学園祭二日目、まほら武道会本選に出場するために、私は会場へと足を運んでいた。まだ試合開始前だというのに、すでに客席は埋まっており、この大会の注目度を感じさせる。しかし、対照的にこの選手控え室には私の姿しか無かった。他の選手は観客席で試合観戦をするのだろう。第一試合の対戦カードであるネギと犬神、それと付き添いの神楽坂も、つい先ほど会場へと向かってしまった。
「さて、やっぱりまだか……」
一人きりの控え室で、私は試合に向けて精神を集中――するはずもなく。持ち込んだノートPCを立ち上げて、昨日ブックマークしておいたサイトを巡回していた。日本最大の大規模掲示板に動画投稿サイト、そして海外の数十を超える同様の掲示板や動画投稿サイトに目を通す。どこのサイトも通常営業のようだ。
「ふふっ……数時間後が楽しみだぜ。朝倉なんかは大歓喜だろうな――世界の変わるところを間近で見れるんだから」
超の目的は『全世界に魔法の存在をバラすこと』。この大会で行われるであろう超常の戦いを公開し、翌日の強制認識魔法によって魔法の存在を世界中の人間の意識に刷り込むのだ。試合内容は非公開と謳っているが、もちろん嘘である。超の予想では、慌てふためくだろう魔法使い達との情報戦が第一の関門。本来なら私にも情報戦専用アーティファクト『力の王笏』での参戦を期待していたようだが、残念ながらそのスキルは失ってしまったのでノータッチ。アーティファクトを失った私は、情報戦に関しては無力な女子中学生に過ぎないのだ。
「すごい歓声だな。試合も終わったか……?」
遠くから響く歓声が耳に届く。ネギと犬神はどちらが勝っただろうか。しかし、すぐに考えるのをやめてしまった。次に当たる相手のことなんて考えても仕方ない。なにせ、私の一回戦の対戦相手は大戦の英雄、アルビレオ・イマなのだから。
「長谷川千雨選手!試合の準備が整いましたので、会場の方までお越しください」
呼びに来た係の生徒の指示に従い、会場へと向かう。隔絶した戦力差。しかし、私だって無策ではない。
会場は割れんばかりの歓声が怒号のように鳴り響いていた。先ほどの試合の余韻が残っており、周囲は熱気に包まれている。どうやら第一試合はネギが勝利したようだ。巨大ディスプレイの画面に映されているトーナメント表には、一本の線が引かれている。
「いやはや、ネギ君が勝つとは思いませんでしたよ」
「意外ですね。自分の弟子に自信がなかったんですか?」
いつの間にか目の前に現れていたフード姿の男から声が掛けられた。魔法界では有名人であるため顔を隠しているが、アルビレオに間違いない。私はいつも通りを装って返事をした。
「実力はともかく呪文詠唱禁止のルールですからね。格闘戦主体の犬神君の方が有利だと思っていたのですが、嬉しい誤算でした。成長というよりは進化といった方がいいでしょうね。『千の呪文の男(サウザンドマスター)』を彷彿とさせるほどの。やはり血は争えない、ということですか」
そんな会話をしながら、私達は互いに開始線まで歩を進めていた。第一試合に当てられたかのような観客の熱気がこちらまで伝わってくる。しかし、内心で私は気持ち悪い笑みを浮かべていた。
――すぐに凍りつかせてやるよ
「それでは第二試合!長谷川千雨選手対クウネル・サンダース選手!の、試合を始めます!」
朝倉の声が響き渡った。しかし、試合開始にも関わらず、どちらも開始線から動かない。静かな立ち上がり。観客達からは当てが外れたといった空気が伝わってくる。観客の期待なんて知ったことじゃない。私はアルビレオの表情を窺っていた。その挙動からは、わずかな警戒が感じられる。こちらから仕掛けてみるか。アルビレオだけに聞こえるような小声で話し掛ける。
「アルビレオさん。この試合、私が負けましょうか?」
「それはそれは。一体どうしてですか?」
「私の目的はマイナスの計画を止めることですから。それなら、私が勝ち残るよりはあなたが残った方がいいんじゃないかと」
現在の私の身分は学園の警備員のままなのだ。昨日も学園長に虚偽の計画を密告してきたところ。長年、マイナスを隠してきた私ならではの騙り。誰も私の精神性が戻っていることには気付いていないはずだ。だというのに、アルビレオがこちらを警戒している理由。それは、これのせいだろう。
「……何ですか、そのアーティファクトは」
私の手に握られた巨大な鍵を、アルビレオは鋭く見つめていた。ポンポンと自分の掌を鍵で叩く。そのまま自分自身にハッキングして欠点を探し出した。あとは、仕掛けられた認識誤認の魔法の綻びを突くだけ。
「私にもよくわからないんですけど、どうもアーティファクトの形状が変化したみたいで」
「……そうですか」
「正面から突きますから、それに合わせる形で迎撃してください」
そう言って私は襲い掛かった。アルビレオの顔からは警戒と迷いが混ざったような色が窺える。しかし、魔法で過負荷(マイナス)を無力化していることが要因となったのだろうか。突き出された鍵を左に避け、カウンターの掌底を放ってきた。
「――それは悪手だぜ」
直前に魔法を無効化していた私には、そんなバレバレの攻撃は通用しない。あっさりと迎撃の掌底を回避すると、その隙を突いて、アルビレオの胸に鍵を突き刺すことに成功していた。沈み込むように鍵の先端が身体の中に埋まってしまう。
「ぐっ……!」
アルビレオの存在にハッキングし、干渉して全身を弱点に変える。魔法世界でも五指に入るほどに強力な魔法使い、アルビレオ・イマ。本来なら弱者たる私にそうそう隙など見せる男ではない。しかし、スキルを無効化しているという油断と、相手が学園側の人間だという迷いが隙をわずかに広げてしまっていた。その結果がこれである。
「今のあんたからは強さの欠片も感じねーよ」
「ち、千雨さん……あなたは…!」
「そして、もう終わりだぜ」
最低限まで強さを落としたが、それでもアルビレオは私より強い。というより、『脆弱退化(オールジャンクション)』は相手を自分自身よりも弱くはできないし、プラスをマイナスにすることもできないのだ。しかし、それでいい。私の仕事は最初からアルビレオに隙を作ることだったのだから――
『その弱点、突かせてもらうよ』
「がはあっ!」
ズブリ、と真上から落下してきた球磨川さんのネジが相手の両肩に突き刺さった。膝から崩れ落ちるアルビレオ。空を見上げると、純白の翼を生やした人影が高速で去っていくのが視界の端に映った。これが私達の策。すべてはアルビレオを『大嘘憑き(オールフィクション)』で封印するための――。
『これが「すべてをなかったことにする」僕の過負荷(マイナス)――「大嘘憑き(オールフィクション)」だよ』
両手を大きく広げ、堂々と宣言する球磨川さん。突然の侵入者に観客も水を打ったように静まり返る。一見しただけでこの場の全員が、目の前の高校生のおぞましきマイナス性に戦慄を覚えていた。まるで、この世のありとあらゆる負の要素を凝縮して煮詰めたかのような。そんな得体の知れない不気味さを心の奥底に無理矢理に植えつけられていた。
『アルビレオさん、だったかな。――あなたが魔法を使えるという現実をなかったことにしました』
「何を言って……いえ、本当に魔法が……!?」
球磨川さんに向けて掲げた両手を震わせるアルビレオ。無邪気な笑顔を浮かべる球磨川さんとは対照的に、その顔は驚愕に歪んでいた。しかし、すぐに冷静な表情に戻る。
「……球磨川禊くんと言いましたね。このスキルは危険すぎます。いえ、それよりもあなたの存在自体、でしょうか。これ以上、野放しにしておく訳にはいきませんね」
『うん?ずいぶんと余裕だね。魔法使いじゃなくなったっていうのにさ』
「本当に助かりました。私自身が喰らっていたらと思うと、戦慄せざるを得ませんよ」
アルビレオの身体が次第に薄く、消失していく。情報を読み取った私の顔が歪んだ。
「人形のようなものです。コピーというべきでしょうか。おかげで本体の方は被害を免れたようですね」
『……なるほどね。端末が魔法を使えなくなっただけってことかな』
「そういうことです。残念ですが、この辺りで退却するとしましょう」
捨て台詞を残してアルビレオは消え去った。静寂に満ちた会場で球磨川さんは溜息を吐き、やれやれと首を振る。
『やられたよ。ここは僕の負けだね』
「クウネル選手?いませんかー?部外者の乱入による負傷ですので、治療後に再試合を行いますが」
アルビレオを倒せず、しかも球磨川さんの『大嘘憑き(オールフィクション)』の効果を学園の魔法使い達に教えてしまったのだ。とても勝利とは言えない。
「クウネル選手はいなくなってしまったようですので、不戦勝により第二試合の勝者は長谷川千雨選手となります!」
気持ち悪い笑みを浮かべて会場を後にする私と球磨川さん。しかし、拍手の音は聞こえず、会場内は凍りついたかのように静まり返っていた。
控え室へ戻った私は苦虫を噛み潰したように顔を歪めていた。
「接触したときに読み取ってみましたが、確かに本人ではなく複製だったようです。もう少し早く気付くべきでした。作製には入念な準備と儀式が必要なようで、明日までにもう一体の人形を作るのは難しそうだというのが唯一の幸いでしょうか」
『構わないよ。僕も「大嘘憑き(オールフィクション)」を返してくるつもりだったしね』
「返す、ですか……?」
何でもない風に言い放った球磨川さんの言葉に、思わず疑問の声が漏れる。
『千雨ちゃんには本当の僕を見せなくちゃと思ってさ。これから僕は、はじまりの過負荷(マイナス)を取ってくるよ』
「取ってくるって、どこにですか?」
『夢の中だよ。ただ、今の彼女は意地悪でさ。一週間くらい掛かると思うから、死体は過去に送っといてね』
困ったように笑う球磨川さん。しかし、その顔からはわずかに嬉しさが感じられた。そして、球磨川さんはこちらに巨大なネジを手渡してきた。
『だからさ、夢の中に行くために、――千雨ちゃんには僕を殺して欲しいんだ』
「え?い、嫌ですよ……!っていうか、どういうことなんですか!?」
『お願いだよ。千雨ちゃんにしか頼めないんだ』
球磨川さんのお願い。抗弁しようとする気持ちが冷水を浴びせられたかのように沈静化する。……球磨川さんに頼まれたら仕方ない。断ることなんてできるはずもない。躊躇い無くネジを掴んでいる右手を大きく振りかぶった。
「さよなら」
控え室に多数の足音が近づいてくる。勢いよく開かれた扉から、何人もの教師がこの部屋へとなだれ込んだ。試合のために会場に来ていた高畑先生や葛葉先生の姿もある。そして、その全員の表情が私を見た瞬間に凍りついた。
「遅かったな」
「こ、これは……」
返り血を浴びて血塗れの私と、床に倒れ伏す学ランの男子生徒の姿。うつ伏せに倒れている球磨川さんは、目を見開いたまま事切れている。床には真っ赤な流血で血溜まりができており、むせ返るような鉄の匂いが充満していた。目の眩むような赤い世界。タラリと赤い雫が私の頬を流れ落ちる。この髪もべったりと鮮血が付着しており、帰ったらすぐに風呂に入りたいと頭の片隅で考えていた。
「のどを一突き。まったく非道いことしますよね。何の目的でこんな凄惨な殺し方をしたのか理解に苦しみます」
両手を大きく左右に広げる、気持ち悪い笑みを浮かべた。右手に握られた巨大なネジが、赤黒い血に濡れて照り返しの鈍い光を放つ。
「ああ、勘違いしないでください。私は偶然この控え室にいただけです。試合が終わったんだから当然ですよね。だから――」
罪悪感と絶望感、そして得体の知れない高揚感に襲われていた。何だろう、この……まるで自分の親兄弟を殺してしまったかのような言いようの無い感覚は……。心が空っぽになったような満たされたような、躁と鬱が交互に訪れて自分の気持ちが滅茶苦茶にかき回される。
いや、これは自殺と言った方が正確であろう。鏡写しの自分に刃を突き立てたような倒錯的な気分。自殺未遂ではなく、自殺を完遂してしまった以上、私はこれまでと同じではいられない。マイナスにならざるを得ない。だから、自然と口を突いて出た言葉に最も驚いたのは私自身だった。
「――私は悪くない」