――あれから様々なことがありつつも、私は無事に三年生へと進級していた。
成績については……ま、学年の平均くらい。三学期の期末試験はネギの課題のために勉強合宿があったので、テスト勉強も結構やったし。そして、クラスの成績を学年トップにするという課題を達成したネギは、今年から私達のクラスの正式な担任となったのだった。
そして、新学期初日――昏睡した佐々木まき絵が桜通りで発見された。
気を失っているだけで命に別状は無いそうだが、校内では桜通りの吸血鬼の仕業だと騒がれていた。佐々木の他にも襲われた生徒がいるらしい。情報の流れに意図的なものを感じた。
その日の放課後、私は桜通りで待っていた。空が薄暗くなり、街灯に電気が点き始める時刻。生徒達はほとんどが寮へと帰っただろうか。街灯の鉄柱に寄り掛かりながら、私はただその場に佇んでいた。待っている相手はもちろん――桜通りの吸血鬼。
「――来たか」
隠れている気配を感じて振り返ると、そこには身体をすっぽりと覆うほどのサイズのローブに身を包んだ人影があった。影になってその顔を見ることは出来ない。しかし、それが私の待ち人であると理解できた。
「待ってたよ。桜通りの吸血鬼さん」
「ほぅ……気付いていたか。私に何の用だ?と言っても決まっているか。私を止めに来たのか」
その小柄な人物からは少女のようなかわいらしい声が発せられた。ローブで表情を隠しながらも、その口元が薄く笑みを浮かべているのが分かる。
「とりあえず、そのフード取ってくれよ。何か話しづらい。そうだろ?――マクダウェル」
「そのくらいは知っていたか、長谷川千雨」
フードを外すと、黄金のような長くきれいな金髪が風に揺れた。美しい金色が闇夜に映える。そこには見慣れた顔があった。クラスメイトのエヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。小学生にも見紛うほどの体躯の少女は、その実、封印されし伝説の吸血鬼であった。
「私の吸血行為を止めに来たか。貴様がクラスメイトを心配するような殊勝な心を持っていたというのは意外だが……。しかし、悪の魔法使いたる私の前に立つとは無謀な――」
「おい、ちょっと待て!私はあんたの邪魔をしに来た訳じゃない」
「ならば、どうして私を待ち伏せていた」
鋭い瞳で睨みつけてくるマクダウェルに両手を振って敵意がないことを示す。私は吸血鬼退治をするために待っていた訳じゃない。むしろ逆だ。正面の吸血鬼は懐から試験管らしき物を取り出した姿勢で動きを止めていた。私の口元が吊り上がり歪んだ笑みが浮かぶ。
「――私の血を吸わせてやろうと思ってな」
驚愕に目を見開くマクダウェル。自身の制服のタイを緩めて首元を露出する。訝しげにこちらを見つめてくるのを感じるも、私は気にせずに歩み寄っていく。
「それに『悪の魔法使い』?何を言ってるんだ。あんたは何も悪くなんてない」
マクダウェルとの距離が一歩ずつ縮んでいく。その顔には苦虫を噛み潰したような表情が張り付いていた。汚物を見るような目で気持ち悪そうに唇を噛んでいる。
「だって、――恋のための行動に間違いなんてないんだから」
「……何を言っている」
「好きなんだろ?その、ナギ・スプリングフィールドって男が……」
「なっ、何を言っている!貴様!なぜ私があんなやつのこと!」
その言葉に急激に顔を赤くしたマクダウェル。あわあわと狼狽したように両手を振って叫ぶ。それはスキルなどなくとも図星だとわかる有様だった。しかし、すぐにスッと表情が鋭く冷たいものに変わる。
「なぜ、貴様がそれを知っている」
「どうしてって、見れば分かるとしか言えないな」
はぐらかす私の返答に、しかし、マクダウェルは得心したように頷いた。
「そうか……いや、なるほど。――それが貴様の『事故申告(リップ・ザ・リップ)』か」
「へえ、知ってたのか。私の過負荷(マイナス)を――」
私のような強さの欠片もない人間のことを、最強種である真祖の吸血鬼が知っていたというのは多少意外なことだった。力を封印された今の状態ですら、私など歯牙にかけないほどの実力を持っているんだし。いや、そもそも私は戦闘スキルなんて持ち合わせてないんだけどな。そう、私のスキルは彼女の言うとおりだ。
――『事故申告(リップ・ザ・リップ)』
その過負荷(マイナス)の効果は――『他人の隠し事を暴くこと』
私の前ではすべての隠し事は意味を成さない。心の中に秘めた恋心も、破滅をもたらす犯罪の証拠も関係なく、そのことごとくを暴いてしまうのだ。
「三年振りか……。嫌なことを思い出させてくれる。やはり、あの男を野放しにしておくべきではなかったか……」
マクダウェルは唾棄するように言い捨てる。心底忌々しそうな口振りには、言いようのない負の感情が込められていた。
「球磨川禊とか言ったか……。あの男を学園に入れるべきではなかった。そのせいで、貴様のような人間が生まれてしまったのだからな」
「球磨川さんを知ってるのか!?」
「あの男が学園に侵入したのが三年前。そして、まともな人間ではないことを一目で理解させられた。ジジイも同じ判断をした。当然だろう。人間とはあれほどまでにおぞましくなれるのかと思ったよ。本当の意味で私が戦慄したのは何百年前だったか……。その感覚を一瞬にして思い出させられた。関わることすらしたくないと思ったのは初めてだったよ。世界中からありとあらゆる負の要素をかき集めて凝縮したような存在だった」
球磨川さんへの賛辞の言葉に私は嬉しさを隠しきれない。どうしても、だらしなく表情が緩んでしまう。そんな私に顔をしかめながら、マクダウェルは昔話を続けていく。私の運命を変えた三年前の出来事を――
「当時、ジジイは球磨川禊の学園都市への侵入を阻止しようとした。そのメンバーの中には警備員を任されている私もいた。総動員された学園の魔法使い連中。その戦力はこの旧世界でも屈指のものだったろう。だが、結果的に球磨川禊は、好き勝手に学校見学をして帰っていっただけだった」
薄気味悪そうに吐き捨てる。その顔にはおぞましさや薄気味悪さがまざまざと浮かんでいた。
「私達の警備の隙を縫うようにして、悠々と学園の敷地内を闊歩していた。魔法も気も使えない中学生に、当時の学園都市はしっちゃかめっちゃかにされたのだ。そして、その学校見学ツアーの最後にあの男が出会ったのが貴様だ」
警戒と戦慄を込めて指し示したのは私だった。
「会話の内容は聞き取れなかったが、それ以来、学園都市内での貴様の行動には注意を払っていた」
「それはご苦労なことだな」
「そして、――貴様がWEB上に作ったサイトのこともな」
その瞬間、マクダウェルから受ける威圧が強くなった。重苦しく今にも押し潰されそうな空気。捕食者が天敵に会ったかのような危機感。冷たく暗い敵意が突き刺さる。一体なぜそんなに怒っているんだ?ただ、球磨川さんを見習っただけなのに。
「サイト名『事故申告(リップ・ザ・リップ)』。ま、私の過負荷(マイナス)の名前なんだけどな。それがどうかしたのか?ただの情報サイトだぜ」
「ただの?笑わせてくれる。あれが情報サイトなんて有意義なものか」
「ま、それは仕方ないさ。私の作るサイトが有意義(プラス)なはずないだろ」
私が開設したのは負の情報を集めたサイト。動機は球磨川さんへのリスペクトだ。結果的にそのサイトは爆発的な大成功を収めた。いや、大失敗を収めたというべきか。
「『結界中学』、『檻舎第二中学』、『酒甕中学』……。知っているだろう?――貴様が廃校にしてきた学校だ」
「そうだな。この辺りでは割と有名な中学を狙ってみたんだが。で、それがどうしたんだ?」
その言葉にいっそう私への威圧感が高まった。偽悪的なことを言っても、中身は意外と人道的なようだ。別に関係ない中学校がどうなろうと構わないだろうに……。私としては、球磨川さんを真似ていくつかの中学を廃校にしてみようという、ただの興味本位のものだ。おかげで過負荷(マイナス)の使用法がよく分かったので、その点では有意義だった。
「真実は劇薬ってのは本当だったみたいだな。隠された心の中身をネット上にぶちまけてやっただけで、あんなひどい有様になるなんてさ」
私がやったのは単純なことだ。まず、休日を利用して標的となる中学校を回る。全校生徒を探して近付き、隠された秘密を奪い去っていく。そして、その秘密をネット上の私のサイトに本名を添えてすべて暴露するのだ。早朝の中学に忍び込み、すべての教室の黒板にペンキでホームページのアドレスを書いておけば、すぐに崩壊が始まる。
友人しか知らないことが次々とサイトに書き込まれているのだ。それも、後ろ暗いことばかり。疑心暗鬼が広がっていくのは当然の帰結である。これが第一段階。醜い犯人探しが始まり、心の底では誰も信じられなくなる。
次の段階として、本人しか知らない出来事を書き込んでいく。全校生徒の後ろ暗い情報を暴露するのだ。誰しもがひとつくらいは、他人に知られたら破滅だという秘密を抱えているもの。この段階でサイトの情報の精度の高さを実感する。ここに書かれていることは全て事実だと確信させられるのだ。自分の情報が正しいのだから、当然他人の情報も正しいと思うはず。リークではなく、超常的な何かによる悪意だと気付くだろう。しかし、もはや疑心暗鬼を繰り返した彼らに再び団結などできるはずもない。信頼し合うこともできず、サイトを見るのをやめることもできない。誰もが他人の秘密は知りたいのだ。全校生徒がすべての悪い秘密を晒されることになる。
そして、最終段階。学校全体に恐怖と不安が覆っている。サイトに書き込まれる情報を戦々恐々しながら覗く日々。すでにクラスメイトからの視線には、自身への糾弾と軽蔑しか感じられないほどに疑心が根付いてしまっている。そこで最後の一押し。嘘を混ぜるのだ。例えば、相田と飯田と上田が、同級生の女子の小田を卒業までに輪姦しようと計画しているとか。いじめられっこの岡田が自分をいじめていた菊田を殺害しようとしているとか。本人が否定しようと誰も信じない。もはや、私の情報を疑うことは出来ないのだ。サイトに書かれた情報は共通認識として真実にされる。予告された被害者は恐怖するだろう。その恐怖は容易に殺意へと転換する。
――学園は地獄絵図と化した。
「ま、そんな感じだ。一番上手くできた学校で確か……生徒と教師合わせて半数以上が病院送りになったかな。死人の数は覚えてないが」
「貴様……!」
「整合性や力関係を考慮するのがコツだな。慣れてくれば情報だけで人は操れる」
楽しそうに自慢話を語る私を憎々しげな表情で睨みつけている。いや、これは私に非があるか。他人の自慢話なんて退屈なだけだからな。心の中で反省の言葉をつぶやきながら、マクダウェルの目の前にひざまずく。抱き締めるように首元を彼女へと近付けた。
「ま、いいや。それよりほら、血を吸えよ。必要なんだろ?」
「……それで貴様に何のメリットがある」
疑っているようで、マクダウェルはなかなか口を付けない。不気味な雰囲気に罠を感じてしまったのか。しかし、誓って言うが私に他意なんて無い。純粋に彼女の恋を応援しているだけなのだ。
「恋に生きる女はすべて私の同類だ。仲間の恋路を応援するのは当然だろう?悲恋にしちゃうこともあるけど、それでも恋には違いない」
「……狂人め。それだけの数の人間を地獄に落としておいてよく言う。しかし、魔法的・呪術的な仕掛けも感じられない。罠ではない、か……」
「だから、言ってるじゃねーか。私はあんたの手助けをしたいだけだって。それに、あんただって心の底では、関係ない他人から血を吸うのに罪悪感を覚えているんだし」
しばらく考えたのち、吸血鬼は私の首元に牙を突き立てた。その顔は苦渋に歪んでいる。勢いよく血が減少していく感覚。次第に私の意識は遠くなり、視界が黒に覆われるのだった。