エヴァと別れた後、学園長室へ向かい用意してくれた支度金を受け取った俺は、その脚で商店街へと向かった。
目的はもちろん開店へ向けての買出しだ。
「あ、これとそれを……ああ、それです。それでこれをここの住所に届けて欲しいんですけど……。じゃあ、お願いします」
無論、全て業務用の物なのでそのまま持ち帰るような愚は犯さない。
料理に使う食材なども店の人から業者を紹介してもらい、出来るだけ安くて良いものを揃えた。
「えっと……、こんなもんか?」
メモに書いた必要な物リストの最後にチェックを入れる。
流石に全て買い終える頃にはかなりの時間が経っていて、授業も終わったのか制服姿が多く見られるようになってきた。
そうなってくると必然的に人の流れが多くなってくる。
この人たち全てが何がしかの学園関係者だと思うと、ちょっと信じられない位だ。
そんな制服姿を見て、そう言えば、と思い至る。
今朝、エヴァの家の冷蔵庫を見たが、そろそろ買出しをしなくてはいけないようだった事を思い出す。茶々丸が買って来るのかも知れないが、これからは自分も世話になるのだからこれ位は貢献したい。
思い立ったら即実行、と言う事で食料品を扱っていた区画は逆方向だった事を思い出し、踵を回して方向転換。
そうして、道端でいきなり立ち止まったのが災いしたのか、
「キャっ……!?」
後ろを歩いていた女の子にぶつかってしまった。
女の子は荷物を持っていたせいか、それとも小柄だったせいか、ぶつかってしまった反動で地面に倒れ、荷物を全部落としてしまっていた。
「あっ、す、すまん! 俺が急に立ち止まったりなんかするから」
「い、いえ……。私も前をちゃんと確認していなかったのでお気になさらないで下さい」
慌てて落としてしまった物を二人で集める。
落としてしまった物の中にはコップなどの割れ物もあって、包装されていたので破片などは飛び散っていないが、壊れてしまっていた。
「……うわ、ごめん。これとか割れちゃってるみたいだ……」
「お気になさらないでください。そうたいした金額の物でもありませんので……」
そう言われてもこちらとしては申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまう。
とりあえず、こうしていると他の通行人の人達にも迷惑なので手早く全部拾い上げてしまおう。
最後に、傍らに落ちていた長い竹刀袋に手を伸ばし、拾い上げる。
「はい、これで最後だな」
そう自分で言ってから違和感に気付く。
「っ! っは、はい。ありがとう御座います」
「――?」
女の子は少し慌てたように竹刀袋を受け取った。
「本当にすまなかった。割ってしまった物はちゃんと弁償するから」
「いえ、本当に気にしないで下さい。ちゃんと前を見ていなかった私にも非はあったのですから」
「でも……」
女の子は少し小さく笑って、さして気にした風もなく言ってくれる。
それで漸く目の前の女の子の顔へと自分の意識が向いて――驚いた。
何が驚いたって目の前の女の子が、その、……随分と綺麗な子である事に今更ながら気が付いたのだ。
下ろせば肩口まであるだろう癖のない綺麗な黒髪を頭の片方で纏め、そこから視線を少しずらせば切れ長の涼しげな目元が印象的な整った目鼻立ち。エヴァやセイバー等といった、白人系の色の白さとは趣を別とする日本人独特の肌の白さ。
うん、なんて言うか、将来は間違いなく美人になる事が確定している現在進化形の美人さんだ。
「……こほん」
変な方向に跳びそうになる意識を、咳払いとともに強引に修正する。
今は見蕩れている場合ではない。
この子は構わないと言ってくれているが、それでもこのままでは、あまりにも後味が悪過ぎるのだ。
と、そこで気が付いた。
「――あれ? その制服……もしかして君、学生寮の子か? 中等部の」
「は? え、ええ、そうですが……」
エヴァや茶々丸と同じデザインの制服、そして学園長が全寮制だと言っていた事を思い出す。
……だったら、うん、丁度いいかも知れない。
「じゃあ丁度良いいや、学生寮の前にある飲食店、分かるか?」
「え? ええ。つい先日店を閉めてしまったらしいですけど……」
「そう、そこ。俺、今度そこで店を開く事になったんだ、良かったら遊びに来てくれ。今日のお詫びに奢るよ」
「……そう、なんですか? しかし、この程度の事でそこまでしてもらう分けには……」
「そうでもしないと俺の気が治まらない。俺の我が侭に付き合うと思って……。その後、常連にでもなってくれれば俺も嬉しいし、友達とか連れてきてくれれば店としても万々歳だ」
少しおどけてみせる俺に、女の子はクスリと笑って微笑んでくれた。
「――かりました。では、開店したら遊びに行かせて貰います」
「ありがとう。店は明日……は無理かもしれないけど、明後日からは始める予定だからさ」
「ええ、では寄らせて頂きますね」
「ああ、それじゃあ待ってる。あ、俺の名前は衛宮士郎。君は?」
「フフ、私は桜咲刹那。それでは失礼します」
そう言って離れていく小柄な背中を見送る。
そしてその背中に先ほどの違和感を思い出す。
それは、どうしようもなくこの平和な雰囲気には不釣合いで。
決して忘れる事のできない感覚。
「あの竹刀袋……中身は真剣?」
竹刀袋を手に取った時の重みを思い出し、一人そう呟いた。
◆◇――――◇◆
「ただいま」
桜咲さんと分かれた後、食材を買い求めた俺は、この世界で今日から世話になるエヴァの家に帰ってきた。
両手に食材がギッシリ詰まった買い物袋をぶら下げ、扉を押し開けながらそう口にした。
「遅かったな、士郎」
「お帰りなさい、士郎さん」
「ああ、店の買出しとかしてたからな、流石に時間食った。あ、それと茶々丸、これ食材とか。冷蔵庫の中そろそろ補充しなきゃいけないみたいだったし、ついでだから買ってきた」
先に帰って来ていた茶々丸に荷物を見せてキッチンへと持っていく。
茶々丸はエヴァの世話をしているらしく、フリルのやたらと多い黒い服を着て、ソファーに偉っそうにふんぞり返っているエヴァの周囲を忙しく動き回っていた。無論、エプロンドレス姿で。……今更ながら思ったんだが、この格好を茶々丸にさせているのはやはりエヴァなんだろうか? 茶々丸自身がこの格好を進んでするとはどうも思えない。一度なんでこの格好なのか聞いてみたい気がする。
碌でもない答えが返ってくる可能性が思いっきり高いが。
そもそもの疑問として、こういうのって何処に売ってるんだろう?
素材とか見るに、そこいらの店で売っているような偽者のエプロンドレスとは材質からして出来が違う。
サイズも茶々丸の為に作られたようにピッタリだ。
………………ますます聞きたいような、聞きたくないような。
「助かります。私もそろそろ買出しに行こうかと思っていましたので」
「そっか、被らなくて良かった」
「はん、全く、妙に気の回る男だ。それより士郎、お前地下を片づけなくてもいいのか? 今晩寝るところが無くなるぞ」
「…………あ、忘れてた」
「――気が回るのかそうでないのか微妙だな。私はてっきり、さっさと帰ってきて片付けるものだと思っていたのだがな」
「……仕方ないだろ、開店の準備とかしなきゃいけないんだから忘れる事くらいあるさ」
「まあいいさ。ほれ、さっさと片付けてこい」
「え、でも夕食の準備が……」
「それくらい茶々丸が準備する」
「それもなんか悪い気が……」
「いえ、お気になさらず。元から私の役目ですので」
「……むう、じゃあお言葉に甘えて」
ありがとう、と茶々丸に感謝しつつ、地下へと続く階段へと向かう。
と。
いけない、いけない、忘れ者をしてしまった。
途中でエヴァの手をガシッ、と捕まえる。
「む? 士郎、なんだこの手は」
「何って労働力の確保。勝手も分からないのに人の家をいじくり回すわけにも行かないだろ」
「はあ!? だからって何で私が手伝わなければならん! あ、こら! 引っ張るんじゃない! 放せ!」
「んー、労働って尊いものだよなー」
「あ、お前っ! さては今朝、私が笑ったこと根に持っているな!?」
「ソンナコトナイヨー、ダレモイジメテヤルナンテ、オモッテナイヨー」
その場に留まろうとするエヴァをズルズル引き摺って地下へと向かう。
抵抗しているものの、そこは少女の力と俺。比べるべくも無い。
「それじゃ茶々丸、後を頼むな」
「はい、お任せください」
「は~な~せ~っ!」
気分はドナドナ。
で、
「なんで私がこんな事を………」
とりあえずエヴァはブツブツ言っているものの、逃げずに地下へと降りてきてくれた。
階段を下りる前に引き摺ったままだと危ないので言った、
『お姫様抱っこして降りて欲しいか?』
の、一言が効いたのかもしれない。
や、実際やろうとは思ってなんかいなかったけど。
にしても、
「凄い人形の数だな……」
地下室はそれこそ夥しい数の人形によって埋め尽くされていた。
100や200ではきかない数で、サイズも大きいのから小さいのまで様々だ。
真っ暗闇の中に佇む無数の物言わぬ人形。
今にも動き出しそうな雰囲気だ。
うーむ、これは流石に怖いものがあるな。
「――ナンダオマエ?」
「……へ?」
そんな暗闇に響き、鼓膜を振るわせる感情を感じさせない無機質な声。。
――何? 今の奇妙な声。
「……エヴァ、今なんか言ったか?」
「あん? 文句ならさっきから言っているが?」
……だよ、な。でも、今のはエヴァの声じゃなかった。
って事は――マ・サ・カ……?
背中に冷たい汗が流れ落ちる。
こういうのはアインツベルンの冬の城で慣れた気になっていたが、こんなに大量の人形に囲まれている状態とでは比べ物にならない。
「……ナンダ、御主人モ一緒ジャネェーカ」
マジですか!? 本当になんか出るのかッ!?
思わず上げそうになる悲鳴を、無理矢理口内に押し込めると、
「……なんだ、チャチャゼロか」
「――なんですと?」
エヴァは呆れたかのようにそう言うと、徐に一体の人形を無造作に引っ張り上げた。
「ナンダトハヒデェジャネーカ、御主人ガ放リコンダンジャネーカヨ」
「お前が煩いからだろうが、従者の癖に生意気な」
「ケケケ、御主人ト俺ノ仲ナンダ、イマサラ遠慮スルホウガ気持チワリィ」
「ふん、言ってろ」
エヴァは物言わぬ筈の人形と仲良く?喋っている。
「……あの、エヴァ、そちらさんは?」
俺的には昔の映画で見た、ホラーな殺戮人形にしか見えないのだが。
小さな子供なら、暗闇でその姿を直視しただけでトラウマになりかねないほどの見事な出来栄えである。
両手に刃物でも握らせれば完璧なキラースタイルの完成だ。
「そういえば貴様は見たこと無かったんだな。こいつはチャチャゼロと言ってな、こいつも私の従者だ」
「御主人ノセイデ歩クコトスラデキネーンダガナ」
「私のせいではない、ナギの封印せいだろうが」
「マァ、ソンナコトヨリダ。御主人、コイツハナンダ?」
「こいつか? こいつは衛宮士郎といってな。まあ……新しい居候だ」
「ケケケ、要スルニ新シイ玩具ッテカ」
「そんなもんだ」
「…………」
そこで同意しちゃうんだ……。
それに玩具って……扱い酷くないか?
それにしても随分変わった従者をお持ちで……、ママゴトの延長みたいな感覚なんだろうか?
それはさておき一応挨拶はしておくべきだろう。ちゃんと自我もあるみたいだし。
「俺は衛宮士郎。これからここに厄介になる事になったんでよろしく頼む」
「オウ、ヨロシクシテヤロウジャネーカ」
と、一応握手。
動けないらしいので本当にただの人形と握手してるみたいだ。
「おい士郎。無駄話もいいがな、いい加減にして片付けを始めろ」
「ああ、ゴメンゴメン、エヴァ。でも片付けるって言ってもこれは……」
首を回して辺りを見回す。
人形人形人形。
見渡す限りのスペースは人形で埋め尽くされている。
「……この人形。どこに片付ければいいんだ?」
片付けるにしても置く場所もないのだが。
「ん? ああ、そういえばそうだな。どうしたものか……」
考えて無かったのかよ。
「ナンダ、ソンナコトナラ御主人ノ『別荘』ニ入レテオケバイインジャネーノカ?」
「そうか、その手があったな」
そう言ってエヴァは奥の方へ歩いて行くと、なにやらガサゴソと漁りだした。
「エヴァ? なんだ? その『別荘』っていうのは。ここ以外に建物でもあるのか?」
「なに、口で説明するより見た方が早い。もう少し待て……。お、あったあった」
で、エヴァが持ち出してきた物は大きなボトルの中に精巧なミニチュアの建物が入っている物だ。いわゆるボトルハウスとでも言うのだろうか。
普通のそれと違うのは、通常ならワイン等の空ボトルを使用するのに対し、こちらは随分と丸に近い形をしている。
「おい士郎。こいつをそこの台座の上に置け」
「台座ってこれか? 了解。……よっと、これでいいか?」
「ああ、では少しそれから離れていろ」
「わかった」
俺が離れるのを見て、エヴァはなにか小さく呪文のような物を呟く。
上手く聞き取れなかったものの、それで十分な効力を発揮したようで、球体が明るく光りだした。
「――これは?」
「これが私の『別荘』だ。これに近づくと自動で転移の魔法が働くにようになっているから余り近づきすぎるなよ? 転移した先にはこの中に入っているミニチュアの世界が広がっているって寸法だ」
「――はぁ……。なんか良くわからんけどすごいんだな」
「ふふん、だろう。ああ、それとこの中に入ると時間の経過が変化する。この中の一日は現実の一時間だ。しかも一度入るとこの中の一日が経過しないと外に出られないから注意しろ」
「へえ……」
要するに遠坂の家にあった宝箱の逆バージョンみたいなもんだろうか?
あっちは中の一時間が外では一日だったが。
……この中から電話すると変な所に繋がったりしないだろうな。
「ここにある人形は全部そこに近づけて中に送ってやって構わん。後は中のハウスキーピングをしている人形達が勝手に片付けてくれる」
「わかった。じゃあ早速取り掛かるかな。置くだけでいいんだな?」
「ああ、家具などはそこらに転がっている物なら好きに使ってもかまわん」
「ナンダ御主人、随分ト気前イイナ?」
「ふん、私は恵まれんヤツにはこの程度の施しはする」
「イヤイヤ、ソウイウンジャナクテヨ。御主人ハ基本的ニ気ニ入ラナイ奴ニハ容赦ネーカラナ。家ニ住マワセルウエニココマデスルッテコトハ……アレカ? 惚レタカ?」
「おーい、士郎。ついでにこの馬鹿人形もその中に叩き込んでおけ。厳重封印と張り紙してな」
「ケケケ、ナンダヨ御主人。図星ダカラッテ照レナクテモイイジャネェーカ」
「誰も照れてなどいないッ!」
片づけを続けている俺の後ろで階段に腰掛けたままエヴァはチャチャゼロと仲良く言い争いをしている。
「デ、御主人。コンナ奴ドコデ拾ッテキタンダ? 勿論堅気ッテワケジャナインダロ?」
「いきなり話題を変えたな……。ふん、昨日の夜に結界の中に落ちているのを見つけてな、面白そうだからそのまま拾ってきた」
その言い方はあんまりですエヴァさん……。
「『面白ソウ』、――ヘエ、ナラ勿論『出来ル』ンダロウ? 衛宮ッテイッタカ? オイ、俺トモ遊ボウゼ」
「そいつは御免被る、痛いのは嫌いなんだ。そういうのはどっか別でやってくれ」
「チェ、ナンダヨツレネーナ」
ケケケと可笑しそうに笑う声からは本気かどうかは掴みづらいが、それほど危険と言う程の事でもないだろう。
それでも、チャチャゼロのような人形に、寝ている時に馬乗りで襲われる場面とか想像するとまんまホラーなんで別の意味で怖い。
「いいからさっさと片付けろ士郎。私はそろそろ腹が減ってきた」
「はいはい、急ぎますよー」
「……なんか言い方が気に入らんな。お前、本当に私が年上だと分かっているのか?」
「はいはい、分かってる分かってる。お、そういえばバックにまだ飴とか入ってたな。飴、食べる?」
「……フフフ、いい度胸だ。どうやらお前は分かっていて私をおちょくっているんだな? 喧嘩を売っているなんだな?」
額に青筋を浮かべるエヴァを、まあまあ、と宥めながらバックを漁る。
エヴァに言えば怒ってしまうだろうが、弄ると面白いので調子に乗ってしまう。
いかんいかん、とは思っているものの、ついついやってしまうのだ。
「……あれ?」
と。
バックをガサゴソ漁っていたら奥のほうから何か別の物が出てきた。
って、待て、これは――、
「いいだろう、昨日の借りをここで返してくれる! 覚悟……お? なんだそれは?」
バックから引っ張り出したものに怒りを忘れて興味深々で近いてくる。
すぐに怒りを抑えたあたり、たいして本気では怒っていなかったのだろう。
その様は本当に見た目相応の子供のようにコロコロ表情が変わって、そんなんだからからかいたくなるんだけどなと、内心呟く。
そんなエヴァを微笑ましく思うが、今はそれよりこっちが重要だ。
赤い外套――――聖骸布。
……なんだってこんな物が。
「……なんか嫌な感じのする物だな。理屈では表現できんが本能的にとでも言うのか……」
「ああ、そうか。そういえばエヴァは吸血鬼だったっけ、それならそう感じても不思議じゃないのかもな。これは、とある聖人の亡骸を包んだ聖骸布だからな」
「――なるほど、なんでお前がそんな物を持っているか疑問だが それなら私のこの感覚も納得いく」
確かに聖骸布を持っていた記録はあるが、まさかバックからこんな物が出てくるとは想像していなかったので驚きだ。
「で、お前はこれをなんに使うのだ?」
「これか? 俺はこれを纏って使ってるんだ。俺自身、外界からの力の侵入に弱いからな、こういうので補うしかないんだ」
「……よくは分からんがお前のマジックアイテムといったところか。とりあえずそれを早くどっかにしまえ。どうも悪寒がする」
「あ、悪い。やっぱり苦手だったか」
「別にどうといったことはない。多少苦手意識があるだけだ、気にするな。しかしそんな物まで持っているとはな……やはり朝言っていた通りお前も平穏や安穏と言ったこととは無縁の生き方をしているのだな」
「無縁とか言うなよ……へこむから。俺はその平穏の為に頑張ってるんだからさ」
「平穏の為にね……やっぱり物好きな奴だ」
「エヴァには負けるけどな」
「……どういう意味だ」
「さあ? どういう意味だろうな?」
半眼で睨みつけるエヴァを軽くかわす。
素性の知れない男を家に住まわせるエヴァだって相当の物好きだと思うけど。
とりあえずこうしていても片付けは進まないので作業に戻る。
「そういえばエヴァの方こそなんで封印なんて物騒なことされてるんだ?」
作業を進めながら聞いてみる。
気にはなっていた。昨日からの付き合いではあるけど、そんなに悪い子なんかじゃない事は確かだ。
確かに素直じゃない所などはあるが、なんだかんだと理由をつけているけれど俺を助けてくれているのも事実だ。
それに先刻からだって文句は言っていたけど、こうして俺に付き合って片付けの手助けもしてくれた。
もし何か不当な理由で縛り付けられているのなら、世話になっているお礼とか抜きにしてなんとかしてあげたいと言うのが俺の本心だ。
「……そんなの私が悪い魔法使いだからに決まっているだろう」
「そういうんじゃなくて理由。だいたいなんでエヴァが悪い魔法使いなんだよ」
「それこそ色々悪事を働いたからだろう」
「エヴァ……」
「……お前もしつこい奴だな。――はあ、仕方ない、お前の過去を聞いたんだ、私だけ話さないと言うのもフェアではないか」
エヴァは仕方なさそうにため息をついた後、階段に腰を下ろし、とつとつと語りだした。
「……遠い昔の話だ。百年戦争というものを知っているか? 私はその時代のとある城で育ち、幼少時代を何不自由なく過ごしていた。その頃の私は正真正銘なんの力も取り得もないただの人間で、魔法の事など存在すら知らず、まったく無関係に平穏を享受していた。……だが10の誕生日を迎えた日の事だった……目が覚めると私は吸血鬼となっていた。最初は自分の身に起こったことが理解できずに半狂乱だったよ。なにせ、ある日起きたら突然、日の光を恐怖するようになり、喉の渇きを覚えれば普通に血を飲みたくなったんだ。とても正気ではいられなかった。そんな自分が恐ろしくてな、必死に隠そうとしたが……無理、だった。私は世界全てを呪い、私をこんな姿にした男を殺し………城を出た」
「……最初から吸血鬼だったんじゃないんだな」
「ああ、わたしのこれはある一種の呪いのような物だ。だからと言って最初から力があったわけじゃない。最初の数十年は力も弱かったし、弱点だって多かったしな。一つの場所に留まる事すら、この成長しない体ではできなかった。いつまでたっても成長しない子供など、傍から見たら不気味以外の何者でもない。その時代は特に魔女裁判だとか異端審問が盛んでな、そんな子供がいたら……結果は自ずと分かる物だろう。力が無ければ逃げ回るしかなかったしな。だからといって、魔法使いの国でも私を受け入れる事など無かったよ。魔法使いといっても所詮は人間だ、人間は自分と違う物を忌み嫌い……排斥しようとする。私を、化け物を殺そうとして向かってきた者を一人殺してしまえば後は泥沼だ。……一人を殺せば怨嗟は途切れることなく続く。殺された者の仇を取ろうと一人、……また一人、とそれは途切れることなく続いた。それは分かっていたことだ、もう戻れないと言う事はな。殺さねば生きられない時代もあったし、……殺さずに済んだ時代もあった。力を得て一人孤島に居を構え、私に近づく者が賞金を目当てに狙ってくる者や、名を上げようとして挑んでくるような、命を落とす覚悟がある者達になってからは――楽になった」
「…………」
「そうして15年前……、サウザンドマスターと呼ばれる魔法使いに破れ去り、私はこの地に封印され、かつての力も封じられた。そうして今に至ると言うわけだ。――どうだ? これで分かっただろ。私は多くの命を糧に……屍の山を築いて生き永らえてきた悪の魔法使い。――滑稽、だな……、そんな私が、他者の命を喰らってまで生きてきたこの私が平穏を望むなど……。お前に出会った夜……、あのまま首を落とされても自業自得だったんだ。――分かっているのだぞ? あの時お前は、菓子などではなく本物の刃を向けていた、と」
「…………それは……」
「別にお前を責めているのではない。むしろ必然だ。あの場では余りのお前の間抜け具合に騙されたが、よくよく考えてみればこの私があの感触を間違う筈が無い。――幾度と無くこの身を裂いた鉄の冷たさをな……。あの時、お前に温情をかけられず、そのまま死んでしまっていたとしても、それを拒む権利など私には、微塵も…………なかったんだ……」
そう言うとエヴァは俯いてしまう。下を向くエヴァが何を思っているのかも分からなかった。
いつしか俺の作業の手は止まり、ただ目の前の少女を見つめていた。
俯く少女を見つめていた。
確かにエヴァは殺した。
それもかなりの数の人を殺したのだろう。
許される罪ではないし、拭い去れる過去ではない。
けれどそれは、そうしなければ生きられなかったのだ。誰であろうと人は生ある限り生き延びようとする。それは本能であるし、産まれ落ちた者の義務だ。
生きる事は罪だろうか?
生きたくて、生きたくて、生きたくて。
そうして必死に生き延びてきたエヴァを『悪』だと断じるだなんて、そんな事、俺には――出来ない。
それに、それはなにもエヴァに限った話の事ではない。
殺したくて殺したのでは無いだろう。彼女は気付いているのだろうか? 自分で言ったのだ。”殺さずに済んだ時代もあった”と……。
それは、裏を返せば殺したくは無かったと言っているのだ。
誰も傷つけたくなどは無い。
傷つきたくは無い。
そう言っているのだ。
――そう、それはあの高潔な騎士、セイバーとて同じ事。望む望まざるに関わらず、あのセイバーだって生前は多くの人間の命を奪っている。
そして、それは俺だって同じだったから――。
「…………」
かける言葉が見つからない。
いや、そもそもそんな言葉が俺の中には存在していないんだろう。
言葉で否定するのは簡単だ。
只、一言『違う』と言えば良いだけなのだから。
でも、それは絶対にしてはいけない事だ。
数百年の時を生きて、苦しみ抜いてきたエヴァに俺なんかが……、いや誰であろうとその人生を否定する権利など持ち得ない。
それはただの冒涜にしか他ならない。
否定などしない。
出来ない。
――させない。
だからと言って、慰めの言葉などエヴァの数百年を侮辱する行為に他ならない事も分かっている。
それでも何かを伝えたかった。
言葉ではない何かを――、
「…………」
身体は勝手に動いていた。
言葉も無く、エヴァの腰掛ける階段をゆっくり上る。俯いたままのエヴァは俺に気づいているのか、そうでないのか、顔を上げようとはしない。
エヴァが座る段に並び立っても、うな垂れたままの頭。
「……え」
その小さな頭をクシャっと優しく撫でた。
言葉で伝えられない想いを乗せて、この想いがほんの少しでも彼女に伝わるように願い。
優しく、優しく、優しく……。
エヴァはそんな俺を不思議な物でも見るようにゆっくりと見上げた。
彼女が今、何を思っているのかは俺には分からない。
その瞳がなにを見ているかも分からない。
でも、店を出て行くときに残した『――士郎、お前は私に似ているよ』というあの言葉。
その意味だけは分かったような気がした。
誰かの為にしか生きられない俺と、安住の地を求め続けたエヴァ。
その道は違えども――、
願えども届かない夢、それはきっと”幸せな平穏”なのだろう。
でも、それは口にするべき類いの言葉では無い。ただ想いが伝わればいい。
この、長い時間を孤独に歩き続けてきた少女に伝えたかった。昔はどうだったかのかは分からない、知ることも出来ない。
けれど、今は違うと伝えたかったのだ。
茶々丸が、チャチャゼロが側にいる。おこがましい知れないかもしれないけれども、必要としてくれるならば――――俺も側にいよう。
この小さな少女は知らずに育ったのだろう。
家族の温もりを、優しさを、愛しさを――。
何処にも受け入れられず、誰にも受け入れられなかった少女は全てに絶望しただろう、憎悪しただろう。
それでも、少女はこうして何処の馬の骨とも知れない見ず知らずの男に優しさの片鱗を覗かせてくれる。
だから、俺はこの歪だが優しい少女を守りたいと思った。
悲しみから、孤独から、この子を傷つける全てから――。
その万感の想いを掌に込めて、柔らかな髪を優しく梳いていく。
決して一人ではない、皆がいると――そう、伝えたかった。
「――行こう、エヴァ。そろそろ俺もお腹が空いた、皆でご飯を食べよう」
「――――」
髪を梳いていた手を顔の前に差し出す。
数瞬、エヴァはその手をひどく眩しい物を見るようにして目を細め、見つめたまま動かなかったが、やがて小さなため息とともに瞼を軽く閉じた。
彼女は言葉も無くその手を取り、
「……本当に、――可笑しな奴だ……」
そうして、向けられた笑顔は幼い外見そのままの、まるで小さな花のような可憐な笑顔だった。
その日の夕食、また後ろに控えていようとする茶々丸を無理矢理席に座らせ、動かないチャチャゼロも座らせた。
その日の夕食はとても美味しくて楽しくて賑やかで、――暖かくて……これがここでの団欒風景なんだと、そう思った。