「……おかしな所は……ない、よね」
部屋で一人、自分の格好を見下ろしながらそう呟く。
この行動もかれこれ六度目だ。
―――遂にこの日が来てしまった。
私は鏡に移る自分を見つめながら、高鳴る胸の鼓動を抑えることが出来ないでいた。
学園祭二日目……衛宮さんとデートの約束をした日。
そして……告白をすると決意した日。
自分で決めておいて何だが、いざ当日になってみると、自分がこれからとんでもない事を行おうとしていると言う事実に眩暈を起こしそうだ。
正直、昨日の夜はほとんど眠れなかったし、待ち合わせは午後一時だというのに朝の七時から出かける準備をしている始末。
今着ている服にしたってそうだ。衛宮さんと約束を取り付けた後、寮に帰ってクローゼットを散々掻き回した挙句アレコレ迷った私は、今持っている服ではなんだかダメな様な気がしてきて結局全て新調してしまった。
しかし、そのおかげかどうかは微妙だけど、お財布の中身が軽くなってしまった代わりになんとか納得のいく服でこの日を迎えることが出来た。
そしてもう一度……本日七度目になる服装チェックを行う。
モスグリーンの爽やかな色合いを基調とした、スッキリとした印象のワンピース。
それに、白のデニム生地を使用したスリムなデザインのジャケット。
……うん、大丈夫。
鏡に映る自分の顔にも、幸い寝不足の割にクマは出来ていない。
最初はお化粧もして行こうかと思ったが、普段していないのにいきなりして行ったら流石に衛宮さんも驚くだろうと思い、結局リップを引くくらいでやめて置いた。
けれど……なんだろう、今日に限ってリップを引くと言う行為が妙に生々しく感じる。
ということは、詰まりなんだろう。……私は自覚も無いままそう言うことを期待しているって事なのかな?
「…………ッ」
鏡に映った自分の顔が一瞬で真っ赤になった。
わわわ、私は何を考えているんだ!?
………………そ、そりゃ、衛宮さんが何と思おうとこれはデートなのであって?
もしかしたらその場の流れと言うか、雰囲気でそう言う事になったりならなかったりすんじゃないかなあとか何とか。
…………さ、更にもしかしたらその先のゴニョゴニョ……まで…………?
「……………………パ、パンツとかも変えて行こうかな?」
べ、別に期待している訳じゃないんだからねッ!?
とか何とか。
そんなことを悶々と考えていたら、いつの間にか待ち合わせの時間になっていて、結局慌てて部屋を飛び出す羽目になった私なのであった。
……男の人は、女心は難しいと言うけれど、うん、本当に難しいと思う。
……だって、女の私にも分からないんだもの。
◆◇―――――――――◇◆
「……はあ、はあっ、……す、すいません衛宮さん。遅れました」
部屋を出てからずっと走りっぱなしだった私は、待ち合わせ場所に着くなりすでに到着していた衛宮さんへと向けて頭を下げながらそう言った。
自業自得とは言え、最初から失敗だ。走ってきたから息は切れ切れ、額には汗も浮かんでいるのが分かる。まあ、メイクはしていないから、メイク崩れを気にしなくて良いのは不幸中の幸い。
うぅ~……髪の毛ボサボサになってないかな? 汗の匂いとか大丈夫かな?
こんな事ならもっと早く起きればよかった……。
……ちなみに、下着は新しいものに変えました。うん、身だしなみ身だしなみ。そう思っておけ、私。
「ああ、大丈夫。俺も今来たところだから」
「あ、ありがとうございます」
明らかに二十分以上待っていたであろう衛宮さんは苦笑をかみ殺したような声でそう答えた。
私はそれに礼を言い、手櫛で乱れた髪を直しながらも衛宮さんのその一言に、うわー凄くデートっぽいと大いに感動したのは内緒だ。
そうして漸く顔を上げた私は、
「…………衛宮さん、大丈夫ですか?」
衛宮さんの表情を見て、何故かそう尋ねてしまっていた。
「―――えっと、何がだ?」
衛宮さんは、ほんの僅かな間を空けてからそう答えた。
自分で言っておいてなんだが、何でそう尋ねてしまったのか理解できない。
別に、衛宮さんの顔色が悪い訳でもない。
体調が悪そうに見える訳でもない。
機嫌が悪い訳でも、良い訳でもない。
いたっていつもの表情である筈だ。
……なのに、どうしてだろう。
その様子が酷く辛そうで、今にも崩れてしまいそうになるのを必死に隠し通そうとしている様だと、私は感じてしまったのだ。
「……本当に、大丈夫ですか?」
「……良く分からないけど、俺はなんとも無いぞ? 大河内さんこそどうしたんだ? いきなりそんな事言い出したりして」
「……そうですか。い、いえ。何とも無いなら良いんです。すいません、変な事聞いて」
そうやって聞かれると、本当に自分で何でそんな事を聞いてるんだろうと急に恥ずかしくなる。
改めて衛宮さんを見てみると、もちろんおかしな所は無いし、先ほどまで感じていた奇妙な感覚も夢だったかのように無くなっていた。
うー……どうしたんだろう、私。あんな事聞いちゃって……おかしな子だと思われてないかな?
「いや、別に構いやしないよ。それよりそろそろ行くか? とは言っても、目的地も無く歩くだけなんだけど」
「……は、はいッ」
そう言って歩き出した衛宮さんの隣に並び立つ。
いつもより幾分かゆっくりとした足取り。
衛宮さんが私に気を使ってゆっくりと歩いてくれているんだろう。そんな些細な優しさが凄く嬉しい。
こうして肩を並べて歩く私達は、周りからどういう風に見えるんだろう?
……や、やっぱり恋人同士とかに見えたりするんだろうか? だとしたら凄く照れくさいけど……嬉しいな。
周囲には私たちのように肩を並べて歩く男女の姿が見られる。
この人達も私と同じような気持ちだったりするんだろうか。
照れくさいけど嬉しくて。
話をしたいけど何を話せばいいか分からなくて。
何をする訳でもないのに傍にいるだけでドキドキして。
―――そして何より幸せで。
そんな気持ちを共有しているんだろうか。
「……」
ちらりと。
隣を歩く衛宮さんの表情を盗み見る。
それだけで胸の高鳴りが速まり、顔が紅潮して来るのがわかった。
か、考えて見れば二人きりで歩くのは最初に会った時以来だった。しかもあの時は道案内をしていたから私が少し先を歩いていたので、正確には隣に並んで歩くのはこれが初めて。京都の時は一応皆がいたし。
……うわ、マズイ。そう考えたらもっと緊張してきた!
「ところで大河内さん」
「……は、はひッ!?」
衛宮さんの声に思わず裏返った声で返事をしてしまう。
うぅ……今日はこんなんばっかり。
「なんだって今日は俺の仕事に付いてこようなんて思ったんだ?」
「……あ、あの……それは、えっと」
そう言われてしまうと少し困る。
だって、私は衛宮さんと一緒に出かけたくて誘ったのであって、それ以外の理由なんて元から無かったのだから。
だけど衛宮さんは、すっかり私が仕事の様子を見学したいのだと信じ込んでいる。
……えっと、ど、どうしよう?
「……ど、どんな仕事してるのか、実際に見てみたくて……」
結局私は、そんなどうとでも取れるような返答しか出来なかった。
けど実際、私は学園広域指導員という仕事がどういう物なのか良く知らない。
知っていると言えば、一番最初に出会った時のような、揉め事の処理のような事をしているといった程度。
だから、そう言う点で言えば、別にまるっきりの口からでまかせと言うわけでもないのだ。
「そっか。まあ、トラブルなんて起こらなければ一番。けど、人がこれだけ沢山いれば、それも仕方無い事なのかも知れないけどな」
こればっかりはな、と衛宮さん。
確かに、コレだけの人が集まれば、多かれ少なかれトラブルは起きてしまう物だろうと思う。
特にお祭り期間ともなれば、羽目を外してしまいがちになるので尚更だ。
「それにしても、クラスの出し物の方は良かったのか?」
「……あ、それは大丈夫です。……当番は昨日だったから」
……本当の事を言うと、ゆーなが代わってくれたんだけど。
私の今日の予定を聞いたゆーなが、率先して代わりにやると言い出してくれたのだ。
本当にゆーなには感謝してる。
自分だってお祭りに行きたい筈なのに、嫌な顔一つせずに言い出してくれたんだから。
……その後の、朝帰りでもいいよーと言う台詞は正直どうかと思ったけど。
衛宮さんは私の答えに、そっかと一言返事を返して前を向いた。
……考えてみれば。
私は衛宮さんの事を何も知らないのだ。
普段は何をしているかとか。
麻帆良に来る前は何処で何をしていたかとか。
逆に知っている事と言えば、衛宮さんが麻帆良に来てからの事くらいで、喫茶店の店長をしているとか、広域指導員いるとかそんな程度。こんなのでは衛宮さんの事を知っているとは決して言えないだろう。
知らないものは知らない。
それはどうあっても変えられない事なのだ。
「……でも」
思わず足を止めて考えてしまう。
知らないのならばこれから知ればいい。
聞けば答えてくれるだろう。しかし、それでは駄目なのだと私は思う。
私自身がこの目で見て、この手で触れて、この心で感じなければ、本当に知った事にはならない。そう思うのだ。
「――大河内さん、どうした?」
だから知りたいと願う。
これまでの彼より、これからの彼を。
「……いえ、なんでもありません」
そして、今の彼を。
「そうか? じゃあ次はあっちの方に行ってみるか」
「……はい、わかりました」
その声に私は衛宮さんの隣に再び並んだ。
そうだ、こうしてこれからも隣に並んで歩き続ける事が出来るかどうかは、今日に掛かっている。
そして――その全てが決まる運命の時までもあと少し。
◆◇―――――――――◇◆
時は流れて夕刻。
私達は商店街を歩いていた。
いつも通り慣れた道だというのに、お祭りムードですっかりとその様相は変わっていた。
ただでさえ洋風に整えられた街並みは、より一層幻飾り付けられており、まさに映画のワンシーンのようだ。
活気は変わらずあるのに何処か幻想的で。夕暮れの、夏を前にした優しい日差しがどこか物悲しささえ感じさせる。
夜の闇はまだ遠く、道を歩くたくさんの人々の表情も、今日という日はまだまだこれからと言うような疲れを感じさせない面持ちで実に楽しそう。
そんな風景の中を二人で並んで歩いている。
なんだか夢のようだ。
あれから何時間も経ったと言うのに心臓はずっとドキドキしっぱなしで、このまま胸の高鳴りが止まることはないんじゃないかと疑ってしまう程だ。
けれどそれは、決して嫌な感覚ではなく、どことなく心地良さもともなう感覚。
トクントクンと。
胸の中で心が震える度に暖かい気持ちが込み上げてくる。
この気持ちが嘘なんかじゃないって、そう実感出来る。
「だいぶ日も暮れてきたな」
夕焼け独特の日差しを浴びて、濃い黒とオレンジの陰影に染まった衛宮さんがそう呟いた。
衛宮さんのただでさえ赤みがかった髪が、更にその色合いを増しているのが印象的だ。
「――さて、それじゃあそろそろ帰るか」
「……え!?」
衛宮さんの突然の発言に思わず声を出して驚いてしまう。舞い上がっていた気持ちも何処かに吹き飛んだ。
だって時刻はまだ18時になったばかり。
日はまだ高いしイベントだってまだまだ尽きそにもない。
それなのに帰るだなんて。
「一応この見回りも当番制だからな。この後は他の先生が引き継いでくれることになってるんだ」
衛宮さんが言葉を付け足した。
確かに筋の通っている話だろう。
衛宮さんは最初からそのつもりで来ているのだし、今日の行動もその一貫だったんだろう。
けれども、私にとっては特別な時間だった。それは間違いない。
お互いの認識の差は悲しいけど、ある意味仕方のない事なのかもしれない。
……だって、私がそう言ったのだ。見回りに連れて行って欲しいと。あの場の勢いもあったとは言え、その言葉を肯定したのは私自身だった。
伝わっていないから。
心も、言葉も。
伝えていないから。
心も、言葉も。
だから、そう捉えられても当然なんだ。
そしてそれが変わることはない。
――私が、この想いを伝えない限り。
「俺は一旦店に戻るけど、大河内さんは……大河内さん?」
衛宮さんは踵を返して帰ろうとするが、不意に立ち止まり振り返った。
原因は……私が衛宮さんの服の裾をギュッと握ったからだ。
足は棒立ちで、顔は地面に向け俯いたまま。
心臓はこれ以上はないっていうくらいに早鐘を打ち、
直接触れるのは……恥ずかしいから。
「……あ、あの」
「ん?」
「……その……え、衛宮さんは好きな人とかいるんですか?」
心が挫けそうになる。
別に今日じゃなくても良いじゃないか。
また今度改めて機会を作れば良いじゃないか。
そんな風に問題を先送りにしたがる逃げ腰の気持ちが、言い訳作りの甘い免罪符を並べ立てて私の心を引き止める。
「……わ、私ッ」
でも。
それでも。
私は逃げたくない。
逃げちゃいけないんだ。
喉がカラカラで上手く言葉を紡ぐことが出来そうになくても。
頭に血が上り、視界が狭くなっても。
緊張のあまり手も足もガクガクと震えても。
「……ッ!」
私は下唇をギュッと噛み締めた。
――負けちゃいけないんだ。
逃げ出しそうになる心から。
怯えてしまう弱さから。
そんな臆病な弱さより、この胸に広がる暖かい想いが、もっと強いものだって……大切なものだって信じることが出来るなら。
この気持ちが本当だって……私が私に誇れる為にも、私自身の気持ちから逃げちゃいけないんだッ!
――――貴方の事が好きです。
無けなしの、それでも私にとってはありったけの勇気を込めて。
たった11文字に、これまでの人生の全てを込めて。
今、貴方にこの想いを届けます。