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No.32711の一覧
[0] 機動戦士ガンダム0086 StarDust Cradle ‐ Ver.arcadia ‐ 連載終了[廣瀬 雀吉](2023/07/03 19:06)
[1] Prologue[廣瀬 雀吉](2012/04/19 18:00)
[2] Brocade[廣瀬 雀吉](2012/04/19 18:01)
[3] Ephemera[廣瀬 雀吉](2012/05/06 06:23)
[4] Truth[廣瀬 雀吉](2012/05/09 14:24)
[5] Oakly[廣瀬 雀吉](2012/05/12 02:50)
[6] The Magnificent Seven[廣瀬 雀吉](2012/05/26 18:02)
[7] Unless a kernel of wheat is planted in the soil [廣瀬 雀吉](2012/06/09 07:02)
[8] Artificial or not[廣瀬 雀吉](2012/06/20 19:13)
[9] Astarte & Warlock[廣瀬 雀吉](2012/08/02 20:47)
[10] Reflection[廣瀬 雀吉](2012/08/04 16:39)
[11] Mother Goose[廣瀬 雀吉](2012/09/07 22:53)
[12] Torukia[廣瀬 雀吉](2012/10/06 21:31)
[13] Disk[廣瀬 雀吉](2012/11/15 19:30)
[14] Scars[廣瀬 雀吉](2012/11/15 19:32)
[15] Disclosure[廣瀬 雀吉](2012/11/24 23:08)
[16] Missing[廣瀬 雀吉](2013/01/27 11:57)
[17] Missing - linkⅠ[廣瀬 雀吉](2013/01/28 18:05)
[18] Missing - linkⅡ[廣瀬 雀吉](2013/02/20 23:50)
[19] Missing - linkⅢ[廣瀬 雀吉](2013/03/21 22:43)
[20] Realize[廣瀬 雀吉](2013/04/18 23:38)
[21] Missing you[廣瀬 雀吉](2013/05/03 00:34)
[22] The Stranger[廣瀬 雀吉](2013/05/18 18:21)
[23] Salinas[廣瀬 雀吉](2013/06/05 20:31)
[24] Nemesis[廣瀬 雀吉](2013/06/22 23:34)
[25] Expose[廣瀬 雀吉](2013/08/05 13:34)
[26] No way[廣瀬 雀吉](2013/08/25 23:16)
[27] Prodrome[廣瀬 雀吉](2013/10/24 22:37)
[28] friends[廣瀬 雀吉](2014/03/10 20:57)
[29] Versus[廣瀬 雀吉](2014/11/13 19:01)
[30] keep on, keepin' on[廣瀬 雀吉](2015/02/05 01:50)
[31] PAN PAN PAN[廣瀬 雀吉](2015/02/05 01:25)
[32] On your mark[廣瀬 雀吉](2015/08/11 22:03)
[33] Laplace's demon[廣瀬 雀吉](2016/01/25 05:38)
[34] Welcome[廣瀬 雀吉](2020/08/31 05:56)
[35] To the nightmare[廣瀬 雀吉](2020/09/15 20:32)
[36] Vigilante[廣瀬 雀吉](2020/09/27 20:09)
[37] Breakthrough[廣瀬 雀吉](2020/10/04 19:20)
[38] yes[廣瀬 雀吉](2020/10/17 22:19)
[39] Strength[廣瀬 雀吉](2020/10/22 19:16)
[40] Awakening[廣瀬 雀吉](2020/11/04 19:29)
[41] Encounter[廣瀬 雀吉](2020/11/28 19:43)
[42] Period[廣瀬 雀吉](2020/12/23 06:01)
[43] Clue[廣瀬 雀吉](2021/01/07 21:17)
[44] Boy meets Girl[廣瀬 雀吉](2021/02/01 16:24)
[45] get the regret over[廣瀬 雀吉](2021/02/22 22:58)
[46] Distance[廣瀬 雀吉](2021/03/01 21:24)
[47] ZERO GRAVITY[廣瀬 雀吉](2021/04/17 18:03)
[48] Lynx[廣瀬 雀吉](2021/05/04 20:07)
[49] Determination[廣瀬 雀吉](2021/06/16 05:54)
[50] Answer[廣瀬 雀吉](2021/06/30 21:35)
[51] Assemble[廣瀬 雀吉](2021/07/23 10:48)
[52] Nightglow[廣瀬 雀吉](2021/09/14 07:04)
[53] Moon Halo[廣瀬 雀吉](2021/10/08 21:52)
[54] Dance little Baby[廣瀬 雀吉](2022/02/15 17:07)
[55] Godspeed[廣瀬 雀吉](2022/04/16 21:09)
[56] Game Changers[廣瀬 雀吉](2022/06/19 23:44)
[57] Pay back[廣瀬 雀吉](2022/08/25 20:06)
[58] Trigger[廣瀬 雀吉](2022/10/07 00:09)
[59] fallin' down[廣瀬 雀吉](2022/10/25 23:39)
[60] last resort[廣瀬 雀吉](2022/11/11 00:02)
[61] a minute[廣瀬 雀吉](2023/01/16 00:00)
[62] one shot one kill[廣瀬 雀吉](2023/01/22 00:44)
[63] Reviver[廣瀬 雀吉](2023/02/18 12:57)
[64] Crushers[廣瀬 雀吉](2023/03/31 22:11)
[65] This is what I can do[廣瀬 雀吉](2023/05/01 16:09)
[66] Ark Song[廣瀬 雀吉](2023/05/14 21:53)
[67] Men of Destiny[廣瀬 雀吉](2023/06/11 01:10)
[68] Calling to the night[廣瀬 雀吉](2023/06/18 01:03)
[69] Broken Night[廣瀬 雀吉](2023/06/30 01:40)
[70] intermission[廣瀬 雀吉](2023/07/03 19:04)
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[32711] Torukia
Name: 廣瀬 雀吉◆b894648c ID:41c9b9fd 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/10/06 21:31
 体の中を駆け巡る血が冷えて来るのが分かる。仲間を蹂躙された怒り、義理の息子を危機に陥れた憤り、そのどちらもキャクストンにとっては掛け替えのない大切な物であり、無為に奪われる事に憤激を露わにした所で咎める者は誰もいない。だが彼の積み重ねた歴戦の記憶はそれを自分が感じれば感じるほど深く静かな奈落の水面へと彼の心を誘った。目の中に現れる様々な数値と周囲の状況、そして滝の様に上から下へと流れていくクゥエルの基本データを読み込みながらキャクストンは浅い呼吸を繰り返す。
 山刀を腰だめに構えて真っ直ぐに突進して来る敵の速さは尋常ではない、基本データと記録される敵との差異を頭の中で分析したキャクストンは即座にその機体の持つポテンシャルを推測して回避行動へと移行した。脳波とANUBIS4との全制御システムを双方向でリンクするMIP社謹製EEGリンカ-は大脳皮質上を流れる脳電位を測定し、操縦者の意思を筋電位に置き換える前の予備動作を各システムへと伝達する。故に操縦者は自分の意思がそのまま機体へと乗り移ったかのような早いタイミングで機体を操作する事が出来た。
 習熟訓練期間にANUBIS4の完熟運転を試みたキャクストンであっても、ジムの動きに慣れた体がその速さを体得するのに幾許かの時間を要したのは言うまでも無い。一度体に染みついた癖と言う物は中々取れない物だ、とは技術者の予測した行動データ以上の運動能力を示した後に彼が呟いた言葉だった。
 敵の動きをけん制する為の一連射が右腕の砲口から吐き出された、光の羅列は闇を切り裂いて真っ直ぐにクゥエルへと奔りキャクストンの予想通り躱される。しかしそれは敵の攻撃の方向を限定させる為の策に過ぎない、左手から間合いへと飛び込んだクゥエルは黒い山刀を下段から一閃させて前へと大きく張り出したANUBIS4のコックピットを狙う。軌道と意図を読み切った左腕が刃の前へと立ち塞がって、80ミリの砲身と引き換えに敵の斬撃を阻止した。
「 ” おおっ! ” 」
 乾坤の初撃をものの見事に受け止められた男の口から洩れた声には狂気と歓喜が入り混じっている、バレルに深く食い込んだままの刃を引き剥がす為に動きを止めた敵のコックピット目がけてキャクストンの右手が動く。だがその肘をクゥエルの左手がむんずと掴んでそれ以上の狼藉を許さない。出力勝負の格闘戦の様な状態に陥ったANUBIS4とクゥエルは融合炉の雄叫びと全身をわななかせて揺らめく明かりの中に対峙した。
「 ” さすがはEEGリンカ-、凄い反応速度だ。事前に聞いていたデータとは格段の差だ、それとも操縦者の違いと考えるべきか ” 」
 門外不出の新機軸の名称が男の口から零れた事で発生する一瞬の動揺、生まれた隙に乗じて男の山刀が食い込んでいたバレルから一気に引き剥がされる。頭上へと振り翳して必殺の一撃を繰り出そうとするクゥエルの胴体をANUBIS4の左手が思い切り殴り付ける、装甲板のへこむ嫌な金属音と共に突き飛ばされた敵の機体は固定していた右腕を手放して一足飛びに間合いを離した。
「貴様、何故その名をっ!? それはこの研究所で研究に携わってる者の中でもほんの一部の人間しか知らない筈だっ! 」
 少しでも距離を取られれば80ミリは簡単に無力化される、零距離射撃に活路を見出そうとするキャクストンは右手のイナーシャの叫びと流れ込む給弾音を耳にしながらその真意を大声で問う。
「 ” 聞いてどうする。この世界に秘密にできる事など何一つないと言う事は軍に所属していた者ならば誰でも知っている事だ。ましてやそれが ―― ” 」
 嘲笑の欠片を声に滲ませた男の声がキャクストンの癇に障った。途切れた言葉の向こう側にある得体の知れない真実に耳を澄ませたキャクストン、待ち受けるそこに向かって男は言った。
「 ” ―― 軍がわざとリークした基礎理論から派生した物であるならば、だ ” 」

 戦慄はキャクストンの五感を支配して不随意な痙攣を齎し、勢い余って押しこんだトリガーが予期せぬ砲弾を夜闇へとばら撒いた。しかしそんな一撃ですらも楽々と躱してしまう相手の能力を垣間見て、キャクストンは自分の踏み込んだ世界の中心が渦巻く陰謀の只中にあったと言う事を思い知る。
 既存のOSでは為し得なかった操縦者と機体とのタイムラグを劇的に解消し、これからのモビルスーツ開発に一石を投じるであろうと確信していたEEGリンカーが実は軍の手によって密かに考えられていたと言う事。そして彼らはANUBIS4にそれが搭載されている事を確認した上でここへと攻め込んで来たという事。その二つの事実と彼らが殲滅を目的にここへやって来たと言う目的から導き出される結論はただ一つ。
「 ―― ANUBIS4のデータ収拾か」
「 ” その問いに関しては素直にイエスと言っておく。だがそれが何を意味するか等と言う事は俺には分からない、元軍人のあんたにならその理由は分かる筈だ ” 」
 当たり前だ、と心の中でもう一人のキャクストンが罵声を浴びせた。任務に就く兵士に与えられる任務はごく単純な物、そしてそれ以外の余計な物は決して知らされない。殺せと命じられれば殺し、奪えと命じられれば躊躇なく奪い去る。例えそれがどんなに自分の意にそぐわない物であったとしてもだ。
「 ” あんた自身がさっき言った様に、勝つ為にはここで俺と刺し違えて俺達の目的を阻止するしか手が無い。実にシンプルでいいじゃないか ” 」
「刺し違えて、だと? 」
 そう尋ねると炎に輪郭を揺らめかせたクゥエルの山刀が持ち上がって、キャクストンの背後を指し示した。指が後部カメラのスイッチを押すと、パネルの液晶に炎の中から這いずり出て来るエミリオの機体が映し出された。
「! エミリオっ!? 」
「 ” あんたの勝ちの目はまだ残っている。エミリオ君の命を護り通す事が今のあんたの任務だ ” 」

 押し寄せる熱で下腹部に仕込まれた核融合炉が爆発しなかった事がエミリオにとって幸いだったのかどうかは分からない、だが各関節のモーターと油圧シリンダーが殆ど焼き付いた状態で擱坐しかかったその機体を紅蓮の焔から引き摺り出した物はANUBIS4を開発した技術者が操縦者に手向けた自律回避という手段だった。EEGリンカ-によって機体に発生している深刻な損傷とパイロットの意識低下を確認したOSはパーテーションで切り分けられた区画に書きこまれている脱出プログラムを自動的に立ち上げ、命令を受領したAIは融合炉の出力を臨界まで押し上げて各動力機構に最期の力を送り込んだ。
 鈍重な機体を無理やり炎の渦から押しだした脚部が歪み、支えられなくなったシリンダーが根元から折れ曲がる。しかしズゴック以来二機目のモビルスーツとしてMIP社からロールアウトしたANUBIS4は持ち前の耐久性をいかんなく発揮して、瀕死の機体を安全圏にまで到達させた。
 壊れかけの外部センサーが周囲温度の低下を感知するとOSは操縦者保護の為の措置へと移行した。ヘルメットに繋がれていた大小のコードが強制的にパージされて意識の飛んだエミリオの頭を解放する、ぐらりと傾いたエミリオの身体を五点式のベルトが機械の力でシートへ緊締するとキャノピーが煙を上げて吹き飛んだ。一瞬だけ充満した煙と火薬の匂いと吹き込む風によって意識を取り戻したエミリオは自分の置かれている状況がよく分からない、錯乱したままの操縦者を差し置いてANUBIS4のOSはシート下に仕掛けられた脱出用の射出ボルトに点火した。
「うわあっ!! 」
 悲鳴と共に夜空高く舞い上がるエミリオの身体は打ち上げられたシートごと二度三度回る。遠心力によってシートベルトの破断システムが作動すると空を舞う物体は彼一人となり、役目を終えたバケットシートはそのまま地面へと舞い落ちる。放物線の頂点に到達したエミリオの背中から自動的に引き出されたパラシュートはそのまま地面への落下運動へと突入しようとした彼の身体をもみの木の天辺ほどの高さで固定した。
「義父さん! 」
 俯瞰する景色の中で対峙する二体の影がもみの木の林を侵食して遠くへと伸びる。炎が巻き上げる熱気にゆらゆらと揺られながらエミリオの身体はほどなく地面へと投げ出される、着地の衝撃を感知した背中のパラシュートが基部から根こそぎ外れて彼の身体を置き去りにした。
 風を孕んで猛烈な勢いで飛びさる白い影を目で追いながら、エミリオはその行き先が生死を賭けて睨みあう二人の間へと向かっている事を知った。声も無くその成り行きを見守るエミリオがまるでそのパラシュートを手で掴んで引き戻そうかとするかのように手を伸ばした瞬間、世界は突然変化した。
 まるでその白いナイロンの布を遮断機に見立てていたかの様に二機のモビルスーツは、違った音色の咆哮を上げながら決死の間合いへとその身体を躍らせた。

「 ” もう左手は使い物になるまいっ! ” 」
 左手の下腕部中央に大きな亀裂の入ったANUBIS4に向かって、自らの有利を確信した男が一気に間合いへと踏み込んだ。得意とする下段から振り上げられる山刀が唸りを上げてキャクストンの左側面を襲う、生き残っているアクチュエーターがキャクストンの防御の意思に瞬時に反応してその剣閃の終点に立ち塞がる。チタンのカバーを易々と切り裂くクゥエルの山刀は内蔵されたアデン砲のバレルをほぼ切断した状態で左手に食い込んだ。
 断線した箇所が小さな火花を散らしてカバーの裂け目から外へと抜け、重要な武装を失ったと判断した火器管制は損傷率とバックパックの給弾ラインを右腕の兵装へと切り替えた事を示すレポートを赤い点滅と共にキャクストンの目に投影した。
 亀裂の入った左腕部のメインフレームが嫌な音を上げてへし折れる、キャクストンは途中で折れ曲がった左手を振りまわしてそこに繋がったままの山刀ごとクゥエルの上体を傾けた。力に抗って反射的に背を反らしたのは乗っている男の意思では無く、機体制御の為に設けられたオートバランサーの仕組みによる物。しかし左腕を一本犠牲にしたキャクストンが狙っていたのはまさにその瞬間だった。
 振り上げた頭が右手のアデン砲の射線軸に乗った瞬間にキャクストンはすかさず引き金を引く、吐き出された80ミリはたった一撃でクゥエルの頭部を木端微塵に破壊した。
「 ”! やるっ! ” 」
 男の感嘆を聞き流しながらキャクストンの左手がスロットルをゆっくりと押し上げる、それは男の見せるパワーコントロールとは全く対照的だ。融合炉の出力特性に合わせたスロットル操作は近接戦闘時において最も留意すべき要素だと言う事をキャクストンは長い闘いの間に知る事が出来た。そして敵と自分との相違点がそこにある事に着目し、彼の戦歴が自分の物よりもはるかに短く、そして恵まれていた物だと言う事を理解する。
 勝機があるのだとしたらその一点しか無い。
 巨大な足が地響きを上げて頭の無いクゥエルとの間合いを縮める、敵のAIが反応の消失したアイカメラから肩口に設置されたサブカメラへと主幹機能を移譲するそのタイムラグこそがキャクストンに最も必要な敵の隙だった。間合いを取ろうと後ろへとよろめくクゥエルの懐へと飛び込んだANUBIS4が硝煙を燻らせたままのアデン砲をコックピットへと突き付ける、その時やっと機能の移譲を終えて状況を垣間見た敵の左手がそうはさせじと再びANUBIS4の右腕を掴んで捻り上げようとする。
「 ―― くらえっ! 」

 そこまでがキャクストンが書きあげた勝利へのシナリオの伏線だった。自分に対する最も驚異的な武装 ―― 80ミリの存在を頭部の破壊という成果によって敵の脳裏に刻みつけたキャクストンは、他の攻撃の選択肢をその思考の中から奪い去った。山刀によって繋ぎ止められた右腕と80ミリでの攻撃を阻止する為に使ってしまった左腕、四つに組んだ状態から繰り出せる攻撃はジムの頭部に申し訳程度に設えられた60ミリ二門、しかしもうそれは無い。膠着するしかない戦況を打破する為に繰り出されたのは操縦者の保護の為にモノコックフレームで強化されたANUBIS4の頭部だった。
腹部と背部にあるシリンダーが前傾姿勢の命令を受けて瞬時に作動する、突き出されたコックピット先端部は最大出力でほんの目の前に位置するクゥエルの操縦席前面装甲板へと襲いかかった。
 猛烈な衝撃と共にキャノピーのアクリルが砕け散る、鋭利な破片がキャクストンの全身へと降り注ぐ。頬を掠めた切れ端が彼の血を頬へと導く事などお構いなしに、キャクストンはANUBIS4の先端部が間違いなく敵のコックピットの装甲板に深く食い込んだ事を確認した。フットバーを蹴り出してミリタリーラインまでゲインした融合炉のパワーを両足へと送り込む、クゥエルの1.5倍の重量を誇るその巨体は一気に黒い機体を押しだし始めた。
 バキン、という嫌な音がしてクゥエルの二足歩行機動バイペダルモーションを支える足裏のトーションバーがへし折れる、思わぬ損傷に体勢を崩しかけたクゥエルは姿勢復旧の為のオートバランサーの助けを借りて何とかその場に踏みとどまる。
 顎を喰い込ませてそのまま捻じ伏せようと試みるANUBIS4の力を押し留める事が危険だと判断した男は、事態の打開に攻撃を選択した。自由になった右手から繰り出される大上段からの一撃は間違いなく、一直線に剥き出しのキャクストンの頭上目がけて降りて来る。鋭利な殺気を感じた彼の意識はすぐさまリンカーを通して
OSに反映され、敵の拘束を振り切って上段へと差し上げられた右手がその進路を遮った。死に物狂いで放たれた敵の斬撃は一瞬でパネルを両断して内部まで届き、張り巡らされた油圧パイプを一刀両断にした。
「油圧低下っ、くそっ! 」
 モビルスーツにとって融合炉は心臓、シリンダーやモーターの類は筋肉や関節、そしてオイルは血液に当たる。血が無くなれば油圧で動くシリンダーは動かなくなって全機能が停止する、モビルスーツにとって油圧の減少と言う物はある意味『死に至る病』を罹患した状態にあるのだ。暗闇に吹き出すタイプIIオイルはラインの閉鎖を指示するキャクストンの意思に逆らって相当量が撒き散らされる、プレッシャーゲージの針は見る見るうちに半分を切る。
 ヒュンヒュンと泣き声を上げて機体を上下させるANUBIS4の異変に気が付かない敵では無い、動きの止まった右腕に食い込んだ山刀を無理やり引き抜くと今度は十分に狙いをつけてキャクストンの遥か頭上に差し上げる。
 目前へと差し迫った死に血走った目を向けながら、キャクストンは残ったオイルの殆どをANUBIS4の上半身から下半身へと移動させた。

「よくぞその機体で健闘したと言いたい所だが、貴様の頑張りもここまでだ」
 サブカメラによってモニターに映し出される景色に反映される情報量はメインカメラのそれに比べて以上に少ない。セーフモードとも呼べるその視界の真ん中にはっきりと映し出される好敵手の顔は自分が思い描いていたよりもはるかに歳老いている、しかし闘志漲るその表情に浮かぶ勝利への執念は称賛に値すべき物だ、と男は思う。もしもこの男が自分と同じ機体に乗り込んでいたとしたら、この瞬間に勝ち名乗りを高らかに上げていたのは向うだったかも知れない。
 だが人生にたらればが無い様に生き死にを決する戦場にもそれは無い、在るのは勝者と敗者を隔てる無情の運命のみだ。勝利と言う名の甘美な果実へと手を伸ばした男はそれを捥ぎ取る為に右腕のアクチュエーターを操作して、その延長上で高々と掲げられた黒い山刀を振り下ろそうと試みる。
 だが、その異変は勝利を確信して薄笑いを浮かべた男の心の隙を突くかのように突然眼前で始まった。

 足元に三本置かれたフットバーの両側は両足を駆動させる為の物、そして真ん中の一本は駆動方向を切り替える為のピポットペダル。OSによる姿勢制御をキャンセルしたキャクストンは不安定になった機体の重心崩壊を利用して三本のフットペダルを不規則なリズムで何度も踏み抜いた。
 ぐらりと揺れる側の姿勢を立て直す為に踏み込まれる巨大な足が前後に小刻みに動いてその姿勢を一気に変える、OSには書かれていない変則操作に追随するANUBIS4は指呼の距離にあるクゥエルの目の前でくるりと体の向きを変えた。
「 ” ! 何っ!? ” 」
 超信地旋回。ガンタンクや61式戦車などの履帯走行やホバーによってしか為し得ない機動を鮮やかに決めるANUBIS4の巨体を目の当たりにした男の驚愕がキャクストンの耳へと届く。
 自分の愛機だったジムに比べれば不格好この上ないが、それでもこの技を目にした者は少ないだろう。一年戦争の激戦を潜り抜けたキャクストンは度重なる乱戦の中で何度も白兵戦を越える格闘を体験した。銃を棄て、剣すら持つ暇の無い間合いの中で何とか生き延びる為に自ら編み出した修羅の業だ。
 振り下ろす目当てを失ったクゥエルの右手が惑う、円運動によって完全に失った間合いを少しでも取り戻して、再び山刀の振り下ろせる位置にまで機体を下げようと一歩後ろへと下がるクゥエル。しかし。
「 ” ぬうっ!? ” 」
 その下げた足が突然膝から砕ける様に折れ曲がる。破壊されたトーションバーによって歩行時のクッションを失った機体はその衝撃をもろに膝へと伝える事になり、負荷のかかった関節はその衝撃を吸収する為に自動的に折れ曲がった。横倒寸前の機体を立て直す為にOSが操縦者の手から制御を奪う、それがキャクストンに与えられた唯一の勝機とも言えた。
 ANUBIS4の上半身と下半身を繋ぐ腰部関節、二つの超重量を連結する為の巨大なモーターが最後の唸りを上げた。多重に組まれたギアが全力で機体の上半身を旋回させる、その最中に伸ばした左手の残骸が猛烈な勢いでクゥエルの脇腹にヒットした。
「もう立ってはいられまいっ!? 」
 キャクストンの咆哮が夜空に木霊する、そしてその予言通りにクゥエルは制御の限界を超えて地面へと叩きつけられた。

 耐久限界を超えた衝撃に緊急停止ティルトストップしたクゥエルに向かって、完全に破壊された左腕の破壊孔からオイルを垂れ流しながらゆっくりと近づくANUBIS4。残り少なくなった駆動力をその足に全て叩きこんでクゥエルの右手を山刀ごと踏み潰す。バキバキと言う鈍い音と共に繊細なマニピュレーターは粉々に砕けて地面へと埋まる、使い物にはならなくなったが唯一原形を留めたままの右手の砲口をクゥエルのコックピットに突き付けながらキャクストンが高揚した声で叫んだ。
「ゲームオーバーだ、先鋒っ! 命が惜しければこちらの問いに答えろ、貴様の所属部隊と姓名、認識番号はっ!? 」
 睨みつけるキャクストンの真下で機能を失った右手が爆砕ボルトによってパージされる。鼻を突く火薬の匂いと共にキャクストンの耳へと男の声が流れ込んだ。
「 ” これが経験の差というものか、まさか格闘戦を挑んで来る気だったとは予想外だった。どうやら俺の負けらしい ” 」
 観念をしている様にキャクストンには聞こえなかった。目に見えない何かを渇望し、しかしそれを嘲笑う様に声を顰める男の声にキャクストンは遣り切れなさを覚えた。自分が戦争によって妻を失ってしまったのと同じ様にこの男も戦争によって何か大切な物を失ってしまったのかも知れない、同じ戦争被害者であるにも拘らず持ち得たスキルを片や人殺しに、片や人を護る為にぶつける事になるとは皮肉な星周りだと思う。しかしその罪は本人の望む形で償わなければならない。
「 ” …… あんたの考えている通りだ。ここでお別れなのは残念だが出来る事ならあんたとは真っ当な戦場で、ちゃんとしたモビルスーツで戦いたかったぜ ” 」
「答える気はない、という事か」
 これ以上追及したところで是非もない、万が一の不慮の事態に遭遇した際にはそういう覚悟で臨む様に義務付けられているのが特殊部隊員だ。正規兵であった自分達よりも階級以上の大きな権限を持ち、多額の報酬を得ると言われている彼らの抱えた代償がそれだった。
「では貴様をコックピットごと叩き潰して起動ディスクを回収させてもらう。氏素性は語られなくても貴様の真実だけはそこに書き込まれているはずだからな」
 それさえ手に入れる事が出来れば幾らこの男が黙秘したまま死んだところで無意味だ、少なくともこの機体を動かす為に必要な姓名と認識番号位は書き込まれていなくてはならない。勿論その起動ディスクが新品である事もあるのだがこの男に限ってそれは有り得ない、汎用型のデータでは決して不可能な機動をこの男のクゥエルはやって見せたのだから。
「 ―― 最期に何か言い残しておく事はあるか? 」
 形しか残ってない右手を僅かに振り上げてコックピットへと狙いを定めながらキャクストンが尋ねる。大きく窪んだ第一装甲板には亀裂が入り既にその役割を終えている、後一撃を加えればクゥエルのコックピットは紙屑の様にくしゃくしゃに潰れてしまうだろう。ほんの少し先に見える自分の勝利を確信しながら、しかし疑うが故の脂汗が額から鼻筋へとその滴を伸ばした時に男が答えた。
「 ” ―― 殺せる時には物も言わずに殺す事だ。 …… 嘗ての歴戦と言えども平和と言うぬるま湯にどっぷり浸かった揚句に耄碌してしまえばこんな物か ” 」
 声音に侮蔑を含ませた男の声がキャクストンの耳朶を打つ、ほんの少し憤ったキャクストンがその怒りの矛先をモニターの中央へと叩きつけようとレバーに力を加えようとした瞬間に。
 それは猛烈な被弾の衝撃だった。

 まるで上下に引き千切られた様に宙を舞うANUBIS4の姿が絶望に満ちたエミリオの目に焼き付けられた。重心の集中した下半身と上半身とを繋ぐ接合部の巨大なギアが見えない何かに貫かれて弾け飛び、擱坐した下半身から逃れる様に飛び立つ上半身。まるでシャボン玉の様にふわりと宙に浮かんだ、彼の義父の乗るその機体に今度は炎の束が一斉に襲いかかって蹂躙を始めた。蜂の羽音の様な連射音を響かせて殺到するそれらは絶え間なくエミリオの義父が乗り合わせていた物体を削り、穿ち、引き裂き、あっという間に元の形を作り変える。
 重力に引かれて地へと転げ落ちるキャクストンの機体がその慣性を失って静止する頃には、全ての動力とそれを司る命の根幹が血と硝煙だけを残して粉々に引き潰されていた。愛情と言う名の身勝手で愛する娘を孕ませてしまった自分に向かって、複雑な笑みを浮かべたまま黙って右手を差し伸べた父であり、敬愛する上司が。
 見るも無残に、跡形も無く。

「 ―― ふう」
 ガンタンクのパイロットはバイザーから僅かに覗く口元を軽く膨らませて小さな溜息を吐いた。何の打ち合わせも無しに行うしか無かった援護射撃に同調した仲間の機転に感心すると共に、遠距離での精密射撃に成功した幸運を彼は戦場の神に感謝した。ほんの少しでも横風が吹いていればこの狙撃は成功しなかった、自らの放った焼夷弾の業火が吹き荒れる中でのこの戦果は彼にとっては奇跡とも言える。
「 ” いい腕だ、ハンプティ ” 」
 暗い声で述べるダンプティの賛辞にハンプティは少し口元を歪めた。完璧主義で鳴るこの男が小さな戦果に対して称賛を与える事など滅多にない事だ。
「どうも。しかし少しでも余計な風が吹いたらどこに当たるか分かりませんでした、奴は運がいい。大体二人一組で行動する所をわざわざ単機で突っ込む方がどうかしてる、追っかけといて正解だ」
「 ” そう言うな。幾らMIP社の機密兵器とは言えANUBIS4があそこまで動けるとは思わなかったんだろう、勿論乗り手の技量があってこその賜物だが ” 」
 自らの油断によって窮地に陥った『ラース1』の不手際を責めるな、と仲間が死んでも眉一つ動かさない指揮官は言う。珍しい事も二度続くとそれを偶然とは受け取れないのが人の性と言う物だ、ハンプティはふと心の中に生じた懸念をダンプティへと質問の形でぶつけてみた。
「 …… 殺っちゃ、まずかったですかね? 」
 自分の行動が指揮官の意にそぐわなかったのかと内心冷や汗をかきながら尋ねるハンプティに、ダンプティは少しもその暗い声音を崩さずに一言言った。
「 ” 馬鹿な事を ” 」
「確かにこの状況で確実に相手を仕留めるのなら、幾らAPFSDS(Armor Piercing Fin Stabilized Discarding Sabot;装弾筒付翼安定徹甲弾。安定した命中率と貫通力に特化した砲弾)でも一番狙いやすい胴体部を狙うしか無かった。しかしあのパイロットの技量ならばラース1と引き換えにして旅団うちに取り込んでも損は無かったんじゃないかと」
「 ” それでも相手が首を縦に振らない御仁だったらどうする。当てにならないエースの為に貴重な戦力をふいにする事など愚かな選択だ、それに『対象』以外の余計な物を抱え込む暇も余裕も俺達には無い。与えてやれる物は ―― ” 」
 途切れた言葉の影で小さく響く鼻白んだ声は嘲りの色を湛えていた。
「 ” ―― 速やかな、死だけだ ” 」

 闇の中で横たわったその残骸に命の痕跡などあろう筈がない、それは今まで戦争と言う修羅を体験した事の無いエミリオですら分かる事だった。無数の60ミリで嬲り尽くされた機体のコックピットは大きな鉤爪で抉られた様に削り取られて形を失い、少し離れた所でオブジェの様に佇んだ下半身の様相とは一線を画した。
 言葉や思い出や絆や未来を一瞬にして失ったエミリオの口から洩れる絶叫は既に人の物では無く、人の本性が獣である事を具現化した雄叫びだ。炎の明かりに揺らめく幻想的な森の闇にその声がにべも無く吸い込まれて行った時、突然横合いの敷地の影から三体の巨大な影が独得の地響きを立てて現れた。
「 …… うそだろ、こんな。そんな」
 キャクストンが地に叩き伏せた機体と同じ物が三機、右腕にはチタン装甲で包まれたANUBIS4をハチの巣にしたずんぐりとした獲物が抱えられている。まるでエミリオの叫びを聞きつけたかの様に現れたそのクゥエルを前に今まで自分を突き動かしていた慟哭は影を顰めて、新たな感情によって彼の心は埋め尽くされる。
 妻と、息子。
 幻想の様に浮かび上がった二人の笑顔を瞼に映して、エミリオの恐慌は頂点へと達した。生き延びたいと願う生存本能の前には悲しみすらも無力で、今し方命を落とした義父の顔すら思い浮かばない。ただひたすら自分の愛した者の元へと還ろうとする衝動はいとも簡単に彼の足を動かして、燃え盛るハンガーへと向かわせた。
「い、イライザっ、サリューっ! 」
 二人の名を零しながらクゥエルの影に背を向けるエミリオは無意識のうちに駆けだす、それは奇しくもキャクストンの言い残した遺言を実行する為の行動と合致した。走ると言うにはあまりにも無様で逃げると言うにはその足の運びすら覚束ない、泳ぐように空を掻く両手で必死にハンガーの横に設置されたシェルターの扉を握り締めようとするエミリオ。彼は確かにその時、生き残れる唯一の手段へと辿り着ける位置にいた。
 だが、そこにある筈のカルネアデスの板は既に誰かの手の中にあった。定員はただ、一人。

 エミリオが扉に手を掛けようとした瞬間に、それは何の意図も無く開いた。取っ手を握り締める筈の掌は空しく宙を食み、内開きの入口の奥に佇む黒い影はあたかもエミリオの帰還を出迎えるかのようにじっとその場に立っている。
「たっ助けてくれっ! 敵がもうすぐそこまで迫ってるんだ、早くシェルターにっ! 」
 NBCR(Nuclear・核 biological・生物 chemical・化学 radiological・放射能)完全対応のそこ以外に自分の身を護る場所はない、早口で捲し立てて危急を知らせようとするエミリオの言葉をその男はまるで信じられないと言った風情でじっと入口に佇んでいる。埒の明かない男の反応に焦ったエミリオは思わず男を押しのけてシェルターの入口へと足を掛けた。
「 ―― 残念ですが」
 耳元で影絵の男の囁きが聞えたのは脇を通り過ぎて通路へと一歩踏み込んだ瞬間だった。まるで粘りつく汚泥の様などす黒い何かがエミリオの焦りへと働きかける、咄嗟に振りかえった彼の目に映ったのは黒くペイントを施された男の口に開いた白い歯の輝きだった。
「ここはもう満員です。貴方も含めて、ですが」
 突然腹の真ん中に叩き込まれる男の拳、背中に突き抜ける衝撃と焼けた火箸を差し込まれた様な灼熱感はエミリオの全身に火花を飛ばした。

 ククリと呼ばれる曲刀は肝動脈を両断して背中へと貫通した。切っ先の突き出した背中の裂け目から吹き出す鮮血はあっという間に二人の立つコンクリートの床を濡らして沼地に変える、突然の成り行きを未だに信じられずにブージャム1の手を掴むエミリオの蒼白い顔を歪んだ顔で眺めながら、彼は言った。
「おや、致命傷を負ったのにまだこんな力を残していらっしゃる。どうやら余程の心残りがこの世におありの様で …… 分かります、ええ分かりますとも。貴方の様に最期までもがき苦しむ方々を私は何人も間近で見て来ましたから」
 醜い嗤いを浮かべたブージャム1の顔目がけて咳き込んだエミリオの血が飛び散る、頬を伝って落ちようとするその滴をぬらりとした赤い舌で舐め取る。力を見る間に失っていくエミリオとは対照的にブージャム1はククリを握った手に力を込めて捻り上げた。
 大きな刃渡りが押し広げる傷口から内圧によって大量の血液が吹き出す、五月雨の様な激しい音を立てて瀬戸際に立つ者の背後を濡らす夥しい出血はエミリオに間際の痙攣を齎した。ガクガクと震える膝の力が抜けて全ての体重がブージャム1のククリへと圧し掛かる。
「 ―― おっと」
 邪魔者扱いするかのように小さな掛け声と共にククリを引き抜くブージャム1、僅かに浴びる返り血を物ともせずに自分の目の前から哀れな犠牲者が崩れ落ちていく様を目で追う。生前に犯した罪の許しを請うかの如く跪いたエミリオの身体はそのまま支えを失って突っ伏し、光を無くしたガラス玉の様な瞳を加害者のブーツへと注いで息絶えた。事切れた事を確かめる様に死者の頭を爪先で小突いたブージャム1は右手にぶら下げたままの血塗れのククリを一閃し、そのまま腰の鞘へと収めてラッチを止めた。
 
「 ” ―― 終わったか ” 」
 ダンプティの問い掛けに微かに表情を歪めて咽頭マイクへと手を添える。復唱をしようとしたその口が何かの蟠りを感じてぴたりと止まる、ブージャム1はいかにも指揮官然としたこの男が嫌いだった。
「 ” ―― ブージャム1、復唱はどうした ” 」
「こちらブージャム1、作戦は予定通りに終了。対象βパッケージブラボーは現在Cチームが確保、移送の段取りに入りました」
「 ” …… AとBはどうした。上がって来たのは貴様一人か? ” 」
 陸戦班の持つ状況の異常をいち早く察知して問いかけるダンプティの声にブージャム1は思わず冷や汗を流した。自分がシェルターの外へと顔を出したのはモビルスーツ部隊の進捗状況を確認する為で、若者と出逢ったのはただの偶然だ。出会いがしらの思わぬ獲物につい手を下してしまった自分の非道を詰られる謂われはないが、自分の部下達がこれからしようとしている事については十分に後ろめたい思いがあった。特に任務に関して冷酷かつ厳格で鳴るこの指揮官の前に於いては。
「げ、現在A班とB班は生き残った者を一か所に集めて監禁中、ボロゴーブの後始末をより確実にする為にそうした方がいいと ―― 」
「 ” 何故殺さない? 陸戦班の任務は対象以外の目撃者全員の抹殺だったと俺は記憶しているが ” 」
「は、それはそうですが、その ―― 」
 いかにも融通の利かないダンプティの受け答えに心の中で舌打ちし、しかし何もかも見透かされた様な物言いに思わず口ごもってしまう。それはこの男の前では絶対にしてはならない所作である事をブージャム1は知っていた。目的が達成された事で恣意的な振る舞いに及ぼうとする部下に対して狼藉に及ぶことへの許可を与えた彼の耳は、次の瞬間に殺意の響きを携えて耳朶へと滲み込むダンプティの声を聞いた。
「 ” いいか、よく聞け ” 」
 急ごしらえのブリーフィングルームで見せた氷の様な瞳を思い浮かべたブージャムの背筋に冷たい物が走り抜ける、膝の震えを意思の力で必死に抑え込む彼の元へと届く更なる追い打ち。声と言う名のダンプティの黒い腕はブージャム1の脳内で再生されていた淫蕩の映像を一気呵成に捻り潰した。
「 ” 貴様らが作戦遂行の為にどういう手段を採ろうが、どんな殺し方をしようが俺は関知しない。だがこれ以上人の尊厳を踏み躙る行為を俺の前で行うと言うのであれば、貴様らは自分の命を覚悟しろ。 …… 手向かう事が出来るのならば精々やってみる事だ、地上戦力でこの『サイケデリック・ジム』五機と遣り合う事が可能だと、本気で思う事が出来るのならば ” 」

 ダンプティの宣告と同調する様に、敷地内へとその巨大な姿を現していた三機のクゥエルは一斉にライフルのボルトを引いて新たな弾をチャンバーへと押し込んだ。排出された新品の60ミリは豪快な音を立ててコンクリートの地面を大きく抉る。重厚な振動は必死で押さえていたブージャム1の膝の震えを生まれたての小鹿の物へと変える。瞬きも出来ずに見上げる闇の先でブージャムの罪を裁く為に動き出す黒色の巨人は、其の最初の一歩を彼に向って踏み出した。
 彼らの企てた邪まな提案を須らく一蹴する為に迫り来る、戦争の帰趨を決定付ける為に開発された巨人族の影と地鳴りをシェルターの扉の前で佇んだまま痴呆の様な顔で見上げるブージャム1。外しようの無い距離でANUBIS4を蜂の巣にしたばかりの銃口が彼目掛けて突き付けられた。
「 ” これが脅しで無い事は、貴様になら分かる筈だ。 …… 理解出来たのなら速やかに任務を遂行しろ。 ―― 無線は開いておけ。もしも貴様らがこの期に及んでその様な行為に及ぶのなら戦争犯罪の証拠ごと、この場で俺が消去してやる。ボロゴーブの落とした火炎の中で己の犯した罪を神か仏にでも懺悔するんだな ” 」
 
 甲高い悲鳴と銃声、そして沈黙の連鎖はダンプティがAハンガーと名付けた敷地の傍に近づくまで続いた。「 ” 任務完了 ” 」と忌々しげに吐き捨てたブージャム1の声に何の返答もせずに、彼はモニターに映り込んだ二つの影へと目をやった。横たわったまま動かないクゥエルの身辺を護衛する様に立つのは恐らくト―ヴ1であろう、コックピットハッチの上で膝を抱えたまままんじりともせずに燃え盛る炎を眺めているパイロットに向かってダンプティは言った。
「無事か、ラース1」
 この部下の無鉄砲な振る舞いは今に始まった事ではないが、それでも今回は余りに度が過ぎている。敵の力量を計るのならば少なくとも60ミリの一丁は携行していくべきだと苦言を呈しようかとした矢先、男は小さな声でぽつりと言った。
「  ” ―― また無様に生き残ってしまった。援護射撃など余計なお世話だ ” 」
 それが果たして自分に向けられた物なのか、それともハンプティに向けられた物なのかどうかは定かではない、しかし戦闘中の高揚した気分から脱却して普段の冷静さと厭世感を取り戻している事だけは分かる。出かかった譴責をぐっと喉の奥へと押し込めて、ダンプティは何食わぬ口調を装って尋ねた。
「損害状況を報告しろ」
「 ” 損傷率20パーセント、脚部トーションバーの破損と油圧のメインパイプが破裂して長時間の単独行動は不可能です ” 」
 報告を受けたダンプティが傍らに立つト―ヴ1へと視線を送る、分隊の副指揮官としての立場にあるその男は自分の機体のサーチライトを破損個所に当ててダンプティの視界に届きやすい様に配慮している。確かに足の裏はもう片方の足の裏とは形が変わって、キャクストンの渾身の裏拳を受けた脇腹からは決して少なくない量のオイルを地面へと垂れ流している。
「確認した。残り時間を考えると『ベルゲ』(作業用ガンタンク。主に擱坐した機体を回収する)は間に合わん、機体はト―ヴ1に破棄して貰え」
「 ” 了解 ” 」

 公式非公式を問わず現在展開中の作戦行動の中でも最も苛烈で凄惨な現場を担当する自分の部隊で常に先鋒を務める彼は作戦の成否以上の事に興味を持たず、まるで修行を終えた僧侶の様な出で立ちで基地への帰路に着く。終始一貫して貫かれるラース1のスタイルは分隊指揮官であるダンプティですらも畏敬の念を覚え、そして残念ながらその事が彼と仲間の協調性を失わせる要因ともなっていた。故にラース1には固定した僚機が存在せず、ともすれば今夜の作戦の様に単独行動を余儀無くされる事もしばしば起こる。
 優秀なポイントマンであるが故にラース1を作戦中に喪失する事は部隊にとっての大きな痛手となる、部隊が被るリスクを回避しようと考えるダンプティは再三に渡って注意を喚起し続けた。だが上官からの忠告に表面上の同意だけを示すラース1の眼の奥に残る憎悪の焔の存在を、ダンプティは知っている。
 それが何らかに対する復讐を意味している事は疑い様の無い事実、だが傭兵の集まりであるこの部隊に過去や志願の動機はいらない。必要なのは任務遂行に必要な能力と、人である事を捨て去る精神力。自分達が生息する水深と同じ深さで泳ごうとする者だけが法外な報酬と連邦軍公認の殺人許可証を手にする事が出来るのだ。 それが出来ない者若しくは出来なくなった者に与えられる物は、誰にも知られる事の無い地獄への ―― 天国など自分達には有り得ない ―― 片道切符。例外は、無い。
 隠し切れない執念を抱える彼がそれらの特権を気紛れで手放す事はあり得ない。例えどの様な人と形で自らの本性を覆い隠そうとした所で、彼が今この部隊に存在して戦い続けている事、それが彼の目的の為に必要な手段であると言う事実をダンプティは確信し、そして未だに炎を見詰め続けて蹲っているラース1の影を見詰めながら無線機の周波数を切り替えた。

 眼球を干上がらせようとする其の炎は自分の心中に渦巻く妄執。瞬きを忘れて見詰め続ける『ラース1』の両手は湧き上がる失望と生き残った安堵と言う二律背反にせがまれて、瘧を罹患した子供の様に震え始めた。不随意に震える手を誰にも見られない様に、隠した私怨を悟らせない様に『ラース1』は押し寄せる痛みを怨みに変えてバイザーの影で血走る瞳を凝らして其の炎の向こうで繰り広げられているであろう、殺戮の魔宴サバトを想像する。
 仄かな明かりの下に浮かび上がる冤罪の死刑囚、裁かれる事無く執行される極刑。そして代行者を名乗る地上班の兵士達の足元に広がる鮮やかで生臭い緋。征服者の手によって繰り広げられる終焉の挽歌は虐げられた敗者にのみ与えられ、命と共に地へと振り撒かれる血潮と異なった彩を持つ澱んだ闇が、黙を引き連れて世界を変える。
 其の世界こそが、彼の望んだ世界。
 自らの生死を運命の前に差し出して気紛れな占卜に委ねる如き戦い方は、恐らく彼自身も知る通り歪んでいるのだろう。だがラース1にとっては『男』として生きる事を失った彼自身が、未だに生き続けて此の世に何を為す事ができるかと言う事を知る為の大事な儀式なのだ。
 ラース1の視線が砕けた輪郭を炎の影に沈めつつあるANUBIS4の無残な残骸に憾みを篭めて注がれる、自分に勝利しながらつまらぬ人道によってその権利を手放した間抜けなエースに向かって心の底で呟いた。
 ―― 奴こそが、俺自身を支配する暴棄の運命から救い出してくれる『救世主』だったのかも知れないのに ――
 他人の手によって齎された偶然と度重なる必然。敗者を蹂躙する事によって得られる快感を中断させられた彼の脳裏に運命を嘲笑う雄山羊バフォメットが姿を現した。右手に死、左手に生を掴みながらその長い舌をチロリと覗かせてラース1に問い掛ける。
 ―― お前に相応しい物は、どちらだ? ――
 溢れる妄想と逆流する血液。教会を模した闇の神殿に吊り下げられた鐘の音が雄山羊の尖った口から滴る涎と共に繰り返される。彼の外耳を舐め上げる様に響く悪魔の声は、彼の理性を押し流して潜めた本能を皮膚の上まで浮き上がらせる。だがその瞬間に必ず訪れる肉体の変調は彼の意識を常に現実へと引き戻すのだ。
 股間に刻まれた傷の疼きに耐えかねたラース1が零れ出ようとする苦痛のうめきを唇を咬んで押し殺す。破れる皮膚から流れる一筋の血が顎を伝って滴り落ちた。
 現世と幽界の馬の背で滑り落ちるまで踊り続けようと試み、未だに其の不安定な足場に片足で立ち続ける『ラース1』の生殖器はあの日に犯した罪と共に消え失せた。あるのは肛門付近から臍の下にまで続く醜く引き攣れた縫合痕のみ、失った箇所を埋め合わせる為に無理矢理寄せ合わされたその患部は覆い隠そうとする陰毛と同じ様に歪《いびつ》に歪んだ彼の運命を暗示した。
 その傷が自分の体に刻み込まれたあの日から。
「 …… アデリア・フォス」
 血の滲む唇が微かに歪んで『ラース1』の肉体に生涯忘れえぬ傷を刻みつけた者の名を呟く。血走った瞳は焦点を失い、眼球の底に刻まれた偽善者の相貌を睨み付けた。

                                 *                               *                              *

 異例の人事によって中隊長へと昇格を果たした『ラース1』には与えられた地位と名誉がどういう意味合いの物か分かっていた。
 R&R(recognition and recuperation:慰労と休養)を間近に控えた作戦で、自分の部隊を援護する筈の前線司令部が敵の余りに統率の取れた攻撃に怖気づいて『ラース1』らの部隊を最前線に置き去りにした挙句に彼一人を除いて全滅させたと言う不祥事。その事実が前線全体に波及して士気が低下してしまう事を懸念した軍上層部が画策した、隠蔽の為の口止め料だという事を。
 彼を逃がす為に盾となって斃れる友人の声と、弾薬が底を尽いて補給を求めながら手にする事無く無念の死を遂げていく倍する数の仲間の叫びを耳にしながら決死の覚悟で包囲網の只中へビームサーベル一本に望みを託して飛び出したラース1。彼の背後から届く『生きろ』と言う仲間の切なる願いは、そのまま彼の生き様に呪いとして刻み付けられた。

 自分達を見捨てた軍に対する怒りと、死んでいった仲間達の願いの板ばさみに合ったラース1は傷だらけになった機体を引き摺って戦域を離脱した瞬間に自らの感情を凍結した。
 唯一人生き残った事に対する賞賛も、事実がラース1の口から漏れる事を恐れる上官の危惧も彼の胸には届かない。外部からの干渉を一切拒絶した彼の理性は恐ろしく危うい足場の上に立ち、強靭な意志の力で支える事によってその均衡を保っていた。その足場から滑り落ちてしまえば自分の心中で渦巻く憤怒が彼の意志を残らず支配してしまうであろう事を知り、憤怒と言う名の激情に取り込まれた自分が復讐と言う二文字を携えてどの様な行為に及ぶかを理解した上で、敢えて彼は仲間の呪いに身を委ねる決断をした。
 自分の心を一生殺して生きる事、それこそが自分の足元に臥した仲間達の魂に報いる唯一の手段だと信じ、そして自分の一生を彼らの為に捧げる事を誓った。

 次の作戦の準備と予定通りのR&Rを消化する為に立ち寄ったヨーロッパ西岸に浮かぶ小さな島の川の辺《ほとり》に居を構える基地。『ベルファスト』と呼ばれる連邦軍基地に常駐していたモビルスーツ隊の女性隊員を所望したのは彼ではなく、年上で古参兵の彼の部下の一人だった。
 古参とした鳴らした彼がラース1に対して其の提案をしたのはほんの出来心に過ぎない。新しく参集した部下の為に一席を設ける訳でもなく、唯ひたすら無口に ―― ともすれば其の行いは全員の顰蹙を買った ―― ハンガーに座り込む上官を見兼ねた、彼なりの歪んだ気遣いの果ての提案だった。男であるならばその様な下種な提案には何らかの反応を示す筈だと信じ、彼は世捨て人の様に頑なに人の繋がりを拒もうとするラース1の感情を解き解す切っ掛けを作ろうと考えたのだ。
 だが、それはラース1にとっては別の感情を湧き上がらせる切っ掛けにしか過ぎなかった。小さく頷いて軍内部に於ける犯罪を許可するラース1を前にした其の古参兵は狼狽した。まさか新任の中隊長がいきなり自らの地位を汚泥に浸す様な行為に手を染めるとは予想していなかったのだ。
 慌てて自分の提案を取り下げようとする古参兵の瞳を強烈な殺意の篭った目で見上げるラース1。上官としての威厳を湛えた眼光は、古参兵の弱気を恐怖へと変貌させた。
 この目に逆らう事は死を意味する。彼は長い戦闘経験からその事を十分に理解していたのだ。

 ラース1は件の女性隊員を知っていた。一人でポツリと坐るハンガーの片隅に近寄って来てはラース1の過去をしきりに問い質そうとし続け、同僚の制止の声も振り切ってラース1が抱える心の闇の正体を解き明かそうと奮闘する彼女の姿は傍目には博愛精神に満ちた修道女にも似ているのだろう。事実彼女はベルファスト基地内のどの職員からも好かれる、非の打ち所の無い容姿と性格を有した女性である事は間違いなかった。
 許せなかった。

 古参兵の申し出をラース1が許可した理由は自分に好意の目を向け、過去を抉り出そうと試みる其の女性隊員の存在を否定する彼自身の願望による物だった。
 戦火の及ばぬ後方で何食わぬ顔をして平和を満喫する幸福に満ちた彼女の素顔。友が、仲間が不条理に撃ち斃される戦場を知る事も無く、彼女を取り巻く友や仲間の忠告にも耳を貸さずに無遠慮に彼の心に土足で浸入しようとする彼女の言葉。
 全てが自分を置き去りにした事実を覆い隠して仲間の死すらもプロパガンダに利用して正義を喧伝する偽善者然とした軍の上層部の姿に重ね合わせた彼の心は、その瞬間に揺れ動く足場の上から一気に奈落の底へと滑り落ちた。
 その女の全てを『穢したい』と思った。

 女の言葉や態度。全てが死者に対する冒涜だと思った。
 
 人気の無い、深夜のハンガーで上官の命令と言う大義名分と共に犯行に及んだ部下達がラース1の心中を図る事等出来はしない。死者との盟約を破ったラース1は、自分の罪に加担した外道と共に戦争犯罪人として極刑を受ける覚悟を固めた。ティターンズと言う組織を統制する為に策定された軍規は厳格を極めており、その中でも戦争犯罪 ―― 特に軍内部での ―― に関する刑罰は有無を言わさぬ重罪が設定されている。短い期間では有るが指揮官としての教練を受けた『ラース1』はその事を十分理解しているが故に、死者を裏切った自らの最期を同じ地平に立つ軍の手に委ねたのだ。自分の仲間に手を下した奴等の手で、仲間の住まう天上とは域を違える地獄に落ちようと。
 だが事態は『ラース1』の望んだ極刑とは全く正反対の方向へと流れ始める。
 それは加害者である自分達が『ティターンズ』であり、被害者の女が『連邦軍』であると言う立場の違い。軍内の一勢力でありながら未だ最前線にて実戦を続ける勢力と言う事実と其の実力は既に軍全体に影響を及ぼすほど強大な物となっていた。その事に不快感を覚える連邦軍とティターンズの将兵の間での小競り合いは各方面軍の到る所で勃発しており、喜ぶべき事に其の殆どが示談と言う形を借りてティターンズ側に勝利を齎していた。軍内だけではなく、連邦政府内でも強い影響力を行使し始めた主流派に抵抗出来るほど気骨のある勢力は、既にこの時存在していなかったのだ。そしてこの事実が連邦軍からティターンズへと転属を求める兵士の増加を誘引する理由にもなりつつあった。
 ネズミ講の様に兵力を増やしていくティターンズの興隆を指を咥えて眺めるだけの傍流に成り下がった連邦軍。弱者の立場にしがみ付いた一人の女性隊員に降り懸った傷害事件などティターンズに取っては犬に咬まれた程度の事で、取り立てて表沙汰になるほどの大げさな事ではない。成り行きで仕出かしたこの不祥事も良くて示談、最悪でも連隊長からの譴責処分で済む筈だ、とラース1の弁護に当たった弁護士は願望を反故にされた怒りで喚き散らす彼の前で驚嘆の表情で告げた。

 実際に事態は弁護士の予想通りの展開を見せた。MPによる身柄拘束も無く、これと言った事情聴取も行われないままお咎め無しと言う御白洲の裁きを手にした彼らがささやかな宴を催した基地内のプレイルーム。民間人ならば確実に懲役刑を下される犯罪ですらも隠蔽する、ティターンズの力と其の勢力に属する事の恩恵を噛み締めた外道の群れと、それを失意の目で眺めるラース1。
「こんな物なのか」と。
 死者に呪いを掛けられた自分には自由に死ぬ事すらも許されないのか。矜持を失い、他人を傷付け、死を覚悟しても生き続けなければならないのか。それも自分の仲間を見殺しにし、自分を此処まで追い込んだ『ティターンズ』に無様に助けられて。
 ラース1は生きる目的を自らの手で失った。自らの犯した罪さえ裁かれる事が無いというのなら、せめて次の戦闘には華々しく散ってやろうと決意を固めた。仲間の喧騒を尻目に絶望の境界と死と言う名の脱出路を思い浮かべたその時。

 その女はやって来た。栗色の長い髪と秀麗を覆い隠す般若の面を携えて。

                              *                                *                               *

「 …… やはり、お前か」
 アデリア・フォス。俺の歪んだ運命の鍵を握る者は。暴棄の嵐に吾が身を曝して地獄を求め続ける俺の道標。
 お前は俺の罪を裁いた。俺の罪を裁く事でお前は罪を得た。ならば。
 お前と俺は同じ世界の住人として等しく、互いに寄り添い縋って生きていかなくてはならない筈だ。
 全てを失った俺が未だに生き残ると言う定めは、全て神によってお前の元へと導く為に引かれた茨の畔。鋭い棘は俺の五体を切り刻み、流れる血は犯す罪と同量の苦悩を俺自身に思い知らせる。
 その道程の果てで俺の到着を待ち侘びるお前は、やはり俺と同様に自らの罪に塗れて汚れていなければならない。
 俺と同じく何も無い、空虚な魂を抱えて泣き叫んで居なければならない。
 もしお前がそうでないのなら俺がお前をそう変えてやる。罪に塗れたお前が抱えた未練をこの俺が断ち切って、お前が俺と同じ世界の住人である事を俺が教えてやる。
 だから、待っていろ。アデリア・フォス。
 俺達が同じ畔の袂に佇んで、抱えた罪に吾が身を苛む宿命を携えて生きる者同士だと神が決めたというのなら、俺達は必ずどこかで廻り合う。
 だから ――
「待っていろ。何時の日か、必ず ―― 」
 互いの罪を互いに裁いて、手を取り合って地獄へ堕ちる。それが俺の望み。
 手にした彼の刃がアデリアの喉を貫き、アデリアの断罪の剣が彼の心臓を刺し貫いて抱き合ったまま共に息絶える。斜陽煌く宿業の畔の上で、茨に塗れて斃れていく互いの光景を想像して、押し寄せる激痛も顧みず鬼面の哄笑を浮かべるラース1。

 それは彼自身にも気が付かない、奇怪に歪んだ愛情の現れであった。

 死の宴の痕跡は熾き火一つを闇に残して静寂の海に沈んだ。
 寂寥の風鳴りは意味も無く存在を奪われた大勢の子羊に送る母なる大地からの鎮魂歌レクイエム、『グレゴリオの無伴奏アカペラ』は『聖歌チャント』の意味を正しく捉えてハンブルグ郊外の森林を本来有るべき姿に戻そうと尚も其の息吹を上げる。
 気を利かせた傍観者ボロゴーブが壊れたチェンバロで伴奏をつけようと、夜空に不気味な音を漂わせてセッションに加わった。風の音に混じって闇に眠ろうとする森林を揺り覚ます轟音は、巨大な黒い影を引き摺って研究所の上空に差し掛かりつつある。

 のっぺりとした腹から零れ落ちる流体構造を持つ何かが夜空に巨大な花を咲かせる。落下速度を抑える為のパラシュートに繋がれたそれはゆらゆらと研究所の敷地目掛けて舞い降りた。
 ぶら下がった爆弾の先端が研究所のコンクリートに接地した瞬間に野菊の茎は最後の目的の為に炸裂し、暴虐とも言えるその威力を一気に開放した。研究所の敷地を埋め尽くす、それはまるで二つの太陽。
 大地を底辺として半球状に拡大した火玉は互いに手を取り破滅の力を増幅した。内部に吹き荒れる断罪の業火は善悪問わずに灰燼に帰す。形あるもの無きもの一切の区別無く、原初の塵へと還して彼ら其々が請い敬う神々の御許へと彼らの全てを薙ぎ払う。それが人の手によって創られた、人の罪を覆い隠す為の、人にしか出来ない外道の極み。
 一瞬にして周囲の酸素を奪い取る巨大な火玉が、促進される破壊力と言う進化の果てに訪れる自己崩壊の法則に従って突如消滅した。真空と化した無間の闇を取り繕う様に流れ込む空気の塊が、被災を免れた周囲の木々を引き倒して何も無くなった広大な原野に殺到した。そこに存在した筈のMIPドイツ・総合技術研究所と言う痕跡を多い尽くさんばかりの勢いで。

 そして巨大なキノコ雲と言う狼煙を残して、彼らの宴は終了した。
 立ち去る者には次なる修羅を、留まる者には無念の死と言う結果だけを残して。

「『我は死なり、世界の破壊者なり』か」
 ポツリと呟いたダンプティの言葉を聞き留めたトーヴ1が通信回線を通じて尋ねて来た。
「 ” 何です? その台詞 ” 」
「ヒンズー教の経典に書かれてある一節だ。人類が初めて核爆発実験を行った時に立ち会った研究者の一人が呟いた言葉だそうだ。 …… この光景は正にその言葉に相応しいとは思わないか? 」
「 ” まあ、核の使用を南極条約で禁じられている以上、現時点で最大の破壊力を持つ爆弾ですからね。 …… なるほど、うまい事を言う ” 」
「どちらが、だ? トーヴ1」
 言葉の隅に揶揄の含みを忍ばせて尋ねるダンプティの感傷的な言葉は、トーヴ1の返答を躊躇わせるには十分過ぎる力があった。束の間の逡巡の後にトーヴ1はこの場に相応しい回答を口にした。
「 ” どちらも、ですよ中佐 ” 」
 ト―ヴ1の回答に自虐の笑み ―― しかしそれはほんの微かに口角が攣り上がる程度 ―― を浮かべたダンプティが無線機のボタンに手を伸ばす、連邦軍すら使用不可能な暗号回線の周波数に合わせたダンプティが撤収の為の第一声を放った。
「こちら『W.W.W』、『M.G.B』HQマザーグース・ヘッドクォーター応答せよ」
 無線封鎖開けの余りにも早いタイミングでの通信に、面食らって慌てる女性の驚いた声が『ダンプティ』のコクピットに流れた。
「 ” ―― こっ、こちらM.G.B・H.Q。『W.W.W』どうぞ。」
作戦終了ミッションコンプリート。これより『対象Bパッケージブラボー』を連れて原隊に帰投する、以上」
「 ” ―― 了解しました。予定回収時刻はGMTグリニッジ標準時0400マルヨンマルマル、誤差プラスマイナス05でお願いします ” 」
「了解した。交信終了オーヴァー
 一切の無駄口の無い会話を成立させたダンプティが交信を閉じて周波数を弄る、通常回線に復帰した通信機のスピーカーからトーヴ1の口から漏れる安堵の溜息が流れた。
「安心したか、ケルシャー」
 作戦中に呼ぶ事の無かったトーヴ1の名前を口にしたダンプティが、他の誰にも会話の内容を聞かれない様に相手のクゥエルに手を掛けて接触回線で通話を始めた。語り掛けるその声に残忍な集団を束ねる冷酷な指揮官としての面影は無い。
「 …… こういう非道な作戦はジオンでは考えられない物だからな。やはり連邦、特に『ティターンズ』と言う連中は頂けない連中だ、反吐が出る」
 秘匿された会話にも拘らず息を潜めたケルシャーが無言で相槌を打つのがダンプティには分かる、不意に同意の沈黙を破ったケルシャーが『ダンプティ』に向かって尋ねた。
「 ” こんな事を何時まで続けるつもりなんですかね、ティターンズは。いろんな所から科学者を掻き集めて、今回に到ってはよりにもよって皆殺しとは。彼らの目的が最終的に『アレ』を創り出す為の物だとしてもこのやり方は酷すぎる ” 」
「だが我々には此処に『留まる』しか選択肢がない、少なくともこの部隊の背後に見え隠れする『アスラ』の手掛かりを掴むまではな」
 その言葉を口にしたダンプティの表情が失望に曇る。『アスラ』と言う謎の集団の手掛かりを掴む為に傭兵の集まりであるこの部隊に身を投じた自分達だが幾度の凄惨な作戦を完璧に達成しても得られる成果は規定された報酬と束の間の休暇期間のみ、それが終われば再び言われるがままの非道を繰り返す日々を送らざるを得ないのだ。ジオンの将兵であったという誇りを血泥の中に叩き込んでまで。
「だがケルシャー、既に反ティターンズ勢力は到る所で動き始めている、我々の身辺が忙しくなっているのがその証拠だ。『敵』が多くなれば奴等は必ずそれに応じなくてはならない、自分達の利益を拡大する為に、あざとく、姑息に」
「 ” そうでしょうか? ” 」
 疑問符をあからさまに乗せるケルヒャーに向ってダンプティは、恐らく目と鼻の先にまで近付きつつあるであろうチャンスを切望し、そしてその予感が的中しているであろう事を心の底から期待して言った。
「お前は知らないのか? 闇はな ―― 」

 ダンプティの視線が夜の闇に沈んだ研究所の跡地を睨み付けた。
「 ―― 夜明け前が一番暝いんだよ」


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