「―――宣戦布告じゃ」
それは突然の事だった。
学園長室に集められた私達を前にして、学園長がなんの前置きもなくそう告げたのだ。
―――事の発端は少し時を遡る。
学園祭最終日、私は、お嬢様、明日菜さん、ネギ先生の4人で連れ立って行動をしていた。
多少のトラブルはあるものの、至って平穏であり危険を感じるようなものでは無かった事から、今年も無事に終わりそうだと安堵していた時の事だった。
突如としてネギ先生の携帯電話が鳴る。
そして耳を疑った。
その話の内容は緊急招集。
それも学園内にいる魔法先生、生徒問わず全てという異例のものだ。
電話では詳細な内容は知らされず、とにかく急いで学園長室に集合との事。
そんな余りにも不明瞭な連絡に互いに顔を見合わせ、首を傾げながらも学園長室の重い扉を開き、そんな到着したばかりの私達を待っていたのが先の言葉だった。
「……せ、刹那さん、これ、どういう事?」
そんな状況に着いて行けず、明日菜さんが小声で尋ねてくる。
傍らを見ると、お嬢様も同じような心境らしく、戸惑いの表情をされていた。
「……私にも分かりません。恐らくこれから説明がされるのでしょうが……」
明日菜さんとそんな会話をしながら事の成り行きを見守っていると、一人の先生が声を上げた。
「が、学園長……宣戦布告とは一体?」
集まった多くの魔法関係者達がどよめく中、一人の先生の声……ガンドルフィーニ先生だ。
その疑問はここにいる誰もが感じている事だろう。
いきなり呼びつけられ、宣戦布告だと言われた所で理解できる訳が無い。
「……うむ。ワシも突然の事で驚いているんじゃが……まあ、これを見てもらった方が早いかの」
学園長はそう言うと、机に備え付けられていたモニターをこちらに向けた。
すると、
『―――ヤア、魔法使いの諸君。学園祭は楽しんでいるかナ? 見知ている者も多イとは思うガ自己紹介をして置こウ。―――私の名前は超鈴音』
そこに映し出されたのは超鈴音……見知ったクラスメイトの姿だった。
「チャオさんッ!?」
その姿を見たネギ先生は驚きの声を上げる。
私自身も勿論驚いているが、それでも心のどこかで妙に納得もしていた。
それと言うのも、今ネギ先生がスーツの内側にしまっている、とある懐中時計によるものだ。
その懐中時計は、学園祭の前日に魔法使い達の会合を覗き見していたらしいチャオが、それを見つかった魔法先生に追われていた際、それを助けたネギ先生にお礼という形で渡された物。
しかし、この懐中時計が私の猜疑心を生んだ。
―――この時計は時の流れを操れる。
正直、自分で言っておいてなんだが、荒唐無稽で到底信じられないような与太話にしか聞こえない。
だが、私は信じるしかなかった。
いや、信じざるを得なかったと言うべきか。……実際にこの身でその荒唐無稽を体験してしまったのだから。
切欠は些細な出来事。
学園祭の初日、前日の徹夜で疲れていたネギ先生の仮眠の付き添いとして、保健室で休んでいた時の事だった。
本来ならば30分で起こす筈だったのだが、不覚にも私も寝入ってしまい、気がついた時には数時間も経過した後だった。
その日に色々な予定が詰まっていたネギ先生は大いに慌てたのだが、次の瞬間―――それは起こった。
グルン、と。
まるで、世界が自分の足元を中心に回ったような、なんとも表現の出来ない感覚を味わうと、時間が学園祭の朝まで遡っていたのだった。
時を操る魔法など、古今東西、どんな魔法使いのも不可能と言われている所業。
そんな凄まじい事を可能にする代物を、何故超鈴音のような学生が作る事が出来るのか。
そして、何故それをネギ先生に渡したのか。
私の中で疑問がいくつも生まれていった。
更に言うならば、武道会の出来事もそうだ。
主催者である超鈴音は、開会式のスピーチで魔法を公言するかのような発言をしたのだ。
それは、魔法は秘匿するべしと言う魔法使い達に対する挑戦状とも言える内容だ。
しかし、その場は大会の規模、すでに大勢の人間に告知された大会で、急遽大会を中止させる事が出来ない状況であるといった事から、その場に居た士郎さんと高畑先生の判断で様子を伺うと言った判断が下された。
そのような出来事を重ねれば、彼女に対する不信感はそうそう拭い去れるものでは無くなっていたのだ。
『私には常日頃カラ考えている事があるネ。それは君達魔法使いの在り方ヨ。君達は何故世の中から隠れようとしているのカ? 君達だて世間に認知されていればもと多くの人の力に
なれると思た事があるのではないか?』
画面の中の超鈴音が朗々と歌い上げるように言葉を紡ぐ。
『態々人の目を気にして思うままにその力を行使できたら、もっと様々な場面で人々の力になれるのにト……そんな事を少なからず考えた事がある者は少なくないと思ウ。―――私は、君達がもと動きやすい世界にしたい。もと君達が力を振るえるようにしたい』
そして告げた。
『故に私は―――世界に対して魔法の存在を公表する』
「な、なに!?」
それを聞いたガンドルフィーニ先生が声を上げる。
それはそうだろう。
世界に対して魔法の存在を公表などすれば、世界はたやすく混乱する。
そんな事を実行しようとする、超の発言の意味が分かるからこその驚きに違いない。
『無論、君達だて容易に頷ける内容ではない事は理解している。―――だが、私もこの考えを曲げようとは思わないネ。故に私は君達、魔法使い諸君に対して宣戦を布告する! 本日18時、私達は機動歩兵兵器約2500にて侵攻を開始。世界樹を占拠し、全世界に対して強制認識魔法を展開する! ……一応、兵器等には一般人に対して危害を加えないようプロテクトはかけているガ、無理矢理その行動を制限された場合はその限りではなイ。なので、一般生徒達には非難させる事を強くおススメするネ。勿論、進軍を阻止する魔法使い諸君に対しては一切の加減をしないのでそのつもりデ。……なに、慣れてしまえば意外と暮らし易い世界かも知れないヨ? では諸君―――変わった世界の後で会おウ。……再見』
ブツッと。
そこで映像が途切れた。
「……と、まあ、以上のような顛末じゃ。知っておる者もおるじゃろうが、超鈴音はあの絡繰茶々丸の製作者でもあり、魔法とも浅くはない関係を持っておる事を踏まえると、こちら側の情報はほぼ全て握られていると考えたほうがいいじゃろう」
「が、学園長、よろしいでしょうか?」
「ん? どうしたんじゃネギ君」
「……あの、全世界に対する強制認識魔法なんて可能なのでしょうか?」
「……ふむ、確かに世界樹の魔力を利用すれば不可能ではないかもしれんが、それが全世界相手ともなると、恐らくかなり効力も弱まってしまうじゃろうな。せいぜい『魔法はあるかもしれない』、もしくは『魔法があったら良いな』程度の認識程度にしかならんじゃろう」
「な、なら万が一強制認識魔法が発動してしまっても実害はないんじゃ?」
「……それがのう……今回ばかりは別なんじゃよ」
「別……って言いますと?」
「うむ。確かに通常ならば大した実害にはならんかったろう。じゃが、今回は例の武道会の試合の様子がインターネット上で話題になっているんじゃよ……あれは魔法なんじゃないか、との。超鈴音は周到じゃった、彼女はほぼ間違いなく今回の事を見据えてあの大会を催したのじゃろう。所謂、魔法を受け入れるための受け皿を植え付けられたのじゃ」
「……そ、それじゃあ」
「……うむ、今の状態で強制認識魔法が展開されれば、爆発的な勢いで魔法を現実のものとして受け入れ始めるじゃろうて……」
「そ、そんな……」
学園長のその言葉にネギ先生は俯いてしまう。
ネギ先生の心中を察すれば無理もない。
今まで生徒として教えていた相手が敵になってしまったのだから。
学園長はそんなネギ先生を見て、微かに目尻を下げ、同情の篭った溜息を吐いた。
しかし、すぐに気を取り直したように私達に視線を向けた。
「今聞いてもらった通り、自体は深刻じゃ。魔法が世界に広まりなどしても混乱を招くだけじゃ、安定している状態を徒に崩すような真似は断固阻止せねばならん。現在の時刻は8時……幸いまだ時間はある。超鈴音は18時と言っていたが、何も我々がそれに付き合わねばならん義理はないでのう」
それはそうだ。
18時と言うのは向こうが勝手に指定してきているだけで、我々がその言いなりになる必要性は全くないのだ。
「皆には至急、超鈴音の身柄を確保してもらいたい。今ここにいない者達には、既に警戒、及び超鈴音の追跡をしてもらっておる。諸君等には彼等と連携を図り、一刻も早い事態の収拾に努めて貰いたい。―――以上、解散!」
『―――はいっ!』
学園長の声を皮切りに、魔法使い達は皆駆け足で行動へと移って行くと、最後に私達だけが残された。
そうか、そう言えば士郎さんや高畑先生の姿が見えないと思ったら既に出ているのか。
だとすれば私達もすぐに行動に移らねば……。
「な、なんか大変な事になっちゃったわね……刹那さん、どうしよ?」
「……そうですね。まずは先行しているであろう士郎さんと合流をしましょう。何かしらの情報を得ているかもしれませんし……ネギ先生もそれでよろしいですか?」
「……え? ―――あ、は、はい! そうですね、先ずは衛宮さんかタカミチと合流しましょう!」
私の問いに対して、幾分か遅れて反応を示すネギ先生。
……やはり、教え子の中からこういった事件を引き起こす者が現れたのは、相当にショックなのだろう。
これは私が話を進めるしかないか……。
「ほな、ウチがシロ兄やんに電話してみるな?」
「ええ、お願いします」
お嬢様はそう言うと、早速携帯電話を取り出して操作すると、耳に押し当てた。
そうして数瞬。
「…………あや?」
お嬢様が携帯電話から耳を離し、不思議そうな顔で画面を見た。
「どうかされましたか?」
「うん、なんや、シロ兄やんの携帯に電話したら、電源が入っていない~って……」
「―――ああ、成るほど。申し訳ありません、考えが至りませんでした。恐らく士郎さんは超鈴音を追跡の為、電話の電源を切っているのでしょう」
考えてみればそれは当たり前の行為だ。
追跡中に電話が鳴ってしまうような事があれば、自ら自分の場所を知らせている事になるし、そうでなくとも、最近ではGPSで相手の所在が簡単に分かってしまうような事もある。そのような物を士郎さんが身に付けている筈がないのだ。
「ええ~、そうなん? ほな、どないしよ? ウチ等だけで行くん?」
「そうですね……仕方ありません。連絡の取りようがない以上どうする事も出来ませんし、私達だけで動く事にしましょう」
「それもそうね。それじゃあ行きましょうか、ネギ。……ネギ?」
明日菜さんがそう問いかけてもネギ先生の反応がない。
それに違和感を覚えてそちらを見てみると、ネギ先生は俯いていた。
そしてポツリと。
「……僕が間違っていたんでしょうか」
そんな言葉を漏らした。
「え? ちょっとネギ、何言ってんのよ?」
「僕があの時……ガンドルフィーニ先生に追われていた超さんを助けたりしなければ、今みたいな事になっていなかったんでしょうか?」
「ちょ……ち、違うわよネギ! あの時は、」
「―――何も違ったり何かしません! だって、僕があの時、超さんをガンドルフィーニ先生に引き渡していれば今回みたいな事は起こらなかったんですよッ!?」
「ネギ……」
―――ネギ先生が叫んだ。それも姉のような存在の明日菜さんに向かって。
ポロポロと涙を零し、しゃくり上げながらも懸命に。
……そうだ、いつも確りしているのでつい忘れがちになってしまうが、彼はまだ10歳の子供なのだ。今回のような事は、本来ならまだ親の庇護下にあるような少年に背負わせて良い様な重責じゃない。今のようにネギ先生が感情を溢れさせても仕方のない事なのだ。
「……僕が余計な事をしてしまったせいでこんな大変な事になってしまうんなら、僕っ、何もしなかった方が良かったんじゃないですか!?」
「ネギッ!!」
ネギ先生が叫んだ瞬間だった。
明日菜さんが両方の手でネギ先生の頬を挟むように、力一杯ではなく、それでも決して弱くもない力で叩いた。
そうして明日菜さんはネギ先生の顔を覗き込むようにして顔を近づけると、瞳を覗き込んで言った。
「―――いい事ネギ、良く聞きなさい」
「ア、アスナさん」
「確かにアンタは確かに頭が良いかも知れない。子供にしては色々出来るのかもしれない。その上魔法使いで、人一倍出来ることが多いのかもしれない。……だからってね、何でもかんでも出来る超人じゃないの。ただ一人の人間、それも10歳のガキんちょなのよ? だから間違って当たり前。それこそシロ兄だって、もちろん高畑先生だって間違う事があるに決まってるわ。でもね、それが当たり前なのよ。私達は間違えているのかも知れない、他のやり方があったかも知れない。でも、間違えるのが怖いからって何も選ばないでなんていられない。なら、私たちに出来る事は、一つ一つの出来事に対してその場で出来る最善尽くすことでしょ? ……確かにあの時のアンタの行動は結果として間違ってたのかもしれない。でもね、あの時アンタが取った行動を私は間違ってると思わなかった。……アンタだって、あの時はああするのが一番だって思ってたからそうしたんでしょッ!? だったら自分に胸を張りなさい、じゃないとあの時のアンタに笑われるわよッ!」
「……アスナさん」
―――それはとても真っ直ぐで。
それでいてどこまでも情熱的な言葉だった。
間違っていようとも常に最善を尽くし、決して立ち止まるな、じゃないと過去の自分に笑われる……か、その言葉は私としても耳に痛い言葉だ。
知らず、私は苦笑を零していた。
本当、明日菜さんは凄いお方だ。物事の真理を直感で見抜く力が異様に高い。それでいて明日菜さんの言葉には力がある。その言葉に私も何度救われた事か。
ネギ先生はそんな明日菜さんをポカーンとした表情でしばらく眺めていたが、次第にその瞳には力が篭っていくのが伺えた。
それを見た明日菜さんは満足そうに頷き、手を離した。
「―――よしッ!」
バシンバシンと二回。
今度はネギ先生自ら、自分の頬を気合を入れ直すようにして両手で叩いた。
そうして再び前を向いた顔には、もう迷いは浮かんでいなかった。
「ありがとうございます、アスナさん。そうですよね、生徒が間違った事をしてるなら、それを正しい方向へ導くのも先生の役目でですもんね。その先生が迷ってたりしたらいけませんよね」
「そう言う事よネギ”先生”」
明日菜さんがおどける様にして先生と呼んだ。
それにネギ先生は少しだけ笑うと私達に振り返った。
「行きましょう、皆さん! まず超さんを探し出さなければ何も始まりません!」
「うん、ほな、頑張ろうな」
そう言ってネギ先生は走り出した。
それを眺めていた明日菜さんは私の横に並ぶと、やれやれと言ったように肩を竦める。
「全く、子供って現金なもんねー。さっきまであんなに落ち込んでたのに簡単に元気になるんだもの」
「気持ちの切り替えが早いのは良い事ですよ。それにしても……ふふ」
「ん? どうしたの、刹那さん」
「ああ、いえ、やはりお二人は仲が良いのだな、と思いまして」
「え? …………あっ、ち、違うわよ!? い、今のはネギの奴があんまりにもグズグズしてるから、思わず言っちゃったって言うか!」
「いえ、先ほどの明日菜さんの言葉は至言でした。本当に相手の事を思いやっていない限り到底出ない言葉だと思います。まるで本当の姉のようでしたよ?」
「……う、うぅ~……、刹那さん、最近なんかイジワルよね? シロ兄の影響でも受けた?」
「……士郎さんの、ですか? いえ、自分では良く分からないのですが……そもそも士郎さんの影響を受けたとしたら、意地悪になると言うのは無いのでは?」
「あ、刹那さん。それはシロ兄を買い被り過ぎよ。シロ兄ってね、ああ見えて結構私の事おちょくるんだから」
「……ああ、なるほど」
それはどちらか言えば意地悪をしているのではなく、士郎さん流の親愛の表れ方なのだろう。
士郎さんは基本的に他人の迷惑になるような事はしない。恐らくそう心掛けているのも大きいのだろうが、元来の性格としてそういう事が出来ないのだろう。
それでもそのような行為に出るとすれば、多少なりとも心を許している証だ。
分かりやすい例で言えば、士郎さんが良くエヴァンジェリンさんをからかっているのがそうだろう。
けれども互いに不快になるような事はしないし、それが原因で問題になるような事もない。
それを考えれば、明日菜さんも口で言うほど気になどしていないのだろう。
その証拠に、そう言っている明日菜さんの表情は穏やかだ。
「ん? 刹那さん、何がなるほどなの?」
「いえ、こちらの話です。それより行きましょう、お嬢様達がお待ちになっています」
「え? あ、うん、そうね。……あれ? 私なんか誤魔化されてない?」
いえいえ、きっと気のせいですよ? 私の場合は心の底からそう思っているのであって、決してからかってなどいないのですから。……多分。
「―――せっちゃ~ん、アスナ~、行くえ~」
っと、いけない。
この非常時に私も気が抜けている。いつまでも談笑などしていられる状況ではないのだ。
……けれど、私はこの騒ぎが直ぐに収まるものだと、半ば確信に近いものを持っていた。
何故かなどと、今更言うまでもない。
―――だって、こちらにはあの衛宮士郎がいるのだから。
「あ、そうそう。そう言えば刹那さん、見てよコレ」
私達に割り振られた警戒地域へと向かう道すがら、明日菜さんが唐突にそう言った。
「―――来たれ(アデアット)」
そうしてそう唱えると、光の粒子が結合し、一つの形状がその手の中に現れる。
周囲からは丸見えだったが、このお祭り騒ぎだ、手品か催し物の一つとして見られて終わりだろう。
「……それはあの時の剣……自在に出せるようになったのですか?」
現れたのは一振りの大きな剣だった。明日菜さんの身の丈ほどあるその剣は、武道大会中に明日菜さんが取り出したものだ。しかし、大会自体は刃物が使用禁止だった為、それが原因で明日菜さんは失格になってしまったという経緯がある。
元々はハリセン型だった明日菜さんのアーティファクトが変化した結果だと思うが、少なくとも大会が終わった後も自由自在に取り出せるような事は無かった筈だ。
「うん、私もさっき出して見てびっくりしたんだけど、なんかこっちの方がしっくり来るのよ。でね? 私思ったんだけど、もしかしたらこっちの方が元々の形なんじゃないかなーっ
て」
「その剣がですか?」
「そ、別に私自身根拠がある訳じゃないんだけど、なんとなくそんな気がするのよね」
「……なるほど」
確かにそれは考えられる事だ。
私も詳しくは無いのだが、アーティファクトと言う物は己自身から生み出される物だ。それが明日菜さんの成長に合わせて本来の姿に変化したとしても不思議ではないだろう。
「それにほら……ここ、見てみて?」
明日菜さんが刀身の中心部分をコンコンと叩いて見せる。
はて? 一見何も不思議な所は無いが……。
「この部分ですか? 別に変わった事は……いや、これはもしや……」
「あ、やっぱり分かった? これって……やっぱり”アレ”よね?」
「え、ええ……恐らくですが。しかしこのような部分にも影響が出るとは……驚きです。アーティファクトとは奥が深いのですね……」
「私もまさかとは思ったんだけどね~。でも、これはこれでやりやすいと思うし……良いのかな?」
明日菜さんはそうやって言うと照れくさそうに笑った。
しかし驚いた。先程は明日菜さんの成長に合わせて剣が本来の姿に戻ったと考えていたが、よもやこのような事になるとは……予想外、いや想定外といった所か。
やれやれ、明日菜さんには本当に驚かせられてばかりだ。
「でもさ刹那さん、今回の事、なんかおかしいと思わない?」
『去れ(アベアット)』と唱えながら、明日菜さんが呟いた。
「おかしい……と、申しますと?」
「うん、ほら、超さんって滅茶苦茶頭良いじゃない? それこそ麻帆良の最強頭脳って呼ばれてるくらい。そんな子がさ、なんで私達に態々知らせてから悪さをするようにしたんだろ? 超さんなら私達には分からない所で全部終わらせる事だって出来たんじゃないかな?」
「……それは」
言われてみれば、確かにそうだ。
彼女の能力の高さは折り紙つきだ。そんな彼女であれば、わざわざこちらに情報を寄こしたりせず、人知れず全てを終わらせるように策謀を巡らす事だって可能だろう。
むしろ情報をこちらに開示する事によって得られるメリット、デメリットで考えれば、明らかにデメリットの部分しか目立たない。どう考えても超鈴音の利益になるような理由が思い当たらないのだ。
「……つまり明日菜さんは、先程の超の宣戦布告自体が何らかの策略の一つではないかと考えておいでなのですか?」
「あ、いや、そこまで深く考えてた訳じゃないけど……たださっき話し聞いてて、変な違和感みたいなの感じただけなの。なんか釈然としないなあって。うーん、上手く表現できないなあ……ああ、もうッ! こう言う事考えるのはシロ兄の役目なのに……ホント、何処にいるんだろ」
「……いえ、明日菜さんのご指摘、士郎さんのご判断を仰がなくとも、かなり有力なのではないかと思われます。もしかすると的を得ているのかも知れません。今、学園長に連絡をして注意喚起を―――」
私はスカートの中に入った携帯電話を取り出すと、すぐさま学園長へとかけようとボタンを操作した。
「――その必要は無いネ、刹那さん」
しかし、すぐ背後から聞こえたそんな声に、すぐさま振り返った。
そうして向けた視線の先に居たのは、近未来的と言っても差し支えのないような服に身を包んだ、超鈴音が不敵な笑みを浮かべて立っていたのだった。
「超鈴音ッ!」
「……やれやれ、そんなに大声で怒鳴らなくても聞こえているヨ、刹那サン。折角人払いも済んでいると言うのニ」
いつもの飄々とした態度のまま、パタパタと手を振る。表情や仕草にこれといった緊張は見受けられず、いつもの教室にいるような自然体そのもの。
言われて初めて気がついたが確かにいつの間にか周囲の人影はひとり残らず消えていた。
しかし、私はそれ所ではなかった。中腰のままいつでも動けるような体制を取る。いくら気を抜いていたとは言え、こんな近距離まで接近されても声を掛けられるまで気が付かなかったのだ。
不快と表現するよりも不可解。得体がしれない。それが正直な感想だった。
しかし、ネギ先生はその使命感の高さに突き動かされたのか、一歩前に踏み出しながら叫んだ。
「チャ、超さん! 探しましたよ、一体今まで何処に……」
「まあまあ。そんなに焦っても良い事は何もないヨ、ネギ坊主。今日はこれを届けに来ただけネ」
超はそう言うと、一枚の紙切れをピンッと指先で軽い仕草で放った。
その紙切れはヒラヒラと風に乗り、ネギ先生の手の中にスッポリと収る。
「こ、これは……」
ネギ先生がそ紙の表紙を見て思わずと言ったように呟いた。
その紙には、大きな文字で『退学届』と書かれている。
「私もこんな事をしでかしておいてただでおこうとは思わないネ。マ、この程度で取れるか分からないガ、私なりのケジメだとでも考えてくれればイイヨ」
「そ、そんな……このような事で……い、いえっ、チャオさん! それよりもまず話を……一体どうしてこんな事をするんですか!?」
「そうよ! 私たちクラスメイトでしょ!? ちょっと位相談してくれてもいいいじゃない!」
ネギ先生の言葉に合わせるように明日菜さんが叫んだ。
しかし、超鈴音はその言葉に首をかしげた。
「どういう事も何も……そのままノ意味ネ。ネギ坊主もあのメッセージを見たのだロウ?」
「だからこそ言っているんです! 宣戦布告なんて何の意味があるんですかッ!」
「それもあのメッセージで伝えたと思うがネ……それでもあえて答えるとするならば――君達、魔法使いの心を折る為とでも言ってけいいのかナ」
「……ぼ、僕達の心を折る?」
超の言葉の意味が分からなかったのだろう、ネギ先生は動揺を表したかのように狼狽えた。
「その通り。もし私が君達の不意を突き、見えないところで世界に魔法を広めたら、結果はどうあれ君達は間違いなくその結末に異議を唱え、なんとかしようと足掻くのは目に見えているネ」
それは……確かにその通りだろう。納得いく、いかないを抜きにしてしても、その結果が間違ったものであると信じている限り、私達は決して諦めたりはしないだろう。
超はそんな私の考えを見抜いたのか、ネギ先生から視線をずらし、私の方を向くとニヤリとその口角を持ち上げ、
「――だから、そんな考えすら浮かばないように、徹底的に叩き潰すことにしたネ」
「なッ!?」
思わず絶句する。
目の前の少女は、この麻帆良学園に存在する全ての魔法関係者に正面から戦いを望み、勝利すると宣言したのだ。しかも、ただの勝利ではない。圧倒的な勝利をだ。
確かに私は超の戦力がどの程度なのか正確に把握しているわけではないが、その自信は些か過剰が過ぎるという物ではないだろうかと思う。
ハッキリ言って、この麻帆良学園の保持する戦力は生半可な物ではない。
その長である学園長を筆頭に、士郎さん、高畑先生といった文字通りの一騎当千を可能とする実力者を擁しており、それ以外の人物も相当高いレベルの能力を持った人達ばかりだ。
それ等を全て向こうに回して圧倒するだと?
疑問よりも先に驚きの方が思考を占めた。
「……戯言を。そのような事が本当に可能だとでも思っているのか」
「その質問に私は逆に問いたイ。――本当に不可能だと思ているのカ?」
「――――」
「…………」
ピン、と空気が張り詰める。
膨らみ過ぎた風船が、何かの拍子で破れる直前のような緊張感の中。
「……フッ」
超鈴音は瞑目してから鼻を鳴らしてその緊張感を取り去った。
「さっきも言ったように今日はその退学届けを出しに来ただけネ。全ては明日決まる事、そう急く事も無いヨ、刹那サン」
「私たちが……いや、私がそのような戯れに付き合うと思うか。この場で貴様を取り押さえれば全て済むことだろう」
「力尽くという事カ? いやはや、刹那さんは随分と怖い人のようネ。――まあ、それも出来ればの話だがネ。私は予め宣言しておくとしよウ。……『貴女』では無理ヨ」
「……抜かせ」
……行けるはずだ。
超は確か古菲と同じく中国拳法の使い手。その実力も同程度か若干劣る程度だった筈だ。確かに油断はできないが、決して不可能ではない。
「…………」
足の裏に『気』を集め、いつでも瞬動で近づく事が出来るように備える。
目の前の超は、相変わらず一切気負うこともせず、ただ愉快気にこちらを伺うばかり。構えもしなければ、何かをしでかす様子もない。
私はその様子をただただ観察する。
仕掛ける隙を探るどころじゃない。……隙だらけだ。
こうまであからさまだと、逆に罠なのではないか疑ってしまうほどだ。
(しかし、罠だとしても行かないわけにはいかないか……)
予測のできない出方を伺っていても仕方がない。たとえ罠があったとしても喰い破るまでだ。
超の肩がその呼吸に合わせて上下する。
吸って。
吐いて。
吸って。
吐いて。
吸っ、
「――ッ!」
今ッ!
足の裏に集めていた『気』を爆発させ、一気に超の懐へと飛び込み、刀の鞘から居合の要領で逆刃に薙ぐ。
その結果を確認するまでもなく私は確信した。
――捉えた!
速度の乗った剣先は、超のがら空きの胴体へと――。
「――――ほらネ。だから無理だと言たヨ」
その声は背後から。
「え、嘘……いつの間に動いたのよ……」
「うち、全然見えへんかった……」
「ぼ、僕にも見えませんでしたよ……」
捉えたと確信した筈の剣先は何もない空間を切り、音や気配すら置き去りにした超の幻影のみを切り裂いた。
「――馬鹿な」
意識もせずにその言葉が零れた。
あの間合い、タイミング、速度。どれを取ってもあの状態からかわせる様な物ではなかったはずだ。いや、例えかわせたとしても私だって決して油断していたわけではない。反撃を予期していたのだ、背後まで取られるような失態はなかった。
それなのにいともたやすく……。
「このまま大人しく帰してくれないかナ? 私は別に今やり合うつもりはないのヨ」
「……それこそ戯言だ。何故この場で貴様を見逃さなければならない」
そう言葉を返すものの、内心で私は焦っていた。
今目の前で見せつけられた事実として、超は私の想像を遥かに超えた実力を持っていた。いや、実力ではなく、そういった能力なのかもしれないがどちらにしろ同じ事だ。
……私だけでは押さえきれない。
どうする? ネギ先生やアスナさんに助力を願うか?
……いや、ダメだ。もしも三人掛かりでも超に上回られた場合、お嬢様に危険が及んでしまう。
だからと言ってこの場で見逃して再び補足出来る保証などない。そうなってしまったら、それこそ超の思う壺。明日には数千の機動歩兵兵器が攻めてくるに違いない。
……っく! 選べる選択肢が少ない! せめてもう一人実力者がこの場にいてくれれば!
「――刹那くん!」
そんな時、私の名前を呼ぶ声が聞こえた。
それと同時に、すぐ側に一つの人影が降り立った。
「た、高畑先生!」
アスナさんがその名を叫んだ。
……助かった。正直に言うと、私はその時安堵した。今の状況では考えられる限り、ほぼ最高クラスの助っ人が来てくれたのだ。
高畑先生はその声に微笑みを向けてから、超の方へと視線を移した。
「……やあ、超くん」
「……高畑先生まで登場とは流石に予想外だたネ」
「ちょっと君を連行させてもらう。理由は……言わなくても分かるね?」
高畑先生はそう言うと、スラックスのポケットに手を入れた。
その構えに油断はなく、少しでも超が妙な行動を起こしたら即座に迎撃に出るだろう。
しかし、ひとつの疑問が私の頭を過ぎる。どうしてこの場が分かったのだろうか?
「刹那くん、学園長に連絡しようとしただろう? その時の通話がそのまま繋がったままだったんだよ」
そうか! あの時は超の突然の登場に驚いていたが、その時の弾みで通話のボタンを押していたのか。
「そう、だから学園長は君と超くんのやり取りを聞いてすぐに皆に連絡を取ったんだ。その証拠に――」
高畑先生がチラリと視線を外した。
すると、そこに新たな人影が次々と降り立ち、超の退路を完璧に塞ぐ形で包囲を完成させていた。
「これはこれは……学園祭で先生達も忙しいハズなのに、私一人のために態々ご苦労な事ネ」
「大人しく付いて来てくれるならその仕事も楽になるんだけどな……協力してくれるかい? この数をどうにかできると考えるほど、君は愚かじゃないだろう?」
「……さてさて、これはどうしたものかネ」
超はそう言って、ぐるりと首を巡らし、自身を囲む魔法使いたちを楽しげに眺めた。高畑先生の言を前にしても、超は余裕の笑みを崩さない。……まさか、この人数を相手に本当に勝てるとでも……どうにかなるとでも言うのか。
その言葉を受けて包囲網がジワリジワリと縮まる。その数は今や50を超え、未だに増え続けている。
一触即発の空気。
ほんの些細な、それこそ小石を蹴り飛ばしたような物音ですら爆発の切っ掛けになり得るだろう緊張感が辺りを支配している。
そして、誰か踏みしめた小枝を踏み折る音が響いた。
その瞬間、空気がいた。
緊張は臨界点を超え、その場にいる者全てが一斉に超目掛けて殺到する。
――しかし、それと同時だった。私たちの目の前に唐突に、そのモノが現れたのは。
ズダン、と。
荒々しい着地の音を響かせ、私達と超の間に降り立ったそれは、人だった。足を折り曲げた着地の姿勢のまま蹲っているので誰かは判別ができない。
突然の出来事に、超を捕らえようとしていた全員の足が止まる。
ある者は警戒し、
ある者は戸惑い、
ある者は驚愕で、
内心の差はあれど、誰もが様子を伺うために立ち止まった。
そんな中、渦中の人物がゆっくりと立ち上がり、その顔を上げ、こちらを――見た。
――瞬間、横殴りの強い風が、真っ赤な外套を舞い上げた。
「し、士郎さんッ!」
その人物は士郎さんだった。
なんの事はない、彼も学園長から連絡を受け、この場に急行してきたのだろうと容易に想像が付く。
しかし……どうにも見た事もない格好をしている。
いつもお店で着ているような、真っ白なシャツ、真っ黒なベストにスラックスは良いとして、見慣れないのはそれ以外の物だ。
真っ赤な……まるで血のように真っ赤な上着に、同じ色の腰に巻いた膝裏まで届くような長い外套が嫌でも目を引く。
ただそれだけなのに何故か……得体の知れない圧力を感じる。普段とは少し違う格好をしているだけだというのにだ。
――いや、今はそんな些細な事を考えている場合ではない。
私は左右に頭を振って士郎さんへと声をかけた。
「士郎さん、状況は見ての通りです! 超の捕縛をお願いしますッ!」
そう叫んでから超を睨み付ける。
しかしそれでも超の余裕の表情は変わらない。
……正気か。現在の麻帆良学園における、三大最高戦力のうち二人までもがこうして揃ったというのに……この余裕の根拠は一体何だというのだ。
「……士郎さん、油断しないでください。超の奴、何か奥の手を隠しているかも知れません」
「…………」
そうして、再び夕凪の柄を握り直すが……何処か様子がおかしい。いや、様子がおかしいと言うのも適切では無いのかも知れない。これは、そう……違和感だ。
何かが妙だ。確かに超の態度には異様と言っていい程の疑問しか浮かばないが、それでもこの違和感とは繋がらないような気がする。
私はその何とも言ようのない違和感の原因を探ろうと辺りを見回した。
目の前には余裕の表情の超。
その超を包囲するように取り囲む魔法使いの生徒や先生達。
その中心で超と直接対峙するように立ち塞がっている、ネギ先生、アスナさん、お嬢様、高畑先生。
そして、私と超の間、最前線に悠然と立つ士郎さんの姿。
「…………士郎さん?」
そうか、違和感の正体は士郎さんだ。
確かに見慣れない格好はしているが、それはこの感覚の正体ではない。
この違和感の正体……それは士郎さんの立ち位置だ。
士郎さんは今最前線に立っている。
しかし、それはいつもの事。常に誰よりも最前線に立ち、誰よりも危険な場所に立ち続けるのが士郎さんのスタイルなのだから。
そう、いつもと違うのは――士郎さんが『こちらを向いて』立っているからだ――。
「あ、あの……士郎さん?」
ただ向いている方向が少し違うだけだと言うのに例えようのない程の圧迫感を感じる。
もしかしたら私の声は震えていたのかもしれない。
何故……何故、士郎さんは『こちらを向いて』立っているのだ?
このような場合、士郎さんは私たちを背で庇うように立っている――その、ハズなのに。
「ちょっとシロ兄ッ、どっち向いてんの? あっちあっち!」
「…………」
アスナさんが指先でそう指し示しても、士郎さんは動こうとはしなかった。
それどころか、アスナさんの方すら見ようとはしていない。
まるで、声など聞こえていないかのように。
まるで、そこにいないかのように。
「――全く……」
そんな士郎さんが、ここに来て言葉を発した。
誰もが押し黙っている中、その声は響いた。
そして、まるで全てを俯瞰するかのように周囲をぐるりと見回してから――言った。
「どこに行ったかと思えば……探したぞ。あまり勝手に動き回られるのは困るんだけどな、チャオ」
士郎さんが……あの士郎さんが、その背に超を庇うようにして、まるで宣言のようにして言う。
……待て。ちょっと待て。頼むから待ってくれ。
何故、貴方が――その背に超を庇うのですか?
「これは済まない事をしたネ。けれど私としてもこの状況は少々予想外だたのヨ。でもまあ、私も事の前に済ませて起きたい事情があたネ。この『程度』の些事は見逃して欲しいものヨ」
「……やれやれ、その些事の結果がこれかよ。それでも相談ぐらいは欲しかったモンだけどな」
「まあ、そこは運が無かたと思て諦めるヨ」
「……どっちの運が無いのやら……人使いが荒いのには慣れているど、出来れば勘弁して欲しいもんだな。それで? 用事は済んだのか?」
「ウム。万事滞りなく……トまではいかないまでも、一応目的は果たせたネ。これから帰ろうとしていた所ヨ」
「そうか」
まるで、目の前にいる私たちのことなど視界に入っていないかのように二人は会話を続ける。
その光景に、私はおおよそ信じられない――信じたくない可能性に思い至った。
大地を踏みしめているはずの足が、安定しない。
夕凪にかけた手が震える。
心が今にも悲鳴を上げそうだ。
「――し、士郎さんッ!」
押し潰されるように軋む心が、その寸前で声を上げた。
その可能性は――そんな可能性だけは。
信じたくない。
信じたくない。
信じたくない。
そんな私の心の声が届いたのか、この場に来て初めて士郎さんがこちらを向いた。
――感情の篭らない、まるでロボットのレンズのような目で。
「――じゃあ、俺の役目はこいつ等を蹴散すって事でいいのか?」
そしてそれが、全てを意味する言葉だった。