「それではこれより!まほら武道会、予選を開始します!」
大音量のマイク越しに朝倉の声が響き、直後に歓声が上がった。これから始まるのは武道大会の本選出場者を決める予選である。実況は朝倉が務めている。お尋ね者の自覚があるのか、と言いたいところだが、すでに私の人格が元に戻っている以上は何の問題も無い。精神性が戻った私は、いまだに警備員のフリをして学園側の情報を集めていた。すでに明日以降の警備員の動向は球磨川さんに教えてある。今回の大会参加も偵察ということにしており、今のところ誰にも怪しまれていないはずだ。
「で、私はAブロック……初戦か」
予選はA~Hの8ブロックに分かれて行われ、それぞれ参加者20人から本選出場者2人を選別するという仕組みだ。多人数での乱戦は私の得意分野。明日のためにも本選出場を決めておきたい。
「大会本部からお知らせです。Aブロックに参加する方は会場へ集まってください」
アナウンスの指示通りに会場へと足を踏み入れる。15メートル四方の会場には筋骨隆々な男達の姿。中には木刀などの武器を構えた参加者までいた。
「上位二名が予選突破だから、とにかく対戦相手に強いのがいると困るんだが……」
つぶやきながら人の増えてきた試合会場を見回す。いかにも武道家然とした連中は私の相手ではない。厄介そうなのは、あの辺の奴らか……。
片手に文庫本を持った文学青年風の眼鏡の高校生とドレス姿の女子高生、両目に眼帯をした女子大生。とても戦闘者とは思えない風貌だ。ゆえに一般人の参加者ではなく、彼女達は学園でも数少ない能力保持者(スキルホルダー)だった。やっぱり賞金1000万円ともなると、目立つのを嫌う悪平等(ノットイコール)の連中も表に出てくるか……。そんなことを考えているうちに、参加者が揃ったようだ。
「それでは予選Aブロック!始め!」
朝倉の開始の合図と共に、20人の参加者が入り乱れるように殴り合いを始めた。さすがに女子中学生の私を真っ先に襲う奴はいないようだ。代わりに例の3人がこちらへと歩いてくる。能力保持者(スキルホルダー)同士で面識はあったのだろう。私を囲むように立ちはだかった。そして、文学青年が片手に本を持ったまま口を開く。
「長谷川千雨さん、だね」
「そうだけど、何か用か?」
「あなたは危険だ。学園にいてはならない」
男が手に持った本がパラパラと勝手にめくれていく。
「僕のスキルは『紙を操るスキル』。明日まであなたには病院にいてもらう」
それに対応するようにドレス姿の女子高生と眼帯の女性も自信満々に口上を述べた。
「お聞きなさい。わたくしの『音声を操るスキル』の効果を」
「これが私の『他人の視覚を操るスキル』だよ」
三人が同時にスキルを発動させようと目線でタイミングを合わせる。それを見て私は溜息を吐いた。右手に巨大な鍵を現出させる。
「隙だらけだぜ」
何が起こったのか理解する暇もなかっただろう。一瞬の意識の隙を突かれ、三人は同時に叩き伏せられていた。鍵を叩きつけられ、瞬時に昏倒する。これが『脆弱退化(オールジャンクション)』による効果。ハッキングの要領で打撃と同時に相手の情報にアクセスし、打撃部位を弱点にしてやったのだ。元々の強度が一般人(ノーマル)の彼女達にはこれで十分。あっさりとリタイアさせることに成功していた。
大会に出場するだけあって、彼女達のスキルは決して弱くはない。今の私はその長所を使わせない術に長けていたというだけだ。
「Aブロック勝者は!長谷川千雨選手!そして、高音・D・グッドマン選手です!」
振り向くと、いつの間にか残りの参加者全員を叩きのめしていた高音さんの余裕そうな顔が見えた。そして、本選出場のアナウンスを聞きながら、私は観客席へと戻るのだった。
――Cブロック予選。
このブロック、注目すべき選手は桜咲と神楽坂の二人だけだろう。魔法使いの姿は見当たらない。せいぜいが気を扱える武道家程度のようだ。桜咲の手には剣道部で用いていた竹刀。しかし、気を纏わせることで真剣に匹敵する切れ味を可能とするはずだ。こんな予選でその必要はなさそうだが。開始の合図が響く。
「いっくわよー!右手に気を……左手に魔力を!」
開始早々に襲い掛かってきた空手部らしき男の拳を、神楽坂は内側へ半歩ずれながら前に出ることでかわす。同時に突き出した腕の袖を掴み、トンッと右肩を相手の胸に触れさせた。
――鉄山靠
轟音。ピーンボールのように凄まじい勢いで跳ね飛ばされる男の身体。爆発音にも間違うような鈍い音と共に、相手は場外へと吹き飛ばされた。唖然とする会場内。
「え?」
これには私も度肝を抜かれたが、一番驚いているのは当の神楽坂のようだった。瞳に焦りを滲ませて困惑の声を漏らす。
「神楽坂さん。一般人相手に咸卦法は、命の危険があるのでやめた方がいいかと……」
「だ、だよね。こんな強い技だったんだ……。本当に大丈夫かな……さっきの人」
「神楽坂さんならば、中国拳法と気のみで十分通用するはずですよ」
たらりと冷や汗を垂らす神楽坂に静かに告げる桜咲。幸い空手着の男は気絶しながらもピクピクと震えており、命に別状はなさそうだ。それを見て神楽坂は安堵の溜息を吐く。周囲も気を取り直したように戦闘を再開させていた。そして、桜咲も竹刀を構え――
「では、行きます」
――直後、半径数メートルの範囲内の男達が全員昏倒した。
わずかに遅れて連続した破裂音が耳に届く。あまりに隔絶した剣速に、私の目ではとても捉えることはできなかったのだ。まるで敵対者を射殺すかのような、鋭く凄絶な瞳。その凶悪なオーラには、観客ですらゴクリと唾を飲み込まざるを得ない。数秒後にはその場に立っていられるのは桜咲と神楽坂の二人だけだった。
――Fブロック予選
試合会場では、マクダウェルと高畑が正面からにらみ合っていた。マクダウェルの顔には不敵な、高畑の顔には軽薄な笑みがそれぞれ浮かんでいる。二人の周囲には十人近くの参加者達が倒れており、その数は次第に増加する一方だ。この瞬間にも、離れた場所に立っていた男が前触れも無く意識を奪われて昏倒していた。
「さて、間引くのはこれくらいにしておこうか。あまり減らしすぎないようにしないとね」
両手をポケットに入れたまま、余裕の表情で高畑が告げる。その言葉から、この男が会場の参加者達を倒していたのだとようやく観客が悟った。しかし、目の前の真っ白なゴスロリを身に纏った金髪の少女からは怯む様子はまるで感じられない。
「エヴァ、君にはここで大会からは脱落してもらう」
「ククッ……あの小僧が偉そうな口を叩くようになったな」
笑みを消した高畑の警告に、しかしマクダウェルは愉しそうな表情を崩さない。少女が懐から鉄の棒を取り出す。それは鉄扇だった。しかし、魔力を封印されている彼女には純粋な体術しか扱えないはず。学園どころか魔法世界でもトップクラスの戦闘力を誇る高畑を相手にするには、あまりにも頼りない武器だ。はっきり言って勝負になるとは思えない。それを高畑も理解しているため、少女を見る目にはわずかな哀れみが映っていた。ポケットからゆっくりと右手を引き抜く。
「君達の企みは知らないが、この大会で何かをしでかす気なんだろう?悪いけど、その計画は止めさせてもらうよ」
「できるものならばな」
「手加減するつもりはないよ。さっさと終わらせる」
――ギィン
鈍い金属音が響き渡る。時間でも切り取ったかのように、刹那の後にはマクダウェルの頬の横を高畑の拳が通過していた。
「あいかわらずの馬鹿力だな」
カツンとマクダウェルの背後に壊れた鉄扇が落ちる音がした。金属製の鉄扇が見事にへし折れている。同じ体勢のまま、二人は静かに見つめ合う。
「威力の九割九分を殺しておいてこれか。やはり魔力封印状態ではこれが限界のようだな」
「いや、見事だよ。エヴァ。こうも綺麗に受け流されるとはね」
感嘆した風な表情を見せる高畑。拳を引き戻し、再びゆっくりとポケットへと収納する。ポケットに手を入れたこの体勢こそが高畑の構え。それを眺めながら、マクダウェルは先ほどまで鉄扇を握っていた左手をぶらぶらと振ってみせた。
「貴様と戦うのはもうやめておこう。今の私の状態でそれを受けたら数ヶ月は回復できまい」
「それは助かるよ。できるだけ怪我はさせたくなかったからね。今の僕達は手段を選んでいられないんだ」
「ククッ……何を勘違いしている。私は計画を諦めた訳ではないし、本選出場を諦めたわけでもない」
「何を……」
「いい加減、貴様も知るべきだな。――マイナスの流儀というものを」
訝しげな表情を浮かべる高畑だったが、その顔は直後に聞こえた声によって一変する。それは彼にとっては聞き慣れた一節だった。
「メイプル・ネイプル・アラモード……」
「これは、呪文詠唱!?」
反射的に振り向き、戦闘態勢を整える高畑。これは間違いなく呪文による攻撃。しかし、不意打ちであろうとも対応できるという自信が彼にはあった。当然、背後に控えるマクダウェルへの警戒も怠ることもない。高い身体能力とそれを支える経験。まぎれもなく高畑は魔法世界でもトップクラスの戦闘者であった。
「魔法の射手・火の十三矢」
「っ……!?」
しかし、狙いは高畑ではなく他の参加者たちだった。魔法の射手が残っていた参加者すべてを薙ぎ払う。爆発と共に場外へと吹き飛ばされる男達。残ったのは高畑とマクダウェル、そして魔法を放った佐倉愛衣だけだった。以前、私に襲撃を仕掛けてきた少女である。
「佐倉くん……どうして…?」
魔法生徒である彼女の暴挙に困惑の表情を浮かべる高畑。しかし、佐倉はそれを無視して手を上げた。会場中の注目が集まる中、にこやかに宣言する。
「ごめんなさい。呪文詠唱をしてしまいました。反則負けですね」
そう言って場外へと飛び降りる。残されたのは二人だけだった。呆然とする観客達。しかし、堪えきれずに口元を歪めて笑うマクダウェルの姿に、高畑は即座に意図を悟った。すでに佐倉愛衣も球磨川さんが調略済みなのだ。高畑の顔が苦々しげな渋面へと変わる。
「Fブロックからの本選出場者が決定いたしました!高畑・T・タカミチ選手と!エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル選手です!」
アナウンスを背後に、マクダウェルは悠々と踵を返して試合会場を後にする。
「ま、待つんだ!エヴァ!」
「今度は本選で会おう」
こうして、私達は無事に本選出場の切符を手に入れたのだった。
予選が終わった後、私達は2-Aの出し物であるお化け屋敷の中に集まっていた。ここは以前、朝倉に頼んで作ってもらったデッドスペース。誰も立ち入ることのない物置である。灯台下暗し。ここが学園祭期間中の作戦本部である。そこで私達はジュースを片手にお菓子をつまんでいた。
「うぅぅ……おひさしぶりです。千雨さん。ようやく人格が戻ったんですね……」
「おい、抱きつくなって」
「よかったです。本当によかった……」
この場で再開を果たしてからというもの、桜咲はずっとこの調子である。涙目のまま、きつく抱き締められていた。悪い気はしないが、この狭い空間では少しばかり暑苦しい。
「だが、私も驚いたぞ。まさか、さらにマイナス性を増して帰ってくるとはな」
「球磨川さんのおかげですよ」
「そうだな。私は『大嘘憑き(オールフィクション)』で精神操作の魔法をなかったことにするのだと思っていたが……。まさか、さらにマイナス成長をさせるチャンスに変えるとはな」
愉しそうにつぶやきながら、マクダウェルは私の腕から血液を吸い取っている。明日のための魔力供給だそうだ。
「新たな過負荷(マイナス)を得ることもできたしな。いや、『事故申告(リップ・ザ・リップ)』と『力の王笏』を失ったことを考えるとどうかな」
「だが、その割にはずいぶんと嬉しそうな顔じゃないか」
言われて初めて自分の顔がニヤけていたことに気付く。
「私達マイナスにとって、スキルってのはただの便利な道具じゃないんだよ。言うならば自分そのもの」
だから『脆弱退化(オールジャンクション)』の発現は、私が球磨川さんに染められていることの、球磨川さんとひとつになっていることの証明なのだ。
「ふーん。ま、その球磨川先輩が来てないけど、そろそろ明日の話でもしよっか」
「そうだな。あの男もあの男で別の仕事があるだろうからな」
朝倉がポッキーを咥えながらバッグから一枚の紙を取り出した。それは、明日のまほら武道会本選のトーナメント表である。そこには明日の対戦相手が書かれていた。
「にしても、あんたらクジ運が悪すぎでしょ」
――第五試合、桜咲刹那vs葛葉刀子
――第六試合、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルvs高畑・T・タカミチ
二人とも武闘派の教員が相手である。間違いなくマイナスを潰すことを目的とした大会への派遣だろう。しかも、どちらも勝ったとしても次の対戦で潰し合うことになる。この二連戦は正直かなりキツイ。死のブロックと言えるだろう。高畑の二タテだけは避けたいところだが……
「好都合です。学園祭最終日に出張れないよう、病院送りにしてあげますよ」
「当然だ。タカミチの奴に舐められたままで終われるか。私の恐ろしさを刻み付けてやる」
私の心配は杞憂だったようだ。桜咲の顔には凄絶な、マクダウェルの顔には陰惨な笑みがそれぞれ浮かんでいた。
「ま、私も他人の心配をしてる場合じゃねーか」
紙面に目を落とす。そこには、マイナスらしい絶望的な対戦カードが示されていた。こんなふざけた偽名を使うのはあいつしかいない。
――第二試合、長谷川千雨vsクウネル・サンダース