子供先生が私達のクラスの担任になってから数日が過ぎた。授業内容は特に問題なく、普通に教師を勤めることができている。ただ、たまに子供だからという理由で面倒事が起こることがあり、今日のこれもそうだった。
「私達が勝ったら子供先生を頂くわ!」
「上等よ!その代わり、私たちが勝ったら二度とくだらないちょっかい掛けてこないでよね!」
授業時間を利用したレクリエーションで、私たちのクラスはバレーボールを行う予定だった。しかし、中等部校舎の屋上には嫌がらせをするように高等部の先輩方が陣取っていた。聖ウルスラ女子高等学校2-D。最近、うちのクラスにちょっかいを掛けてくる連中だ。わざわざ中等部に喧嘩を売ってくる理由が――子供先生を自分のクラスに欲しい、というもの。さすがに呆れて言葉も出ない。
勝負の方法はドッジボール。ハンデとして高校生側が11人対中学生側が22人。ドッジボールでは人数はあまりハンデにならないと思うのは私だけだろうか。ま、戦力的にはこちらが圧倒的に上なんだけど……。
「それじゃ、行くわよー!」
神楽坂が凄まじい威力のボールを投げつける。一般人の枠内としては強烈な一撃。それを相手の高校生は軽々と片手で掴んでいた。
「なっ!」
へえ、と感嘆の声が漏れる。神楽坂の運動神経はかなりのものだ。そのボールをあっさりと受け止めるとは、この先輩方も並ではない。ま、私にはその理由が分かっているけど……
「千雨ちゃん!」
「え?……ぐべっ!」
相手の投げつけたボールが私の顔面にぶつかり、情けない声と共にぶっ倒された。
「ちょっと大丈夫!?」
「うぐぅ……だ、大丈夫だ」
無様に仰向けに倒れた私に駆け寄ってくるクラスメイトたち。手をひらひらと振って無事を示しながら、外野へとふらつきながら出て行く。
「ほほほっ!私たちは関東大会優勝チーム!麻帆良ドッジ部『黒百合』!あなたたちに勝ち目なんてないわ!」
自慢げな高笑いをする先輩たち。彼女たちはドッジボール部員。そもそもが自分たちに有利な勝負だったのだ。当然、帰宅部員で半ばネトゲ廃人の私が太刀打ちできるはずもない。顔面は反則だろ、なんて言うこともなく素直に外野へと移動する。それからは、意外にも順当にうちのクラスが当てられる展開だった。
「きゃん!」
「うわぁ~です」
見る見る内に減っていく内野陣。異能力者や超人連中は手を出さないようだ。適当にぶつかって外野へと移っている。そのため、神楽坂などの『気』の使えない面々が主力。ま、負けたからって本当に担任が代わるはずもない。せいぜいが一日ネギが愛でられる程度だろう。はっきり言って中高生のじゃれあいだ。おかげでレクリエーションとして成り立つ程度には試合は白熱していた。
「どう?ぶつけられた顔の具合は」
「ん?ああ、傷ひとつ付いてないよ」
「そりゃよかった」
座り込んで休んでいる私に声を掛けてきたのは、早乙女ハルナだった。いつも一緒にいる綾瀬と宮崎の姿もある。三人は試合を観戦しようと私の隣へと腰掛けた。早乙女は漫画を描くのが趣味という陽気なオタク女子だ。ときおり訳の分からない台詞を垂れ流すのが困りモノである。
「にしても、千雨ちゃんが一番だよねー。このクラス、ラブ臭が全然だしさ。恋バナ聞かせてよ」
「何だよ、そのラブ臭ってのは……」
「またハルナの病気がはじまったです」
何やら鼻息を荒くして詰め寄ってくる早乙女と、それを呆れたように眺めている綾瀬と本屋。早乙女はキラキラした瞳で私の顔を覗きこんできた。
「ほら、噂の千雨ちゃんの片思い相手のこと!どうなったの?」
「ん?聞きたいのか?」
「うんうん!」
食い入るように顔を近づけてくる早乙女。綾瀬と宮崎も少し顔を赤らめながら、聞き耳を立てているのが分かる。興味津々みたいだし、三人に少し私の恋を教えてやるか。私としても球磨川さんのことを話すのはやぶさかではない。というか誇らしい気分だ。
「ええと、球磨川さん……だったかな。どこに通ってるの?たしか高校生だったよね」
「今月からは球磨川さんは水槽学園に転校してるぜ」
「へー、水槽学園っていったら全国有数の名門校じゃん。頭いいんだね」
「ですが、転校というと、御両親の都合か何かですか?」
「いやいや、そうじゃねーよ。そんな幸せ(プラス)な理由のはずないだろ?」
笑いながら手をひらひらと左右に振る。むしろ、球磨川さんに親が存在しているということが想像できないくらいだ。それほどにあの人は存在として完結している。
「もちろん、通っていた学校を完膚なきまでに廃校にしちゃったからだよ」
笑顔で誇らしげに口にする私の姿を、三人は理解できないといった風な表情で見つめていた。目を丸くして絶句している。
「球磨川さんは定期的に通う高校を潰しちゃってさ」
「は、廃校というと……」
「ん?文字通りだよ。何もかも、教師も生徒も、校舎も校庭も、規律も自由も、すべてを根こそぎに破壊しつくした」
球磨川さんの通っていたいくつかの学校の名を答えてやると、綾瀬の顔が見る見るうちに曇っていった。それらは、どれも日本有数の名門校でありながら、ここ数年の内に廃校となっていたのだから。その有様は、マスコミどころか噂ですら流れないほどに悲惨なものだったという。
「……これ、ですよね」
綾瀬が携帯電話から開いた画面には、廃墟としか言いようのない風景が映っていた。そこはかつて球磨川さんの通っていた高校のひとつ。どんな異常な出来事が起こればそうなるのかというほどに、荒れ果てて朽ち果てた校舎の姿であった。
「やっぱり球磨川さんは凄いよな。本当に憧れるぜ」
「ち、千雨さん……」
その画像を見て、私は晴れ晴れとした表情で明るい声を漏らす。さすがは球磨川さん。私程度では到底真似のできない最低(マイナス)な行為だ。しかし、そんな陶酔した表情を浮かべる私に、三人は得体の知れない何かを見るような視線を向けていた。
「そうだ。せっかく素敵な写真見せてもらったことだし、お返しに球磨川さんの写真見せてやるよ。携帯に保存してるからちょっと待ってな」
パカリと携帯を開いて待ち受け画面を見せてやる。そこには、パジャマ姿の男子高校生が写っていた。黒髪黒眼、中肉中背の一般的な男子である。むしろ童顔で年の割にはかわいらしい容姿といえるかもしれない。それを見た三人は拍子抜けしたように安堵の息を吐いた。もしかしたら、悪魔のような恐ろしい男を想像していたのかもしれない。ま、私にはこの映像からでも、球磨川さんの埒外なまでの不気味さや気持ち悪さを感じることができるんだけど。しかし、綾瀬が何かに気付いた風に疑問の声とともに首を傾げた。
「あれ?この写真、おかしくないですか?」
「夕映、おかしいって?」
「いえ、この写真の角度というか……。格好もそうですし……」
それを聞いて私には綾瀬の疑問に気が付いた。ポンと自分の手を叩く。
「ああ、それは隠しカメラの映像だからだよ」
「え?」
「だからカメラ目線でもないし、私室でのパジャマ姿なんだよ。さすがにヌード写真は、私だけの秘蔵品だから見せられないけどな」
球磨川さんの風呂に入るときの映像とかマジで最高。垂涎モノの一品だぜ。そう、球磨川さんの部屋にはいくつもの隠しカメラが仕掛けてある。当然、盗聴器も仕掛けてあるので、部屋での背筋の凍えるような気持ち悪い声もしっかり録音済みなのだ。そこまで話したところで、三人の顔は未知の化物にでも直面したかのように引き攣った。
「ほら、こういうの作ったりとかな」
『千雨ちゃん、最高に、かわいいよ』
盗聴した音声を加工して作成したファイルを再生する。何度聞いても心がときめいてしまった。私の顔は真っ赤に上気し、うっとりと表情が緩んでしまう。この発想を思いついたとき、私は自画自賛してはしゃいだものだ。おかげで毎日球磨川さんの声を聞いて過ごせるんだから。
「ス、ストーカー……」
青ざめた顔で震えた声を漏らす早乙女。
「ストーカー?それを恋に生きる一途な女、という意味で言っているのならその通りだな」
「……その行為から一途な恋を連想するのは、本物のストーカーだけなのです」
「ひどいこと言うなよ、綾瀬。私は球磨川さんに迷惑なんて掛けてないぜ。それどころか、私の存在を一切知られないようにしてるし。だって、球磨川さんとの再会は運命的に決まってるんだから――」
かつて約束した球磨川さんとの再会。それは、やっぱり運命的であってほしいというのが乙女心である。球磨川さんの方から会いに来て欲しいというのもある。
「宮崎なら分かるんじゃないか?」
「え……そ、そんな…」
同じく恋する乙女である宮崎になら私の気持ちが――
いびつに歪んだ口元に笑みを浮かべ、瞳を覗き込むように顔を寄せる。恋をしているなら理解できるはずじゃないか。しかし、宮崎の瞳には醜悪な怪物を目の当たりにしたような恐怖に怯えだけが写っていた。
「わ、私の想いはそんなのじゃ……」
「本当に?」
「ひっ……い、嫌……」
蛇に睨まれたかのように身を竦め、恐怖に息を呑んだ。隣にいる綾瀬と早乙女も完全に負の感情に呑み込まれてしまう。それを救ったのはポンと宮崎の肩に置かれた掌だった。
「ほら、もうすぐ試合が終わるネ。応援してあげるよろし」
「超…さん……」
はっとした様子で我に帰る宮崎。その顔は死人のように青ざめ、憔悴しきっていた。他の二人も似たような有様だ。どうやら怖がらせてしまったらしい。自身のマイナス性を抑え、元の空気に戻す。冷え切った周囲の温度が一気に上がったように感じただろう。三人は私から離れるように立ち上がり、ドッジボールの応援に戻っていった。そして、この場には超と二人だけが残される。
「あんなに過負荷(マイナス)を撒き散らして、クラスメイトを恐がらせるのは関心しないヨ」
「いや、恐がらせるつもりはなかったんだが……。恋について語ってたら熱くなっちまってな」
「ひどい寒気と吐き気を催したネ。死体安置所(モルグ)にでもぶち込まれたかと思たヨ」
やれやれと超は困ったように肩を竦めた。そして、小さくつぶやく。
「これが過負荷(マイナス)――やはり、私の目的には関わって欲しくない人種のようネ」
そんなことを話している間に、ドッジボールの試合は決着がついたようだ。勝者は私達2-A。最後にネギが派手に魔法をぶっ放してたみたいだが、それは見てみぬ振りをしておこう。