃあ、今日がそのいい機会じゃない? あたしがついてってあげるからこれも将来の勉強だと思って覗いておけば? ―― さあ、行こ? 」
 言うなりくるりと踵をしなやかに返してアデリアは出口へと歩き出す、肩より長い栗色の髪を颯爽と靡かせて歩く後姿には、そのスーツを身に纏っていなければパイロットだとは分からない位の可憐さがある。一瞬見とれたマークスではあったがすぐさまアデリアの言い残した言葉を思い返して我に返った。
「ちょ、ちょっとまてアデリア。お前が勉強しに行くんだろ? いつの間に俺が話の主役になってンだ? 」 

 アデリアの華奢な手が古ぼけた木の扉を軽くノックする、その音色は多分士官専用にしては控えめな広さの室内の隅々にまで届いた筈だ。だが訪問を告げるアデリアの所作に対しての返事はコトリともしなかった。
「? 変だなぁ、まだこの時間に寝てるって事はないと思うんだけど ―― 」
 呟きながらドアノブに伸ばした手をマークスが慌てて掴んだ。
「な、何? 」
 手の甲を包み込む温かくて固い感触にアデリアはびっくりしてマークスへと振り向いた。丁度夜間照明に切り替わったところで廊下の明かりは薄暗い、赤くなった顔色をマークスに気付かれなかった事に内心ほっとした。
「いやいやアデリア、返事が無いのに人の部屋に勝手に入るのはまずいだろう。技術主任だって疲れてもう寝ちゃってるのかも知れないし、そしたら俺にはハードルが高すぎる。今晩は諦めて明日、ちゃんと技術主任の予定を聞いてからだな ―― 」
「何言ってんのよ。せっかく出てきたこのあたしのやる気を今使わないでどう使うのよ。『今日出来る事を明日まで延ばすな』って言うでしょ? 」
「『明日できる事は今日するな』とも言うぜ? 」
 理屈では全く敵わない事は今更言うまでもない、説得と言う名の伝家の宝刀が抜かれる前にアデリアはお得意の実力行使へと訴える決意をした。マークスに掴まれたままの手でドアノブを掴んで試しに回してみる、もしそれが動かない ―― 施錠されている ―― のならば自分の貴重なやる気にも諦めが付く。その時はマークスの提案に大人しく従おうと考えていた。
「 …… 開いてる」
 滑る様に開いたドアの隙間から柔らかな明かりが漏れ出した。これ以上の阻止を諦めたマークスがアデリアの手をそっと離すと、彼女はそのままドアの隙間に顔を差し込んで小さな声で呼びかけた。
「ニナさーん、いますぅ? …… あれ、やっぱいないなぁ …… どこ行ったんだろ? 」
「これが、技術主任の、部屋って …… 何もないじゃないか。アデリア、本当にここがニナさんの部屋なのか? 」

 身体を捻じ込んで中へと押し入るアデリアの行儀の悪さに眉を顰めながら、マークスは小さな声で自分の姓名と階級を口走ってからドアノブに手をかけた。大きく開いたドアから狭い室内の様子が見渡せる、だがその余りもの殺風景さに彼は思わず先陣を切ったアデリアの背中に尋ねた。
「お前、誰かと部屋間違えてないか? 女の子の部屋なんか妹のしか見た事ないけど ―― まるでここに来たばっかりの人の部屋みたいじゃないか。下手したら俺の部屋より何にもないぞ、ここ」
「ううん、でもここがニナさんの部屋だよ。あたしは今日で二回目 …… 前に来た時と変わんないなあ、やっぱなんもない」
 アデリアの手が女性士官の部屋だけに置かれたドレッサーの上にある口紅を取り上げた。根元を廻して押し出される中身をちらりと確認すると、小さな溜息を洩らした。
「 …… せっかく買って来たロゴナのグロスも手付かずかぁ、似合うと思ってたのに。あたしは結構気に入ってるんだけどなぁ」
 呟きながらキャップを閉めて元の位置に立てる、金色のキャップが仄かな明かりを受けてマークスの目を引きつけた。じっとその場に佇んで肩を落としているアデリアに向かって彼は尋ねた。
「明日の買い物の目的ってその事だったのか。 …… 二ナさんへのお土産を買うために俺をサリナスに誘ったのか? 」
「あ …… うん」
 何かを諦めた様に振り返って顔を上げたアデリアの表情には、マークスが今まで見た事もない悲しさが漂っていた。思わず声を失ってじっと見つめたままのマークスに向かって、アデリアは小さく笑った。
「気付いてた? ニナさんって、あたし達がここに来てから一度も笑った事がないんだよ? 」

 アデリアから語られた事実に思い当たったマークスの表情がそれで変わった。自分達がどんなヘマをしても、そして誰かがどんなに面白い事をしでかしても彼女はシニカルな笑みを浮かべるだけですぐに元の表情へと戻ってしまう。マークスの中にある『ニナ・パープルトン』と言う人間像は人が絶対に持ち合わせていなくてはならない感情の中から『喜』の部分だけを切り取った、そんな存在だった。
「あたしね、四つ上のお姉ちゃんがいたんだ、丁度ニナさんと同い年の。だから何となくかな、ニナさんがあたしのお姉ちゃんみたいに思えて ―― 」
「『いた』? 」
 人類の半数を失った一年戦争の後で自分の身内の事を話す際によく使われる『過去形』だがそれをアデリアが口にした事がマークスにとっては意外だった。感情豊かで朗らかで、いるだけでその場の雰囲気が華やぐ彼女の身辺にそんな不幸が存在しているとは考えられなかったからだ。二つ名が付いた事件の事を差っ引いたとしても。
「一年戦争で死んじゃった。 …… お姉ちゃんも軍にいてね、戦艦のオペレーターをしてたんだ。あたしお姉ちゃんと一緒の戦艦に乗って一度でいいから送り出してもらうのが夢だった、だからモビルスーツパイロットになろうと思ったんだけど丁度士官学校に入学が決まった頃にソロモンでね ―― 」
 少し俯いて訥々と語られる彼女の身の上話はマークスにとっては初めての事だ、辛い過去を振り返る彼女の負担が少しでも少なくなるようにとマークスはじっと口を噤んで彼女の表情へと視線を注ぐ。
「お姉ちゃんもね、あたしには厳しかったんだ」顔を上げて悲しみを振り払う様にけなげに笑う彼女にドキリとする。
「ほら、あたしってほっとくととんでもない事するじゃない? …… 小っちゃい時からね、あたしが何か悪い事すると真っ先にお姉ちゃんが飛んできてものっすごく怒るの。あたしはお姉ちゃんに嫌われたと思って、辛くて、悲しくてそのたんびに泣いてた。そしたらね ―― 」
 アデリアの両腕が自分の身体を抱きしめた。思い出の中に残る懐かしくて切ないその感触を味わう様に言葉を閉じた後、彼女はそっと目を閉じた。重なる長い睫毛が優しく煌めく。
「 ―― こうやって抱きしめてくれて、それで耳元で囁くの。『ばかね。私があなたの事を嫌いになる訳が無いじゃない。あなたは私のたった一人の妹なんだから』って。その言葉が嬉しくて思わずお姉ちゃんの顔をみると、いつもお姉ちゃんは笑ってた。 …… こうやって目をつぶるとね ―― 」
「 …… だからウラキ伍長の事が許せないのか? ニナさんから笑顔を奪った原因かも知れない、彼の事を」

 マークスの問い掛けにアデリアからの是非はない、しかし彼女のコウへの敵対心の理由の中にそれが含まれている事は明らかだった。無言になった二人の空気を動きっぱなしのエアコンの騒音が緩やかにかき混ぜ、その可憐な唇から小さな溜息を一つ洩らしたアデリアが気を取り直した様に言った。
「あたしね」そう告げる彼女の瞳が潤んでいるのが分かる。今にも零れ落ちてしまいそうな涙は彼女の睫毛に溜まって、滴のままで留まったままだ。
「あたしの周りの人にはみんな笑ってて欲しいんだ。 …… あの戦争で悲しい思いをしなかった人はあたしの周りには一人もいなかった、だからせめて生き残ったあたし達だけでも楽しく生きなきゃ死んだ人達がかわいそうじゃない? だからニナさんみたく笑えなくなった人を見ると、ついね」
「ベルファストの時もそうだったのか? 」
「そうかもしれないし、そうじゃなかったのかもしれない。 …… 実を言うとね、あの時の事あたしあんまり覚えてないんだ。あの子が泣いてて事情を聴いて、あの男の所へ言った時に他の連中に襲われかけてそれからはもう何が何だか。気が付いたらあたし、その子に止められてた。 …… その子ね、そんな目に遭ってもその男の事大好きだったんだよ」
 その事を告げるのはアデリアにとっては傷を抉りだすに等しい行為だった。胸の奥に秘めた記憶の痛みに苛まれた彼女の顔が苦痛にゆがんだ。
「今考えるとね、本当はあの男が憎くてあんな事をしたのじゃないのかも知れない。あの子が乱暴された事は絶対に許せないけど、それよりもあの子の気持が裏切られた事の方に腹が立ったのよ。 …… あの子の目がおかしい訳じゃない、本当はあの男も元はそんな事をする筈のない良い人だったのかも知れない。でもみんな戦争が変えちゃった」
 ぽろりと零れた一滴の涙が床に小さな染みを作った。瞬きもせずにマークスを見つめたアデリアが、小さな声で自分の中にある戦う理由を口にした。
「 ―― 戦争が、憎い」

 互いの瞳を通じて何かを共有する事の心地よさにマークスは酔っていた。アデリアの心の叫びがマークスの心へと伝わってそれは仄かな熱に変わる。愛情とか好意とか、言葉に出来る感覚では無い絶対的な価値観はそれ自体が確かな絆となって二人の心を結びつけた。マークスの異色の両目に点った熱情にアデリアは驚き、そして我に返った。
「あ、ご、ごめんね。こんな話、ちっとも面白くなかったでしょ? な、なんであたしこんな話しちゃったんだろ、それも人の部屋でだよ? ほーんとあたしってだめだなあ、ちょっと自分の気分がいいからってこんな話自分からするなんてどうかしてる」
 自分の素顔をさらけ出してしまった事が恥ずかしかった。自分が天真爛漫な女の子である事を貫こうとして無理をし続けている事を告白してしまった事を迂闊に感じて、慌てて元の貌を取り繕おう試みた。マークスの視線から隠れる様に顔を背けたアデリアはそのままゆっくりとベッドの傍まで歩み寄って、そっと端に腰かける。固いスプリングがギシリと鳴り、その余韻が冷めやらぬうちにマークスが視線を落としたまま呟いた。
「もう、いいのか? 」
「え? 」
「いつも強気で明るくてそれでも優しさを忘れないお前と、そんな辛い過去を黙ってみんなと繋がって来たお前、どちらも俺にとってのアデリアさ。何も変わらない」
 そう語るマークスの目に映るアデリアの表情が変化した。顔の奥底から浮かび上がってくるような年相応の泣き顔、だがそれは悲しみから来る物ではなかった。全てを理解され、受け入れてもらえた事の感動を露わにする歓びが彼女をそうさせているのだった。
 悲しみも歓びも、全ては心の内で燻る熾きの様な物。思いやりと言う風によって、それはいとも容易く燃え上がる。

 いく粒かの涙を潤んだ目尻からぽろぽろと零した後、アデリアはその事にはっと気が付いて思わず両の掌で涙を拭った。
「や、やだ。こっ、この部屋何だか蒸し暑い。あ、汗が目に染みてみっともないったら」
 そう言いながらベッドから立ち上がったアデリアが慌てて空調のリモコンを探す。滲んだ視界でよく見えないまま彼女はデスクの上に置いてあるマウスをそれと間違えて掴んだ。
「あれ? 違った。これ ―― 」
 そう呟いた瞬間に待機モードでじっと主人の帰りを待っていたデスクトップのハードディスクは微かな唸りを上げて駆動を始めた。低周波と共に転倒した液晶が通常画面で表示される壁紙では無く、何らかの資料を二人の前へと表示する。
「 ―― やだ、勝手に動かしちゃった。どうしよう」
 握ったままのマウスを壊れ物のようにそっと元の位置へと戻す、人の物を勝手に動かした後ろめたさでドキドキするアデリアとは対照的に、マークスは少し離れた場所からその画面を興味深く見つめていた。
「なんだそれ、何のデータだ? 」
 尋ねられたアデリアが慌てて画面を覗きこむ。横軸を時間に置き換えて一本の線を真中に上下へとジグザグの振幅を繰り返すそれを彼女は見間違える筈がなかった。
G重力データ。プラスとマイナスの振幅幅が凄いわねぇ、まるでシェイクされたみたい」
 アデリアの目から見てもそれは間違いなくモビルスーツの運用データに間違いはなかった。時間経過と共に記録されたそのデータは出力の増減とそれに伴うコクピットのGの相関関係を示す物だった。
「多分隊長の起動ディスクじゃない? 大分昔の戦闘の時のとか。だってあれだけの実力の持ち主だもん、これくらいの数値は叩き出すでしょ」
「 ―― 違うっ」
 小さく叫んだマークスがつかつかと歩み寄って、驚くアデリアを尻目にデスクのイスを足でどけた。液晶の前に陣取ってまるで信じられない物を見る様に異色の瞳を見開く。
「ちょ、ちょっとマークスやばいって。これニナさんの私物なんだから勝手に覗いちゃダメだって」
「 ―― 見ろ、アデリア。 …… ここ」
 液晶を指さしたマークスの指を追う様にアデリアの視線が走る。届いた先にあった物はグラフの左下、統計図表上そこには記録された機種の詳細なデータが必ず記載されていた。その数値を一見し、再びその桁数を何度も数えた彼女が目を丸くして呟いた。
「な、なによこれ。平均出力4万キロワットって ―― 巡洋艦サラミスの4分の、1? 」
「ジムの約30機分に相当する数値だ。これはもうどう考えたってジオンの開発したモビルアーマーしかありえない、でもなんでこんな物をニナさんは持ってるんだ? 」
 このデータの持ち主の名前を知りたいと思ったマークスが机の上のマウスへと手を伸ばし、それはアデリアの手が阻止した。思わず目で抗議するマークスに向かって小さく頭を振って抵抗を試みるアデリア、だがそれは束の間の事にしか過ぎない。彼女がマークスを慕う理由は同じ価値観をお互いに持っていると言う事、即ち彼の興味がある事はとりもなおさず自分も持っていると言う事だ。
 誘惑に負けたアデリアが押さえていたマークスの手をそっと解き放つ、彼はそのままポインターを移動させてこのディスクの個人データが載っているページへとアクセスした。再び動き出すハードディスクのモーター、旧式のそれが呼び出すデータが徐々に液晶へと現れる。
 見覚えのある顔と。
 聞き覚えのある名前と。
 聞いた事のない、その男の階級。
「そ、そんなばかなっ」
「こんな事 …… ええっ!? 」
 驚きを露わにして画面を食い入る様に見つめる二人の前に、あの日のコウの記録が表示された。


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