球磨川さんの殺害現場を目撃されてから十数分後、私は何事もなかったかのように観客席で試合を観戦していた。詰め掛けた魔法先生達の隙を見て、私は一週間前に死体を転移させたのだ。超が開発した、対象を強制的に時空間移動させる弾丸。その効果である。それによってこの時間軸から消失した球磨川さんの死体。マイナス側だというのは学園にバレただろうが、おかげで証拠不十分で逃げてこられたのだ。
「にしても、これは予想外だったな……」
第三試合の龍宮vs古菲は、観客達の期待に応えて古菲の勝利であった。続いて行われた第四試合。現在行われている試合だが。その舞台上では、麻帆良でも上位クラスの戦闘者である長瀬が――ボロボロになって倒れていた。
「勝者!月詠選手!」
まさかこいつが麻帆良に来てるとはな……。修学旅行で敵対していた二刀の剣士。桜咲と同じく神鳴流の使い手であり、その戦闘力は彼女と同等以上である。来訪の目的は仕事か桜咲への復讐か、あるいはその両方。どちらにせよ厄介な敵が増えたことには変わりない。
しかし、長瀬もただでやられたわけではなく、舞台上には数々の破壊跡が残されていた。月詠の方も二刀の木刀の内、一本は半ばからへし折れており、肋骨の辺りが陥没させられている。にもかかわらず、痛みなど感じていないかのように、頬を上気させて無邪気に笑う月詠。その異様な光景に観客は声を失っていた。
「それでは気を取り直して!第五試合!桜咲刹那選手vs葛葉刀子選手の試合を始めます!」
桜咲と葛葉先生は互いに木刀を構え、対峙している。奇しくも同武術、同流派での対決である。二人の剣士の間に流れるピリピリとした空気に観客までもが強制的に無言にさせられた。
「刹那、あなたには何度か麻帆良で稽古を付けたことがありましたね」
「はい。未熟な私のために時間を割いて頂き、感謝しています」
「いえ、構いません。ですが、それならば分かるでしょう。私に勝てないことも」
「さて、それはどうで――」
言葉の途中で鼓膜を叩く連続した破裂音。一瞬のうちに二人の位置は入れ替わっており、数合の剣撃が交わされたことを理解する。何でもなかったように会話を続ける二人。意表を突いた奇襲を受けたというのに、葛葉先生の表情は涼しげなままだ。
「そんな邪道で私をどうにかできるとでも思ったのですか?だとすれば、ずいぶんと見くびられたものです。そして、見下げ果てました。邪を滅する神鳴流の剣士とは思えない体たらくですよ」
「……寂しいものですね、刀子さん」
「何がですか?」
無表情に返した桜咲の言葉と共に、カツリと葛葉先生の木刀の刀身が、音を立てて床に落ちた。葛葉先生の手元には柄だけが残される。認識すらできずに剣士の魂である刀が折られたのだ。
「彼我の力量差すら読み取れないほどに、――あなたと差がついてしまったことにですよ」
刀が折れれば負け、というルールはない。しかし、二人の間には厳然たる強さの格付けができてしまっていた。呆然と折れた刀身を見つめる葛葉先生。予備の木刀を構えるも、先ほどよりも剣気が薄れていることは私にさえ見て取れる。
「……いつの間にこんな力を手に入れたのですか。どんな修行をすれば、短期間にこれほどの強さを」
それに対して桜咲は首を横に振ることで答える。
「枷を外したんですよ。全力を尽くしているつもりでも、どこか私は力をセーブしていたのでしょう。人外としての能力は封印して、人間としての能力だけで戦ってきました。それをやめたというだけのことですよ」
次の瞬間、桜咲は葛葉先生の目の前へと踏み込んでいた。視認不可能な速度で剣が振るわれる。かろうじて木刀で受けるものの、圧倒的なパワーを前に葛葉先生は堪えきれずに吹き飛ばされた。
「ぐうっ……!」
「無駄です。技量は同程度でも、パワー、スピード、スタミナ。それらで私の性能(スペック)はあなたを圧倒しています」
ピーンボールのように前後左右に会場中を弾き飛ばされる葛葉先生。純粋に生物としての性能が異なっていた。神鳴流は魔を討つために生み出された剣である。逆に言えば、――人間が魔を討つのはそれほどに困難なことなのだ。
「斬岩剣!」
「しまっ……」
埒外の威力が込められた上段からの斬り下ろしによる一撃。それは防御した葛葉先生の木刀を右腕ごと後方に弾き飛ばした。正面ががら空きの無防備な体勢。全力でバックステップするが、それを追いかけるように桜咲の姿も一瞬にしてかき消える。無理な体勢での強引な跳躍は、葛葉先生に致命的な隙を生んだ――ように見えた。
「覚悟っ!」
――しかし、それは擬態。私の目には葛葉先生に隙など見当たらなかった。数え切れないほどに繰り返された人外との戦闘経験の賜物。桜咲は攻撃を誘われたのだ。
「桜咲!その隙は……!」
私の声は間に合わない。瞬動による高速機動の弱点。それは発動させたが最後、軌道修正が不可能なことだった。言うなれば撃ち放たれた弾丸のようなもの。桜咲は一筋の閃光となって相手へ向けて真っ直ぐに跳躍してしまっている。
「甘いですよ!」
いくら速く重い一撃だろうと、軌道の読めた攻撃が通用する相手ではない。瞬時に体勢を整えた葛葉先生は予測軌道地点に剣を合わせた。その結果――
「なっ……!?」
――斬り落とされたのは葛葉先生の木刀の方だった。
直線で向かっていく桜咲の軌道が、わずかにズレたのが見えた。それが葛葉先生の意表を突いたのだ。軌道の先には、剣を振り抜き――背中に純白の翼を広げた桜咲の姿があった。
「桜咲選手の背中から翼が生えています!これは一体どういうことなのか!」
実況の朝倉の声が響く。現実離れした光景に観客がどよめいた。そんな中、振り返った桜咲は、ゆっくりと無手となった葛葉先生の元へと歩み寄っていく。
「その翼……それで軌道を強引に変更したのですね」
葛葉先生は諦めたように嘆息する。勝負はついた。しかし、対照的に桜咲の方は冷徹な表情を崩さない。
「私の負け、ですか」
「ええ、刀子さん。勝負はつきました。しかし、この試合における私の目的は、あなたに勝つことではありません。あなたを戦闘不能にすることです」
――神鳴流奥義、百烈桜華斬
剣を持たない丸腰の相手に放たれたのは無数の斬撃。数秒後に残されたのは、全身を斬り裂かれて血塗れで倒れる葛葉先生と、返り血に濡れた桜咲だけであった。
続いて行われた第六試合。マクダウェルvs高畑の戦いである。マクダウェルは黒のゴスロリ姿、高畑はいつものスーツで向かい合っていた。まるでお姫様のようなドレスの少女が現れるも、桜咲の試合での惨劇に会場の雰囲気はお通夜のようだった。身体中から血を噴き出した葛葉先生の姿はあまりに凄惨なもので、気の弱い生徒などは気を失ってしまう者までいたのだ。だからといって超が中止になどさせるはずもない。何事も無かったかのように滞りなく進行していた。
「第六試合……始め!」
開始の合図と同時に、マクダウェルと高畑の身体が何かに引っ張られるかのように急激に近付いた。磁石が引き合うかのように互いに衝突する。
「これは……糸?」
「ご明察」
二人の身体が密着し、その全身に絡みつくように無数の糸が巻き付いていく。細い糸が繭を生成する。お互いが重なったまま拘束される。しかし、高畑は溜息を零すのみだ。
「ふぅ……エヴァ、どういうつもりかな。まさか零距離ならば勝ち目があるとでも?」
「いいや、そこまで私もプラス思考ではないさ」
気も魔法も使えない封印状態。たとえマクダウェルが全力で金的を喰らわせたとしても、高畑は何の痛痒も感じないに違いない。関節技で骨を折ることもできないだろう。それほどに二人の間には埋められない力の差があった。
「貴様の強さは認めている。だからこそ――ここでリタイアしてもらうぞ」
マクダウェルはヒラヒラのドレス姿の死角に隠して、銃弾を高畑に押し付けた。ニヤリと陰惨な笑みを浮かべる。その不吉な気配に気付いた高畑は本能的に自身の危機を直感した。
「うおぉおおおおおお!」
二人を中心に球状の異空間が形成される。転移の兆候だ。これこそが超の開発した対魔法使い用の切り札。
――強制時間跳躍弾
世界樹の魔力の満ちる学園祭期間しか使用できないが、その効果は絶大。これこそが高畑を無効化するマクダウェルの策だった。相討ち狙い。共に二日後へと時間移動することで、学園祭最終日における学園トップクラスの戦闘者の介入を阻止しようとしたのだ。しかし――
「チッ……まさか、あのタイミングで逃れるとはな」
いつの間にか、二人は舞台の隅に移動していた。互いを拘束していたはずの糸は、あっさりと千切られてしまっている。
「そう簡単には千切れない特殊繊維の糸だったなのだがな。貴様相手ではタコ糸も同然か」
「今のは転移魔方陣を埋め込んだ魔法具かい?確かに重火器は禁止だけど、魔法具の使用について特に禁止はなかったか。お互いに場外(リングアウト)で負けようって算段かな」
「残念ながらまともに戦っても勝ち目はないのでな」
実際には空間移動ではなく時間移動なのだが、もちろん高畑に分かるはずもない。強制時間跳躍弾の秘密がバレなかったことだけが救いだろう。しかし、もはやマクダウェルに打つ手はない。諦めたように溜息を吐くと、手元に鉄扇を取り出して構えをとった。
「おい、格闘戦に付き合え。もはや貴様の勝利は揺るがないだろうが、せめて武道大会に相応しい決着にしたいのでな」
「わかったよ」
そう言って高畑は両手をポケットから抜き、左足を前に出して半身に構えた。武道に関しては互いに達人級。数メートルの距離を置いて鋭い視線で見詰め合う。そして、私はマクダウェルの意図を悟った。舞台上で少女の口元が三日月状に歪む。
「ククッ……やはり貴様の目には、私がただの少女に映っているようだ。真祖の吸血鬼と目を合わせることの意味を忘れたと見える」
「……っ!しまった……幻想空間に引きずり込まれ……!?」
「学園祭二日目ともなれば、私の魔力も少しは回復していてな。これは魔法なしでの解呪は不可能だ。唯一、幻想空間内で私を倒す以外にはな」
驚愕に目を見開く高畑だが、もう遅い。ガクリと糸が切れたかのように高畑の身体から力が抜け落ちた。同時にマクダウェルも意識を失い、その場に立ち尽くす。二人の戦闘は幻想空間内に移行したのだ。しかし、勝敗が決まるのにそれほどの時間は掛からなかった。
「…9…10!勝者、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル選手!」
朝倉のアナウンスが終わると、意識を取り戻した高畑がむくりと身体を起こした。頭を振って意識をはっきりさせる。
「ぐっ…うぅ……」
「起きたか。礼を言っておくぞ。全力状態での戦闘はひさしぶりだったが、おかげでブランクはだいぶ埋められた」
「……エヴァ、君はどうして球磨川禊に付いたんだ?」
「ナギに会うためだ。生きていることが分かった以上、こんなところで時間を潰していることなどできんよ。私と違って、奴には寿命があるのだから」
そして、興味無さそうにつぶやく。
「ま、球磨川禊の方は死んだわけだが」
「そ、そうだ!球磨川禊!長谷川くんはなぜ彼を殺したんだ!?」
「さてな、理由など何でもいいだろう。腹が減ったからだとか、何となくイラつくだとか。私にも分からんよ。なにせ、理解不能もマイナスの一要素なのだから」
そう言ってマクダウェルは誤魔化した。
――球磨川さんの死
それを学園側に知らしめることこそが、学園祭二日目における球磨川さんの目的なのだ。どうやら他にも死ぬ理由があったようだが、ここまでは計画通り。これで肝心の最終日には球磨川さんへの警戒が緩むだろう。死体は空間転移で隠したかのように見せたし、もはや武道会での私達の仕事は半ば終わったようなものだ。
しかし、私にとっては予想外だったが、すべての生徒会役員の二回戦進出を果たしている。第八試合で高音さんが神楽坂に敗れてしまったのは残念だが、思いっきり派手な魔法戦を繰り広げてくれたので良しとしよう。ほぼ目的を達したとはいえ、明日の選挙戦のためにやるべきことはまだあるのだ。
――こうして、まほら武道会二回戦の幕が上がる。