翌日のクラスは大騒ぎだった。普段は全く生徒会選挙なんて興味の無い連中だが、クラスメイトが立候補したとなれば気になるものらしい。たとえそれが、クラスで特に目立つ訳でもない私であっても。
「ねえねえ、千雨ちゃん!生徒会長に立候補したんだって?」
「はー、そういうの興味なさそうに見えて、意外と熱血なんだねー」
「私達も投票するからね!」
中学校の選挙なんてのは、大抵がクラスからやりたくもない奴が無理矢理出馬させられるか、あるいは内申点狙いの連中である。受験生である三年を除いた各クラスから、それぞれ一名ずつ役員に出馬させられるのが通例であった。しかし、それでも学園をより良くしようという志の高い生徒も少なからずおり、そういった真剣に選挙に取り組む連中こそが私の敵となるだろう。とにかく、まずは選挙活動だ。
「千雨さん、生徒会長に立候補したそうですね。正直、あまり想像付きませんが」
「ははっ、自分でもそう思うぜ」
「ですが、もちろん応援しますよ。とりあえず、剣道部の部員は千雨さんに投票させますのでご安心を」
「手荒な真似はよしてくれよ」
目の前の桜咲に苦笑しながら答えた。マジで強制的に投票させそうな凶々しい瞳である。
「それより、桜咲に頼みたいことがあるんだが……」
「何ですか?私にできることなら何でもしますが」
「お前も生徒会に入ってくれないか?私だけだと今後が大変そうだし」
私の言葉を聞いた桜咲の顔に困惑の色が浮かぶ。しかし、すぐに喜色満面の笑みへと変化した。私の肩を掴んで嬉しそうに顔を近付ける。こちらが引くほどの喜びようだ。
「もちろんです!千雨さんと一緒に過ごせるなら喜んで!部活なんてクソくらえです!」
「そ、そうか……助かるよ。役職はどうする?字も上手いし『書記』にするか?」
「役職なんて何でも構いません!さっそく立候補の書類を貰ってきます!」
そう言うやいなや、凄まじいスピードで桜咲は教室から走り去っていった。
自身の選挙活動と平行して、私は生徒会役員の選定を始めていた。負完全に完成している球磨川さんならば、メンバー集めなんて必要ないのだろう。しかし、私には弱さを補う仲間が必要だった。スケジュールを考えれば、わざわざ時間を掛けて生徒会役員を掌握していられないというのもある。そのため、私は生徒会役員の候補者たちに声を掛けていた。
「へえ、面白そうな話だね」
「お断りさせてもらうネ」
朝倉と超。呼び出した二人の反応は対照的なものだった。
「んーと。じゃあ、朝倉は了承ってことでいいか?」
「いいよ。これからの騒動を観察するには絶好のポジションだしね。役職は『会計』でお願い」
「わかった。助かるぜ、朝倉。私達の行動の邪魔をしない生徒ってのは少なくてな」
「立候補するからって当選できるかは保証しないけどね。じゃ、詳しい話はまた明日にしてよ」
話は済んだという風に、手を振って去っていく朝倉。そして、残された超はやれやれと首を左右に振った。
「言ったはずネ。過負荷(マイナス)の味方は必要ないヨ。特に学園祭の差し迫ったこの時期にはネ。プラスにマイナスを加えたら、マイナスになるだけヨ」
やはりと言うべきか、にべもなく断られてしまう。それでも説得するしかない。これから私達が巻き起こすクーデターに与する、もしくは傍観してくれそうな人はほとんどいないのだ。
「別に味方になってくれなんて言わねーよ。ただ、生徒会役員に敵対者が入っちゃうと話が進まねーんだよ。こっちはこっちで好きにやるからさ。敵対さえしなければ、お前は傍観者でもいいぜ」
「距離が近すぎるネ。球磨川禊の影響下にいやおうなく置かれそうだヨ」
説得を試みるが、やはり超は難色を示している。元々、過負荷(マイナス)の敗北のジンクスを気にしていたしな。
「……いや、もう遅いカ」
少しの間あごに手を当てて考え込んだ後、超はポツリとつぶやいた。苦虫を噛み潰したような渋い表情を浮かべている。
「すでに過負荷(マイナス)の勢力は動き出しているし、麻帆良にいる限りは球磨川禊を無視することはできないカ。すでに、マイナス要素の使い方を考えないとならない展開に入っているのかもしれないネ」
球磨川さんが学園に侵入してしまった以上、災厄としてのマイナスから無関係でいることなど不可能なのだ。あとは、どう関わるかだけ。これから麻帆良には嵐が巻き起こるだろう。もはや、暴風圏外に逃げることはできないのだ。
「出馬の件、承諾するネ。役職はどうすればいいカ?」
「『副会長』をお願いするぜ」
「仕方ないネ。せいぜい第三勢力として有効に活用させてもらうヨ」
生徒会メンバー集めと同時に、当然ながら選挙活動もしなければならない。というか、こっちの方が本来なら問題だろう。たいして目立たない生徒である私は、普通に選挙を行っても当選することが困難なのだ。
しかも現在の私達は、ある程度は正攻法で臨まなければならないのだ。権力で勝る学園側が手を出してこないのは、あくまで正式な学校行事であるからに他ならない。魔法使いには、不法な魔法使用を防ぐための厳格なルールというしがらみがあるのだ。暴力で無理矢理に票を集めるなど論外。即刻、立候補取り消しにされてしまうだろう。こうしている今も監視の目が突き刺さっていた。ま、それもやり方次第だ。
「あ、ちょっといいかな?私は三年の長谷川千雨っていうんだけど」
「はい。長谷川先輩、ですね。それで話というのは……?」
「ああ、これを見て貰いたくてね」
がらんと人気の無い空き教室。そこへ呼び出したのは元生徒副会長にして、今回の生徒会長に立候補している後輩である。人望も厚く、今期は生徒会長当選は確実ともっぱらの噂だ。そんな彼女に見せたのは一枚の携帯の画像。
「なっ……!?」
――そこにはベッド上で撮影されたと思われる裸の男女の姿があった。
「駄目だぜー。中学生がこんな不純異性交遊してちゃあさ」
「そ、そんな…何で……」
手を口元に当て、顔を青ざめさせる少女。怯えたように震える後輩に向けて、薄笑いを浮かべながら声を掛ける。
「PC内にこんなハメ撮り画像を保存しちゃ危険なんだよね。ネットを通して侵入するなんて簡単」
「か、返してください!」
「そうだよなー。そんな画像が出回ったら大変だよなー。もし騒ぎになったら最悪、退学かも」
「な、何が目的なんですか……?私の家に……お金なんてありませんよ」
「話が早くて結構。じつは私、今期の生徒会長に立候補しててね。ま、単刀直入に言うと――立候補を取り消してくれないか?」
涙を浮かべ、絶望的な表情で懇願する少女に対して、私は脅迫の言葉を返してやった。想定外の条件に一瞬だけ呆気に取られた風に口を開ける。しかし、すぐに訝しげな視線が向けられた。生徒会長にこだわる理由が分からないのだろう。本来、生徒会長になったところで実利的なメリットなんてほとんどないのだから。
「これは親切で言ってるんだぜ?別にこの画像をばらまいて強制的に支持率を下げてもいいんだから」
「す、すみません……言うとおりにします。ですから、どうかその画像だけは……」
それを聞いた途端、自分の立場を思い出したのか、再び自殺しそうなほどに顔面を蒼白にさせてしまった。そんな彼女に対して、私は安心させるようにほがらかに笑い掛けてやる。
「そうか、ありがとう。ははっ、そんな怖がるなよ。鞭ばっかりじゃ気の毒だし、あんたにもメリットの飴をあげるからさ」
しかし、甘い言葉にも目の前の少女の固い表情はまるでほぐれない。恐怖と薄気味悪さに襲われ、手足が震えてしまっている。まるで、私のマイナスで心まで凍りついてしまったかのようだ。そんな彼女に顔を近付け、下から覗き込むように瞳を見つめる。
「ほら、一緒に映ってる彼氏に付き纏っている女いるだろ?去年、生徒会で書記やってたさ」
「……っ!?」
「邪魔だって思ってたろ?もうそんな苛立ちに心を痛める必要はないぜ。私はそいつの弱味握っててさ。教えてやるよ。彼氏を寝取られる前にどうにかしたいって思ってただろ?」
少女は怯えを瞳に映しながら、コクリと頷くしかなかった。完全に心を折られ、その場に立ち竦む少女の耳元で一言二言を囁いた。これで用事は済んだ。ちょうど休み時間終了のチャイムが鳴り、私は踵を返して去っていった。教室への帰り際、私は懐から手帳を取り出すと、書き並べられた名前の内の二つをペンで塗り潰した。気持ち悪い笑みを浮かべ、つぶやく。
「これで二人が辞退、と」
選挙とは立候補者の中で一位になれば当選するという制度。だとすれば、自分よりも人気のある生徒を減らしていけば、普通の選挙活動をして、そこそこの支持率の私が当選することになるのだ。誰がどの程度の支持率を持っているかは、学園を歩き回っていれば自然と読み取れる。こういった立候補者を減らす作業は得意分野。脅迫と誘惑ならば学園で私の右に出るものなどいないだろう。
その日の夕方、学園から離れた林の中に建てられたログハウスを訪れていた。そこに住んでいるのはエヴァンジェリン・マクダウェルと絡繰茶々丸の二人。いや、正確には吸血鬼とアンドロイドなので人ではないが。そんな二人の家を訪れた私は、単刀直入に用件を切り出していた。
「マクダウェル、生徒会役員に立候補してくれないか?」
「断る」
マクダウェルはあっさりと拒否の言葉を吐き、ズズ…と紅茶に口を付けた。考える素振りも見せずに断られてしまった。ま、想定内の話ではあるが。
「一応、理由を聞かせてくれないか?」
「フン……そもそも承諾する理由が無いだろうが。なぜわざわざ面倒事を引き受けねばならんのだ。過負荷(マイナス)に関わるとロクなことがない。それに、私が学園の警備員だということを忘れたのか?」
「警備員だからって何の問題があるんだ?これは正式な学園の行事じゃねーか」
「何か企んでいるというのが透けて見えるぞ。あの男、球磨川禊に関わってメリットなんて一つもないだろうが」
忌々しげな渋面を浮かべるマクダウェルの言葉に、首を横に振ることで答える。
「いやいや、もちろんメリットは提供するつもりだぜ」
「ほぅ……言ってみろ。この場で叩き出したいところだが、聞くだけ聞いてやろう」
「それは助かるぜ。ナギ・スプリングフィールドが生きている、ってのは知ってるな?」
「ああ、そのようだな」
「――会いに行きたくはないか?」
ゴクリと目の前の少女が息を呑んだ。空気が変わる。マクダウェルの目付きがわずかに鋭くなった。相手の魔力が少ないがゆえに私の過負荷(マイナス)は十分に発動できている。心の隙を突いた一言に反論の言葉はない。現在のマクダウェルの生きる指針は、学園の治安維持でも吸血鬼としての力を取り戻すことでもない。
――自身の恋焦がれるナギ・スプリングフィールドに再会すること
それ以外は彼女にとっては些事に過ぎない。私の言葉でそれを自覚したようだった。だるそうな表情は一変し、目的を思い出した彼女の顔には肉食獣のごとき獰猛な笑みが浮かんでいた。
「人間の寿命を吸血鬼のあんたと一緒にしちゃいけないぜ。こんな学園でのんびりしてる暇なんてないんじゃねーか?」
「……この身体は『登校地獄』の呪いと学園結界に縛られている。それをどうにかできるというのか?」
「そうだ。学園から離れられない呪いと学園内で力を封印する術式。この二つを無効化すれば、あんたは晴れて自由の身となる」
それが出来れば苦労はしない、とマクダウェルの瞳が懐疑的に向けられる。英雄ナギ・スプリングフィールドの施した呪い。麻帆良の科学技術と魔法技術の粋を結集した学園結界。どちらも門外漢の私達に解呪も解除もできる代物ではない。いや、球磨川さんなら可能かもしれないが、その必要もないだろう。なぜなら――
「――麻帆良学園都市そのものを壊滅させる」
「何だと……!?」
「球磨川さんの目的は麻帆良に在籍するエリートを抹殺すること。抹殺といっても精神性をマイナスにするだけだから安心していいぜ。廃校に通うことはできないし、電力が通わなくなれば結界も解かれるだろうよ」
何でもない風に話す私を前にして、少女の顔に戦慄が浮かぶ。しかし、すぐにその顔には愉しそうな笑みが戻っていた。嗜虐的に笑うマクダウェルの様からはマイナスの雰囲気が漂っている。そう、恋に綺麗ごとは必要ない。
だって――恋は戦争なのだから。
「面白い。たしかに、私らしくもなく飼い慣らされていたようだな。くくっ……悪の魔法使いとして、最悪の吸血鬼として、――再び麻帆良に反旗を翻すとしよう」
「感謝するぜ。役職は『庶務』で立候補してくれ」
「ああ、そうだ。ひとつ言い忘れていたが、仕事は茶々丸にやらせるぞ。雑用なら得意分野だしな」
「はいはい。まったく……怠惰な吸血鬼様だぜ」
完全に仕事をする気のない少女に小さく苦笑する。いや、私も実務は超と朝倉に任せようと思ってたんだけどな。にしても、これで生徒会役員への根回しは済んだ。あとは選挙活動を行うだけだ。
それから一週間後、生徒会選挙の投票結果が発表された。半数近くの立候補者が棄権したが、無事に生徒会役員の選抜は終了したのだった。その内訳がこちらである。
『生徒会長』三年A組――長谷川千雨
『副会長』三年A組――超鈴音
『会計』三年A組――朝倉和美
『書記』三年A組――桜咲刹那
『庶務』三年A組――エヴァンジェリン・マクダウェル
――こうして、麻帆良学園女子中等部史上、最低の生徒会が発足したのだった。