南アフリカで否、世界で最も治安が宜しくないと言われる都市、ヨハネスブルグ。
ここではアパルトヘイト(人種隔離政策)時代の名残りが未だに残っており、郊外のバラックが立ち並ぶスラムが印象的である。
この街では1分経つ度に強盗や強姦、窃盗等の犯罪が起きるとも言われてる。そんな物騒な街で私立探偵を営んでる風変わりな日本人はダウンタウンに在る一件の雑居ビルの2階を事務所にして居た。
主な仕事は行方不明者や家出人、浮気調査と言った仕事が大半であるが、極稀に極めて厄介な仕事が舞い込んで来る事もある。例えば、地元ギャングやマフィア、民兵に傭兵と言った危険な存在を相手にすると言う事だ。
場合によっては撃ち合いに巻き込まれたり、ギャング間の抗争にも巻き込まれたりしてるし、警察に逮捕もされた事も有るが、これは日常茶飯事だったりする……本人としてはとっとと日本に帰りたい所であるが、訳有って帰れないのが実状である。
そんな探偵に変わった仕事が入って来たのが物語の始まりである。
「よぉ、サムライ……何しに来やがった?」
ヨハネスブルグ郊外のスラムの中に佇む一件の雑居ビルの前に屯ってる黒人の地元ギャング……恐らく、民兵や少年兵として戦ってた事があるであろう連中が手に使い古されてる軍用ライフルを携えてた。銃口を此方に向けて来るが、男は気にした様子も無く、上着の中を見せる。
「武器はコイツだけだ……ボスに合わせて貰いたい」 彼は涼しげな表情のまま腰のベルトに装着したホルスターに差し込まれてた.357magを使用する銃身長3インチのリボルバーとを見せる。見せた男はそれを見張り役に渡した。
見張り役が彼の銃を受け取った後も、身体中を弄って持ち物検査を念入りにして行く。当然だろう……この街で信頼できる者は存在しないのだから。
他の見張り役にAK47やR5と呼ばれる国産ライフル等を向けられて警戒されながらも、身体検査を終わると、見張り役の1人が中に入る許可をくれた。
「銃は返してやるが……妙な真似はするなよ?」
「しねえよ……未だ死にたくないからな」
男はギャングの1人に促されるとビルの中に消えて行った。
ビルの中を進んで行くと、鼻腔には煙草やアルコールの匂いだけでなく、大麻が燃えた時に生じる甘ったるい臭いや肉が腐った様な酸っぱい臭いが鼻に当たって来る。鼓膜には売春婦がギャングから金を貰って身体を売る音が喘ぎ声と卑猥な水音がコンクリの壁に反響して聞こえてきたり、サッカーの試合を観戦してるのかTVの音に混じって怒鳴り声が入ってきた。
(マリファナの臭いはまだしも、肉の腐った臭いがするって事は死体が有るな。この街じゃ死体なんて珍しくない……日本じゃ考えられないだろうが)
暫く、雑居ビル内を歩いて目的の部屋に着くと、男はドアを3回ほどノックする。
ノックして数秒後、部屋の奥から入れと高圧的な言葉が聞こえて来たのを確認してから男はドアノブに手を掛けて中に入った。
「久し振りだな……ジャポネ。何の用だ?」
「アンタの所の下っ端が身代金目的で誘拐した日本人の学生の安否確認に来た……手は出してないだろうな?」
日本人と呼ばれた男はギャング達のボスの取り巻き達に銃を向けられても尚、平然と要件を伝える。
彼がこのアジトに来た理由は1週間前に起きた日本人誘拐事件に時は遡る。当時、卒業旅行に南アフリカへ入国した日本の若い女性がヨハネスブルグに来た際、男の目の前に居るギャングのボスである傭兵上がりの男の部下が彼女を誘拐し、身代金として米ドルで150万が要求した。
誘拐した所が何処のギャングかは警察は調査中であったが、探偵である彼は友人でロシア人マフィアに所属する”昔の仕事仲間”から情報を得ていた。目の前に居るギャング達が誘拐を企てたと……
情報を得た彼は、この情報を警察幹部に売ろうとしてたが……外務省からこう言うトラブルに強い日本人が居ると聞き付けた被害者の肉親がタクシーで乗り付けて来た事で事態は少し変わった。家族は幸い、裕福な家系で身代金を払う用意が有るという事を男に伝え、男はギャングと連絡を取り、警察抜きで取引をする事を伝えた。
身代金を払う条件として、五体満足である事、レイプ……強姦して居ない事、麻薬を服用させて無い事を支払い条件として提示したが、レイプはされてるかも知れないだろうと、男は予想していた。
ボスは取り巻きに目配せをすると、一糸纏わぬ状態の被害者、小沢素子が髪を取り巻きに引っ張られながら連れて来られた。
「痛い! 離して!!」
「おい……女性は優しく扱えって習わなかったか?」
男はアフリカーンス語で彼女を連れて来た男に向かって睨みながら伝えるが、相手は意に介した様子も無かった。
彼は、小沢素子に近付くと、日本語で話掛けた。
「小沢素子さんですね?」
「日本語!? 貴方、日本人なんですか?」
彼女は故郷の言葉を聞くと安心したのかホッとする。
「君は小沢素子さん、本人で間違い無いかな? お父さんの名前は小沢裕之……」
彼は彼女が小沢素子本人か確認する為に彼女の実父の名前を言う。もしも、偽者だった場合、目が当てられないからだ。
「そうです!! 私を、私を助けに来てくれたんですか!?」
「まぁ、そんな所かな……君は明日、問題なく話が進めば開放される筈だ。それまで、頑張れるかな?」
彼は彼女を不安がらせぬ様に励ましながら、明日、無事に家へ帰れると言う事を伝える。然り気なく、瞳孔の開きや臭いを確認しながら。
「ハイ!! 恐いですけど。乱暴な事はされてません」
「悪いが、感動的なシーンはここ迄だ」
ボスがアフリカーンス語で会話を遮ると同時に取り巻きの1人が彼女を連れて部屋から消えた。
「約束は身代金を支払う迄守って貰う。もし、彼女が死んだり、約束が1つでも破られてたら……お前の命で贖わせてやる」
探偵は目の前に居るギャングのボスを殺気を漂わせながら睨み付けて言い包めるとその場を後にしようとする。
「OK……俺達は金が欲しい。それに民兵やら傭兵やら警察と繋がりを持つテメエを敵に回しても損な事にしかならねえ」
「では、明日の正午、俺が金を持ってアンタの所に行く……その時に彼女と交換だ」
探偵は部屋を出て帰路に着くのだった。
「ボス……何であの野郎を返したんですか?」 取り巻きの1人が聞くと、ボスはその質問に答える。
「この間の民兵が殺された事件知ってるか?」
「ええ、まぁ……白人供がくたばってざまぁ見ろって思いましたけど」
「それはアイツの仕業だ……たった1人で民兵の居るアジトを強襲して皆殺しにした野郎がここで暴れたらどうなってた? それに、奴はコンゴでの俺の命の恩人でもあるんだよ。そのカシを返しただけだ」
ボスは大麻入りの煙草を咥えると、そのまま火を点けたのだった。
一時間後、事務所兼自宅である雑居ビルに戻った探偵はデスクに座り、ポケットから煙草を出して一服点けて居た。
「ハァー……恐かった。何だよ、アイツ等は? 銃をズッと向けて来やがって。話し合いの際に銃を向けるなよ、小便チビったらどうすんだよ、畜生」
「漏らして無いよな?」
彼は股間を触って湿って無いか確認するが、ビルに居た間ずっと冷や汗をかきっ放しっだったので漏らしたかどうかの判断は付き兼ねてた。幸い、アンモニア臭はしなかったので漏らして無いのだろうと判断する事にした。
煙草を吸いながら、備え付けの小さな冷蔵庫からラム酒のボトルとグラスを出して机に置く。そのまま、ラムをグラスに注いで一気に飲み干してから、再びグラスにラムを注いだ。
彼がラムで一杯飲んでると、警官の制服を着た白人男が事務所へノックもせずに入って来た。
「おい……どう言うつもりだ? イリエ?」
「どうしたんだよ、ガードナー警部殿? アンタも飲むか?」
イリエと呼ばれた探偵はグラスに注いだラムをガードナーに渡そうとするが、彼はイリエの手を弾いてエラい剣幕で怒鳴った。
「ギャングと取引するなんて、何を考えてるんだ!!」
「依頼人である被害者の家族は身代金を払うって言ってる。その為の交渉を俺がする事になった。それだけだ……それに警察に任せたら、失敗する確率はこの街に限っては増えるのはお前さんでも知ってるだろうが」
「この街の警官がどれだけ信用出来ないかを……それを知らないアンタじゃないだろ?」
「……それはそうだが……とにかく、人質は無事だったんだな!?」 ガードナーは警官として確認するべき事を確認する。
「ああ、彼女は無事だったよ。レイプされた後も無いし、彼処に行った娼婦からも話を聞いたけど……彼女は犯られて居ないそうだ」
イリエは灰皿に煙草を置くと、ラムをチビリと飲んだ。
ガードナーはイリエのグラスを乱暴に取ると、グラスにラムを注いで一気に呷ってから帰った。
そして、約束の取り引き開始の時間になり、イリエは150万ドルが詰まった鞄を持ってギャングのアジトに赴いた……
「約束通り、金を持って来た……」
イリエは鞄をギャングの1人に渡した。鞄を受け取った男は中の金を確認して行く。
暫くして、中の金を確認し終えたのか、金の入った鞄をボスに渡して居た。
「OK……金は受け取った。こちらも約束通り、人質を解放する」
ボスは部下に命じて彼女をイリエの元に行く様に仕向ける。
彼女は誘拐された時に着ていた服を着た状態でイリエの元に近付いて来る。
「もう大丈夫だ……親御さんの元に帰れるよ」
「ありがとうございます! 本当にありがとうございます!!」
彼女は泣きじゃくりながらイリエに感謝するがイリエとしては感謝されても余り嬉しくはなかった。
「取り引きは終了した……じゃあな、ミスタ・ヌナモ。捕まったら金は使えなくなるぞ」
「心配しなくともサツはここ(スラム)にはよりつかねえよ……」
イリエは彼女を連れてビルを出ると、ここに来る時に乗って来た日本の4WD車両に乗ってスラムを後にした。
(流石はギャングのアジト……車盗もうとするバカは居ないな。さてと、予定通り電話するかね)
イリエは運転しながら携帯電話を掛ける。
「ガードナー警部……今なら、奴等を逮捕出来るぜ。とっとと突入しろよ」
『ふん! お前に言われなくとも解ってる。取り敢えず、お前は幾らの金を得たんだ?』
「依頼人からは身代金の10%が俺の取り分だよ」
『ロシア人からは幾ら貰うんだ?』
ガードナーから聞かれたイリエはばつの悪そうな顔をする。助手席で話を聞いていた彼女、小沢素子は何を話してるか気になる。
だが、彼等はアフリカーンス語を話しており、英語を話してる訳では無かったので何を言ってるのかはサッパリ解らなかった。
「とにかく……警察の面子は保てたんだから問題は無いだろ?」
『そうだな。犯人は射殺しといた……後で俺にも取り分は分けろよ』
「おいおい……150万ドル懐に入れといてそれは無いだろうが。今回のネタが無きゃ、アンタは儲けられなかったんだぜ?」
『この金は犯罪被害者の為に使うから俺には残らん……だから、お前を締め上げて小遣いを稼ぐ』
「マフィアよりタチ悪いよな、警官てよ……じゃあな、警部」
イリエは電話を切ると、ポケットに収めた。
「さて……素子さん。そろそろ、ご両親の居るホテルに着くけど……念の為に病院で検査を受けといた方が良いよ」
「解りました……」
その後、彼女を依頼人である彼女に引き渡した彼は、残りの半金を受け取ると、即座に事務所へ戻るのだった。