――まほら武道会二回戦。その直前、控え室で私とネギは準備を整えていた。とはいえ、私もネギも準備するのは自身の着替えくらいなので、係員に呼び出されるのを待っている状況である。私はゆったりと椅子に座りながらネットサーフィンを楽しんでいた。しかし、なぜか試合前とはいえ、ネギの表情が固い。青白い顔で掌を握ったり閉じたりと落ち着かない様子だ。
「あ、あの!千雨さん!ちょっと聞きたいことが……!」
意を決したようにこちらへ振り向いたネギは、迷ったように口を開く。
「他の先生に聞いたんです……千雨さんが…あの……人を殺したって」
「はぁ?え、何だよそれは……?」
今にも泣き出しそうな顔で見つめるネギに、私は意味が分からないという風に肩を竦めてみせた。予想外の私の反応に、ネギの表情は驚いた形のまま固まってしまった。
「おいおい、何言ってんだよ。どうして私が人を殺さなきゃならねーんだ。ってか、誰を殺したことになってんだよ」
「え、だって……さっきガンドルフィーニ先生が…球磨川さんが千雨さんに殺されたって……」
「する訳ねーだろ!ったく、デマに踊らされやがって。球磨川さんをどうして私が殺すんだよ!死体でも見たのか?さっき球磨川さんとは電話で話したところだぜ」
もちろん嘘だ。だが、こいつの性格からして私が潔白を訴えれば、こちらの方を信じるだろう。それに、今の時間軸では実際に生きている訳だし。
「そ、そうですか。安心しました。でも、どうして先生方はそんな嘘を……」
「信じてくれて嬉しいぜ。たぶん、教師連中は私達が選挙に勝つのが嫌なんだろうよ。だから、くだらない風評をばら撒いているんだ」
選挙という言葉に困惑の表情を浮かべるネギ。どうやら選挙について詳しく知らされていないようだ。いや、この学校間の総選挙の規則など教師ですらほとんど知らないだろう。
「この麻帆良学園都市には、ひとつの独特な規則があってな。それは、他校の生徒会執行部の乗っ取れるというものなんだ。敵対者が侵入してきたときに対応するための、魔法学園らしい規則だろ?その規則を利用して、私達の生徒会は麻帆良のすべての学校のトップに立とうとしている。それが気に入らないんだろ」
「そ、そんな……駄目ですよ!千雨さんの方が悪いです!」
「この麻帆良学園をよりよくするためには、改革が必要なんだよ。『麻帆良の最強頭脳』たる超が考案した計画。それを実現させたいんだ」
「超さんが……?」
真剣な表情で説得する私の言葉を受けて、ネギは驚いたように目を見開いた。視線がわずかにブレ、逡巡しているのが分かる。どちらが正しいのか決めかねているのだろう。
「ほら、もう試合の時間だ。行こうぜ」
「ちょっと待ってください。まだ聞きたいことが……」
「試合が終わったらな」
まだまだ聞き足りないといった風に詰め寄るネギをはぐらかし、私は会場へと足を向けた。
「まほら武道会第二回戦!ネギ・スプリングフィールド選手対長谷川千雨選手!奇しくも師弟対決となったぁあああ!と言いたいところですが、一回戦突破したベスト8に女子本校の生徒が五人!しかもその全員が2-A!一体どういうクラスなんだぁあああ!って、私も2-Aの生徒ですが。そんな訳で第二試合、開始します!」
互いに前の試合での負傷の影響はなく、万全の体調。しかし、開始の合図と共に私は、あえて正面からネギへと襲い掛かった。最短距離を駆け寄り、手の中に出現させた鍵を振り上げる。無防備な脳天を叩き割るつもりで力を込めた私だったが――
「がはあっ」
――一瞬にして無様に地面へと叩きつけられた。
感覚としては、まるで巨大なベッドに押し潰されたかのような圧倒的な重圧だった。ゴキリと骨の砕ける音が体内で響き渡る。今の私の姿は床の上に磔にされた、潰れた蛙のような惨状だろう。チッ……いまので肋骨が数本へし折れたか……。
――これが重力魔法。
想像を遥かに超えた威力だった。しかも、これでも手加減をしているのだろう。観客から感嘆の息が漏れる。しかし、あまりにも呆気なく倒れた私の姿に、最も驚いているのは魔法を放った当のネギ本人であった。おろおろと困惑したように視線を泳がせている。
「え?ち、千雨さん……?」
どうもこいつは、私のことを実力者だと勘違いしていた節があるからな。魔法障壁どころか気での強化すらしていないとは思っていなかったのだろう。小手調べのつもりで撃った重力魔法で、ここまでの重傷を負うとは予想外だったに違いない。しかし、その過大評価は私にとっては好都合だ。
「すみません!丈夫ですか!?」
「なに言ってんだ?大丈夫に決まってんだろーが」
何事も無かったかのように立ち上がる私の姿に、ネギはほっと安心したような表情を浮かべた。動くたびに折れた肋骨から走る痺れるような激痛。それを無視して、軽く嘆息して肩を竦めて見せた。
「どんなもんかと思ってわざと受けてみたが……。このくらいで倒せると思われちゃ心外だぜ」
制服に隠れて見えないが、先ほどの攻撃で私の胸の辺りは大きく陥没していた。だが、痛みなんてマイナスにとっては日常のように慣れたもの。余裕ぶった笑みを浮かべながら、再びネギへと向かって走り出した。その瞬間、ネギから受ける敵意が一気に膨れ上がった。
「甘いぜっ!」
反射的に右へ跳躍する。直後、先ほどまで私のいた場所が圧壊し、押し潰された。それを視界の端に捉えながら疾走する。回避されたことに驚きの表情を浮かべるネギだったが、すぐにその口元が引き締められた。
「だったら魔法の射手だ!」
連続して放たれる光線。これは攻撃魔法の基礎である魔法の射手。連続して無詠唱で飛んでくるそれらを、私はタイミングを計って左右に身体を揺らすことで回避する。発射の瞬間さえ分かれば、直線的に向かってくるだけの攻撃を避けるのは容易い。懐に潜り込み、そのまま手にした鍵を振り下ろした。
「おらあっ!」
「ぐっ……」
巨大な鍵をネギの顔面に叩きつける。わずかにのけぞった隙に追撃を仕掛けるため、足を踏み出そうとするが――
「おっと、危ない」
攻撃の気配を感じてその場を飛び退く。その直後、またしても過重力によって空間が潰れてしまうのが見えた。全力でネギの周りを回るように走り出す。激しい歓声が耳に届いた。朝倉の実況がエキサイトし始める。予想外の激戦に観客達も熱狂したように騒ぎ出した。
「おおっと!ネギ選手対長谷川選手!打って変わって白熱の試合展開に突入したぁああああああ!」
会場内を光線と重力魔法が吹き荒れる。それを掻い潜ってネギに打撃を加える私。暴風域に足を踏み入れた私に襲い掛かる嵐を紙一重で避けていく。幾度目になるだろうか。暴風圏内に潜り込んだ私はネギの額に勢いよく鍵の先端を突き立てた。
「喰らえっ!」
全力の突きで頭が後方へ跳ね飛ばされる。反撃を警戒して再びバックステップで距離を取った。ネギの表情が歪む。しかし、それは衝撃や苦痛によるものではなかった。悲しそうな瞳、曇った表情がこちらへ向けられる。
「千雨さん……あなたは…」
――ネギは無傷だった。
何の痛痒も感じていないといった表情だ。度重なる打撃を受けたにもかかわらず、その顔にはわずかな打撲跡すらない。一見すると熱戦だったが、その実、こちらの攻撃は一切届いていなかったのだ。魔法使いが常時展開している魔法障壁、それをたった一撃ですら超えることができていない。全くの徒労。ノーダメージ。これは、私に勝ち目など存在していないことを知ったゆえの、ネギの哀れみの表情だった。
「はぁ…はぁ……おいおい、どうした?休憩かよ。ガキは体力が無くてかわいそうだな」
一方、満身創痍の私は足元をふらつかせながらも、不敵な笑みを浮かべて強がりの言葉を吐いた。タイミングを計って紙一重で回避。しかし、私の体力ではこの激しい魔法の渦を掻い潜り続けるのは至難であった。わずかずつ当たり始めた魔法の雨によって、私の身体はダメージを蓄積させていく。いまや、制服はボロボロに破け、全身から無事な箇所を探す方が難しい有様である。激戦に酔っていた観客達も、ようやく彼我の戦力差に気付いたようだった。会場が一気に静まり返る。
「千雨さん。もう勝負は着きました。ギブアップしてください」
「なに言ってんだ?ずいぶんと余裕だな。まだまだこれからじゃねーか」
圧倒的に優位な状況で生徒を傷つけることに罪悪感を覚えたのだろう。泣きそうな顔で懇願するネギだったが、それに私は鍵を両手で握り締めることで返答する。会場内も私に対して同情的な空気が漂い出していた。だけど、まだまだ、こんなもんじゃ足りない。
「あんたは逆の立場だったら、ギブアップするのかよ?」
「……そうですね。わかりました。ごめんなさい、千雨さん。次で終わりにします」
意を決したように顔を上げ、まっすぐな瞳でこちらを見つめるネギ。それに対応して数え切れないほどに繰り返した突撃をもう一度仕掛ける。この試合、私を知る人間は驚くだろうが、あえて正面からの戦闘に終始していた。最後の突撃も例に漏れず、奇をてらうことなく真っ直ぐに駆け抜ける。ネギから発せられる気配が変質するのを感じた。反射的に左にステップした。しかし、疲労で鉛のように重くなった身体はもはや言うことを利いてくれない。
「があっ!?」
右腕の関節がゴキリと鈍い音を立ててへし折れる。右腕が強烈な重力魔法に飲み込まれた。が、それを意識の上では無視すると、握っていた鍵を左手一本で支えなおす。一切の躊躇すらなく走り続ける私の姿に、ネギの顔に動揺が浮かぶのが見えた。
――その隙を、私は見逃さない
虚を突く形でネギとの距離を瞬時に詰めると、目の前のネギの身体に向かって左手を叩きつけた。魔法障壁で身を守っているネギは悲しそうな瞳でそれを眺めている。しかし、その表情は障壁が呆気なく割られたことで、固まったように凍りつく。
「え?」
「これだけ接触しといて、――魔法障壁の弱点くらい見抜けないとでも思ったか?」
ガラスのように割れた魔法障壁。守りを失って無防備となったネギの身体に、返す刀で追撃を掛けた。もはや無詠唱であろうが間に合わないタイミング。しかし――
「解放(エーミッタム)」
――私の全身を数条の閃光が貫いた。
カウンターで魔法の射手を受けた身体は、意志とは無関係に崩れ落ちようとする。それを震える膝を必死に押さえながら、どうにか倒れるのだけは防いだ。しかし、戦闘不能であることは自分自身で感じていた。
「――遅延魔法です。まさか使うことになるとは思っていませんでしたが」
「チッ……油断はしてなかったってことかよ」
「やっぱり千雨さんはすごいです。だから、いまの僕が無詠唱で使える最大の魔法で決着させてもらいます」
そう言ってネギは目を閉じて精神を集中させる。その隙を突くだけの力は残っていなかった。甘んじて受け入れるしかない。ギブアップする必要も無い。なぜなら、これこそが私の望むところだからだ。
「やれよ」
ツカツカと歩み寄ってくるその姿を眺めながら、気持ち悪い笑みが浮かぶのを抑え切れなかった。ネギの掌が胸に添えられる。
「――白き雷」
目を覚ますと、そこは見慣れない天井。保健室のベッドの上だった。すでに陽が落ちたのか、辺りは暗闇に包まれている。私は薄暗い室内で上体を起こした。引き攣るような痛みを感じ、すぐにベッドへと再び倒れこむ。
「無理はしないことね」
聞こえてきた声に驚き、部屋の隅へと視線を向ける。同時に部屋の明かりが点いた。そこには赤色のナース服を着た高校生くらいの女性の姿があった。
「右腕と肋骨の粉砕骨折、右の鎖骨にもひび、両足のふくらはぎの肉離れ、それに全身打撲。魔法による治療でも動けるまでに四、五日は掛かるそうよ。本当に魔法ってすごいわね。普通なら最低でも一ヶ月は入院するコースのはずよ」
無表情で淡々と話すその女性とはまぎれもなく初対面だ。しかし、私は彼女のことを知っている。朝倉のおかげで万事計画通りだ。
「赤青黄さん、ですね?」
「ええ、私のことは知っているようね。箱庭学園二年十一組、赤青黄よ。よろしくね」
悪平等(ノットイコール)であり、さらに能力所有者(スキルホルダー)でもある彼女。その特徴は異常に長く伸びた右手の五本の爪である。朝倉が探し出した彼女こそが、世界中でも数少ないレアなスキルホルダー、治療系能力者なのだ。
「朝倉ちゃんはこの地域の能力所有者(スキルホルダー)の名簿を独力で作っていてね。それで私のところを訪ねてきたのよ。ま、彼女に貸しを作っておくのも悪くないと思ってね」
「助かります。何かあれば私も手伝いますよ」
「気持ちだけ受け取っておくわ。過負荷(マイナス)に手伝われるなんて、まさにマイナスにしかならないから」
「そうですか。では、治療をお願いしていいですか?」
「ええ、私も明日は学校があるからね。早く終わらせましょうか。安心院さんの使命があるから、学校は休めないのよ」
そう言って赤先輩は右手を前に構えた。その長く伸びた爪でカリッと私の腕を引っ掻く。これが彼女が借り受けた『病を操るスキル』――『五本の病爪(ファイブフォーカス)』。それを応用することであらゆる怪我を治すことが可能なのだ。
「さて、これであなたの怪我は完治したはずよ。どうかしら、痛みはない?」
「……すごいですね。魔法ですら完治できなかった怪我を一瞬で――」
腕を動かしてみるが、何の痛みも感じない。骨折が完全に治っていた。思わず感嘆の声が漏れる。やはり異常性(アブノーマル)や過負荷(マイナス)などのスキルの効力は魔法に全く劣るものではない。用事は済んだとばかりに無表情で去っていく赤先輩を見送りながら、私は満足して笑みを浮かべていた。
「赤先輩、ありがとうございました」
ふと隣の机を見ると、まほら武道会のトーナメント表が置かれていた。誰かが置いていってくれたのか。優勝者の欄に『ネギ・スプリングフィールド』と記されている。超の計画としては理想的な結末だろう。私が無理に勝ちに行かなかった甲斐があったようだ。今回、生徒会役員が全員でまほら武道会に参加した理由。それは――
――私達が壊滅する様を見せるためだった。
一番の目的は衆目の前で球磨川さんを死なせること。次は私たちが一日二日では再起不能の大怪我を負うこと。三番目が超の計画を順調に進めること。学園側の魔法先生に手傷を負わせることなんてのは、正直に言えばついでに過ぎなかった。その意味では今日のところは十分な成果だと言える。
「学園側はこう考えているはずだ。球磨川さんは死亡。生徒会長である私も深手を負っている。過負荷(マイナス)の脅威は半減している、ってな」
そんなことをつぶやきながら、私は携帯電話を取り出して番号を押していく。だとすれば、もしも他の脅威が現れれば、私達への対応は手薄になるはずだ。しばらくの間コール音が鳴り響き、留守番電話へと切り替わる。気持ち悪い笑みを浮かべながら、私は電話先に向かって口を開いた。
「もしもし、学園長ですか?長谷川千雨です。実は超鈴音が企てている計画について話そうかと思いまして……」
――超には強力な囮になってもらうとしよう。