この麻帆良学園中等部の修学旅行は四月に行われる。今年の行き先は京都。マクダウェルは例の呪いのせいで学園でお留守番だが、それ以外は全員参加である。私としても、ひさしぶりの麻帆良の外なので楽しみにしていたのだが……
「きゃああああ!蛙がたくさんいるぅ~!」
電車の中で蛙が大量発生したり――
「ってこの水、お酒じゃないのよ~!」
清水寺の水がアルコールに変わっていて、生徒達が酔いつぶれたり――
せっかくの外なのに非常識を持ち出すんじゃねーよ!おかげで初日から騒がしさで疲れてしまった。こいつらのテンションの高さには慣れてるけど、今日は普段以上にはしゃいでるからな……。そして、その夜にはネギと明日菜に呼び出されていた。……厄介事の予感しかしない。
「ということで、千雨さん!僕に協力してくれませんか?」
人気の無いロビーでネギから聞かされたのは、この修学旅行を妨害している者の存在についてだ。相手は関西呪術協会の手の者で、どうやらネギの持っている関東魔法協会からの親書を奪おうとしているらしい。その話をおおげさに驚いた振りをしながら聞いていた。ま、すでに知ってた内容だし。
来る途中の新幹線の中に、素性を隠した女がいたから調べてみたら、そいつが妨害を仕掛けている張本人だったのだ。狙いが私じゃなかったから放っておいたが……
「ちょっとネギ!本当に千雨ちゃんを仲間に入れるつもりなの?やめた方がいいと思うわよ」
「大丈夫だって!何たってあのエヴァンジェリンが仲間にしていた奴だぜ!こっちの戦力も二人だけじゃ足りねぇしよ」
「そうだよ。魔法のことを知ってる人なんて、クラスで他には千雨さんだけだし」
ネギの耳元に小声で囁く神楽坂。その固い表情に気付くことなく、オコジョとネギが賛成の言葉を示していた。過負荷(マイナス)相手には神楽坂の言うことが正しい。二人が楽観的なのは、私と接した時間と密度が少ないからだろう。そして、私の選択はもちろん決まっている。
「それで、どうですか?千雨さん」
「ああ、いいぜ」
「本当ですか!?ありがとうございます!」
嬉しそうな声で大きくお辞儀をするネギ。
「それで譲ちゃん。戦闘力はどれくらいなんだい?以前の戦いを見た限りじゃあ、あまり強くはなさそうだけどよ。よければ兄貴と仮契約してくんねぇか?」
「仮契約ってキスのことか?断固拒否に決まってんだろ。たしかに私は一切の戦闘スキルを有していないが、非戦闘スキルに関しては劣等感(じしん)があるんでな。直接戦闘以外でなら役に立てると思うぜ」
「たしかに全然弱かったもんね。……ナイフは怖かったけど」
私の返答に呆れたように神楽坂が笑う。しかし、その笑みは自身のトラウマを隠そうと少し引き攣ったものだった。
「それで、私たちは関西呪術協会とやらの刺客を倒せばいいんだな?」
「はい。千雨さんには、今日みたいに妨害があったときに、クラスの生徒達のことを頼みたいんです。僕と明日菜さんで襲ってきた敵の相手をしますから」
真剣な表情で決意を固めるように拳を握るネギ。すでに私が敵の情報をもっていることは黙っておく。この事件について、私がどういった立場を取るかが自分の中で明確には決まっていないからだ。相手の目的はネギの親書とはわずかにズレていることだし。
「だがよ、兄貴。敵は内部にもいるのかもしれねぇぜ。ほら、桜咲刹那って言ったろ?電車の中で怪しい動きをしてたやつ」
そこで、ネギの肩の上でオコジョが面白いことを言い始めた。これだ、と直感した私は自身の口元に薄く笑みを浮かべた。あとは情報の断片をどうやって組み合わせて嵌め込むか……。
「たしかに危険そうだな。これ見よがしに武器なんて持ち込んでるし。修学旅行に刀を持ってくる必要なんて無いだろ?」
「で、でも……桜咲さんは剣道部ですし……それで」
「他のクラスにも剣道部は何人かいるけど、他に刀を持っている奴なんていないぜ。これは、いざというときにあんたを襲うためじゃないのか?」
自分の生徒を疑いたくないのか、消極的な意見を出すネギにすぐさま反論する。そして、予想通りにオコジョは私の意見に乗ってきた。
「そうだぜ!やっぱりあの桜咲って女は敵のスパイだったに違いねぇ!さっさと囲んで倒しちまおうぜ!」
「いや、それはやめた方がいい」
積極的な意見を出すオコジョだが、それをされては私の方が困る。議論の方向性を修正しておこう。
「桜咲の実力は未知数なんだろ?私は戦闘には使えないし、二人だけで確実に勝てる相手なのか?もしかしたら任務はあんたらの監視だけなのかもしれないし。戦力が二人しかいない以上、避けられる戦闘は避けるべきだ」
「だけどよ、野放しにしておいて肝心な場面で邪魔されちゃたまんねぇぜ」
「分かってる。だけど、偶然にも桜咲とは同じ班だ。明日から私があいつの動きを監視しておいて、何かあったら連絡する。それでどうだ?」
「……嬢ちゃんの案が無難そうだな。実際に妨害行為を行ってるのは外部の連中だし。兄貴たちはそっちに集中した方がいいか」
その作戦案にネギと明日菜も揃って頷いた。二人とも明日からの指針が決まって安堵したような表情を浮かべている。当面は私が桜咲の監視、ネギと明日菜が外部からの妨害への対応ということになった。これで二人を桜咲から引き離すことに成功。内心で予定調和にほくそ笑みながら、今夜は二人と別れたのだった。
しばらく旅館の中を散策していた私は、目的の人物を見つけ、薄笑いを浮かべる。それは、客室の通路を掃除用具を手に歩いている女性だった。一見すると、ただの従業員だが、私には彼女が別の目的でこの場にいることが分かる。
「コソコソと変装して素性を隠して、目的を隠して……。それは私の過負荷(マイナス)にとっては完全に逆効果だぜ」
相手に聞こえないように、小声で嘲るように言い放つ。隠し事とは、つまりは負い目や弱み。この過負荷(マイナス)は、それらのことごとくを感知して看破できるのだ。誰にも知られてはならない計画なのだろう。その気持ちは、私にとってはマイナスに作用する。やはり、新幹線の中で妨害行為を仕掛けていた女と同一人物だ。あとは、これらの情報をどうやって当てはめていくか……。この場を去っていく私の顔には、気持ち悪い笑みを浮かんでいた。
旅館の部屋の一室を訪れた私は、入浴の準備をしていた桜咲に声を掛けた。
「よ、桜咲。ちょっといいか?明日の班行動のことで話があるんだが……」
「はい。大丈夫ですよ」
「じゃあ、外で話そうぜ。部屋はちょっと騒がしいしな」
呼び出した桜咲を連れ出して廊下をゆっくりと歩いていく。しばらく歩いていると怪訝そうに尋ねてきた。
「あの、どこまで行くのですか?あまり遅くなると入浴の時間に間に合わなくなってしまいますが」
「ああ、ちょっと人に聞かれたくない話でな。ええと……この辺でいいか」
そう言って、私は旅館の裏口の扉の前で進むのを止めた。疑問符を頭に浮かべた桜咲はじっと私の顔を見つめている。といっても、別に桜咲に話なんてない。ただ、この場に呼び出す口実として言っただけの口から出任せだ。しかし、そんなことを言えるはずもない。とりあえず、桜咲が喰い付きそうな話題と言えば……
「桜咲って同性愛とか興味ある?」
ぶふっと桜咲が吹き出した。慌てた様子で両手を正面でひらひらと振り回す。
「なななっ、何を言い出すんですか!?ま、まさか長谷川さんっ!」
「いや~、桜咲ってそっちの気があるのかなって思ってさ。あ、いや別に否定してる訳じゃないぜ。恋愛であれば私はどんなものでも応援するつもりだし」
「ありませんよ!……はぁ、どうしてそんな話が」
頭痛を抑えるように片手を額に当てて溜息を吐く桜咲。しかし、次の私の言葉によってさらに盛大に頭を抱えることになる。
「だって、いつも隠れて近衛のこと眺めてるじゃん」
「うぇええええっ!気付いてたんですか!?」
一度落ち着いた桜咲は再び大声で絶叫した。その狼狽振りには、普段の物静かな面影は微塵も残っていない。耳まで真っ赤にして恥ずかしそうに身体をよじっている。少しの間、私はその様子を楽しく観察していた。
そして、ようやく準備が整ったようだ。通りの向こう側から、こちらへ走ってくる人影が視界に映った。いや、それは人影というよりは猿の着ぐるみだったのだが……
「あれって近衛じゃねーか」
「え?お嬢様が!?」
私が指をさした先には、猿の着ぐるみに抱えられた近衛の姿があった。近衛は着ぐるみの腕の中で眠っているようだ。一心不乱に人間を抱えて走る姿は、何か切羽詰ったものを感じさせる。というか近衛が誘拐されていた。即座にそれを察知した桜咲が怒りの形相で刀の鞘に手を掛ける。そして、次の瞬間――
「貴様ぁああああああ!」
――剣閃
瞬間移動したように猿の懐に潜り込んでいた桜咲。その日本刀による強烈な一撃が、すれちがい様に猿のきぐるみを斬り裂いていた。バタリとその場に倒れ伏す女。そして、桜咲の腕には近衛が抱かれている。
「うぐぅぅ……何や、あんたは」
桜咲に受けたダメージでうずくまっていた女は、フラフラと足元のおぼつかない様子でこちらへ歩き出した。あの一撃を受けて立っていられるのは、身に纏っていた猿の着ぐるみのおかげだろう。しかし、その着ぐるみも先ほどの剣を受けて消え去っている。
「ぐっ……神鳴流の剣士が護衛についてたんかい。この場は引いて作戦立て直しや」
「貴様っ!逃がすか!」
激昂した桜咲は再び女へ斬り掛かろうと刀を握り締めた。しかし、腕に抱えている近衛に気付き、それを一瞬躊躇ってしまった。そして、その隙に裏口から逃げようと私の元へと女が走ってくる。
「邪魔や!さっさと失せや!」
「うわっ……!」
扉の前にいた私がドンッと女に突き飛ばされた。強く押されてあっけなく床へと倒される。転倒した私を見て桜咲が心配そうに声を上げた。
「長谷川さん!」
「次こそは、近衛お嬢様の身柄を確保させて頂きますわ」
女は捨て台詞を残して裏口から逃げ出そうとする。しかし、握ったドアノブからはガチャリという硬い感触。
「なっ……ちゃんと鍵は開けておいたはず!?」
「貴様はここで仕留める!」
ガチャガチャと必死にドアノブを動かすも、扉は一向に開く気配は無い。それも当然。さっき私が逃げられないように扉に鍵を掛けておいたのだ。予定犯行時刻と逃走ルートを知っていれば、この場に桜咲を配置しておくだけで阻止できる。慌てて鍵を外そうとするが、桜咲相手にそんな時間の余裕はない。すでに桜咲は疾風のごとき速度で誘拐犯の元へと跳び掛っていた。
「ちっ……なら!お出でませ!猿鬼!熊鬼!……ってあれ?」
自身の内ポケットへと手を入れた女は、その顔を驚愕に歪ませた。
「探し物はこれかい?」
床に倒れながら、私は手に持った紙の束をひらひらと振ってみせる。それは、女の内ポケットに隠されていたお札の束。さっき押し倒されたとき、こっそりと手を伸ばして盗み取っていたのだ。注意が完全に桜咲に向いていたため、私は無警戒で相手の切り札を奪うことができた。失態を悟った誘拐犯は私を憎々しげに睨み付けるが、もはや札を取り戻すことはできない。なぜなら、目の前には日本刀を振り上げる桜咲の姿があったからだ。
「神鳴流奥義――百烈桜華斬!」
――桜吹雪のように吹き荒れる無数の斬撃に、女の全身から血飛沫が花弁のように舞い散った。
身体中を斬り刻まれ、血の海に沈んだ誘拐犯。しかし、どうやら息はあるようだ。近衛を床に寝かせた桜咲は、片手で握った鞘に刀を収める。そして、倒れている私に手を差し出した。
「大丈夫ですか?」
「ああ、ちょっと押されただけだよ」
桜咲の手に掴まり、勢いよく立ち上がる。近衛は無事に取り返せたようだけど、この血達磨はどうしたもんか……
「お嬢様を救出を手伝ってくれてありがとうございました。それで長谷川さんは……ええと、魔法生徒なのですか?」
「いや、違うぜ。だけど魔法のことは知ってる。っと、それはともかく、この誘拐犯を連れて行ってくれよ。こんなの放置しておけないだろ?私の力じゃ運べないしな」
床に倒れた女を視界に入れると、得心したように桜咲が頷いた。真っ赤に染まった物体と血溜りは思いのほか目立っている。
「そうですね。彼女からお嬢様を狙った連中についての情報を引き出さないといけませんし」
「近衛のことは、起きるまで私がここにいるから安心しろよ。詳しい話はあとにしようぜ。人が来ると面倒だ」
「わかりました。では、お嬢様をよろしくお願いします」
シュッと消えるように桜咲と誘拐犯の姿が消え去った。それにしても、二人分の重量でこんな速く動けるのか。本当に同じ人間なのかと呆れてしまう。私には近衛を背負って運ぶほどの筋力も体力もないので、隣に座って起きるのを待つとしよう。とりあえず、血の跡だけは拭いておかないと……
「千雨ちゃん!大変なの!このかが誘拐され……ってこのか!?」
「え?千雨さんが取り戻してくれたんですか?」
ドタドタと走ってきたのはネギと神楽坂。二人は私の隣に寝ている近衛を見つけてに驚きの声を上げた。どうやら近衛を追ってきたらしい。無事を確認した二人は安心したようにホッと息を吐き出した。
「千雨ちゃん、ありがと。でも、このかを誘拐したあの女はどうしたの?」
「ここらを散歩してたら、急に近衛を抱えて猿の着ぐるみが走ってきてな。何とか取り返したんだが、犯人の方は捕まえられなかったよ。悪いな」
「ううん!全然!このかを取り返せただけで十分よ」
「そうですね。でも、どうしてこのかさんを狙ったんでしょうか……」
ネギが考え込むように唸っている。それを横目に見ながら、私は展開が思い通りになっていることに一安心していた。
「あんたに対する牽制なのかもな。生徒が誘拐されたら修学旅行どころじゃないだろ?」
「そんな……だからって関係ない生徒達を巻き込むなんて!」
怒りに燃えるネギ。そこにもうひとつ火種を放り込んでやる。
「それと誘拐犯の女なんだが、実は桜咲が連れて行っちまった」
「「ええっ!?」」
「たぶん二人は一緒に動いてるぞ」
いかにも桜咲が敵側の人間だと言う風に言葉を選んで話してやる。これでネギと桜咲が協調路線を取ることはないだろう。そして、これは桜咲のためなのだ。
彼女の望みは『近衛をあらゆる敵から守ること』。それは確かにその通りなのだろう。だが、その裏に隠された本音に私は気付いていた。
――このちゃんに感謝されたい。愛されたい。
その願いを私は応援する。ネギと神楽坂が近衛の護衛に回ってしまえば、戦力外の私を抜いたとしても人数は三人。感謝の度合いが三分の一に減ってしまうのだ。近衛の安全は桜咲だけで守らなければならない。安心しろよ、桜咲。
「お前の恋は、私が叶えてやるからさ」