翌日、球磨川さんの事情を尋ねるため、様々な生徒が私に接触を図ってきた。まず、登校した私を待っていたのは神楽坂や綾瀬などのネギ陣営。
「ちょっと千雨ちゃん!どうなってんのよ、あの人!」
「あれが噂の球磨川禊!?いや、やばすぎでしょ、あれ!」
「というか、水槽学園にいたと聞いたのですが。どうして無事に転校してきてるです!」
教室に足を踏み入れるやいなや、掴み掛かるように迫ってきたクラスメイト達を何とかなだめようと手を前で振ってみせる。
「おいおい、落ち着けって。球磨川さんのことを私に聞かれてもわかんねーよ。実際に会ったのは、これがまだ二回目なんだから」
しかし、この返答は不満らしい。疑わしそうな瞳で見つめてくる。
「でも、千雨ちゃんなら何か知ってるんじゃない?だって……」
「ストーカーだったんだし、か?知らねーよ。あんなトンデモな能力は隠されてたみてーだし」
「本当に~?」
「本当だって。私が嘘吐いたことなんてねーだろ」
「その言葉が一番嘘くさいけどね」
とりあえず、こいつらには誤魔化しておいた。
昼休みに現れたのは悪平等(ノットイコール)である朝倉だった。
「でさ、『負完全』球磨川禊のこと、教えて欲しいんだけど」
「情報料は?」
「そうねぇ……。学園長の動向ってのはどう?」
その条件を聞き、あごに手を当てて少しだけ考え込む。私の知っている情報なんてたかが知れている。教えても問題ないか?いや、と首を左右に振った。
「やっぱりその取引は呑めないな。球磨川さんから何かあったら連絡するよ」
悪平等(ノットイコール)と過負荷(マイナス)の関係を考えると、あまり軽々しく情報は与えない方がいいだろう。罠情報を掴まされるかもしれないしな。球磨川さんの転入によって、この学園の悪平等(ノットイコール)の態度がどう変化するのかが分からないうちは信用することはできない。
最後に現れたのは、放課後の下駄箱で待っていた超だった。彼女が告げたのは短い一言。その顔に普段の大胆不敵な笑みは浮かんでおらず、苦々しく歪んでいた。
「私達の計画に関わらないでもらいたいネ。そう伝えて欲しいヨ」
「……わかった。って言っても球磨川さんがどうするかはわかんねーけどな」
「構わないヨ。それに確約されたとしても、彼の言葉を鵜呑みにはできないしネ。まったく……ここにきて最悪のイレギュラーが発生したヨ」
わずかに憔悴した風に溜息を吐く超。
「過負荷(マイナス)の連中は、敵に回すには醜悪すぎるし、味方に回すには最悪すぎるヨ。距離をとって第三者として眺めるくらいが限界ネ」
「というのが今日の顛末です。球磨川さん」
放課後、そんな感じで今日の出来事を球磨川さんに報告していた。ついでに校舎の案内をしながら麻帆良を歩く。これってもしかして初デート!?なんてテンションを上げていたが、球磨川さんの顔はまるで普段通りだった。
『なるほどね。だいたいの情勢は理解できたよ』
「それと、学園側からは特に接触はありませんでした。球磨川さんの方はどうでした?」
『僕のところには誰も来なかったよ。とりあえずは様子見ってところかな』
こうしている現在も監視の目は感じられない。あれだけ球磨川さんを警戒していた学園長だ。いつまでも野放しってことはないだろうが……。
『話を聞く限り、この麻帆良における勢力は三つだね。まずは魔法先生、魔法生徒による学園治安維持組織。二つ目が学園内の悪平等(ノットイコール)。そして、三つ目が超鈴音を始めとしたクーデター組』
「そうですね。ちなみに、ネギ先生の一派は学園側と見ていいでしょう」
『まず学園治安維持組織についてだけど。これは戦闘力における最大派閥だね。学園の上層部を占めているというのもあって権力的にもそう。僕たちにとって、当面の敵はここだね』
楽しそうに話す球磨川さんに小さく頷く。目下の脅威はここだ。すでに宣戦布告されている立場だし。ただし、正式な組織であるがゆえに、学園の生徒である私達の排除は簡単ではないだろう。腐っても教育機関だということだ。
『二つ目の悪平等(ノットイコール)については……考えなくていいよ』
「なぜです?数は少ないとはいえ、誰も彼も厄介なスキルを保有している能力保有者(スキルホルダー)ですよ?」
『安心院さんが封印されている今、彼女たちは組織立った活動はしていないからだよ。どこの勢力に付くにせよ、それは群体としてではないからね。個々の動きならそれほど脅威ではないよ。その朝倉さんって娘だってそうだろ?』
「そうですね。あいつなら学園の悪平等(ノットイコール)の情報を統括できているはずですが、特に連絡を取っている様子はないですし」
そして、一般生徒の大半も悪平等(ノットイコール)のはずだが、それは考慮する必要はないだろう。普通(ノーマル)の生徒が障害になるとは思えない。
「じゃあ、最後のクーデター組についてですが……。いいんですか?超の計画について話さなくても」
『うん。僕が下手に知っちゃうと、逆に邪魔しちゃうかもしれないしね。千雨ちゃんがお世話になった人なんでしょ?エリートなのか負け犬なのか判断しづらいけど、千雨ちゃんに免じて彼女の条件を呑んであげるよ』
「そうですか。ありがとうございます」
一通りの話が終わり、最後に着いたのは世界樹の前だった。そこには屋久島の杉なんて相手にもならないほどの大樹がそびえ立っている。そして、広場には誰もいない。人払いの結界か……。いや、そこには二人の少女がいた。
「お待ちしておりましたわ!球磨川禊さん!長谷川千雨さん!事情は分かりませんが、とにかくあなた方は学園の敵らしいですわね!」
「ちょ、ちょっと……。まずいですよ~。先生たちからも関わらないように厳命されてるのに~」
「お黙りなさい!教師陣が手を出せないのなら、私が成敗して差し上げます!」
高飛車そうな声を上げる金髪の先輩を、気弱そうな少女が困ったように止めている様子だ。片方の金髪は聖ウルスラ女子高の制服。もう片方は私の中学の後輩の二年。読み取ってみると、どちらも魔法生徒のようだ。同時に、すべての魔法関係者が私の認識に干渉してくるわけではないと知れて安堵する。
『まあまあ、喧嘩はやめなよ。取り込み中みたいだし、僕たちは席を外すからさ』
「お待ちなさい!私の目の黒い内はあなた方の好き勝手にはさせませんわ!」
金髪は頭に血が上ったように顔を赤くして、球磨川さんの言葉に突っ込みを入れる。
「おいおい、一体何が問題だって言うんだ?今のところ、私達に問題を起こしたつもりはないぜ。それとも、ここは素行に問題のない生徒を無理矢理退学にするような横暴な学園なのか?」
「そ、それは……」
「そうですよ~。だからお姉様も帰りましょうって」
私の正論に金髪がたじろぐ様子を見せた。ま、実際には排除すべきなんだけどな。過負荷(マイナス)を内部に置いておくなんて、治療せずにガン細胞を放っておくようなものなんだから。この金髪はそれを本能的に感じ取っているのだろう。それでも一向にこの場を離れようとはしない。それどころか、呪文を詠唱し、周囲に影でできたらしい人間大の人形を大量に出現させた。
「お姉様~!使い魔なんて出しちゃダメですよ~」
「いえ、彼らはここで倒しておかないといけませんわ。そんな嫌な予感がしますの。悪く思わないでくださいね」
そして、手を前に振り出すと、同時に十数体もの仮面の影が襲い来る。幸いにも動きの速さは人間相当。とりあえず私でも何とか初撃を回避することができた。しかし――
『ぐえっ!』
潰れた蛙のような呻き声を上げて、あっさりと球磨川さんが殴り飛ばされていた。運動不足の中学生女子よりも弱いのか……。
『いったー。千雨ちゃん、何とかしてよ』
「そうしたいのは山々なんですが……。私の過負荷(マイナス)は戦闘には全く役立たずで」
『そういえば、まだ千雨ちゃんの過負荷(マイナス)ってどんなのか聞いてないよね?教えてよ』
敵襲の最中とは思えないほどの落ち着きようだが、私もそれほど切迫感はなかった。飛んでくる拳を地面を転がり、間一髪で回避する。そして、球磨川さんのそばに近寄り、耳元で囁いた。
「私の過負荷(マイナス)『事故申告(リップ・ザ・リップ)』の効力は――『他人の隠し事を読み取ること』です。申し訳ないですけど、戦闘では使えません」
どうやって逃げましょう、と続けた私の言葉は、しかし球磨川さんには届いていないようだった。呆気に取られたような表情を浮かべたあと、すぐに楽しそうに声を上げて笑いだす。
『あはははははっ!なるほどね。過負荷(マイナス)のスキルは生まれつきじゃなく、環境で決まるとは言うけど。あはっ、こうなるのか』
「ええと……どうしました?」
『いやいや、何でもないよ。やっぱり僕がこの学園に来たのは意味のあることだったみたいだ。千雨ちゃん、僕を見ててよ』
「え?あ、はい」
「……話は終わりですか?」
律儀な性格なのか、金髪は私達の内緒話が終わるのを待っていてくれたようだ。いや、それとも強者の余裕なのかもしれない。先ほどから防戦一方だし。
「どうします?この学園から出て行ってくださるのなら、これ以上の手は出さないことを誓いますわ。学園長も推薦状くらいなら書いてくださるでしょう」
『うーん。でも、転校してすぐにまた転校じゃ、両親が心配するしなー。とにかく、これは反論の余地ないよね。――僕は悪くない』
金髪が呆然と立ち竦むのが見える。なぜなら、いつの間にか――
「なっ……!?め、愛衣っ!」
――隣にいたはずの後輩が、全身をネジで貫かれて磔にされていたのだから。
「あ、あなた何を……。まるで……時間がなかったことにされたみたいに……!」
当事者には何が起きたのか分からなかっただろうが、私には見えた。二人の弱点、意識の隙を突いて走り寄る姿を。そして、ネジを肉体的・精神的な死角に螺子込んだのだ。
「あなたたち!許しませんわ!」
後輩の少女に駆け寄って涙を流していた金髪は、怒りと共に影に号令を発した。多数の影の使い魔が私達に向かって再び襲い掛かる。
『じゃ、あとは頼んだよ』
「え?ちょ、ちょっと球磨川さん!?……ごふっ」
そう言って球磨川さんは私の後方へと逃げてしまった。先ほどよりも速度を増した影の攻撃が、容赦なく私の身体を捉え、打ちつける。殴られ、ふらついたところに加えられる追撃。為す術なくその場から弾き飛ばされた。
「く、球磨川さん……」
後ろを振り向くと何も言わずにこちらを見つめている球磨川さんの姿があった。その瞳には何か期待するような色が映っている。長年、球磨川さんを見てきた私にはそれが分かる。だったら、その期待には応えないと。
『僕を見ててよ』
さっき球磨川さんが私に伝えてくれた言葉を思い出す。球磨川さんがネジで磔にしたことも。そして、ふと疑問を感じた。どうして自分は球磨川さんの動きを理解できたのか……。
「ぼうっとしている暇があるのですか!」
「くっ……」
左右から迫る二人の攻撃を背後に跳ぶことで回避する。さらに繰り出される一撃を、今度は右へステップして紙一重でかわす。前髪が拳圧で揺れる。四方八方からの攻撃はやむことはない。
「ぐぅぅ……さっきから、ちょこまかと!」
その暴風のような攻撃を回避しながら、私は困惑していた。どうして回避できているんだ?さっきまでボコボコに殴られていたっていうのに、今では余裕をもって避けられている。
『どうやら掴んだようだね』
聞こえた声の方向に視線を向けると、そこには満足気な笑みを浮かべた球磨川さんの姿があった。
『それが、きみのスキルの戦闘への活用法だ。千雨ちゃんは昔から固定観念が強かったからね。気付かなかったのも無理はないかな』
「あなた達!おしゃべりしている余裕なんてあるんですか!」
『でも、面白いよ。確かに有り得ない話じゃない。あの状況ではこんな過負荷(マイナス)が生まれるのか』
私の心が誇らしい気持ちで満たされる。これは確かに私にとって最高で最低の過負荷(マイナス)だ。カチリと懐から取り出したナイフの刃を外気に晒した。これをどう突き立てれば良いかも感覚的に理解する。軌道とタイミングも体が勝手に動いてくれるはずだ。すべては一瞬の出来事。
「これで終わりで――かはっ!」
――金髪ののどにナイフが突き刺さっていた。
「これが私の過負荷(マイナス)の本当の効果。――『相手の弱さを見抜くスキル』」
『そう。僕と出会ったことで生まれたのなら、確かにそれがふさわしい』
この世の弱さという弱さを知り尽くした球磨川さん。その固有スキルを私は手にしていたのだ。圧倒的な歓喜に満たされ、自身の顔に気持ちの悪い笑みが浮かび上がるのを感じる。
のどを切り裂かれた金髪は、呪文詠唱をすることもできずに噴水のように鮮血を撒き散らしながら地面に倒れ伏した。魔法使いの弱点はのどなのだ。
『でも、彼女たちに手を出してしまった以上は僕たちの負けだよね。これからは大手を振って僕たちを排除しにくるはずさ』
苦々しく自分の唇を噛み締めた。確かにそうだ。どちらが先に手を出したかなんて水掛け論になるだけ。こちらを処分する建前を作ってしまった形だ。
『ま、この娘はあとで生き返らせるとして。はい、千雨ちゃん。きみになら計画を託せそうだ』
「……何です、その紙?」
球磨川さんは鞄からクリップで留められた分厚い紙の束を取り出した。それを私へと差し出す。
『千雨ちゃん、この学園で次に行われるイベントって何か知ってる?』
「麻帆良学園祭ですよね?」
『違うよ。その前に行われるイベント。まーでも、千雨ちゃんは興味なさそうだしね』
渡された紙の束に視線を落とす。その表紙に書かれていたのは『生徒会選挙立候補要覧』の文字。
――生徒会選挙?
「ええと、これが何か?もしかして、生徒会役員に立候補するつもりなんですか?」
『惜しい。訂正が二つあるね。一つは生徒会役員じゃなくて生徒会長に立候補するつもりだってこと。そして、もう一つは――』
――千雨ちゃんも立候補してもらうってこと
「ええっ!?どういうことですか。というか、私達すでに三年じゃないですか!?」
『この学園は半期ごとに選挙を行うんだから、三年でも立候補可能だよ。僕は麻帆良本校男子高等学校、きみには本校女子中等学校で生徒会長になってほしい』
「球磨川さんの頼みでしたら是非もありません。でも、どうして生徒会長になんか……?」
困惑を隠しきれずに尋ねる。それに対して球磨川さんは、私の持っている紙の束を指して答えた。
『読んでみなよ。その29枚目の学園則第二十条十三項。まさに襲撃されるのが日常茶飯事のこの学園ならではだよね。生徒会が乗っ取られたときのことまで考えて学園則が作られてるなんてさ』
「これは……!」
『第二十条十三項「麻帆良学園における二名以上の生徒会長の連名により、他校の生徒会業務を停止し、これを引き継ぐことができる」』
そうか!この麻帆良には多数の学校が存在している。先ほどの金髪の聖ウルスラ女子高等学校や麻帆良工科大学や麻帆良芸術大学、それに伴う付属校など十や二十では済まない数なのだ。本来は生徒会業務を行えなくなった学校や問題のある学校の業務を、他校が引き継いで運営するというものだが。それを逆用して麻帆良を掌握しようという計画なんて!
『とはいえ、問題も多いけどね。最終的には学校間の勢力争いになるし。でも、まずは生徒会長にならないと』
「わかりました!必ずや当選してみせます!」
決意を込めて球磨川さんに宣言した。正直、自信なんて無い。だけど、球磨川さんの計画は成就させると決めたのだ。
『ありがとう。じゃあ、始めようか――生徒会選挙を』
そして、これが麻帆良学園を二分する学園間抗争。学園を震撼させる恐怖の始まりだった。