夜、チャオの話を聞いた俺は、とてもじゃないが祭りを見て廻る気分に戻れず、目的も無く学園内を歩き回り考え込んでいた。
傍らにエヴァの姿はない。
彼女には悪いが、一人で考えたいと言って別れたっきりだ。
祭りの喧騒で賑わう通りを歩きながらも、それを何処か遠くに感じながら思考に耽る。
だからと言って、そう簡単に答えが出るわけも無い。
そんな風に、ぐちゃぐちゃになった頭で考え込んでしまったせいか時間の感覚も相当狂ってきてしまっている。
幾ら考え込んだところで堂々巡りをしているだけ。
今の俺の状況のように、同じところをグルグルと廻っているだけで、何も進展なんかしちゃいない。
「……言ってる事が間違っていないのは分かっちゃいるんだけど」
そう言葉を漏らして溜め息を吐く。
チャオは恐らく、俺に包み隠さず本心で話してくれたと思う。
いや、より正確に言うならば、話の展開の内容には少なくない嘘はあったかもしれない。
そして、意図的に隠していることも間違いなくあっただろう。
だが、最後に語って見せた、もう争いを見たくないと言う言葉だけは間違いなく本心からの言葉だったように感じられた。
……全く、色々な事を隠して話しているくせに、本心だけを相手に見せるなんて器用な真似が良く出来たもんだ。
だからこそ思い悩む。
魔法世界が崩壊し、異なる文化を持つ二つの世界が交じり合ってしまうとすれば、二つの違う世界の一番大きな違いは魔法を使えるかどうかという事になる。
だからそれを、段階を踏んで人々に魔法の存在を認識させ、世界が交じり合う時までに周知の事実として広め、あわよくばこちらの世界の住人にも魔法を使えるようになってもらえれば、混乱は最小限に済むというのは理屈としては分かる。
そして、それが起こるであろう争いを未然に防ぐ手段として有効であるという事も。
それに、魔法の存在が知られると言う事は、それに対する対処も明確になる事から混乱を抑えるられるのはなんとなく分かる話だ。
それでも、そんな事をして本当に良いのか?
世界の根幹を引っ繰り返すような事をしてしまって本当に良いのか?
そんな考えがどうしても頭から離れないのだ。
幾ら考えても答えが出そうにない。
幾ら思考を巡らそうと辿り着けそうにない。
「そもそも、魔法世界の崩壊を喰い止める手段が本当にないのか?」
判断材料はチャオの証言のみと、かなり弱いものだと理解はしている。
本当は起こらないかも知れない。
彼女が未来の人間だと言う事は本当だが、彼女の妄言なのかもしれない。
けれど、彼女の真剣な眼差しを思い出すと、戯言だと笑い飛ばす事が出来ないのも事実だ。
どちらにしろ、今の俺には真実か嘘かを確かめる手段も、時間もないのが現状でしかない。
「――え?」
そこでふと、その違和感に気が付いた。
考え事に耽っていた頭を上げて辺りを見回してみると、いつの間にか周囲から人影が無くなっているのだ。
先程まであんなに多くの人で賑わっていたというのに、今は人の姿が一人も見受けられない。
別に俺が裏路地に入ったわけでもない。
今俺が歩いている道は世界樹へと続く大通りで、メインストリートといっても差し支えが無いような広さのソコは、多くの人で賑わっていた筈だ。
そんな道から人気が俺を除き消えている。
人がいなくなったわけではない。
その証拠に、通りを一つ挟んだ向こう側からは今も大勢の人で賑わう喧騒が伝わって来ている。
だが、こちらには俺一人。
道の両脇に立つ街灯が世界樹へと導くように煌きを放ち、ひたすらまっすぐに続く。
様々な物で艶やかに飾られた通りは街の明かりに染め上げられて輝き、そんな場所に俺独りしかいないという状況に異常だと思うより前に、いっそ幻想的にすら感じられた。
「――これは……一体」
呆けた様に辺りを見回し、視線をあちこちへ飛ばす。
本当に誰一人としていやしない。
隣の通りから聞こえてくる喧騒も何処か遠くに感じる。
そんな、何処か異界にでも迷い込んでしまったかのような感覚に囚われたまま、なんとなく……そう、本当になんとなく遠くへと視線をやった。
――そして、世界樹を目にした瞬間、それは起こった。
「――――っ!?」
ドクン、と。
心臓が跳ねた。
かつてない程に鼓動が激しく脈打つ。
バクンバクンと、暴れ狂うかのように脈打つ。
自分でも何故そうなったのか分からない。
只……そう、只、世界樹を目にした瞬間、強烈な、抗い難いまでの何かが――”掘り起こされた”。
掘り起こされた。
何故そう感じたのかは分からない、だが確かにそう感じたのだ。
……それが何なのかは分からない。
だが、そうしなければならない、それをしなくてはいけない……そんな正体の分かりもしない強迫観念に囚われてしまった俺は、フラフラと夢遊病者のような足取りで歩を進めた。
目的地が何処なのかすら分からないのに、思考より先に足が勝手に前へと進む。
それが、この体の生まれてきた義務であるかのように。
「――――」
声無き声に呼ばれるように、ただひたすらに歩く。
意識ははっきりしていて、何かに操られていると言う訳ではないが、それでも、まるでその為に生まれてきたのだと感じてしまう程の強烈な使命感が足を止めようとしない。
どこに行けば良いか分からない。
だが、足は明確な目的をもって歩を進める。
そんな矛盾した行動のはずなのに足は止まらない。
まるで幽玄の世界を彷徨い歩いているかのようだ。
――そうして俺はそこに辿り着いた。
手を伸ばせば届くような位置に。
眼前に映る威容、そしてその圧倒的な存在感が何よりも雄弁に”ソレ”を物語っている。
「……世界樹。まさか、お前が呼んだのか?」
そう呟いた俺はその姿を見上げた。
目の前の存在は黙して何も語らず、ただ悠然とした威容で風に揺れる葉の擦れる音を奏でるだけ。
……馬鹿らしい。
そんな筈がないだろうが。
内心でそんな馬鹿な考えを持った自分に悪態を吐く。
しかし、
「え……光って……る?」
唐突に、世界樹が淡く輝き出したのだ。
それこそ、まるで俺の言葉に答えるかのように明滅を繰り返す。
22年に一度起こると言われている発光現象……そう結論付けてしまえば簡単なのだが、俺にはどうしてもそうは思えなかった。
まるで意思を感じさせるかのようなその輝き。
淡く、だが力強く。
まるで鼓動のようだと感じた。
俺はそれに導かれるかのように樹へと手を伸ばす。
その瞬間、
「――――が、ああああああああああああああああぁぁぁっ!?」
絶叫。
光が奔流となり、俺目掛けて一斉に流れ込む。
光は俺の腕から抜けて全身へと駆け巡る。
「うああああああああああああああああぁっ!」
絶叫は痛みによるものではない。
――恐怖によるものだ。
光に質量があったとするならば、とてもじゃないが俺一人の中に収まりきりそうもない程の量が、衛宮士郎と言う個人目掛けて押し寄せる。
それはまるで、俺と言う個人を押し流そうとしているかのようだった。
「――――ッ!?」
今、何かが頭の中に……!?
それは得体の知れないモノ。
光が脳に達する度に次々とナニカが浮かんでは消えていく。
――待て。これは――……ッ!!
頭の中に流れ込んでくるもの、それは情報だった。
……いや、それは正確ではない。
流れ込む情報と言う名の光……それは、ここの所俺を悩ませ続けていた悪夢そのままだった。
知っている情報、知らない情報、そして――”知っている筈”だった情報。
そんな物が矢継ぎ早になだれ込んでくる。
「――ずっ、ぅ、があああぁあああああーーッ!!」
足掻こうにも手は離れず光は止まず。
雷のように頭を駆け巡り、炎のように脳髄を焼き尽くし、濁流のように情報は流れ込む。
止まることを知らないそれは、高きから低きへと落ちるように流れ、衛宮士郎をヤスリの様に削って行く。
止せ、止めろ、止めてくれ――ッ!
俺にはもうこれ以上入らないッ。
こんな事、知りたくもないし知りたいとも思わない!
だから、
―――だからもう、これ以上”衛宮士郎”と言う人間に上書きしないでくれッ!!
「ああああああああああああああ嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼ああああ嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼あああああああああああああああああああ!!?」
一分か一秒か、それとももっと長い時間か。
――やがて、光が止まった。
アレほど荒れ狂っていたのが嘘のようにピタリと。
「――はっ! はぁ、はぁ……っ、はぁ!」
光の奔流から開放された俺は、凄まじいまでの倦怠感で思わず地面に両手を突いて蹲ってしまう。
全身からは滝のような汗が流れ落ち、呼吸は荒い。
両手と膝からは地面の感触と冷たさ。
顔は上げられず、視界には地面しか映ってはいない。
――だが、それら全てが今の俺にはどうでも良い事だった。
「………………は、ははは……。そう……か、そういう事だったのか」
口から零れるのは虚ろな笑い声。
自分でその言葉を吐いている意識はない。
ただ、勝手に言葉が感情の発露のように零れ落ちていく。
「―――俺は、なんて勘違いをしていたんだ」
そして、ついにその真相に辿り着く。
ボタンの掛け間違いに。
運命の悪戯に。
歯車の歪みに。
「……ああ、そうだ、全部思い出したさ。――思い知らされたっ!!」
吐き捨てるように、叫ぶ。
そう、思い知らされた。
全て。
全て。
余す事無く、全て。
……俺が、衛宮士郎がこの世界に呼ばれた理由が。
「……そういう事だったのかよ、チクショウ――……ッ!!」
叫びは誰にも届かず闇に解けていく。
そんな中、俺は確かに聞いたのだった。
―――舞台の終幕を知らせる、鐘のような音を。