※本作は【小説家になろう】様にも投稿している作品です。
本作はそれに若干の変更点を加え、仕上げた作品です。
~~あらすじ~~
坊ノ岬に戦艦『大和』が沈まなかった戦後日本。
幾多の困難を乗り越え、多数の敵を退いてきた『大和』だが、
核兵器によってビキニ環礁に沈もうとしていた。
標的艦として沈めぬと立ち上がった者達の同盟『大和会』は、
21キロトン級の閃光と衝撃を境に戦前へとやり直しの旅に出る。
滅び去る筈だった夢幻の艦隊と共に……。
(1)
1945年(昭和20年)、大日本帝国は岐路に立った。
転進という名の敗退を繰り返し、東南アジアに獲得していた領土を放棄。
2月には栗林中将以下、決死の抵抗を続けていた硫黄島守備隊も壊滅し、遂に硫黄島は占領された。
護衛戦闘機P-51を伴ったB-29は連日に渡り、本土の主要都市を焼夷弾で焼き尽くし、日本近海のシーレーンは白星を付けた鋼鉄の鮫によって蹂躙し尽くされた。
工場を失い、資源を失い、食糧を失い……。
そして遂には――国土の一翼を失うこととなる。
1945年(昭和20年)3月26日、連合国軍は『アイスバーグ作戦』を開始。
その6日後の1945年4月1日、米軍は4個師団による“沖縄上陸作戦”を実行に移したのである。
水際防衛を諦めていた日本軍をよそに米軍は難なく上陸成功、橋頭堡を築き、飛行場を占領するのであった。
1945年(昭和20年)3月末、大本営は大日本帝国海軍第二艦隊に出撃命令を下した。
その第二艦隊とは戦艦『大和』を旗艦とし、軽巡洋艦『矢矧』と駆逐艦8隻からなる艦隊であった。
艦隊陣容には空母5隻も含まれてはいたが、うちこの時点で空母『葛城』『天城』は建造中、『龍鳳』『隼鷹』は多大な損害を被り、戦列を離れていた。
しかし、第二艦隊には『信濃』というとっておきの機動戦力が含まれていた。
――空母『信濃』
1944年11月9日に就役したこの空母は元々、大和型戦艦第3番艦として誕生する筈だった。
しかしミッドウェー海戦後、正規空母4隻を喪失した帝国海軍は機動戦力の補強を最優先に考え、戦艦建造をその優先順位から除外する。
そこで白羽の矢が立ったのが、大和型戦艦第3番艦であった。
1942年末、70%の進捗を見ていた第3番艦は急遽空母への設計変更がなされ、1943年初めには改装が開始された。
史実では1944年11月29日、『信濃』は米潜水艦『アーチャーフィッシュ』の雷撃により、撃沈される。
しかしこの異なった歴史の中においては、『信濃』の雷撃による撃沈は起こり得なかったのである。
1944年12月、呉に到着した『信濃』はそこで対空噴進砲と新型艦上戦闘機の配備がなされ、第二艦隊に配属される。
そして1945年3月末、『信濃』は『大和』とともに沖縄を目指し、進み始めた。
(2)
全ては運命、運命は必然。
1945年4月1日、米軍の沖縄上陸のその日、山口県徳山市上空には総勢800機に及ぶB-29の大爆撃機編隊の姿があった。
銀翼を煌めかせ、低空を駆り進むB-29『スーパーフォートレス』の目標は、帝国海軍が誇る最大の燃料補給拠点『第三燃料廠』とその周辺工業地帯の完全破壊である。
燃料廠とは、海軍で必要とする燃料・潤滑油の生産・加工・研究開発を行う施設である。
この徳島市に置かれた第三燃料廠は、日本最大の規模を誇る呉の軍港を支える重要な補給拠点だった。
戦艦『大和』を始め、呉の軍艦の多くはこの第三燃料廠を利用し、外洋へと展開する。
ところが4月1日、B-29による大空襲を受けた徳山の第三燃料廠は、跡形も無く破壊されてしまう。
第三燃料廠から補給を受け、沖縄へと向かう筈だった第二艦隊は、こうして足を奪われてしまったのである……。
1945年(昭和20年)4月6日。
広島県呉の軍港には、戦艦『大和』とその艦橋に立ち尽くす1人の男の姿があった。
彼の名は――伊藤 整一。
帝国海軍中将であり、戦艦『大和』を旗艦とする第二艦隊司令長官を務める男でもある。
帝国海軍人らしく謹厳実直で寡黙な男なのだが、米国への留学経験を持つという知米派でもあった。
下手ながらも英語を嗜み、米国と日本の国力差をよく理解する人物。
開戦初期、終始浮かれていた海軍内で唯一、冷静に先行きを見ていたというのは、それを良く物語るエピソードだろう。
海軍内でも人一倍米国との戦争に反対していた彼だったが、この時、彼は米国との戦いを人一倍欲していた。
1枚の電報を握り締め、艦橋にある長官席の座椅子の前に突っ立って、呉の海を見下ろしていた。
「閣下、何をなさっておられるのです?」
そう言ったのは、戦艦『大和』艦長の有賀 幸作大佐である。
禿頭にヘビースモーカーで煙をよく上げていることから、『エントツ男』の渾名を持つこの男は、1944年12月付で戦艦『大和』の艦長に着任したばかりの新参者であった。
「あぁ…有賀君。まぁ聞いてくれよ」
伊藤は落胆した様子で言った。
「俺は草鹿の奴が言ったからウンと頷いたんだ。ところがだよ、突然アイツは……今日になって『大和』を沖縄に動かさず、ここに留まれと抜かしやがったんだよ。おかしな話だとは思わないか?」
1945年4月6日、大本営は『菊水作戦』の中止を表明。
その原因は、5日前に勃発したB-29による『徳山空襲』であった。
この空襲で帝国海軍第三燃料廠は消滅、戦艦『大和』と第二艦隊に供給する筈だった燃料は、全て灰塵と帰したのである。
そして燃料供給が不可能となり、作戦は中止となった次第である。
「では、『大和』は?」
「呉に係留されたまま……“警備艦”扱いになる」
伊藤の言葉に対し、有賀は愕然として口を開いた。
『菊水作戦』――即ち沖縄への特攻作戦に対して後顧の憂いが無かった訳ではないが、これはあまりにも酷過ぎる仕打ちだった。
戦場において戦艦『大和』最後の艦長となるつもりだったのに、これでは軍港の中で最後を迎えるしかないではないか……と。
「御上の命令は絶対だ。逆らう訳にはいかん」
伊藤は淡々と言った。
「それで閣下は御満足なのですか?」
「勿論……満足する訳が無い」
伊藤は言った。
「俺は草鹿に『一億総特攻の魁』となるよう言われた。一億総特攻の魁……つまりは一億の末路の魁だ。俺はこの作戦で『大和』を華々しく散らし、御上に戦争の無意味さを示し、講和を為した日本が“次なる歴史”を歩んで欲しかったんだ。いまやその可能性は無に等しい。沖縄は持ち堪えられん。夏の初めには、九州に米兵が雪崩れ込んでくる筈だ。そうなれば本土決戦。日本は……終わる」
しかし1945年(昭和20年)8月15日、大日本帝国は無条件降伏を果たす。
広島、長崎の両都市に各1発ずつ原子爆弾が投下され、全てを焼き尽くしたからだ。
また主要都市の多くもB-29の焼夷弾攻撃によって破滅的な被害を受けており、満州や朝鮮、北方ではソ連軍の侵攻も始まっていた。
まさに八方塞がりであった日本は、無条件降伏を受諾せざるを得なかったのだ。
こうして8月15日、太平洋戦争は幕を閉じたのである。
だが、伊藤整一という男の闘いはまだ始まったばかりだった。