あれから二年が経ち、中学二年生になった私こと長谷川千雨はいつも通りに学校へと登校していた。球磨川さんに出会うことで発現した異能――過負荷(マイナス)は私の生活を一変させた。この学園の空想としか思えない異常を認められるようになったからだろう。日常生活を送れる程度には、心の中にマイナス性を抑えることができるようになったのだ。今にして思えば、小学校時代における迫害や虐待は、私が自然と撒き散らしていた世界への憎しみや破壊衝動が原因だったのだろう。だけど、球磨川さんの言葉で救われた。世界は正しくなんてないし、人間は美しくなんて無いのだ。そのおかげで、現在は流されるまま、全てを受け入れて堕落した学園生活を送れている。
麻帆良学園中等部二年A組、そこが私の通う教室である。その教室の扉を前にして、いつも通りの軽い溜息を吐く。この瞬間だけはどうしても慣れないんだよな……
「うっ……」
ガラッと扉を開けて教室へと入る。それと同時に頭の中に大量の情報が叩き込まれた。その非現実的な情報の奔流に小さく呻く。目を閉じ、視界からクラス内の光景を消去し、再びまぶたを開く。
――なんつー異常度だよ
自分の掛けている眼鏡のつるを指先で握り、そう心中でつぶやいた。視界にはいつも通り騒々しい女子中学生たちの姿。普通とは到底言えない面々だが、それはすでに受け入れていた。自身の過負荷(マイナス)によって、知りたくもないことも知ってしまうのは困りものだが、問題といえばそれくらいで、つまりは平穏な学園生活と言えるだろう。ちなみに『過負荷(マイナス)』とは、私や球磨川さんのような人間の底辺を這い蹲る連中の総称だ。私たちの発現する異能力、スキルを指す場合もあるらしい。詳しいことは私もよく知らない。図書館島に収められている埒外な量の蔵書ですら見つけられなかったほどなのだから。
「千雨さん、おはようございます」
「綾瀬か。おはよう」
自分の席に着いて鞄を降ろすと、近くの席に座っていた綾瀬夕映に声を掛けられた。マイナス性を隠せるようになったため、クラスに溶け込んでクラスメイトと会話することもできる。私は綾瀬に挨拶を返した。
「にしても、この騒ぎはなんだよ。いつにも増してはしゃいでるみてーだけど」
「それなんですけど、千雨さん。どうやら今日から担任の先生が変わるそうですよ。朝倉さんが言ってました」
「ああ、なるほどな。そりゃ、うちのクラスは大騒ぎにもなるか」
やれやれと首を左右に振った。私の配属されたこのクラスが異常であることは受け入れたが、それに同調するかは別だ。というか、迫害され、虐待され続けてきた私にこのノリで騒げと言う方が無茶だろう。
「相変わらず興味薄そうですね。私ですら内心では新しい先生には興味津々なのですが」
「あんまりそうは見えねーけどな」
無表情で淡々と話す綾瀬に苦笑する。だけど、この異常なクラスをまともな教師が担当するとは思えない。おそらくは高畑と同等の異常度の奴が来るに違いない。あまり期待しない方がよさそうだ。
始業のチャイムが鳴り、私たちは自分の席に着席して静かに先生を待つ。しかし、ほとんどの生徒が興奮を抑えきれていないようで、そわそわそしているのが丸分かりだった。コツコツと廊下から足音が聞こえ、扉の前に立った気配がする。その直後、教室へ入ってきたのは、小学生くらいの男の子だった。
「うわぁあああああ!」
扉に仕掛けられたトラップに引っかかり、黒板消し、水の入ったバケツ、おもちゃの矢の雨という連続技を受けてすっ転ぶ少年。先ほどクラスメイトが仕掛けたいたずらだ。
「ちょ、ちょっと大丈夫!?」
「何で子供が来てるのよー」
慌てて駆け寄るクラスメイトたち。それを横目に見ながら、私はまたしても軽く溜息を吐いた。問答無用で他人のプライバシーを蹂躙する瞳。『世界の不具合を見抜く』という性質を、球磨川さんによってデチューンされることで生まれたのが――
――『他人の隠し事を暴く』という私の過負荷(マイナス)である。
それによって私は、目の前の少年が一般人ではないことに気付いていた。というか魔法使いだった。それもかなりの異常度。もはやクセとなった眼鏡のつるを抑える動作をしながら、やれやれと首を左右に振る。またか……、と多少うんざりするのも仕方がないだろう。このクラスには重大な隠し事をもつ者が多すぎる。もし口が滑ろうものなら、即刻首が飛ばされかねない。それも物理的に……。
この異常度の高すぎるクラスに配属しやがったのは嫌がらせとしか思えないぜ。ま、嫌がらせなら慣れっこだけど……。それに実際のところは、隔離クラスに配属されたのは私が過負荷(マイナス)だからだろう。
そんなことを考えている間に、少年はしずな先生に連れられて教壇へと上がっていた。
「今日からこのクラスの担任になったネギ・スプリングフィールドです!よろしくお願いします!」
「「「かわいい~!」」」
外国人とは思えない流暢な日本語で少年が挨拶した瞬間、教室が甲高い悲鳴で埋め尽くされた。群がるように子供先生、ネギ・スプリングフィールドの元へと殺到する生徒たち。
「ねえねえ、歳はいくつ?」
「何で子供なのに先生なの?」
「お姉さんに興味とかない?」
「あ、あわわ……」
群がる女子たちに、子供先生はパニクったような顔で呻き声を漏らしている。私はその流れに乗らずに自分の席に座ったままだ。子供が教師になるなど本来なら有り得ない。かつての私ならそう叫んだだろうけど、今の私にはそんなことはどうでもいい。あっさりと教壇へ向けていた視線を反らし、普段通りに鞄から教科書とノートを取り出すのだった。
――授業は特に問題なく終了した。と言っても、私は隠れて机の下でネトゲをしてたんだけどな。
そして放課後、私たちはネギ先生の歓迎パーティーの準備にいそしんでいた。あまり興味はなかったが、誘われた以上は仕方がない。言われるがままに飲み物の準備を行っていた。教室ではクラスメイトたちが、わいわいとはしゃぎながら思い思いに準備をしている。コップにジュースを注ぎながら、辺りをゆっくりと見回した。
『翼人のハーフ』『吸血鬼』『アンドロイド』『幽霊』……。
脳内に強制的に叩き込まれてくるこれらの単語は、とても現実のものとは思えない。学園そのものが異常の塊だけど、特にこのクラスは群を抜いている。それはこの子供先生、英雄の息子とやらのためなのか、それとも……?
「や、千雨サン。この間渡したPCの調子はどうヨ?」
「超か……ああ、動作が軽すぎて驚いたぜ。携帯ゲーム機サイズなのに、私のデスクトップよりもサクサクってどういうことだよ。あんな高スペック機もらっちゃってよかったのか?」
「構わないヨ。私たちの実験で使ってたやつのおさがりだからネ」
「これより高性能PCを使ってんのかよ!スパコン並だぞ、これ……」
私に声を掛けてきたのは中国人風の少女、超鈴音。趣味がネトゲだと話したらPCを贈呈してくれたのだ。しかも超絶高スペック。どうやら自作の物らしい。一見すると普通の少女だが、その実態はこの世界でも随一の異常度を誇る未来人である。何だよ、この生年月日は……。しかも魔法使いでもあるという、秘守義務の塊のような女子である。
「それより、授業中にネトゲなんて感心しないネ。成績落とすくらいなら返してもらうヨ」
「あんたは私のお母さんか!だけど、携帯サイズでデスクトップ以上の性能なんだから、普段から使わないともったいないだろ?テストしてたんだよ」
「相変わらず適当なことばっかりネ」
呆れたように肩を竦める超。
「新しく担任になった子供先生はどうカナ?」
「授業は問題なかったみたいだよな。ま、エスカレーターだからテスト前に少し勉強すれば進学くらいはできるだろ」
「ハァ……千雨サンはもう少し目標を持って生きたほうがいいと思うネ。放課後も休日もネトゲ三昧なんて廃人生活は脱却しないとダメヨ」
「そういうのはもう聞き飽きたぜ」
あーあー、と耳を塞ぐフリをしてみる。超も諦めたように小さく笑った。
「じゃあ、私は料理の準備に戻るネ。だけど覚えておいて欲しいヨ。――あなた達のような人間でも、きっと改心することはできるはずネ」
「……!?」
反射的に視線を戻すが、すでに超は同じく料理の準備をしていた四葉の元へと去ってしまっていた。……あいつ、私の過負荷(マイナス)のことを知っていたのか。
そして、とうとうネギ先生が教室へと現れた。全員でクラッカーを鳴らして歓迎パーティーが開始される。もみくちゃにされる子供先生を眺めながら、私は離れた場所で超包子の中華料理をパクついていた。相変わらずとても一般生徒が作っているとは思えない味だ。
「おかわりはどうかナ?千雨サン」
そう言って超が新しい皿をこちらの机の上へと運ぶ。
「せっかくのパーティーだからネ。料理はたくさんあるヨ」
「ありがたいけど、これ以上食べたら太っちまうから遠慮しとく。ただでさえ帰宅部で運動しないんだしな」
「なら次の機会には、もう少しヘルシーな料理を出すことにするヨ」
料理を置いて戻ろうとする超の腕を掴んで引き止める。先ほどの疑問に答えてもらわないと。私は眼鏡越しに睨みつけるように詰問する。
「お前、私ら過負荷(マイナス)のことを知ってんのか?」
私の言葉に超は口元を吊り上げ、楽しそうな笑みを作った。あごで外へ出ろと要求され、教室を離れていく超の跡を追って廊下へと出る。
「知ってるヨ。低劣にして劣悪、虚弱にして脆弱。ありとあらゆる負の要素の塊。それがあなたたち過負荷(マイナス)ヨ。この学園では知っている人なんてほとんどいないだろうけどネ。魔法世界にはいないという事情もある」
「私のことは誰から?」
「ふふっ……見れば分かるヨ。『麻帆良の最強頭脳』なんて大層な二つ名で呼ばれてるけど、私も負け組の人間だからネ。時折見せるその気持ち悪さは間違いなく過負荷(マイナス)ヨ」
その指摘に私は軽く肩を竦めるフリをしてみせる。ま、別に知られてたからって問題はなかったんだけどな。ただ気になったから尋ねただけだし。
「だけど、その中でも千雨サンの過負荷(マイナス)はかなり高い絶対値を感じるネ。ぜひ見てみたいものだヨ。奇想天外にして摩訶不思議、空前絶後にして驚天動地。魔法とは違う理屈を超越したスキルを――」
「……見せてやってもいいぜ?」
私の周囲に漂う雰囲気が暗く冷たくなっていく。背筋が凍るような不気味な予感を覚えたのか。不吉で凶々しい気配に超の表情がわずかに曇った。
「フフ……絶対にごめんネ。魔法とは違う法則の出鱈目な現象を起こすと聞いてるヨ。そして、それらのスキルは例外なく最低で最悪なものだともネ」
ひらひらと両手を上げて降参の姿勢を見せる超。その表情に余裕が窺えるのは、戦えば自分が勝つと確信しているからだろう。その瞳には面白いものを見たという興味が浮かんでいる。実際、超の隠された能力を見る限りにおいて、過負荷(マイナス)を使ったところで私じゃ手も足も出ないだろうしな。
「あれ?超さんと……千雨ちゃん?」
「……神楽坂とネギ先生か。どうしたんだ?主役が出て来ちゃっていいのか?」
子供教師とクラスメイトの神楽坂が階下からこちらへと上ってきた。子供先生と二人きりで何の話をしていたのかと尋ねると、神楽坂はあははとわざとらしい笑い声で誤魔化した。
「そ、そっちこそ超さんと千雨ちゃんなんて、珍しい組み合わせじゃない」
「千雨サンはパソコンが趣味なのでネ。たまに試作品のソフトとか使ってもらったりしてるヨ」
「へー、そうなんだ」
「えと、長谷川さんと超さん、ですよね。明日からもよろしくお願いします」
そう言ってペコリとお辞儀をする子供先生。一見すると普通の礼儀正しい子供だ。……いや、それはないか。背中にしょっている馬鹿でかい杖が異質すぎる……。
「こちらこそよろしくお願いします。ネギ先生」
「よろしくネ。あと、私が出している『超包子』って店も是非来て欲しいヨ」
こうして、子供先生の就任初日は無事に終了したのだった。