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No.32711の一覧
[0] 機動戦士ガンダム0086 StarDust Cradle ‐ Ver.arcadia ‐ 連載終了[廣瀬 雀吉](2023/07/03 19:06)
[1] Prologue[廣瀬 雀吉](2012/04/19 18:00)
[2] Brocade[廣瀬 雀吉](2012/04/19 18:01)
[3] Ephemera[廣瀬 雀吉](2012/05/06 06:23)
[4] Truth[廣瀬 雀吉](2012/05/09 14:24)
[5] Oakly[廣瀬 雀吉](2012/05/12 02:50)
[6] The Magnificent Seven[廣瀬 雀吉](2012/05/26 18:02)
[7] Unless a kernel of wheat is planted in the soil [廣瀬 雀吉](2012/06/09 07:02)
[8] Artificial or not[廣瀬 雀吉](2012/06/20 19:13)
[9] Astarte & Warlock[廣瀬 雀吉](2012/08/02 20:47)
[10] Reflection[廣瀬 雀吉](2012/08/04 16:39)
[11] Mother Goose[廣瀬 雀吉](2012/09/07 22:53)
[12] Torukia[廣瀬 雀吉](2012/10/06 21:31)
[13] Disk[廣瀬 雀吉](2012/11/15 19:30)
[14] Scars[廣瀬 雀吉](2012/11/15 19:32)
[15] Disclosure[廣瀬 雀吉](2012/11/24 23:08)
[16] Missing[廣瀬 雀吉](2013/01/27 11:57)
[17] Missing - linkⅠ[廣瀬 雀吉](2013/01/28 18:05)
[18] Missing - linkⅡ[廣瀬 雀吉](2013/02/20 23:50)
[19] Missing - linkⅢ[廣瀬 雀吉](2013/03/21 22:43)
[20] Realize[廣瀬 雀吉](2013/04/18 23:38)
[21] Missing you[廣瀬 雀吉](2013/05/03 00:34)
[22] The Stranger[廣瀬 雀吉](2013/05/18 18:21)
[23] Salinas[廣瀬 雀吉](2013/06/05 20:31)
[24] Nemesis[廣瀬 雀吉](2013/06/22 23:34)
[25] Expose[廣瀬 雀吉](2013/08/05 13:34)
[26] No way[廣瀬 雀吉](2013/08/25 23:16)
[27] Prodrome[廣瀬 雀吉](2013/10/24 22:37)
[28] friends[廣瀬 雀吉](2014/03/10 20:57)
[29] Versus[廣瀬 雀吉](2014/11/13 19:01)
[30] keep on, keepin' on[廣瀬 雀吉](2015/02/05 01:50)
[31] PAN PAN PAN[廣瀬 雀吉](2015/02/05 01:25)
[32] On your mark[廣瀬 雀吉](2015/08/11 22:03)
[33] Laplace's demon[廣瀬 雀吉](2016/01/25 05:38)
[34] Welcome[廣瀬 雀吉](2020/08/31 05:56)
[35] To the nightmare[廣瀬 雀吉](2020/09/15 20:32)
[36] Vigilante[廣瀬 雀吉](2020/09/27 20:09)
[37] Breakthrough[廣瀬 雀吉](2020/10/04 19:20)
[38] yes[廣瀬 雀吉](2020/10/17 22:19)
[39] Strength[廣瀬 雀吉](2020/10/22 19:16)
[40] Awakening[廣瀬 雀吉](2020/11/04 19:29)
[41] Encounter[廣瀬 雀吉](2020/11/28 19:43)
[42] Period[廣瀬 雀吉](2020/12/23 06:01)
[43] Clue[廣瀬 雀吉](2021/01/07 21:17)
[44] Boy meets Girl[廣瀬 雀吉](2021/02/01 16:24)
[45] get the regret over[廣瀬 雀吉](2021/02/22 22:58)
[46] Distance[廣瀬 雀吉](2021/03/01 21:24)
[47] ZERO GRAVITY[廣瀬 雀吉](2021/04/17 18:03)
[48] Lynx[廣瀬 雀吉](2021/05/04 20:07)
[49] Determination[廣瀬 雀吉](2021/06/16 05:54)
[50] Answer[廣瀬 雀吉](2021/06/30 21:35)
[51] Assemble[廣瀬 雀吉](2021/07/23 10:48)
[52] Nightglow[廣瀬 雀吉](2021/09/14 07:04)
[53] Moon Halo[廣瀬 雀吉](2021/10/08 21:52)
[54] Dance little Baby[廣瀬 雀吉](2022/02/15 17:07)
[55] Godspeed[廣瀬 雀吉](2022/04/16 21:09)
[56] Game Changers[廣瀬 雀吉](2022/06/19 23:44)
[57] Pay back[廣瀬 雀吉](2022/08/25 20:06)
[58] Trigger[廣瀬 雀吉](2022/10/07 00:09)
[59] fallin' down[廣瀬 雀吉](2022/10/25 23:39)
[60] last resort[廣瀬 雀吉](2022/11/11 00:02)
[61] a minute[廣瀬 雀吉](2023/01/16 00:00)
[62] one shot one kill[廣瀬 雀吉](2023/01/22 00:44)
[63] Reviver[廣瀬 雀吉](2023/02/18 12:57)
[64] Crushers[廣瀬 雀吉](2023/03/31 22:11)
[65] This is what I can do[廣瀬 雀吉](2023/05/01 16:09)
[66] Ark Song[廣瀬 雀吉](2023/05/14 21:53)
[67] Men of Destiny[廣瀬 雀吉](2023/06/11 01:10)
[68] Calling to the night[廣瀬 雀吉](2023/06/18 01:03)
[69] Broken Night[廣瀬 雀吉](2023/06/30 01:40)
[70] intermission[廣瀬 雀吉](2023/07/03 19:04)
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[32711] Reflection
Name: 廣瀬 雀吉◆b894648c ID:931e8e0e 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/08/04 16:39
 他人事のように語る男の声を耳にしても、もうバスクには相手を誅しようと言う気力が無かった。男が自分へと突き付けた『実力行使』と言う言葉の中には勿論自分自身の事も含まれての事だろう、バスクがもしここで私的な義憤に駆られてこの男を殺せば、それは男にGPシリーズ関連の記録を手渡したアナハイムを敵に回す事と同義だ。彼らからのメッセージは決して脅しなどでは無く、決意であると言う事は捨て身で保身を試みているその姿勢からも窺える。
 込み上げて来る怒りを吐き出す事も出来ず射殺す様な眼で目の前の男を睨みつけるバスクの心境を余所に、男は手にしたニナに関する報告書を抜粋して読み上げた。
「 …… アナハイム・エレクトロニクス、フォン・ブラウン支社勤務。モビルスーツのシステムを研究開発するワーキンググループ『クラブ・ワークス』に籍を置き、彼女はそこでの仕事を認められて次期主力機種開発計画の主任開発責任者に抜擢され、あの四機を創り上げた。各機種のコンセプトや運用理論、OSプログラムは彼女一人の発想とプログラミングによってほぼ完全な状態でリバモア工区へと譲渡。 ―― 正に奇跡だ」
「何が奇跡だ、それ位の事は我が軍の研究開発部門でも普通に行われている事だ。軍の兵器 ―― とりわけガンダムを手掛けようとする者ならばそれ位の事は造作も無い」
 フンと小さく鼻を鳴らして抗弁するバスクだが、その口調にさっきまでの勢いはない。怒りの発露を失った事で逆に冷静さを取り戻した彼の顔を、男は普段通りの笑い顔で見上げた。
「確かに。しかし一度に四機の、しかしコンセプトの全く違う機体をたった一人で創り上げるとなると話は異なります。GPシリーズを軍がアナハイムへと開発依頼した時の条件は、その機体が戦術では無く戦略に対して多大な影響を与え得る能力を有した物であると言う、曖昧な物でした。恐らく責任者であったコーウェン将軍にしてもまさかここまでバラエティに富んだ物が出来上がるとは思ってもいなかったでしょうね」
 バスクの頬がピクリと動いた。ほんの少し前ならば今の男の言葉にも激昂を覚える所だが、GPシリーズの内容をアナハイムから聞き及んでいると分かった今では違う。しかし男の言に耳を傾けながら、こ奴がどこまで情報を集めているのかと言う事は実に興味深い。
「彼女はその曖昧な所から出発してあっという間にその四機の基礎理論を考え、それに必要なOSを組み上げた。言ってみれば彼女はGPシリーズの魂を作った『神』だと言ってもいい」
「『神』か。畏怖を覚え頭を垂れるべきその言葉も、この女と貴様からでは胡散臭さしか感じんわ。それともこれが、貴様がこの女を『ニュータイプ』と断定する根拠だとでも言うのか? 」
「少なくとも私の経験に照らし合わせればそう断じる他に彼女の才能を評する言葉が見つからない。まるで『カンブリア爆発』時に生まれたミロクンミンギア(最古の脊索動物と言われている。澄江動物群に分類)の様に突如現れた変異体を生みだした彼女の事を、他にどう言い表わせと? 」
 むう、とバスクは小さく唸ったまま押し黙った。確かにあの四機はそれまで連邦で密かに進められていた開発計画の悉くを凌駕していた。当初に行われたコンペティションにはバスクも同席していたが、まるで連邦軍の指針に挑戦状を叩き付けるかのような概要説明に度肝を抜かれた事を憶えている。核装備の二号機や拠点防衛用の三号機はまだしも、OSの乗せ換えとコアファイターの換装によって空間機動性を格段に跳ね上げる一号機や、不必要だと思われていた空間内白兵の精度をより突き詰めた四号機等は今すぐにでも正式採用して、ジオンの残党狩りに疲弊する最前線へと送り込みたいくらいだった。
「ですが、私が彼女を欲しがる理由は他にもあります」
 指で顎を摘まんで俯きがちに考え込むバスクの顔は、その男の声音に秘められた怜悧な嘲気によって持ち上げられる。
 男はまるで小雪の面の様に不気味な笑みを湛えていた。

「彼女は私の『同類』なのですよ」

                              *                                *                                *

 ニナの足は動こうとはしなかった。オークリーの大地を干上がらせる太陽の熱は基地のコンクリートを鉄板の様に焼いて、コウの姿までも揺らめかせる。蜃気楼の様にしか見えない彼の姿を目にしっかりと焼きつけたニナは、それが幻ではない事をただひたすら祈りながら両足へと尚も力を込めた。
 だがその足は厚さ1メートルを超えるコンクリートを貫通する根を張りだした様に動かない。湧きだす焦りと思う様に動けないもどかしさはニナの形のいい唇を歪ませて声を、言葉を迸らせそうだ。
 しかしニナはその瞬間に息を止めてその全てを胸の奥へとしまい込んだ。激発する感情が全身を駆け巡って末節に至るまで痛みを送る、その全てを固く閉じた瞼の力とそれを命じた強い意志によって堪えたニナは、もう一度陽炎の向こうに立つコウを見つめた。
 キースの背中が見える、そしてその後を追う様にモウラが。
 躊躇う心とは裏腹に心の奥底で産声を上げる小さな叫びがニナの祈りとなって全身を駆け巡る。
 二度と後悔はしたくない。
 ―― 動いて、お願い。

 エンジンを冷却するラジエタ―の金属が収縮してコウの足元で鳴る、それが切っ掛けであったかのようにコウはバイクの側へと降り立った。嬉しさを押し隠し苦しさを堪えると人は無表情になる、自分と同じ表情を湛えたままでゆっくりと近づいてくる親友の顔を見つめて、それがやっと声の届く距離まで近づいた時にコウは口を開いた。
「やあキース …… 久しぶり」
 やっとの思いで吐き出したコウの声には目もくれずに無言で迫る。頭に揺れる豊かな金髪の一本一本が見分けられるほどの距離でキースはシューティンググラスを外して肩越しに投げ捨てた。モウラの手がそれをキャッチした事も全く意に介せず、キースは眉を吊り上げた。
「 ―― 久しぶり、だと? 」
 コウの目の前でキースのどす黒い声が零れ出す。
「全部を俺に押し付けて雲隠れした友達の挨拶にしちゃあ ―― 」
 噛み締めた奥歯が大きな音を立てて鳴る、間髪いれずに繰り出されたキースのリバーブローは閃光の如くコウの腹へと突き刺さった。
「随分と間が抜けてンじゃねえか、この野郎っ! 」
 分厚い革の太鼓を思いっきり叩いた様な鈍い音はモウラの元にまで届いた。二人の間で何が起こったかを知り、事態の深刻さを知ったモウラが血相を変えて二人の元へと駆け寄る。
「ばか、キースっ! あんたなんて事を ―― 」
「 ―― 大丈夫だ、モウラ」
 そう言ったのは殴られた側のコウだ。息も詰まらせずに穏やかに告げるコウはさっきから少しも動いていない、寧ろ変化したのはコウの腹に渾身の一撃を叩きこんだキースの方だった。押し付けられたままのキースの拳の前に立ち塞がる、今までモウラが見た事も無いほど太い筋肉の束が白いTシャツの上にくっきりと浮かび上がっている。拳をゆっくりと離したキースは痛みを振り払う様に手を振ると顔を顰めた。
「 …… 一体どこでどう鍛えりゃこんな体になるってンだ? これでも結構 ―― 」
 キースがにやりと笑ってコウを見た。
「 ―― 目一杯なんだぜ、コウ」

「大丈夫か、キース? 」
 キースの言葉に小さく笑ったコウが差し出された手を握る。顔を顰めたままだがコウとは対照的に大きな笑顔を浮かべて笑うキース、そしてそのキースの笑顔を複雑な表情で見つめるモウラ。
「お前がいないからすっかり退屈してるよコウ。お前の身体ほどじゃないけど、今ンところは元気にやってる」
「そうか、良かった。 …… モウラも」
 キースの手を離したコウがその手をモウラへと差し出す、心の底に生まれたコウへの嫉妬を小さな溜息で押し隠して作り笑いを浮かべたモウラはその手を握り締めて息を飲んだ。
 固くなった掌の皮とごつごつとしたマメの感触は開拓農夫として一代を築いた祖父と同じ手。労苦の果てに刻み込まれる代償の大きさを知ったモウラは心の片隅に残る彼の死に様をコウへと重ねた。
「久し振りだね、コウ。近況の分からないあんた以外は皆元気さ。 …… あんたも、元気そうで何よりだ」
 地と共に生き、営みの中へとその命の灯を閉じた祖父の死に顔はとても安らかだった。家族に囲まれて、自らが最後に望んだ粗末なベッドの上に横たわったまま息を引き取る祖父の顔をモウラははっきりと覚えている。天命を全うし、全てを捧げつくした人だけに与えられる充足は魂の消滅と言う不幸を凌駕してなお彼女の心に生き続ける。そうありたいとモウラは願うしそうでなければならないと強く思う。
 透かし絵の様に朧な輪郭を携えて目の前に立つコウの面影が自分の記憶の祖父の顔形と重なって、しかしそれは次の瞬間に砕け散った。
 違うのだ、彼とは。
 コウ、あんたが歩むべき道はそれじゃない。
 
 作り笑いが引き潮の様に消えて険しい顔が浮かび上がる。曝露していく本心を掌へと伝えたモウラは同じ様に笑顔を収めたコウを睨みつけた。
「 …… もう、あんたはパイロットじゃ、ない」
 
 震える声がモウラの口から零れ出してコウの表情を濁らせる、自分の犯した罪から目を逸らす様に僅かに俯いたコウは握った手の力を緩めた。
「そうだ、モウラ。俺はもうパイロットじゃない。君の知るコウ・ウラキと言う男は二年前のあの日に消えたんだ」
「消えた? 」
 怒りに塗れたモウラの手がコウの手を振りほどいて胸倉へと伸びる。毟り取る様に白い生地を掴んで捩じり上げ、引き千切らんばかりに力を込めた。
「じゃあ今あたしの目の前にいるあんたは何なんだっ!? 愚連隊の溜まり場みたいなここにやって来たあんたが自分の地位と引き換えに取り戻した秩序と生きがいすらも幻だったって言うのかいっ!? 」
 コウの持つ尉官と言う階級はモウラやキースを守る為の戦いに全て費やした。オークリーに新たに配備されるモビルスーツ隊と言うだけで陸軍のごろつき連中に言われの無い迫害を受け続けていた彼らの楯となったのは、赴任したばかりのコウだった。安値で因縁を売りつける連中の喧嘩を更なる安値で買って出て片っ端から粉砕する、度重なる不祥事は例えコウの側に落ち度が無くても軍法によって裁かれ、コウは何度も敷地の奥にある営倉へと送られる事になる。
 釈放の度に降格処分の通知とニナの迎えを受けながら。

「そんな事をあんたには言わせない、あんたがあんたの過去を否定しちまったらあんたのお陰でここにいる意味を見つけた基地の連中の立場はどうなるんだっ!? そんな無責任な事が言えるのなら今からでもここから大きな声でみんなに言ってみろ、あれはほんの冗談でしたって! 」
 荒げた叫びが影の無い地面に木霊して白い景色を焼き尽くす。残響と言う名の棘が三人の胸へと突き刺さって見えない血を垂れ流す、分厚いかさぶたを無理やり剥がす痛みに耐えてモウラはコウを睨みつけた。
「あんたが創った部隊章、あんたが創ったコードネーム。あんたは何の為にそれを創った、みんなは何でそれを受け入れた? 白鷺シャーリーと言う鳥が気にいったからでもなけりゃあんたの事が怖かったからでもない、みんながあんたの事を信じてオークリーで過ごす明日に希望を持ったからじゃないか! それともあれは口から出まかせだったとでも言うつもりかい!? 」
 罪悪と言う茨が齎す痛みに耐えかねたコウの顔が大きく歪む。口を真一文字に食いしばって何かを執拗に耐えるコウに向かってモウラは必死で訴えた。
「訳を話せないンならそれでもいい、これであんたと二度と会えなくなったって構わないっ、でもせめて ―― 」
 悔し涙がモウラの目尻から零れ出す、それ以上情けない物が流れ出さない様にモウラは固く眼を閉じて全ての力をコウの胸倉を掴む手に籠めてその言葉を叫んだ。
「ニナにだけは全て打ち明けなよっ、コウっ! 」

 拳の震えが胸を伝わって心にまで届く。自分の為の怒りではなく、他人の為の怒りで流す涙がコウの胸へと強くせまる。
 来るべきでは無かったと後悔する心と全てを打ち明けようとする想いがコウの心で入り混じって複雑なモザイクを描く、ドロドロとしたその二つが渦を巻いて境界を滲ませながら奥深き場所に封印した決意へと雪崩れ込む。大きく息を吸い込み、心の内にある封緘へと手を伸ばそうとしたコウはその手を紙に掛けた瞬間に、止まった。
「 ―― やめて」

 悪夢の最後を締めくくるのはいつもその声だ。現実が色と熱を無くしてコウの世界をモノクロへと変えていく。
 だが今度はそれこそが虚偽の世界だ、時を刻む現実のリアルは確かな形と声と心を携えてモウラの背後に佇んでいた。
「お願いモウラ、もう ―― やめて」
 それが懇願だとはモウラには思えなかった、しかし制止と呼ぶにはあまりにも声が冷たすぎる。ニナの呼びかけはキースの背後、三身長もある距離から放たれたとは思えないほどはっきりした声で背を向けたままの二人の動きを止めた。モウラとキースが驚いて振り返った先には夢の中で出会う度に裏切った彼女がいる、コウの目が出会う事を恐れる余りに焦点を失った。

「ニナ、 ―― だってあんたっ! このまンまでいいのっ!? 」
 思いの丈を振り絞るモウラの叫びが背後のニナへと叩きつけられて、半身になった体が閉ざしていた扉を開く。モウラの背中越しに覗くコウはあの頃よりも逞しくなった体と少し伸びた髪を携えて、でも間違いなく、彼。
 忘れようにも、忘れられない。
 でも ―― 。

 瞳の前に置かれた濃い緑のガラスが創る単色の世界はニナを現実から遠ざける、セピアを隠すビリジアンが彼女を夢現へと導いて、揺れる心諸共に惑わせる。放つ言葉すら探せずに逃げ惑う切ない感情を追い掛けて、ニナは葛藤と言う名の罪を捻じ伏せる勇気を探している。
 痛いと呟く心の疵が。
 辛いと嘆く過去の記憶が。
 ニナの目からコウ以外の全ての輪郭を消していく、たった二人で残った閉ざされた世界から彼の名前を呼ぼうと彼女の勇気が、怯えたその背中を押そうとした瞬間。

「 ―― お久しぶりです、パープルトンさん」

 ギヤマン越しに見る歪んだ景色に無数の皹が入って一瞬のうちに砕け散る、届けられた声に籠められた拒絶と言う名の槌。
 舞い散る切っ先がズタズタに切り裂く世界の先に点る絶望の瞳をニナは見た。
 生じた迷いによってそう言う声でしか放てなかった言葉の矢がコウに与えた疵跡、跳ね返って来た虚ろな目がニナの心を貫いて全ての力を奪い去った。

                              *                                *                               *

「司令、組合長の奥様が到着されました」
 ドア越しに掛けられた守衛の声で一斉に声を潜める三人の男は互いに顔を見合わせて小さな溜息を吐いた。堂々巡りの迷路へと迷い込んだコウの勧誘についての論議は白熱を通り越して沈静を迎えつつあった。断固として反対し続けるモラレスに対抗するのはこの中で最も上位に立場を置くヘンケン、慎重派のウェブナーは戦略的な観点からドクの陣営に意見を寄せている。異を唱えるヘンケンにしても立場上そう言うスタンスをとっているだけであり、どちらかと言うと内心はウェブナーの意見に近い。人の命が蜉蝣の様に散って行った一年戦争を潜り抜けたヘンケンにとって、命を賭けてまで何かを得ようとする行為は自分の主義の最も対極にある物であり、絶対に認める訳にはいかない。ましてや二年と言う月日を共に過ごした仲間の身に潜む不治の病を聞いてしまった以上、彼に出来る事はコウを諦めると言う選択肢しか残されてはいなかった。
「入りたまえ」
 不必要に強い口調でドア越しに立つ守衛へと命じるウェブナー、少しの間を置いて開いた扉の影から覗くセシルの美貌は少しも衰えてはいない、いや寧ろ昔よりも華やかになった様にウェブナーには思える。ドアの向こうに控える守衛に笑顔で会釈して悩殺した後に、しなやかな身のこなしでするりと部屋の中へと足を踏み入れたセシルは後ろ手にドアを静かに閉めて軽く頭を下げた。
「遅くなりました」
「意外に早かったな、もう少し時間が掛かると思っていたが。 …… 首尾よくウラキ君をここまで連れて来られたのか? 」
 ヘンケンの問い掛けにセシルは無言で頷き、ウェブナーは微かに顔を曇らせた。ヘンケンから予め言い含められていたとは言え、契約違反を黙認すると言う行為は軍人には厳しい。セシルはすっとヘンケンの隣へと腰掛けると軽く目配せをして答えた。
「かなり葛藤がある様子でしたが、私が無茶な提案をするとすぐに」
「 …… やはり、ここには未練があると言う事か。それが分かってしまうだけに、なんとも」
 やり切れん、と言う言葉を隠してヘンケンは手元に置いた煙草へと手を伸ばす、箱を手にしたと思った瞬間に飛んで来たセシルの手がヘンケンの手の甲をぴしゃりと叩いてそこから先の動作を禁じた。「イテっ」と小さく呟いてやぶ睨んだ視線の先で小さく笑いながら咎める。
「中佐、ここは禁煙です」
「 ―― やはり中佐のお守を副長にお願いしたのは正解だったようですね、他の誰でもこうは上手くいかない」
「どうかの。どうせこのろくでなしの事じゃ、面倒な事は全てセシルに押し付けてのほほんと平和を満喫しておるんじゃろうて。全くお前さんの苦労が今ので偲ばれると言うモンじゃ」
 モラレスとウェブナーから賛辞を贈られるセシルの笑顔に割を食うのはヘンケンだ。部下から悪ガキ扱いされる指揮官は顔をあらぬ方向へと逸らして口の中で一しきり不満を呟いた。
「ところでお話の方はどこまで? 我々の追加戦力にコウ・ウラキ伍長を加えると言う事でしたが」
 微かに洩れ届くヘンケンの愚痴を聞き流したセシルがウェブナーに尋ねた。いきなり核心へと切り込むそのスタンスは彼女の笑顔の裏に隠されたままの真の顔、セシル・クロトワ少佐の物に間違いない。見た目と乖離する裏の顔を覗かせたセシルにウェブナーは緊張を走らせ、ヘンケンは愚痴を止める。モラレスだけがただ一人でセシルの要求へと対峙する事になった。
「その件じゃが …… 大変残念ではあるが断念する事にした。悪く思わんでくれ」

 モラレスの発言に何も言わずに小首を傾げるセシルの笑顔はとても愛らしいのだが、目が笑っていない。真意を問い質そうとする時の彼女の無言の圧力をひしひしと感じたモラレスは静かに言葉を続けた。
「理由はこの二人には話したが、あくまで儂個人の推論に基づく医学的見地からの判断じゃ。詳しくはその机の上のファイルに記載してある、読んでみてくれ」
 別に圧力に屈したからではない、そうした方が早いと思ったからだ。モラレスに促されたセシルは机の上に置きっぱなしになったヘンケンのファイルを手に取ると扉を開いた。一ページ、二ページと捲っていくスピードはウェブナーやヘンケンよりもはるかに速い、細い顎を指で摘まんだまま、足を組んでリラックスした状態で瞳だけが目まぐるしく紙面を駆け巡る。嘗て『スルガ』のCDC(Combat Direction Center:戦闘統括所)の主として君臨したヘンケン・ベッケナーの懐刀は瞬く間に膨大な資料を読み込むと、遣り切れない表情を浮かべながらぽつりと言った。
「なんて酷い事を …… ウラキ伍長はこの事を? 」
 聡明なセシルならば自分の説明が無くても早晩同じ結論へと辿り着くだろうと考えたモラレスの予想は当たっていた。『自殺願望』の事は話してはいないが、それでも彼がモビルスーツを扱えない体になっていると言う事は分かるだろう。膝の上に開いたままのファイルを静かに閉じたセシルは、それをそっと机の上に戻してモラレスに尋ねた。
「言ってはおらん、だが本人も自分の体が前とは違っていると言う事を薄々は感じておるじゃろう。乱闘の度に自分が叩きのめした相手をわざわざ見舞う様な優しい男じゃ、戦闘中に殺人衝動に駆られる自分の心境の変化には耐えられまい。故に知らず知らずの内に自らを追い込む羽目になっているという訳なんじゃが ……  今のままでモビルスーツに乗せる事は自殺幇助みたいなモンじゃ、そんな事を医者である儂が許可出来る筈がなかろう? 」
「では、対処療法はどうです? 生成されているのが麻薬物質だとしたらその症状を緩和させる薬品を投与すれば ―― 」
 一縷の希望を湛えたウェブナーの目がセシルを見つめる、彼とて自分の基地の戦力に関わる話をこのまま手を拱いて諦める訳にはいかなかった。有事の際に必要な戦力は多いに越した事は無い、例えそれが最前線から最も離れたここであろうとも、相手が常勤では無い予備役と言う立場であろうとも、だ。そしてモラレスもそのウェブナーの期待の大きさが分かっている。
「スタンド・アローンで自前のパソコンを起動して、粗雑ではあるが昔儂が使っておった創薬ソフトで検証してはみた。 …… 答えはNOじゃ。人工的に作られた覚せい剤ならば阻害効果のある物質 ―― ハロぺリドールが有効じゃろうと思って試してはみたんじゃがシミュレーションの結果は芳しくない、これ以上詳しい事を調べるンなら彼の血を採って外部の臨床検査施設にお願いするしかないンじゃが ―― 」
 ふっと小さく溜息を吐いて言葉を躊躇うモラレスの態度にセシルはその後の言葉を察した。もしこの物質が軍によって生み出された物ならばそれを外部に持ち出した時点で『機密漏えい』となる、知らなかったでは済まないほど重い罪がモラレスには課されるであろう。今の自分達の状況でティターンズに目をつけられる行動だけは避けなければならない。
「それでも阻害薬ハロペリドールを使えば一時的にその症状を緩和させる為には効力を発揮する事は出来ると思う、しかし人の感情を根本から塗り替えるほど強烈な合成麻薬様物質に何時まで対抗できると思う? 量が増えれば副作用も発生するじゃろう 、吐き気・痙攣、最悪の場合は心房細動を起こして死に至る。 ―― 行き着く所は同じじゃよ、やはり彼はモビルスーツに乗ったまま死を迎える事になる」
「要するに、打つ手無し、か」
 セシルの目を盗んで火を点けた煙草がいつの間にかヘンケンの指の間に挟まっている。ヘンケンは吸い込んだ煙を鼻から一息に吐き出すと、その煙の行方を目で追った。

「セシル、どう思う? 」
 宙を睨んだままのヘンケンが隣に座るセシルに尋ねた。神妙な面持ちで黙って視線を向けたセシルの目に映るヘンケンの横顔にはどこか諦めた様な、しかし安心した様な気配が見え隠れする。
「彼の経歴・係累について調べて出て来る物は眉唾ばかり、そして彼の身体の中にあって今だに彼の身体を蝕み続ける未知の薬品 …… これだけを見ても彼は過去にそれだけの物を引き換えにしなければ戦えなかった過酷な戦場を駆け抜け、そして生き残る事の出来た運のいい兵士なんだろうと俺は思う。こんな事を言っちまえば指揮官失格かも知れんが、俺は彼の採用を諦めるべきなんじゃないかと、思う」
 文節ごとに区切るヘンケンの言葉に隠された揺れる心は耳を傾ける三人にもよく分かる。そしてセシルはヘンケンの中で尚も続いているであろう良心の呵責が手に取る様に分かっていた。
 自分の身分を隠したまま彼に近づいてその人と形を観察し続けたヘンケンとセシルは、コウの持つ撃墜王らしからぬ優しい人柄に驚き、疑い、遂には心惹かれた。人との繋がりを拒絶しようとしながらも困った人を見かけたら手を差し伸べずには居られないと言う矛盾を抱えた彼を、ヘンケンは友人として認めている。
 そう言う人間を部下として扱えるほど彼は完璧な軍人では無い、そしてセシルと彼の部下はそんなヘンケンをこよなく慕っている。
「私も中佐の意見を支持します」
 そう言ったのはセシルの向かい側に座っていたウェブナーだった。歳の割には多いロマンスグレー ―― 彼には昔からいろいろ苦労をかけているからかも知れない ―― をきちんと整えた彼は、両手を膝の前に組んで前のめりになったまま、残念そうな表情を浮かべた。
「確かに伍長の才能をみすみす逃すのは惜しいとは思います、しかしだからこそ彼が不慮の事故で戦線を離脱した時の事を考えるとやはり採用すべきではない。戦局を単機で動かせるだけの特異点が消失した際に訪れる混乱と劣勢は二度とそれを覆す事の出来ない位大きなダメージを味方に齎します、ここはこのまま軍の監視下に置いて彼が二度と戦場へと出られない様に拘束しておく事が最も最良の策ではないかと思うのですが」
 人の理を解くヘンケンと戦略上のリスクを回避する為に慎重論を口にするウェブナー、モラレスはそんな二人の言葉に何度も相槌を打って肯定の意思を示している。民主主義を尊重するなら多数決によって三対一、当然セシルの負けと言う事になる。
 そう、セシルだけがその表情を崩す事無くじっと机の上へと視線を落として何かを考え込んでいた。彼女の目の前に供出される全ての資料がコウの採用に対して否定的な結論を裏付けている、反論できる隙も不備も見当たらないこの状況でその決定にどんな異論を挟もうと言うのか。
 しかしセシルにはどうしてもその決定に素直には従えなかった。勿論彼女の手の中にはそれを覆すだけの根拠となる物は何もない、あるのはただ、コウが自らの手だけで成し遂げた金色の麦畑の映像がただ一つ。そしてその真ん中にポツンと佇んで風に吹かれる彼の姿。
 目を伏せたままで呟いたセシルの声に、結論を出し終えた三人は慌てふためいた。
「 …… 彼は本当にモビルスーツに乗る事を ―― 諦めてしまったんでしょうか? 」

「い、いや副長」
 真っ先に口を開いたのはコウから直に退役届を受け取ったウェブナーだった。何度も翻意を促し、しかし彼の決意が揺らがないと言う事を確認したウェブナーは断腸の思いでその書類をジャブローへと提出した。本来であれば何日かの後に薄い茶封筒で配送されて来る筈の退役許可証が待てど暮らせと手元へと届かず、ウェブナーの記憶にも無い二週間の後に来たジャブローからの返信は定型外の厚みと重量と極秘の赤い判を押した封筒を携えた人事部の職員によって齎された。立ち会いの元で開封した書類の中身が退役許可証では無く、予備役への編入に伴う諸条件の変更書類であった事に驚いたのをウェブナーは昨日の事の様に覚えている。
「最初に私に退役を申し出たのは彼自身です、加えてジャブローから送られて来た予備役への編入書類にしぶしぶサインもしたんです。それほどまでに基地に居たくないと言う事をあからさまにした彼が、なぜ今更基地への ―― モビルスーツへの未練を残していると思うんですか? 」
「モビルスーツかどうかは分からんが少なくともこの基地には何らかの未練があるんじゃろう、誓約破りを冒してまでセシルをここまで送って来た事がそれを証明しておる。 …… セシル、儂からも聞きたいんじゃが、お前さんがそう思う根拠とは一体何じゃ? 」
 口を挟んだモラレスがウェブナーに変わってセシルの反論へと対峙した。机の上へと目を置いていたセシルが上目づかいに新たな挑戦者へと視線を送る。
「彼は自分の意思で農夫の道を選び、モビルスーツパイロットを棄てた。儂は伍長から何度も相談を受けてその事について話し合ったが、彼は儂にははっきりと「モビルスーツに乗りたくない」と言った。それだけ客観的な事実があると言うのに何故そう思う」
「そんな弱音を吐く人間があれだけの物をたった一人で作る事など出来ない」
 モラレスの問い掛けに間髪いれずに返答するセシル、ヘンケンの頬がピクリと動く。
「私はここに来る前に彼の畑を見て来ました。中佐には ―― 」
 セシルの視線がヘンケンを襲う。コウの畑を暇があれば巡回していたヘンケンにもセシルの発言の意味はよく分かる、規模は小さいが機械の手を借りずに体一つで難易度の高い品種を作り上げた彼の努力と根性には最早畏敬しか感じない、むしろ執念すら感じる。
「分かりますよね? 」
 念を押されたヘンケンが、しかし同意するより先に指に挟んだ煙草を灰皿へと捻り潰して火口を消した。腕を組んで視線を落として何かを考え込むのは、今度はヘンケンの番だった。
「私と中佐はここに流れ着いて来た兵士を何人も雇いました、でも誰一人として最後まで農夫としての仕事を全うした物はいない。 …… 腰かけ程度の心構えや思い付きでは決して通用しないのが人同士では考えられない自然との闘いであり、そしてその困難を私も中佐もよく知っています。だからこそそれを成し遂げた彼の事を他の軍人と同列には考えられないのです」

 データだけでは分からない直感と言う物に頼るセシルの顔を不思議な表情で眺めるモラレス。考えてみればデータに基づいて弾き出される結論から論理的に敵の優位に立つ戦術を練り上げると言うのが『スルガ』にいた頃の彼女だったように思う。まるで生きた戦術コンピューターだった彼女が意中の男と触れ合うだけでこうも変わってしまうのかとモラレスは内心驚き、ヘンケンの様に意見を主張する彼女の変化を内心微笑ましく思った。
「それに私は今日彼に、何故一番育てにくい麦と言う品種を選択したのかと言う事も尋ねてみました」
「アレを聞いたのか …… なんて言ってた? 」
 あらぬ方向を眺めながら腕を解いたヘンケンが手探りで煙草の箱を探す、逸早く感づいたセシルはその箱を自分の手元へそっと引き込んでから口を開いた。
「麦が地面に落ちても生きようとするならば、その麦は只の一粒に過ぎない。でもそれが種となる為に自分を殺す事が出来たなら、そこから多くの麦を実らせる事が出来る。 …… 本人は聖書の一節だと言っていましたが」
「『ヨハネの福音書』の一節じゃな、確かエルサレムの演説と記憶しておるが」
 空振りを続けるヘンケンの手を人の悪い笑みで睨んだモラレスはセシルの発言に興味を抱いた。世界的宗教の創始者が自らの死と原理思想を民衆に説いた逸話は宇宙へ人が飛び出した宇宙世紀の今になっても事ある毎によく引用される、人の死が無駄ではないと教えるその文言をモラレスはあまり気にいってはいなかった。人類の半数が死へと至らしめられた現実を目の前にかの御仁はそういう話をもう一度話す事が出来るのか、と言う懐疑的に捻くれた結論がその理由だった。
「彼はその言葉の意味を知りたいと私に言った。 …… ドクには申し訳ありませんが無意識にでも死にたいと思っている人間が果たして目的や目標を持ったりする物でしょうか? それにその言葉の中に隠された『自己犠牲』と言う意味を彼は知らずの内に体現しています。自らを傷つけ何かに抗い、そして戦い続けて成し遂げた彼だからこそ何かを簡単に諦める事など有り得ない。ましてやそれが自分の生きた証とも言えるモビルスーツならば尚更。 …… 上手くは言えませんが私は彼がここを離れた理由が他にあるのではないか、そんな気がしてならないのです」
 結論の出かかった議論を再び振り出しへと戻すセシルの提言は様々な表情を三人へと齎した。直感か数値か? 勿論直感などと言う曖昧な物に結論を委ねるほど彼らは能天気な生き方を選んではいない、数値と言う絶対的な指標はどんな改ざんをされたとしても必ず何らかの変化や結果を教えてくれる確かな物だ。それを軽んじて論ずる者ほど窮地の淵へと追い込まれる様を彼らは何度も何度も目にしている。
 だが今回に限ってはその経験則は当てはまらない、それを言いだしているのが数値による分析にもっとも長けているセシルだからだ。恐らく彼女の頭の中では目に通した資料の数値から自分達と同様の結論を一旦は弾き出しているに違いない、にも拘らずそれを真っ向から否定していると言う事は自分達には分からなくても彼女だけが感じる何かが存在しているに違いない。そう思わせてしまう程彼女個人の持つ戦歴と戦果は群を抜いて素晴らしいのだ。
 ないがしろには出来ない彼女の発言にウェブナーは眉間に皺を寄せたまま口を噤んで額を抑え、モラレスは自分の身体を縛り付ける様に強く両腕を組んで、天井へと目を向けながら何かを考え込んでいる。ただ一人、彼女の上位に立場を執るヘンケンだけが困惑する二人に代わってセシルに尋ねた。
「セシル、ウラキ君が未だに何かに抗う意志を持っていると言う事は百歩譲って認めよう。だがそれをモビルスーツに乗る事へと結びつけるには無理がある。それともう一つ、『一粒の麦』の逸話がどういう言葉なのかは分からんがそれは多分QOL(quality of life;生の質)に纏わる話なんだろう。自分の命に価値を見出して『種』を目指すと言う事はイコール『死』を求めている事には違いないし、そう言う意味ではドクの予見は当たっている。彼の本性はどうあれそんな心構えの兵士をこれから『ティターンズ』に叛旗を翻そうかと画策している俺達の陣営に迎え入れる事についての是非は論じるまでも無かろう」
「 ―― それは逆です、中佐」
 
 ヘンケンは自分に向けたセシルの表情から見る見るうちに曇りが取れて行く様を見た。まるで難解な数学問題をある切っ掛けによって解まで辿り着いた生徒の様な面持ちでセシルは呟いた。
「『種』だから『死』なんじゃない、『死にたくない』から ―― 『種』じゃない」
 禅問答の様な台詞を口にしたセシルの表情に思わず目を向ける三人、痛いほどの視線を一身に受けたセシルは自分の頭の中に突如として浮かび上がったその考えを取り留めも無く垂れ流す。
「『死にたくない』から彼は『死』を前提に語られるあの言葉の意味が分からなかった、じゃあその意味が分からない立場に立つのは ―― 」
 セシルの瞼が二度三度瞬きを繰り返して、その後にヘンケンの顔へをとその瞳を真っ直ぐに向けた。神秘的なターコイズは焦点を合わせて彼女の上官の瞳へと歓喜交じりの視線を送る。
「彼は『芽』なんだわ。そしてその言葉の意味を知りたいと願う彼の心の中には、もう誰かが『種』となって存在しているのかも知れない。ウラキさんは ―― 」
 
 ―― 何?
 セシルの言葉はそこで止まったまま先へ行こうとはしない。クラインの壺にも似た矛盾の無限ループがセシルの脳裏に閃いた解を瞬く間にひっくり返した。
 モビルスーツと言う掛け替えのない物を棄てて農夫へと身を窶したと言う事を『死』からの無意識の逃亡と捉えるならば、何の為に彼は『一粒の麦』の言葉の意味を知ろうとする? 『芽』が考えるべきは自分がどんな花を咲かせられるかという未来であり、『種』と言う過去に思いを縛られると言う事では無い。
 だが彼は未来をも捨ててしまっている、それは今の彼の人となりを見れば明らかだ。殊更に人との繋がりを拒み、常に自分を追い込みながら麦を育てている様は傍から見ていても痛々しい。機械を使って楽をすればいいとは自分も思わないが、それを未来永劫続けられるほど人の身体は頑健では無い。いずれは衰え朽ち果てるまでの命をただがむしゃらに使い潰そうとする今の彼が、果たして死から逃れようとしている等と言えるのだろうか?
 金色の野に一人佇んで風の音に耳を澄ませる彼の姿はそれを遠くから見つめるセシルの脳裏にある絵画を思い出させた。人が宇宙をただ宇宙としてでしか認識できなかった遥か昔に描かれたベルト・モリゾの『穀物畑』、12号のキャンバス全体に広がる麦畑の中に立つ一人の農夫の姿はその時の彼の姿にとてもよく似ている。
 印象派の旗手エドゥアール・マネに師事したとは思えないタッチで表現されたその農夫の存在を示す為の影は無く、陽炎でぼやけた輪郭の儚さまで同じ。色の濃淡によって表現される目鼻立ちも近くに寄って見てみればそれはただの絵の具の盛り上がりだ、命を描いている物では無い。
 人と言う表現には程遠いその農夫に重なるコウの生き方が正しいとはセシルにはどうしても思えなかった。生を謳歌して収穫の喜びを表現する画家の情念とは懸け離れたコウの今の出で立ちが絶対にそれを認めない、何故なら彼は ―― 
 ―― ただの、抜け殻だから。

『死』から逃れる為にモビルスーツを降りたのだとしたら今の彼は有り得ない。解き放たれる事無く死の枷を四肢に纏わりつかせたままのコウの姿を思い返してセシルは固く眼を閉じた。
 何かがどこかで間違っているのは分かる、だがそれがどこだか分からない。固定観念を捨てろセシル・クロトワ、全ての理由づけを一から逆に考えてみるんだ。彼は死にたいから種になろうとしているのか、農夫として死にたいと願っているのか、だからモビルスーツを降りたのか。 …… ちがう、そうじゃない。
 ―― 『死』から逃れる為に、モビルスーツを降りたんじゃない。

 自分の直感が弾き出した回答へと再び舞い戻って来たセシルが瞼を開いて世界の行方を取り込んだ。突然言葉を止めたセシルを見守る様に見つめる三人の視線にも気付かないかの様に、彼女はただ漠然と目の前の空間に自分の思考を躍らせた。
 答えはきっとそこにある、とセシルの勘が大声で告げた。彼が抱える全ての矛盾を解消するたった一つの鍵が、彼がここを離れた本当の理由の中にある。
 しかしそれを知る手掛かりは? 彼がそれを話したがらない以上、軍の記録の中にも記載されていないその理由を知る為にはどうしたらいい?

「セシル? 」
 自分の思考へと没入するセシルに向かってヘンケンが声を掛けた、しかしセシルはそれ以上声を発する事も無くただひたすらに迷路と化したコウの矛盾の手がかりを探している。
 今の彼女がその全てを理解するには必要な物が致命的に足りなかった。

                              *                               *                                *

 軋んだ音を立てて扉が閉まる、その音をその様をただ為す術も無く見守る事しか出来ない自分を、呪う事しか出来ない。
 彼をそうしてしまったのは自分のせいだ。あのアイランド・イーズで彼に銃口を向けてガトーへの復讐を阻止したのは、私。
 取り戻せなかった温もりの残滓を微かに感じながら、しかしそれをそっと心の奥に秘められた記憶の檻へとしまいこむニナ。泣き叫んで二度と開く事の無い扉を叩けたならどんなに楽だろう、自分の心を今砕け散ったガラスの破片で切り開けたなら、自分の心の底に潜む貴方への思いの丈を打ち明けられたなら。
 だがそのどれもがニナには許されない事だった。少なくとも彼の中にあの男の『仕掛け』が存在している以上、 今の自分に出来る事は ―― 彼を遠ざけておく事だけ。
 私から、そしてモビルスーツから。

「伍長もお元気そうでなによりです」
 ファイルを小脇に抱えて会釈を返すニナの姿にぎょっとするモウラは立て続けにキースへと視線を送った。シューティンググラスを外したままのキースの瞳は空を思わせるスカイブルーをじっとコウの表情に向けたまま動かない、観察をするような表情が収まったのはニナがモウラに向けて苦しそうな声を吐き出した瞬間だった。
「モウラ、私はもう行かなきゃ …… データの分析が終わるから」
 一期一会になるかも知れないこの機会をたったそんな一言で終わらせてしまおうとするニナに向かってモウラは眉を潜めて睨みつける、しかしニナはそれを受け止めても尚溢れる思いでモウラに向かって自分の意思を目で告げた。ガラス越しにでも分かる蒼い瞳に秘められた強い決意はそれだけでモウラの憤りを抑え込み、そして自分の思いを受け取る事が出来ないと言うニナの悲しい叫びを表している。
 穏やかとは言い難いが次第に弱まる感情の荒波を自分自身に感じながら、モウラは掴んだままのコウの胸倉を解き放った。指先に残る遣り切れなさを痺れで感じながらモウラはコウの前からその身体をどかせて、コウの姿をきちんとニナの目へと焼きつける。友人の決意に対する配慮と言うにはとても足りないが、自分に出来る精一杯の事はこれくらいしかないとモウラは臍を噛んだ。
「では私はこれで失礼します。伍長もお身体を大切に」
 声を震わせて踵を返すニナの背中をコウの視線が無言で追う。小さく下げる頭に残る、ニナと同じ小さな震えはそれを見つめるキースにしか分からないコウの葛藤だった。遠ざかっていくニナの歩調の忙しさに現れる彼女の苦悩、モウラもまたニナの葛藤を慮りながら二人の間に開いた大きな溝の存在を思わずには居られない。 壊れて行くあの日の残照を繋ぎ止める事すら叶わなかった自分の弱さを嘆きながら、モウラはニナの背中を見送った。

「キース、モウラ。悪いけど、俺もそろそろ帰るよ」
 言葉少なくそう告げたコウはバイクのシートに跨ってサイドスタンドを片足で跳ね上げた。キーを捻ると通電を示すインジケーターが日の光を跳ね返すように赤く灯る。
「待てよ、コウ」
 慌てた様に放たれたキースの声がセルを押そうとするコウの指を止める。つかつかと歩み寄るそのすぐ後にキースの採る行動を予見したコウは素早くキーの上に自分の手を翳した。
 果たしてそれはコウの読み通りだった。一瞬遅れてパン、と置かれたキースの手はコウの手の甲を叩く、自分の作戦を看破された気恥ずかしさを苦笑いに変えてキースはコウの顔を見た。
「せっかく会ったんだ、久しぶりに食堂で飯でも付き合えよ。グレゴリーさんだってお前の顔見りゃ腕によりを掛けてとびっきりの昼飯を御馳走してくれるに決まってる。ニナさんは忙しいけど俺達三人で積もる話を ―― 」
「悪いけど、キース。あたしも遠慮するよ」
「 …… 二人でしようぜ、な? 」
 水を差すモウラの悪態交じりの声にも怯まずコウを誘うキースの笑顔は昔のあの日に見せた物と同じ、モウラにはそれが許せなかった。コウがいなくなった事でどれだけの責任と重荷を残ったキースが背負い込む事になったのかをコウが分からなかった筈が無い、しかしそれを知りながら誰にも何も言わずに自分勝手に基地を飛び出した事がキースの顔からその笑顔を奪い去ったのだ。愛する者から大切な物を奪い去った事、そして自分には遂に取り戻せなかったその笑顔を満面に浮かべる今のキースが、そしてコウが憎らしい。
 そして何よりも取り戻せなかった自分自身が悔しい。
 顔に滲みだす悔しさを誰にも気取られぬ様に必死で隠しながら二人の会話へと耳を澄ますモウラ、ぎこちないキースの喋り方にコウをここへと繋ぎ止めて何とか近況を聞き出そうと言う意志を感じる。しかしコウはそんなキースの願いを振り払う様に、沈んだ声を吐き出した。
「キース、 …… いやキース中尉。私達が接触する事は自分が予備役に編入する際に交わされた宣誓書により禁止されております。今ここで貴方と共にいる所を本部へと通告されれば、それだけでも中尉に何らかの懲罰が下されかねません」
「止めろよコウ、そんな喋り方。今更俺にそんな事言ったって無駄だって。それにここはお前も知っての通りの場所、そしてお前がやっとの思いで創った基地じゃないか。お前がここにいる事を歓迎する者はいても密告しようだなんて考える奴がいるもんか」
 言葉によって立てられた心の壁を必死で押し倒そうとするキース、譲る事の出来ない二人の主張は言葉を失っても互いの視線の内で続けられる。諦めない熱意と拒む失意の鬩ぎ合いはコウが視線を逸らした事で一応の決着が付いたかに思われた。コウの左手が右手の上に置かれたままのキースの手を握り。
「 ―― すまない、キース」
 そっと解いた。

 はぁ、と小さく溜息を吐いて自分の努力が無駄に終わった事を苦笑で表現するキースの目から自分の表情を隠す様に、コウはゴーグルを掛けた。セルのボタンを押した途端に目覚めるエンジンはその吐息を後ろで持ち上げられた二本のマフラーから吐き出して独得のエキゾーストを響かせる、二個のシリンダーが絶え間なく刻む大きな鼓動の裏側に身を潜める様にコウが言った。
「 …… 俺にはもうその資格はない、自分の都合でお前に全てを押しつけて出て行った俺には。これは俺が自分自身に課した罰なんだ」
 零れ落ちる懺悔を腰に手を置いたまま笑顔で聞き届けるキース、だがその背後で黙って成り行きを見守っていたモウラの反応は違った。収めていた怒りを再び露わにして声を荒げながらコウの元へと足を向ける。
「あんたはっ! あんたはそれでよかったのかも知ンないけどっ! 」
 キースの脇を掠めてもう一度コウに掴みかかろうとするモウラが足を止めたのは、怒りで我を忘れたモウラの胸に差し上げられたキースの手が当たった瞬間だった。止めろ、と言う無言の命令を無視したモウラが尚も怒りをぶちまける。
「残されたモンの気持ちをあんたは一度でも考えた事があったのかいっ!? 年に一度の予備役訓練にも立ち遭う事の出来ないキースや、あたしや、ニナの気持ちをっ! そうやって内罰的に自分を傷付けて気が収まってンのはあんただけだって ―― 」
「モウラ」
 短く呼ぶキースの声はとても静かで力強い、それが自分の意思をはっきりと示した言葉である事にモウラは気付き、言葉と感情を押し留めた。モウラの胸元に押し当てられたままのキースの掌が小さく開くとモウラはその手の中に預かったままのサングラスを渡す、手首の一振りで蔓を広げたキースはそれを掛けると肩越しにモウラの顔を鋭い視線で睨み上げた。
 どうして、と言うモウラの気持ちが束の間の二人の視線の中で交錯する。だかキースはそのモウラの気持ちに気付きながらも敢えて無視してコウの方へと視線を戻した。
「そうか、お前がそう言うんならしょうがない。 …… 体にだけは気をつけろよ」
 差し出されたキースの手をゴーグル越しに戸惑うコウの目がじっと見つめる、おずおずと伸ばされたコウの手はやがて意を決した様にその手を固く握り締めた。

 微塵のブレも無いフルロック・ターンで車体を切り返したコウは進路を基地の正門へと向けた。控え目に開いたであろうアクセルはそれだけでも獰猛な本性を現して一気に車体を加速へと導く、振り返りもせずに遠ざかっていくコウの背中を見送るキースの背中にモウラが堪り兼ねて声を掛けようとした。
「 …… 『お前が誰と一緒にいるか言ってみな、そうしたらお前がどんな人間か言ってやる』か」
 何の脈絡も無くキースの口から飛び出したその台詞を耳にしたモウラが首を傾げた。
「なんだい、それ? 」
「ドン・キホーテ」
 モウラの目に映ったのはキースの穏やかな笑顔だった。信じて疑わない物を再びその手へと取り戻したコウの親友は、友人を蔑もうとする周囲の声にも怯む事のないサンチョ・パンサとしての誇りを身に纏ってモウラを見上げた。
「俺にとってのコウはやっぱりこの世に二人といない親友だ。さ、モウラ、言ってくれ。 …… それでもお前は俺の事が好きか? 」
 突然の問い掛けに絶句して目を丸くしたモウラはまるで少女の様なはにかんだ表情で小さく頷く事しか出来ない。その反応に満足そうな表情を浮かべたキースは足元に伸び始めた影を追い掛ける様に踵を返して、自分の生きるべき時間への帰還を決意した。

                              *                               *                                *

「歴史に名を残す先駆者に共通して言える事は、彼らが皆自分の欲望や欲求に対してすべからく我儘だったと言う事です。我々人類が宇宙へ飛び出す為に必要だったロケットはフォン・ブラウンの手によって作られましたが、それはV2と言う大陸間弾道ミサイルによって追試が為されたと言うのは有名な話。そして核を最初に兵器として考えたオッペンハイマーも、我が師フラナガンも然り。倫理や道徳を微塵も考慮せずにただ自分の頭の中に描かれた未知の発想を形にする為に、その全能力を注ぎこめる存在こそが歴史の針を前へと進める事が出来る」
 自らが口にした『同類』の定義を滔々と披露する男の表情を眺めている内に、バスクはこの男の持つ闇の深さと潜在的に抱える悪徳が露呈している事に気が付いた。サメの肌の様にざらざらした手触りと深海魚の様にぬめり付く粘膜の様な感覚はそれだけでもバスクの怒りを嫌悪へと変質させる。だがもっと恐ろしいのは自分がこの男の言に対して何の抵抗も無く理がある、と錯覚しそうになっている事だった。
狂気の伝播は弁舌や眼力、気迫や文言によって人に伝わり価値観を一変させる力があると言う事を、彼は全将兵に呼びかけたティターン発足のアジテーションの前にジャミトフから聞かされて愚直に実行した張本人でもあった。
「私が特に注目したのはあの連邦盤のモビルアーマーとも言える三号機のコンセプト、あれなどはまさに彼女がその資質を携えている事を証明している。モビルスーツの弱点である視認性を格段に向上させる全天球型モニターの採用、そしてその為にサバイバビリティ確保の為のコア・ファイターを廃止してパイロットを部品の一部に組み込むその発想。更にはモビルアーマーのコアとしてガンダム本体を配置する事で兵装コンテナオーキスを破棄してでも戦闘を継続する事が出来る。そのアグレッシブな発想たるや今までの連邦の、いやこれから考えられるどの陣営のモビルスーツにも真似が出来ないでしょう」
「何故そう思う? 」
 自分がこの男の発想を耳にしてそれを開発部に伝えない筈が無いだろう、にも拘らずそう言い切る男の言葉の根拠が聞きたいと切望したバスクが尋ねるのは至極真っ当な質問だ。男は薄笑いを浮かべて言った。
「パイロットと言う人格や人権を無視して武器を開発する事は有り得ないからです。ミノフスキー粒子が散布される戦場では人が自らの判断によって戦わなければならない、ニュータイプの扱うリモート砲台ビットだけが無人機として例外的ですがそれとて元となるコントロールユニットは人間だ、最後の最後まで徹底的に戦い続ける事を前提に考えられた機体をどこの誰が採用しようと言うのですか? 」
 貴方方はどうする? と言わんばかり舐め上げる男の視線の前でバスクは絶句した。第一そんな物を正式採用した所で誰がそれに乗り込んで戦いに赴くと言うのか、大昔の大戦末期にとある小国で率先して行われた『神風攻撃』など戦愚の極みだと考えるバスクには三号機が持っていた根本的なコンセプトに呆れて口を噤むしかない。
「彼女が」
 男はそう言うと手の中の紙をもう一度きちんと折り畳んでバスクに向けて差し出した。無言でそれを受け取ったバスクはティターンズの藍色の上着の内ポケットへとそれをしまい込む。
「優れている所は、三号機の持つコンセプトを徹底する為に薬剤の開発にまで言及していた事です。二つの機体の異なったOSを一人の人間が制御する為には超人的な反応能力と思考速度が無ければ成立しない、その為に彼女は戦闘亢進剤のパイロットへの投与を前提とした運用を基本としていた。自分の理想を現実の物とする為には倫理を冒す事も厭わない、それが彼女を私の『同類』と認める根拠です」
「似た者同士が手を取り合って創るニュータイプ用兵器だ、さぞかし背筋も凍るほど恐ろしい物が出来るのだろうな」
 皮肉たっぷりにそう告げるバスクの顔が奇妙に歪む、しかし男はバスクの揶揄にも負けないほど辛辣な表情で鼻を鳴らしてそれを一蹴した。
「当然です、私の目指す強化人間を究極とするなら彼女の創り上げるプログラムはまさに至高。恐らくこの世に比類する物の無い兵器が出来上がる事でしょう。そして彼女をここへと連れて来た大佐は恐らく人類史に名を刻む功績を上げた者として後世に語り継がれるでしょう」
 絶妙のタイミングで放たれた侮蔑と称賛の対比は、一方的に遣り込められ続けて卑屈になっていたバスクの心境に微妙な変化を齎した。自己啓発で用いられる巧妙な話術は敵対する者の反抗心に隠れた自尊心を擽ってそれまでの負のイメージを一新させる、理屈を分かっている筈のバスクですらその効果はてきめんに現れた。

「貴様の要求はよく分かった。そう言う事ならば俺は直ちにお前の意見をジャブローに持ち帰って具申する事にする、早急にこの女をオークリーからここへと異動させる手筈は整えるが最低でも二週間はかかるだろう。それまで実験は凍結、再開はこの女が貴様の要求するプログラムを組む事に成功してからにしろ」
 自分でも現金な物だと分かってはいても高揚感は隠せない、少なくとも満足な笑みを浮かべるだけの心のゆとりを取り戻したバスクは、それでも案件を出来るだけ端的に男に向かって言ったのは敵の心理戦にいい様に操られたと言う恥辱を隠すためだった。それに幾らこの報告を急いで持ち帰ったとしても当のジャミトフは最前線の戦況と窮状を巡回視察する為にルナツーへと向かったばかりだ、彼が帰ってくるまでの間じっと大人しく手を拱かせておこうと言うのは今まで散々いたぶられたバスクの鬱憤晴らしの様な物だった。
「二週間? そんなに? 」
 憮然としてそう言い放った男の反応はバスクの想定の範囲内だ、思わず鼻で満足の忍び笑いを表した。
「貴様の不満はもっともだが閣下は今前線の視察に赴いている途上にある、ジャブローへ帰還されてからこの案件は審議に掛ける事になるから最短でも二週間はかかる。何もする事が無いのならばその優秀な頭を持ち寄って、この研究所の周りを緑化する事でも考えたらどうだ? 」
「それは ―― 」
 男の顔が微妙に歪み始める予兆を感じたバスクは最初、その変化が今まで見せた事の無い戸惑いを表現するのかと期待した。だがその瞬間を今か今かと待ち構えるバスクの目に映った男の顔は、身の毛もよだつような狂喜を張りつかせた猛烈な嗤いだった。
「 ―― 好都合。少なくともこれでジャミトフ閣下が貴方の作戦に関与していなかったというアリバイが成立する」

「なんの事だ? 」
 些か冷静を取り戻したバスクにしても自分を名指しされて物事の些事を決めつけられたら何の事か疑うしかない、それに作戦と言う言葉が加わればそれは軍事行動を意味する。一介の科学者が分け入っていい領分から逸脱したその発言に苛立ったバスクは、やっと取り戻した筈の落ち着きをかなぐり捨てて尋ねた。発言を強制するオーラを纏いながら対峙するバスクに向かって男は冷ややかな目を向けた。
「そんな正式な手順を踏まずとも、もっと確実でいい方法があります。 ―― 大佐、彼女が在籍しているオークリー基地は半径二十キロ以内に人の居留地が存在しない。つまりはそんな所で何が起ころうと誰にも知られる事は無い、という事です。違いますか? 」
「待て、貴様は一体何の話をしている? 」
 背筋を走る何本もの寒気がバスクの脳裏に警鐘を鳴らす。この男が自分のさせようとしている事も、何について言っているかと言う事もバスクには十分理解出来る。
「正式な手順以外に確実な方法などない。それに軍に所属している者ならばジャブローの命令は絶対だ、もし逆らうようなら即座に身柄を拘束して解雇 ―― 」
 そこまで告げてバスクは自分の言を振り返った。確かに今自分の言った処分は普通の連邦軍基地には有効だ、今までにも辞令に対して異議を申し立てた者はそうやって無理やりにいう事を飲ませて来た。だが、あの基地は ―― 。
「そうです、今までの軍の常識が唯一通用しないその場所こそが『忘却博物館』貴方方が反乱分子の種を世間から隔離する為に創り上げた租界です。そして彼女は貴方方のアキレス腱の生き証人、共に在籍していたパイロットの退役願いを予備役編入へと変更してでも外部へと洩らすまいとしたメンバーの内の一人です。だから彼女が軍の辞令を断ったからと言って処分をする事も出来ず、さりとて解雇する事も出来ない。言うなれば彼女は貴方方が最も手の届かない場所にいると言ってもいい」
 的を得ている男の指摘に愕然とするバスクの目に再び狂喜の面が焼きつけられる、確かにこれでは男の言う通りに『あの部隊』を使うしか手段はない様にも思える。だが ―― 。
「 ―― 馬鹿を言うなっ! 貴様、何を言っているのか分かっているのか!? 」
「勿論です、第一貴方がそれを拒む事こそ私には信じられない。1500万人は簡単に殺せても辺境の基地に属するたった200人程度の人間は殺せないとでも? 」
「30バンチはティターンズに叛旗を翻そうとする輩を粛正する為に見せしめにやった事だっ! 同じ連邦軍に所属する『同胞』を殺す等とは訳が違う、その様な事を俺が貴様の言いなりになって手を染めるとでも思ったかっ!? 」
「同じですよ」
 バスクの激昂をまるで子供の癇癪の様に聞き流した男がじっと顔を見上げた。ゴーグルの奥に隠れる動揺を見透かす様な瞳は氷の矢の様に、抗弁を続けようとするバスクの意思を深く貫く。
「サイド1の人々もこの地上に住まう人々も元を糺せば同じ人類、そして30バンチの1500万人もオークリーの200人も片やコロニー、片や租界に隔離されている。逆らったが故に粛清されると言うのであればオークリーの人間にもその資格があるのではないですか? 」
「だからと言って軍を俺の一存で動かせるか! そもそも自分達の仲間を率先して攻撃しよう等と言う部隊がティターンズの中にある訳が無かろうっ!? 」
「これだけ言ってもまだしらを切り通すおつもりですか? 」
 いかにも辟易した男が後頭部をがりがりと掻き毟って蓬髪を大きく揺らした。
「いるではないですか、ちゃんと貴方の直属の『そう言う事専門』に編成された部隊が」

 息を詰めて声を失ったバスクが凍りつく、男はその様を確認した上でおもむろに告げた。
「私がその事を知らないとでも思っていましたか? …… 貴方から殺されそうになっても私が貴方を頼るのは、貴方が私の要求に対して真摯に向き合ってくれている事を知っているからです。貴方は私が新たな技術的要求をする度に民間の研究所をその部隊を使って急襲し、私の要求を満たしそうな科学者や研究者を秘密裏に拉致している事を知っている。その部隊の創設を命じた閣下が地球にいない今は、貴方がその部隊の最高責任者だ」
 それは男の言う通りだ、だがあの『部隊』は30バンチ事件以降ティターンズに叛旗を翻そうとする勢力を未然に潰す為に創設された部隊であり、決してこの男の私利私欲の為に使用していい物では無い。それに何故この男はその『部隊』の存在を知っている?
 バスクの煩悶を見届けた男はそこで初めて真顔になった。人と言う生き物が迷い込んだ時にはより強い意思決定を持つ者が上位の立場に位置する、特殊部隊の遭遇戦に規定される指揮系統の確立方法を地で行く男の戦略はバスクの迷いを自分の思う方向へ誘導する事に成功した。
「それを何故私が知っているかを貴方が知る必要は無い。要は貴方がその部隊を動かす意志があるかどうかという事だけだ。『忘却博物館』を閉館する意志があるというのなら、私と貴方の野望は成就に向けての新たな一歩を踏み出す事が出来る」
 強い声で放たれたその言葉がバスクの耳から忍び込んで彼の自我を揺さぶった。自分の野望は連邦から得た恩も忘れて宇宙を跋扈しながら自分達の存在がさも優良種であるかのように振る舞い、主権を主張するスペースノイド連中の抹殺。彼らを殺す事に何の斟酌も持つ事も無いし、それが実現するのであれば例え走狗と呼ばれようともジャミトフからの命令に従うと心に誓った。そしてその為に歩かねばならない一本道は今、自分が最も嫌悪する相手によって遥か彼方の光にまで真っ直ぐに敷き詰められている。
「 …… もし、俺が今それをここで断ったら ―― 」
「失う物の無い私は別に。…… だが貴方は今後宇宙史に残るかもしれない最大の手柄を失う事になる。今私が創り上げようとしている理想の強化人間に適合する兵器が完成したならRXシリーズガンダム等足元にも及ばない、そうすれば連邦が対コロニー政策を進める上において絶対的な支配力を手中に収める事が出来る ―― それだけの輝かしい未来を貴方は自らの下らない感傷で棒に振る覚悟が? 」

 勝ち誇ったような男の表情を眼下に見下ろしながら、バスクは自分の選択が誤っていた事に気付いていた。自分がこの男の毒に侵されてしまう前に、やはりこの男を撃ち殺しておくべきだったのだ。自分が今まで積み上げてきたキャリアに猛烈なリスクを課し、そのリターンにこれ以上無いほど甘美な果実をちらつかせるこの男の事を、彼はたった一言でしかいい表わす事が出来ない。
 メフィストフェレス。
 錬金術師でもない自分がこの悪魔と契約する事は果たして正しいのか? しかしもうどうする事も出来ない。バスクの本心はこの男との契約を破棄する事よりも、自分に与えられる筈の戦果と世界と称賛を夢見てしまった。
「俺は、やはりさっき貴様を撃ち殺しておくべきだった。 …… 貴様は人間ではない、人の理想の影で其の欲望を食い物にする、只の悪魔だ ―― 」
 呻く様に本心を洩らしたバスクの顔を何事も無く見上げる男の顔に無垢な笑顔が浮かび上がる。それこそが本懐である事を示す彼の無言の肯定は、バスクに人の形をした悪魔の真名を告げさせた。
「 ―― エルンスト・ハイデリッヒ。科学に魂を売り渡した狂信者め」


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